北奥法律事務所

岩手・盛岡の弁護士 北奥法律事務所 債務整理、離婚、相続、交通事故、企業法務、各種法律相談など。

〒020-0021 岩手県盛岡市中央通3-17-7 北星ビル3F

TEL.019-621-1771

弁護士業務一般

司法革命の前夜?

最近、「弁護士の急増に需要が追いついておらず、弁護士の収入が大幅に低下している。かつては羨むような年収があったのに、今や憐れむような額しか得ていない」という記事をネット上でよく見かけますが、業界人にとっては、何年も前から公知の事実です。

この話は、この1、2年で一般の方々にも知られるようになってきたと思われますが、私自身、当事務所の運転資金の負担が軽くない上、ここ数年は作業量に比して利益率の低い仕事が増える一方で、残念ながらその例に漏れません。幸い、どうにか食べていけるだけの収入はいただいているほか、過去の蓄えもありますので、横領等の問題には直面しなくて済んでいますが。

このことは、以前にも触れたとおり、債務整理特需の後は町弁の実需が大幅に減ることが優に予測されるのに、弁護士の供給増を推進した方々が、それを見越した需要喚起や新業態進出などの実効的な対策(特に、相当の収益性を図ることができる仕事の確保や創出に関する対策)を取ろうとせず、業界側(弁護士会や個々の弁護士等)も同様の努力を怠ったことが主たる要因だと思います。

ともあれ、現在の町弁の収入が10年~数年前と比べて劇的に低下し、残念ながら同世代の給与所得者一般よりも大幅に少ない方も相当に生じてきていることは間違いないと思われます(反面、私がなりたての頃に存在した「若い町弁の過労問題」とは無縁の方も多く生じているのだろうとは思いますが)。

先日、日経新聞で、全共闘運動をしていた団塊世代が先鋭化せずに企業社会に溶け込んだことについて、その世代の学者の方が、当時の日本が豊か(高度成長期)で、学生運動をしていた面々がアルバイトを始めると、びっくりする金額が貰えたので、統制色の強い学生運動ではなく自由で経済的にも恵まれた世界を選んだのだと述べているのを見つけました。

記事では、「いま、デモをするアラブや欧州の若者を見ていると、若いときの自分たちと重なる。働いても人生が良くならないと思うと過激になる。私達は(経済成長の時代に育ったので)そうはならなかった。全体として幸運な世代だった」と締め括られていました

それとの対比で言えば、私が弁護士になった平成10年代前半は、町弁が経済的に恵まれており、私自身、正直に申せば、若いうちから(私の金銭感覚で)「びっくりする金額を頂戴した」ことも多少はありましたが、残念ながら、現在の若手は、そうした機会に恵まれず、働いても人生が良くならないと感じる弁護士が急増しているのではないかと思います。

現在のところ、若い弁護士さん達が「過激」な行動に出ているのを見たことがないのですが、そう遠くないうちに、高額な弁護士会費の減額や、会費の使い道とされる、「弁護士会の人権擁護運動」(それに従事する弁護士会事務局の人件費などを含め)の縮減を求める声が、若い世代から本格的に生じてくるのではと感じる弁護士は少なくないでしょう。私の知る限りでも、仕事に結びつかない会務に若い世代が集まらないという話をよく聞くことがあります。

この点、弁護士会の内輪もめで終わる話なら、業界外の方にはあまり興味のない話ということになるかもしれませんが、弁護士業界を超えた社会全体に波及する形で、自分の待遇に不満を持つ若い世代が「過激行動」を起こすか否かについては、関心を持ってもよいのではと思います。

上記の日経の記事で発言されていた先生は、団塊世代の10歳上の「学生運動のセクトの指導者世代」は、軍隊のような上意下達で、禁欲的かつ原理主義だと仰っていました。ただ、「若く貧しい弁護士を惹きつける原理主義」なるものが、今の業界に存在するかと言われれば、ピンと来ません。

むしろ、私(50期代)よりも10~20期くらい上の世代の方々の中に、私のようなノンポリからすれば一種の原理主義ではと感じるような、「弁護士会の人権活動」に熱心・禁欲的に取り組む方が多いように思います。また、私の同世代や少し若い世代の方にも、そうしたものに熱心に取り組んでいる方は何人かは存じています。

これに対し、若い世代の多数派は、そうした方に同調・依存するより、「カネにならない人権活動に熱心に取り組むことができるのは、裏を返せば、本業で働かなくても弁護士を続けていける(生活できる)何らかの利権に浴しているのではないか。そうした利権を剥奪・破壊して、自分の側にカネが廻るようにしたい」と希望していくかもしれないと感じるところはあります。

少なくとも、私のように、今や零細事務所の運転資金に汲々として、「人権運動」に手を出す余裕もない身からすれば、そうしたものに精力的に取り組むことができる方は、私が直面している金銭的な負担とは縁遠い世界を生きることができているのでしょうから、その点は羨ましく感じるところはあります。運転資金の負担がない代わりに生活費レベルの売上すら事欠くような若手にも、同じような感覚が生じるのは避けがたいところはあるでしょう。

ただ、仮に、そうした「いわゆる人権運動に取り組む弁護士さん達の背後にある利権的なものへのバッシング」のようなものが生じたとしても、それを具体的にどのように実現するかと問われれば、私も全く智恵が浮かびません。せいぜい、立法的・政治的手段くらいですが、それは司法の主たる出番ではないですし、その気運も高いとは言えないでしょう。

また、弁護士業務の特質として、現時点でペイしない仕事が、時代の流れや技術革新等により、突如として金脈の様相を呈することもあり得ることで、債務整理特需こそ、かつてサラ金対応が「ブル弁」の方々に忌避されていたことに照らせば、その典型と言えるでしょう(ただ、債務整理特需の特質として、高利金融の被害救済などに熱心に取り組んでいた方々は、その母体(左派系勢力との結びつきが強いこと)が影響しているのかどうかは分かりませんが、筆頭格である宇都宮先生をはじめ、誰一人として「大企業化」路線を取ろうとせず、そうした人権運動とは無縁の方々が、宣伝路線を突っ走り、「過払大手」などと称される現在の光景を築いたという異様な様相を呈しましたが)。

岩手でも、若い先生が震災絡みなど幾つかの分野でボランティア的な会務に熱心に携わっており、そうした光景を見ても、「人権活動」を若手が敵視するような流れが俄に生じることは考えにくいというべきなのでしょう。

