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衆院選・岩手1区の公開討論会と前回に垣間見た「保元の乱」

突然に決まった衆院選ですが、週明け(12月1日)に盛岡市内で岩手1区の候補者による公開討論会が、JC(青年会議所)の主催で行われます。
http://www.moriokajc.org/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=444

今回は、現役の理事長の方が司会を務める予定と伺っていますので、選挙の意義を理解されている盛岡圏の方々はもちろん、「理事長に恥をかかせない」という見地から、少なくとも盛岡JCの関係者には積極的に参加いただければと思っています。

私は昨年にJCを卒業していますが、前回=平成24年12月の衆院選や昨年の参院選の公開討論会などを担当する委員会に所属していた上、設営のあり方などを巡って何人かの方と議論をしていたこともあり、私にとっては思い入れのあるイベントです(結局、私の希望は今も反映されていませんが)。

以下に引用する文章は、前回総選挙の公開討論会について書いたもの(旧HPの日記欄に掲載したもの)です。今回は、こうした意味での面白さは無いのかもしれませんが、当時ご覧になっていない方は、ご一読いただき、国民主権意識の涵養のきっかけにしていただければ幸いです。

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平成24年12月3日、JCの主催で岩手1区の公開討論会があり、参加してきました。私も末端のスタッフになっていたのですが、事前準備をサボっていたため、「タイムキーパーの補佐の補佐」という名ばかり役職があてがわれつつ、最前列のど真ん中で他のスタッフの方と肩を寄せながら拝見していました。

6年前に知事選の討論会のお手伝いをした際には、「何もしなくてよいから、終了後に機関誌用のレポートを書け」と命じられ、物議を醸さない程度に言いたいことを書いた記憶があり、今回も悲しい性か色々とメモをとったので、書きたいことが無いわけではありません。

が、ここでは1点に絞って書きたいと思います。もちろん、申すまでもありませんが、私個人のお気楽な私見を綴っているもので、JCとは何の関係もありません。

今回の討論会の最大の目玉は、直前に立候補を表明した、生活党改め未来党の達増知事夫人こと達増陽子氏が、初めて?の公衆向けの場で、どのような振る舞いが見られるかという点であったと思います。そこで、同氏(以下、達増知事との混同を避ける趣旨で、「陽子氏」といいます。)の様子に着目していたのですが、開始早々、非常に興味深い光景を目の当たりにしました。

すなわち、冒頭、司会者(岩手大の政治学の先生)から、各候補者に自己紹介が促され、陽子氏が2番手でスピーチをした後、隣に着席した3番手の階猛氏(民主党現職)がスピーチを始めたのですが、その際の陽子氏の階氏への眼差しが、とても対立候補に向けるとは思えない、慈愛溢れる母が我が子を見つめるようなものであったのです。

この点、報道等に基づく一般的な理解として、階氏(議員)は、小沢氏らが民主党を離党した際、悩み抜いた末に苦渋の選択として民主党に残留したため、今回の選挙では、未来党(当県では「岩手小沢党」とでも表現するのが相当とも感じますが)から対立候補を擁立されることになり、陽子氏に白羽の矢が立てられました。

階氏は、達増知事が6年前に衆院議員から知事に転身した際、後釜として達増知事に抜擢され、達増氏後援会の全面支援のもと対立候補に圧勝し当選を続けており、今回の階氏の選択は傍目には生みの親たる達増知事への重大な裏切り行為にも見え、未来党=小沢氏・達増氏陣営がどのような方を「刺客」として送り込むのか、大いに注目されてきました。

そのような中で、未来党が陽子氏を擁立した趣旨は、①階氏の殲滅を目的に必勝の構えをとったのか、②それを企図しつつも他の適材が得られず仕方なくということなのか、③他の意図があるのか、私のような県内の一般庶民レベルで確立した見解は未だ生じていないと思います。

しかし、少なくとも、冒頭の陽子氏の様子からは、①や②の意図、換言すれば階氏への憎悪的なものは微塵も感じられず、ここ数ヶ月間の達増知事が盛んに再合流の期待を述べていた光景と合致する、階氏への愛着(未練?)を強く印象づけるものでした。

ところで、陽子氏自身については、知事夫人が急遽、出馬となったこと自体を批判する言論も散見されるところですが、私自身は、少なくともスピーチの姿勢(口ぶり或いは未来党のスポークスマンとしての振るまい)等に関しては、堂々とした、見事なものだと感じずにはいられませんでした。

少し考えれば、陽子氏は、元議員であり現職知事である達増氏の妻として、何年間も後援会を取り纏め、ご夫君の代わりに様々な演説等もこなしておられたであろうことは容易に思いつきますので(地元報道でも、関係者の説明としてそのように称されています)、そのこと自体は驚くにはあたらないのだと思います。

で、その延長線上で考えれば、陽子氏が階氏に暖かい眼差しを向けている理由も、よく理解できます。

恐らくは、達増氏後援会の全面支援により政治家の世界に飛び込んだ階氏にとって、後援会を取り纏めてきた陽子氏は、政治の世界での母も同然で、陽子氏にとっても、階氏は我が子も同然という関係にあるのではないかと思われます(もちろん、私は内部事情は何も存じませんので、あくまで報道と討論会の光景のみに基づく推測です)。

であるがゆえに、色々と込み入ったご事情があるのだとしても、階氏が小沢氏や達増夫妻の庇護を離れ、「独り立ち」を始めた姿は、陽子氏にとっては、我が子の巣立ちを見るような感慨があり、それが、上記の光景となって現れたのではないかと感じた次第です。

さすがに、その自己紹介シーンの後は、陽子氏が慈母の如き眼差しで階氏を見つめるような光景は見られず、基本的にはキリッと前を見据えてご自身の主張を述べておられたように思います。

階氏に関しては、お二人がマイクを交わす際に笑顔が見られた程度で、基本的にはいつも?の厳しい面持ちを続けていましたが、陽子氏に含むところがあるというのではなく、真っ当な緊張感を保っていたに過ぎないと理解しています。

