北奥法律事務所

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岩手・北東北など

八幡平に現れる預言者と「出いわて」の記

GW前半の最初の休日に八幡平に行きました。秋田側に野暮用があり、その前の週にも向かったのですが、出発前にWeb情報を見ておらず、ゲートまで来て初めて通行止めになっていたのを知るという憂き目に遭ったので、敗者復活戦よろしく2週連続で八幡平に行くことになってしまいました。

この時期に山越えをするのは初めてで、アスピーテラインの雪の巨壁は、預言者が海を割って民衆を軍勢の追撃から守った光景に通じるものがあるようにも感じました。

ちょうど、「民族」という観念の発端が旧約聖書の出エジプトの物語にあるのだ(それが中世末期~近代の欧州で再発見・再構成されて「民族」という概念が世界に流布されたのだ)と説明する本を読んでいたので、それに触発されたのかもしれません。

そんなわけで一首。

雪分かつ道に申せど声しない樹海の底に潜む神々

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すいませんが、運転してましたので私自身は雪の壁の写真は撮影してません(ネットで検索してご覧下さい)。

余談ながら、10年以上前に新婚旅行でシナイ山の頂からご来光を拝見したことがありますが、私にはヤハウェの声は聞こえてこなかったようです。

峠の有料駐車場の先にある展望デッキは今も雪に閉ざされているため、皆さんザクザク上っていきます。

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が、ご覧のとおりの傾斜なので、お爺さんがすってんころりんなさったりしていました。

誰でも行ける気軽な場所ではありますが、反面、この状態で転倒事故が発生すれば工作物責任等を理由に管理者の賠償責任が認められる余地があるのではと思わないでもありません(500円も駐車料金を取られますし)。

連休期間中だけでも、雪をスコップで固めて簡易な階段状の道を作った方がよいのではと思いました。別に、市の観光協会?の顧問になりたくて言っているわけではありませんが・・・

「魔女のパン屋さん」の盛岡降臨と麺サミットに忘れ去られた南部はっと鍋、そして北東北の粉もん文化

大食い番組ファンやTVチャンピオンのファンの方なら、「魔女」の称号で親しまれた盛岡の主婦・菅原初代さんはご存知だと思いますが、先日の岩手日報で、岩手大学の近くに菅原さんが12月にパン屋さんを開店するとの記事が出ていました。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20161118_1

記事の「試作」の文字を見て「試食」の読み違えではと思った人は私だけではないでしょうが、それはさておき、原敬や新渡戸稲造は知らないが菅原さんは知っているという日本国民は多数おられるでしょうから、ご本人もさることながら、盛岡の新名所として多くの方々に盛り上げていただければと思います。

ところで、パンと並ぶ粉食文化と言えば、ラーメン、蕎麦、饂飩などの麺類でしょうが、11月上旬に盛岡で「麺サミット」なるイベントが開催されていました。残念ながら家族が関心を示さず私も首が廻らなかったため食べに行けなかったのですが、「盛岡三大麺」と称される、冷麺・じゃじゃ麺・わんこそばの著名店の店主さん達が地元メディアに多く露出するなど、それなりに盛り上がっていたようです。
http://www.mensummit.jp/

ただ、そうした光景を見て何か物足りないなぁと感じながら街を自転車で横切っていたところ、ある郷土料理の飲食店で「南部はっと鍋」の看板が出ているのに気づきました。

かつて、盛岡市内では「三大麺」だけでなく、南部はっと鍋も加えて「四大麺」と称したり、最近では、これに地元産の小麦を用いた「南部生パスタ」を含めて「五大麺」だと標榜するキャンペーンがありましたが、今では双方とも忘れられつつあるのが現実ではないかと思われます。5年ほど前に、この件に関心を持って調べたことがあり、その際は、「四大麺」を喧伝するサイトは幾つかあったような記憶ですが、今は見る影もありません。
http://kanmado.com/article/14725932.html
http://tabijikan.jp/2014/05/27/2256/

ただ、地元産の食材を用いているだけで料理そのものに他地域にない独自色があるとは思えない「生パスタ」はまだしも、南部はっと鍋については、地元の山海の食材と一緒にいただくものですので、もっと地域内で盛り上げる努力があっても良いのでは?と疑問に感じないでもありません。

とりわけ、南部はっと鍋の誕生について調べてみると、1987年(昭和62年)に岩手生めん協同組合が開発・提案して市内の著名な飲食店に推奨した商品なのだそうで、そのような開発経緯は1986年(昭和61年)に盛岡で第1回麺サミットが開催されたことと、何か関係があるのでは(第1回麺サミットに触発されて地元関係者が開発したのでは?)と推測せざるを得ません。
http://i-namamen.com/profile.html
http://morioka.keizai.biz/headline/2061/

だとすれば、聞くところでは、「盛岡冷麺(特に、ぴょんぴょん舎)」が盛岡で最も著名な(今では東京進出等もなさっている)お店になった端緒が第1回麺サミットにあると言われているのに対し、同じ時期に生まれた「南部はっと鍋」は、「あれから30年」を経て、まるで好対照をなすかのように明暗を分けたわけで、ぜひ、サミットで「南部はっと鍋」の総括や再生を考えて欲しかったように思います。

とりわけ、蕎麦はともかく、盛岡冷麺やじゃじゃ麺は大戦前後の事情により盛岡に移住した朝鮮半島出身の方や大陸から引き揚げた方が創出した食べ物で、北東北の粉食文化の歴史にとっては新参者と言ってよいはずです。

そして、言うまでも無いことですが、北東北は、もともと戦前までは技術的に稲作が難しかった関係で粉食文化の盛んな土地で、いわゆる蕎麦に限らず、はっと、ひっつみ、かっけ(蕎麦・麦)など、地味ながら多様な料理が作られてきた土地であり、その根底には、縄文の粉食文化(木の実をすり潰して食べていたこと)があるのではとも考えられます(盛岡は中華麺でも都道府県所在地統計では消費量全国トップクラスとされ、その背景にも粉食文化の歴史があると見るべきなのでしょう)。

そんな訳ですので、新興勢力を敵視するわけではありませんが、従来勢力にも、伝統スタイルであれ新たな調理法の提案であれ、頑張っていただかないと(或いは、従来勢力も盛り上げるような関係者のご尽力がないと)地域の歴史、文化のあり方という観点に照らしても、寂しいものがあると言わざるを得ません。

そうしたことを通じて、麺に限らずパンを含めた様々な粉食の融合と新たな食文化の発信が、北東北の地から盛んになってくれればと思います。

米国も、なんだかんだ言われながらも二大政党による政権交代の文化が今も続いているように、盛岡の「B級グルメ文化」も、冷麺・じゃじゃ麺(商売熱心な新興勢力=民主党)だけで良しとするのでなく、従来勢力(共和党のラストベルトっぽい面々?)にも光をあてる営みを盛んにしていただけないかと、子供の頃からひっつみ(や金次屋の中華そば)を好んで食べて育った私としては願うばかりです。そんなわけで一句。

推しメンを 忘れた街で はっとする

余談ながら、冒頭の菅原さんが世間で活躍なさったり、こうしてお店を開店された背景にも、ご家族など周囲の様々な支えがあったものと思われます。

この仕事を通じて女性のパワーを感じる機会に恵まれる?身としては、「女性活躍」などと政府がキャンペーンするまでもなく、男女とも末永く様々な形で輝くことができる社会のあり方を構築する努力が、現代では特に問われているのだと感じていますが、そんなことを思いつつ、当家のサステナビリティを願って一首。

古女房 はっと気づいた有り難み そばで盛り立て かっけ~姿を

しかし、現実は、あの日が近づくたびに恐怖するのが正直なところです。

誕生日 はっとする頬 ひっつねる 

ちなみに、末尾の写真は、引用のブログでも掲載している、私の実家で作ったひっつみの画像です。

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「義・支援金が家庭を壊す光景」と養育費不払問題の完全解決策としての「給与分割」提唱の辞

