北奥法律事務所

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個別の法的問題等

民事執行制度の強化を巡る議論と展望

交通事故などの事故・事件の被害者や知人に頼まれ大金を貸して返済を受けられないままの方など(債権者)が、支払義務を負う者(債務者)に対して裁判を起こし、苦心して支払を命じる判決を受けたものの、債務者の財産がまったく分からず、ちっとも債権を回収できないというケースは、我が国では珍しくありません。

債務者に関して言えば、次のようなパターン(類型)があるかと思います。

①相当額の財産を有している可能性が十分あるものの、債務者の所在が不明or広域で活動しているなど、どこに財産を持っているかの手がかりを掴むのが難しいもの。

②債務者の所在等は分かっているが、居住地等に不動産を所有しておらず、居住地付近の金融機関に預金の差押をしても奏功せず(口座がないか、あっても残高がほとんどない)、他に財産の所在等が分からないもの。

③そもそも、その債務者の所有資産が皆無に等しいと考えざるを得ないもの。

この点、我が国では、判決を有する債権者などの照会に応じて債務者のあらゆる金融機関の口座情報などを一括して回答する仕組みは現時点で存在していません(生命保険の契約情報については一括照会制度はあるものの、債務者の同意がない限り保険会社が回答を拒否する例もあります)。

そのため、債権者が少なくない経費と手間をかけて、債務者の居住地を管轄する幾つかの金融機関(支店)に債権額を割り付けて差押申立を行うことがありますが、大概は、前記②のように「預金がないか、あっても僅少」との回答を受けておしまいというケースが少なくありません。

債権者によっては、深刻な事故の被害者でご自身に過失がほとんどない場合のように、非常にお気の毒な方もおられますので、そのようなケースに直面すると、法の不備があると思わずにはいられない面があります。

反面、本当に財産のない(かつ、形成できる能力も乏しい)人について強制収容所のようなものを作って収容し強制労働の賃金で返済させるなどという法制度が我が国で採用されるはずもなく、「救済(支払確保)の必要が高いのに回収が困難な債権者」の方にお会いすると、ただただ残念な気持ちばかりが募ってしまいます。

せめて、強制執行等の対象となりうる債務者の財産の有無を簡易かつ確実に把握できる制度があれば、「財産がない」と判明する場合も含め、債権者にとっては気持ちの整理ができる面がありますが、それとて、上記のとおり金融機関の照会制度の不備や回答拒否など、我が国では必ずしも機能しているとは言い難い面があります。

この点に関し、現在の民事執行法には、「財産開示手続」という債務者に自己の財産状況を開示するよう命ずる制度があるのですが、この制度も、債務者が期日に出頭せず流会で終わることが多く、十分に機能を果たしていないとして、「債務不履行者名簿」を作って閲覧等できるようにしたり信用情報登録制度とリンクさせるなど(不払者にとっては強いプレッシャーになり得ます)、制度をより強化すべきだと主張されることも少なくありません。

ちなみに、昨年に判例タイムズに掲載された論文(1382号等)は、そうした立場をとっており、韓国の制度がそのようなものになっているということで、それを取り入れることを提案する内容になっていたはずです。

これに対し、今年の2月に奈良地裁の今井輝幸裁判官が公表した論文「韓国の財産開示制度の現状」という論文(判例時報2207号)は、執行制度の基礎をなしている様々な法文化や制度に違いがあるとして、慎重な立場をとっています。

思いつきレベルですが、双方の立場の違いは、「司法積極主義と司法消極主義」という我が国の司法に関する大きな路線対立の問題(いわば、理念重視派と国情重視派の対立といってよいのかもしれません)とも繋がりがあるように感じられ、そうした視野からこの論点を考えてみるのも興味深いのではと感じたりもします。

それはさておき、15年も実務の世界で生きていると、我が国では、「払えない人」を強く追いつめるような制度ないし実務はなじまないと考える方がほとんどで、その種のケースで取立を強化する法制はあまり期待できないと思われます。

そうした点では、交通事故における人身傷害保険のように、相手方が無資力の場合に不良債権の填補を受けられるような自己防衛的な保険等の制度を、様々な形で普及させていく方が現実的なのかもしれませんし、人身傷害保険や弁護士費用保険が普及しているように、実損填補型の保険等に関する潜在需要は我が国には十分あると言ってもよいのではと感じています。

また、財産開示制度の改正の要否はさておき、少なくとも、一定の条件を備えた債権者については、弁護士法23条に基づく照会制度ないし照会先の受け皿の強化(情報集約システムの整備)など、債務者の資産などに関する情報収集の制度をより強化していただきたいと思っています。

