北奥法律事務所

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個別の法的問題等

企業施設の重大事故における賠償不払リスクの実情と解決策(前編・託児所の塩中毒死事件)

平成27年に盛岡市内の認可外保育施設で起きた「飲料に混入させた塩分の過剰投与に起因するとみられる幼児の死亡事件」は、現在、盛岡地裁の法廷で民事・刑事の双方が審理されています。

刑事事件については、加害者本人(施設責任者)が過失を認めたことから、盛岡地検は略式請求したのですが、被害者の強い意向を踏まえて盛岡簡裁が正式裁判を決定したとの報道があり、全国ニュースで大きく取り上げられた電通の自死事件に類する面があります。

その上で、遺族は「過失ではない、故意だ」と強く主張し、刑事事件の結果を待たずに民事訴訟を起こしたとのことであり、先般、第1回口頭弁論期日の記事が県内で一斉に取り上げられていました。
https://www.iwate-np.co.jp/article/2018/6/1/15487

この記事ですが、岩手日報の紙面では、Webでの表示内容に続けて「被告は弁護士に依頼してない=本人訴訟」と書いてありました。私に限らず、これを読んだ業界人は全員、「この人は無保険なんだ=被害者は回収不能の重大なリスクを負っているのでは」と嘆息したのではないかと思います。

ちなみに、加害者(施設側)が、託児施設内の事故を対象とする賠償責任保険に加入しているのであれば、交通事故一般と同じく、事故直後から損保会社が対応し、訴訟等になれば損保社の費用負担で指定弁護士(特約店のようなもの)が選任され、賠償額も当然ながら損保社から支払われます。

言い換えれば、本人訴訟と書いてある時点で無保険であることが確定したも同然で、しかも、弁護士に依頼していないこと自体、本人の無資力を強く推認させます。

ちなみに、幼児の死亡事故の性質上、賠償義務額は通例で億単位(最低でも5000万円以上)になるはずです。

その上、本件では被害者の方は東京の弁護士さん達に依頼されており、裁判が長期化すれば交通費(と日当)のため、地元の弁護士に依頼するよりさらに数十万円の負担を要することになるはずです。

どのようなご事情かは存じませんが、代表の先生は業界でも相応に著名な方なので、回収可能事案かつ賠償額に争いの余地が大きい事案なら相応の経費を負担してでも第一人者に頼みたい、というのはごく自然なことですが、加害者本人に支払能力がない場合は、さらにお気の毒な事態になりかねません。

私自身はこの事件に何の関わりもなく(当事者双方から相談等を受けたことはありません)、事件報道を最初に目にしたときは「託児施設なんだから施設賠償責任保険くらいは入っているだろう、死亡事故は大変気の毒だが、適正な賠償金の支払がなされるのなら、せめてもの救い」と思っていたのですが、その意味では大変残念な展開になっていると言えます。

もちろん、こうした話は本件に限った事柄ではなく昔から山ほど存在しており、私も残念なご相談を受けたことは山ほどあります。だからこそ、託児施設であれ自動車等であれ、高額な賠償責任を生じる可能性のある仕事等に携わる者には、任意保険の加入を義務化(免許要件)とすべきだというのが、私の昔からの持論です(被害者側の弁護士費用保険の整備も含め)。

私も「名ばかり理事」となっている弁政連岩手支部では、今年になって地元選出の国会議員さんと懇談しようということになり、先日は高橋比奈子議員との懇談会があり、6月には階猛議員との懇談会が予定されています。

私自身は、上記のような「実務で現に発生しているあまりにも不合理な問題とその解決策」を議員さんに陳情すべきではと思っているのですが、キャラの問題か過去のいきさつの問題(会内では「会務をサボるろくでなし」認定されているようです)か、残念ながら内部での意思決定権が与えられておらず自分の会費分の弁当食うだけの穀潰し傍聴人状態が続いています。

内部では「日弁連(のお偉いさん)が取り組んでいる問題を(議員の関心の有無にかかわらず?)宣伝すべき」というのがコンセプトとなっているようで、お偉いさん(や議員さん、世論など)の関心が及ばない限り、今後も残念な構造は放置され、気の毒な事態が繰り返されることになるのかもしれません。

