北奥法律事務所

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弁護士業務一般

「古き良き中央大」を作り上げたものとロースクールの現在

先日、中央大の学員時報(OB向け新聞)が届いたのですが、「戦前の法曹界は中央よりも明治の方が多くの人材を輩出していた。それが逆転した(中央が東大よりも司法試験合格者数が多い時代が一定期間続いた)大きな原因は、学費が安かったからだ」と仰る、当時を経験された大物OB(弁護士)の方の投稿が載っていました(裏付けは調べていませんので、本当に明治大の方が合格者数が多い時代があったのかは存じません)。

また、投稿から察するに、当時の中央大は戦略的に(司法試験合格者増を狙って)学費を安くしたのではなく、たまたま戦争で建物が焼けずに済んだ(明治等は焼けて建て直しのため学費が高くなったそうです)という話ではないかと思われます。

実際、私が入学した頃まで、中央大の大学当局は司法試験受験生の面倒なんてほとんど見ておらず、見ていたのは「OB支援付き受験サークル」とでもいうべき各研究室でした(大学が本腰を入れるようになったのは、平成5~10年前後からというのが一般的な見方だと思います)。

あと、戦争で失業した若い優秀な軍人さん(陸士・海兵等出身者)が東大等への進学をGHQに制限されたことも大きい(失業した高級将校が学費の安い中央に殺到した)という話も書かれていましたが、その点は、鹿児島ラ・サールが超進学校となった経緯に関する噂話(公職追放された東大等の先生を受け入れてスパルタ教育?をしたとか)と似ていると感じました。

ちなみに、私は函館ラ・サール(地方では平凡なレベルの進学校)の出身なので姉妹校などと畏れ多くて言えませんが、高校時代に上記のような話を聞いたことがあり、ラ・サール会は函館の方に先に学校を作りたかったのに軍に反対されて出来なかったので、そうなっていれば函館の方が超進学校になったんじゃないかなどと、負け惜しみ?じみた話も聞きましたが、それだと私は入れなかったので、鹿児島に出来てくれて助かったと思ったりしたものです。

そういえば、私が東京時代にお仕えした先生(中央OB)も、海軍経理学校(中曽根首相の出身校)のご出身だと聞かされていました。

で、冒頭の投稿をされていた大先生は、そうした話に続けて「中央が多摩に移転したのは間違いだった、優秀な学者さんを集めて都心への再移転を目指すべき」と締めくくっておられるのですが、その当否はさておき、冒頭の話に加え、あまりにも学費が高いと批判されているロースクール制度のことを考えれば、「中央ロースクールは学費を他大学の数分の1にして(大学に金がないので)学者さんは3流ばかりになっても仕方がないから安さに惹かれて集まってくる(選抜される)優秀な学生さんの自主学習で、司法試験合格者数1位を取り戻そう」と締めくくった方が、文章の筋道が立つのではと思われます。

ただ、さすがに、そのように書くと「大人の事情」に抵触するでしょうから、そのことを意識されたのかそうでないのかは分かりませんが、上記のような締めくくり方になったのかなと思ったりもしたのでした。

余談ながら、私自身は中央大の真法会答練制度という、努力と運と適性さえあれば、ほとんど金をかけずに合格できるシステム(とりわけ、室員は合格後は修習開始まで奴隷と化す?のと引き換えに一貫して無料で受講できました)の恩恵に与った最後の世代です(当時は予備校の全盛期で、すでに現役大学生には知名度不足となっていた真法答練は平成10年に終了を余儀なくされました)。

そのせいか「司法試験に合格するために多額の学費を投じなければならない(しかも講義が試験勉強にはあまり直結していないらしい?)」システムに変貌してしまったという話を聞くと、余計に、搾取じみたもの(何らかの不正義)を感じずにはいられないところがあります。

今も若い方々には大したことはできていませんが、せめて相手方代理人などで対峙し、残念な主張立証を感じたときなどは、徹底的に法論理を駆使してトラウマになるくらい完膚無きまでにやっつけて、ではなくて(そんな力量もありませんし)、懇切丁寧に私なりの法律論を説明してOJT的な学びの機会を持っていただこうという姿勢で、反論書面などを書くように心がけているつもりです。

事件の当事者を人前で呼び捨てにする人々

この仕事をしていると、事件の当事者について、敬称(さん、氏など)を付して呼ぶ方もいれば、それらを付さずに呼び捨てにする人もいて、特に、刑事被告人等について、人によって分かれることが多いことは皆さんもご存知のとおりです。

そして、そのような光景(発言)に出くわすと、そのいずれ(敬称を付すかどうか)が正しいかというよりも、発言者が、その当事者ないし事件とどのように向き合っているかが何となく感じられる面があります。

刑事事件で、威厳あふれる刑事事件の裁判長や老練なベテラン弁護士さん、糾弾すべき立場にある検察官が呼び捨てにするのであれば、私自身は、違和感を持つことはほとんどありません。まして、深刻な被害を受けた被害者ご本人等であれば、被害感情を表現する趣旨で呼び捨てにするのは当然と言ってもよいのだろうと思います。

これに対し、若い修習生や弁護士、記者などが、横柄な態度で当事者を呼び捨てにしているのを聞かされると、そうした姿勢は、あなた自身への刃となって返ってくるのではありませんか、と感じるところが往々にしてあります。

先日、ある事件で、裁判所の門前で記者さん達に囲まれ、事件の進行状況等についてコメントしたことがあり、その際、私が終始一貫、関係当事者らを「●●氏」と呼んでいるのに対し、事件の当事者から何某かの迷惑行為を受けたわけでもないのであろう若い記者さん達の何人かが、そうでない呼び方(や態度)を示しているのを聞いていると、そんなことを感じたりします。

少なくとも、相対的に第三者性が強い立場の方が、事件の当事者に表立って乱暴な言葉遣いをしているのを見ると、どうしても、「威を借る」的な臭いがして、何だかなぁと思ってしまいます。

上記のケースでは、若い記者の何人かが、刑事手続を受けていない方も含め、事件の関係者を当たり前のように呼び捨てにしていたのですが、この記者さん達がそのような話し方をしているのには、どのような背景(マスメディアの社内・業界内の環境=取材対象者への向き合い方に関する文化)あるのだろうと考えずにはいられないものあがります。

もとより、記者の方が取材対象者に怒りを持ったのなら、乱暴な言葉遣いや態度で虚勢を張るのではなく、自らの努力で取材対象者を糾弾できる根拠となる事実を発掘する姿勢を身につけていただきたいと思いますが、私が記者の方と接点を持った数少ない経験の範囲では、そうしたものを感じたことはほとんどありません。