余談ながら、今井裁判官は私が修習生時代にお世話になった方で、数年前から韓国法の専門家として刑事法などでお名前をお聞きすることがありましたが、当時から大変勉強家の方で、今回の論文も韓国の法制や法文化などに対する造詣の深さを強く感じさせられました。

私は、平成22年に日弁連の行事(人権擁護大会)の企画で数日だけ訪韓し、韓国の廃棄物法制(不法投棄対策など)や実務に関するお話を伺うなどしたものの、恥ずかしながら「チラ見」レベルで終わってしまったということがあり、外国法に限らず、今井さんを見習って、もっと努力を積み重ねなければと恥じ入るばかりです。

 

東京電力と「放射性廃棄物」の処理に関する措置命令

産廃処理ないし原発事故絡みの廃棄物処理に関心のある方向けの投稿です。

先日から、「福島の製材会社が、放射性汚染のため、東電の賠償金を原資として木くずの廃棄処理を業者に委託したところ、その業者が滋賀県などに不法投棄したという事案」のニュースが流れています。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014040402000128.html

この点、廃棄物処理法の一般原則からは、不法投棄の実行者たる処理業者及びその関係者が撤去責任を負う(法19条の5。具体的には、投棄先の都道府県を管轄する知事等が撤去措置命令を行う)ことはもちろん、委託した排出事業者(製材業者)に、その処理業者が不法投棄を行うことについて過失がある(投棄を予測し得ただけの事情がある)場合には、その排出事業者も措置命令の対象となります(19条の6。但し、伝家の宝刀的な規定で、未だ発出例がありません)。

その上で、仮に、この事件で、製材業者ではなく(だけでなく)東電にも、処理業者が不法投棄を行うことについて過失が認められる場合(例えば、処理業者の選定などについて東電が深く関与し、かつその業者の処理対応能力について疑義を持ちうるだけの事情がある場合など)には、木くずを廃棄処理せざるを得ない原因を作り出した東電にこそ、法19条の6に基づく撤去責任を認めるべきではないかという立論が成り立つように思われます。

また、仮に、この廃棄物が「汚染対処特措法」の指定廃棄物(1㎏あたり8000ベクレル超)に該当するのであれば、廃棄物処理法ではなく同法の適用対象になるのではないか、その場合は、同法51条に基づき国(環境大臣)が東電その他に措置命令を出すのか(できるのか)など、さらなる論点が生じてきそうな気もします。

少し調べてみたところ、この件では、処理業者とは別の業者が撤去作業を実施したとのネット投稿を見かけたので(双方の関係などは不明です)、東電の責任云々の出番はなさそうですが、膨大な量の「放射性廃棄物」の発生に照らせば、今後も似たような事件が生じる可能性もあります。

私は、県境不法投棄事件をきっかけに、廃棄物処理法の措置命令について少し勉強したことがあったので、今後もこの種の問題の報道に関心をもって見守っていこうと思っています。

 

自筆遺言証書に関するリスクと相談の必要性

自筆遺言証書を作成された方の死後に、ご遺族から相続の手続のご依頼を受けることが増えています。

自筆遺言証書は、大概はご本人が弁護士等に相談せずにご自身の考えに基づいてお書きになっているようですが、中には、言葉や表現に曖昧な要素が含まれるなど、解釈の余地を残すものも見られます。

遺言書の文言が一義的に明確でなく解釈の余地を残すものである場合、遺言者の希望に沿った解釈ができればよいのですが、そうでない場合には、他の解釈に基づいて相続財産が分配されたり、時には文言の意味が不明確だとして裁判所から無効扱いされ、遺言のない状態として法定相続に基づく処理を余儀なくされる場合もあります。

公正証書ではなく、自筆証書で遺言の作成を希望されている方は、そのような事態を防ぐためにも、文案を作成された後、その文言でご希望のとおりの効果が得られるか、確認のため弁護士にご相談いただければと思っています。

遺言を希望される方に関しては、「元気なうちにまずは自筆遺言証書を作成し、ある程度、余命や健康に不安を感じるようになったら、公正証書遺言の手続を行う」というスタンスで臨まれる方もおられるようです。

弁護士は守秘義務を負っていますので、自筆証書遺言の作成後に文言の内容についてご相談いただいたり、場合によっては遺言執行者や公正証書遺言における立会証人などの形で積極的にご活用いただいても良いのではと思われます。

フランチャイズ制度の現状と課題

今月(平成26年3月)の日弁連機関誌(自由と正義)に、フランチャイズ制度の特集記事が載っていました。大雑把な内容(項立て)としては、以下のようになっています。

①フランチャイズ制度に関する基本的な視点(学者の先生の講義)

