北奥法律事務所

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個別の法的問題等

水路や湖沼での転落事故と賠償問題

最近の判例時報で「飲酒酩酊した人がローソンの脇の側溝の水路に転落して死亡し、遺族が、水路を管理する自治体と水路脇の壁を管理するローソンに対し、水路や壁の設置管理の瑕疵等を理由に賠償請求したところ、自治体の責任は認めたものの8割の過失相殺をされ、ローソンへの請求は棄却された」という例が載っていました(富山地判H25.9.24判時2242-114)。

転落事故に関する国賠請求や工作物責任が問われた訴訟は多くの前例があり、解説には飲酒酩酊絡みでの歩行中の事故に関する前例などが紹介されています。

水路への転落ではありませんが、さきほど、秋田の八郎潟の水路でワカサギ釣りをしていた方が、氷が割れて湖水に転落したというニュースが出ていました。詳細は存じませんが、仮に、転落場所(水路)の管理者が、水面の状態などから転落等の危険があることを把握できたのに進入禁止など相当な措置を講じていなかったという事情でもあれば、国賠訴訟などに発展する可能性もあるかもしれません。

余談ながら、小学生の頃、丘の上の書道教室の帰りに凍結した沼(面積は学校のプール程度)に一人で入って遊んでいたところ、沼の中央で氷が割れて足下から沼に埋まり出られなくなったことがあります。幸い、30分~1時間ほどで救出され、事なきを得たのですが、水面が割れて氷の下に転落したという報道を目にすると、そのときのことを思い出さずにはいられないものがあります。

「自分は沼にも湖にも行かないよ」という方も、冒頭のような転落事故もありますので、お気を付け下さい。

政治過程の憲法不適合に関する官と民の役割と責任

平成25年7月に実施された参議院通常選挙に関する選挙無効訴訟の最高裁判決(最大判H26.11.26判時2242-23)が、直近の判例時報に掲載されていました。

参院選に関しては、平成22年7月に実施された参院選(議員定数配分規定が最大1:5.00)に関し投票価値の平等違反等が問われた最高裁判決(最大判H24.10.17)で、その選挙当時、本件定数配分規定の下で選挙区間の投票価値の不均衡は違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っていたが、本件選挙までの間に本件定数配分規定を改正しなかったことが国会の裁量権の限界を超えるとは言えない=配分規定が違憲とまでは言えない=違憲状態だが裁量違反なく違憲でない、とされています。

そして、当該判決を承けて、平成24年に公選法が改正されており、その改正法のもとで平成25年の参院選が行われたものの、議員定数配分は最大1:4.77の格差となっており、改めて、この論点に取り組んでいる弁護士の方々が、選挙無効を求めて提訴したものです。

最高裁は、今回も、違憲問題が生じる著しい不平等状態にあるものの、本件選挙までに定数配分改正がされなかったことをもって国会の裁量権の限界を超えるとは言えぬ=本条違反に至らずとして、原告の請求を棄却(違憲違法・事情判決とした2審を変更)しています。

但し、都道府県を単位として各選挙区の定数を設定する現行方式を改めるなど、仕組みを見直す立法措置が必要だと指摘し、できるだけ速やかに、そのことを内容とする具体的な改正を行うなどして違憲状態を解消すべきだと述べており、国会がこれに応じずに違憲状態を放置した場合には、次回(平成28年)の参院選に対する訴訟では、より厳しい判断が予想されると言えます。

判文や解説をきちんと読み込んだ訳ではありませんが、平成24年最判との違いとして、平成24年は違憲を主張する反対意見が3名だったのに対し、今回は反対意見が4名となっています。また、4名のうち1名(山本裁判官)は、1票の格差は2割未満でなければ許容されない(0.8を下回れば違憲)とし、0.8を下回る選挙区から選出された議員はすべて身分を失わせるべきという徹底した投票価値平等論に立っていることが、特筆すべき点として挙げられます。

この山本裁判官ですが、経歴(出身)をネットで確認したところ、前内閣法制局長官で、最高裁判事の就任時の記者会見で、当時の安倍内閣が推進していた集団的自衛権に関する議論に関し、現在の憲法の解釈の限界を超えると発言して注目を浴びた方であることが分かりました(当然、そのニュースは私も見ていましたが、お名前はすっかり忘れていました)。

もちろん、当時の議論・定義を前提にした発言でしょうから、その後に行われた閣議決定に対する見解を述べたものではないということになるでしょうし、さすがに最高裁判事の就任後は、山本判事がその後の集団的自衛権を巡る閣議決定などのシーンで存在感を示すことは無かったと思います。

とはいえ、国会の存立の基本というべき選挙制度に関する訴訟で厳しい判断を示されているのを見ると、「政のあり方(国会が憲法の基本原則に従うべき身の正し方)」について、強い信念をお持ちなのだろうと感じられます。

ちなみに、反対意見4名のうち残りの3名(大橋・鬼丸・木内の3判事)は、いずれも弁護士出身で、「違憲・違法を宣言すべきだが事情判決の法理により選挙は無効としない」との判断を示しています。政治的な対立を含みやすい論点で最高裁判事の票が割れる場合には、弁護士出身の判事が「少数派寄りの憲法の理想重視の少数意見」に立つことが珍しくないのですが、ある意味、(議員と同じく憲法の尊重擁護義務を負う)行政官の頂点というべき内閣法制局長官の経験者が、弁護士出身判事達よりも厳しく、憲法(国家権力のあり方を定めた法)の解釈について、最も先鋭的と言える意見を示している光景には、官の矜持とでも言うべき、大いに示唆に富むものを感じずにはいられません。