そのような姿勢を学ぶ機会を持たないまま社内で影響力を持ってしまう人もそれなりにいるのだろうかと思うと、残念に感じてしまいます。

私もそうでしたが、若い業界人(修習生や駆け出し期)だと、検察修習等の影響が残っているのかな(或いは、未熟さ・自信のなさが、かえって虚勢的なものにすがらせやすいのかな)と思いますし、そうしたものは、弁護士として叩き上げの経験を持てば、ほどなく解消されるのが通常ではないかと思っています。

記者さんも、個人差があるのでしょうが、中堅の方の方が、そうした(対外的な)言葉遣いが丁寧かなと感じたりしますので、法律家と同様?に、経験を積んで、事件や人に対し、相応の謙虚さを持っていただければと思います。

 

弁護士業界のグローバル経済とローカル経済

先日、冨山和彦氏の「なぜローカル経済から日本は甦るのか」という新書本を購入したのですが(まだ未読)、今日の午前中に、BS朝日の激論クロスファイアで同氏が出演し、同じテーマで話をされていたので、途中からでしたが、興味深く拝聴しました。

冨山氏に関しては、司法試験に合格しながら事業家に進んだ先駆者という意味で、以前からちょっとしたファンのようなもので、初期の著書を拝読するなどしていました。

で、先日、上記書籍を書店で手にとった際、そこで図示されていた、「グローバル経済(G)とローカル経済(L)の特徴」とで列挙されていた要素が、以下のように、前者(G)=世界や全国規模で活躍する企業法務等(やそのカウンターパートとしての大規模消費者被害)を取り扱う弁護士さん達の世界で、後者(L)が、私のような地方の町弁の世界によくあてはまる(或いは、弁護士業界も、G側とL側の乖離がより顕著になってきているのではないか)と感じ、読書欲を駆り立てられて購入した次第です。

・Gの世界→製造業、大企業が中心でグローバル経済化での完全競争
高度な技能を持つ人材が求められ、高賃金

・Lの世界→非製造、中堅・中小企業によるローカル圏での不完全競争
平均的技能を持つ人材が求められ賃金が上がりにくい

すでに、G側(特に企業法務に特化した弁護士)とL側(町弁)とは、同じ職業ではないと言わざるをえないほど「働き方の違い(一種の階層分化)」が確立したと思いますが、現在、議論がなされつつある業界の構造激変に対応した弁護士会の改革問題(会のサービスを享受しない会員等の会費減額運動から組織再編等まで)を考える上では、上部組織としての日弁連はまだしも、下部組織については、都道府県単位での単位会(だけ)という括りが、いかにも不合理という感じがしています。

法曹の一体性を重視する立場の方からすれば、異論も大きいところだろうとは思いますが、少なくとも、思考実験としては、「G側の弁護士とL側の弁護士」に区分して弁護士会(業界団体)を再編した場合に、どのような業界団体像が考えられるか、ということも検討してみてよいのではないかと感じています。

また、その延長線上でふと思ったのですが、現在、大企業の世界では、社外取締役の推進という議論が盛んになされていると思いますが、私の勘違いでなければ、日弁連や各地弁護士会に、社外役員(弁護士以外に理事会等の重要な意思決定に外部の企業・団体の経営者等が参画し一定の影響を及ぼす立場の方)が設けられた(或いは、設けるべき)という話は聞いたことがありません。

不勉強なので、法規制等の問題があるのかもしれませんが、弁護士会に限らず、「業界団体の役員について、発言力のある外部関係者を投入し組織を活性化、変革する梃子にする」という視点は、もっと持ってよいのではと思います(少なくとも、社外取締役の給源として期待され営業している弁護士業界自身が、弁護士の独立なるものを理由に、自社に社外役員なんか入れません、というのでは、何の説得力もないと思いますし)。

 

岩手と沖縄の訴訟件数に関する格差から考える

先日、那覇地裁に7月下旬に提訴された事件の訴状を拝見する機会があり、事件番号(平成26年ワ第何号)が550番台になっていました。

これに対し、私が7月上旬に盛岡地裁に提訴した民事訴訟の事件番号が150番弱となっており、事件番号は、私の誤解でなければ、その年の1月1日以後、受理した順に付されますので、それを前提に考えれば、盛岡地裁と那覇地裁とでは、地裁本庁に係属する民事訴訟の件数が、約3倍もの開きがあるということになります。

ちなみに、ネットでざっと見たところ、岩手県の人口は130万強、沖縄県の人口が142万強ということで、ほとんど差がありませんから、単純人口比で言えば、同程度の訴訟件数があってしかるべきだということになるはずです。

人間の社会・経済上の活動が活発さの程度に応じて訴訟件数も変化すると思いますし、東京地裁のように制度的・社会的に訴訟件数が集中し易い大都市であればともかく、岩手と沖縄であれば、共にそのような問題(他県裁判所に訴訟が吸い上げられたり他県から吸い上げたりする訴訟のストロー減少)にはさほど縁がないと思われ、単純に、上記の活発さの差と訴訟件数の差をパラレルに捉え易いのではないかと思われます。

ですので、このような差が出ることに、双方の支部数の差(岩手6、沖縄4)を考慮しても、岩手と沖縄とは、社会・経済上、一定の格差があるのだろうと感じざるを得ないところがあります。

岩手の現在の弁護士数は約100名ですが、沖縄弁護士会のHPによれば、同会の会員数は250名強とのことで、その比較からすれば、沖縄の半分弱程度(上記時点で言えば、200~230件程度)の訴訟件数はあってほしいというのが、地元の弁護士の率直な感想です。

震災直後、被災地相談支援でいらした大阪の先生が「大阪の弁護士は沖縄が大好きで、移住者も多い。沖縄と関西の関係のように、岩手も、大都市圏とのつながりをもっと盛んにすべきでは」と仰っていたのを、何となく思い出しました。

どれほどの数かは分かりませんが、震災後、復興特需の影響?で関西方面から移ってこられた方にお会いしたこともあり、そうしたことも含めた人口増や交流人口増等を促進することについて、もっと様々な取り組みが広まればと願っています。

 

内実の伴わない?「専門」標榜事務所に対する裁判所の認識

先日、ある交通事故(被害が甚大で請求額も大きく、過失相殺なども絡んで争いのある金額が大きかった事件)で、裁判所から概ね当方の主張に沿う内容・金額の和解勧告をいただき、無事に和解が成立して解決しました。