公式見解で語ることはできないのでしょうが、階氏にとっても、恩義ある方々に弓を引くことに心苦しい思いを重ねておられると推察されます(階氏に関しては、一応は同業ということもあり何度かご挨拶したことがありますが、非常に誠実な方と理解しているつもりです)。

もちろん、お二人とも馴れ合いの選挙戦をしているわけではなく、公式(対外的?)には真剣勝負をなさっているのでしょうから、このような思いを抱きながら親子同然の関係にある者同士が戦を余儀なくされるというのは、保元の乱における源為義らvs源義朝の姿に重なるところがあるのではないかと思わずにはいられませんでした。

周辺の構図という点で考えても、以前ほどの勢いがなく、凋落が噂される本来の主君(小沢氏)への忠節を全うせんとする達増夫妻と、それと袂を分かち天下の権を掌握した者(小沢氏の失速後に政権を担った現・民主党)のもとで生きる道を選んだ階氏という構図は、小沢氏を摂関家の氏の長者たる藤原忠実・頼長に、現・民主党を後白河天皇や信西に置き換えれば、あながち強引とも言えないように思います。

そのように考えていくと、未来党が陽子氏を抜擢したのも、人材難だとか階氏と信頼関係のある人(陽子氏)の方が後腐れがなく将来の再合流がし易いなどといった面白味のない理由(だけ)ではなく、親子対決であることを承知の上で、「どちらかが斃れても、片方が生き残れば、我が一族(階氏を含む広義の達増ファミリー)は残る。だから、敵同士に分かれても悔いなく戦おう」といった悲壮なメッセージを含むものかもしれないなどと、妄想を膨らませることができそうな気もします。

少なくとも、討論会で「小沢首相を期待していたのに民主党に裏切られた」などと、小沢氏への忠誠を熱く語る陽子氏と、小沢氏について何も語らない階氏(時間の制約も大きいとは思いますが)を見ていると、以前、弁護士会の会合などで、階氏が司法系の話題以上に小沢氏への支持を熱く語っていた姿を垣間見ていた私には、時の流れというか、大河ドラマ的な光景を感じずにはいられませんでした。

まあ、自民党その他の勢力を(その後に他の勢力を一掃して天下を掌握した)平氏などに見立てたり、関係者の選挙後の姿を保元・平治の乱に近づけて考えるのは無理があるでしょうから、これをネタに「カノッサの屈辱」のシナリオ作りを目論むことはできないでしょうが、少なくとも、権力闘争に身を投ずる方々の大変さと、その方々が現に血を流さずに済む現代の有り難さを実感せずにはいられない面もあり、それらを感じただけでも意義があったと思われます。

公開討論会自体は、候補者に互いの見解への批判を避けよなどと「討論会」の看板とはおよそかけ離れたルールを設営側が定めているため、政見発表会の域をほとんど出ておらず、「政策論争」なるものがどこまで期待できるかという問題はありますが、上記のような光景を目の当たりにし、候補者の方々にある種の畏敬を感じたり、民主政治なるものへの参加意識を涵養する機会になるとは言えるのだと思います。

ということで、今回はパスした方も、次の機会にはご来場いただければ幸いです。

余談ながら、可能なら、今回、司会をなさった岩手大の丸山先生のような方には、学生さんに命じて、岩手の政治家の方々の後援会組織などを社会学的・政治学的見地から実地研究してレポートを公表していただければ、今回のような出来事が生じた場合に、それをもとに深みのある考察ができるのではないかと思ったりもしました。

日吉の丘のラ・サールと函館山のカール・レイモン

盛岡の川徳デパートでは、例年、11月頃に北海道フェアを行うことが多いのですが、その際、「函館カール・レイモン」のソーセージ等が販売されるときは買物に行くことが多く、今年も何点か購入して帰りました。

私は平成元年から4年まで函館ラ・サールで高校生活を過ごしましたが、以前にも書いたとおり、勉強もダメ、運動もダメと、何一つ取り柄のない、のび太以下の有様という鬱屈とした日々を送っていました。

そのせいか、高校(及び併設の寮)は、函館中心部の東端にある湯の川温泉から北側の丘を20~30分ほど歩いたところにあるのですが、1、2年生の頃は、高校のある日吉町から逃げるようにして、日曜の朝に丘を下って湯の川温泉の停留所から市電に乗り込み反対側の函館山の麓まで行き、フラフラと散歩しては日暮れ頃にやむなく寮に帰る、ということが何度かありました。

その際、気に入って昼食利用をしていたのが、当時はレストランとして営業していたカール・レイモンのお店(レイモンハウス)でした。

私は、高校に進学(合格)した際、母から「褒美に海外旅行に連れて行ってやる」と言われ(海外経験のない母自身の希望でもあったとは思いますが)、高校1年の夏に、母と二人でドイツなどヨーロッパ数カ国を巡る10泊程度のパックツアーに参加したことがあります。

その際、主要な行き先になった西ドイツ南部(ロマンチック街道のローテンブルクほか)の光景が懐かしくて、それと同じ外観・内装になっているレイモンハウスのレストランで、ドイツ料理(実際に注文したのは800円程度のソーセージ等のランチセットでしょうけど)を食べ、ハリストス正教会など元町界隈の異国情緒に接するのが、ささやかな精神衛生の手段になっていたように思います。

そんなわけで、私にとっては、レイモンハウス(レストラン)が函館時代の数少ない「思い出の場所」で、最もお気に入りの場所と言っても過言ではないのですが、残念ながら、建物の外観こそ維持されているものの、何年も前にレストランは閉鎖され、現在は売店兼軽食コーナーという設えになっているようです。
http://www.raymon.co.jp/brand/pavilion.php

ただ、それだけに、「子供の頃の故郷の自然の風景」と同じく、失われたゆえにいつまでも美化?されたまま心に残る光景となっている面もありますし、「カール・レイモン」が盛岡に来ると買いにいかずにはいられなくなるのも、「高校時代を懐かしんで」という一語だけでは片づかない、あの頃の自分への屈折した執着のようなものがあるのかもしれないと思ったりもします。

