北奥法律事務所

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その他

ナベカヰくんとの再会を求めて

私の東京時代の勤務先事務所では、渡辺解体興業(現・ナベカヰ)という、解体業界最大手(だそうです)の会社さんの顧問をしていました。

私が平成12年4月に入社した際、最初に配点された仕事が同社の依頼による元請企業への請負代金請求訴訟(法的な論点が満載の事件でした)で、その後も、他の事件を含め、退職時まで幾つかの仕事の担当をさせていただいたことなどから、私にとっては、非常に思い入れのある会社さんです。

仕事上関わった方々も、真面目で職人気質な方が多く(一部、豪快な方もおられましたが)、ご相談も、「真面目さが裏目に出て、相手方に騙されたり他者間の紛争に巻き込まれたように見える事件」が多く、そうした意味でも、頑張り甲斐のある仕事を頂戴していたと記憶しています。

で、この会社さんですが、当時から、独自の自社キャラクターをデザインして様々なオリジナルグッズを作って取引先等に配布されており、私も、ナベカヰくんのマークが大々的に入ったタオル、文具、風呂桶など、様々なものをいただいて使っておりました。

残念ながら、市販は一切なさっていないそうなのですが、平成16年に東京を去った後も、ナベカヰくんへの愛着を捨てきれず、ネットでたまに検索するなどしています。

ちなみに、会社HPの紹介コーナーのほか、ブログで同じような投稿をされている方もおられますので、画像紹介ということで、引用いたします。
http://www.nabekai.co.jp/company/challenge/
http://tondemohappun.at.webry.info/200903/article_4.html
http://tondemohappun.at.webry.info/200711/article_4.html

ゆるキャラ全盛の時代になって久しいですが、彼らが登場する遙か以前から、知る人ぞ知るの存在であり、個人的には、同社関係者に働きかけて、いつの日か、メジャーデビューを考えていただければと思っています。

私の知る限り、岩手県内の会社などで、こうした愛らしい自社マスコットを作って企業イメージの向上等に活かしているという話は存じませんが、ぜひ、こうした取組は参考にしていただきたいところです。

ちなみに、この文章も、今も辛うじて手元に残った「ナベカヰくんバンダナ」を頭に巻いて入力した次第です。

 

「ひっつみ」に関する照会とお願い

ひっつみについて、溶き卵をかけて提供している(選択制=トッピングも含め)お店がないか、ご存じの方はご教示いただければ幸いです。また、ひっつみを提供している飲食店の方(検討中を含め)がおられれば、ぜひ、上記の点をご検討いただきたいものです。

「ひっつみ」と言われてピンと来ない方のために書きますが、ひっつみとは、岩手県央部から青森県東南部(いわゆる南部地方)の郷土料理の一つで、大雑把に言えば、すいとんの豪華版とでもいうような料理です。

私の実家では、ひっつみを溶き卵でとじて食べるのですが、どういうわけか、岩手県内のどこのお店に行っても、ひっつみを卵でとじて食べる店に巡り会えません。私は、ひっつみは、絶対に卵とじをした方が、美味しいと確信します。

また、私の実家では、ひっつみは、巨大まな板で透けて見えるほど薄く延ばしてちぎって鍋に入れるのですが、どこのお店に行っても、薄く延ばさずにちぎった状態(やや団子状)で鍋に入れてしまいます。しかし、ひっつみの食感やのど越しは、可能な限り薄く延ばした方が遙かに良く、どうしてどのお店も薄く延ばさないのか、理解できません。

味付けは好みの問題かもしれませんが、この点も、お店で食べたもので実家よりも美味いと感じた記憶がありません。

というわけで、ひっつみに関しては、私の実家に優ると思えるお店をついぞ見つけることができません。ひっつみは南部地方にしかないので、結局、我が実家は「宇宙一ィィィィィのひっつみ」ということになります。

ご参考までに以前に実家で撮影した写真(見た目はイマイチでしょうけど)を添付します。これと「ひっつみ」で検索した画像群とを比べていただければ、「卵とじをしたひっつみと、そうでないもの」との見た目の違い(見た目の良さの点はさておき)が分かると思います。

このような理由から、私は母に、酒屋を閉めて蔵を改装し郷土食レストランでもやったらどうかと何年も前から勧めてきたのですが、やる気なしとのことで、やむなく、妻に私の実家の料理を覚えて貰い、北上川を臨むリバーサイドに郷土料理のレストランを開店して欲しいなどと夢想したりもします。

が、もとより無駄な期待でしょうから、母のレシピを承継する方が実家の方に早く登場して欲しいと願うばかりなのですが、こればかりは、ため息の毎日というほかありません。

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Kさんの訃報

先日、同い年の友人であるKさんが、就寝中の突然死と思われる急な病気で亡くなられるという知らせに接しました。

Kさんとは、私が盛岡に転居後、ほどなく入会した団体で知り合い、同い年の上に職場も近所で、皆から慕われる気さくで丁寧なKさんの人柄もあって、すぐに仲良くなり、仕事上も、ささやかながらお世話になっていました(当事務所の備品の一部をKさんの会社にお願いしていました)。

その他、述べればきりがありませんが、私にとっては同い年の大切な仲良しの一人を亡くしたもので、痛恨というほかありません。Kさんは数年前に結婚し、小さいお子さんもいますので、ご家族はもちろん、何よりご本人にとって、無念この上ないことと思います。

Kさんとは、上記の所属団体の関係で、年に数回、懇親会などでお会いする機会がありましたが、Kさんが、お父さんの経営する会社で補佐をしており(ほどなく継承予定だったと思われます)、Kさんの奥様が他社に勤務されている関係で、Kさんとしては、いずれは奥様に会社の経営を支えて欲しいと思っていること、ただ、勤務先から戦力として重宝され、奥様もやり甲斐を感じているので、辞めて欲しいというわけにもいかず、開業時から一緒に働いている私達夫婦を羨ましく感じていることを、何度も聞かされていました(その都度、私は「隣の芝生は青く見えるものですよ」と返答していましたが)。