以前に、最高裁判事の経験者の方の著作で、実際の合議では、表に出せないような生々しい議論が交わされることもあるという趣旨の記載を読んだ記憶がありますが、前回よりも反対意見が1票増えていることも含め、こうした経歴の方に最も厳しい反対意見を表明させていること自体が、最高裁自身の、組織としての何らかの意思を示すものではないかと感じたのは、私だけではないのではと思われます。

ところで、山本判事は安倍内閣により任命されており、当時は、集団的自衛権の閣議決定を目指す安倍首相が、山本氏を最高裁に厄介払いしたなどと評する報道もあったような記憶もありますが、私個人の漠たる感覚としては、恐らくそれは一面的な見方というべきで、現下の社会情勢を踏まえて、山本氏の良さは現在の政治過程の中枢(法制局)よりも一歩離れた場所(最高裁)の方が生きるという「高度な政治判断」があったのではないかと思いたいところです。

ですので、山本判事の先鋭的な反対意見についても、単純に「政治(国会)と官(最高裁)の対立」と捉えるのも正しい理解ではなく、「官の最高峰まで上り詰めた人が、現在の国会議員の選出の仕組みは憲法の理念に反し、選挙無効=一部の議員の地位を剥奪すべきだとまで言っている。だからこそ、民(政治家はもちろん、国民全体)がそのバトンを受け止めて、選挙制度改革の気運を高めるべき」という、国民的な議論や運動(選挙制度改革を旗印にした政治勢力の登場などを含め)が求められていると言うべきではないかと考えます。

残念ながら、現在もなお、選挙制度改革を巡る議論等が国内で盛んに行われているとは到底言えず、このままでは、従前と同じく小手先だけの改正のみが行われ、平成28年の選挙では今度は反対意見がもう1、2名増えるだけ、といった展開になるのではと危惧されます。

集団的自衛権に関しては、選挙制度改革に比べれば、まだ議論のある方だとは思いますが、相変わらず、異なる政治的立場の持ち主が自分の価値観に基づく主張を繰り広げているだけの、価値観を異にする者同士の対話のない示威行動的な運動に止まっている感も否めません。

また、上記の観点からは、一票の価値の問題も、憲法9条に絡んだ問題も、根底の部分では相通じる面があるのに、それぞれに携わっている方々同士に何の連携も見られないという点も、憲法を深く考える上では、とても残念に感じます。

私自身は、異なる政治的価値観を有する者同士が、時に議論を交わし、時に妥協を重ねながら、平和的な手段・手続によって高次の政治的価値を実現していくべきだというのが、そうした社会を実現できなかった戦前の反省の上に立つ、日本国憲法の理念だと理解していますし、投票価値(政治的意思決定に対する終局的な影響力)の平等は、そうした社会を支える基本的な原則(インフラ)だと思いますので、そうした観点から、双方の論点を有機的に結びつけるような方向で、議論が深まればと思っています。

定数配分では往々にして有利な結果を享受している地方の立場からすると、定数不均衡問題では、ともすれば、現状肯定の発想に陥りやすいのではないかと思いますが、「国民一人一人の政治に対する影響力という価値が軽視されている表れなのだ」という視点に立ち、悪しきアファーマティブアクションとして断ち切るべき、地方の声を届けるのは別の手段によるべしとの姿勢も必要ではないかと思います。

なお、冒頭の訴訟は定数不均衡問題に取り組む2つの訴訟グループ(元祖派と升永弁護士派)のうち前者を当事者とするものですが、その主力メンバーとして携わっておられる方の中に、私が東京で勤務していた事務所に、私と入れ替わりで入所された先生がおられます。岩手県内に「定数不均衡問題に取り組んでいる弁護士さんから講演を聴きたい」との奇特?な方がおられれば、私までご一報いただければ、お役に立てることもあるかも知れません。

名誉毀損のネット投稿に関する責任追及など

インターネット上で名誉毀損となる投稿がなされた場合、一般的には、サイトの運営者に対し投稿者のIPアドレス等の開示を求め、その開示を受けた後、IPアドレス等から把握できる「投稿者が契約しているプロバイダ(経由プロバイダ)」に対し、投稿者の住所氏名等の開示を求めるという方法を取るべきものとされています。

これは、いわゆるプロバイダ責任制限法に基づく手続なのですが、実際には、サイトの運営者が任意にIPアドレス等の開示請求に応じないことも多く、その場合には、裁判所に対し、その運営者を相手方として、IPアドレス等の開示を求める申立を行い、その命令をもとに強制的に開示させる以外には、手段がないと思われます。

ただ、その場合には、サイトの運営主体をどのように把握するか、その住所等(申立書の送達先)をどのように調査するか、管轄等はどうなるか、仮処分命令がなされたとして、運営者が現実に従うのか(従わないとして、強制的に開示させるには、どのような方法を講じることができるのか)といったハードルがあり、この制度も、決して万能ではありません。