先日、弁政連岩手支部の企画で、年に1回ほど行っている岩手の県議会議員さん方と地元弁護士らとの懇談会に参加してきました。

今年は、例年どおり、震災絡み(被災者・被災地が直面する各種の法律問題)がメインテーマとなったほか、法テラス特例法の延長問題、成年後見制度への行政支援の強化(市町村申立やいわゆる市民後見人の育成など)、離婚等に伴い女性・子供が直面している法律問題の紹介(を通じた議会への支援要請)といったことが取り上げられました。

2年ほど前から釜石の「日弁連ひまわり事務所」に赴任している加藤先生から、被災地の弁護士に多く寄せられている相談・依頼の例に関する紹介があったのですが、その中で、「義援金・支援金の受領に関し、直接の受給者=世帯主が受領金を独占するなどして家族内で不和・紛争が生じている」との紹介がありました。

この問題は、私が震災直後の時期(2年ほど)に最も多く相談を受けた類型で、「いっそ不当利得返還請求訴訟をしたらどうですか(弁護士への依頼が費用対効果的に問題があるなら、本人訴訟用の書面作成くらいならやりますよ)」と説明していたこともあっただけに(残念ながら、結局ご依頼は一度もありませんでしたが)、懐かしく感じて、私も珍しく挙手して補足発言をさせていただきました。

改めて感じたのは、この問題は、誤解を恐れずに言えば「以前から不和の種があった不穏な家庭に役所が不公平な態様でお金を渡すことで、油を蒔いて点火させ、その家庭を役所がぶっ壊した」と言っても過言ではないのではということであり、だからこそ、行政は受給者に広くアンケート調査をして「貰って有り難かった人・家庭」もいれば、「そんなカネが配られたことで、かえって悲惨な事態になった人・家庭」もいるのではないかという現実を、きちんと把握、総括し、そうした「現金給付政策」の当否ないしあり方について検討すべき責任があるのではないかと考えます。

ご承知のとおり、現在の給付制度のあり方(世帯主給付)に対しては、世帯主ではなく個人単位にすべき(世帯主給付にしたいなら全員の同意書を要請し、それが得られなければ個人給付にするとか、世帯主を窓口にするにせよ給付の利益は各人が有する旨を制度で明示するなど)といったことを、日弁連など?が提言しています。

そうしたことの当否を明らかにする意味でも、今こそ(すでに時を失した感はありますが)、被災地住民を対象とする大規模調査が行われるべきではないかと声を大にして述べたいです。

ちなみに、今年の2月の弁政連懇談会について触れたブログでも、この件について取り上げていますので、関心のある方はぜひご覧ください。

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ところで、県議さんとの懇談の際、S先生から養育費の不払問題について詳細な報告がなされていたのですが、それを聞いているうちに、いっそ給与についても、年金分割のように「義務者を介さない受給者への直接給付制度(給与分割制度)」を作るべきでは?と思いました。

すなわち、義務者の勤務先が、「養育費の権利者(親権者又は子の名義)」の口座に直接に支払う制度を作れば、給与の全額を受領した義務者による不払という問題は根本的に解決されることになります。

こんな簡単で抜本的なことを誰も言い出さなかったのだろうかと不思議に思ってネット検索してみても、その種の提言を見つけることはできず、FBで少し聞いてみたところ、給与分割ではないものの、日弁連が「国による養育費の立替(と不払者への国からの求償)」の制度を提言していたとの紹介を受けました(私も過去に読んだ記憶があり、すっかり忘れていました)。

ただ、日弁連意見書の理念に反対する考えはないのですが、「立替制度」だと財源をはじめ導入に必要な作業・工程が多そうですので、給与分割方式の方が手っ取り早く導入できそうな気がします。

さらに言えば、国の立替方式は、実質的には国が育児費用を給付する性質を帯びることから、「子を育てるのは誰か」という家族観ひいては憲法観の問題に関わりそうで、その点でも、議論百出=導入できたとしても時間がかかるのではと感じます(議論そのものは盛んになるべきだと思ってますが)。

私が考える「養育費等の支払のための給与分割制度」は次のようなものです。

①まず、子のいる夫婦の協議離婚については、親権者の指定をするのと同様に、原則として養育費の合意が必要とし(紛糾すれば調停・訴訟により解決)、合意した額を、家庭裁判所の認証(これがないと不相当な額になるため。なお、認証作業は裁判所から指定された弁護士が行う等できるものとすれば業界的にはグッド)のもと、離婚届に記載する(調停離婚等ならその届出時に調書等を添えて養育費の額も役所に申告する)

②その届出を受けた役所が、マイナンバー制度を通じて?義務者の勤務先に通知→勤務先は、義務者の給与から養育費相当額を天引して権利者の指定口座に直接に送金する(但し、分割は義務ではなく、権利者の同意があれば直接送金や供託等の処理も可能とする)、

婚姻費用についても、同意又は審判に基づき定めた額を対象とする給与分割を実施できるものとする(役所に届出→マイナンバー等(社会保険等)を通じて?勤務先への通知)。

これにより養育費等の不払問題は根底から解決するでしょうから、日弁連(子ども関連委員会?)がこれを提唱しないのは怠慢の極みでは?と思わないでもありません。

マイナンバー制度の導入に伴って、離婚等に伴う給与や退職金の分割制度もやろうと思えば確実にできるのではないかと思っているのですが、マイナンバーそのものに否定的?な日弁連に旗振りを期待するのは無理なのかもしれません。

ただ、この制度が実現すれば、高金利引下げと同様にまた一つ弁護士の仕事分野(養育費債権回収)が無くなるわけで、町弁の皆さんますます貧困~♪(ラップ調に)と思わないでもありません。

なお、こうした制度に反対する方(養育費の支払確保の必要を前提としつつ給与分割という方法自体に反対する方)がどのような反論をするかと想定した場合、その根拠として、①給与天引制度が作られると、離婚や別居の事実を無関係の第三者(職場関係者)に知られることになる(情報漏れ等を含むプライバシー問題)と、②天引制度を通じて特定人(養育費等の義務者)の諸情報(勤務先から離婚等の事実・養育費等の額まで)を国が一元的に把握・管理することへの不安(ソフトな情報管理・監視社会への恐怖)の2点が挙げられるのではないかと思っています。

①については、天引ありきでなく、権利者が同意すれば(或いは義務者の申立に正当な理由があるとして裁判所の許可を得ることができれば)天引をせずに自主支払とすることができる(のでプライバシーOK)とした上で、不払等の不誠実事由があれば権利者はいつでも天引の導入を役所に要請できる(申立も簡易な手続でOK)とすれば、きちんと履行する真面目な義務者に不利益を課さずに済む(不誠実な義務者に即時の措置を打てる)ので、それで対処可能と考えます。

これに対し、②については、まさに価値判断の問題で、そうした管理社会的な流れを危惧する(ので住基ネットやマイナンバー等に反対する)方の心情も理解できるだけに、悩ましいところだと思います。

ただ、なんと言っても、「自分では権利主張(確保手段を講じること)が困難な子供の権利・利益を守ること」こそが大鉄則であることは明らかでしょうから、それを前提に、ドラスティックな制度の弊害の緩和なども考えながら、世論の喚起や理解を得る努力を図っていくべきなのでは(少なくとも、当然に支払われるべきものに執行の諸負担を負わせるのは絶対に間違っている)というのが、とりあえずの結論です。

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ところで、今回のブログで取り上げた二つのテーマ(義・支援金の内部紛争と養育費等)は、一見すると無関係のように見えますが、家庭の内部紛争という点では同じです(前者は行政から支給されるもの、後者は家庭内の扶養義務者が支払うべきものという違いはありますが)。

日弁連などは、ともすれば公権力に対し社会的弱者に救済のための公金を拠出せよということばかり強調しがちですが、財政難云々で税金から巨額の拠出を求めることのハードルの高さ(時に不適切さ)が強調される昨今では、それ以上に、「税金に頼らずとも「民」の内部で解決できる仕組み」や民間=家庭の内部の意識等の質を高める仕組み、ひいては法やその担い手(弁護士)がそのことに、どのように関わっていくか(役立つか)という視点を中心に、制度のあり方を考えていただくことも必要ではないかと感じています。

そもそも、「国にあれしてくれ、これしてくれ」とばかり主張するに過ぎないのなら、およそ国民主権の精神に反する(国に何かをしてくれと求めるよりも、自分が国・社会・周囲の人々のため何ができるか、すべきかを考え実践するのが主権者のあるべき姿ではないのか)と思いますし。