その他、お子さんのことなども含め、色々とお話を伺っており、私にとっては、私達夫婦の双方と面識がある盛岡ではごく僅かな方の一人でもあり、いずれ家族づきあい的なこともできる機会があればと思っていただけに、本当に残念で残念でなりません。

私はお通夜と葬儀に出席しましたが、眠っているのと変わらない状態で、心なしか微笑を浮かべているようにも見え、安らかに旅立ったのだろうと感じたことが、せめてもの救いなのかもしれません。

Kさんは、久保田利伸のパフォーマンスが得意(名人芸の域)で、華やかな雰囲気がありました。それだけに、まるで桜が満開となる日を選んだようにして旅立つのは、いかにもKさんらしいと思わずにいられない反面、そんな舞台を用意する位なら老醜を晒してでも生き続けるべきだというのが、皆の正直な気持ちだと思います。

Kさんのご冥福と、ご遺族に神仏そしてKさんのご加護のあらんことを、心よりお祈り申し上げます。

1、2年前にも、司法研修所で一緒に勉強し、個人的にも親しくさせていただいた同級生・同世代の2人の弁護士の方の訃報に相次いで接しましたが、同世代の親しい友人、お世話になった方の訃報には、とりわけ心が痛みます。

どんな事情があったにせよ、長生きして欲しかったと思いますし、残された面々は、敢えて、そうした気持ちを強く持ち、それと共に何かを社会に残していかなければならないとも思っています。

函館ラ・サールの小鍋の昇天

先日、高校(函館ラ・サール)に入学・入寮した平成元年4月に寮生活の必需品として勧められ購入した小鍋(ミルクパン。値段は1000円前後?)を、誤って空焚きし昇天させてしまいました(末尾の写真参照)。

この小鍋は、卒業後も延々と使用を続け、特にここ10年ほどは家族の味噌汁を作る際のメインの鍋として毎日のように使っていましたので、残念というほかありません。

ところで、この小鍋は、当時、函館ラ・サールの寮に入る人(函館市外から進学する生徒の大半)の恐らく5割以上(ほぼ全員?)が購入していたのではないかと思います。

というのは、この小鍋は、夜(特に土日)に袋ラーメン(サッポロ一番など)を作って食べる目的で購入するものですが、私の微かな記憶では、寮で面識のある人のほとんどがこの小鍋を持っており、1年生のときは、袋ラーメンを食べることができる地下1階の休憩室に沢山の人が集まり、コンロ周辺が順番待ちのような状態になっていたという光景を何となく覚えているからです(余談ながら、その中には、10年近く前に国政に出馬し国会議員になったかと思えば、それを皮切りに激動の人生を送っている方もおられます)。

当時の函館ラ・サール高校は、私の記憶では、約3割が函館及び近隣自治体からの進学者(通学生)で、7割がそれ以外となっており、その大半は寮に入っていました。

入寮は任意ですが、寮費がかなり安いのに三食風呂付きで毎日洗濯していただけるとのことで、ほぼ全員が入寮しており、母から「学費と寮費(生活費)を併せて勘定すれば、盛岡よりも函館に進学した方が安上がり」と言われたのを覚えています(もちろん、私のように集団生活に向いていない人間には、それなりの苦労がありましたけど)。

寮生の内訳は、(上記の7割を前提に)約6割(寮生の8割以上)が函館以外の北海道各地の出身者で、自圏内に有力校のある札幌・旭川の出身者はほとんどおらず(当時の北海道は地区外2%とのこと)、特に小規模自治体の出身者が多かったとの印象です。

残りの1割の内訳は、東北各県(青森を中心に北東北三県がほとんど)出身者が5割弱で、他の4割強が全国各地から集まっており、関西出身者の比率が非常に高かったと記憶しています(私に関しては、大阪出身の友人・知人は何人もいましたが、関東や中部出身の方に知り合いがいたか記憶にありません)。

ちなみに、関西出身の方が多いのは、函館ラ・サールが、伝統的に医学部の進学に定評があり、特徴的な寮のシステムなども理由になって、病院を経営されている方が遠方から子弟を進学させる例が多いからなのだそうで、私は面識がありませんでしたが、西国某県で最大級の病院を経営する医師のお子さんが入寮しており、その方に関する「ロレックス(数十万円の高級時計)の紛失騒動(の噂話)」を聞いたことがあります。

寮生は、1学年で概ね200人程度でしたが、1年生は、ワンフロアに100人を収容する、二段ベッドとロッカーが延々と並んだ大広間(言うなれば「100人部屋」)になっている二階建の建物に収容されて寝泊まりする制度になっています。

そして、50音順に約30人ほどで構成される勉強部屋(私の場合は、「う」から「か」で始まる名字の生徒が集まる部屋)に割り振られて、部活等を別とすれば、夕方~夜間はそこで勉強する日々を余儀なくされます。

で、数少ない娯楽として、漫画雑誌の購入(又は立ち読み、廻し読み)やカード麻雀等のほか、土日(主に土曜)の夜に、地下1階の休憩室で袋ラーメン等を作って食べ、休憩室のテレビで夜9時からの映画(番組)を見て過ごすというものがあったと記憶しています。

ですので、その際の必須アイテムである冒頭の小鍋については、有り難くもないけれど、それなりに懐かしい記憶が甦る触媒になると感じる卒業生は、私だけではないだろうと思います。