そう考えていくと、結局、「分けるパイが増えずに人数だけが膨れあがった」町弁業界では、明治維新のような「上級武士(確たる社会的・経済的基盤を持つベテラン・中堅の方々)の特権やその根底にある幕藩体制(弁護士会ないし業界のシステム、慣行)に不満を持つ貧困下級志士(そうした基盤へのパイプに接点のない若い弁護士)が、下克上を狙って体制の転覆を図る」という事態は実現されず、上級武士の利権?に上手に入り込むことができた人や隙間産業に活路を見出した方だけが生き残り、その他は、(江戸に集まった田舎の次男三男が安価な労働力として使い捨てられたと言われるように)、死屍累々の山ということになるのかもしれません。

この点、明治維新の出発点(旗印)は、下級武士の不満ではなく、対外的な国家の危機(に起因する尊皇攘夷運動)であり、下級武士の不満はエンジンではなくガソリンのような位置づけになると思います。そのように考えると、まだ、現在の司法業界には、本当の意味での黒船(体制の抜本的変革を促すような危機意識を煽る存在)は出現していないと感じますし、尊皇論(抜本的変革を正当化する理論)や雄藩(新たな体制、理念の受け皿となる力量や影響力を持つ社会的存在)に当たるものも見あたりません。

もちろん、これまでの弁護士は殿様商売でサービス意識が足りないといった批判をする方は多く見かけますが、それは、現在の体制(司法=紛争解決・処理の制度)自体の抜本的変革を促す言説ではないので、「革命の論理」にはなりません(いわば、これまでの幕府・上級武士には奢りがあるので謙虚にせよ(外様・下級武士の意見も聞け)というレベルのもので、幕藩体制そのものを否定する論理ではないでしょう)。

そうではなく、現在のベテラン・中堅の多くが有する「現在の司法制度に関する知識やノウハウ(いわば、幕藩体制を支える知識やノウハウ)」を不要・無力化してしまうような、新しい司法制度(裁判所等の紛争解決のあり方、弁護士の関わり方)の導入を説得的に提唱する人物が登場し、かつ、それが、新時代に相応しい司法として社会の支持を受けることがあれば、そのときが本当の司法革命となり、その際は、現在の状況に不満のある若手は、自分達が時代の主役になれると信じて、諸手をあげてそれに殺到することでしょう。その際、一部では凄惨な光景も生じるかもしれませんが。

「ガソリン」が蓄積されつつある現在、そうした「革命の錦の御旗」ひいてはそうしたものを掲げて、ガソリンを利用して大きな物事を成し遂げようとする人物が登場するのか、それとも、会費減額のようなクーデターのレベルに止まる運動で終わり、むしろ業界がエネルギーの行き場を失い沈滞や混迷を深めるのか、私には全く分かりません。

或いは、「司法の国」の食えない民衆(若手弁護士)が異国に渡り(政治部門などに進出し)、異国の軍隊を率いて祖国を攻撃する(国民全体の利益になるか否かに関係なく、司法界の既得権益層に不利になる報復的な法改正などを行う)という展開もあり得るのかも知れません。

ただ、少なくとも、現在の弁護士会の「人権活動」の幾つかは、同じ結論を支持する政治的立場の方々はともかく、無党派層を含む国民のマジョリティにとって、ゼロではないにせよ、さほど社会的価値を認められていないように感じており、そうしたものを見る限り、若手の不満のはけ口が、そうしたものに向かったり、弁護士業界に関しては、そのことが何らかの内部抗争の素地になることが、あり得ないことではないと思っています。

個人的には、現在、様々な形でうごめいている憲法改正等を巡る動きや日本国の人口減少、或いはアジア諸国の隆盛・勃興などが、それ(司法革命など)と関係してくるのだろうか、もしするのであれば、その結論の当否はさておき現象自体は興味深いなどと感じるのですが、ともあれ、私自身は何とか業界人として生きながらえて、そうした光景を見守っていきたいと願っています。

交通事故(損害賠償請求)の訴状提出と個人情報

私は、数年前から、交通事故の被害者側で訴状を作成して裁判所に提出する際は、事故証明書など、双方が共通認識を持つべき基本的な資料のみを提出し、それ以外の資料(特に、治療状況の詳細や被害者の収入等に関する資料)は、加害者の代理人弁護士が選任された後、その弁護士に送付することにしています。

そもそも、交通事故のような「不法行為等に基づく損害賠償請求訴訟」では、賠償請求の原因となる加害行為やそれに基づく損害の内容について、被害者が全面的に主張立証責任を負うのが原則ですので、訴訟でも、自己が支払を求める損害の内容等について、詳細に資料を提出して事情を説明しなければなりません。よって、人身傷害事故で治療費や休業損害などを請求する場合、診断書やレセプト、収入に関する資料などを色々と提出する必要があります。

ただ、これらは個人情報そのもの(特に、収入などは典型的なセンシティブ情報)なので、被害者にとっては社会生活上、無関係の相手というべき加害者に、それらの情報の開示を余儀なくされるというのは、疑問の余地がないわけではありません(人によっては二重被害だという見方もあるかもしれません)。

また、それらの資料は、裁判所が証明の程度を判断し事実認定をする上では必要なものですし、加害者の代理人や任意保険(損保会社)にとっても同様の判断や反論等をする上で必要なものですが、加害者本人にとっては、目にしなければならない資料という訳ではありません。

任意保険に加入せず代理人弁護士の選任もせず、加害者自ら訴訟に対応するというのであればやむを得ませんが、そのような例外的な場合でなければ、被害者側(被害者側代理人)にとっては、賠償請求のためとはいえ、加害者本人に被害者の個人情報が詳細に記載された資料を見せる必要は微塵もないと思います(滅多にあることではないと思いますが、加害者本人だと目的外使用の不安もないわけではありません)。

そこで、小手先レベルと言われるかもしれませんが、私の場合、せめてもの対応ということで、訴状では損害に関する事実関係の詳細を記載するものの、その裏付けとなる書証(治療や収入等に関する資料)を出さず、事故証明書や事故態様に関する書証のみを提出することとしています。そして、訴状等が加害者本人に送達され、それが損保会社を経由して同社の顧問又は特約店の弁護士に交付され、加害者の代理人として裁判所に届出がなされた後で、裁判所とその代理人弁護士に交付する形をとっています。

私の知る限り、加害者側代理人の場合、損保会社にはコピーを送りますが、加害者本人には送付しないことが通例と理解していますので、こうすれば、(殊更に損保会社が加害者本人にコピーを送るのでもない限り)被害者の様々な資料が加害者本人の目に触れることはありません。

もちろん、訴状には休業損害等の計算の関係で、収入額等を書かない訳にはいきませんので、訴状には提出予定書証の番号を書いています(裁判所に手持ち資料の存在を説明する点で、証拠説明書を添付するか留保するかは悩みますが)。