特に、依頼主(被害者)には最も抵抗があった過失相殺の是非の論点で当方の過失をゼロとする勧告(判断)をいただいた点で、満足いただけるものとなったと自負しています。

和解が成立した期日で、裁判官と雑談する時間があり、その際、「東京では、現在、交通事故専門を謳ってCM等で大々的に宣伝している事務所があり、最近、東京地裁でその事務所が被害者代理人として提訴してくる案件が増えている。しかし、現実には、十分なスキルを持たず、裁判所から見れば杜撰な仕事となっている例が散見される。裁判所の指示には大人しく従うので(具体的に明示されませんでしたが、恐らく、裁判所が不合理だと判断した請求・主張の撤回などを指すと思われます)、裁判官としてはやりにくいわけではないが、当事者(被害者)にとって、これでよいのかと思うこともある」という趣旨のコメントをなさっていました。

このブログでは特定の事務所を批判する意図はありませんので具体的な名称等は差し控えますが、この事務所に関しては業界内での評判が芳しくないとの話をよく聞かされていたため、裁判所からも、こうした話が出てくるのだなぁと思わずにはいられませんでした。

それはともかく、この事務所に限らず、内実を必ずしも備えていないのに専門性を標榜ないし強調して顧客の勧誘をしている「看板に偽りあり」的な話は、現在の弁護士業界が抱える問題の1つと言ってよいのではないかと思います。

そもそも、「その仕事を、どのような弁護士に依頼するのが適切か」を決めるにあたって最も重要なことは、「その弁護士が、対象事件(の適正解決のため必要となる法律事務)を遂行するため、法律家として業界水準に照らし一般的以上の実力を備えているか否か」という点(その見極め)だと思いますが、対象事件を「専門」としているか(標榜しているか)は、その見極めにおいて、必ずしも決定的な役割を果たすわけではありません。

前提として「(弁護士の)専門」自体が、極めて曖昧、恣意的に用いられ易い言葉であり、例えば「その弁護士が、現に従事する時間総量の8割以上が、その事件類型に関する処理に占められている」のであれば、その類型を専門としていると評価してよいのではないかとは思います。

ただ、だからといって、様々な高度な論点が含まれ法律家としての総合的な実力が要求される複雑な事件を誰に依頼するかということを考えた場合に、「交通事故以外は一切受任しないと標榜しているが、経験や実績も不足し研鑽の端緒についたばかりの新人の弁護士」と、「交通事故に限らず、高度、複雑な論点を含む様々な事件を手がけて実績を挙げてきた、法律家としての実力の高いベテランの弁護士」とで、どちらが選ばれるかを考えれば、上記の意味での「専門」を問うことにどれだけの意味があるのかということは明らかだと思います。

とりわけ、弁護士(町弁)の業務は、様々な法律問題が背後で繋がっていることが多いなどの事情から、一部の分野を除き「専門」を過度に強調するのは適切ではありませんし、交渉技術など「分野に関係なく必要となる力」も多くあります。

私も、今も昔も、我が業界への知見の詳しくない方から「貴方の専門は何ですか」と聞かれることは多いのですが、「専門」を重視する必要がある事案は実際には限られている(或いは、他にも考慮すべき要素が多々ある)ということは、利用者サイドの健全な認識として、大事にしていただきたいと思います。

結論として、「この分野に経験、知見が深いのか知りたい」というものがあるのでしたら端的にその分野を明示して尋ねる方が賢明だと思います。

そうでなければ、現時点で取扱の多い分野だとか「売り」にしている、又は特に力を入れている分野があるかとか、特に実績や成果を上げた事件・分野としてどのようなものがあるかなどという形で聞いていただければよいのではと思います。

 

北東北は、「日本で最も弁護士が生きづらい地域」になったか

大阪の先生のブログ記事で、北東北三県(と福島)が、「昨年(25年)と5年前(21年)とで地裁が受理した事件数(誤解を恐れずに言えば「弁護士の仕事」)が全国で最も減っており、5年前の1/3~1/4のレベルまで落ち込んでいる」という統計情報が紹介されていました。
http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2014/07/03.html

この数字は、地元の人間(弁護士)としても、それなりに得心がいく数字です。もちろん、平成21年当時の特異な状況(過払訴訟特需というべき状況)の終焉が最大の要因だと思いますが、それ以外の民事訴訟(地裁管轄事件)が増えていないことも確かで(急減というのは言い過ぎの感があり、やや減という程度の表現が正しいかもしれません)、他方で弁護士の数は増えていますので、受任件数という点では、それなりに減っていると思います。

また、地裁事件以上に、倒産系(自己破産、管財、再生ほか。個人と企業の双方とも・特に後者)の方が、極端な急減になっていると感じます。これは全国的な話でもありますが、岩手の場合、平成20年前後における倒産事件の「最大母体」であった建設系の会社さん達が復興特需で劇的に回復されているため、全国以上に件数が減っているという面があると思います。

そんな訳で、当時の膨大な需要に対応するため人的・物的体制を整えていた(というか整備を余儀なくされた)当事務所の場合、その代償として、私一人で稼がなければならない運転資金の額が、地元の同世代の弁護士では恐らくトップクラスとなってしまい、震災を境に収益状況が極端な右肩下がりになり、現在は資金繰りに追われる日々という感は否めません。

ただ、当時は不思議なほどご縁が薄かった家事関係(夫婦、男女、親子、後見、相続など)の仕事が増えていますので(時給ベースで採算割れの仕事も多いですが)、それで何とか事務所(雇用)を維持しているという感じです。

それにしても、北東北三県は、統計上、「日本で一番人口減少が激しく、かつ日本で一番、自殺の多い地域」という不名誉な地位を拝受して久しく、言い換えれば、「日本で一番、生きるのが辛く(辛いと目され)、人々や社会に見捨てられる現実に直面している地域」ということになるのではないかと思います。

そうした社会の大きなうねりが、地裁事件の減少という面でも、日本で最も激しい落ち込みを示すという形で反映されていることを感じざるを得ませんし、そのことと、平成20年以前、北東北が長年に亘って「日本有数(最悪?)の弁護士過疎地域」と呼ばれていたことも併せて考えると、目眩がするというか、我々田舎の町弁も、極端に必要とされたり不要になったりと、社会状況の変動の激しさに翻弄されているという思いを禁じざるを得ません。

地元の弁護士会も、日弁連がなさっている様々な運動に関する下請作業も結構ですが、このような、北東北(や原発被害地・福島)が、日本で最も「弁護士が生きるのが辛い場所」になっているのかもしれないという現実から目を背けることなく、自分達の面前で起きている現象に対する健全な解決の実現という事柄に、もっとエネルギーを注いでいただければと思っています。