②公正取引委員会のアンケート結果やフランチャイズ内部=本部と加盟店との各種紛争(本部の事前開示情報と実際との相違、本部の経営指導義務違反、加盟店の会計に対する拘束等、中途解約等、同一加盟店の近隣出店、違約金や保証人)の紹介と立法提言(加盟事業法)

③業界団体(本部側の団体である日本フランチャイズチェーン協会)の取組(相談センター等)と本部側からの加盟店紛争(諸論点)に対する考え方

④米国(フランチャイズ制度の発祥国)・韓国(日本に匹敵する普及国)の法制度や実情等

岩手でも、大規模店舗やロードサイドなどを中心に、私をはじめ一般住民が現に消費対象として利用する店舗の多くが、地元系列を含むフランチャイズ関連の店舗になっていますが、私個人に関しては、残念ながら、フランチャイズ・ビジネスに関する紛争(本部と加盟店との紛争)に関する相談や事件依頼等を受けたことはなく、加盟店や統括支部(サブフランチャイザー)をなさっている方から、業務等に絡んで何からの相談を受けた程度です。

私の「FB友達」にも、フランチャイズ・ビジネスに携わっている方は少なからずおられますが(JC関係者など。大半は加盟店側だと思います)、この種の記事をチラ見すると、訴訟までするかどうはか別としても、何らかの形で本部側に「過去の裁判例や現在の議論などを踏まえた待遇改善」を訴えてもよいのに、そのような論点等があること自体を知らず、不遇な待遇に甘んじている人もいるのではないか?と思わないこともありません。

労働者の場合、ご自身の所属企業と闘わなければならない事情がある場合には、企業内に労働組合がなくとも、いわゆる合同労組に加盟し、その支援を受けて企業に団交要求するなどの方法があるのですが、私の知る限り、フランチャイズ・ビジネスにはそのような制度等はないと思います。

少し調べたところ、加盟店側にも「全国FC加盟店協会」という、コンビニ経営者などを中心とする団体があるようですが、HPを見る限り、岩手支部は結成されていないようです(他に、同種の団体等があるかは分かりません)。
http://www.fcajapan.gr.jp/

合同労組のような強力な制度はまだしも、一定の地域内でフランチャイズ・ビジネスをしている方々(加盟店や小規模な統括支部など)が、勉強会や親睦会など緩やかな横のつながりを作って業務等の質を向上させる営みをなさってもよいのではと思いますし、そうしたものであれば、冒頭の論文などをネタ本にした簡単な勉強会等の形で、「フランチャイズ専門」などとはお世辞にも言えない地元の弁護士も、少しは物のお役に立てるのかもしれません。

 

政党の分裂時における政治資金(献金や交付金)の分割のあり方について

平成24年7月に生じた、「小沢氏ら(生活党)が民主党を脱退した際に、同氏と共に脱退した民主党岩手県連の元幹部が、同県連名義で預金されていた県連の政治資金の大半(4500万円)を引き出したため、民主党側が元幹部に賠償請求した事件」で、先日、引出し金の大半(4000万円)を元幹部が民主党岩手県連に引き渡して終了とする和解が成立した旨の報道がありました。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/20140312-OYT8T01146.htm

この訴訟の第1審・盛岡地裁判決は、民主党側の請求を全面的に認めたのですが、ちょうど、先日に郵送された判例時報(2209号119頁)に、この判決が掲載されていました。

裁判では、元幹部の行為が、県連の役員(資金管理者)としての権限を濫用、逸脱したか否かが争点となり、元幹部側は、「引出金(政治資金)は、小沢氏(判例時報では匿名表示)を支援するため集められたお金なので、小沢氏の脱退により小沢氏側が引渡を受けるべき=権限濫用等にあたらない」と主張しました。

が、裁判所は、当該預金が民主党側に帰属し、民主党と利害が対立する生活党側に利益を図る目的で資金移動をしたのは権限濫用だとして、元幹部側の主張を一蹴しています。

判例時報の解説では、「これ(党の資金が個人ではなく政党に帰属するとの考え)が、政党の離合集合時における資金処理のルールとなるか問題もあり、立法でこの点の法整備が望まれるとの意見もある」としていますが、判決文を見る限り、元幹部=生活党側が、訴訟でこのような観点から、事実関係や法律論を掘り下げて主張をすることはなかったようです。