余談ながら、今回の弁政連の「県議さん達との懇親会(宴会)」も前回と同様、当家は家族の都合が第一ということで、私は帰宅せざるを得ませんでした。

まあ、当方の営業実績は昨年の今頃と同じく試練の真っ只中ですので、金持ちでもないのに交際費を拠出しなくて済んだと思わないでもありませんが、「私の祖父は県議だったんですよ~」と親近感をアピールして県議さん達を相手にヘコヘコと営業活動に勤しむ・・などという野望?はいつになることやらです。

まあ、上記の発言は、「でも、そのせいで実家の商売は潰れかけたので、政治は御法度というのが家訓なんですけどね」というオチがありますので、県議さん達に話しても嫌な顔をされるだけでしょうけど・・

北東北の秘境・小又峡は一度ならず二度までも

先日、突如思い立って秋田県北秋田市(旧森吉町)の太平湖(小又峡)に行きました。太平湖は、昭和27年に森吉ダムの建設に伴い生じた規模の大きいダム湖ですが、「日本で一番ツキノワグマが多い山(マタギとナメ滝の聖地)」とも言われる森吉山麓の、人里離れた非常に奥深いところにあります。

で、遊覧船でしかアクセスできない場所から片道1時間~2時間ほどナメ滝(滑滝)が連続して姿を現すエリア(小又峡)があり、滝大好き人間の私にとっては昔から行きたい場所の一つでした。

ナメ滝とは、豪雪で磨かれた滑り台状の一枚岩を轟々たる水が流れていくタイプの滝で(ちなみに、華厳の滝のように真っ直ぐに水が落ちるのが「直瀑」)、私の知る限り、日本では秋田・上越・奥秩父のエリアに割と多く存在していると思います(奥秩父の代表的観光名所・西沢渓谷の隣にある東沢というナメ滝・ナメ床が密集する渓谷が、私のトレッキング趣味の原点の一つになっています)。

ただ、それだけに、小又峡は決して「素人ないしお気楽な観光客に優しい場所」ではなく、滝を見に行きたいのであれば、基本的には正午までの船便に乗船する必要がありますし、遊歩道とはいえ靴なども相応のものを履いて来た方が望ましいと言えます。

太平湖には6年ほど前にも一度、来たことがあるのですが、その際は田沢湖と阿仁スキー場のゴンドラを経由したため最終便しか乗船できず、小又峡に近づけずに遊覧船に乗船しただけで終わってしまいました。

そのため、今度こそは小又峡の名瀑群を見に行きたいということで、北回り(鹿角八幡平ICから西南方向に向かうルート)で向かいました。ただ、諸事情により出発が遅れ、12時半の便に辛うじてアクセスできました。

で、出航から20分ほどで南側の波止場に到着しました。人里・道路などが一切見えないことはもちろん、周囲にはかつての材木運搬用の線路跡もあり、秘境ムードたっぷりです。

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そして、木々を鏡のように写す湖面を横目にしつう、いよいよ小又峡に向かって歩き出すと、ほどなく轟音と共に最初のナメ滝が現れます。

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さあ、いよいよ憧れの小又峡に到着!ここから滝巡りだ!と思っていると・・

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長靴が無いと渡れぬ小又峡 銭はあれども貸す婆もなく

前日の増水で、小又峡の入口の沢に設けられた「入口」と言うべき渡渉用の石が全て沢の流れに埋もれ、長靴がないと渡れない状態になってました・・

私一人だけなら、靴を脱いでスボンもたくし上げ、裸足で渡ろうとしたかもしれませんが、さすがに家族と一緒なので自粛・断念し、ここで引き返しました。遺憾ながら、小又峡の滞在時間は実質5分、次の便までは40分以上も波止場でダラダラと過ごし、やむなく次の便で撤退しました。

レストハウスで乗船のチケットを買う際も係員の方に言われていたので覚悟はしていたのですが、まさかこんな入口すぐの場所とまでは想像もできず、ショックです(まあ、それでも乗船したでしょうけど)。

どうせなら、こういうときこそレストハウスには「長靴を一人ウン千円で貸すよ」などと結構な商売をしていただければ(今の私なら蜘蛛の糸を掴むかのように借ります)と思わないでもありませんでした。

帰りの便では、不安定な天候のせいか、湖畔に虹も姿を現しており、せめてもの慰めになりました。

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この湖は三菱マテリアル(当時の商号・太平鉱業)が付近にある鉱山への電力供給などの目的でダムを建設した関係で、太平湖と名付けられたとのことですが、人造湖ですので、ダムの建設時に幾つかの人里が湖底に消えたことは間違いないかと思います。

山深い場所ですのでマタギなどで生計を営む小さな村々ばかりだったとは思いますが、それでも、湖面を眺めていると、当時の人々の営みがどのようなものであったか、色々と考えずにはいられない面もあります。

例えば、湖面の下に眠る鎮守の社ではマタギの人々が山の恵みを肴に村祭りをしたり、美しい村娘と若いマタギが村人に隠れて逢瀬を重ねるなどということもあったのでしょう。

或いは、そんな二人がダム建設で生じた村の混乱の中で思いを遂げることができず、湖を訪れる人の心に今なお語りかけているなどという秘話が、湖底の深くに眠っているのかもしれません。

太平にまどろむ人の見る夢は 村のやしろで交わす約束

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太平湖・小又峡は、私の感覚では、登山者でない普通の人が行ける場所としては、北東北では「最強」の紅葉の名所の一つだと思っています。お時間のある方は、10月末までの晴天の日に、ぜひ訪ねていただければと思います。

私自身は、小又峡の再々挑戦もさることながら、いつの日かこの近くにある桃洞の滝や安の滝にも訪れることができればと願っています。

余談ながら、「北秋田市」はこんな無個性なネーミングでなく、南アルプス市に対抗して「マタギ市」と名乗れば良かったのではと、訪れるたびに思います。

秋田県・小坂町の「千葉の高濃度焼却灰の搬入埋立問題」に関する日弁連調査③住民訴訟の弁護士費用保険、焼却灰の過疎地埋立ほか

前回の投稿の続き(秋田調査の最終回)です。

1 住民訴訟支援のための弁護士費用保険

前回の投稿で、地元住民が現在(或いは過去に)、「本件で誰かに一矢報いるための手段はないのか」という観点から、廃棄物処理法絡みを中心に、訴訟手続について少し検討してみました。

ただ、そのような訴訟を起こしたいのだとしても、「降って湧いた災難に義憤で立ち向かう」という地域住民(有志)の立場からすれば、これに従事する弁護士の費用は誰も負担したくないでしょうし、(私自身は、その種の訴訟に従事した経験がありませんが)この種の紛争で住民支援に従事する先生方の大半が、そうした実情を理解し、「ゼロではないにせよ時給換算で超不採算」となる金額でやむなく受任しているのが通例ではないかと思います(この種の紛争は、真面目にやるのであれば事実関係から法制度まで膨大な調査、勉強が必要になりますので、採算を確保するのであれば相当な高額になることは必定です)。

そこで、最終処分場や中間処理施設の設置にあたり、適正処理などに関し問題が生じた際に、是正を求める法的手続を希望する地域住民が利用できる弁護士費用保険(保険商品)を作るべきではないかと思います。

そして、その保険契約は、施設側(許可を求める業者)が保険会社と契約し、保険料を施設側が負担とすると共に、そうした保険契約を締結していることを許可の条件の一つとして付け加え、その施設の稼働後、稼働内容に問題があると感じて訴訟提起等を希望する住民が保険会社に保険金利用を申告し、審査を受けるという形をとればよいのではないかと思います。

もちろん、保険会社は住民から申請があれば何でも認めるというのではなく、乱訴防止のため一定の審査をすることが前提になりますし、施設の稼働終了時(或いは埋立終了後の相当な監視期間の終了時)まで問題が生じなければ、保険料の多くが還付されるなど適正処理のインセンティブを高める優遇措置を講じるべきでしょうし、保険商品が複数ある(より住民の権利行使の支援が手厚いものと、そうでないもの)場合、より手厚い保険に加入している方に優良業者としての認証を付するといった考慮もあってよいと思います。