そして、私の知る限り、この点が顕著な壁となって生じるのが、インターネット掲示板「2ちゃんねる」ではないかと思います。

5年以上前のことですが、2ちゃんねる上に名誉毀損の投稿をされたという方から、投稿者を特定して責任を問いたいという趣旨のご相談を受けたことがあります。それまで、この種の問題を扱ったことはありませんでしたが、当時、2ちゃんねるの投稿被害が社会的にも多いに問題となっており、盛岡に、その問題を専門的に扱う方がいるという話も聞いたことがありませんでしたので、お役に立てればとの思いで調査等をお引き受けして色々と調べるなどしたのですが、結局、上記の壁(ちょうど、2ちゃんねるの運営が創業者の西村氏からシンガポール国籍の会社に譲渡されたなどという報道が飛び交っている時期で、その点でも幾つかのハードルがありました)にぶち当たり、当方では対応困難として、お断りせざるをえませんでした。

その後、平成25年に2ちゃんねるなど各種の掲示板での名誉毀損の投稿に対する削除及び発信者情報開示請求の手続について詳細に記載した書籍が出版されており(中澤佑一「インターネットにおける誹謗中傷法的対策マニュアル」)、同書には、平成25年当時における2ちゃんねるへの発信者情報の取得のための仮処分の申立等の方法(シンガポール国籍の会社を相手方とする申立の方法や必要書類の取得方法など。なお、法務局に納付を要する供託金は30万円とされています)及び仮処分命令に基づく2ちゃんねるのサイトへの発信者情報の開示請求の手続などについて、詳細に説明がなされています。

ただ、さきほど、2ちゃんねるのサイトを確認したところ、現在、同サイトの管理会社として、上記会社とは別の会社(ネット情報では、フィリピン国籍と表示しているものもあります)が表示されており、現在も、2ちゃんねる絡みの投稿問題で発信者情報の開示請求を行う場合には、当事者の特定や所在などで厄介な論点が存するため、上記の問題を取り扱って成果をあげた、限られた弁護士でないと対応が困難ではないかと思われます。

私に関しては、その後に2ちゃんねるの投稿問題に関しご相談を受ける機会はなく、社会的にも、2ちゃんねるに関しては、当時に比べれば沈静化した面はあるのではないかと思っていますが、違法行為(名誉毀損投稿)の温床になっている社会的存在(2ちゃんねる)が、当事者の特定や所在などという、法的責任を問うための事実調査のレベルで大きな困難を伴い、結果として権利保護(被害者から投稿者=加害者への責任追及)が困難になるというのは望ましくないことは明白で、上記の壁をクリアできるような、何らかの立法的解決を要するのではないかと思います。

例えば、名誉毀損投稿が頻発しているようなサイトについては、消費者庁が指定して、サイトの運営者は被害者から削除や発信者情報開示の請求がなされた場合には直ちにこれに応じることができるシステムを構築しなければならない(その認証等を受けなければ、サイトの閉鎖命令に応じなければならない)とするような特例法を考えてもよいのではないかと思っています。

企業再建に関する特定調停スキームと経営者保証ガイドライン

あまり知名度はありませんが、1、2年ほど前から、「中小企業の事業継続が困難になった場合に、債務者が少数の金融機関のみである場合など、債権者との合意で、一定の弁済(原則として破産手続よりも多い額)を行うことを条件に、破産や民事再生の手続をとらずに残債務の免除等を受けることができる制度」が設けられています。

中小企業円滑化法終了の対応策としての特定調停スキーム」というもので、2年前に中小企業円滑化法の終了により倒産が多発するのではないかとの懸念が広まった際、設けられています。

当時、中小企業庁の音頭で経営革新等認定支援機関制度というものができ、私も「支援機関」に登録しているのですが、上記の手続は、支援機関としての弁護士が関与することが望ましいと考えられています。

実際には、政府の予想に反して全国的に倒産件数が少ない状態が続いていることもあり、私自身は、これまで当該手続に相応しい企業さんからその種の申込みを受けるなどのご縁に恵まれていませんが、いずれ、利用する機会があればと思っています。

また、上記の手続は、企業再建を前提とする場合だけでなく、企業(主債務者)が破産等を余儀なくされた場合でも、経営者などの連帯保証人が、冒頭の条件を前提に、その余の債務の免除を受けるために利用することもできるとされています。

例えば、代表者等の方の債権者は基本的に少数の金融機関のみであるなど合意による処理に適する場合に、破産手続で指定されている自由財産拡張の限度額(原則として99万円)以上の額を手元に残し、その余の財産は換価して按分弁済することを条件に残債務の免除を受けるという目的で利用することが想定されています。

昨年末に、弁護士会から「中小企業円滑化法終了の対応策としての特定調停スキーム(経営者保証に関するガイドライン対応)」に関するレジュメが届いており、その制度の利用方法に関する解説や書式などが掲載されていました。

そろそろ、中小企業の倒産件数の増加が見込まれてきていることもありますし、昔と違って、商工ローンなどの同意による解決が期待できない債権者への連帯保証が含まれていない(協議で解決できる金融機関のみとなっている)方も多いはずですから、利用に適する案件のご相談を受けた場合には、当事者の破産手続を避けるためにも、積極的に金融機関側に打診するなど、利用を試みたいと考えています。

「お一人介護」家庭の孤立死と見守り契約

岩手県奥州市で、60代男性が90代の母親を自宅で介護していたところ、男性が病気で急死し、母親も介護者が存在しなくなった影響で、誰にも介護等を受けることができないまま、ほどなく低体温症で死亡してしまったというニュースが報道されていました。
http://mainichi.jp/select/news/20150208k0000e040128000c.html