もちろん本件の詳細は存じませんので、何らかの形で適正な賠償責任が果たされることを強く願っています。

私も、かつて県内で発生した保育事故の賠償請求のご依頼を受けたことがあり、本件のような甚大過ぎる被害ではなく、加害者が大企業で支払能力もあったため、適正の範囲内での賠償がなされたとの記憶ですが、ご両親の沈痛な面持ちは今も覚えています。

(H30.9追記)

14日に塩中毒事件で「検察は罰金求刑したが、裁判所は執行猶予付き禁固刑とした」との報道がなされていました。
https://www.nhk.or.jp/lnews/morioka/20180914/6040002031.html

私は、上記のとおり「民事訴訟で本人が弁護士に依頼せず自ら対応しているので、無保険(回収困難)事案ではないか」と考えたのですが、もしそうであれば、これだけ重い結果が生じている事案で、どうして検察庁が罰金求刑にしたのか、不思議に思います。

保険対応で適正賠償額が支払確実な事案であれば、加害者に相応に汲むべき事情があることを前提に、略式請求(罰金)とするのは理解できますし、これに対し、「被害者に過失のない死亡事故を起こして無保険で賠償できないなら正式裁判+実刑」というのが交通事故の通例のはずです。

「検察が略式請求としたが、裁判所が正式裁判とした事案」といえば、電通の過労死事件が思い浮かびますが、その事件の展開がどうであるにせよ、電通に民事訴訟(安全配慮義務違反に基づく賠償請求訴訟)における賠償資力が無いはずはなく、だからこそ、略式請求がなされたという展開は「昔ながら」という意味では了解できる面があります。

それだけに、この事案では「無保険事案らしき光景が見え隠れするのに、検察が罰金求刑に止まっている」ことに、非常に違和感を抱くのですが(被告人に罪責を問いにくい相応の事情があったのでしょうか)、この点について内情などをご存知の方がおられれば、こっそり教えていただければ有り難いです。

もちろん、実は責任保険が対応する事案だった、というのであれば、それに越したことはないのですが、そうであれば、どうして保険会社が介入せずに本人が訴訟対応しているのか、全く不可解です。

任意団体(権利能力なき社団)が自治体から借りて管理する緑地で生じた事故における法律問題~盛岡北RC卓話から~

私が所属する盛岡北ロータリークラブでは、各会員が年1回、20分ほどの卓話(スピーチ)を担当することとなっており、先日がその担当日でした。

ちょうど、その少し前の役員会で、当クラブが盛岡市から土地を借りて植樹し管理している「どんぐりの森」について話題になったため、万が一のリスクもありますよ、と余計なこと?を言ってみたくなり、以下のとおり「どんぐりの森で大事故が発生した場合のクラブや関係者の賠償責任如何」という設問を作成して、簡単ながら解説しました。

奥入瀬渓流国賠訴訟判決のアレンジという面もありますが、権利能力なき社団たる任意団体で賠償問題が生じた場合に広くあてはまる法的論点について取り上げた面もあり、それなりに参照価値があるかもしれません。

盛岡西北クラブの某大物ロータリアンの方に倣って「似たような話を皆さんのクラブの事業バージョンで聞いてみたい方は、卓話に呼んで下さい」と宣伝してみたい気もしないこともありませんが、「そんな縁起でもない話はイヤだ」とお叱りをうけるのが関の山かもしれません。

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盛岡北RC(以下「当クラブ」という。)が管理している「どんぐりの森」で、次の事態が生じた場合に、被害者は当クラブやその関係者(役員や一般会員など)或いは盛岡市などに賠償請求をはじめとする法的責任を追及したいと考えている。誰がどのような責任を負うか、説明しなさい。

(1) 近所の高校生Aが、当クラブに断りなく敷地内でバーベキューを始めたところ、Aの火の不始末により森が燃え上がり隣接するBの自宅に延焼して全焼し、逃げ遅れたBが死亡した。そのため遺族Cが賠償請求を希望している。

(2) 近所の小学生Dが、当クラブに断りなく「森」を散策中、植栽されていた木(遊歩道状に設置された通路に面するもの)が突如、倒れてDに衝突し、Dは脳挫傷など重大な傷害を負い、治療の終了後(症状固定後)も常時介護を要する全身麻痺(自賠責保険における後遺障害1級相当)などの障害が残存した。