そういえば、中学時代から世捨て人志向があったせいか、高校1、2年生の頃は、語学に強い大学に進学し、ドイツに留学してそのまま現地で仕事をする人間になりたい(日本には帰りたくない)と思っていました。今も、そんな自分はどこに行ってしまったのかと寂しくなることもあります。

恥ずかしながら、高校卒業後、函館には一度も足を踏み入れない状態が続いており、そろそろ家族連れでとは思っていますし、どうせ行くのなら、その頃に行かなかった観光地だけでなく、高校から1時間ほど坂道を上って垣間見た「函館の裏夜景」なども見に行けたらと思っているのですが、いざ足を踏み入れてみると、ふとしたきっかけで、封じ込めていた幾つかの感情が溢れてくるなどということも、あるのかもしれません。

ワイナリーの名所群と岩手のワイン処

私は、岩手日報と日経新聞を購読していますが、前者はほぼ毎日欠かさず見ているものの、後者は深夜のまとまった時間にまとめ読みをするスタイルのため積ん読となる一方で、今も半年ほどの新聞が自宅内で山積みになっています。

ただ、日経新聞でも土曜の「NIKKEIプラス1」だけは、「何でもランキング」の名所特集が、ささやかながら観光気分を味わえることもあり、すぐに読むようにしています。昨日は「地産地消 食事もできるワイナリー」が特集され、甲信地方(長野・山梨)などのワイナリーの名所が取り上げられていましたが、残念ながら、東北地方からのランク入りはありませんでした。

なお、ネット上でもこのランキングを見ることができます。
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO79402270X01C14A1000000/

岩手では、花巻市大迫町が戦後間もなく始まったワイン生産地で、近年では、紫波町や葛巻町などもワイン産地として売り出していますが、「食事のできるワイナリー(で、全国規模の集客ができる魅力を備えたもの)」は、県内にはほとんどないのではないかと思います。

この点は、人口規模の違いか、交通の問題(電車等との接続)か、遠方からでも人を呼び込めるブランド力(建物や周辺景観、ワインや料理等の総合力)や経営センスを備えた企業(経営者)が育っていないのか、それ以外に原因があるのか、私には分かりませんが、「地域ブランド」などと運動をするのであれば、こうした(高級温泉旅館などとは違った形で)「地元や遠方のお洒落さん達を呼び込める洋風の施設(ひいては空間)」を作り育てる努力が必要なのではないかと思います。

また、私の知識不足かもしれませんが、盛岡で暮らしていても、地元のワインを美味しくいただくための料理を提供することに力を入れているお店とか、そうしたワイン・料理を家庭で楽しめる惣菜やレシピ等を地元民向けに販売する試みなどというものはほとんど聞いたことがなく、知見のある方々には、そのような地道な取り組みも行っていただきたいものです。

大迫のワイン醸造を始めたのは二戸出身の岩手県の初代民選知事・国分謙吉翁と伺っていますが、例えば、大迫、二戸そして謙吉翁が農場開発を行った滝沢市などが手を取り合って、甲信地方の名店に見劣りしない集客力のある飲食施設などを開発していただければと思っています。

古美門研介と小保内義和の異同について論ぜよ

時機を逸した話題で恐縮ですが、堺雅人氏の熱演で話題になった「リーガル・ハイ」は、私も、「1・2」両方ともビデオに録って視聴していました。

私も曲がりなりにも同業者ですので、一部の極端なパフォーマンスなど現実離れした部分はさておき、事実の調査や証拠固め、駆け引きなどについては、それなりに参考になる(実務家から見ても面白い)と思って、拝見していました。

先日、インターネットを見ていたところ、「古美門弁護士の年齢設定は、堺氏の実年齢と同じ」との記載を見かけましたが、私は堺氏と同年齢(昭和48年生まれ)ですので、私と古美門弁護士とは、同年齢ということになりそうです。

ただ、ネット情報によれば古美門弁護士は一発合格とのことですから、大学4年で合格して修習したのであれば、卒業2年目で合格した私から見れば、司法修習は2期先輩ということになります。

また、当事務所は、昨年に若く熱心な女性弁護士が加入しており、その点でも似たような面があるかもしれません。さすがに、万能の大物執事とか事実を作り替えてしまうほどの強力な調査員などというスタッフにはご縁がありませんが。

古美門弁護士は、超ハイテンポな尋問等で相手を圧倒するのが持ち味ですが、私も仕事ではかなり早口で話す方です。ただ、尋問は大の苦手で、尋問事項書の暗記も出来ずそのまま読み上げるような感じになってしまうので、その点では恥ずかしながら比較の対象になりません。

それでも、反対尋問の尋問事項づくりの際、我ながら良い尋問を思いついた(と思った)ときには、ドラマの影響か、人差し指を縦に伸ばしたり、妙なポーズをとりたい衝動にかられるときがあります。さすがに実際の尋問では、そうした不審挙動には及んでいないと思いますが、できれば、格好ではなく中身の方で、良い影響を受けておきたいものです。

あと、古美門弁護士といえば金の亡者というイメージですが、私の場合は、力量の差か田舎弁護士の悲しさか、高額案件にはほとんどご縁がなく、他方で過去の経緯から結構な経費を要する事務所のため、帳簿等を垣間見ながら毎月の資金繰りを心配する有様ですので、我ながら「運転資金の亡者」のように感じるときはあります。

なお、「女王様のような裁判官」は存じませんが、私が修習生だった平成10年前後の盛岡地裁には、ある意味「女王様」の修辞がよく似合う、華やかな雰囲気の若い女性裁判官が在籍しておられました。修習生の頃、その方が、「定年退官時に、(大臣や知事の退任時の光景のように)庁内の職員さん達に囲まれて暖かい拍手や花束に包まれて去っていくのが夢」と仰っていたのをよく覚えています。

その後、私の東京時代(平成15年前後)に東京地裁交通専門部でお会いし、交通事故訴訟で何度かお世話になりました。さすがに、ご本人の訴訟指揮等は「どS」ではありませんでしたが・・