この件では、提訴後まもない時期に、当時の事務所HP(日記)に、下記の投稿をしたことがあります。

要するに、元幹部の引出金が、小沢氏個人の政治活動を支援することを目的として献金等されたものであれば、手続云々はともかく、献金等の趣旨に照らせば生活党側が引き継ぎたいと思うのはごもっともと言えるので、仮に、そうした事情があるのなら、団体役員の権限濫用の成否とか預金の帰属主体などといった私法上の解釈に、政党の分裂時における政治資金の清算のあり方等に関するあるべき姿(公法上の議論)をどこまで斟酌することができるかという意味での「憲法訴訟」になればと期待した投稿でした。

残念ながら、判決を読む限り、元幹部(生活党)側は、預金(政治資金)の出所等に関する具体的な主張はしなかったようですので、そのような議論がなされる前提を欠いたと見るほかないと思われます(それを明らかにすることが生活党側にとって不都合だったのか否か、野次馬的には関心がありますが、判決からは何も読み取れません)。

この問題の本質は、原資が献金であれ税金(政党助成法に基づく交付金)であれ、争いの対象となっているお金(政治資金)が、本来的には争いの当事者(民主党側も元幹部=生活党側も)のものではなく、拠出者のものであり、それが特定の目的のために拠出されたものである以上、政党の分裂にあたっては、分割等の対象となる資金の拠出目的(拠出者たる献金主や納税者の意図)も斟酌した上で、分割等の内容や当否が判断されるべきではないかということではないかと思います。

とりわけ、現在は政党助成法に基づく交付金=税金のウェイトが大きくなっているやにも聞いたことがありますので、なおのこと、一般国民の立場からすれば、この種の議論や法整備が待たれるところではないかと思います。

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(以下、平24年10月12日付・当事務所「日記」の引用)

【民主党分裂に伴う預金持ち出し騒動と代表訴訟】

民主党の分裂時に離党し新党(以下「生活党」といいます)に移籍した議員の方が、同党岩手県連の預金計4500万円を持ち出したため、民主党と生活党とが争っている事件が生じ、先日、盛岡地裁への提訴報道があったことは、多くの方がご存知かと思います。

この種の訴訟の依頼は、一般的には、当該政党の支援者や議員さんと懇意にされている方になされるのが通例なので、私のような無縁社会に生きるノンポリ無党派にはご縁のない話ではありますが、法律論としては非常に興味深い論点を含んでおり、関心を持って報道を拝見しています。

報道の範囲で推測すれば、債務不履行=善管注意義務又は忠実義務違反と不法行為責任の二本立てのように見受けられましたが、原資の性格等を巡る争いや分裂直前の民主党内部の路線争い等の事情が、預金を持ち出した議員(政党役員)の義務や違法性などの解釈にどのように影響するのか、問題となった預金に関する権利の帰属のあり方やそれに関する政党本部と県連との関係、政党内部の紛争を規律する法の不備等の事情が、この種の訴訟の帰趨にどのような形で影響するか、といった事柄が議論の対象とされてよいはずで、私法と公法(なかんずく憲法)とが交錯する高度な論点を含んでいると思います。

ただ、原告=民主党側からすれば、そのような議論を避けて形式論理で違法性等を認めて欲しいと考えていると思われ、どちらかといえば、生活党の側が、どこまで議論を深めることができるか力量を問われる気がします。

その意味では、生活党側では、刑事事件における弘中弁護士のような、政治とカネに関する深い知見を有する第一級の弁護士の方に依頼してはいかがと思わないこともありません(原告代理人である岩手の先生方にとっては、余計なお世話としか言いようがありませんが…)。

ともあれ、政争にご縁のない庶民の立場からすれば、上記のような論点について検討が深められれば、国民に資するところが大きくなるのではないかと期待しています。

ところで、私がこの「持ち出し事件」の報道に最初に接した際に思ったのは、「仮に、残留組(現・民主党岩手県連)の役員の方々が、何らかの理由で訴訟提起を躊躇し続けた場合、その対応に不満を持った一般党員の方が、それに異議を申し立て修正させる法的手段はないのだろうか。或いは、設けなくてよいのだろうか」という点でした。

少し具体的に言えば、株式会社では、一部の役員等が問題を起こして被害を受けた場合に、他の役員(会社の意思決定権者)が役員等に賠償請求をしない状態を続けていると、それに不服のある株主が、会社に代わって当該役員等に対し、会社に賠償するよう求めることができ(代表訴訟)、一般社団・財団法人法にも同様の規定が設けられています。

地方自治体の運営においても、若干変則的な形態ではありますが、これと類似する(責任追及の対象はより広い)制度が設けられています(住民訴訟)。

しかし、私の貧弱な知識の範囲では、(マイナーな法令を別とすれば)このように、「組織・集団の少数者が、あるべき権利行使を怠るリーダー(経営者・多数派)に代わって権利行使をする(させる)」制度は、他に存在しないのではないかと思われます。