事故後の調査でその立木の根本が遅くとも半年以上前から腐っており、強風や地震など一定の外力が加わるなどすれば倒木のおそれがあったことが判明したが、そのことを調査、指摘するという作業は当クラブ内ではなされていなかった。

(3) 当クラブが「森」の入口に設置している看板が、「100年に一度の大型台風」と報道された異常な強風のため杭から外れて近所のE社の事務所に衝突し、E社の建物を損壊したほか、相当の期間、E社の営業を困難にさせる被害を生じさせた。被害発生後の調査では、特に杭の腐食などの問題は確認されなかった。

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(レジュメの項目)

第1 ロータリークラブが管理する施設で賠償問題が生じた場合の法的主体(誰が義務を負うか)について
 1 ロータリークラブという団体の法的性格と賠償問題が生じた場合の権利義務の主体
 (1) 団体の法的性格
 (2) 団体の債務に関する構成員個人の責任
 (3) 団体の責任者、問題を起こした担当者などの賠償責任
 2 民事上の賠償以外の法的責任(刑事責任)

第2 小問(1) 失火と延焼に関する賠償問題
 1 A及びその親権者のB・Cに対する賠償責任
 2 当クラブのB・Cに対する賠償責任
 3 当クラブの会員個人(会長、担当委員長、一般会員など)のB・Cへの賠償責任
 4 盛岡市のB・Cに対する賠償責任
 5 B・Cの損害について

第3 小問(2) 施設内の立木に起因する被害に関する賠償問題
 1 当クラブのD(及び親権者)に対する賠償責任
 2 会員個人の責任、盛岡市の責任
 3 Dらの損害

第4 小問(3) 施設内の設備に起因する被害に関する賠償問題

第5 まとめ(予防策とおまけ)

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事故で賠償問題が生じた場合の対策ですので、当然ながら損害保険(賠償責任保険)への加入が望ましいという「まとめ」になるため、我ながら損保会社の回し者じゃないかなどと思ってしまいます。

反面、それならそれで、いっそ損保各社におかれては「我が社の保険商品の販売促進のため、その商品の出番になるような事例を作ってミニ講義をして欲しい」とのご依頼があれば、大歓迎という気持ちもないわけではありません。

が、よくよく考えると多くの会社さんが「交通事故などの賠償請求の相手方(当方が被害者代理人)」になっているため、残念ながら利益相反のため断念、という感じになってしまいそうです。

加除式書籍の追録執筆は続くよどこまでも

平成18年に、新日本法規出版社から日弁連廃棄物部会(のメインの先生)に「廃棄物処理法の各条文に関する網羅的解説を掲載した加除式書籍を出版したい」とのお話があり、平成15年に加入した私も執筆陣に加えていただき、措置命令の条文などの解説を担当したことがあります。
http://www.sn-hoki.co.jp/shop/product/book/detail_0572_8_0.html?hb=1

加除式書籍は改訂が必要になれば追録を作成しなければならないのですが、廃棄物処理法の性質上、法改正などが頻繁にあり、私が担当した箇所も、2年に1回くらいの頻度で作業の指示がなされています。

で、昨年12月に平成29年改正の追録の要請があり、年末が提出期限だったのですが、今年の年末年始は本業等に加えて私事で厄介事が勃発したこともあり、正月明けになってようやく、一晩で仕上げて提出しました。

今回の追録は重要な新設条文がある一方、それに対する解説書の類は手元に何もありませんので、開き直って、ネットであれこれ調べて大胆な仮説?を交えつつ、無理矢理仕上げたというのが正直なところです。

代表の先生方と出版社との協定で、最初に気持ち程度の報酬を頂戴したあとは、追録の原稿料は一切無しという日々を送らせていただいておりますが、そんなことにもめげずに、本年最初の一首。

新年の最初の徹夜はタダ仕事 今年の計も推して知るべし

と愚痴半分の戯言をFBにも投稿したところ、日弁連の医療観察法の解説書籍などを刊行されているO先生から「委員会活動で執筆したものは、印税=原稿料も含めて全て日弁連の収入になり、執筆者には(実費支給を別とすれば)一円も来ないので、最初の原稿料が入るだけ恵まれているよ」とのコメントをいただきました。