ともあれ、11月にもスペシャルドラマがあるそうなので、忘れずに視聴したいと思います。

紫波・大迫(花巻)・盛岡の辺境部をゆく

先日、休日に紫波署まで仕事で行ったのですが、同行した家族から、紫波町内の船久保洞窟を見たいとの要望があり、終了後、そちらに向かいました。

事前に少しだけは調べていましたが、洞窟の入口は普段は施錠されており、見学希望者は、すぐ近くにお住まいの管理人さん(周辺の所有者)にお願いして見学することになります。

この日も、何の事前連絡もなく現地に赴いたところ、運良くお孫さんを発見し、管理人さんを呼んでいただいたので、見学することができました。

洞窟自体は小規模なものですが、最奥の広間は十分な見応えがあり、一見の価値があります。また、小さな蝙蝠が沢山いて、私はしませんでしたが、手にとることも出来る状態でした(軍手を持っていくのが賢明かもしれません)。

個人的には、入口の扉が開く前の光景が、得体の知れぬ何かが封印されていそうな感じがあって、味わい深いものがありました。

紫波町は、オガールで大いに売り出し中ですが、管理人さんご家族に迷惑にならない方法で、こちらの洞窟の活かし方も考えていただいてもよいのではと思いました。

但し、恰幅の良い方には通行困難な狭路部分もありますので、その点は予めご留意下さい(ネットで検索すれば、写真入りで詳細を紹介したサイトも出てきますので、そちらを参照いただくのも良いでしょう)。

その後、可哀想な狸の死骸が横たわっていた折壁峠を抜けて早池峰湖(旧大迫町=現花巻市)に行き、次いで、紅葉まであと少しの早池峰湖から長野峠を経て簗川道路に向かい、砂小沢や根田茂の集落を垣間見て、盛岡市内に戻りました。

これらのルートは、これまで一度も通ったことがなく、山道が続き展望も少ない地味な道のりではありましたが、簗川道路の奥地など、古き良き里山の光景(或いは、ドラマの舞台に出てきそうな閉ざされた雰囲気)を色濃く残しているエリアもありました(その辺りは、盛岡市内でも有数の過疎地=限界集落ではないかと思われます)。

最近では、限界集落は無理に維持しようとせず、ブランディング等に秀でた一部の優良集落を除けば、ソフトランディング的に昔の山林に戻すべきではとも言われているようですが、このエリアに関しては、盛岡中心部からほど近く、簗川ダム付近のエリアは道路が整備されたこともあり、何らかの活かし方、活性策がないのだろうかと思わずにはいられないものがありました。

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ペットの保護施設とペット自身の権利

さきほど、盛岡近郊に「ペットの里」という大規模な敷地を確保したペットの保護施設(養育放棄されたペットを全国規模で保護し里親確保等を図る施設)が開設されたとの記事を知りました。
http://morioka.keizai.biz/headline/1691/

私自身はマンション暮らしでペット飼育には関心も余裕もないこともあり、大したことができるとは思いませんが、小岩井農場のほど近く(小岩井→滝沢分かれのルートの途中)なので、家族接待で小岩井方面に行く機会などに、立ち寄ってみたいと思います。

ところで、この施設のHPを拝見したところ、タリーズ日本の創業者である参議院議員の方など、全国レベルで名がある(と思われる)企業の方々などが評議員として名を連ねておられますが、地元(滝沢市や盛岡広域圏)の企業・団体などは運営その他に関与していないのでしょうか?
http://pets-sato.net/outline/

素人感覚ですが、こうした施設(誤解を恐れずに言えば、広義のテーマパーク)は、地元民(盛岡圏民)にどれだけ愛着を持って受け入れられるかが成功(継続性)のポイントだと思いますので(ハウステンボス云々を引用するまでもなく、すぐ近所の小岩井農場が最たるものでしょう)、地元小中学生の社会科見学とか、地域イベントとの連動とか、色々な形で地元民と関わりを深めていただければと思っていますし、そうしたことを通じて、近い将来には、「るるぶ」などの観光ガイドにも載るような知名度や信用等を確立していただければと感じています。

また、さらに誤解を恐れずに言えば、この施設は、日本国中のペット飼育者が、おぞましいエゴないしやむを得ざる切実な必要から、自分では養育の責任を果たすことができなくなった(現行制度上、大量殺戮するほかない)動物を引き取った施設であり、そのような「全国の消費者が不要だとして排出した物を集めた場所」というおぞましい表現を用いるのであれば、廃棄物ないしリサイクルの施設に類する面があると思います。

なぜこのような感じの悪い言い方をするかと言えば、仮に、この施設が何らかの事情で経営破綻等に陥り、かつ、地元行政その他の支援が困難だと判断された場合を想定すれば、この施設は、一転して、「世界最大のペットの救済施設」から、「世界最大(最悪)のペットの大量殺戮施設」に転落してしまう恐れを秘めていることになるのではないかと思います(そういえば、数年前の秋田の熊牧場事件はどうなったんでしょうね?無事に県内の他の牧場等に引き取って貰ったのか、そうでないのか、存じませんが)。

そうした文脈で比喩的に言えば、この施設が経営破綻した場合、約15年前に発覚した岩手青森県境不法投棄事件(全国中の産廃が5~10年間に亘り、両県境の山間地に持ち込まれて不法投棄された事件で、質量とも日本最大級と言われた不法投棄事件)の二の舞ということになりかねず、そうしたことを防ぐという見地からも、この施設が設立の趣旨に添って成功を収め経営を全うできることは、地元民にとって利害関係を有する問題だ(そのような観点からも、地元民が、この施設の健全な応援団となるような関係が形成できるのが望ましい)と言えるでしょうし、岩手県にとっても、このような施設を「世界最高のペット救済施設」に育てて行く(盛り立てる)ことが、県境不法投棄事件で膨大な被害を被った岩手にとって、ある意味、「岩手らしいやり方による、全国に対する仕返し」と言えるのではないかとすら思います。

滝沢市も、発足早々、地元の中学で残念な事件が発生していますので、この施設の盛り立て役を買って出ることを通じて「生命とその尊厳を大切にする教育」の名誉挽回をしていただければと思わないでもないですが、余計なお世話というべきでしょうか。