同じような境遇にある方(高齢の母の介護を同居の熟年の子が一人で担っており、他にも子がいるものの、遠方に居住し日常的には連絡を取り合っていない家族)は、全国に幾らでもあるでしょうから、こうした残念な出来事は、現在ないし今後、全国で多数生じている(生じてくる)のではないかと危惧されます。

また、「介護者が、周囲のインフラに恵まれない状態で、たった一人だけで要介護者の面倒を見ている」という話は、高齢者だけでなく乳幼児や障害者などでも多く生じているでしょうから、そうしたご家族でも、潜在的リスクを大きく抱えている例は多くあると思います。

この点、法律業界(ないし介護業界?)では、何年も前から「見守り契約」という制度(サービス)が提唱されているのですが、私の知る限り、ほとんど普及していないと思われます。

先日、任意後見に関するご相談をお受けする機会があり、任意後見に関する現在の代表的?な実務書を読み返したところ、関連する制度(財産管理契約など)についても概説があり、その中で、見守り契約についても解説がありました。
http://www.sn-hoki.co.jp/shop/product/book/detail_50607_11_0.html?hb=1

敢えて弁護士に「見守り」を依頼したいと希望される方は多くはないと思いますが、「要介護者を実質的に一人で介護している家庭」については、介護者に不慮の事態があれば、要介護者も含めて生存の危険に晒されるわけですから、そうした「生活(介護)インフラの弱い家庭」については、社会福祉協議会や地域に根付いた介護業者など信頼のおける事業者と、数日ないし1週間おきに電話や面談などで実情把握をするなどの制度を構築した方がよいのではないかと思います。

もちろん、その上で、当事者の権利関係などに法的な処理が必要になった場合には、必要な範囲で我々にも出番を与えていただければと思います。

冒頭のケースでは、介護者たる長男の方は地域内では知人等も多数いらしたようですが、そうした方でも、日常的・定期的な地域内での交流がない限り、このような事態に陥ってしまうわけで、そうしたインフォーマルなインフラに過度に依存するのではなく、「当事者の安否に直結する緩やかなフォーマルのインフラ(簡易な見守り制度)」を確保しつつ、それを、インフォーマルなインフラ(地域や遠方に居住する親族などの人的つながり)の構築・強化に繋げていくような営みが必要ではないかと思います。

現在も何件かお引き受けしている法定後見はともかく、任意後見など、「裁判所に申立がなされる以前の段階にある方々」からご相談等を受けたり支援が必要な方と接点を持つ機会には滅多に恵まれていません。

こうした報道も踏まえて、弁護士に限らず、様々なインフラの構築のあり方や賢明な利用の仕方などを、多くの方に考えていただければと思っています。

「広告で大々的に過払金回収の宣伝をしようとした弁護士」に関する泥沼の内紛劇

岩手では、震災の少し前(平成22年頃)から、東京から「債務整理に関する出張無料相談」を新聞チラシやCMなどで熱心に宣伝、集客する法律事務所が登場するようになりました。

それ以前の平成20年前後にも債務整理の集客の熱心さで東京では知名度があった事務所(H社改めM社とか、某ライオンことI社。いずれも、東京時代に少額管財人として、先方が申し立てた破産事件の仕事ぶりを拝見したことがあります)のCMを見た記憶がありますが、当時は、岩手までわざわざやってくる事務所はありませんでした。

それが、震災直後くらいから冒頭のとおり3~4社ほどの事務所が次々と押し寄せてくるようになり、今もまだ頻繁に来ている事務所もあります。

それらの事務所がどこまで集客できているのかは全く把握できていませんが、当事務所の場合、それらの事務所(の広告)が登場するのと入れ替わるように、債務整理関係の受任が激減したことは確かです。もちろん、そもそも平成23年頃からグレーゾーン金利問題の沈静化が本格化して多重債務者自体が激減したことや岩手の弁護士自体が増えたことなどの影響もありますので、上記の事務所だけが原因というわけではありませんが。

ともあれ、こうした現象は岩手だけではなく全国的なものだそうで、お隣の青森県の新聞でも2年前に同じような話がニュースとして取り上げられています。

記事によれば、そうした弁護士は、広告代理店にチラシの作成など各種の広告や集客の作業を委託しているようですが、以前に、他県の弁護士さんのブログでも同じような話を見たことがあります。確か、その県に出張相談に来ている弁護士は、代理店(コンサルタント)にお膳立てを頼んで、複数の県を渡り歩いて客集めをしているという趣旨のことが書いてあったとの記憶です。

で、何のためにこの話を取り上げたかというと、判例タイムズで、そうした「債務整理の宣伝をコンサルに委託して集客するため設立された事務所」に関する泥沼の内紛劇に関する裁判例が取り上げられていたのですが、当事者の欄をよく見たところ、「非弁行為(無資格者が違法に弁護士業務を行い収益を得ること)の目的があった(ものの、実行には至らなかった)」と認定された業者の代理人に、岩手に「出張無料相談」の広告を大々的に掲げて頻繁に来ている事務所の代表弁護士(及び所属弁護士)の方が表示されているのに気付きました。