そのようにせざるを得ない合理的な事情(活動費や大勢の合宿など実費類が多いとか、出版元の経費リスクなど)があるのでしょうが、それだけ伺うと、日弁連から「中村修二教授もびっくりのブラック弁連」に改称した方がよいのではというか、いつか裁判する人が出てくるかもなどと、余計なことを考えてしまいます。

まあ、我々の書籍もそうですが、法律書籍の出版は自身の勉強を兼ねてという色合いが非常に強く、研鑽と発表の機会が与えられただけで感謝すべきというほかないという感じはあります。

追録の作業も直近の重要な改正を否応なくフォローできるというメリットは大きく、そうした意味では有り難いお話なのですが、困ったことに私自身が住民・業者・行政いずれの立場でも、未だに本格的な廃棄物紛争の訴訟等を受任したことがなく、せっかく勉強したことを仕事で活かす機会に恵まれていません(自宅建設用に購入した土地から廃棄物の不法埋設が発覚し関係者に責任追及した事案があり、その際は相応に役立ちましたが・・)。

まあ、東京から遠く離れた岩手で「何でも屋のしがない田舎の町弁」として仕事しているせいか、それとも岩手は廃棄物を巡る民事紛争などがほとんどない恵まれた土地柄だからなのか?、その辺は分かりませんが、まだ勉強が足りないから「そうした仕事」にも巡り会わない(選ばれない)のかもしれないと謙虚に受け止め、今後も廃棄物部会の活動を含めて精進していければと思います。

見ず知らずの遠方の弁護士に仕事を頼むリスクと専門性を謳う広告だけによる弁護士選びの怖さ

先般「岩手県内の交通事故の被害で東京のA弁護士に依頼しているが、加害者側損保の言いなりとしか思えないような納得できない対応を受けている」と仰る方の相談を受けました。

要するに、特定の損害の支払を損保側に全面拒否されており、受任弁護士がそれに応じて欲しいという話をしてきたが、それが正しいとは思えないので、私にセカンドオピニオンを聞きたいというものでした。

で、その件では特殊な事情が生じているものの、全面拒否は絶対におかしい、このような考え方をすれば、当方の希望額の全額となるかはともかく、相応の額が認められるべきではないか(それが実務一般の考え方に沿うと思われる)と説明しました。

相談者の方は、A弁護士がインターネットでは「交通事故が専門だ」と標榜していた(検索で上位に出てきた)ので頼むことにした(が、その論点に限らず、残念な対応があった)という趣旨のことを述べていました。

少し調べたところ、確かにそのような標榜をしているものの、かなり若い弁護士さんで、Webで確認できる経歴その他に照らしても、その御仁が業界人としての優位性を喧伝するほどの内実が伴っているのか疑問を感じざるを得ない面もありました。

以前にも、似たような話でブログ記事を書いたことがあり、詳細は書けませんが、色々な意味で今回はこの記事に近い話ではないかと感じると共に、我が業界は病院など他業界と比べても、情報開示・品質保証機能をはじめ色々な意味で制度も利用者の認識なども熟度が低く、ミスマッチや消費者被害的な光景が生じているのではないかと残念に感じました。

まあ、私自身が逆の立場であれこれ言われることのないよう努めるほかありませんが・・

最近、東京など遠方の弁護士に電話と郵便のやりとりのみで事件依頼をする方が珍しくないようですが、残念な展開に至ったという話を聞くこともありますし、容易に会いに行けない遠方の弁護士に依頼しなければならない事件は滅多にあるものではありません。

現状では、途中から代理人たる弁護士の仕事に不満を感じるようになったとしても、相当に業務が進行した時点で解任等を求めるのは様々なリスクがあることは確かです。

それだけに、誰に頼むにせよ、最低でも1回は面談して互いの人となりを把握したり、ご自身が特にこだわっている点をきちんと伝えて見通しの説明を受けたり、多少とも不安に感じる(しっくりこない)点があれば、何人かに面談して最も信頼できる(相性も合う)と感じた弁護士に依頼するなど、最初の段階から適切な工夫を考えていただきたいところです。