私の場合、お湯を沸かしてカップ焼きそばを食べることも多かったのですが、北海道では「焼きそばバゴォーン」が売っておらず、「焼きそば弁当」という、やや小振りなカップ焼きそばが主流でした。そのため、実家から「バゴォーン」を箱で送られていた私は珍しがられ、物々交換のほか、時には強奪されるように「お裾分け」を強請られていたような気もします。

上記の「100人部屋」は1年次だけであり、2年に進級する際に、仲良しの人を見つけて4人グループ(原則)を組み、2、3年次は4人部屋(原則)で生活することになります。 もちろん、4人組を作るのが難しい人(2人或いは3人だけ、或いは誰とも組めないままの人)が出現するのは避けられず、寮の先生などが仲介等して(そうした面々を組み合わせるなど)、どうにか全員が4人部屋に移行できるようにします。

ただ、「自分達の自主的な判断で4人グループを作る」というスタイルが逆に仇となるのか、4人部屋に移行した2年次になると、不和が生じて同じ面々での生活を営むのが難しくなる部屋も幾つか生じてきます。

かくいう私自身、2年次に4人部屋を組んだ面々に不和が生じ、私の至らなさもあって同室者が2人も自主退寮(アパートに転居)するという痛恨事を経験しています。幸い3年次に4人部屋を組んだメンバー(2年次に残ったもう1人を含む)とは全員、終始、平穏かつ良好な関係のまま卒業できましたが。

私のことを、他者との距離を詰めるのがかなり下手な人と認識されている方は多いと思いますが、能力の偏りの大きさ(バランスの悪さ)のほか、そうした過去も影響しているのかもしれません。

余談ながら、2年の進級時に相部屋仲間を見つけることが全然できなかった4人の「おひとりさま」だけで組んだ部屋が、卒業まで2年間を平穏に維持できたという話を聞いたこともあり、案外、物事はそのようなものではないかと感じています。

恥ずかしながら、高校時代は 「勉強もできず、運動もできず、あやとりや射撃のような特技もない、のび太以下の田舎者」(日本史の成績だけは良かったですが)として、場違い感(劣等感というよりも、自分がここにいていいのだろうかという感覚で、疎外感といった方が適切だろうと思います)を常に抱きながらの鬱屈とした日々を送っていました(その点は、司法研修所時代も同じようなものだったと思いますが)。

ただ、真摯に勉強に打ち込んで難関校突破という栄冠を勝ち取っていく同級生の方々の背中を日常的に拝見できたことが、司法試験受験生時代に大いに糧となったことは間違いなく、自分の未熟さ、至らなさを悔いる点は山ほどありますが、あの学校を選んだこと自体は、間違いではなかったと思っています。

 

 

盛岡の町家文化と地元弁護士の役割

先日、古い町屋群が保全されている盛岡市鉈屋町で開催された「盛岡町家 旧暦の雛祭り」と、北上川を挟んだ対岸の仙北町で開催された「森とひなまつり 明治橋仙北町界隈」の双方を拝見してきました。

とりあえず、関連HPを貼り付けますので、あまりご存じでない方はこちらをご覧下さい。
http://machijuku.org/event/
http://www.city.morioka.iwate.jp/event/event/028793.html

http://www.morioka-times.com/news/2014/1404/11/14041101.htm
http://www.morioka-times.com/news/2014/1404/09/14040901.htm

鉈屋町の方は、今年で10年目だそうですが、通り沿いの家々に雛飾りが溢れ、規模も大きく人力車や和装の方々のパレードなど、和服姿の女性(年齢層は様々でしたが)を沢山お見かけし、古い街並みを生かした華やかなお祭りとしての雰囲気が良く出ていました。

仙北町の方は、鉈屋町と比べると規模は遙かに小さいですが、「徳清(佐藤家)」と金澤家の2つの文化財的な価値のある邸宅の公開を兼ねており、「雛飾り」の規模も、私が拝見した限りでは全体を通じて金澤家の飾りが最も見応えがありましたので、鉈屋町と仙北町の双方を見ないと勿体ないと思いました。

ところで、私が「ひな祭り」を見に行ったのは今回が初めてだったのですが、私は雛人形の価値などが分かる人間ではありませんので、主たる目的は、これまで拝見したことのない鉈屋町の建物群や徳清倉庫などの内部を見学することと、もう一つの理由がありました。

私が一応の責任者(委員長)をつとめている、岩手弁護士会・公害対策環境保全委員会では、来月、鉈屋町側の主催団体である「盛岡まち並み塾」の事務局長である渡辺敏男氏(建築家)に、「歴史的景観の保全」等に関する講義をお願いすることになっています。そのため、鉈屋町等の町家の文化的価値やその保全活動などが講義のテーマになると予測されるので、予習としてお邪魔したという次第です。

ただ、「まち並み保全」というテーマは、歴史や古い街並みがそれなりに好きな人なら誰でも入っていけそうな感じがする反面、私の知る限り、日弁連(公害環境の委員会)でも取り上げられておらず、建築実務に携わっている方でないとピンと来ない建築規制の細かい話が取り上げられやすいこともあって、弁護士の出番がどこまであるのか(出番を作れるのか)、よく分からないというのが正直なところです。

反面、本丸というべき建築規制の話にこだわらず、その周縁で生じる様々な法律問題に関する御用聞きのような形であれば、平凡な弁護士にも色々と出番が生じる可能性はあるのではとも感じています。

例えば、数世代に亘り受け継がれている町家の中には、数十年前に亡くなった方の名義のままになっていて、現役の相続関係者の意思統一が困難であるなどの理由で、相続登記に困難を伴う例があるかもしれません。また、長期間、空き家の状態が続き、近隣の方にとっても防犯、安全面で不安があり、管理や権利関係の処理を速やかに行うことが望まれる例、敷地の利用関係が複雑であるとか境界などに深刻な対立を伴う例など、弁護士がお役に立てる、立つべきケースが幾つもありそうな気がします。