さほど沢山の件数を手掛けた訳ではないものの、今のところ、この方法で裁判所等からクレームを受けたことはありません。

これだけ個人情報保護(個人情報に関する資料等の取扱の慎重さ)が強く叫ばれるようになった時代なのに、「損害賠償請求訴訟」に限っては、「被害者が全面的に損害の主張立証責任を負う」とのお題目のもと、様々な自身のセンシティブ情報の開示を、(よりによって被害者が加害者に)強いられるというのは、かなり違和感を感じるところがあります(そうした意味では、究極的には民事訴訟法の改正なども視野に入るような話なのかもしれません)。

この点、加害者が任意保険に加入している方であれば、加害者ではなく損保会社に対し訴訟提起するという方法も考えられますが、この方法の当否については議論もあるようですし、やはり、加害者本人の責任を明らかにしたいというのが一般的な被害者の心情ではないかと思います。

裁判制度を巡る様々な現代的課題の中では、ごく些細な事柄というべきなのかもしれませんが、業界関係者には思考の片隅に置いていただいてもよいのではと感じています。

対立する両当事者の相談が同じ弁護士に行われた例

先日、相談にいらした方(A氏)から、「以前、弁護士会?の相談でC弁護士に相談した。その後、相手方のB氏が、自分もC弁護士に相談して同じ見解を聞いたと説明してきた」というお話を伺いました。

どうやら、C弁護士は、A氏から相談を受けた後、紛争の相手方のB氏からも同じ事項で相談を受けていたようです。

しかし、同一の弁護士が紛争の対立当事者双方から相談を受けることは(双方の同意等がない限り)禁じられていますし、私を含め、弁護士であれば、対立当事者からの相談依頼だと判明した時点でお断りするのが通例です(しなければならない職業上の義務があります)。

もちろん、C弁護士がどのような認識、判断のもとで相手方からの相談にも応じたのか分かりかねる上(私も、相談が開始してから利益相反に気づいて中止をお願いしたことはあります)、その件では、あまり問題が生じなかったようです(C弁護士は、A氏も聞いた「A氏の希望に沿う判断」をB氏にも説明したとのこと)。

ただ、このような話を聞くと、「相手方からの相談受付を防止する仕組み」の欠如について、考えずにはいられないものがあります。

当事務所では、電話で相談依頼を受け付ける際には、相談テーマや対立当事者のお名前もお聞きし、過去に入力した一覧表で対立当事者から相談依頼を受けていないか確認するようにしています。

ただ、事務所に対立当事者から相談依頼の電話がかかってきた記憶がなく、対立する相手方当事者(相談者)の方とは弁護士会や役所相談などでお会いするのが通例になっているので、それについては事前に相談者リストを入手する以外に予防策がありません。

最近では、相談担当日の前日に、リストの送信を受けて確認するようにしていますが、弁護士会から励行されているわけではなく、当方の自主的取組みに止まっており、この点に関する関係者の議論が進んでいない印象を受けるため、残念に感じています。

弁護士業務における時間簿作成の必要性

私は、当サイトにも表示しているとおり、経済的利益による報酬算定に馴染まないタイプの事案では、タイムチャージに準ずる方法で当方の受任費用をご負担いただいています。

また、タイムチャージではない受任形態(着手金・報酬金制や広義の手数料制)でも、ほぼ全件、時間簿(業務従事簿)を作成しています。これは、私の時間報酬単価(1時間2万円)が、当事務所の経営上は採算ラインを形成していることから、事件ごとの採算性を確認して今後の業務の質の改善に繋げるためであったり、成果報酬の金額算定の資料とすることを目的としています。

ところで、弁護士報酬の金額算定を巡って争われた裁判は、過去に多数存在し(私自身は提訴等の経験はありませんが)、最高裁が一般的、抽象的な基準(弁護士会の旧報酬会規のパーセンテージに基づく経済的利益の額に応じた算定のほか事件の難易や争いの程度、労力の程度などの総合判断)を示しているため、裁判所は、これに沿って相当額を算定することになっています。

そのため、裁判になること自体は滅多にないにせよ、報酬の額を巡って議論になる場合には、従事時間の記録を取っておくことは、適正な算定をする上で、意義があることと言えます。

また、最近は、弁護士が、直接的な依頼者以外の方に報酬を請求する制度が導入されています。住民訴訟で住民が勝訴し相手方から自治体に被害回復がなされた場合の住民側代理人たる弁護士から自治体への報酬請求(地方自治法242条の2)と、株主代表訴訟で同様に株主側が勝訴等した場合(会社法852条)が典型ですが、今後は、いわゆる弁護士費用保険を巡っても、受任弁護士と請求先の保険会社との間の紛争が生じてくるのではと思われます。

住民訴訟の報酬請求に関しては、平成21年に重要な最高裁判決が出ており、前記のとおり経済的利益のほか受任弁護士の労力や時間の程度などを斟酌して定めることになっており、訴訟行為はもちろん、打合せ、調査、書面作成等に要した時間、補助者の労務費なども記録しておくことが望ましいとされています(判例地方自治390号9頁)。

逆に言えば、「極端に経済的利益が大きいものの、さほど争いもなくさほどの労力を要しない事案」などでは、依頼者側からも、受任者に対し、時間制での受任を求めたり、委任時に時間簿の作成を求め、経済的利益に基づく算定額が時間単価に換算してあまりにも高額になる場合などは値引き交渉の材料とするといったことも、今後は考えてよいのではないかと思います。

ただ、業界不況に喘ぐ現在のしがない田舎の町弁の側の立場で申せば、上記の時間単価を大幅に下回る不採算仕事の受注を余儀なくされることが珍しくなく、たまに利益率の大きい仕事にも従事させていただくことで、何とか事務所を維持しているという面もありますので、相応の成果が出ている事案では、ある程度の金額は大目に見ていただきたいものです。

弁政連岩手支部と階猛議員との懇談

弁護士会では、「弁護士会ないし弁護士が広く共有している政策課題について政治部門(議員、行政等)に働きかけ(ロビー活動)を行うこと」を目的とした「弁護士政治連盟」という団体を数年前に設立しており、私も弁政連岩手支部の会員兼名ばかり理事となっています。なお、弁護士に限らず、税理士や行政書士など文系士業のほとんど(全部?)が「政治連盟」を作って、自己の職域拡大などについて盛んにロビー活動をなさっているのだそうです。