また、Webサイトやチラシなどで専門性(他の弁護士と比べた優位性)を謳う宣伝があれば、本当に、ご自身を担当する弁護士がその内実を伴っているのか、サイトの内容は言うに及ばず、最初の面談時などに色々と質問をするなどして、きちんと確認することが望ましいと思います。

ケージ監禁死事件と「里ジジババ」が子供達を救う日

私は購読中の判例雑誌に掲載された判例等の要旨を法令ごとに分類しエクセルに入力する作業を10年近く続けているのですが、判例タイムズにこの事件(幼児をペット用ケージに閉じ込めて死亡させた監禁致死等で起訴)の判決が載っているのを見つけました
http://www.sankei.com/affairs/news/160225/afr1602250029-n1.html

要旨ですが、両親A1とA2が次男Vを疎んじて外出時等にラビットケージに閉じ込めるなどしていたところ、Vが夜間に叫んだためA1がVにタオルを咥えさせて両端を後頭部で結び窒息死させ、荒川(or富士樹海。発見できず)に遺棄した監禁致死・死体遺棄で起訴された事案であり、AらはVの死亡を装って保険金・生活保護費を詐取したとして、懲役2年が確定済みとなっています。

Aらは監禁と死亡との因果関係や共謀を争いましたが(監禁とタオル結束を分け、A1は監禁+傷害致死、A2は監禁のみと主張)、裁判所はケージへの監禁とタオル結束が相まってVが死亡したと認定し、結束行為はAらの共謀による監禁の一環と評価して両名とも監禁致死が成立するとし、A1を懲役9年・A2を同4年としています(殺害行為の関与の有無などで差が出たもの)。

このような「親(保護者)の資質や生活環境に照らし子の養育などを健全に行うのが難しいと予測される家庭」については親権剥奪(子の保護)などの強制的な措置がありますが、当然ながら滅多に行われるものではなく、結局、悲劇の未然防止としても十分に機能しているとは言いがたい面はあるかと思います。

そこで、日常的な方策として、地域の行政機関の委託により地域の良識ある第三者に対し、当該家庭(幼児等を養育している家庭)に一定の関わりを持たせる制度・慣行(平時はカウンセリング等の支援、緊急時には監視や通報など)を構築してもよいのではと思っていますが、そのような議論が盛り上がらないことを残念に感じています。

この件では加害両親は被害児に生活上の問題行動(奇行)があったと主張しており、量刑上の考慮はともかく、彼らには対処できないような発達障害があったのかもしれませんので、そうした点でも「親だけで育てることができない子を地域が健全な態様で引き取る」仕組みが必要だと思います。

このような極端な事例ではないにせよ、日々、残念な相談を多く受けているしながい田舎の町弁の一人として、かつては多少は存在したはずなのに今はほとんど見かけない地域の共助(弱者保護等を目的とするソフトな相互扶助と相互監視)の再構築が、社会の喫緊の課題の一つではないかと感じています。

近時、児童虐待の対策として、里親制度の構築が取り上げられているようですが、里親(第三者)のもとで生活させる=実親の養育を全面否定せざるを得ないのは極めて例外的な場合でしょうから、そうした極端な例だけでなく、実親が様々なハンディを負っている場合に地域内に良質な里ジジ・里ババ・里オジ・里オバが登場して色々とフォローできるような仕組み・慣行があればと思います。

本件や大阪の2児放置餓死事件に限らず、「自分達だけでは子を育てる力がない残念な環境・境遇或いは能力・資質のもとにある親たち」は多く存在するでしょうから、子供達がそうした親などの犠牲にならないよう、公的な介入や第三者の関与・支援の機会を拡大することが急務ではと強く感じます。

交通事故の不正被害者?の油断が裁かれる光景

Y運転の自動車に接触して負傷したXが、左膝打撲・左足捻挫等の傷害で病院や整骨院に半年ほど通院し、Yに慰謝料等として143万円強を請求しました。と、そこまでは、交通事故の実務ではごくありふれた話です。

ところが、その事件では、裁判所は「Xは2週間程度で完治した=その後も通院を続けてYに治療費等を支払わせたのは被害者の誠実申告義務(信義則上の義務)違反だ」と判断し、Xの請求は8万円強しか認めなかったばかりか、「2週間以後にY側でXのため支払った治療費等の合計70万円強を返せ(Yに賠償せよ)」と命じました(広島地判H29.2.28判タ1439-185)。