そのため、(その弁護士さんが当事者として雑誌に掲載された判決文に表示されているわけではありませんので事件との関わりは不明ですが)問題ある業者と関わりがある弁護士さんなのかなぁと感じたというのが、こんな話を長々と書くことになったきっかけです(さすがに、個人が特定できる情報は差し控えますので、関心のある方はご自分でお調べ下さい)。

事案は、その業者から法律事務所開設の資金提供を受けた弁護士である原告が、事務所の発足や運営に何らかの形で関与した計18名もの関係者(弁護士から宣伝広告を受託する企業などを含む)を、非弁行為の共謀をしたという趣旨で根こそぎ訴えたというものです。

簡略化すれば、「弁護士Xが、従前の所属先から給与の支払がないなど待遇に不満を感じていたところ、別の事務所の事務員として債務整理を行っていたY側の関係者に勧誘され、Yから資金や人材の提供(派遣)を受けて、過払金回収を主たる業務とする法律事務所を開設した。XとYは収益を分配する趣旨の協議をしていたが、開設の4ヶ月後にXがY側に事務所からの退去を求めた」という経過を辿り、YがXに提供資金の返還を求める訴訟を提起していたところ、XがYに対し非弁行為の勧誘等を受けて無用の負担等を強いられたと主張し、不法行為を理由とする賠償請求をしたという流れです。

正確には、Xは、Xの事務所の宣伝に従事した広告会社や、Yが最初にXに紹介したYの勤務先の事務所(非弁提携がなされていたことを仄めかす認定がなされています)の弁護士などにも同様の賠償請求をしています。

これに対し、裁判所(東京地裁平成25年8月29日判決判例タイムズ1407-324)は、YがXに行った資金提供は、Yの目的が非弁行為をすること又はXに非弁提携をさせるもので、弁護士法27条、72条違反の行為を誘発するものとして、上記各条の趣旨に反するものと言わざるを得ないが、その金銭の提供を受けることが直ちに非弁行為と評価されたり、非弁行為に直結するものとまでは認められず、YがXの事務所で非弁行為をした事実は認められないとして、YがXに不法行為をしたとは言えぬ=請求は棄却との判断をしています。

要するに、Yは違法行為を計画していたが金銭提供段階に止まり違法な計画を実行していないので提供を受けたXに対する不法行為があったとは評価できぬと判断したものですが、他ならぬX自身が、Yと非弁行為の共謀をしていたとの認定も受けていますので、そうした点も判断に影響を与えているのではないかと思われます。

ちなみに、判決文で引用された「広告会社がXに提訴した別件判決」と思われるものを取り上げた記事がネットで検索でき、その事件と本件が同一なのだとすれば、X弁護士の事務所はすでに閉鎖されXも廃業(登録取消)したのではないかと思われます。

X氏は恐らく私より期の若い弁護士さんではと推察されますが、自身の甘さが招いたこととはいえ、Y側や広告会社が訴えた別件訴訟で多額の支払が命じられており、踏んだり蹴ったりの憂き目にあったものと思われます。

私も駆け出し期の頃は「弁護士資格を悪用しようとする輩が金や仕事がない若手弁護士に甘言を弄して勧誘することがあるが、身を滅ぼすから気を付けろ」とのアドバイスを受けたことがあります。幸い、私の場合、カネはさておき仕事と兼業主夫業に追われる生活が続いたせいか、今のところ、その種の勧誘を受けた記憶はありませんが、こうした裁判例も他山の石として、平穏無事な事務所経営を今後も続けていきたいと思っています。

ともあれ、「大々的に債務整理(過払金回収)の広告宣伝をして地方に出稼ぎ(集客)に来る東京などの事務所」のすべてがこうだということは全くないとは思いますが、中には、こうした問題を抱えたところもあるのだということは、業界外の方も知っておいてよいのではと思います。

弁護士への依頼は通常は短期間に止まるとはいえ、一定の信頼関係を重要な基礎とし、時には人生の大きな転機と関わることもありますので、誤解を恐れずに言えば、男女交際などに類する面があると思います。

それだけに「相性が大事」であると共に「相手をよく見て、相手のことをよく知った上で」お付き合いする方を決めていただきたいものです。

余談ながら、私が、事務所HPで業務の内容や実績について多少とも記載しているのは、そうしたことも踏まえたものですが、残念ながら「●●の仕事で実績を挙げたと書いてあったので、頼むことにしました」という依頼者の方には未だ巡り会ったことがなく、その点はトホホといったところです。

弁護士を巡る広告については以前にも投稿したことがありますので、併せてご覧いただければ幸いです。
→ 弁護士会のCMから考える、弁護士と弁護士会の関係

原発賠償問題に対する岩手の弁護士の関与状況

24日に、福島第一原発の事故に基づく賠償問題に関し、新潟で被害救済弁護団の中心を担っている二宮淳悟弁護士による講義が弁護士会で行われ、参加してきました。

講義では、福島県内で帰還困難区域等の外の地域(福島市、郡山市など)からの避難者の方が原子力紛争解決センターの申立を行う例を中心に、現在の原紛センターの和解基準に基づいた賠償請求や手続の方法、区域外避難者に関し現在問題となっている論点などについての基礎的かつ実践的な解説があり、そのような方からご依頼があれば、参加した岩手の弁護士の面々にもすぐにでも申立ができそうな印象を受けました。