例えば、現在、国政(中央官庁の活動)に対しては、住民訴訟のような国民による異議申立制度は存在しないのですが、「行政に対する国民の監視」という観点から、国政でも住民訴訟と同様の制度を設けるべきだと主張する方は少なくありません。

政党に関しても、そのような制度は存在しないと思われますが(「政党法」の制定に関し、議論されているかどうかは存じませんが)、それでよいのかという問題は、これを機会に議論が深められて良いのではと思います。

少なくとも、離党騒動直前の段階では、民主党岩手県連に関しては、より多くの離党者が生じるのではと考えた方も少なくなかったはずですし、現在も、何らかの形での再合流等の可能性が囁かれている(達増知事等が期待している?)ことなどに照らせば、数ヶ月前の時点での可能性の問題として、提訴以外の展開もあり得たように思われます。

そのような展開を辿った場合、それに不満を抱いた一般党員には何ら救済手段がなくてもよいのかという視点は、検討されてよいのではと感じます。

なかんずく、本件で問題となった4500万円を出捐した方が現役の党員で、かつ、「この金員は現・民主党の側で使用すべきもので、生活党が持ち出すのは献金の趣旨に反する」と考えているのであれば、その救済を図る制度の必要性は高いと思われます(なお、報道によれば、生活党側は「本件4500万円は、民由合併時に自由党が寄付したもので、その原資は自由党=(主に)小沢氏への政治献金だ」と主張しているようです)。

逆に、生活党による「4500万円の出捐は、小沢氏の活動を支援したいとの目的でなされたものだ」との主張が真実なのであれば、当該金員を使用すべき実質的資格があるのは自分達だと主張したくなるのは、理解できない話ではありません。

仮に、本件持ち出し事件が生じない(引き出すことができなかった)状態で離党等がなされたケースを想定すれば、当該出捐を行った元?党員や生活党に移籍した元党員の側としては、「出捐(献金?)の趣旨に反する事態が生じた以上、返還(又は生活等に引渡)すべきだ」と請求したいと思いますし、そうしたことを実現する制度の当否が議論されるべきだと思います。

こうした論点は、「比例代表で当選した議員が、離党し他党に移籍した場合の議員資格の維持の当否」といった論点(平成8年の司法試験で出題されています)と類似すると思われ、その論点に関する議論が参考になるかもしれません。

さらに言えば、仮に、持ち出しの対象になった金員の原資が、政党助成法に基づく交付金であった場合、出捐者=納税者たる国民一般(或いは同法の所管の官庁)のコントロールを及ぼさなくてよいのか、という論点も生じると思います。

もちろん、この場合、政党の自治との衝突という別の視点が生じますので、余計に議論がややこしくなると思いますが、少なくとも、「金を出す者が口を出せない」ことの当否は議論されるべきかと思います。

長々と思いついたことを書きましたが、田舎でノンポリの町弁をしていると、こうした憲法や統治機構などに関する論点を実践的に勉強する機会がなく、その点は大いに残念に思います。

日弁連の憲法委員会などでは、秘密保全法問題など国策等に反対する運動に邁進するのも結構ですが、こうした制度のあり方などについて、価値中立的な立場で議論を深める活動もしていただき、その成果を、国民に資する形で会員に還元していただきたいと思わずにはいられません。

 

商業施設等の滑りやすい場所で転倒した場合の賠償問題

みずほ銀行の支店出入口の足拭きマットが滑り転倒、負傷したとして、被害者が同行に損害賠償を求めた訴訟で、銀行の責任を認めつつ被害者に4割の過失相殺をして、約100万円弱の賠償を認めたという判決が報道されていました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140313-00000154-jij-soci

この判決を見て、盛岡地裁の判決で、「岩手県内の温泉ホテルの大浴場の階段で滑って転倒し怪我をした日帰り入浴客に対し、ホテルの賠償責任(転倒防止措置の不備)を認め、過失相殺を4割とした例」があったのを思い出しました(盛岡地判H23.3.4判タ1353-158)。

引用のニュースも、転倒事故で施設運営企業の賠償責任を認めつつ過失相殺4割ということで共通しており、商業店舗等の滑りやすい状態になっている場所で起きた転倒事故の賠償問題を考える場合に、責任の成否や過失相殺の見通しを考える上で、相場観的なものや企業側に要請される予防措置なども含め、参考になると思われます。

 