賠償実務に携わる者からすれば驚愕の判決ですが、裁判所は証拠をもとに、Xが、事故翌日や半月後、3ヶ月後などに自身が所属する草野球チームの投手兼打者として出場し、セーフティバントでダッシュし出塁する等の活躍をしたり3月後もランニングをしていることなどを認定したことを主要な根拠としており、それらの事実からは首肯できる話です。

で、昔であれば、Yが探偵に高額な費用を払って素行調査でもしたのか?ということになりそうですが、判決をよく読むと、今どきやっぱりというか、ご本人がfacebookで、ご活躍ぶりを自ら投稿なさっていたようです。

さすがに、私の「友達」の方のFB投稿に関して、そうした光景を拝見したことはありませんが、投稿にせよ行動にせよ、様々な立場の方が見ているという視点は大切にしていただければと思います。

まあ「投稿で墓穴を掘らないか心配な方は、弁護士と顧問契約してチェックしてもらって下さい」などと余計なことを書いても、「お前自身の投稿は大丈夫なのか」と言われてしまいそうですが・・

AKB商法の拡大生産者責任

AKB48のCDを「総選挙の投票券」目当てに大量購入した関係者が、CDを持て余して山中に数百枚も不法投棄して摘発されたという事件が報道されていました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20171017-OYT1T50037.html?from=ytop_main5

こうしたCDの大量廃棄やそのなれの果てとしての不法投棄は、AKB商法なるものが脚光を浴びるようになった頃から予測・危惧されていた事件ではないかと思いますが、環境法学では世界的な共通認識として、昔から「物を生産し流通させる者は、社会内で廃棄等による過剰・不当な負担・負荷が生じないよう適切な対処をとるべき義務(拡大生産者責任)」があるとされています。

残念ながら、我国の廃棄物処理法制では、それを具現化する規定が未整備なので「ボロ儲けした音楽業界の連中に廃棄費用を負担させるべき」と当然に言えるわけではありませんが、本来の用途(音楽鑑賞)を逸脱した大量購入・大量廃棄を必然的に招く商法に対しては、不法投棄の対処費用の負担だけでなく過剰販売そのものを禁圧する制度が必要ではと思っています。

日弁連廃棄物部会では、製品の無償引取(によるリサイクル)義務を製造者に課すよう求めており、販売禁止が無理なら速やかにその種の制度を導入して、メーカーにまとめて引き取っていただきたいものです。

また、AKBのCDに関しては、販売時にリサイクル料金を上乗せして購入者に支払わせるくらいの措置が必要ではと思わないでもありません。

投票券自体の販売はどうこう言うつもりはありませんが、そうした販売方法の規制についてメディアなどで提唱する方を拝見したことがないのは残念です。

少なくとも、処理施設での焼却であれ不法投棄の原状回復費用の貸倒(実行者からの回収不能)であれ、それらは税金の負担になるわけですから、環境面の負荷も含め、そうした事態を招来する行為は「華々しくもなんともない醜い営みだ」と抗議する声を上げていただきたいと思わざるを得ません。

日弁連廃棄物部会も、原発汚染廃棄物ばかりに取り組むのでなく、こうした点でも世間の目を引くような提言とかしてもよいのではと思ったりもしますが、万年実質ヒラ部会員の身には、望むべくもありません。

しぼむ希望と無党派層の自暴自棄

総選挙前に唐突に発足した「希望の党」は、小池代表の描く新たな政治勢力のビジョンが固まっていないせいか、人材不足のためか、はたまた排除云々のやりとりが顰蹙を買ったからか分かりませんが、ともかく失速する一方で、「政治権力の担い手が流動化することで社会が活性化すること」を期待しているノンポリ無党派層としては、残念に感じています。

先日、「ドクターX」の第1回をチラ見しましたが、せっかくご自身がネタにされているのですから、小池氏も「(大連立は)ございません」ではなく「いたしません」と仰っていただいた方が、世間ウケしたのではなどと、下らないことばかり考えてしまいます。
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2017/news2/20171013-OYT1T50113.html?from=ytop_main2