弁政連岩手支部では、これまで1年に1回程度の頻度で地元選出の国会議員や県議の方と懇談会を持ってきたのですが、先般、弁護士資格を有する国会議員の方と懇談しようとの話になり、岩手1区選出の階議員と懇談することになりました(岩手4区の藤原議員にも要請したそうですが、都合がつかなかったと聞きました)。

冒頭、階議員から、ちょうど報道で取り上げられたばかりのNHK会長との議論をはじめ最近の活動や問題意識などが説明された後、弁政連側から幾つかのテーマを挙げてフリートークで懇談するという形になりました。

弁政連側では、法テラス岩手のスタッフ弁護士や他士業絡みの話題を出したものの、準備不足のせいか?さほど盛り上がらず、階議員の活動や政治認識、最近の提出法案、法曹養成制度などを中心に、ざっくばらんなフリートークが中心でした。

階議員は、NHK会長との議論が報道された後、事務所に同議員を誹謗中傷するFAXが山のように届いた話などを例に挙げて、安倍政権下の日本が、自由な言論を抑圧し「国の方針に背くな」と反対意見を萎縮させ封殺しようとする動きが強まっているので、自分はそうした風潮と断固闘っていきたいという決意表明を強く述べておられました。

私自身は、ノンポリ無党派の人間ということもあり、階議員のそうした決意に特に異論もないところではあるのですが、他方で、過去に、某企業の代理人として労働組合に関する紛争の代理人をお引き受けしたことがあり、その際、支援労組を名乗る全国の多数の団体から、その企業に対し時には不穏当な文言を交えて批判する趣旨の大量のFAXが送りつけられたのを目にしたこともあるせいか、「言論弾圧だ」と声高に主張する人達の属する社会の方が、案外、自由に物を言える雰囲気の乏しい、偏狭で権威的・抑圧的・排外的なものであることが珍しくないと感じるところがあります。私のようにどこに行っても窓際会員になってしまう輩に言わせれば、そうしたことも、国会議員さんには押さえておいていただければと感じました。

ともあれ、批判するのが野党の仕事、という見方もあるのでしょうが、私自身は、抽象論よりも相手方が無視ないし放置している深刻な現実を示すような多くの具体的な事実の発掘、指摘をもって、批判的言辞に代えていただければ(抽象的な勇ましい言辞だけだと、最初から同じ結論を支持している方の感情的気分を高揚させる面はあるでしょうが、それに同調しているわけではない者にとっては、そうしたものに冷めた印象を感じていることを表明するのを萎縮させる効果しか生まないのでは)というところはあります。

他方で、現在、立法に向けた議論がなされている様々な法案について党派的立場に関係なく問題として検討すべき課題があることに関し幾つかの指摘があり、そうしたお話は、実務能力に秀でた階議員の面目躍如という印象は強く受けました。

弁政連側(=盛岡の有力な弁護士さん方)は、盛岡市に法テラス岩手のスタッフ弁護士が配置されることに強い反発を持っているのだそうで、懇談の際、某先生が、「何年も前の日弁連と法テラスの議論で、地元弁護士会の同意がなければ法テラス事務所は設置しないと約束したはずなのに、それを反故にされたので納得いかない」と憤慨していたのですが、階議員から、それは、いつ行われた、どのような会合で、誰と誰との間で合意されたもので、その証拠(議事録など)はあるのか、と質問されると何も説明できず、「そうした事実を調べて提示するのが貴方がたの仕事でしょう。自らが汗をかいて努力しなければ、議員に縋ろうとしても、物事を守ったり変えたりすることはできないのではありませんか」と議員に窘められる一幕がありました。

私自身は、その問題(法テラス岩手のスタッフ問題)にはさほど関心はなく、物事の判断の決め手となるべき事実と証拠を調査するプロというべき弁護士が、そうした用意をすることなく自分達の利害に関する事項について陳情し、(一応、同業とはいえ)国会議員さんに窘められるのも、残念なことだと思いながら傍観していたというのが、恥ずかしい現実です(本業では、そうした主張立証をきちんとなさっている方々ですから、医者の不養生といったことなのかもしれませんが)。

弁政連に限らず、弁護士会の様々な会合ないし活動自体が、プロ意識の乏しいサロン的体質だなぁと感じる面が多々あり、スタッフ弁護士であれ何であれ、弁護士や弁護士会自体が、もっと激しい試練に晒されるのでなければ、そうした体質自体を変えていくことができないものとして世間に扱われるのではという悲観的?な印象を抱いています。ただ、私自身さしたることもできないまま時間ばかり空費しているという感は否めませんが。

スタッフ弁護士問題については、先日、法テラスから、多額の交通費を要する岩手県内の某支部(裁判所)に出張する際の交通費が一切、我々(契約弁護士)には支給されないとの説明を受けて気が滅入ったことがあり、そういうことであれば、遠方の支部への多数回の出張を要する少額事件などの不採算仕事を、(給料取りなので自己負担がない=交通費も法テラス事務所から支給される)スタッフ弁護士にやっていただく方向で(要するに、盛岡にいるけど専ら盛岡以外の管轄裁判所の仕事をするものとして)、やっていただくのも一つの考えではと思わないこともありませんでした。

ただ、そういう類の要望については、スタッフ弁護士よりも、交通費等の立替制を導入するとか、裁判所の遠隔地審理システムの拡充(双方とも電話会議OKとして出張不要とするなど)に求めるべきことで、そうしたことも含め、実務的な議論を詰めて相応の場に働きかけをしていただければと改めて感じました。

なお、「スタッフ弁護士問題」は、究極的にはいわゆる弁護士自治(法テラス=行政機関による弁護士業界の統制云々)が絡む話なので、折角、議員さんと懇談するのであれば、弁政連側にはそうした大きな話も含めて論点・議論を詰めたり資料を整理してお渡しするなどの工夫があってもよいのではと思いました。

階議員からは、「議員には秘書などのスタッフはいるが、選挙対策の従事で精一杯で、重要法案が目白押しになっているのに、真に政策(法案の当否や立法論など)を考えてくれるシンクタンクのようなスタッフを持つことが出来ないのが残念である」という趣旨のお話がありました。恐らく、そのような営みを何らかの形で弁護士会に期待してのご発言ではないかと感じましたし、弁護士会(弁政連)側も、階議員に限らず、地元選出の議員さんの要望に応じて、法律論が絡む政策課題について論点整理や事実調査、法的検討などを行ったレポートを提出するというような営みを考えてよいのではと思ったりもしました。

ただ、現実問題として代金は無理筋でしょうし、さりとて無償では質の担保に不安があるでしょうから、日暮れて道遠しの感は否めずといったところでしょうか(タダの代わりに、弁政連の政策課題に対し相応の協力を約束いただくといったパターンなら、それなりに実効性があるかもしれませんが)。