そうした保険制度・保険商品を、日弁連と保険業界が提携して開発し、環境省などに働きかけても良いのでは?と思いました。

もちろん、こうした発想(危険創出のリスクを担っている側が、そのリスクの潜在的被害者のために弁護士費用保険を負担する仕組み)は、廃棄物問題に限らず、有害物質などを扱う事業者(が設置されている地域)一般において応用されてしかるべき事柄だと思います。

そうした観点から弁護士費用保険を育てる観点を、関係各位に検討していただきたいところだと思っています。

また、上記のようなタイプの弁護士費用保険とは別に、住民訴訟一般で利用できるような「住民側が少額の保険料を負担し、訴訟などに相応しい事案で一定の弁護士費用を保険金拠出する保険商品」も、開発、販売して欲しいと思います。とりわけ、住民訴訟の場合、勝訴すれば相当な弁護士費用を行政に請求することも可能であり(地方自治法242条の2第12項)、談合などの巨額賠償が生じる事件では自治体から巨額の弁護士費用を回収する例もありますので、制度としても構築しやすい面があると思います。

そして、そうした動きが、やがては「国に対する住民訴訟(国の公金支出是正訴訟)」の創設に繋がっていけばよいのではというのが、司法手続を適切に利用し行政のあり方を民が是正していくことの必要性を感じている、多くの業界関係者の願いではないかと思います。

2 一般廃棄物(焼却灰)の広域移動(都会の灰が田舎に)という問題

ところで、今回の秋田調査で私が一番関心があったことは、「千葉から焼却灰が持ち込まれていること自体を、秋田の人々(地元民、地元行政、処理業者、県庁)はどのように受け止めているのか、そのこと自体に抵抗感ないし反感はないのか」ということでした。

そもそも、私自身は、今回の秋田調査の話が今年の6月に廃棄物部会に持ち込まれるまで、一般廃棄物(の焼却灰)が他県に広域処理されているなどという話は全く知らず、てっきり自県内(せいぜい関東・東北などの自圏内)で埋め立てられているものと考えていました(これに対して、産業廃棄物は昔から広域移動の問題があり、日弁連(廃棄物部会)の意見書・決議等でも取り上げています)。

それが、6月の廃棄物部会の会合の際に、千葉で廃棄物処理の問題に取り組んでいる方から「秋田の方から本件の相談を受けている、ぜひ日弁連で取り上げて欲しい」とのお話をいただいた際、恥ずかしながら初めて千葉から秋田に灰が搬送されているという話を知り、それが現行法で何ら規制されていないことに些か驚くと共に、「自圏内の生活ゴミ」たる一般廃棄物は、自圏内処理されなくてよいのか(他圏なかんずく過疎地域に搬送するのは、そこに一定の対価が介在するにせよ、「都会の厄介払い(エゴの押しつけ)」という性格を帯びるのではないか)」と感じずにはいられませんでした。

とりわけ、私の場合、「廃棄物問題への関わり」の原点(他の事件に関わったことがありませんので、現在まで実質的に唯一の実体験)になっているのが、「都会の膨大なゴミ(産廃)がまるごと故郷の山奥に不法投棄され、莫大な撤去費用が被害県に押しつけられた」事件である岩手青森県境不法投棄事件であるだけに、余計に、千葉の焼却灰が秋田に埋め立てられているという話を聞いて、同様の「嫌な感じ」を受けた面があります(それが、長年に亘る「東北と中央政権の不幸な歴史」に繋がる話であることは、申すまでもありません)。

そこで、秋田調査に赴く前に廃棄物の広域移動に関して少しネットで調べてみたところ、環境省が廃棄物(一廃・産廃)の広域移動を調査した報告書を取り纏めているのを発見しました。
http://www.env.go.jp/recycle/report/h27-01/index.html

これによれば、一廃については、「関東→北日本(東北・北海道)」のみ膨大な焼却灰が搬入されていることを示す図太い流れがあり、他のエリアは全く広域移動がないという、ある意味、異様とも言える表示がなされています(但し、よく見ると東京は域外搬出がありません。奥多摩方面に大規模な処分場が建設された影響でしょうか)。他方、産廃の場合、東日本は中部以東は北日本、以西は九州・沖縄という太い流れが示されています。

要するに、現在の社会では、「首都圏の生活ゴミ(一廃)は、首都圏で焼却し、その灰を北日本などに埋め立てている」という実情があり、少なくとも、搬入・搬出の双方の住民などが、そのことについて知らなくて(問題意識を持たなくて)よいのかという点は、強調されてよいのではないかと思います。

もちろん、「廃棄物の広域処理の何が悪いのか。管理型処分場(遮水シート)は安全だ(汚染の外部流出は基本的にない)というのが国の説明じゃないか。現在の「廃棄物処理の市場」を前提とする相当な対価も払っているじゃないか。そもそも、廃棄(消費)の前提となった物自体が、都会で生産されたものではなく地方をはじめ全国・全世界で生産されたものなのだから、廃棄物も生産側に戻してよい=消費地を廃棄地とすべき理由もないじゃないか」といった主張も、一定の説得力がないわけではありません。

これに対し、処分場絡みの紛争に取り組んでいる方々は、「遮水シートは耐用年数や破損などの問題があり、万全では全くない。だからこそ、現在の処理費用も原発の電力料金のように破綻リスクを含まない不当廉価というべきだ(だから、排出者側は十分な責任をとってない)」という主張をしており、私自身、どちらの主張が正しいか軽々に判断できる立場にありません。

今回の秋田調査でも、上記に述べたようなことを住民の方に説明した際、問題意識を共有して下さる方もお見受けしましたが、そのような方は多くはなく、秋田県庁の方と話した際にも、「県議会で、そのような観点からの反発はあったようだ。もちろん、ゴミの搬入自体は県民の一人として嬉しい話では全くないが、業者自身(GF小坂)が現行法上は優良業者と評するに足るもので、地元の産業振興の観点(同和鉱業グループ及びこれに依存する地域住民の雇用の存続)からもやむを得ないのでは」といったコメントをいただいており、こうした感覚は、受入側の認識としては典型的なものではないかと思われます。

ただ、少なくとも、千葉県民は「地元のゴミ(焼却灰)を引き取って貰っている」ことについて何らかの謝意を秋田側に示すべきではないかと思いますし、そうしたことも含めて、資源循環システムの全体像のあるべき姿も視野に入れつつ、社会における物の生産、消費、廃棄のあり方などを、多くの方々に検討いただければというのが、何かと犠牲を強いられやすい「流入圏」側の住民の一人としての願いです。

3 おまけ(隗より始めよ)

私は、家庭都合(兼業主夫業)や資力(最近話題の「弁護士の貧困」に残念ながら当方も無縁ではありません)などの事情から、廃棄物部会の現地調査(全国各地への出張)に参加するのも久方ぶりだったのですが、宿泊先に歯ブラシを持参するのを失念したので、宿の「使い捨てブラシ」を利用し、そのまま持ち帰り、歯磨き粉ともども、最後まで使い切りました(今回のブラシは1回で駄目になるような品質のものでしたが)。

日弁連廃棄物部会が取り組んでいた不法投棄問題などの総括をした平成22年人権大会決議では、「廃棄物の発生抑制」の見地から宿泊施設の使い捨て商品の有料化など(使用抑制)を提言しており(理由第3の1)、そうした観点も含め、私自身の戒め(或いはケチ病)として、なるべく自宅から持参し、失念したときも上記のようにしているのですが、全国の弁護士でそうしたことをきちんと行っている人がどれだけいるのだろうと疑問を感じざるを得ない面もあります。

余談ながら、日弁連(公害環境委員会)の会合のため上京すると、ご自身は地球温暖化防止などと言いつつ、館内はとても寒くて厚着を要する設定温度になっていたり、洋式トイレには「地球温暖化防止のため蓋を閉めよ」と紙が入っているものの、いつも開けっ放しになっていたり(掃除の方がいつもそうしているのでしょうか?だったら、一声かければいいのに・・)、私のように事務所でほとんどエアコンを付けない人間からすれば(事務局エリアからの送風で足りるとしていますが、少し汗ばみます。ですが、それこそが夏というべきでしょう)、残念に感じてしまいます。