また、今回の徳清倉庫さんのように区画整理などの形で行政との接触(往々にして利用形態に関する干渉や変更要請)を受けることも多いでしょうから、中には行政と見解の相違が生じて法的検討、調整を必要としたり、或いは、利害関係者の多くの方が意思統一できているものの、一部の方の反対があって物事が進まず、早期解決のため弁護士による法的な対応が望まれるという例もあるのではと思われます。

そして、それらの具体的な対処を通じて現行法制の問題点や限界を明らかにできれば、「まち並み塾」のような団体さんと協力して、法律や条例等のあり方について深みのある提言をするということもありうるのかもしれません。

それらの事柄にお役に立つことを通じて、街並みを守っている方々が一致結束して文化的価値を高める営みをすることを下支えするような活動ができれば、「街並み」そのもの(文化的価値云々)について込み入った知識がなくとも、地元の弁護士としての役割を果たすことができるのではないかと思われ、その点も含めて、地域の「宝」の価値の保全や向上に取り組んでおられる方々との協働関係を持つことができればと願っています。

 

「軍師官兵衛」と「毛利元就」のパラレルな関係

私は父の影響で子供時代から大河ドラマを視聴しており、小学3年頃の「徳川家康」の第1回以後、寮に入っていた高校時代や受験期などを除けば、8割程度の作品を、概ね最初から最後まで拝見しています。

で、現在放送中の「軍師官兵衛」も必ず録画して深夜に見ていますが、この作品は、過去の大河を強く意識した作品になっているように見受けられます。

具体的には、放送開始前の宣伝では、竹中直人氏が秀吉役で再登板することを強くアピールしていましたが(竹中氏は平成8年作品「秀吉」の主人公)、それ以上に、この作品の隠れた見所は、平成9年に放送された「毛利元就」との類似性ではないかと思っています。

まず、既にネット上で少なからぬ方が指摘しているように、「軍師官兵衛」では、「毛利元就」の主要キャストの方が、当時の役回りに妙に似た形で再登場しており、その上、心憎いことに、いずれも中国地方の関係者として登場しています。

具体的には、現時点で3人の人物が確認できており、まず、官兵衛の主君である小寺政職を演じる片岡鶴太郎氏は、「元就」では、毛利家の重臣筆頭級の人物(井上元兼)を演じています。

次に、中盤の最大の敵・毛利家の屋台骨たる小早川隆景を演じる鶴見辰吾氏は、「元就」では、元就の忠臣(但し、最初は仇敵として対立→帰順)であり井上元兼に次ぐ重臣格でもある、桂元澄を演じています。

次に、中盤の山場である対毛利戦において官兵衛に大きく立ちはだかる謀略の梟雄・宇喜多直家を演じる陣内孝則氏は、「元就」では、中盤最大の敵として厳島の戦いで対決する、陶晴賢を演じています。

そして、双方の番組をご覧になった方なら、これら3名(×2役)の組み合わせには、ある種のパラレル感というか、妙な対称性があることに気づくのではないかと思います。

まず、鶴太郎氏の「井上元兼」は、盟主(国人領主)たる毛利家(元就やその父ら)の筆頭重臣ではあるものの、ほとんど独立した勢力ということで、毛利家の意向を無視した独断専行が多く、主君(元就ら)を大いに悩ませる人物として描かれています。

これに対し、今回の「小寺政職」の場合、官兵衛(黒田家)は小寺家に臣従こそしているものの、独立勢力としての色合いが強く、ちょうど鶴太郎氏と主人公との主従関係が逆になっています。但し、「独断専行(我が儘)で主人公を繰り返し悩ませる存在」という点は、全く同一です。

また、井上元兼は、序盤で元就と対立し切腹して果て、井上一族も基本的に滅亡という形になりますが、小寺政職も、あともう少々(番組的に)で主人公と対立する関係となり、表舞台から去っていくという点は共通しています(但し、本作では「元就」と異なり、天寿を全うしています)。

次に、鶴見辰吾氏ですが、小早川隆景は、言うまでもなく毛利元就亡き後、軍略や政略の高い能力、見識により、信長・秀吉との様々な対決から毛利家を守った大黒柱であり、この時代の毛利の「知の力」を代表する人物です。

なお、家康との直接対決はないのでしょうが、隆景の決断で実現した小早川家当主たる秀秋が関ヶ原で裏切ったことが、吉川広家のそれと相俟って、西軍総大将たる毛利家の存続を支えたと考えれば、家康を含む三英傑の全員と対峙し主家を守った「隠れた超大物」と評して良いのではと思います(この点は、直江兼続にも通じるものがありますね)。

これに対し、「元就」で鶴見氏が演じる桂元澄は、専ら武勇の将(猪突猛進タイプ)として描かれており、鶴見氏の場合、演ずる人物の能力偏差が全く逆になっています。

ただ、主人公との関係という点で見れば、毛利との和睦後は友好的な関係が終始続いていたとのことで、「当初は対立関係があったが、その後は信頼関係で結ばれていた」という点では、前作と同じ立ち位置にあるように思います(番組HPでも、そのような展開が示唆されています)。

陣内孝則氏についても、鶴見氏と同じく、前作では武勇の将たる陶晴賢であったのが、本作では謀略家の宇喜多直家という「武と知」という違いはあるものの、敵対勢力に所属し、強烈な存在感をもって中盤の主人公と対峙するという面では、前作と同じポジションを担っていると言うことができます。

以上のお三方のほか、wikiで見ていくと、官兵衛の庇護者的な義父役を務めた益岡徹氏は、「元就」でも元就に忠節を尽くした腹心の部下(児玉就忠)役を演じていたほか、「官兵衛」で小寺政職の側近(腰巾着)として官兵衛の悪口を言い散らす家老を演じる二人の方は、「元就」では、宿敵・尼子家の家老を演じています。