ともあれ、弁護士出身である階議員に限らず、国会議員さんとの「ざっくばらんな会合」自体が貴重なものと言うべきでしょうから、発言力のない万年窓際族の私にはさしたることはできそうにありませんが、今後も参加だけは続けたいと思っています。

なお、(特に外に出して困るような話を書いたわけではないでしょうし、そもそもそのような話自体もなかったとの認識ですが)議事録等もない非公開の場のざっくばらんな懇談について、私なりに感じたことを書いたものですので、その点は予めご理解のほど、お願いします。

「広告で大々的に過払金回収の宣伝をしようとした弁護士」に関する泥沼の内紛劇

岩手では、震災の少し前(平成22年頃)から、東京から「債務整理に関する出張無料相談」を新聞チラシやCMなどで熱心に宣伝、集客する法律事務所が登場するようになりました。

それ以前の平成20年前後にも債務整理の集客の熱心さで東京では知名度があった事務所(H社改めM社とか、某ライオンことI社。いずれも、東京時代に少額管財人として、先方が申し立てた破産事件の仕事ぶりを拝見したことがあります)のCMを見た記憶がありますが、当時は、岩手までわざわざやってくる事務所はありませんでした。

それが、震災直後くらいから冒頭のとおり3~4社ほどの事務所が次々と押し寄せてくるようになり、今もまだ頻繁に来ている事務所もあります。

それらの事務所がどこまで集客できているのかは全く把握できていませんが、当事務所の場合、それらの事務所(の広告)が登場するのと入れ替わるように、債務整理関係の受任が激減したことは確かです。もちろん、そもそも平成23年頃からグレーゾーン金利問題の沈静化が本格化して多重債務者自体が激減したことや岩手の弁護士自体が増えたことなどの影響もありますので、上記の事務所だけが原因というわけではありませんが。

ともあれ、こうした現象は岩手だけではなく全国的なものだそうで、お隣の青森県の新聞でも2年前に同じような話がニュースとして取り上げられています。

記事によれば、そうした弁護士は、広告代理店にチラシの作成など各種の広告や集客の作業を委託しているようですが、以前に、他県の弁護士さんのブログでも同じような話を見たことがあります。確か、その県に出張相談に来ている弁護士は、代理店(コンサルタント)にお膳立てを頼んで、複数の県を渡り歩いて客集めをしているという趣旨のことが書いてあったとの記憶です。

で、何のためにこの話を取り上げたかというと、判例タイムズで、そうした「債務整理の宣伝をコンサルに委託して集客するため設立された事務所」に関する泥沼の内紛劇に関する裁判例が取り上げられていたのですが、当事者の欄をよく見たところ、「非弁行為(無資格者が違法に弁護士業務を行い収益を得ること)の目的があった(ものの、実行には至らなかった)」と認定された業者の代理人に、岩手に「出張無料相談」の広告を大々的に掲げて頻繁に来ている事務所の代表弁護士(及び所属弁護士)の方が表示されているのに気付きました。

そのため、(その弁護士さんが当事者として雑誌に掲載された判決文に表示されているわけではありませんので事件との関わりは不明ですが)問題ある業者と関わりがある弁護士さんなのかなぁと感じたというのが、こんな話を長々と書くことになったきっかけです(さすがに、個人が特定できる情報は差し控えますので、関心のある方はご自分でお調べ下さい)。

事案は、その業者から法律事務所開設の資金提供を受けた弁護士である原告が、事務所の発足や運営に何らかの形で関与した計18名もの関係者(弁護士から宣伝広告を受託する企業などを含む)を、非弁行為の共謀をしたという趣旨で根こそぎ訴えたというものです。

簡略化すれば、「弁護士Xが、従前の所属先から給与の支払がないなど待遇に不満を感じていたところ、別の事務所の事務員として債務整理を行っていたY側の関係者に勧誘され、Yから資金や人材の提供(派遣)を受けて、過払金回収を主たる業務とする法律事務所を開設した。XとYは収益を分配する趣旨の協議をしていたが、開設の4ヶ月後にXがY側に事務所からの退去を求めた」という経過を辿り、YがXに提供資金の返還を求める訴訟を提起していたところ、XがYに対し非弁行為の勧誘等を受けて無用の負担等を強いられたと主張し、不法行為を理由とする賠償請求をしたという流れです。

正確には、Xは、Xの事務所の宣伝に従事した広告会社や、Yが最初にXに紹介したYの勤務先の事務所(非弁提携がなされていたことを仄めかす認定がなされています)の弁護士などにも同様の賠償請求をしています。

これに対し、裁判所(東京地裁平成25年8月29日判決判例タイムズ1407-324)は、YがXに行った資金提供は、Yの目的が非弁行為をすること又はXに非弁提携をさせるもので、弁護士法27条、72条違反の行為を誘発するものとして、上記各条の趣旨に反するものと言わざるを得ないが、その金銭の提供を受けることが直ちに非弁行為と評価されたり、非弁行為に直結するものとまでは認められず、YがXの事務所で非弁行為をした事実は認められないとして、YがXに不法行為をしたとは言えぬ=請求は棄却との判断をしています。

要するに、Yは違法行為を計画していたが金銭提供段階に止まり違法な計画を実行していないので提供を受けたXに対する不法行為があったとは評価できぬと判断したものですが、他ならぬX自身が、Yと非弁行為の共謀をしていたとの認定も受けていますので、そうした点も判断に影響を与えているのではないかと思われます。

ちなみに、判決文で引用された「広告会社がXに提訴した別件判決」と思われるものを取り上げた記事がネットで検索でき、その事件と本件が同一なのだとすれば、X弁護士の事務所はすでに閉鎖されXも廃業(登録取消)したのではないかと思われます。

X氏は恐らく私より期の若い弁護士さんではと推察されますが、自身の甘さが招いたこととはいえ、Y側や広告会社が訴えた別件訴訟で多額の支払が命じられており、踏んだり蹴ったりの憂き目にあったものと思われます。

私も駆け出し期の頃は「弁護士資格を悪用しようとする輩が金や仕事がない若手弁護士に甘言を弄して勧誘することがあるが、身を滅ぼすから気を付けろ」とのアドバイスを受けたことがあります。幸い、私の場合、カネはさておき仕事と兼業主夫業に追われる生活が続いたせいか、今のところ、その種の勧誘を受けた記憶はありませんが、こうした裁判例も他山の石として、平穏無事な事務所経営を今後も続けていきたいと思っています。