最近では「稼ぐインフラ」が地元で話題になっているので、弁護士会(の協同組合?)が特産品販売その他で稼いで会員に還元するなんて美味しい話もあってよいかもしれませんが、もともと商売っ気のない方々でしょうし、震災応援消費の時機も逸し、他力本願的な期待はすべきでないのでしょうね・・

弁護士による暴利行為の被害に遭わないために

最近の判例雑誌に、「交通事故の賠償手続などを受任した弁護士が依頼者から受領した金額が、受任業務の内容等に比して高額に過ぎる(暴利行為として公序良俗違反である)と認められ、一部の返還請求が認められた例」が載っていました(東京地判H25.9.11判時2219-73。要旨は以下のとおり)。

Xらは、子Aが交通事故で死亡し、XらはY弁護士に加害者への賠償請求等を依頼し、①相談料として5万円、②刑事告訴として100万円、③損賠請求の着手金として100万円、④自賠責請求報酬として255万円、以上の合計460万円を支払った。

その後、Yが提訴に難色を示したため、XらはYを解任し、上記の支払が暴利行為だとしてYに返還を求め、併せて慰謝料を請求した。Yは、Aの死亡が自殺(ゆえ、加害者への賠償請求が奏功しない)との疑いがあることなどが提訴に難色を示したもので、事故態様に争いがあることなどから既払金が不当に高額とは言えないとして請求を争った。

以上に対し、1審は④の自賠責報酬につき、100万円を超える部分を暴利行為として残金155万円の返還を認め、他の部分については棄却した。Xらの控訴に対し、2審は、③についてもYが訴訟提起に至っていないことから、50万円を超える部分を暴利とし、上記④を含め205万円の返還を命じた。

この事件はさておき、近時、噂話の類として、「東京などには、プロ(弁護士)の目から見れば、さしたる労力を投入しなくとも一定の成果が確実視されるなど、ごく簡単な事案なのに、あたかも成果獲得が非常に困難であり、それを、当該弁護士に依頼すれば実現させてあげるなどと吹聴して高額な報酬を請求する弁護士がおり、特に、刑事事件や交通事故、債務整理などに、その傾向が顕著である。そして、最近では、そうした弁護士が、広告宣伝などを通じて岩手など地方にも触手を伸ばしている」などと幾つかの方面から聞くことがあります。

具体的な紛争事案や問題事案を聞いたわけではなく、最近の業界の競争激化に伴う流言飛語の類もあり得るかもしれませんが、ここ数年の弁護士の激増に伴い、弁護士と依頼者との紛争が増えていることは間違いないと思います。

紹介した事件では、Yの主張によれば、Aの死亡に自殺の疑いがかけられ、それに起因して?Xらは警察等の対応に強い不満を持ち、Yに賠償請求だけでなく刑事告訴の委任もしているという事情があり、単純に「プロ(弁護士)の目から見れば、さほど手間のかからない簡単な案件」というわけではなく、むしろ、Y弁護士と依頼者Xとの間の意思疎通や争点への考え方の相違などに紛争の芽があったようです。

判決を見る限り、有効とされた部分の金額も決して少額とは言えませんが、裁判所は、そうした以上も考慮し、上記の判断に止めたものと思われます。

ただ、「ぼったくり事案」であれ「方針等を巡るトラブル事案」であれ、結局は、依頼者と弁護士との間に適切な意思疎通や信頼関係の構築がなされていないことが、紛争の根底にあることは間違いありません。

常にそこまで必要かはともかく、とりわけ、一般的には難易度が高いと見られる訴訟等を依頼するケースや、高額な金銭の授受が行われる(或いは想定される)ケースなどでは、相談・依頼先の弁護士に対し、適切に事実関係を説明し資料を提供することを前提に、見通しに関する丁寧な説明を受ける(求める)ことはもちろん、見通しや信頼関係の構築、費用の相当性などに多少なりとも不安を感じる点があれば、複数の弁護士に相談するなどして、相性的なことも含め、「自分が真に頼みたいと思える適切な弁護士を選ぶ」という姿勢を大切にしていただきたいと思います。

少なくとも、司法改革による弁護士の激増により、多くの方にとって、弁護士の選択権が増えた(これは、数年前までは、とりわけ地方では、ほとんど考えられなかったと言っても過言ではありません)ことは確かであり、そうした「チャンス」を上手に活かしていただきたいと思います。

 

地方の弁護士の横領事件に関する弁護士会の後始末と残された課題④

A氏事件(平成24年に発覚した盛岡市の某弁護士の横領事件)に関する投稿の4回目(完結編)です。

4 被害補償の問題

「弁護士の横領」に対し、現在、その被害を確実に填補する仕組みはないと思います。

この点、弁護士が、過失で依頼者に損害を及ぼした場合(一審敗訴判決を逆転できる見込みが十分にある事件の控訴を受任した弁護士が、提出期限を途過し敗訴を確定させてしまった場合が典型)には、大半の弁護士が加入している弁護士賠償保険の対象になり、保険会社から相当額の支払を受けることができます(幸い、現時点で私はお世話になったことがありません。他の先生のことは公刊の裁判例以外は知りませんが、岩手に移転し最初に保険に加入した際、これを扱っている保険代理店の方から、前年に管財絡みで県内で2件の支払例があったという話を聞いた記憶があります)。

しかし、横領は故意行為ですから、交通事故の保険と同じく、過誤を対象としている弁護士賠償保険の適用外となるはずです。

そして、横領事件を起こすような弁護士は、基本的には無資力であることが通例でしょうから、ほとんどの事案では、その弁護士の親族などが肩代わりするのでない限り、被害弁償は望めないということになるでしょう。

この点に関し、参考になる話を一つ、ご紹介したいと思います。

平成22年に日弁連の廃棄物部会で韓国の廃棄物法制を少しだけ勉強したことがあり、その際、韓国では「処理業者が不法投棄などをした場合に、原状回復費用を賄うための同業者による共済組合がある。韓国では、このような同業者共済に加入するか、保険会社による不法投棄保険(原状回復費用補償保険)に加入するか、いずれかをしないと廃棄物処理の仕事ができない仕組みになっている。もちろん、共済組合も保険会社も、原状回復費用の出費を極力抑えるため、加入する業者が不法投棄等をしないよう監査する仕組みを整えている。」という話を聞いたことがあります(ちなみに、日本の廃棄物処理法制には、このような仕組みは微塵もありません)。

運用実態などがよく分かりませんので、どこまで参考になるか分かりませんが、これを弁護士に当てはめれば、「弁護士として登録するためには、弁護士が横領をした際に被害弁償を賄うための共済組合に加入するか、横領被害を補償するための保険に加入するか、いずれかを選択しなければならず、かつ、弁護士は、加入先の組合や保険会社から、横領等をしていないか業務監査を受けることを受忍しなければならない」ということになると思います。