保険金請求と免責(不正請求=故意行為)の抗弁

ここ数年の判例雑誌によく取り上げられる分野の一つに、保険金の不正請求紛争があります。

これは、保険金請求に対し、保険会社が、保険金の発生事由(保険事故)が契約者・被保険者側の故意により惹き起こされたものであるとして、免責を主張し、その当否が争われた事件であり、生命保険・火災保険(建築物等の保険)・車両保険などで問題となります。

最近では、「産廃処理業者の関係者Xが、所有車両の転倒を理由に保険会社Yに750万円弱を請求したが、経営者Aの指示で運転者Bが行った故意の横転だと認定し、保険金請求を棄却した例」などがあります(神戸地裁姫路支部平成25年5月29日判決判例タイムズ1396号102頁)。

私がデータベースにまとめているものだけを見ると、車両保険に関する紛争が一番多く、保険事故の類型も、盗難・破損・水没など多岐に亘っており、火災保険に関する紛争もこれに次ぐ多さになっています。

何年も前に、交通事故で亡くなった方について、生命保険金を請求できるか(自死か過失事故か)、できるとして誰ができるか(受取人たる権利を有するのは相続放棄をした法定相続人か、それとも相続財産管理人か)が争われた事件を担当したことがあります。

ただ、私自身に関しては、それ以外に、免責事由(故意に発生させた損害かどうか)が争点となった保険金請求のご相談を受けたことはありません。

これまで収録した裁判例を見ても、大都市(東京・横浜・大阪・福岡・広島)がほとんどで、北日本を舞台とする事件を見たことがないのですが、地域性が関係しているのか否かまでは分かりません。

この種の訴訟は、原則として保険会社に立証責任があり、裏を返せば、よほど立証に自信がある場合に限って支払拒否をして判決に至ることが多いと思われ、判例雑誌に掲載されるものも、ほとんどは契約者(原告)が敗訴した例となっています。

「故意か否か」は、直接的な証拠がないことが通常であり、沢山の間接事実を総合して判断することになるため、事実認定(立証)の勉強という意味でも参考になり、この種の紛争のご相談等があれば、いずれ判例集を読み返すなどしてみたいと思っています。

 

若手弁護士の尋問風景と反省の日々

少し前にあった民事訴訟の尋問の際、相手方代理人の当方依頼者に対する反対尋問で、若干驚かされた一幕がありました。

相手方代理人が、尋問の最後に、自身の依頼者が希望する和解案を述べた上で「貴方は受け入れるか」と言い出し、当方依頼者がそれに応じられないと返答すると「どうして受け入れないのか」と糾弾し始めたのです。

尋問は、自己の主張を基礎付ける事実や、相手方の主張の信用性を疑わせる事実を当事者の言葉や態度で語って貰うための場であって、尋問を受ける者に自己(質問者)の見解への同意を求めたり、証人が述べる意見が自分の意にそぐわない場合に自分の見解を前提にして証人の意見そのものを頭ごなしに糾弾することを認めるような場ではありません。

ですので、事案解明の性質上、やむを得ない場合を除き、証人に対立意見をぶつけるだけの尋問は異議の対象となり、裁判官に制止されます。当事者の主張が事実に反するとか不当だと考える場合には、その主張を支える事実の信用性を疑わせる事実関係を質問して認めさせるべきというのが、反対尋問のあるべき姿です。

そうした理由から、私自身は、反対尋問では、敵対証人(相手方本人)を厳しい口調で糾弾するのではなく、ニコニコと紳士的な態度で質問しながら、ご自分に都合の悪い(争点に関する自己の主張の信用性を自ら否定する)事実だけははっきりと述べて(認めて)いただく(或いは、都合の悪い質問に対する見苦しい悪あがきを裁判官に見ていただく)、というのが理想的な形だと思っています(だからこそ、質問そのものの質が問われるわけですが)。

ともあれ、私は、これまでの経験から、筋の悪い尋問に対しては、代理人が異議を連発するよりも裁判官の指揮に委ねた方が賢明と考えており、あまり異議を述べる方ではないのですが、さすがに今回は酷いと思って上記の糾弾を始めた時点で異議を述べ、裁判官もそんな尋問は駄目だと相手方代理人を制止しました。

結局、その事件は和解はせず判決を受ける方向で事前に協議していたこともあり、先方の要求には応じるつもりがないことだけは依頼者の口から語っていただき、それ以上の尋問はご容赦願いました。

もちろん、このようなやりとりは、尋問としては何の意義も見出せません(相手方代理人は、自分の提案を当方依頼者が承諾しないこと自体から、裁判官の当方への心証が悪くなるとでも考えたのでしょうか?)。

もともと、異議の対象となる尋問は、それ自体が、裁判官の心証を悪くするだけの逆効果にしかならないものであることが多く、そのような面も見越して敢えて異議を出さずに様子見とすることもありますし、さほど見かけるわけでもありません。