上記に限らず、日弁連が社会一般に向けて何らかの意見を出していても、それに即した実践を会員個々に率先して求めるという話を聞いたことがなく、例えば、脱原発を標榜するなら日弁連会館はエアコン禁止(送風のみ)、エレベーターは原則として4階以上の移動のみOK(3フロア分までの移動は階段で歩きなさい)とするなど、「脱電力(浪費)」を率先して会員に強制する姿勢があって然るべきではないかと思います。

震災直後に平成23年4月に東京に行ったときにも似たようなことを思いましたが、日弁連に限らず、夏の東京の建物はどこに行っても岩手より寒い感じで、「おさんぽ怪獣」ことシン・ゴジラに放射能をまき散らして貰わないと「東京(ひいては日本社会)というエゴの塊」は何も変われないのかも知れません。

秋田県・小坂町の「千葉の高濃度焼却灰の搬入埋立問題」に関する日弁連調査①事件と調査の概要

9月上旬に、私が所属している日弁連公害対策環境保全委員会・廃棄物部会の企画で、秋田県小坂町にある廃棄物最終処分場の視察や関係先への聴取を中心とする調査に参加してきました。

この事件は、秋田県小坂町で明治初期から巨大鉱山を営む同和鉱業(現・DOWAホールディングス)の関連会社(グリーンフィル小坂。以下「GF小坂」)が営む廃棄物最終処分場に、1万強Bq/kg(以下「ベクレル」)の焼却灰約40トンが千葉県松戸市から搬入され埋め立てられていたことが判明したため、その対処や再発防止などが問題となったものです。

この処分場は、鉱山の操業停止などに伴い環境関連事業に業態転換を図っている同和鉱業(DOWAグループ)が、平成17年から稼働させ、自社グループの事業で生じた焼却灰(産業廃棄物)のほか、関東圏などの自治体が運営する一般廃棄物(生活ゴミ等)の焼却場(中間処理施設)で生じた焼却灰を受け入れている最終処分場(焼却灰専門の埋立場)です。施設の設置や産廃の処理業は秋田県の許可、一廃の処理業は小坂町と鹿角市により構成される広域事務組合の許可を得て操業しています。
http://www.dowa-eco.co.jp/business/waste/finish/

そして、平成23年7月(震災から間もない時期)、環境省が震災に伴う福島第一原発の事故を踏まえて首都圏などの自治体に対し、埋立(搬出)前の一廃の焼却灰の検査を求めたところ、前記のとおり、松戸市がGF小坂に搬出していた焼却灰から1万ベクレルを超える線量が検出された上、それが松戸市から小坂町に連絡された時点で、すでに40トンの焼却灰が現地で埋め立てられており、それらの事態にどのように対処すべきか(掘り返して搬出するのか埋め立てたままにするのか、前者なら松戸に返すのか(返せるのか)、後者なら汚染拡散対策などをどのようにするのかなど)が問題になりました。

結局、発覚後、一旦は千葉県からの焼却灰の搬入が停止され、GF社や小坂町が秋田県に対応を照会し、秋田県は環境省に対応を照会するという「環境省頼み」の展開になった後、環境省が平成28年8月31日に、8000~10万ベクレルの焼却灰の処分などの方法(推奨)に関する通知を出し、そこでは、雨水浸入の防止措置を講じるのなら管理型処分場でも埋立可とし、防止措置のあり方としては、埋立箇所の上部にコンクリートを敷設するような方法でも構わないという趣旨のことが書かれていました。
https://www.env.go.jp/jishin/attach/no110831001.pdf

そこで、秋田県はGF小坂に対し、上記の方法を講じさえすれば埋立済みの焼却灰の撤去(掘り返し)等は不要と回答し、GFも当該措置を講じたことから、問題となった「高濃度焼却灰」はそのまま現地に残され、その後は、GF側と小坂町との協議で、受入焼却灰の線量上限(4000ベクレル)や線量検査、埋立後の防水措置などの方法について協定がされ、それをもとに関東圏からの搬入も再開され、「問題となった焼却灰」の上に新たな焼却灰の埋立もなされている(ので、地表=現在の処分場の地上部から数十m?の奥深くに眠った状態になっている)という状況になっています。

要するに、「環境省通知に基づく汚染拡散防止対策をした」ので、県や自治体、事業者としては問題なし(解決済み)として焼却灰の受入が再開されているというのが現状ということになります。

こうした展開を辿ったことに対し、放射性物質汚染などを危惧する地域住民の一部は、「本件焼却灰の汚染発覚は、埋立後に松戸市から搬入した焼却灰と同じ場所で焼却された灰から1万強ベクレルの線量が検出されたとの通報があったことで判明したものである。よって、埋設された焼却灰そのものについて線量検査がなされたわけではなく、実際の埋立灰には1万を大きく超える線量があるかもしれないという不安がある。それなのに、県や施設側は、現物の線量検査=ボーリング調査(掘削)をすることなく、コンクリートを敷設しただけで足りるとしてしまった(但し、浸出水の線量検査などは従前から行われており、特段の異常値は出ていない模様)。それでは納得できないので、ボーリング調査を求めたい。」などと反発しています。

そして、本年6月頃に、支援者の方を通じて住民団体から日弁連(当部会)に視察調査の要請があり、当部会も震災から数年間に亘って「放射性物質に汚染された廃棄物の処理問題」を中心テーマとして取り組んでいたことから、すぐにこれに応じるとの方針になりました。

かくして、①住民団体、②小坂町役場、③GF小坂(処理業者)、④秋田県庁から事情聴取することと、併せて処分場など現地の関連施設を視察することとし、関係先に要請して実施してきたという次第です。

といっても、私自身は、日々の仕事と生活に精一杯のためか?放射能問題が絡む廃棄物処理の処理についてさほど知見を深めているわけではありませんので、難しい話は他の先生方にお任せして、小坂町が主要な目的地なので、運転手(盛岡駅から出発し、秋田県庁で解散となりました)兼宿泊先の手配係(大湯温泉に初めて泊まりました)というお気楽な役回りとさせていただきました。

部会では、今後は、本件の「決め手」になった環境省通知の内容や本件での関係者(搬出元たる松戸市、受入主たるGF、監督権者たる鹿角組合=小坂町や秋田県)がとってきた対応の是非などについて意見交換を検討しているとのことです。

私自身は、この事件について今年6月に説明を受けるまで、一般廃棄物の焼却灰は地元の(排出=焼却を実施した)自治体ないし都道府県内で埋立がなされているものと思い込んでいましたので、一廃(焼却灰)が首都圏から北東北まで広域移動(広域処理)されているなどという話は今回はじめて知りました。

もちろん、「首都圏の膨大なゴミ(有害性の強いものを含む)が、そのままの状態で山中に大規模不法投棄された」という岩手青森県境不法投棄事件とは異なり、あくまで焼却(中間処理)を実施した上で、現行法・現行実務上は「適法」に搬出・搬入されているものですから、単純に悪者視はできないでしょうけれど、それでも、「都会のゴミが、過疎地たる北東北に持ち込まれている」ことには変わりませんので、受入圏民としては、あまり好ましいこととは思えません。

廃棄物の広域移動については、「災害廃棄物の受入(広域処理)問題」で一時は脚光を浴びましたが、その後は(その前も)全く話題になっていませんので、ネットで少し調べたところ、環境省が廃棄物(一廃・産廃)の広域移動を調査した報告書を取り纏めており、首都圏の焼却灰が東北などに大規模に搬出されていることが分かりました(後日に再度、取り上げます)。
http://www.env.go.jp/recycle/report/h27-01/index.html

そうしたことの当否や、こうした出来事への「反対派(抗議派)」はもちろん、業者側(操業サイド)で働く地元民や、同和鉱業グループという「地域の圧倒的ガリバー企業(の今後の社会での生き残り戦略)」に様々な形で依存し支援せざるを得ない小坂町や秋田県などの難しい立場なども視野に入れつつ、色々なことを考えさせられながら帰途についたという次第です。

余談ながら、解散後に一人さみしく立ち寄った「道の駅協和」でウサギ肉が売っていましたので、土産に買って帰りました。マタギ文化?の関係で販売しているようですが、鶏肉のような味でした。