さらに言えば、オープニング映像についても、「元就」で用いられていた、中国山地を思わせる標高の低い山塊の連なりと雲海の映像が、「官兵衛」のラストでも用いられており、この点も、恐らくは意図的にそのようにしたのではないかと推測せずにはいられません。

ただ、主題曲の曲調については全然似ておらず、「官兵衛」の主旋律(メインの曲調)は、何となく「巧妙が辻」に近いような感じがしています(映像は全然違いますが)。

ともあれ、今回の大河は同じ中国地方を舞台とする「元就」を強く意識して制作されていることは間違いなく、過去の作品を知っている人にとっては、双方の異同を楽しむこともできる点で、有り難いものとなっています(独眼竜政宗こと渡辺謙氏が、「炎立つ」でも主人公を演じたのと通じるものがあるのかもしれません)。

ところで、主人公同士の比較という点でも、毛利元就と黒田官兵衛は、天下を取る知謀の才を持ちながらあえて目指さず、そのことにより「家」を守ったという意味で、共通する面があるように思われます。

また、毛利元就は正室の存命中は側室を設けておらず(死後に後妻を迎えています)、生涯、側室を持たなかったとされる官兵衛と共通しています(他に同様の戦国大名がどれだけいるのか存じませんが、稀少例ではないでしょうか)。

ただ、前作に見られた「奥方がガバッと脱ぐ(残念ながら背中のみ)」というシーンは「官兵衛」では見られません。個人的には、この点は、官兵衛夫人よりも荒木村重夫人の方にチャレンジいただければと願っています。

ところで、以上に述べた観点から、他にも、前作(元就)に登場した大物の再登板がないのかというのが、今のところの私の関心事です。

仮に、他の方の再登板があるとすれば、その演じる対象者は中国地方の関係者ということになるでしょうが、私が期待しているのが、まだ登場してない宇喜多秀家です。

この点、放送当時の記憶はありませんが、wikiによれば、尼子氏の滅亡時の当主を中村獅童氏が演じていたとのことで、ぜひ、秀家として再登板していただければと期待しています(終盤の大戦での敗者役という点でも、両者は共通していますし)。

ちなみに、「秀吉」と「軍師官兵衛」を比べると、「秀吉」に出演された方で、竹中氏以外で再登場している人物は誰一人としていないように見受けられ、これはこれで不思議に感じます。

この点、「官兵衛」の番宣で、竹中氏は「『秀吉』では晩年の墜ちてゆく残虐な秀吉を演じることができなかった、今回、それ(暗黒面)を演じるのが楽しみだ」という趣旨のことを強調していました。

見ようによっては、「秀吉」から再登板したのが竹中氏ただ一人であることによって、「秀吉」を知っている者が見れば、「竹中秀吉」の「孤独な裸の王様」像=晩年の墜ちてゆく秀吉という印象(演出)の効果を高める面があるように感じます。

もちろん、NHKがそこまで「マニアックな視聴者」のことを考えて配役を決めているのかは、私には微塵も分かりませんが。

最後に、全然関係ありませんが、私の「大河ドラマ主題曲お気に入りランキング」を書いて、長文の締めくくりとさせていただきます。

1位 いのち
2位 徳川家康
3位 春日局
4位 秀吉
5位 炎立つ
次点 独眼竜政宗、篤姫、赤穂浪士、武田信玄、龍馬伝、etc

私の場合、受験生時代に大河ドラマ主題曲集「秀吉」をレンタルで借りMDに再編して聞いているのですが、その後に発売された主題曲集は購入しておらず、「秀吉」以後の作品が不利な扱いを受けていますので、その点はご留意下さい。

あと、「いのち」は、当時はまだ現代史作品を理解するには幼すぎたのか、曲はよく覚えているのにドラマを見た記憶が全然ありません。

 

受験生時代にすれ違った有名人

ネット生保の創業で時代の寵児となった岩瀬大輔氏の新入社員向けの発言がニュースで取り上げられていました。岩瀬氏は、大学在学中に司法試験に合格されたものの、法曹界ではなくハーバード大に進み、ビジネス界に身を投じたという、当時の日本人としては異色かつスケールの大きい経歴の持ち主としてもよく知られています。
http://www.j-cast.com/2014/04/03201162.html?p=1

どうして、このニュースを取り上げたかというと、つい先日、自宅内に放置されていた司法試験受験生時代の資料を廃棄したのですが、その際、平成8年か9年頃の辰巳法律研究所(受験予備校)の「択一試験に合格した人向けの直前答練(模試)」の資料があり、解説末尾の成績上位者一覧に、岩瀬氏のお名前が何回か登場しているのを発見したため、当時のことを懐かしんで、触れてみたくなったという話でした。

なお、残念ながら私自身は岩瀬氏とは面識はなく、同氏が最初に出版された生保関係のことが書かれた新書本を拝見した程度です。

私は、新入社員=イソ弁時代、始業前に出社するどころか、朝は最後に出てくる不良社員だったせいか(夜は終電頃まで仕事してましたけど)、パッとしない田舎の地味な町弁人生を続けています。

ただ、遅まきながら、数年前から始めた「判例・論文のデータベース作り(購入中の判例雑誌の要旨を関連法規に即してエクセルにまとめる地味な作業)」を毎日のように続けており、岩瀬氏には遠く及ばずとも、せめて、サバイバル状態に突入した町弁業界で生き残るための糧になってくれればと思っています。

県境不法投棄事件における県民負担と果たされぬ総括

日本最大規模の不法投棄事件と言われた、岩手青森県境不法投棄事件(平成11年発覚)について、ようやく現場の廃棄物の撤去作業が終了したという報道がなされていました。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/20140326-OYT8T00737.htm