原発被害に関しては、岩手の場合、大きく分けて、①福島等からの避難者の損害、②県内の企業等の損害(主に風評被害)の2つに区分されますが、私が経験した限りでは、残念ながら、3年以上に亘り双方ともご相談等を受けることは滅多にない状態が続いています。

岩手弁護士会では、震災直後から、原発関係の問題は公害対策環境保全委員会で対応して欲しいとの会内での要請があり、私もメイン担当の1人となっていたので、相談や依頼があれば適宜応じるとのスタンスでいたのですが、ほとんど相談等がない状態が続きました。平成24年中に1度、相談会を開催したのですが、非常に低調だったことを覚えています(但し、私は担当していませんが、沿岸で有名な企業さんが風評被害の相談をされたこともあったようです)。

その後、平成25年1月に原賠審から県内事業者向けの風評被害関係の第三次追補が公表された後、風評被害を巡る賠償請求が活発になるのではないかとの観測があり、同年中には、要請に応じて大船渡で出張相談会をしたこともありました。他にも原賠支援機構の無料相談に関する問い合わせ(県内事業者による風評被害相談)が弁護士会にあり、担当していましたが、結論として、原紛センターや訴訟などの依頼を受けることはありませんでした。

当時、一関の農業者の方が訴訟を行ったとの新聞報道等があったほか、県内の小売業者の方から原紛センターのADR申立依頼を受けた方が1件あったとのお話を伺いましたが、岩手の弁護士に事件依頼がなされる例自体がほとんどない状態が続いたことは間違いないと思われます。

もちろん、我々(弁護士会の担当者)が受任拒否をしていたわけではなく、PR不足のほか、直接請求で一応の解決をされている方が多かったり、そもそも福島から岩手への避難者数が他地域(南東北・関東・新潟)に比べて多くないといった事情があるのではないかとは思います。

ともあれ、そのような開店休業のような状態が続いたところ、昨年上半期に、弁護士会の震災対策の中心メンバーの方々が、懇意にしている他県の弁護団の先生などの支援も受けて、岩手で弁護団を作ることになり、以後、岩手での窓口は弁護団の方々が主に担うことになりました。私も弁護団には入っていますが、若手の方々に担当させるとの方針のせいか、私には声がかからず、出番のないまま引退しているような有様です。

ただ、弁護団のMLで流れている情報を見る限りでは、相談会を開催してもほとんど相談がなかったという報告を見ることがあり、弁護団の方々も、広報(相談や依頼の集客)には苦労しているようです。

そんなわけで、私に限らず、岩手の若手・中堅の面々も原発賠償問題の取扱いを希望しているものの、携わる機会のない状態が続いている感は否めず、残念に思います。

現在も福島の隣県などではADR等の手続が進んでいるようですから、岩手県内にお住まいの避難者の方や風評被害などの問題を抱えたまま適正な被害回復を受けることができていない(のではないかと疑問を感じている)県内企業の方々は、今からでもご相談・ご利用を検討いただければと思います。

病院でのストライキに関する労働者と企業や利用者の利害調整

病院の従事者(看護師など)が組織する労働組合が予告したストライキの差止を求める仮処分を行った病院が、労働組合から不法行為を理由に賠償請求をされ、その訴えが認められた例津地判H26.2.28判時2235-102)について少し勉強しました。

事案の概要等は次のとおり。

従業員148名の大半が労働組合X1の組合員となっている内科・精神科の病院Yで、非組合員への規定外の手当支給(いわゆるヤミ手当)が発覚した。そこで、X1が上部組織X2と共に団体交渉を要求したところ、Yから納得いく回答が得られないとして、Xらがスト決行を通告した。これに対し、Yがストの差止を求める仮処分の申立をしたところ、無審尋で認容された。そのため、Xらはこれに従いストを中止した上で、Yの仮処分申立が不法行為に該当するとして、計1100万円をYに請求した

裁判所は、ストライキ実施に至る経緯(Yが義務的団交事項にあたる各問題についてXらとの団交で虚偽の返答を繰り返したと認定)やスト通告の態様(Xらが保安要員の提供を申し出るなど患者の安全確保に相応の配慮を示したこと)を理由に、Yにはストの差止請求権は認められない=仮処分申立は違法と判断しました。その上で、Yの過失が推認される(上記の増額支給問題の追及を封じる目的の申立だと推認)として、計330万円(X1・X2に各165万円)を認容しました(但し、控訴中)。

何年も前ですが、私も医療機関における労働紛争に企業側代理人として関与したことがあり、その事件では、私が介入する数年前に、組合が徹夜に及ぶ団交の紛糾を理由に経営側にストを通告したものの、経営側が組合の要求の多くを受け入れてストが回避されるという出来事があり、その際に高齢の経営陣が多大な心労を負ったという話を伺ったことがありました。

その件では、経営サイドの方は「組合は保安要員の提供を拒否した」と説明しており、これが相違ないのであれば、上記事件と異なり、仮処分の申立をしても違法とは言えないとされるかもしれません。ただ、当方がその件を指摘したところ、組合側は提供拒否はしていないなどと主張して事実関係を争っていたような記憶もあり、その種の問題が生じた事案では、そうした紛争の決め手になった「肝」にあたる問題については、何らかの形で事実経過に関する証拠を残しておくべきということになるでしょう。