もちろん、このような話を今の業界が受け入れるはずもなく(予防策の項で書いたようにコスト負担の問題もあります)、現実的な話ではないというべきかもしれませんが、今後、横領その他の不祥事(顧客に被害が及ぶ事件等)が頻発すれば、こうした急進的が議論も力を増してくるかもしれません。

ただ、このような話になってくれば、少なくとも岩手弁護士会のような規模の小さな団体には手に負えるものではないでしょうから、そのときが、弁護士会という存在(牧歌的なものとしての弁護士会の単位会自治という文化)が終焉を迎える時ということになるのでしょう。

5 事件の引取等について

最後に、余談のような話ですが、ここまで書いてきた「予防・補償」の話は、情報開示の話を別とすれば、いずれも夢想ないし非現実的と見なされるような事柄なのだと思います。

そのため、抜本的な防止・補償策というものは存在しない状態が続きますので、その埋め合わせのような形で、今後も、今回の岩手弁護士会が選択したように、「加害者と同一商圏内で営業している同業者(弁護士)に、係属中の事件の無償引取を要請する」という話が出てくる(悪く言えば、この程度のことしかできない)のでしょう。

ただ、それは結局のところ、事件を引き取る弁護士の善意に依存せざるを得ませんので、個々の弁護士が経済的に窮すれば、私に配点されたように成果報酬は期待できる事件はまだしも、それも期待できない事件などは、引き取り手を見つけることができない方向に傾いていくのだと思いますし、業界全体がそのような方向に傾きつつあることは、否定しがたいと思います。

或いは、そうした完全無償案件などを引き取る弁護士のため、会員(弁護士)向けに一定の費用補償制度が設けられることもあり得るかもしれませんが、それはそれで、その原資をどのように賄うのか(会費で特別会計を作る?)といった問題があるのだろうと思います。

少なくとも、横領のような問題が全国で多く見られるようになってきたことも、業界が激動期であると共に一種の斜陽期であることの象徴的な姿と言わざるを得ないのでしょうから、そうした流れに負けないよう、自分でできることを地道に頑張っていきたいと思っています。

以上、大変な長文になってしまいましたが、一連の投稿をすべてご覧いただいた方には御礼申し上げると共に、問題意識を少しでも共有していただければ幸いです。

地方の弁護士の横領事件に関する弁護士会の後始末と残された課題③

A氏事件(平成24年に発覚した盛岡市の某弁護士の横領事件)に関する投稿の3回目です。

3 予防とそれに関連する問題

(1) 事件発生までのA氏の活動に関し私が知っていたこと

ところで、この種の問題は、被害回復という観点からは、横領事件が発覚した時点では手遅れである、或いは本人の親族等が被害弁償を拠出するのでない限り、被害弁償は期待できないことがほとんどだと思います。

その意味で、弁護士会というより各会員の横領問題を回避するための適切な措置について、実際の事案を踏まえて十分な検討がなされるべき必要があると思います(ネット公開されている岡山弁護士会の要約報告書は、事案の点もさることながら、この点でインパクトのある対策が説明されていないように思います)。

この点、分かりやすい方策の一つとして、会員に関する不祥事などのリスク情報の適切な管理と公表ということが考えられます。

そして、本件のA氏に関しては、私以外にも当時から既にご存知の方もいたのではないかと思いますが、A氏は、岩手に戻ってくる以前に、東京で問題のある弁護活動(代理人業務)を行ったとして、実名入りの書籍で取り上げられていたという話があります。

これは、ネット上でも簡単に検索できる話であり、ここで書籍名を記載するのは遠慮させていただきますが、要するに「医療過誤を理由とする損害賠償請求訴訟を、高額な着手金を得て被害者側で受任したが、ハードルの高そうな(容易には医療側の過失が認められないと見込まれる)事件なのに、これを遂行するだけの力量や弁護士としての誠実さを到底欠くのではないかと依頼者が強い疑念を感じる行動(代理人業務等)が多々あった」という内容になっていたと記憶しています。

私自身は、この書籍を刊行直後(A氏がまだ東京で執務していた時代)に購入して読んでおり、A氏の件は、書籍冒頭の非常にインパクトのある記事として取り上げられていましたので、A氏が盛岡に来て間もなく、「この人は、あの本で取り上げられた人ではないか」と気づいていました。

ただ、そうはいうものの、同業者のこうしたマイナス情報を他に言いふらすのもいかがなものかということで、私自身はこの話を誰にも話さなかったと記憶しています(妻には教えたかもしれませんが)。もちろん、殊更にA氏をかばったのではなく、そのような話を自分で言いふらすのが嫌だからというだけの話です。

その上で、A氏が上記の書籍どおりの人物なのか、その経験をバネに研鑽を積んで医療過誤に限らず大概の分野で適切な仕事をできるようになっているのか、見極める機会を持てればと思っていたのですが、残念ながら、直接対決(互いに原告又は被告の代理人として訴訟等で対決する立場)などA氏の仕事上の能力を見極める機会には恵まれませんでした。

余談ながら、私も岩手に戻って約10年になりますが、不思議なもので、A氏に限らず、未だに直接対決の機会に恵まれない先生は何人もいて、他方で何度も(5回以上)対決している先生も数名おられますので、こればかりは、ご縁ないし運としか言いようがありません。

ただ、連載の最初に記載したとおり、A氏が岩手に登録替えして間もない平成18~20年頃には、A氏には何度かお会いしたことがあります。登録直後の時期に、私の事務所に訪ねてきたこともあり、その際、岩手で自分の事務所を開設するための準備として、様々な事務所を訪問して経営に関する話を聞きたいと申し入れていると述べていました(私も、当事務所を開設した際の大まかな流れをお伝えしたはずです)。

正直なところ、その頃の大まかな印象としては、上記の書籍で描かれたA氏像を払拭するだけの「良い(優秀な)弁護士であるという印象」を持つことはできませんでしたが、予断でその種の心証を持つのは嫌ですので、とりあえず今後も注視しておこうと思ったことは覚えています。

A氏は、岩手に登録替えした当初、県内では大物弁護士として著名な某先生の事務所に1年近く所属し(勤務弁護士?)、その後(平成19~20年頃)、独立開業したとの記憶ですが、しばらくして、「A氏が、登記問題に力を入れたいと称して、自分の事務所に登記部門なるものを開設し、司法書士を勤務者として雇用している」という噂話を聞いたことがあります(大筋で実話と聞いています)。