報道によれば、撤去等のため両県併せて708億程度の費用を要した一方、岩手県が回収できたのは8億程度に止まるとされています。

私の記憶では、撤去計画が承認された平成16年頃の時点で、青森県の見積が440億、岩手県の見積が220億程度(大雑把に言えば、青森:岩手が2:1)となっていましたので、岩手県については、最終的な費用は236億円程度になったと思われます。

そして、産廃特措法により、国が費用の6割を補助するはずなので、単純計算で県の負担額は94.4億円となり、上記の回収額を全額、県が補填できるのであれば、最終的な岩手県=県民の負担額は、86.4億円となります。

岩手県の現在の人口が130万弱だそうなので、単純計算で、子供も含む一人あたりの負担額が6646円強、4人家族なら2万6600円ほどの費用負担を、首都圏など全国各地から運ばれてきたゴミの撤去のため、県民が強いられたという計算になります。

もちろん、100億円弱もの巨額の資金があれば、震災復興であれ県北その他の振興や福祉であれ、地域のため相応に有効活用できたはずです。

県境事件は、今やすっかり風化し単なる公共事業のように思われているのかもしれませんが、上記の機会を県民から奪ったものだと県民には受け止めていただきたいと思います。

ところで、この事件の顕著な特徴は、主犯格の2つの産廃処理業者が青森と埼玉で営業する業者であり、被害拡大に関しては、青森県と埼玉県の監督不行届が大きかったのではないかと指摘されている(そのため、岩手県は当初から、被害県だとアピールしていた)点とされています。

結局、現行制度の限界として、この点(青森県と埼玉県の監督責任)を法的な手続により問う機会は得られぬまま、この事件は幕引きを迎えてしまったのですが、果たしてそれでよいのかという点は、皆さんにも考えていただきたいところです。

この点に関し、平成22年の日弁連人権大会では、「A県の許可を受けた業者がB県で不法投棄事件を引き起こした場合、事情に応じてA県もB県が要した撤去費用の一部を負担する制度を設けるべき」という趣旨の提言をしています。
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/civil_liberties/year/2010/2010_3.html

残念ながら、このような制度は未だ実現していないことはもちろん、公の場で議論の俎上にすら載せられていないでしょうが、少なくとも、岩手県民は、そのような制度がないことによって、上記の負担を強いられているのだという現実は、認識していただきたいところです。

もちろん、岩手以上に高額な負担を余儀なくされた青森県はもちろん、古くから産廃問題に苦しんできた埼玉県にとっても、有り難くない話だとは思いますが、そうした制度の存在が、行政の担当者に緊張感を与え(言うまでもありませんが、そのような形で自治体=住民に生じた負担については、事実関係によっては自治体の担当者や首長などが住民訴訟の形で責任を問われる可能性があります)、結果として早期の監督権の行使=被害の防止に資するという見方はできるのではないかと思います。

撤去完了により事件の幕引きが見えてきたという現状を踏まえ、岩手・青森両県の住民の手で、改めて、事件の総括を考える機会があってもよいのではと感じています。

 

岩手教育会館の建替と「歴史まちづくり法」

盛岡城址(岩手公園)の袂にある岩手教育会館(7階建)が、3年後を目処に4階建の建物に生まれ変わるという報道がありました。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20140319_3

盛岡では、古くより盛岡城(石垣)から岩手山を望む眺望を誇りとする市民感情があり、景観法(平成16年制定)が作られる遥か以前(昭和59年頃)から、「盛岡城址の石垣の上から岩手山を結んだ線よりも高い位置まで建物を立てるのは禁止」というガイドラインを作成していたそうで、実際、その後に、少し離れた中央通に計画された商業ビルが、市の強力な「行政指導」で高さ制限を受けたという例もあったと聞いています。

ただ、その話については、「盛岡城の石垣(二の丸~本丸)の真正面(岩手山が見える北東面)には、産業会館(サンビル)、教育会館、農林会館の3つの巨大建物がドデンと居座っており、それらのせいで岩手山の眺望がちっとも見えないじゃないか」と思わざるを得ないところがあります。

少し調べてみると、この「岩手山眺望阻害三兄弟」などと言ってみたくなる3つの建物は、いずれも昭和30~40年代に竣工された建物なのだそうで、反対運動的なものがあったかどうかは知りませんが、少なくとも、当時は、法令上の規制は言うに及ばず、行政指導すら無かったのでしょうから、その意味では、非難できる筋合いでもないのだろうと思います(時系列的に見れば、この三兄弟の出現が、上記のガイドラインの登場に一役買っているかもしれませんが)。

他方、上記のガイドラインは、現在、景観法に基づき盛岡市が平成21年に策定した景観計画に引き継がれており、法律上の明確な根拠がありますので、これに沿った形で教育会館が建て替えられることについては、上記の眺望(景観)に価値を感じる者の一人として、率直に歓迎したいと思っています。

折角なので、サンビルと農林会館も、余勢を駆って建替(或いは移転)を検討されてはいかがでしょうかと思ったりもします。ちょうど、岩手山の眺望問題をさほど考えなくてもよさそうな東側の岩手医大が移転することから、そちらに「新・産業農林会館」を、飲食店舗などを交えた複合施設として作っていただいてもよいのではと思わないでもありません。

ところで、教育会館の建替にあたっては、景観等の観点から、もう一つ、指摘しならない事柄があり、このことは、とりわけ盛岡市民の方々には、よく考えていただきたいことだと思っています。

平成20年に、城跡など歴史的な名所・旧跡を残した風景の保全やまちづくりの活用への支援等を目的として、「歴史まちづくり法」という法律が制定されています(正式名称は、地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律)。