本件のように、労使の見解が鋭く対立した結果、本体的な労使紛争に派生して法的紛争が生じることもありますが、労使紛争の態様・経緯など(本体の紛争でどれだけ正当性があるか)が大きく影響することは確かでしょうから、紛争対応を受任する弁護士としては、事実関係の把握と評価に誤りがないよう、心がけていきたいと思います。

議員定数(総数)の削減と立法府の役割

先日の総選挙では、前回の総選挙に先だって解散を決めた野田前首相が、議員定数の削減を与野党の共通課題として安倍総裁も同意したのにそれを反故にして解散をしたとして、厳しく批判する一幕がありました。

私も、現在の国会の様子を拝見する限りでは、削減に反対する立場ではないのですが、前提として、国会議員とはどのようなことをすべき仕事であるか(どのような人が選ばれ、何をすべきか)についての議論(意見ないし認識の集約)が必要ではないかと思っています。

この点、国会議員が、「官僚が準備する法案の承認と税金(利権)の分捕り合戦をするだけの仕事だ」というのであれば、少数で十分だとか、素人や業界代表だけでも足りるので報酬も減らせ(タダでもよい)ということになるのかもしれません(言い換えれば、数を減らせ、報酬を減らせという主張は、そうした政治システムと結びつきやすいとの意識が必要だと思います)。

しかし、議員のあり方をそれでよしとするのは、民主政治という観点からは、いささか寂しい主張のように感じます。

他方、民主党政権が試みた?ように、議員一人一人を行政府にドシドシ送り込んで行政の活動に密着させ、様々な分野で影響力を行使させるべきという考え方に立つのなら、人数もそれなりに必要だとか、人材確保の見地も含め、報酬もそれに相応しい額にすべきということになると思います。

また、その場合には、「威風堂々中身無し」という形容があてはまるような方が無為な神輿になったり、独りよがりな方が無用の混乱を現場に生じさせるといったことがないよう、その役割を任せるに相応しい人材を議員に当選させるべきで、一定の能力・資格などを立候補等の要件とすべきだとか、政策の立案・執行に関する力量がなければおよそ務まらないような業務を日常的に個々の議員に課すような仕組みをつくるとか、そうした人が選ばれやすい選挙制度・選出風土にすべきだということになるのだと思います。

もちろん、そのような考え方は、突き詰めれば官僚制度のあり方(高級官僚は政治任用=現在の公務員は政治任用の対象にならない限りは出世できないという方式)、ひいては公務員制度全体の設計に影響が出る話でしょうから、そのことも視野に入れた議論が必要になるのだと思います。

結局、そうした話は、この国に相応しい民主政治(民と官との関係)のあり方についての認識ないし議論に関わることであり、そうした大きな視点での議論が、ここ数年の政治の光景を踏まえて行われるべきではないかと思っています。ただ、私の知る限り、このような観点から生産的な議論や提言などを聞く機会には恵まれず、その点は残念に思っています。

「投票したい人に投票する権利」から考える選挙区制度

先日の総選挙では、投票率の低迷が全国的に指摘されていましたが、岩手県内では山田町の投票率が前回との比較で突出して低下したという趣旨の記事が出ていました。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20141216_3

これは、山田町が鈴木俊一氏(岩手2区)の親子二代に亘る地元であり、定数不均衡の是正のため今回から岩手3区に編入された関係で、町内の同氏の支持者の方の多くが投票の意欲を無くしたためであることは間違いないと思います(抗議目的の無効票も相当にあるかもしれません。無効票のデータも見てみたいのですが、報道されておらず残念です)。

このように、「選挙区内の住民の多くが、区外の候補者に投票したいと思っているのに、選挙制度の関係で投票できない状態」というケースは、上記のように区割り編成がなされる場合はもちろん、政党などの都合で候補者自身が選挙区の移動をする場合にも起こり得ます。

また、選挙民の立場からすれば、例えば、「自分はA党の支持者だが、自分の選挙区内のA党の候補者として出馬しているB氏は、国政を託するに足りない人だと思うのでB氏には投票したくない、どうせなら隣の選挙区のA党の候補者のC氏に投票したいのに」というケースは、多々あると思いますし、小規模政党の支持者の方だと、支持する政党が選挙区に候補者を立てることができないという問題もあると思います。

そうした意味では、小選挙区制は、選挙権者の「投票したい人に投票する権利(利益ないし自由)」という意味では、強い制約のある制度だと言えます。

それ以外でも、岩手に関しては、盛岡市と合併した玉山区が、定数不均衡の関係で岩手2区のままの状態が続いている(当面は1区にはなりそうにない)という問題もあり、地方自治(合併した自治体や広域圏の一体性)に対する悪影響も指摘されるべきだと思います。

そもそも、小選挙区制は、①中選挙区制では同一政党(特に与党)から複数の候補者が出馬し、各人が地元民や支援団体などの利益誘導にばかり熱心になりやすい=腐敗リスクがある②有力な二大政党(自民党に代替しうる政治勢力)が出現すれば、55年体制で延々と続いた自民党の万年与党時代が打破され政権交代が可能な政治体制になる(中選挙区のままでは、自民党以外の政治勢力が政権を取るのは無理だ)、といった理由で推進されたものと理解しています。