その際、私自身は、そんな需要があるのか(殊更に司法書士ではなく弁護士に様々な登記事務を依頼したいなどという依頼者がどれほどいるというのか)大いに疑問に感じ(少なくとも、私は、そのような経験をしたことがほとんどありません)、単純に「弁護士と司法書士の共同事務所」というのであれば、まあ理解できる話ではあるけれど、A氏に、そうした(自分がボス的な立場であることを前提とした)共同事務所を経営していくだけの力量、センスが十分に備わっているのだろうかと、僭越ながら感じてはいました。

ただ、私も、A氏と懇意にしていたわけではありませんし(年齢差も大きい上、私の性格からしても、殊更に相談も受けていないのに厳しいコメントを他者にしていくようなキャラではありません)、上記のとおり平成20年頃を過ぎてからはお会いする機会もなく、接点のない状態が続きました。

その後、平成23年半ば頃に、交通事故の損害賠償事件で、A氏が被害者側代理人、私が加害者側(その頃ご紹介をいただいて事件をお引き受けするようになった某損保会社さん)の代理人として、対峙した事件(示談交渉)がありました。

それは、馬鹿馬鹿しい話なのですが、事故や被害者の方の損害は相当に軽微で損害算定上の論点もない事件で、損保側(当方)ではA氏が提示した金額を受け入れる判断をし、A氏にも伝えていたのですが、本筋とは離れた些細な話(感情的なこと)でA氏が気分を害して損保側からの連絡に応じないといった話があり、それで、弁護士が窓口となればすぐに応じるだろうということで、私に依頼があったものです。

そのため、私が通知してすぐに和解がまとまったのですが、その際、A氏が本筋と離れたところで損保側に感情的な不満を述べるFAXを私に送信してきたことがあり、何だかなぁと思ったのを覚えています。

後にも先にも、私がA氏と「直接対決」(というほどの事件ではありませんが)したのは、この1件だけとなりました。

(2) 不祥事予防策としての弁護士の情報開示など

で、何のために、こうした昔話を延々と書いてきたかといいますと、A氏に事件を依頼し高額な金員を預託した「業務上横領事件の被害者」や、本件では私のように着手金ゼロで事件の引継ぎを受けたにせよ、このような弁護士会の取組がなければ、着手金被害(他の弁護士に再依頼するための着手金等の二重負担)を受けていたはずの方々は、恐らく、A氏に関する弁護士としての情報をほとんど知らないまま依頼をしていたのではないか(仮に、A氏に関する様々な情報を知っていれば、依頼をせず、結果として被害を受けなかったのではないか)ということです。

少なくとも、私が、弁護士に何らかの仕事を依頼しなければならない立場になった場合は、その弁護士(例えばA氏)は、どのような経歴等の持ち主か、弁護士としてどの程度の力量の持ち主か、どのような事件の取扱が多いか、標榜している得意分野があるか、仮にあるとして、その標榜は内実が伴っているか、経営や健康その他の私的問題など依頼した業務を完遂できなくなるリスクを抱えているということはないかなどとという、自分の仕事を任せるに足る総合的な力量を備えているかどうかを推し量るための様々な情報を欲する(可能な限り、その情報を収集した上で、依頼する弁護士の方を選定したい)と思います。

この点、業務上横領などという事件(犯罪)は、一朝一夕に起こるものではなく、様々な予兆、積み重ねがあって生じるものであることは間違いありません。そして、典型例というべき、企業・団体の役員、従業員が横領事件を起こすケースでは、往々にして、企業等の責任者側(被害財産の適正な管理に責任を持つべき立場の者やその補助の責任を持つ者)の意識(責任感)が乏しく、横領をした行為者に対し、その立場、地位に相応しくない態様で、長期間に亘って財産管理を丸投げしている例が少なくないため、酷な言い方をすれば、被害の発生は自業自得だと言わざるを得ない一面があります。

これに対し、弁護士(町弁)の横領の場合、個々の依頼者とは長期的な関係ではないことがほとんどであるため、最後に依頼した方々がババ(貧乏くじ)を引いたという面が濃厚に生じます(だからこそ、これを放置するのは弁護士というシステムに対する信頼問題に直結すると思います)。

もちろん、「弁護士であれば誰でもよいという大甘?な考えは持たず、自分の頭で様々な情報を収集、分析し、安心して依頼できる弁護士をシビアに選択しようとする人」であれば、横領を開始していた時期のA氏のような弁護士には依頼しない(何か不審な点を感じて依頼を取りやめる)といったことになるとは思います。

しかし、そのように弁護士を値踏みして選定する方は、以前はごく一部しか存在しなかったと思いますし、その点は、少し前までの弁護士業界の特性とそれに対する世間的な感覚(長年に亘り供給数を絞り込んできたことによる恒常的な弁護士不足=選択の余地が乏しいこと、これと裏腹の、業界全体の信頼感の高さ=弁護士であれば誰でも、(特殊な分野を別とすれば)ある程度以上の仕事はしてくれるはずだし、まして、不合理な理由で受任仕事を放り投げることもないはずだという感覚)から、やむを得ないというか、当たり前といってよい面があります(何より、弁護士の側にそうした信頼を守っていく不断の努力が求められていることは、申すまでもありません)。

また、A氏のような例は、今も、業界人の一般的な感覚として「生じるはずのない話」ですし、岩手で前代未聞であることはもちろん、私も情報通とは言えませんが、正直言って、少なくとも若い世代を含めて現在の会員の方々を見る限り、今後30年以上は岩手で同じ事件が起こることはないと思います(というか、信じたいです)。

ただ、最近も他県では若い世代を含め、この種の事件が発覚しているという現実もあり、A氏のような弁護士が一定程度存在し、かつ、横領の被害に対する抜本的な救済制度が設けられていない(次号参照)という現実がある以上、自分が貧乏くじを引かないようにするためには、弁護士への目利き力を高める(最低限、その意識を持つ)ことしかありません。

そして、(決して万能ではありませんし、迂遠な方法かもしれませんが)予防のための利用者側の目利き力を高めるという観点から現実的に可能な路線としては、個々の弁護士が、もっと自身について適切な方法で情報開示を行う(そうすべきだという文化を創り上げていく)ことが、望ましいのではないかと思っています。

少なくとも、弁護士であれば、誰もが司法試験の勉強を通じて「表現の自由や知る権利は民主政の内実を高めるため必要不可欠(政治的意思決定のための適切な情報の流通の確保が、適切な決定を担保する)」ということを勉強しているはずですが、肝心の司法業界(弁護士に限らず)自体が、このような「表現の自由と知る権利」の充実化におよそ熱心であったとは言えず、未だ、この論考で述べているような観点から個々の弁護士や業界全体に関する適切な情報開示等のシステムないし文化を創っていこうという動きは見られないと思います。