報道をチラ見する限りでは、無党派層の心を揺さぶるようなメッセージが近時はあまり伝わってこないので、パロディくらいしか楽しみがない、という感覚になっているのかもしれませんが。

小沢代表(民主党)が福田首相と大連立構想を目指した際「党内の若手連中に与党内で雑巾掛けの苦労をさせ経験を積ませるため」と仰っていましたが、その後の展開を考えると実現しても良かったのではとも思っており、今回も、9条改憲のような展開ではなく永田町の流動化(ぶっ壊す)に繋がるような形になるのであれば、総選挙後に自希連立という展開もあってよいのではと思わないでもありません。

その頃にはメディアで「そんなの自暴自希だ」と悪口を言い出す人が生じるのかもしれませんが、それ以前に、総選挙前と同様の自民大勝が予測されると共に、自民独占の構図を作ってまで実現しなければならない政治課題が現在の社会に生じているのか疑問もあり、このままではノンポリ無党派層には自暴自棄的な投票行動しかできそうにないように思われ、残念に感じてしまいます。

ちなみに、私は改憲を否定する立場ではありませんが、もし行うのであれば、これまでも何度かブログで書いたとおり、現行憲法が取りこぼしている価値などについて広範な社会的議論を行い、「新しい国づくり」をする気概が社会にみなぎった状態でなされるべきではと考えており、少なくとも現在、安倍首相が提唱しているような「9条に自衛隊を明記するだけの改憲」には反対です

「自衛権」の明記自体には特に抵抗感はありませんが(「隊」は国家行政機構の一部門でしょうから明記は不要ないし不適切だと思います)、現時点では必要性を感じていませんし、どうしても行うのであれば、統治機構など(主に立法・行政部門)の再検討を含む他の大きな改正とセットにして行うべきで、自衛隊だけをクローズアップさせるような改正の仕方は、あたかも「冷戦激化に伴うGHQの方向転換と逆コース」の一環として警察予備隊の創設がなされた光景に類するように思われ、社会に適切ではないメッセージを発することに繋がりかねないように感じています。

公的サービスを担う企業の突然死による混乱を防ぐためにできること

岩手県北地区を代表する製パン企業である、イチノベパンさんの破産開始に関するニュースが出ていました。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20170928_6

30年も前の話ではありますが、私も二戸市立福岡小学校・同中学校の元生徒として、こちらの会社さんに給食などでお世話になっており、小学校の社会科見学でお邪魔したこともありましたので(製造途中の白いパンのモチモチ感や香ばしさは今も記憶があります)、大変残念です。

最近、二戸駅前の書籍複合店さんなど県北の企業の倒産が続いているように見受けられますが、管財人・申立側いずれも関わる機会がなく、その点も含めて残念に思わないこともありません(私の精進が足りないからと言うほかないのでしょうが)。

それはさておき、この記事(同社の倒産)で一番残念な点は「突然の倒産で従業員だけでなく給食など(顧客、とりわけ公的サービスの需用者)にもサービスの供給が急停止したことによる混乱が生じていること」だと思います。

この点について参考になる話として、平成20年に私が奥州市水沢区所在の大きな企業さんの破産管財人を受任したときのことを書きたいと思います。

当該企業は相当以前から岩手県の中小企業再生支援協議会を通じて東京の大手税理士法人などからコンサル指導を受けていたそうで、その関係で、破産申立の直前に、事業として存続可能とみられる部門については営業譲渡を行い雇用も承継させた上で申立をするという対応をとっていました。

そのため、その部門は雇用や営業が維持されただけでなく、事業の価値を毀損させずに譲渡できたため、「管財人(たる私)が営業譲渡(や個別資産の譲渡)を試みたとしても到底ありえない高額な譲渡代金」が配当原資として引き継がれ、相応の配当を実施できました。

その件では他にも様々な論点や事務があり、決して楽な事件ではありませんでしたが・・

当該部門が存続(採算)可能でなければ、そのような対応は困難だろうとは思いますが、「事業が突然死すると弊害が大きい業務」については、企業全体の帰趨(停止)とは適切な態様で区別し、事業価値を毀損させずに円滑に存続(譲渡)させ、事業自体の改善も図るというプロセスを辿らせる仕組み(外部者の後見的関与を含め)を整備したり、経営者に必要な対処を早期に執らせるための啓発の推進など、様々な方策について検討を深めていただきたいものです。