次回は、本件について「住民が執り得る(執り得た)手段」について幾つか考えましたので、こうした問題に関心のある方はご覧いただければ幸いです。

また、放射性物質に汚染された廃棄物の処理のあり方や、原発敷地からの汚染水対策(最近も話題になっている凍土壁問題)、健康被害対策の問題などに関心のある方は、昨年の日弁連人権大会決議もご覧いただければと思います。

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アゴラ投稿の衝撃?と原文、そして都知事選に関する私の本音

先日の月曜に掲載したブログの文章が、著名な言論サイト「アゴラ」に投稿したところ、驚いたことに、その日のうちに載せていただきました。
http://agora-web.jp/archives/2020498.html

この文章は、日曜の深夜に突如、書かずにはいられない気分になり、朝まで事務所に籠もって書き上げたものですが、恥ずかしながら、できることなら都民を中心とする多くの方に見ていただきたいなどという危ない精神状態に陥り、こともあろうに?以前から知っていた(時折拝見することもあった)アゴラに、思い切って送信してみたという次第です。

もちろん、投稿(送信)したのも初めてですし、内容に多少の自信(多くの方が目を通すに値するのではないかとの思い)はあったものの、掲載される自信はなく、されたとしても画面の隅に一時的に出現するだけだろうと想像していたのですが、月~火にトップページの冒頭(注目記事欄)に載せていただいたり、全体のアクセスランキング(24時間)でも最大(現時点まで)で2位となり、1000個を超える「いいね」もいただき、投稿者本人が一番驚いています。

試しに、私の名前でグーグル検索してみたところ、面識のない方から「この記事は読んだ方がよい」などと暖かいコメントをいただいたものもあり、ただただ恐縮するばかりです。子供の頃、世間に向けて評論家のような仕事をしている方々にいささか憧れを抱いたことがありましたので、少しだけその真似事をさせていただき、良い冥土の土産になりました、これで思い残すことなく旅だっていけます、というのが正直なところです(笑)。

もちろん、厳しいコメントをいただくこともあるだろうと思っていたら、大物ブロガーの山本一郎氏から「普通は集団不法投棄は見つけ次第内偵かける、群馬も長野も千億単位で処理費かかるほど放置しないのに、金字塔なんて言うのは笑っちゃうよ」と酷評をいただいたのも発見しました。

このような批判は当然あり得べきところで、その点は「人里から遠く離れ、岩手の人間は誰も気にしない山奥にある上、岩手県庁の許可業者(処分業)ではなかった」という面と、「青森県内では過去にも問題を起こしたことがある「札付き」の業者で、調べようと思えばできたのではないか」という面と、どちらを重視するかという関連事実の積み上げと総合評価の問題に帰着しますので、発覚までの問題についてまで増田知事個人の責任を問えるのかということも含めて、軽々にどちらが正しいと言えるものではないのですが、それはさておき、著名ブロガーの山本氏がツィッター?でコメントしていただいたお陰で、私の投稿の存在を知ってご覧になった方もおられるでしょうから、投稿をご覧いただいたことも含め、山本氏にも大いに御礼申し上げたいと思います。

ちなみに、県境事件は岩手県の農政部が最初に発見し、岩手県警と協議し短期間の内偵で着手に至っており、青森県庁はそれ以前に地元で多少の通報を受けていたものの本格的に取り組んだ人がいなかった(ので、青森側の対応の当否はさておき、岩手側が「発見」した時点で、すでに数百億円規模の費用を要する惨状になっていた)との記憶です。
http://www.pref.iwate.jp/kankyou/fuhoutouki/18923/015687.html

以前に、山本氏が増田知事は非常に無能だと酷評されていた記事を拝見したことがあり、それだけに、増田知事にも良いところがあると書いた記事に否定的なコメントをせずにはいられなかったのかもしれません。

ところで、この投稿は、当初「都知事選は『東京をぶっ潰す男』と『日本をぶっ壊す女』の戦い(選択)になるべき~知られざる増田県政の金字塔から考える~」とのタイトルで、5000字を超える文章をダラダラ書いていたのですが、タイトルが24字以内で本文も3000字以内との制限がありましたので、一旦書き上げた後、あれこれ考えて削り、どうにか3000字強まで減らした上で送信しています。

結果として、文章が引き締まり質が遥かに良くなったように思われ、その点も含めアゴラには感謝しています。

投稿文を読んでいただいた方の多くが感じたことだと思いますが、この文章は、増田氏が岩手県知事時代、県境不法投棄事件の陣頭指揮に優れた点があったという点を指摘させていただいたに止まり、現在の都知事選において増田氏を支持することを目的として書いた文章では全くありません。

むしろ、「県境事件のご経験を生かして現在も東京的なるものと闘って欲しいのに、そのような印象を受けない」と批判じみたことを述べている下りもあり、見ようによっては、過去の栄光を引き合いに、東京的なるものと闘う姿勢を見せていない現在の増田氏を批判し、対照的に、旧来的な政治勢力との対決姿勢を鮮明に打ち出し、対決の場を演出している小池氏への支持を暗に示したものと読めなくもありません。

今回の投稿を私が「せずにはいられないと思った」一番の理由は、都知事選にあたり、増田県政を批判するネット記事等を多数拝見しているうちに、「確かに増田県政は在任当時も県民から批判される点は多々あったと思うが、少なくとも県境事件に関しては、二戸人には恩義があるはずだ(何より、豊島事件のような展開になれば、私は弁護団の一員として岩手・青森両県庁と対決し、苦心惨憺の目に遭っていたはずで、そうならなかっただけでも恩義がある)そのことを、このタイミングで誰も言わなくてよいのか(それは忘恩の輩ではないのか)」という思いが沸き上がってきたという点にありました。

その上で、その延長線で、増田氏は本当に都知事になりたいなら「東京と闘う男」を標榜すべきだと感じると共に、また、それでこそ、「日本(の政治文化全体)と闘う女」としての小池氏のキャラもますます引き立つ(政治のあり方に関する議論や運動が研ぎ澄まされる)のではと感じ、そうした観点から深夜に一気に書き上げたという次第です。

ですので、現時点の私にとっては、曲がりなりにも「日本と闘う女」としてのカラーを打ち出している小池氏の方が、「東京と闘う男」としての姿勢をあまり見せていない(ように感じる)現在の増田氏よりも「支持率一歩リード」という状態にあります。

その上で、「日本的なるものとの対決(小池氏)」も「東京的なるものとの対決(増田氏)」も、どちらも現在の東京ないし日本が取り組むべき課題であって、双方は対立的・選択的なものではなく、優先順位はありうるにせよ、双方とも適切な指導者のもとで推進されるべきだと思います。

そんなわけで、欲を言えば、現在の感覚としては、次の展開を期待しています。

1 小池氏は、知事当選後、増田氏を自民都連からスカウトして副知事とし、旧「みんなの党」を核とする諸勢力(一部、自民・民進などからの分裂組を含め)を糾合して、橋下市長よろしく地方議会制度などの改革を推進する新勢力を作る。

2 ほどなく、地方自治制度に関する様々な改革案を提示し、これに反対する自民党などの従来勢力との対決シーン(劇場)を演出しつつ、幾つかの妥協を勝ち取る。その中には、石原・猪瀬・舛添知事の退場時に盛んに言われた「知事が辞めるたびに巨額の選挙費用を要する愚」の改善策として、例えば、議会の3分の2(又は過半数?)以上の不信任がない限り、知事の辞任時に副知事に承継させることも可とする法案を可決させる。

3 小池知事は、それを手土産に、次の総選挙の際に知事を辞任し、選挙費用を使わずに増田都知事が誕生する→増田新知事は、小池知事がやり残した東京と地方との関係の再構築(東京的なるものの「悪い面」との対決)を推進。

4 他方、小池氏は国政復帰で一大勢力を構築→同じく復帰した橋下市長と連携して行政府・立法府の本格改革に従事?