敢えて言えば、個々の弁護士のHPやブログなどは、見苦しい誇大宣伝的なものや、自己満足のグタグタ記事ばかりのものも無いわけではありませんが(などと言うとブーメランになりそうですが)、コンテンツを作成する個々の弁護士の人柄や力量などが一定程度、感じ取れるものにはなっているものも増えていますので、そうしたものについては、一種の情報開示的な機能を果たしていると思いますし、当事務所のHPも、そのような観点を含めて作成しているつもりです(多忙等を理由に色々な意味で中途半端ではありますが)。

また、弁護士自身ではなく、第三者の評価的な文化がもっと醸成されるべきではないかとも感じており、できれば、悪口的なものばかりが目立ちやすい匿名投稿の口コミサイトのようなものではなく、ミシュランガイドのような?世間的にも一定の信頼感をもって受け入れられる精度の高い第三者評価の仕組みが、町弁業界にも出来上がってくればよいのではと思っています。

もちろん、特に若い世代に言えることですが、個々の弁護士の能力やコンディション等は時の経過で大きく異なってきますので、一定の時点の評価などが一人歩きしないような工夫ないし配慮も必要なのだとは思いますが。

ともあれ、究極的には、そうしたものを通じて、個々の弁護士が、自身が現に接している依頼者だけでなく、世間全体が自分の仕事ぶりを見ているのだという緊張感を持って仕事をしていくことが、不祥事を抑止する一つの方法になりうるかもしれません(もちろん、これが強調されすぎると一種の監視社会になりうるわけで、バランス感覚が問われるでしょうが)。

(3) 弁護士のメンタル上の疾患に対する対処

次に、不祥事防止という観点から、本件との関係で特に強調されるべき点として、いわゆるメンタル面の問題があると思います。

A氏の刑事事件に関する報道では、A氏がメンタル面で病気を抱えていたという趣旨の報道があったと記憶しています。今だから言えることなのかもしれませんが、正直なところ、その点は違和感がありませんでした。

私が接する機会があった平成18~20年頃のことは分かりませんが、その頃から精神的にタフな方ではないという印象は持っていましたし、前述の書籍の存在をA氏自身がご存知であれば(たぶん、ご存知だったと思います)、正直、弁護士としては(弁護士を続けていくには)非常に辛いものがありますので、「もともと(弁護士は様々なストレスを抱えやすい仕事でありながら)精神的にタフではない上に、過去の不祥事による負荷を抱えていた」などの点で、通常よりは精神的な健康を害しやすい面はあったと思います。

また、A氏のプライベートなことはほとんど存じませんし、私が聞いた範囲のこともここで書くべきではないでしょうが、私が聞いた限りで、そうした負荷を和らげるなど精神面で支えてくれる方の存在に、あまり恵まれていなかったのではと感じるところはあります。

まして、A氏は基本的な部分で真面目な(或いは、ある種の臆病さを持った)方と認識していましたので、そのような方がこの種の行為に及ぶこと自体、メンタル面の問題を抱えていたことは間違いないと思います。

ところで、我々だけがというつもりはありませんが、弁護士の仕事は、ただでさえ傭兵(喧嘩商売)のような面がある上に、紛争を抱えて一杯一杯の(普段と違って余裕がなく神経質等になっている)精神状態の方をはじめ、コミュニケーションに様々な問題を抱えた方との接触を余儀なくされることが日常茶飯事で、そのような方に対し法的な事柄を説明したり、それを前提とした一定の行動等を求めなければならないこと、仕事自体のプレッシャーなども時に相当強いものがあることなどから、比較的、ストレスを感じることが多いタイプの仕事であることは否定しがたいと思います。

その上、ご承知のとおり、現在の弁護士業界は、(横領に限らず)町弁として生き残ることができない層が一定程度出現することが確実視されている、大競争時代に突入していますので、少なからぬ弁護士が、業務上のストレスと、経営上(弁護士としての存続上)のストレスの双方を抱えています。

そのため、ストレスが昂じて精神面の健康を害し、横領以外を含め、結局は何らかの形で依頼者にも迷惑をかけるという弁護士が、今後ますます増えてくることは、相応に予測されると言わざるを得ないと思います。

特に私が危惧しているのは自殺の問題(とりわけ比較的若い世代の弁護士に関する事務所の経営難を苦とする自殺)であり、この点については私は統計的なものは何も存じませんが、噂話の類では、そうしたものが増加傾向にあるという話を聞いたことがあるような気もしています。

この種の問題はとてもデリケートですので、私も軽々にものを言えませんが、少なくとも、業界内に、そうした問題を二重三重にフォローできる仕組みがあればと思わないでもありません。

少し話が飛躍しますが、こうした問題は、「弁護士大増員時代では、大事務所などに就職しない普通の弁護士も、これまでのような自分の事務所を構えるような伝統的な町弁とは異なった生き方を模索していかなければならない」という話と繋がった事柄だと感じますし、そうしたことも視野に入れながら、業界の未来像や個々の弁護士の行く末などを考えていくべきではないかと思います。

(4) 預かり金の調査など

ところで、「横領」という問題に限って言えば、端的に、弁護士が預かり金を依頼者の承諾がない限り出金できないような仕組みを作ってしまえば、確実に防ぐことができるのではないかと思います。

そのため、例えば、弁護士が預かり金口座から出金する場合には、インターネットバンキングを経由し、かつ、資金移動の際に、依頼者にその旨が通知(メール等)され、依頼者が予め登録した所定のパスワードを入力するなどして、はじめて出金ができるような仕組み(要するに、預かり金の関係者やその利害を代弁できる第三者の認証を必要とする仕組み)を作ることができれば、一挙解決になるのではないかと思います(なお、ネットバンキングができない人は、依頼者と一緒に窓口で手続するなど本人の了解が確認ができなければ出金できないものとすればよいのではと思います)。

ただ、以前にこのことをfacebookで投稿した際、高度・専門的な金融法務に従事されている先生から、無理筋ではないかとのコメントをいただいたような記憶がありますので、今の技術では夢想レベルの話なのかもしれません。

なお、最近では、公認会計士の方に預かり金の管理の適正につき監査を受け、それをHPで公表している法律事務所も登場しています。当事務所も、そこまでやるべきなのかもしれませんが、残念ながら、そのようなことに高額な経費を投入できるだけの高収益を望めない状況が続いており、恐らくは業界に浸透するということもないでしょう(少なくとも、依頼者側がそのコストの転嫁を受け入れるような状況にはないと思います)。