一般的に、尋問で異議をしなければならない(用心をすべき)のは、タチの悪い相手方代理人が、誤導尋問(誤った事実等を前提に証人を混乱・勘違いさせ、証人自身にとって本意ではない言葉を言わせようする、アンフェアな尋問)をする場合で、海千山千のベテラン弁護士の中には、そのような意地悪をする人もいるため、相手方代理人がそうした方のときは、割と注意するようにはしています。

ただ、今回は私よりもかなり若い(経験年数の少ない)代理人で、これまで若い代理人が相対したときには、尋問のルールは概ね遵守する人が多かった上、尋問の内容自体がある意味、あまりにも大胆な破り方という面もあって、いささか呆気にとられ、迅速に異議を出し損ねてしまいました。

その場では、あまり相手方代理人を責めずに穏当(気弱?)な対応で済ませてしまったのですが、後で考えたら、相手方代理人が尋問に名を借りて、当方依頼者に事件の決着方法そのものについて見解を問うたり意見を求めたりするのは、私(当方依頼者の代理人たる弁護士)を介さずに当事者本人と交渉しようとするもので、弁護士職務基本規程52条違反なのではないか?と思わざるを得ません(しかも、それを代理人の面前で行おうとするのですから、呆気にとられてしまう面があります)。

ですので、「和解案に応じないのか」という質問の時点で、「貴方がやろうとしていることは、尋問として不相当なばかりか懲戒請求ものだ、そのことを分かって質問しているのか」と相手方代理人に抗議して、質問自体を止めさせるべきだったと反省せざるを得ないというのが正直なところです(まあ、今回は結論がはっきりしていたからという面が大きかったのですが)。

また、少し前に携わった別の事件でも、別の若い代理人が、支払能力が問題となっている関係当事者(私の依頼者ではない方)に対し、「貴方は支払うと言っているが、どうやって支払うのか、支払原資(送金主)や調達時期を具体的に答えよ」と執拗に尋問するのを目にしたことがありました。

その事件では、事案の性質上、そのような尋問が出てくるのもやむを得ないと思いつつも、事件の争点に関する事実を尋ねる質問ではなく、そうした質問は財産開示手続ですべきもので、私のように尋問のルールに従順でありたいと思う小心者には躊躇されるなぁと感じるところがありました(反面、その件は、その方に支払能力があれば一挙に解決するため、判決を待たずに財産開示を簡易に求める制度があれば、私も気兼ねなく上記のような追及ができるのにとは思いましたが)。

以前は、変な尋問をするのはベテランの一部という思い込みがあったのですが、司法改革云々の影響か否はさておき、若い弁護士の尋問にも、およそ予想もしていない形態の、異議の対象とすべき尋問が飛び出してくる可能性があるということで、気をつけなければと思った次第です。

私は尋問に苦手意識が強く、今も尋問のたびに反省するような日々ですが、尋問の力が伸びないと書面作成の力も伸びず、一方だけで法律家として大成することはあり得ませんので、老若関係なく、他の弁護士の尋問も教師又は反面教師にしながら、今後も地道に研鑽を続けたいと思います。

 

同じ人物を取り上げた書籍で類似表現が使われた場合の著作権侵害の有無が問われた例

ノンフィクション文学作品に関する創作性の有無が争われた例(知財高判H22.7.14判タ1395-323)について、少し勉強しました。

X作品の著者であるXが、Y作品に対し、X作品の模倣・複製による著作権侵害を主張し、YがX作品に創作性がなく著作物でないと反論し、その当否が争われたというものです。

概要は以下のとおり。

当時、神奈川県知事であったXが「破天荒力」というノンフィクション作品(箱根富士屋ホテルの創業家などを取り上げた作品)を執筆して発表したところ、同じ人物を取り上げていた「箱根富士屋ホテル物語」という作品の著者Yが、Y作品に対する著作権侵害を主張するようになった。

そのため、XがYに差止請求権不存在確認請求訴訟を提起したところ、YがXに対し、X作品の差止や損害賠償請求の反訴を提起(本訴は取下)。

1審は、X作品のうち一箇所(「Aが結婚したのは最初から妻でなくホテルだったかもしれない」と書かれた部分)について、Y作品の複製権等に対する侵害を認め、Xに対し、Yに12万円の賠償と当該部分の削除を印刷等の条件する趣旨の判決をした。双方とも控訴。