まあ、こんなことを言い出したら、山本氏でなくとも、妄想もたいがいにせえよ、と失笑を買うだけですよね・・

でも、政治は悪口を語る場ではなく、夢を語る場であって欲しいと思っています。

余談ながら、小池氏といえば、「クールビス」を推進した環境相としてのイメージが強いですが、同氏は特措法が制定された当時の環境大臣(鈴木俊一氏。岩手2区)の後任で、私は、平成16年当時、不法投棄問題の意見書づくりに勤しんでいた関係で、日弁連(公害環境委員会)が環境大臣(環境省の幹部職員)と毎年行っている懇談会に末席ながら参加させていただき、小池大臣を拝見したことがあります。

その際、途中から入室した小池大臣のオーラが凄まじく、同氏の入場後に場の空気がガラッと変わり、日弁連会長さんがとても小物に見えるくらい、誰がこの場で一番偉いのかをまざまざと見せつけられたように思いました。

そうした経験も含め、増田氏・小池氏とも、都政や国政に新たな光を提示できるお立場にあり、都民は、議論を整理し先鋭化させることで、どちらの選択をするにせよ、社会の新たな道を切り開くことができるのではないかとの認識を一人でも多くの方に共有いただければとの思いで、僭越ながら、深夜にあれこれ考えて、送信させていただいた次第です。

以下、アゴラ投稿の「ダイエット」前の原文を、僭越ながら掲載させていただきます。

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鳥越氏のスキャンダル話を含め、巷の話題を席巻している東京都知事選ですが、我々岩手県民にとっては、増田氏は、ある意味「昔の主君」ですので、都民や他府県民とは違った感慨というか、視点で眺める面があります。

この点について、最初に、岩手の環境問題に関心を持つ弁護士の立場から、世間でほとんど取り上げられることがない「増田県政」の知られざる功績たる「県境不法投棄事件」について述べつつ、それを踏まえて、増田氏は、「東京をぶっ潰す!」という公約こそ表明すべきだということを、述べたいと思います。

また、それに続けて、増田氏の依って立つべき正義が、上記のようなものというべきであるからこそ、対抗馬たる小池氏には、東京からさらに視野を広げて、「日本(の政治文化)をぶっ壊す!」という公約をこそ掲げていただきたい、その二つの路線対立こそが、今回の東京都知事選における「あるべき争点」なのではないかということも少し書きたいと思います。

長文になり恐縮ですが、東京都知事選挙に関心のある方はもちろん、願わくば、都民(選挙権者)の方々に広く読んでいただければと思っています。

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まず、「増田県政」についてですが、報道などでは「増田知事が在任中にハコモノばかり作って岩手県の借金(県債残高)を二倍にした」とか「巨大ハコモノを作らせたのは、増田知事を担いだ小沢一郎氏らの勢力(と、それを支持する建設業界)だ」とか「『がんばらない宣言』に象徴される費用対効果が不明なキャンペーンで、東京のコンサルタントに無駄に多額の金を払った」などの批判的報道を拝見することが少なくありません。

私自身は、増田県政(全3期)の初期(平成10年頃)と末期(平成16年末~19年)しか岩手におらず(前者は司法修習生として、後者は岩手への移転開業によるものです)、上記の批判に対し、さほど気の利いたコメントができる立場にはありません。

ただ、県債問題については、平成19年の増田知事の退任時に盛岡青年会議所(JC)などの主催で行われた「県知事マニフェスト検証大会」の際、増田知事から「当時が地方への財源支援の制度の転換期になっており、この時期(増田氏の在任時)だから、県立大やアイーナ(複合施設)の建設のため高額な補助を国から得ることができた(千載一遇のチャンスであり、現在なら諦めざるを得なかった)。これで県のインフラはほぼ整ったのだから、次の県政ではその有効活用に力を入れていただきたい」と仰っていたことはよく覚えています。

実際、県立大などのことは分かりませんが、アイーナについては私も様々な形で利用する機会があり、空間デザインの善し悪しなどは議論があるようですが、現に活用されていることも視野に入れて論じなければフェアではないのではという程度の認識はあります。

これに対し、増田県政の功績として、ご本人を含めほとんど誰も語ろうとしませんが、「金字塔」と言って良いほどの価値があるもので、私自身よく知り、多少とも関わっているテーマが一つあります。

それは、「岩手・青森県境不法投棄事件(以下、県境不法投棄事件といいます)で、率先して全量撤去と排出者側(首都圏など)への責任追及の姿勢を示し、特例法の制定に向けた世論を誘導して、曲がりなりにも県民の費用負担を大きく減らす形で地域の環境を回復させたこと」です。

県境不法投棄事件とは、青森県田子町の山中(岩手県二戸市との県境)に産業廃棄物の処理施設を設置していた業者が、両県境の谷間や山林などに、有害性の高いものを多く含んだ膨大な量の廃棄物を不法投棄し、いわば「谷を産廃で埋め尽くし、さらに山を穴だらけにして産廃で埋め尽くす」という暴挙を、推定で10年前後の期間に亘り行っていたという事件で、平成11年に発覚し刑事摘発され、翌12年頃から本格的に被害回復に向けた両県の取り組みが始まっています。

この事件では、主犯格たる青森の業者と、首都圏を中心とする全国各地から産廃を集めて現地に送り込んだ埼玉県の業者が摘発されたものの、発覚の時点でほとんど倒産の状態にあり、両県併せて最終的に1000億円近くに及んだ原状回復費用を負担できる状態にはありませんでした。

そのため、とりわけ主要な巨額負担が当初から予測された青森県庁は、廃棄物を撤去するか否か明言せず、遮水壁を作って現地に放置(封じ込め)をするのではないかとの疑念が強く寄せられ、地元民(田子町側)との間で、かなりの軋轢が生じていました。

これに対し、岩手県側では、増田知事が非常に早い段階で「有害性が強い物が多数含まれており、全量撤去以外の選択肢はなし」との強い姿勢を表明し、それと共に、岩手県独自で処理業者の財産に裁判所を通じて仮差押を行い、2億円以上の確保に成功するという快挙を成し遂げています。

県境事件の現場は、岩手側にとっては人里から遠く離れた山奥で、一般県民はおろか二戸市民にとってすら関心が低い事件だった上、その時点で撤去費用について国の補助などが得られるのか(全額を県民が負担しなければならないのか)不透明だったにもかかわらず、「首都圏など全国のゴミが、違法に持ち込まれて捨てられた」という事件の性質が、岩手が背負う「時の中央政権に虐げられた蝦夷などの歴史」と重なり、上記の快挙も相俟って、増田知事の判断は、県民の強い支持を受けることになりました。

そして、青森県もこの動きに影響を受け、重い腰を上げるような形で全量撤去を表明し、さらに、時の環境相を鈴木俊一氏(岩手2区=事件の地元からの選出)が務めていたことも味方したのか、平成15年には国が全量撤去の費用の6割程度を補助する「産廃特措法」が制定され、これにより約10年かけて両県の撤去作業が行われるという展開になりました。

この法律は、悪質な大規模不法投棄が判明した県境不法投棄事件と香川県豊島の不法投棄事件の2つを主に救済するために制定されたのですが、仮に、増田知事や青森県知事が廃棄物やこれに伴う汚染土壌を放置する選択肢をとった場合、地元住民は、豊島の住民が中坊公平弁護士らの支援のもと香川県を相手に公害調停などを行った事件のように、長く苦しい闘いを両県との間で強いられる展開になったことは間違いありません。

そのような苦難を地域住民に強いることなく、率先して全量撤去を打ち出し、豊島事件と連動する形で国の廃棄物行政の不備を説き、特措法による国費の多額の補助に繋げたことは、「岩手の歴史」と相俟って、増田県政の金字塔と呼んで遜色ないと思っています。

実際、両県は、原状回復作業に並行して、産廃業者に処理委託した全国の事業者(中には世間に名だたる有名な大企業も多くあります)の幾つかに対し、廃棄物処理法上の違反があったとして、自社が排出した廃棄物の撤去費用を支払わせることに成功しており、両県は、そうした形で「首都圏(の排出者側)」との闘いを地道に続けてきたのです。

***

ただ、増田知事にとって、一つ、心残りがありました。

それは、事件の中心人物たる埼玉の中間処理業者を指導すべき立場にあった埼玉県の廃棄物行政の責任を問うことができなかったこと、そして、東京都をはじめとする全国各地の排出事業者に対し適正な処理委託をするよう指導する立場にあった「排出者側の自治体(東京都など)」に、「純然たる被害県」としての岩手県が強いられた80億円程度と見られる「県民の費用負担」について、何らかの形で肩代わり(支援)を求めることができなかったことなのです。