法律の内容や活用状況は、以下に引用した国交省サイト(パンフレット等)をご覧いただければと思いますが、代表例として金沢城趾とその周辺地域の整備や保全などが掲げられており、金沢市を手本として城下町整備をすべきと思われる盛岡城趾及びその周辺地域についても、この法律の適用を受け、景観の保全や充実化に取り組んでよいのではないかと思われます。
http://www.mlit.go.jp/toshi/rekimachi/toshi_history_tk_000003.html

そして、教育会館の建て替え(新会館の建築)にあたっても、「盛岡城址に隣接する主要建築物」としての教育会館のあり方・位置づけを再検討いただき、デザイン等はもちろん、会館の機能等のあり方も含めて(言うなれば、佐藤可士和氏的な発想で)、石垣等と調和し歴史的な風致の向上を強く支えるような会館を造っていただきたいと思いますし、場合によっては、そのプロセスには、会館の施工主や市役所以外の方(歴史的景観の保全等に知見等のある専門家や住民等)が関与してもよいのではと思ったりもします。

例えば、藩校(明義堂・作人館)の写真や図面等が残っているのであれば、その意匠をデザインに取り入れるのが、「教育会館」に相応しいと思わないでもありませんが、いかがでしょう。

残念ながら?、盛岡市は、まだこの法令に基づく「歴史的風致維持向上計画」の認定申請をしていないようですので、ぜひ、地元の各種団体等(某「明るく豊かな社会を作ることを目的とした団体」など)におかれては、そうしたことにも取り組んでいただければ幸いに思いますし、住民一般にも、この点に関心を寄せていただければと思っています。

 

政党の分裂時における政治資金(献金や交付金)の分割のあり方について

平成24年7月に生じた、「小沢氏ら(生活党)が民主党を脱退した際に、同氏と共に脱退した民主党岩手県連の元幹部が、同県連名義で預金されていた県連の政治資金の大半(4500万円)を引き出したため、民主党側が元幹部に賠償請求した事件」で、先日、引出し金の大半(4000万円)を元幹部が民主党岩手県連に引き渡して終了とする和解が成立した旨の報道がありました。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/20140312-OYT8T01146.htm

この訴訟の第1審・盛岡地裁判決は、民主党側の請求を全面的に認めたのですが、ちょうど、先日に郵送された判例時報(2209号119頁)に、この判決が掲載されていました。

裁判では、元幹部の行為が、県連の役員(資金管理者)としての権限を濫用、逸脱したか否かが争点となり、元幹部側は、「引出金(政治資金)は、小沢氏(判例時報では匿名表示)を支援するため集められたお金なので、小沢氏の脱退により小沢氏側が引渡を受けるべき=権限濫用等にあたらない」と主張しました。

が、裁判所は、当該預金が民主党側に帰属し、民主党と利害が対立する生活党側に利益を図る目的で資金移動をしたのは権限濫用だとして、元幹部側の主張を一蹴しています。

判例時報の解説では、「これ(党の資金が個人ではなく政党に帰属するとの考え)が、政党の離合集合時における資金処理のルールとなるか問題もあり、立法でこの点の法整備が望まれるとの意見もある」としていますが、判決文を見る限り、元幹部=生活党側が、訴訟でこのような観点から、事実関係や法律論を掘り下げて主張をすることはなかったようです。

この件では、提訴後まもない時期に、当時の事務所HP(日記)に、下記の投稿をしたことがあります。

要するに、元幹部の引出金が、小沢氏個人の政治活動を支援することを目的として献金等されたものであれば、手続云々はともかく、献金等の趣旨に照らせば生活党側が引き継ぎたいと思うのはごもっともと言えるので、仮に、そうした事情があるのなら、団体役員の権限濫用の成否とか預金の帰属主体などといった私法上の解釈に、政党の分裂時における政治資金の清算のあり方等に関するあるべき姿(公法上の議論)をどこまで斟酌することができるかという意味での「憲法訴訟」になればと期待した投稿でした。

残念ながら、判決を読む限り、元幹部(生活党)側は、預金(政治資金)の出所等に関する具体的な主張はしなかったようですので、そのような議論がなされる前提を欠いたと見るほかないと思われます(それを明らかにすることが生活党側にとって不都合だったのか否か、野次馬的には関心がありますが、判決からは何も読み取れません)。

この問題の本質は、原資が献金であれ税金(政党助成法に基づく交付金)であれ、争いの対象となっているお金(政治資金)が、本来的には争いの当事者(民主党側も元幹部=生活党側も)のものではなく、拠出者のものであり、それが特定の目的のために拠出されたものである以上、政党の分裂にあたっては、分割等の対象となる資金の拠出目的(拠出者たる献金主や納税者の意図)も斟酌した上で、分割等の内容や当否が判断されるべきではないかということではないかと思います。

とりわけ、現在は政党助成法に基づく交付金=税金のウェイトが大きくなっているやにも聞いたことがありますので、なおのこと、一般国民の立場からすれば、この種の議論や法整備が待たれるところではないかと思います。

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(以下、平24年10月12日付・当事務所「日記」の引用)

【民主党分裂に伴う預金持ち出し騒動と代表訴訟】

民主党の分裂時に離党し新党(以下「生活党」といいます)に移籍した議員の方が、同党岩手県連の預金計4500万円を持ち出したため、民主党と生活党とが争っている事件が生じ、先日、盛岡地裁への提訴報道があったことは、多くの方がご存知かと思います。

この種の訴訟の依頼は、一般的には、当該政党の支援者や議員さんと懇意にされている方になされるのが通例なので、私のような無縁社会に生きるノンポリ無党派にはご縁のない話ではありますが、法律論としては非常に興味深い論点を含んでおり、関心を持って報道を拝見しています。