二審判決(知財高裁)は、一審取消、Y請求を棄却(Y全部敗訴)。

判決は、問題となった上記の部分(比喩的表現)が、それ自体慣用的でありふれたものであり、元になった当事者に関する実際の事実の経過から、執筆者が上記の感想を抱くことはごく自然なもので、表現それ自体でない部分又はせいぜい表現上の創作性のない部分において同一性を有するに過ぎず、著作権法上の複製権等の侵害にあたらないとした。

ノンフィクション作品に関する著作権侵害の是非(対象作品に関する創作性=著作物性の有無)が問われた例としては、平成13年に最高裁判決(江差追分事件。ノンフィクション書籍(X作品)の記述をテレビ番組のナレーションが「翻案」したか否かが争われた例)があるとのことで、本件でも同判決の基準をもとに創作性の当否を判断しています。

解説では、言語の表現物の著作物性が問題となった事案に関する前例などを多数紹介しており、その種の紛争では参考になりそうです。

 

聴覚障害の偽装やその公表などが問題となった例

先日から「聴覚障害を乗り越えた奇跡の作曲家」として脚光を浴びた人物に関し、自分が作曲したのではないことに加え、聴覚障害すらも偽装ではないかというニュースが盛んに取り上げられています。

私自身は、この方は今回のニュースで初めて知ったのですが、時代劇と歴史マンガで育った身には、どうしても「かわちのかみ」と言いたくなると思ってネットで検索したところ、同じことを考える人が沢山いるのだと知って、安心したところです。

私の上の世代の方なら、キセル乗車をする人のことを「薩摩守」と呼ぶ俗語があるのをご存知だと思いますが、今回の件で、ゴーストライターに代作をさせて自分が名声を得ようとしたり、障害を装ったりする(本件では争いがあるようですが)人のことを、世間が「河内守(かわちのかみ)」と称する日も来るのかもしれません(「やがては忘れて貰う権利」の観点からは好ましくありませんが)。

ところで、私は「判例地方自治」という判例雑誌を購読しているのですが、ちょうど最新号で、聴覚障害を偽装した人に関して問題となった裁判例が取り上げられていました。

具体的には、北海道滝上町の町長らが「元町議Xが、聴覚障害を偽装(虚偽診断書)して障害年金を詐取した可能性がある」と公表したため、Xが町に対し、個人情報漏洩や名誉毀損等を理由に賠償請求したものの、公表事実の公益性や真実性等を理由に請求が棄却された例」です(旭川地判H24.6.12)。

ゴーストライター云々はともかく、障害を詐称し年金を詐取したという話は、数年に1回程度は全国ニュース(巨額詐欺の逮捕事件)に出てくると思われ、それなりに暗数が多い話ではないかと思われます。

私自身は、幼少時から左耳の聴力がほぼ皆無で、右耳だけで会話をしており、日常生活にさほどの支障はないものの、宴会などで左側に座った方との会話や会議等で左方向の方の発言を聞き取る際には、それなりに苦労したりご面倒をお掛けしたりしています。

弁護士としても、障害を負った方のために何らかの支援ができればと思いつつ、さしたることもできない状態が続いていますが、それはさておき、障害を偽装して利益を得るなどという人が現れると、障害を負っている人が一番迷惑をしますので、「河内守」氏がそのような事案なのであれば、再発防止のための工夫を考えていただきたいと思っています。

ところで、引用した裁判例は、町議会議員が町長等から名誉毀損等をされたとして賠償を求める訴訟ですが、東京のイソ弁時代にこれと同じような事件に接したことがあります。

具体的には、関東のある自治体で「A議員が町役場で問題行動を起こした」と役場(町長)側が公表したため、A氏が町を相手に訴訟を起こしたという事件で、私の勤務先事務所がA氏の代理人を務めており、私は兄弁の付き人程度の関与に止まりましたが、背景に談合疑惑や党派対立などもあって、なかなか噛みごたえのある事件でした。

よくよく考えると、私が名誉毀損に基づく賠償請求訴訟に従事したのはあのときだけで、岩手の報道や盛岡地裁の開廷表などを見ても、岩手で名誉毀損訴訟が行われているという話もほとんど聞いたことがありません(ちょっとした相談なら受けたことがありますが、有責事案でも裁判所は滅多に高額賠償を認めないため、費用対効果の壁が大きいという面があります)。

最近は減りましたが、4、5年前には名誉毀損関係の裁判例は、判例雑誌に非常に多く載っており、医療過誤や建築、知財などと並んで、多く掲載されている類型でした。

これまでは、マスメディア等が集中する東京に限定される傾向があったでしょうが、ネット時代等の影響で、facebookなどを含め、地方在住の方が名誉毀損等に関する紛争当事者になりやすくなったでしょうから、出番に備えて一定の研鑽は忘れないようにしておきたいと思っています。