また、私の知る限り、日弁連等が、この種の問題について活動をしているという話は聞いたことがありませんが、法整備であれ運用面であれ、地元の弁護士にお役に立てることがあるならと思わないでもありません(そもそも、日弁連でこの話を扱っている委員会等があるのでしょうか?公害環境委員会に在籍していた際には一度も聞いたことがありませんし、野生動物を原告とする訴訟は知っていますが、これら元ペットを原告=権利享有主体だと主張とする全国一斉殺戮差止訴訟とか「犬猫権」的な改憲論なんて運動をする人は聞いたことがありません。私のような窓際ヒネクレ族にとっては、反自民運動も結構ですが、こうした地道な話の方が、遠回りに見えて本当は近道ではと思ってしまうのですが)。

ともあれ、そうしたくどくど話はさておき、この施設の理念的な価値云々は言うに及ばず、盛岡でもマンション暮らしでおよそペット飼育など縁のない家庭も増えていますので、こうした施設の見学等を通じて、自宅で飼育できない子供が動物と触れあえる場が近郊にあること自体、良いことなのではないかと思っています。

 

地方の弁護士として生きることの光と影と、それぞれの道

先般、佐世保市で生じた痛ましい事件については、加害者の関係者を巡って生々しい報道がなされることが多々あり、それも同業者の方ということで、ネット上で流布されている記事(引用は差し控えました)を見ると、色々と考えさせられるものがあります。

少し具体的に言えば、私は、「大学卒業2年目で(奇跡的に)司法試験に合格し、東京で中小企業法務等を中心に4年半修行した後、出身県の主要都市(ちなみに盛岡は当時の人口30万弱、佐世保は25万とのこと。岩手と長崎の県人口も概ね同じ)で事務所を開業し、(東京時代に某先生から勧められていたので)すぐに地元の青年会議所に入会した」という人間なのですが、上記事件の関係者の方が、その部分に限って言えば、客観的には、これと似たような経歴をお持ちのようです。

ただ、私の場合はJC入会後の展開がその方とは大きく異なり、半年程度で兼業主夫(幽霊会員)の道に邁進(転落?)せざるを得ず、9年間も在籍したのに理事長どころか委員長すら拝命することなく終わりました(当然、ごく稀にJC関係の会合に出ても、大して居場所もなく隅でひっそりとしているという有様になってしまいました)。

そのせいか?、地域の有力企業さん方とは顧問云々の仕事上のご縁はほとんどなく、運良く親しくさせいてただく機会に恵まれたごく一部の方に多少のお世話になっている程度で、もとより「地域有数の規模の事務所」では微塵もありません。

それどころか、債務整理特需の終焉後は事務所の運転資金に汲々としつつ、名士どころか営業時間前後は自宅で雑多な家事等に追われながら、「書類仕事する時間が足りないんだけど」と愚痴を撒き散らす日々というのが正直なところです。

そのため、ある時点までは記事の方のような「地方の大物弁護士への道」がありえたのかもしれないものの、10年ほど前に、そうした道にご縁のない分岐点を辿ったのだろうと感じたりすることもないでもありません。

といっても、こんな事件を引用するまでもなく、自分に明らかに適性のない道にご縁がないことを嘆くこともありません。せいぜい、(当時の中央大の宿命として)受験仲間の全員が初志を貫徹できるわけではないので、彼らに恥じない(小保内は折角受かったのにこの有様か、と思われない)生き方が出来ればという程度の欲(執着?)で済んでいます。

この仕事に限らず、我々程度の年数を生きた方なら、同じ感覚をお持ちだと思いますが、

・Aを得た者は、Bを得ることができない(ことが多い)
・Aを得ることができなかった者が、結果としてBを手にする(ことがある)
・AもBも手にすると、恐るべき災厄まで付いてくる(ことがある)
・但し、その災厄を受けた者が、時に、特別な何かを創出することもある

ということを、多くの実例を含めた実感として、感じることがあります。

光強ければ影もまた濃しと言いますが、私に関しては、今のところ、華やかな舞台に関わらず日陰で静かに暮らすことで、結果的に対処困難な問題にもご縁が無くて済むという方向に、生き方の舵が切られているように感じないこともありません。

 

岩手と沖縄の訴訟件数に関する格差から考える

先日、那覇地裁に7月下旬に提訴された事件の訴状を拝見する機会があり、事件番号(平成26年ワ第何号)が550番台になっていました。

これに対し、私が7月上旬に盛岡地裁に提訴した民事訴訟の事件番号が150番弱となっており、事件番号は、私の誤解でなければ、その年の1月1日以後、受理した順に付されますので、それを前提に考えれば、盛岡地裁と那覇地裁とでは、地裁本庁に係属する民事訴訟の件数が、約3倍もの開きがあるということになります。

ちなみに、ネットでざっと見たところ、岩手県の人口は130万強、沖縄県の人口が142万強ということで、ほとんど差がありませんから、単純人口比で言えば、同程度の訴訟件数があってしかるべきだということになるはずです。

人間の社会・経済上の活動が活発さの程度に応じて訴訟件数も変化すると思いますし、東京地裁のように制度的・社会的に訴訟件数が集中し易い大都市であればともかく、岩手と沖縄であれば、共にそのような問題(他県裁判所に訴訟が吸い上げられたり他県から吸い上げたりする訴訟のストロー減少)にはさほど縁がないと思われ、単純に、上記の活発さの差と訴訟件数の差をパラレルに捉え易いのではないかと思われます。

ですので、このような差が出ることに、双方の支部数の差(岩手6、沖縄4)を考慮しても、岩手と沖縄とは、社会・経済上、一定の格差があるのだろうと感じざるを得ないところがあります。

岩手の現在の弁護士数は約100名ですが、沖縄弁護士会のHPによれば、同会の会員数は250名強とのことで、その比較からすれば、沖縄の半分弱程度(上記時点で言えば、200~230件程度)の訴訟件数はあってほしいというのが、地元の弁護士の率直な感想です。