ただ、②二大政党については、民主党の凋落後は、当面は野党に統合などを推進できる強力な指導者も見あたらず、今回の選挙結果や前後の政治情勢などを見る限りでは、自民党が分裂するような強烈な出来事(今のところ、憲法改正と権力闘争が連動するような事態くらいしか思いつきませんが)でもない限り、今後の選挙でも、当選議員数の程度の差はあれ、自公の万年与党化への逆戻りは避けられないようにも見えます。

また、①ハコモノ行政による財政悪化が盛んに言われる現在の政治状況下で、「中選挙区制に起因する利権誘導政治」なるものがどれほど生じるのかピンと来ない面がありますし、ここ十数年に政治資金・汚職絡みで問題となった事件については、地元(の利益団体)への利益誘導とは異なる次元の話が多いように思われ、腐敗リスクは、現在の社会では、中選挙区制(同一選挙区に同一政党の複数候補者が生じる制度)を否定する理由としては弱いのではないかという感じがします。

むしろ、冒頭に記載した、選挙権者の「自分が投票したい人に投票する自由」という観点からは、全国規模で好きな人をというのは行き過ぎだとしても、例えば、岩手のように4人前後の定数になっている県については、県を1個の選挙区にした方が、自分が県の代表者として国政に送り出したい人を厳選して投票することができるようになると思います。

そもそも、特定政党の強固な支持者の方であれば、「支持政党の擁立候補」であれば、どんな方であれ無条件・問答無用で投票するということになるのかもしれませんし、無党派でも「風(そのときの各政党などへの世論の勢い)」で投票行動を決める方であれば、同様に、気に入った政党の擁立候補であれば、候補者の資質その他を吟味することなく、とりあえずその候補者に投票するということになるのかもしれません。

しかし、(私のように)広義の無党派であると共に、候補者間の「国政の権力行使の従事に相応しい力量、見識を備えている程度(将来性を含め)」を投票行動の最終的な決定要素として重視したいという人間にとっては、むしろ、基本的な価値観を同じくする同一の政党から多数の候補者が出現して欲しい、その中でリーダーとして特に託したいと思える人に投票したいという希望があるはずで、そうした需要に応える選挙制度が導入できないか、議論してもよいのではと思います。

特に、昔と違って日常的に中・広域移動をする人が増え、「盛岡に住んでいても仕事の関係などで他圏(の候補者)の方が親しみがある」といった方も少なくないはずですし、人口減少やネットを含むメディアないしコミュニケーションツールの発達などを視野に入れれば、どちらかと言えば選挙区の単位を大きくする方向に考えてよいと思われます。

とりわけ、冒頭の山田町民のように「地元のセンセイに入れたい」という人にとっては、地元から候補者が引き離される事態を避けたいという面からも、選挙区の単位が大きなものになった方が、「自分が入れたい人に入れる」という希望を満たすことができるのではないかと思います。

その場合、大雑把な感覚ですが、従前の中選挙区に戻すのではなく、もう少し大きい単位(岩手くらいの人口規模なら県単位か隣接県を含む道州単位、首都圏等なら複数の特別区や市の単位)で考えてよいと思われ、1選挙区に4~10名程度の定数を割り振る選挙制度であれば、その需要を満たすと共に、選挙制度の合理的な運営、定数不均衡の是正、投票率の向上といった、選挙制度に関する他の幾つかの要請にも、概ね応えることができるのではないかと思います。

なお、このような選挙制度をとった場合に、「A党の候補者BCDEの4人のうち、Bばかりに票が集中した場合、全体としてA党候補者の得票が多いのに、個人としての得票が少ないCDEの3名が共倒れになる」という問題が生じ得ます。

このような2番手以下が共倒れになるリスクについては、例えば、投票用紙に「票を入れたB氏が必要以上の票を得た場合に、B氏ないしA党が、C氏ら2番手以下に配分することを了解するか否か」という項目を作るなどの方法で、全体として選挙区内で多数の票を獲得した政党がより多くの議員を擁することができるシステムを構築することは可能ではないか(上記の例なら、投票者がB氏以外の候補者には当選して欲しくない(B氏以外は他党の人を当選させたい)と考えるのであれば×、A党の支持者なのでB氏が十分な得票を得るなら他の候補者に配分して構わないと考えるなら○を選べば、死票にならない)と考えます。

また、選挙区の単位を大きくする主張には、「選挙費用が嵩む」との批判が向けられやすいことは確かですが、広すぎることで、かえって掛け声だけの選挙カーが意味をなさない(費用対効果が悪い)として、有権者に対する別のアプローチ(選挙期間以外の時期を含め)ないしコミュニケーションの文化が開発・醸成されるのではと期待したいところです。

少なくとも、小選挙区導入以後の岩手1区の各候補者の得票率(wiki情報)などを見る限り、浮動票の占める割合が非常に少なく、各党ごとの得票率の固定化ぶりが著しいように思われ、そのことは、個々の候補者の得票の大半を固定客=政党等の支持者が占めていること、裏を返せば、現在の選挙制度(小選挙区制)が、無党派(各候補者を吟味して投票行動を決めたい人)にとって魅力(選択肢)のない制度になっていることを示しているように感じます。

一朝一夕にできることではありませんが、少なくとも、小選挙区・比例代表並立制を所与の前提とせず、我が国の現在及び将来の民主政治にとってどのような選挙制度(代表者を選ぶシステム、ひいては選挙で抜擢される代表者のあるべき姿)が最良なのかを、国民が広く議論し認識を共有できるような文化が醸成されて欲しいと願っています。