ともあれ、「大々的に債務整理(過払金回収)の広告宣伝をして地方に出稼ぎ(集客)に来る東京などの事務所」のすべてがこうだということは全くないとは思いますが、中には、こうした問題を抱えたところもあるのだということは、業界外の方も知っておいてよいのではと思います。

弁護士への依頼は通常は短期間に止まるとはいえ、一定の信頼関係を重要な基礎とし、時には人生の大きな転機と関わることもありますので、誤解を恐れずに言えば、男女交際などに類する面があると思います。

それだけに「相性が大事」であると共に「相手をよく見て、相手のことをよく知った上で」お付き合いする方を決めていただきたいものです。

余談ながら、私が、事務所HPで業務の内容や実績について多少とも記載しているのは、そうしたことも踏まえたものですが、残念ながら「●●の仕事で実績を挙げたと書いてあったので、頼むことにしました」という依頼者の方には未だ巡り会ったことがなく、その点はトホホといったところです。

弁護士を巡る広告については以前にも投稿したことがありますので、併せてご覧いただければ幸いです。
→ 弁護士会のCMから考える、弁護士と弁護士会の関係

弁護士の作成書面と礼節

弁護士が訴訟等で作成する書面は、争点を巡る当事者間の対立の度合いなどに応じて、時に、相手方への厳しい批判を伴うことがあります。ただ、度を過ぎると、名誉毀損などの問題を生じることもあり、賠償請求に関する裁判例も幾つか存在します。

現在、弁護士15年目にして、はじめて「弁護士を被告とする訴訟」をやっています。といっても、名誉毀損絡みではありませんし、原告が私でないことはもちろん、被告も岩手の先生ではなく、また、特異な経過を辿った事件で、典型的な「弁護過誤」などとは異なるタイプの事件です。

ただ、被告たる弁護士の方の行動については、立場論だけではない、弁護士の仕事のあるべき姿という意味で、首を傾げざるを得ない面があり、対応に苦慮しています。

先日、被告側からある申立があり、すでに退けられているのですが、その中でも、「(私が、遠方にある被告の事務所に来ないから)無責任だ、軽率だ、怠慢だ、迷惑だ、不正義だ」などと不満の言葉ばかりを並べ立てた主張がありました(それを前提に、裁判所に特定の措置を講じて欲しいとの申立になっています)。

しかし、その事案の内容に照らしてもおよそ無理のある主張で、ただでさえ問題の多い事案なのにと、ため息ばかり積み重ねざるを得ませんでした。

もちろん、私も罵詈雑言を重ねたのでは同レベルに堕ちてしまいますので、相手方の主張の前提(当方に特殊な義務があるなどという主張)自体が根本的に誤っていると反論するに止めています。

係属中の事件であり、特殊な事情が多いこともありますので、これ以上、具体的なことを記載するのは差し控えますが、どのような事情があるにせよ、弁護士の作成する書面は礼節を弁えないと、一部に真っ当な主張が含まれていたとしても、主張全体が信用されないことになりやすいのではないかと思います。他山の石ということで、気を付けていきたいものです。

弁護士会のCMから考える、弁護士と弁護士会の関係

前回に引き続き、弁護士の広告に関する投稿です。

私はほとんど拝見したことがないのですが、岩手弁護士会では、昨年頃からテレビCMを出しているそうで、今後も、CM等を行っていくのだそうです。ただ、その費用の一端を負担しているのであろう末端会員としては、費用対効果がどうなっているのか、何らかの形で説明等いただければと思っているのですが、残念ながらそうしたものをお見かけした記憶がありません。

そもそも、弁護士会は弁護士個々の雇用主ではなく同業者団体(互助組合)であり、地元の弁護士会が地域内でその存在をアピールすることで、個々の弁護士(会員)にとって直ちに具体的なメリット(利益)が生じるわけではありません(岩手県医師会が「医師会をよろしく」という広告を出したところで、県内の個々の病院に患者が行くわけではないのと同じことです)。

これに関しては、弁護士会は各種相談事業などを行っており、個々の会員もそれに参加することなどを通じて、依頼(業務)を得ていますので、その意味では、弁護士会の存在感が高まれば、会員の仕事も増えるのではと期待できる面があることは確かです。そして、弁護士会の事業には集客に苦戦しているものも幾つかあり、CMはその集客(テコ入れ)を意図して行っていると聞いています。

ただ、集客のテコ入れという趣旨で高額な経費をかけてCMをするのであれば、放送の前後で個々の事業の集客にどの程度の変化(増減)があるか、個々の担当者の受任状況やそれに基づく担当弁護士個々の売上の増減についてはどうか、というところまで調査していただきたいところではあります。

そして、相応の効果(経費に見合うだけの担当者個々の収益増進)があると言えるのであれば、今後もCM等を続けるとか、そうでなければ、CM等のあり方について再検討するといった作業が望ましいのではと思います。

しかし、そのような調査をするためには、「担当弁護士個々の(弁護士会主催の相談事業関連の)収支情報の把握(開示強制)」という、現在の弁護士会には難しいであろう作業が必要となるため、結局は、そのような費用対効果の分析はなされることなく、そうした曖昧さと対をなすように、広告等に関する残念な営みが今後も繰り返されるのだろうと思います。

また、私の知る限り、岩手には自らテレビCM等を行っている地元の弁護士の方は現時点で存在しませんが(広島?には、東京等の過払広告に対抗して「地元の仕事は地元の弁護士に」というメッセージを打ち出したCMを展開されている事務所があると聞いたことがあります)、そのような弁護士(事務所)にとっては、弁護士会のCMひいては相談事業そのものが、一種の商売敵(ライバル事業)ということになるはずで、その点も含め、地方の弁護士会(強制加入団体)としての広告のあり方などを考えるべきだと思います。

このように「弁護士会の広告」という問題は弁護士と弁護士会との関係のあり方と密接に関わることではないかと思われます。すなわち、会員等の会からの独立と会への依存・統制のどちらを重視するか、双方の要請をどのような形で調整すべきか、弁護士会が広く相談事業を行い会員に仕事を供給していくのと(大きな弁護士会)、その逆=会が独自事業をするのを極力差し控えて会員個々の自助努力に委ねるのと(小さな弁護士会)、どちらが適切なのかといった問題です。

弁護士ないし弁護士会の広告という事柄については、そうした論点も視野に入れて、議論が深まればと思っています。

美容外科の被害と過払金請求等の勧誘広告

弁護士会の配付資料として、毎月1回、日弁連消費者問題対策委員会の広報(消費者問題ニュース)が配布されており、今月は、「美容医療被害」が特集されていました。で、美容医療に関するトラブル発生の背景として、日本美容医療協会の理事の方から、以下のコメントが掲載されていました。