報道の範囲で推測すれば、債務不履行=善管注意義務又は忠実義務違反と不法行為責任の二本立てのように見受けられましたが、原資の性格等を巡る争いや分裂直前の民主党内部の路線争い等の事情が、預金を持ち出した議員(政党役員)の義務や違法性などの解釈にどのように影響するのか、問題となった預金に関する権利の帰属のあり方やそれに関する政党本部と県連との関係、政党内部の紛争を規律する法の不備等の事情が、この種の訴訟の帰趨にどのような形で影響するか、といった事柄が議論の対象とされてよいはずで、私法と公法(なかんずく憲法)とが交錯する高度な論点を含んでいると思います。

ただ、原告=民主党側からすれば、そのような議論を避けて形式論理で違法性等を認めて欲しいと考えていると思われ、どちらかといえば、生活党の側が、どこまで議論を深めることができるか力量を問われる気がします。

その意味では、生活党側では、刑事事件における弘中弁護士のような、政治とカネに関する深い知見を有する第一級の弁護士の方に依頼してはいかがと思わないこともありません(原告代理人である岩手の先生方にとっては、余計なお世話としか言いようがありませんが…)。

ともあれ、政争にご縁のない庶民の立場からすれば、上記のような論点について検討が深められれば、国民に資するところが大きくなるのではないかと期待しています。

ところで、私がこの「持ち出し事件」の報道に最初に接した際に思ったのは、「仮に、残留組(現・民主党岩手県連)の役員の方々が、何らかの理由で訴訟提起を躊躇し続けた場合、その対応に不満を持った一般党員の方が、それに異議を申し立て修正させる法的手段はないのだろうか。或いは、設けなくてよいのだろうか」という点でした。

少し具体的に言えば、株式会社では、一部の役員等が問題を起こして被害を受けた場合に、他の役員(会社の意思決定権者)が役員等に賠償請求をしない状態を続けていると、それに不服のある株主が、会社に代わって当該役員等に対し、会社に賠償するよう求めることができ(代表訴訟)、一般社団・財団法人法にも同様の規定が設けられています。

地方自治体の運営においても、若干変則的な形態ではありますが、これと類似する(責任追及の対象はより広い)制度が設けられています(住民訴訟)。

しかし、私の貧弱な知識の範囲では、(マイナーな法令を別とすれば)このように、「組織・集団の少数者が、あるべき権利行使を怠るリーダー(経営者・多数派)に代わって権利行使をする(させる)」制度は、他に存在しないのではないかと思われます。

例えば、現在、国政(中央官庁の活動)に対しては、住民訴訟のような国民による異議申立制度は存在しないのですが、「行政に対する国民の監視」という観点から、国政でも住民訴訟と同様の制度を設けるべきだと主張する方は少なくありません。

政党に関しても、そのような制度は存在しないと思われますが(「政党法」の制定に関し、議論されているかどうかは存じませんが)、それでよいのかという問題は、これを機会に議論が深められて良いのではと思います。

少なくとも、離党騒動直前の段階では、民主党岩手県連に関しては、より多くの離党者が生じるのではと考えた方も少なくなかったはずですし、現在も、何らかの形での再合流等の可能性が囁かれている(達増知事等が期待している?)ことなどに照らせば、数ヶ月前の時点での可能性の問題として、提訴以外の展開もあり得たように思われます。

そのような展開を辿った場合、それに不満を抱いた一般党員には何ら救済手段がなくてもよいのかという視点は、検討されてよいのではと感じます。

なかんずく、本件で問題となった4500万円を出捐した方が現役の党員で、かつ、「この金員は現・民主党の側で使用すべきもので、生活党が持ち出すのは献金の趣旨に反する」と考えているのであれば、その救済を図る制度の必要性は高いと思われます(なお、報道によれば、生活党側は「本件4500万円は、民由合併時に自由党が寄付したもので、その原資は自由党=(主に)小沢氏への政治献金だ」と主張しているようです)。

逆に、生活党による「4500万円の出捐は、小沢氏の活動を支援したいとの目的でなされたものだ」との主張が真実なのであれば、当該金員を使用すべき実質的資格があるのは自分達だと主張したくなるのは、理解できない話ではありません。

仮に、本件持ち出し事件が生じない(引き出すことができなかった)状態で離党等がなされたケースを想定すれば、当該出捐を行った元?党員や生活党に移籍した元党員の側としては、「出捐(献金?)の趣旨に反する事態が生じた以上、返還(又は生活等に引渡)すべきだ」と請求したいと思いますし、そうしたことを実現する制度の当否が議論されるべきだと思います。

こうした論点は、「比例代表で当選した議員が、離党し他党に移籍した場合の議員資格の維持の当否」といった論点(平成8年の司法試験で出題されています)と類似すると思われ、その論点に関する議論が参考になるかもしれません。

さらに言えば、仮に、持ち出しの対象になった金員の原資が、政党助成法に基づく交付金であった場合、出捐者=納税者たる国民一般(或いは同法の所管の官庁)のコントロールを及ぼさなくてよいのか、という論点も生じると思います。

もちろん、この場合、政党の自治との衝突という別の視点が生じますので、余計に議論がややこしくなると思いますが、少なくとも、「金を出す者が口を出せない」ことの当否は議論されるべきかと思います。

長々と思いついたことを書きましたが、田舎でノンポリの町弁をしていると、こうした憲法や統治機構などに関する論点を実践的に勉強する機会がなく、その点は大いに残念に思います。

日弁連の憲法委員会などでは、秘密保全法問題など国策等に反対する運動に邁進するのも結構ですが、こうした制度のあり方などについて、価値中立的な立場で議論を深める活動もしていただき、その成果を、国民に資する形で会員に還元していただきたいと思わずにはいられません。