その他、弁護士会その他の第三者が預かり金の抜き打ち調査(強制調査)をすることなども考えられるかもしれませんが、少なくとも現時点では、そのような仕組みを導入する(業界が受け入れる)素地はないと思います。

要するに、横領を完全に抑止できる抜本的な予防策というのは、あまり期待できないのではというのが、現在の率直な印象です。

(以下、次号)

地方の弁護士の横領事件に関する弁護士会の後始末と残された課題②

A氏事件(平成24年に発覚した盛岡市の某弁護士の横領事件)に関する投稿の第2回です。

2 事件の検証と民事上の責任に関する問題

(1) 検証について

前回、「A氏事件(平成24年に発覚した盛岡市の某弁護士の横領事件)に関する岩手弁護士会の事後処理」について、私が関与した限りでの事情を書きました。

ただ、私の知る限り、岩手弁護士会が、A氏事件の概要を調査して一般向けに公表したとか、それを踏まえた弁護士会の対応などを検証したとかいう話は聞いたことがなく、恐らく、そのような作業はなされていないと思われます。

この点、岡山県でも平成24年に弁護士が多数の依頼者から巨額の預かり金を横領して逮捕等された事件が起きているのですが、その事件では、岡山弁護士会は「事件の概要を調査し、弁護士会の対応に問題がなかったかを検証し、弁護士会としての再発防止の手段を検討した報告書」を作成し、公表(概要版だそうですが)しています。
www.okaben.or.jp/images/topics/1367305574/1367305574_4.pdf

なお、弁護士の横領事件は、私の知っている範囲でも4カ所以上の都府県で発覚していますが、検証報告書が存在する(ネット上で公開されている)のは岡山の事件のみです。他の事件でご存知という方は、お知らせいただければ幸いです。

岡山事件の報告書は私もざっと目を通しましたが、報告書の内容自体の評価(痒いところに手が届いているのか)はさておき、こうした作業が行われたこと自体は、肯定的に捉えた方がよいのではないかと思います。

今や、行政の対応で様々な問題が生じたとき(主に、巨額の税金が不良債権化した場合)には、「第三者検証」が行われるのが通例になっていますので、弁護士会も、他人の活動にあれこれ文句(意見書等)を書く暇があるのなら、まずは身内の不祥事に対するケジメとして、横領事件の概要調査や検証等に関する報告書くらいは出すべきなのでは(そうでなければ、弁護士自治などと標榜しても笑われるのでは)と思わないでもありません。

ただ、そうは言っても、弁護士会は実質的には一個の企業ではなく同業者の集まりでしかありませんので、岩手会のような小規模会でボランティア必至で膨大な検証等の作業を行えというのは、自身の事務所の運転資金の確保という問題に直面していない(そうしたことを気にせずに会務等に専心できる)一部の恵まれた?方々を別とすれば、引き受けるのは相当に勇気のいる事柄と言わざるを得ないところがあります。

そこで、例えば、日弁連の嘱託弁護士(日弁連の特定の事務等のため短期間、日弁連に採用され給与の支払を受けている弁護士)が、横領等の不祥事の調査検証に限らず、小規模弁護士会の様々な問題について取り扱うという仕組みがあってもよいのかもしれません。

この点は、「弁護士自治」ならぬ「各県の弁護士会(単位会)の日弁連からの自治(地方自治風に言えば、単位会の日弁連からの団体自治)」という問題と密接に関わる話ですので、軽々に物を言うべきではないかもしれません(要するに、単位会内部の問題を、上部団体たる日弁連に依存することを積み重ねれば、単位会の弁護士会としての意思決定権が、徐々に日弁連に奪われていくことになるのではないかという話です)。

脱線しますが、私自身は、こうした問題を通じて、単位会ないしその会員マジョリティは、徐々に「単位会の自治」を捨てる(捨てたい)方向に進むのではないかなどと感じずにはいられないところがあります。

こうした議論(問題意識)は、小林正啓先生が、アディーレ法律事務所が単位会を提訴した件について触れた投稿(H26.5.9)で示唆されており、関心のある方は、そちらもご覧いただければと思います(花水木法律事務所ブログ。引用が上手くいかないので、ご自身で検索願います)。

(2) 民事上の責任について(債権者からの破産申立)

ところで、ここまで「第三者検証」の話ばかり書きましたが、「弁護士の横領事件」では、よりストレートに当該弁護士の責任を問い、併せて事実を極力明らかにする、もう一つの手段があるはずです。

言うまでもなく、当該弁護士(A氏)の破産手続(による管財人のA氏に対する資産、負債その他の関連事項の調査)です。

この点、A氏自身が破産手続を申し立て、適切な予納金(管財人の報酬原資)を裁判所に入金してくれればよいのですが、事件発覚時に無資力となっていれば、そのようなことは期待できず、現に、今回の件でもA氏(の代理人)は自己破産の申立をしていません。

このような場合に、債権者(ないしその関係者)がA氏の資産や負債の状況や倒産に至る経緯などを詳細に調べて欲しいと欲するのであれば、債権者が自らA氏の破産を申し立てる方法(債権者破産)が考えられます。

ただ、債権者破産(の申立)は、裁判所から、自己破産よりも遙かに高額な予納金を求められるのが昔からの通例となっています。債権者にとっては申立代理人費用に加えてさらにそのような費用の負担を求められるのでは、ただでさえ酷い目にあっているのに、さらに二重被害を被るようなもので、本件のような場合には、非常に使い勝手の悪い制度と言わざるを得ないところがあります。

そこで、例えば、「弁護士の横領事件」については、弁護士会(地元単位会)が落とし前をつけるということで、弁護士有志が債権者(被害者)の協力を得て無報酬で申立をし、管財人も、相当の回収金があれば適切な報酬を支払うが、財団形成ができなければ無報酬も辞さないという方で、かつ、事案の解明と情報を含めた配当を実現するため徹底した努力を行う人材を弁護士会が推薦し、裁判所が選任することができればよいのではと思います。このような慣行ができれば、債権者破産が実現しやすくなることは確かです。

なお、管財人が無報酬を余儀なくされた事案では、弁護士会が何らかの形で若干の「ご苦労さん賃」を支払う(当該事件の調査費等の名目で)ことも考えるべきではないかと思います。

少なくとも、無報酬を美徳とするような考えが蔓延すると、自営業者集団の組織として存続できるわけがなく、そのような考えを過度に強調すべきではありません。

破産手続が開始されれば、管財人は、破産者(対象債務者)の財産や負債等を可能な限り調査し、これを債権者集会で報告しますので、何もしない状態が続くよりは、この手続を活かす道を考えてよいのではと思います。

(以下、次号)