①美容医療の患者に手術の事実を隠したいとの心理が働くため、口コミが少なく広告を出せば集客できる。

②全国規模の広告となる関係上、広告費用を捻出するため一人あたりの患者から出来るだけ稼ごうと本来不要な手術を行ったり、効率を求めて誇大・違法広告が行われたり、全国展開するため経験の浅い医師が募集等している。

③患者にはトラブルが発生しても隠したいという心理が働き、訴訟等になることは滅多にないため、トラブルが世間に知られることなく同じ過ちが繰り返されるという悪循環がある。

この話は、岩手でも震災前後から激増し未だに収束しない「東京等の弁護士による過払金請求等の宣伝広告」とよく似ていると言えないこともありません。すなわち、

①サラ金等の借金問題は、家族等に内緒にして行っている方が多く、債務整理や過払金請求については事実を隠したいとの心理が働くため、口コミではなく広告を手がかりに弁護士に依頼する層が多く存在する。

②過払金等の広告は、全国規模の広告を展開したりCMなど多額の費用を用いているため、広告費用を捻出するため一人あたりの依頼者(借主)から出来るだけ稼ごうとするインセンティブが働きやすい(それらの事務所の実情を把握していませんので、本来不要な訴訟?を行っているなどと決めつけるつもりはありませんし、新聞等に織り込まれている内容を誇大・違法広告と決めつけるのもどうかとは思います。ただ、最近では、相当に若い(経験の浅い)弁護士も顔写真を出して売り込んでいるようなので、その点は同じということになりそうです)

③依頼者には(①の延長線上で)トラブルが発生しても隠したいという心理が働き、(弁護過誤訴訟自体が普及していないことや依頼者側が業務水準等を十分に把握できていないという問題があるため)訴訟等になることは滅多になく、トラブルが世間に知られることなく同じ過ちが繰り返されやすい。

さらに付け加えれば、「美容外科は精神的な悩みを外科的に解決しようとする診療科であり精神外科とも呼ばれている」との指摘も、一律にということはないにせよ、メンタル面に問題を抱えた多重債務者の方に沢山接してきた身としては、借金問題に通じるところがあると思いますし、上記の「広告宣伝事務所」の方々が、そうした面まで視野に入れて業務をなさっているのか、心許なく感じるところはあります。

もちろん、そうした「広告集客事務所」ばかりを悪者にするつもりはなく、田舎の町弁達の中にも、広告ならぬ弁護士会の相談事業などを通じて、①の境遇の方に出逢い、十分な研鑽も積まずに無理な訴訟などを行ったり、逆に、行うべき主張をせずに権利を失効・埋没させる例もあるでしょうし、同時点の業界水準から見れば問題のある実務対応があっても、③の理由で発覚しないことも少なくないかもしれません。

また、この種の話は弁護士の業務の多くでありうるので、過払等(債務整理)に限ったことでは勿論ありませんし、他ならぬ私自身にもはね返ってくる話かもしれません。

ともあれ、その特集記事では、美容外科におけるインフォームド・コンセントの重要性や広告の自主規制、被害相談窓口等の充実などが強調されていましたが、これらは弁護士業界全体にも当てはまる面の大きい話と思われます。

それだけに、他ならぬ消費者委員会自身が、その改善(消費者被害としての弁護士被害の予防等)のための推進役を果たしていただければと思いますし、「過払広告」ばかりが咲き乱れるという意味では、異常な様相を呈しているといっても過言ではない現在の弁護士業界の場合、広告等のあるべき姿などについても再検討いただければと思っています。

弁護士会費の近未来と「大きな政府、小さな政府」

いわゆる司法改革に伴う弁護士の大増員政策については、肯否様々な評価があるところですが、若い弁護士が大量に増える一方で、全員が以前と同様の収入を得ることができるだけの仕事が確保されているわけではないということで、弁護士一人一人の仕事の質量も平均年収(所得)も下がっていることは、間違いないのではないかと思います。

ちなみに、「増員」について詳しくない方のため基礎的な情報を挙げておくと、平成2年頃までの司法試験の年間合格者(定員)は500名で、私が合格した平成9年は約750名、平成16年頃から1500名、平成20年頃から2000名前後となっています。

そして、裁判官・検察官の増員はほとんどなされていませんので、合格者が増えた分は、ほぼそのまま弁護士の増員につながっています。

弁護士の全体数も、平成12年に1万7000人だったものが、現在は約3万人ということで、上記の合格者数の急増から、老壮青の比率も相当にバランスが悪い(大雑把に言えば、45歳くらいが分水嶺で、それ以上の年齢層と40歳未満の年齢層で、大きな人数差がある)と言ってよいと思われます(少なくとも岩手に関しては、完全にそうした傾向があります。弁護士の性質上、年齢と経験年数が必ずしも噛み合わないという点にも留意すべきですが)。

ともあれ、弁護士数が急増した一方で、平成20年頃まで町弁業界では凄まじい需要があった債務整理問題は、一連の最高裁判決と立法改正等に伴い社会問題としては収束し、これに代わる特需等もないため、業界に一種の不況風が吹いており、弁護士の平均年収も大きく下がっていることは、確かだと思います(特需の一時期は、分相応を超えた年収になった人もそれなりにいたはずですので、その点は割り引いて考えるべきだとは思いますが)。

そして、日弁連をはじめ、業界内には、合格者数=新規弁護士数の抑制を求める声が力を増しており、こうした弁護士業界の魅力(収入的な)の低下や法科大学院政策の失敗ないし不人気(濫造と学費負担)などもあって、実質的な司法試験受験者数(或いは質)も減少・低下していくのではと思われますが、弁護士人口自体が急激な減少となることはないだろうと思われます。

そこで、「飢えた弁護士」達の標的の最有力候補とも目されているのが、月額で6万円以上が通例とされている(岩手も同様)、弁護士会費の減額問題です。

ただ、この件も、ブログの類では盛んに語られるものの、具体的に会費減額を旗印に会内の選挙云々(投票行動等)に取り組むという話(それこそ米国の茶会党のような話)は、不思議なほど聞いたことがありません。

そもそも、ブログ等で積極的に発言している方は、往々にしてアグレッシブ=弁護士として稼ぐ力を持っている方が多いので、問題を取り上げているご本人が、減額運動に精を出さなければならないほど窮迫していない(或いは暇でもない)ということなのかもしれません。