震災直後、被災地相談支援でいらした大阪の先生が「大阪の弁護士は沖縄が大好きで、移住者も多い。沖縄と関西の関係のように、岩手も、大都市圏とのつながりをもっと盛んにすべきでは」と仰っていたのを、何となく思い出しました。

どれほどの数かは分かりませんが、震災後、復興特需の影響?で関西方面から移ってこられた方にお会いしたこともあり、そうしたことも含めた人口増や交流人口増等を促進することについて、もっと様々な取り組みが広まればと願っています。

 

参院選・岩手選挙区結果を過去の投票結果と比較したプチ分析(H25.7.22再掲)

今年は国政選挙や大きな地方選挙などがなく、「国民(住民)の選択」という意味での政治のあり方等に関する議論が盛り上がっていません。

昨年の7月の参院選の開票当夜に、以下の文章を書いて旧HPの日記に載せていたのですが、改めて、岩手県における選挙(政治)の実情を考える機会にしていただければということで再掲しました(一部、表現を修正しています)。

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平成25年7月21日に投開票が行われた参院選ですが、岩手選挙区の結果を過去のそれと比較すると色々と興味深い現象を感じ取ることができます。

選挙結果の見方は人それぞれだとは思いますが、何かの参考にしていただければと思い、少し長いですが、書いてみることにしました。

まず、最初に、岩手日報HPに掲載された今回の選挙結果(得票状況)をざっとご覧下さい(閲覧できなくなったときは、wiki等でご確認下さい)。

大雑把に得票率を見れば、次のように算出されると思います。

平野氏(無所属・40%弱)、田中氏(自民・26%強)、
関根氏(生活・15%弱)、吉田氏(民主・10%強)、
菊池氏(共産・7%強)、高橋氏(幸福・1%強)

次に、これと、wikiに表示されている前回(平成22年)や前々回(平成19年)の同じ岩手選挙区の選挙結果(但し、半数改選の関係で、前回については、立候補者は全員異なります)を比較してみて下さい。

これらを比較すると、最初に目につくのは、自民系の候補者(今回の田中氏(26%)、前回の高橋雪文氏(30%)、前々回の千田勝一郎氏(25%))の得票率が、さほど大きな違いがないという点です。

ちなみに、この中で、高橋雪文氏は県議(盛岡選挙区)を2~3期ほどお務めになっていましたので(千田氏もご出身は岩手ですが出馬までは他県在住で、今回の田中氏と同じく議員秘書をなさっていたとの記憶です)、他のお二人と比べると基礎票があると思われ、その点が、得票率の違いの大きな理由の一つと推測されます。

お三方とも、出馬時の年齢に大きな差がなく(性別も同じ)、小選挙区を中心とする当時の自民党の勢力図にも大きな違いがないため、お三方の得票率の違いは、上記の点など候補者間の多少の違い(変数)を除けば、純粋に、それぞれの年における「岩手の自民党(誤解を恐れずに言えば、鈴木俊一氏を中心とする勢力)の県内における支持率を表したもの」と言えそうな気もします。

そして、ここ10年ほど「岩手の自民党の支持率」が大きく変動したとはあまり感じられない(全国レベルの風を別とすれば、鈴木氏ら県内の自民党議員の方などに、県民の支持が大きく増えるような政策的成果も、大きく減らすような不祥事もなかった)ことに照らせば、毎回の得票率に大きな違いがないということも、ごく自然に納得できます。

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今回の参院選では、当初から「岩手と沖縄以外は、自民候補は盤石」との報道が流れ、岩手県では前代未聞と思われる、安倍首相・石破幹事長・進次郎氏の複数回の波状攻撃が岩手でも繰り広げられましたが、それでも、自民党の得票率という点では、過去の選挙とほとんど変わらない結果となったと言うことができます。

また、「政党の離合集散を経験していない」という点から、同様に共産党系の候補の方を見てみても、5~7%ほどの幅ということで、あまり大きな違いがありません。

今回に関しては、社民党から立候補がなく、同党支持者の票が一定数は流れたと推測されるため、今回選挙での全国的な「共産党躍進」と比べると、自民党と同様、岩手は異なる風が流れていた(共産党に風が吹いたとは言えない)と見るほかないと思われます。

次に、民主系列ですが、得票順に、平野氏・関根氏・吉田氏を全部併せると、合計で約65%の得票率になります。これは、平野氏が、民主党(小沢氏系)候補として圧倒的な勝利を収めた6年前の選挙(得票率62%強)とほとんど同じ比率です。

そのため、6年前の結果と比べれば、自民・共産は、多少は得票率が増えたものの過去の結果と大差はなく、非自民・非共産の勢力が、得票率は若干減りつつも、単に3分割されただけに過ぎない(この勢力の内部で票の取り合いをしただけ)という印象を強く受けます。

要するに、現在の参院選の制度を前提に、過去10~15年ほどの岩手県の政治状況を見る限り、有権者のうち、①自民系が25%程度、②共産系が5%程度、③非自民・非共産系が55%程度(過去の選挙結果からの大凡の推計)の基礎票を持っていて、残りの15%程度の浮動票(無党派層ないし各党支持者内部の流動層)を奪い合っている(政治状況に応じてこの15%の層が揺れ動き、得票率に影響を与えている)が、少なくともこの間のほとんど全部の選挙で、その浮動票は主に非自民・非共産系候補に流れていた、という姿が見えてくるように思われるのです。

そして、平野氏が2期目の当選を果たした6年前は、非自民・非共産系が、小沢氏という、諸党派の糾合に関し稀有な才能を持った方の全盛期であった上、順風満帆の状態(候補者が官僚出身の2期目の候補で政党に対する逆風も一切なし)であったことも重なり、非自民・非共産系の候補として最大級の得票率(62%強)を獲得できたのではないかと思われます。

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このような観点から、今一度、今回の選挙に戻りますと、今回の参院選においては、当初から最有力候補の1人と見られていた平野氏が、民主離党後に自民党に支援を求めたものの、自民党岩手支部が独自候補の擁立を重視して、支援を拒否したという報道が流れたことがあったと記憶しています。