先日も「公会堂多賀」の閉店の記事をもとに、私が盛岡市中心部の著名店舗に関し企業側(申立)代理人として閉店セール(お別れ会)を実施した件を取り上げたことがありますが、地域に混乱を生じさせない「店じまい」のあり方を大切にする姿勢を持っていただければと思っています。

「希望党」パクリ疑惑?に沈黙する達増知事と、幻の「増田寛也副知事の都知事昇格案」

「希望の党」の発足に関する報道以後、衆院選を巡る激しい動きが続いていますが、世間の関心事の一つとして、小池知事が知事を辞任して衆院選に打って出るのか否か注目されているように思われます。

現時点での国民(都民)一般の感覚は、「カリスマ性が乏しい寄せ集め集団を引っ張って欲しい」という期待感よりは「他に都政を託したい御仁が明確になっているわけでもないのに、また都知事選で巨額の税金と時間等を無駄にし、都政を混乱させるのは勘弁して」というウンザリ感の方が勝っている(ので、マイナス効果の方が大きいから出馬しない)のではというのが私見ですが、自信満々に出馬は既定路線とネットで仰るジャーナリストなどもいるので、しがない田舎人にはさっぱり分かりません。

ところで、私は、先の都知事選の際に「当選した小池氏が増田氏を副知事にスカウトし、自民都連と縁切りさせ信頼関係を作って自身の後継者とし、かつ、都知事を途中で辞任する際に副知事に委譲できる法制度を作り、都政に一定の成果を挙げた上で、次の総選挙で増田氏に知事職を譲って国政復帰するというシナリオはいかがか」と書いたことがあります(引用ブログ記事)。

仮に、そうした制度・展開が現時点までに作出されていれば、現在よりも遙かに小池氏の出馬環境が整っていたのでは?と、些か残念に思わないでもありません。

余談ながら、当県の達増知事はご自身が平成18年に出馬した際、「希望王国マニフェスト」なる言葉を旗印にして圧倒的勝利を収め、県内の自民系首長さんから「王国の主は小沢氏か」とケチを付けられた後は、「希望郷いわて」と言葉を変え、現在に至っており、今も県庁の広報等には「希望」の言葉が充ち満ちています(岩手の現状ないしここ数年の推移が、そう称するに足る内実を伴っているかはさておき)。

今回の衆院解散をはじめ、自民党側の動きに対しては真っ先に批判を述べ、小沢氏勢力の動きには率先して賞賛コメントを放っておられる達増知事が、今回の新党騒動について、現時点で「俺のパクリだ」などという批判に限らず、現時点で特にコメントをされず沈黙を保っておられることは、ある意味、注目すべきことなのかもしれません(コメント報道をご存知の方がいましたらお知らせください)。

まあ、今朝の岩手日報などで黄川田議員の引退報道がありましたので、岩手の民由合併は確実だろうと思っていたところ、午後には小沢氏も希望党に合流との記事も出ていましたので、明日には希望党万歳の知事コメントが報道されるのかもしれませんが、ここまで何でもありの状況なら、いっそ「大物」国会議員が不足気味の希望党の総理候補として、小沢氏が推挙される展開を岩手県民としては期待したいような気もします。

ともあれ、知事のマニフェスト自体、岩手県民に忘れ去られている(ご本人も含め?)というのが残念な実情だと思われますので、適切な公約や実行力、ひいては代表者と選挙民の意思疎通(コミュニケーション)のあり方などについて候補者及び選挙民の双方に良質な議論が深まることを期待したいものです。

それと共に、希望党については「都知事の度重なる身勝手?な辞職により選挙が延々と繰り返されてきたこと(その母体と見なされた既存政治の有様)へのウンザリ感」が小池知事誕生の原動力になったことを踏まえ、冒頭に述べたとおり、知事が辞職しても当然には選挙にせず一定の場合には副知事などに交代させるなど「やたらに選挙を強いて税金と労力を浪費させる現状を改める制度(公職選挙法や地方自治法などの改正案)」を検討し提案いただくことを期待したいと思っており、そうした議論がなされないことは残念に感じています。