と同時に、「稼げない弁護士が弁護士会費の減額を求める」という図式が単純に成り立つのか、考えてみる必要があるように思います。

すなわち、弁護士にとって「稼ぐ力」とは、真っ当な力量を発揮すれば勝訴等の成果をあげて相応の成果・成功報酬をいただけるような、良質な仕事を継続的に獲得できる力を指すはずで、個人差はあるものの、専ら地上戦(人脈ネットワーク)で獲得する方もいれば、ネットなど(空中戦)を活用して顧客拡大を図る方もいるでしょう。

他方、こうした顧客獲得能力は、誰もが有するものではなく、人脈もないしHPなど独自宣伝する力もない、という弁護士にとっては、弁護士会の相談事業などに受注獲得のルートを依存せざるを得ず、そうした弁護士にとっては、事業体としての弁護士会自体が様々な事業を行って地域内で強大な顧客吸引能力を有する方が都合がいい、ということになると思われます。

そして、比較的所得が低い(その点で、会費減額にインセンティブがある)弁護士の層が、独力で顧客開拓を図る意欲等のある側か、逆=弁護士会等に依存したい側か、どちらが多いかと考えると、案外、後者の方が多いのかもしれないと思いますし、そうした弁護士にとっては、弁護士会が相応に会費を徴収し盛んに法律相談事業などを行って相談担当=受注獲得の機会を与えてくれた方がよい(その利益を失ってまで、会費減額=弁護士会の役割縮小を求めない)ということになると思います。

要するに、弁護士会の会費は、単に「増員したから会費を減らして欲しい」というほど単純な比例関係には立たず、むしろ、競争社会が本格的に生じているからこそ、「弱者たる弁護士を庇護=業務を供給する大きな弁護士会」を求める声も相応に出てくるであろうということで、事業体としての弁護士会の路線対立(大きな政府か小さな政府か)という問題と関わってくる事柄ではないかと思います。

そういう意味で、会費減額を主張される方の多くは、弁護士会に依存しなくとも弁護士としての生存ないし成功を収める力を持つ、弁護士会の役割縮小(小さな政府)を指向する方々ではないかという印象を受けるところがあります。

また、このような意味で弱者的立場にある若手の多くは、若いうちは自らは会費を負担せず勤務先が庇護する(或いは、会費自体は自己負担だったとしても、それに代替する形で所属先事務所等から何らかの経済的便宜を受ける)ことが多いでしょうから、なおのこと、「小さな政府よりも大きな政府」を指向しやすいのではないかと感じるところはあります。

ただ、仮に、そのような見立てが正しい=結果として弁護士会の会費が維持されたままという流れになるのであれば、なおのこと、相談事業などについては、その質(弁護士側にとっては顧客吸収力、利用者にとっては担当弁護士の力量等)が問われることになるでしょうが、この点は、少なくとも田舎弁護士たる私の認識としては、まだまだ発展途上という印象が否めません。

例えば、このブログでも何度か触れたことがありますが、震災後、岩手では、被災地出張相談や弁護士会の電話相談などが多数行われているところ、その全部がという訳でないものの、ほとんど相談者がない状態が続いているのに延々と続けられているというものも幾つか見られます。

担当弁護士の日当も低く抑えられているので、予算の垂れ流しというほどでもないと思いますが、それでも、会計検査院のようなところが監査をすれば、クレームが出るのではと思う事業もありますし、金銭面以上に、「往復4、5時間をかけて内陸から沿岸に相談に行ったのに、ゼロ~1件程度の相談件数のみだった」という話が延々続くと、震災の数年前位までは、8~10件の相談を矢継ぎ早にこなす(そのことで弁護士としての力を付けていく)のが当たり前という光景を知っている身としては、担当する若い弁護士さん達の心を何らかの形で蝕むのではないかと不安に感じるところがあります。

余談ながら、私も現在は月1回、法テラス気仙に行っていますが、こちらは法テラスの宣伝力(税金ですよね)の賜物か、平均3~4件の相談(来客)があり、もう少し開催頻度(担当者数)を減らしてもよいのではと思わないでもありませんが、まぁ許容範囲だとは思っています(受任件数はごく僅かですので、私にとっては大赤字事業ですが、これはやむを得ないというべきなのでしょう)。

ともあれ、そうした観点からも、今後も高額な会費を維持し続けるのであれば、岩手会のような規模では無理かもしれませんが、相応の規模の弁護士会などでは、相談事業などをマネジメントする専門家を採用又は業務委託するなどして、弁護士会の事業のレベルアップを図っていただきたいと思います。

以上に対し、東京などでは、弁護士会に依存せずCM等で顧客を大量に獲得し、若い弁護士を大量に採用し仕事を供給し、地方にまで触手を拡げている事務所も生じており、中には、内実も伴わずに専門性を標榜しているのではなどと批判されているところもあります。

仮に、そうした事務所が力をつけ、弁護士会に依存せずとも適正に仕事を供給するルートとして若い弁護士に認知・支持されるような事態にでもなれば、「小さな弁護士会」を指向する大きな力が働くということもあるかもしれません。

ただ、そのような展開になる前に、そうした事務所自体が今後も維持できるのかという話もありうるのかもしれませんが。

また、社会人・他業経験者など、相応の経験・年齢を積んだ後に弁護士となった方なども、ご自身が積み上げたルートによる顧客獲得の力をお持ちでしょうから、そうした方が今後どれだけ増えるのかという点にも注目してよいのかもしれません。

さらに言えば、企業・団体に就職する方など、自営業ではない(法律相談事業の参加など受注獲得等を弁護士会に依存する必要が微塵もない)弁護士が増えてくれば、会費の減額圧力が強まることは確かではないかと思います。

ただ、このような「新たな弁護士像」路線に進む方々にとっては、社会内での弁護士会のプレゼンスの拡大が望ましいという面もあるはずで、自身の会費負担の減額のみ求める=会費の細分化=相談事業や裁判所受託業務の配点(さらには委員会等の参加資格)などの別料金制を主張することになるのではと思いますが。

ともあれ、どのような形になるかはともかく、ここ10~20年のうちに弁護士会という組織が何らかの大きな変容ないし揺さぶりを経験することになることだけは、間違いないだろうと思います。

その際、「大きな政府(弁護士会)か小さな政府か」と、「分権(各地弁護士会の割拠独立の維持)か集権(日弁連や大規模会等への実質的な権限集中)か」というのが、基本的な視点の一つになるでしょうから(他にも、「弁護士会が人権云々を標榜して行う、政治的・党派的色彩を伴う活動を多額の資金(会費)を投じて行うことの当否」という論点があることは申すまでもありませんが)、そうしたことも踏まえて、物事の成り行きを静かに見守っていきたいと思っています。