もし、この時点で、自民党(岩手支部)が、「平野氏が、自民の基礎票=25%を超える得票をする可能性が相当にある」と予見することができれば、独自候補の擁立を見送り平野氏と手を組む方向で動くことができたのではないかとも思われますし、仮に、自民党側に最盛期の小沢氏のような方がいれば、勝つためには手段は選ばずということで、そのような選択肢をとったのではないかと思われます。

もちろん、選挙のプロの方々ですので、上記のような予測をしつつ「負けてもいいから、独自候補を擁立したい(平野氏と手を組むのは避けたい)」といった、何らかの込み入った理由(内部事情)があったのかもしれず、そうした事情の有無については、そうしたものを発掘することこそメディアの役割ということで、報道関係者にはご尽力いただきたいところです。

また、上記の観点から、三分割された「非自民・非共産」系の票が、3者(平野氏:関根氏:吉田氏)で、大雑把に言って、60:25:15の比率で分かれたことは、旧民主(小沢氏が糾合した勢力)の岩手県内における行く末を考える上で、なかなか興味深い印象を与える数値ではないかと思います。

吉田氏が関根氏に及ばなかったという点は、今もなお、小沢氏(の勢力)を強く支持する方が県内には相当におられるということでしょうし(保守層のうち反TPPの票を集めたという要素もあるのかもしれませんが)、分裂後の民主党(岩手支部)が、全国の選挙結果と同様、基礎票と目される幾つかの労組などの方々以外には、支持の広がりを持つことができていないことが強く印象づけられたように思います。

少なくとも、吉田氏個人は、新人云々という点をさておけば、県外出身のハンディを跳ね返す快活さ(人柄の印象の良さ)、熱心さなどがあったと思われ、ご本人の資質はマイナス要素としては働いていなかったと言うべきだと思います。

そして、平野氏が「非自民・非共産」(55%)及び無党派(15%)のうち、かなりの得票を占めたのは、民主党政権の大臣さん方には珍しく?バッシング報道も無いに等しかった地元出身の復興相として、「派手さはないが、地道に実績を積んだのだろう」という印象を有権者に残したため、県民の多くが、昨今の政治情勢で被災地の復興問題が何かと置き去りにされているように感じている(そのことに対する問題意識が、全県的に共有されている)ことと相俟って、被災県の代表として送り出す上で最も相応しいと考える有権者が多かったというのが、素直な見方ではないかと思われます。

もちろん、報道によれば、鈴木氏の地元である(山田町を含めた)旧岩手2区では、沿岸部も含めて、軒並み、田中氏の方が得票していたので、上記だけでは説明がつかない、南北問題や沿岸・内陸の違いなども、視野に入れなければならないとは思いますが(平野氏の地元である北上市は、数十年の幅で見れば、県北・沿岸の地盤沈下と入れ替わるようにして発展してきた地域だと思いますし)。

ともあれ、上記の分析の見地からすれば、今回、平野氏が集めた「40%弱」という得票率のうち、約15%位が無党派などの浮動票であったと思われ、仮に、この層の投票が全く得られなかったなら、平野氏の得票は25%ほどに止まるため、田中氏に敗北していたはずだと言えることは確かなのではないかと思われます。

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また、今回の選挙は、かつて保革を含めた非自民・非共産系の糾合という偉業を成し遂げた小沢氏の時代の終焉を完全に印象づける結果になったことは確かと思われますが、それと同時に、他の理念・論理・剛腕で岩手の政界を糾合・再編したり、岩手から全国に向けて、新しくより良い政治のあり方を発信できる方の不在もまた、印象づける結果になったと感じます。

無党派層の1人としては、そのような力量を備えた政治家の方が出現して(もちろん、既存の方々がそのように成長することも含め)、新しい政治風景が現れてくれればと願っているところです。

というわけで、今後の参院選であれ、岩手県知事選であれ、岩手県全域を射程に入れて選挙をなさる方にあっては、現在の勢力図を前提とした、上記の各政党ごとの基礎票と、有権者の約15%と思われる浮動票を視野に入れて、自派の足場固めと支持拡大を検討いただくのが賢明ではないかと思った次第です。

また、上記の見地から、市町村毎の得票状況を年度ごとに調査して分析できれば、さらに興味深いものが見えてくるかもしれません。

そうした仕事は、県内の政治学者さんが、ゼミ生を動員してやっていただくべきものだと思うのですが、いかがでしょう。

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ちなみに、毎回の選挙結果の得票率があまり大差がないという姿は、参院選に限らず、衆院選でも見受けられるようです。

この点は、岩手1区のここ10年ほどの得票率をwikiで見れば感じられるところですが、小沢氏の支援で登場してきた達増拓也氏(現知事)と、その後継者の階猛氏(現職)の得票状況を見れば、達増氏が徐々に増やしてきた得票率が、階氏への継承時にピーク(10~11万票=60%強)となり、それが、民主党分裂により、全体の得票率(6割)を維持したまま、真っ二つに割れた(前回選挙での階氏:達増陽子氏の得票比が、概ね35%対25%)という様相を呈しています。

そして、この間、自民(高橋比奈子氏ほか)は、26~30%の得票、社民・共産も約6%ずつの得票となっており、これらを見ると、参院選以上に、政治勢力ごとの得票率が固定化していることが分かります。

そのため、無党派層としては、選挙ごとに、もっと政治勢力間の得票率が変動するような仕組みないし仕掛けをして欲しい、そうでなければ無党派層(浮動層)の存在感が高まらないじゃないかと大いに感じてしまいます。

ちなみに、今回の参院選での盛岡市における各候補者の得票率も見たところ、田中氏(自民)は約25%で国政の岩手1区の自民候補者の得票率と大差なしですが、達増知事が支援する関根氏(生活)が15%強、階氏らが支援する吉田氏(民主)が12%弱であるのに対し、平野氏が40%もの得票率となっています。

平野氏を無党派層のシンボルのように捉えるのは間違いだとしても、盛岡市に関して言えば「盛岡を地盤とする達増知事も階氏も負けて、彼らの固定客(所属政党の固い支持基盤)ではない層が存在感を示した」と言うべき面があるようにも思われ、今後の県政の行方を考える上で示唆に富む面があるのかもしれません。

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あと、ここまで書いてから思い出しましたが、「自民系」の得票には公明党支持者の投票が相当数を占めることは明らかでしょうから、正確には、「自公系」と言わなければならないと思います。というわけで、適宜、そのように読み替えていただければ幸いです。

この点に関し、岩手日報を見てもwikiを見ても、「自民候補者の得票数(得票率)のうち、公明票の占める割合」というのが表示されていないように思われ、この点は、残念だ(よくない)と思います。

とりわけ全国的には与党勢力ということもあり、自民系候補がどの程度、得票レベルで公明票に依存しているかを知ること(自公系における内部の可視化)は、公明党に対するスタンス云々に関係なく、他の党の支持者や無党派にとっても、投票行動を決める上で、一つの大きな要素になると考えます。

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とまあ、ここまでダラダラと書いてきましたが、私は、選挙に象徴されるような権力闘争の類には適性が微塵もなく、片隅で書生肌の青臭い政策論(政治システムの理念論)にうつつを抜かす方が性に合っています。

そのため、選挙で勝つための方法なんぞを考えるよりも、上記のとおり、別の選挙制度を導入するなどして無党派=浮動層が影響力を持ちうるような状態を作出して欲しいなぁと感じているというのが正直なところです。

もちろん、政党を嫌悪しているわけではまったくありませんので、得票率が固定化しないという前提で、無党派(浮動層)が、もっと政党側と関わり(良い意味での影響力)を持てる仕組みも考えていただきたいです。

ところで、ここまで、主として公表された各選挙での得票率を基礎として、色々と書いてきましたが、統計情報をよく見ると、岩手日報もwikiも、白票(無効票)の割合(票数)について、一切表示せず、完全に無視しています(日報らが悪いのか、選管が公表していないのか、私には分かりませんが)。

ご承知のとおり、無党派層に投票を呼びかける方の多くが、「嫌なら白票を出して欲しい。それ自体が、既存勢力への抗議票になるから」と語っているわけですが、公表される統計情報の中で白票が無視されたのでは、上記の呼びかけに応じて?、民主政治の発展を願って白票を投じた方の思いが、完全に無視され、裏切られていることになります。

というわけで、選挙結果の統計情報で白票を公表しないのはもってのほかというべきで、ご賛同いただける方は、岩手日報に抗議電話(wikiには抗議メール?)をなさっていただければと思います。

また、過去の選挙の得票数と現在のそれを比較すると、改めて、人口減少を強く感じます。

その他、実際の数字を見ていけば、空理空論で抽象的な政治論などをするよりも、色々と見えてくる面があると思われ、皆さんも何らかの形で実践していただければ幸いです。

北東北は、「日本で最も弁護士が生きづらい地域」になったか

大阪の先生のブログ記事で、北東北三県(と福島)が、「昨年(25年)と5年前(21年)とで地裁が受理した事件数(誤解を恐れずに言えば「弁護士の仕事」)が全国で最も減っており、5年前の1/3~1/4のレベルまで落ち込んでいる」という統計情報が紹介されていました。
http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2014/07/03.html

この数字は、地元の人間(弁護士)としても、それなりに得心がいく数字です。もちろん、平成21年当時の特異な状況(過払訴訟特需というべき状況)の終焉が最大の要因だと思いますが、それ以外の民事訴訟(地裁管轄事件)が増えていないことも確かで(急減というのは言い過ぎの感があり、やや減という程度の表現が正しいかもしれません)、他方で弁護士の数は増えていますので、受任件数という点では、それなりに減っていると思います。

また、地裁事件以上に、倒産系(自己破産、管財、再生ほか。個人と企業の双方とも・特に後者)の方が、極端な急減になっていると感じます。これは全国的な話でもありますが、岩手の場合、平成20年前後における倒産事件の「最大母体」であった建設系の会社さん達が復興特需で劇的に回復されているため、全国以上に件数が減っているという面があると思います。

そんな訳で、当時の膨大な需要に対応するため人的・物的体制を整えていた(というか整備を余儀なくされた)当事務所の場合、その代償として、私一人で稼がなければならない運転資金の額が、地元の同世代の弁護士では恐らくトップクラスとなってしまい、震災を境に収益状況が極端な右肩下がりになり、現在は資金繰りに追われる日々という感は否めません。

ただ、当時は不思議なほどご縁が薄かった家事関係(夫婦、男女、親子、後見、相続など)の仕事が増えていますので(時給ベースで採算割れの仕事も多いですが)、それで何とか事務所(雇用)を維持しているという感じです。

それにしても、北東北三県は、統計上、「日本で一番人口減少が激しく、かつ日本で一番、自殺の多い地域」という不名誉な地位を拝受して久しく、言い換えれば、「日本で一番、生きるのが辛く(辛いと目され)、人々や社会に見捨てられる現実に直面している地域」ということになるのではないかと思います。

そうした社会の大きなうねりが、地裁事件の減少という面でも、日本で最も激しい落ち込みを示すという形で反映されていることを感じざるを得ませんし、そのことと、平成20年以前、北東北が長年に亘って「日本有数(最悪?)の弁護士過疎地域」と呼ばれていたことも併せて考えると、目眩がするというか、我々田舎の町弁も、極端に必要とされたり不要になったりと、社会状況の変動の激しさに翻弄されているという思いを禁じざるを得ません。

地元の弁護士会も、日弁連がなさっている様々な運動に関する下請作業も結構ですが、このような、北東北(や原発被害地・福島)が、日本で最も「弁護士が生きるのが辛い場所」になっているのかもしれないという現実から目を背けることなく、自分達の面前で起きている現象に対する健全な解決の実現という事柄に、もっとエネルギーを注いでいただければと思っています。

最近では「稼ぐインフラ」が地元で話題になっているので、弁護士会(の協同組合?)が特産品販売その他で稼いで会員に還元するなんて美味しい話もあってよいかもしれませんが、もともと商売っ気のない方々でしょうし、震災応援消費の時機も逸し、他力本願的な期待はすべきでないのでしょうね・・