要するに、「首都圏をはじめとする排出側の行政の責任を問うこと」が、県境事件、ひいては増田知事の大きな宿題として残りました。

私は平成15年から16年頃にかけて、日弁連・公害対策環境保全委員会(廃棄物部会)の委員として岩手県庁に接触していた関係で県職員の方からお話を伺う機会が何度もあり、知事がそうした思いを共有し、一定の模索をしていたことは間違いありません。

だからこそ、そのときの増田知事を知る岩手県民は、増田候補に対し、「時に、首都圏の都合(エゴ)の犠牲を強いられた、地方(田舎)の悲しみ、苦しさを東京の人達に伝えることを忘れないでいただきたい、さすがに、都知事として『県境事件の撤去に要した岩手の負担を東京都から返還する』とか、『青島知事に倣って、突如、東京オリンピックを中止し、浮いた国の財源をILC(岩手・宮城県境に予定されている国際リニアコライダー)の建設費に使わせる』などと公約して欲しいとは申しませんが、せめて、地方を知る者、地方から東京に出てきた者の代表として、地方と東京がよりよい関係を築くため、東京のあり方を大きく変えていく(そのことで、日本全体をよりよいものとしていく)姿勢や手法(政策)を強く打ち出していただきたい」と願っていることは確かなのです。

そうした「知る人ぞ知る期待」を背負っている増田氏に打ち出していただきたい言葉が、小泉首相に倣って言えば、「(地方の立場から)東京(のエゴ)をぶっ潰す!」であることは、申すまでもありません。

この一言を増田候補が絶叫していただければ、最初は全国の多くの地方住民が賛同(熱狂?)し、ほどなく、その真意を知った東京都民も、これまでの東京のあり方を問い直し再構築してくれる指導者として、増田氏を支持するに至るということも、十分に期待できるのではないでしょうか。

それだけに、ある意味、「ぶっ潰す」対象の一つと感じられないこともない、自民党都連などの勢力が増田氏を担いでいるという構図や、増田氏が上記のようなお気持ちを今も感じておられるのかあまり伝わってこない選挙報道を眺めていると、岩手県民としては残念というか、寂しいものを感じ、誰か(ご自身を含め)、「増田氏を解き放って欲しい」と言わざるを得ない面はあります。

***

ここまで増田氏のことを述べてきましたが、以上との対比で、小池氏に求められるものは何だろうかということも考えてみました。

以下は、多くの方が同種のことを述べていることで、ありふれた話かもしれませんが、増田氏が「東京的なるものとの対決」をこそ掲げていただくべき責任(歴史)を背負っているのだとすれば、小池氏は、現在の都議会(自民党都連)との対決に象徴されるように、政界を渡り歩き、小沢氏や小泉首相に象徴されるように、「それまでの政治の中心勢力と対決する道を選んだ大物に付き従い、何らかの形で旧勢力と闘ってきた人(だから東京都連のような人達に嫌われるのだろう)」と言えるのだと思います(防衛相時代の大物次官との対決も、思い起こされるエピソードの1つでしょう)。

だからこそ、小池氏を支持する方々の多くが、今回の都知事選を「何となく政治を壟断している(自分達の影響力の確保を優先させて社会に閉塞感を与えている)のではと感じる旧勢力との闘いの集大成、或いは、今度はご自身が主役となって闘う出発点」になって欲しいと願っているのではと思います。

であれば、「現在の都議会(自民党都連)の主要メンバーとの対決」という対人的な話に矮小化させず、日本の都道府県議会制度(の運用)そのものについて、都民ひいては国民が納得できるような「問題の本質」を指摘し、変革(制度改変)を呼びかけるような姿勢を示していただきたいと思います(それは、兵庫県議会の事件に象徴されるように、国民全体が期待していることと言えるでしょう)。

もちろん、制度論は簡単に言えるものではないでしょうが、そうした姿勢をご本人が示して天下の賢を求め、それが支持を集めるのであれば、自ずから百家争鳴する展開は期待できるはずです。

今の国民は、どうして橋下市長や「維新の会」が一定の成功を納めたのかを知っています。それは、(自民党改憲案と異なり)国民の人権に文句を付けるのでなく、行政機構(ひいては住民に不信感を抱かれていた行政の実情など)の変革を旗印にして、それに取り組んだこと(いわば、弱い者いじめでなく強い者に挑んだこと)が庶民の喝采を浴びたからだと思います(もちろん、公務員労組との対決に明け暮れたことは、労組が弱者か強者かはさておき、「やり過ぎ」を裁判所から認定されたことを含め、その立場の方々からは徹底的に敵視されることにはなりましたが・・)。

小池氏が、橋下市長のように行政(役所)や立法(都議会)の改変に取り組んで一定の成果ないし支持を集め、やがて国の行政・立法の変革(国の官庁や国会などに関係する改憲論を含め)も促すような取り組みするのであれば、すでに「小池与党」化している音喜多都議らの旧みんなの党の勢力に限らず、裾野の広い政治勢力を構築し、やがては、小池氏が全盛期の小沢氏や小泉首相の後継者のような地位を獲得していくことも不可能ではないのではと思います。

少なくとも、今回の参院選で自民党を大勝させた民意は、「憲法改正(立法や行政に関する規定の見直し)に向けた議論は期待しているが、自民の現在の改憲案(人権規定の改変)は支持しない(ので、「自民党をぶっ壊す」小泉首相の再来を期待している)」というものであることは、多くの国民が感じているところではないかと思います。

それに応える政治勢力は未だほとんど育っておらず、小池氏を支持する方々は、「自民党内の嫌われ者」たる小池氏の勝利がその一里塚になることを密かに期待しているのではないかと思います。

だからこそ、その心意気を示す意味で、小池氏には、「東京から日本(の閉塞的な政治文化)をぶっ壊す!」と叫んでいただければと感じています。

ともあれ、「増田氏か小池氏かという選択」は、地方との関係性を重視した東京の変革を志向するか、国家との関係性(自民党をはじめとする国側への影響)を重視した東京の変革を志向するか、どちらかの選択という見方ができるのではと思われ、残り僅かな期間ではありますが、そうした観点から、さらに議論が深まればと願っています。

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原文は、以上になります。

アゴラは、私にとっては雲の上の方々が名を連ねておられる場ですので、非才の身がしゃしゃり出るのは畏れ多いというのが正直なところですが、県境事件のように、全国の方にその意義や問題意識を知っていただきたい事件に関わったときなどは、僭越ながら、また投稿をさせていただくこともあるかもしれません(いや、小心者ですので、たぶん二度とないでしょう・・)。

そんなわけで、硬軟さまざまなご批評も含め、暖かい目で見ていただければ幸いです。

忘れられる不祥事と風刺の文化

6月は首が回らない日々が続き、更新が遅れてすいません。

舛添知事の辞任表明とEU報道で、税金等を使った権力者の贅沢を巡る話が萎んでしまった感がありますが、国民は選挙のときだけ主権者と昔から言われているだけに、せっかくの参院選の機会なればこそ、こうした話題をきっかけに、政治資金などを巡る制度・運用の改善を求める良質な議論がなされて欲しいと感じます。

以前、FBで選挙絡みの投稿をした際、アンチ達増知事の方からコメントをいただいたのですが、私のように支援者でも積極的なアンチでもない「どっちつかずの正義」の信奉者からすれば、折角そうした表明をなさるのでしたら、立場ありきの言説に止めず、多少とも一ひねりあるお話をいただければと残念に思ったりしたものです。昔なら、

雲上で 知事はタラフク食ってるぞ 貧乏県の希望王国

などと狂歌の一つも詠まれたのかもしれないと思うと、今の「自由」な言論空間の方が、むしろ退化の道を進んでいるのではと感じる面はあります。

もちろん、「知事は激務だし健康第一だから、長距離の飛行機移動はファーストクラスで良いじゃないか。ただでさえ、ファースト(一郎)が好きなんだし」とか「自民党(の支持者)の方が富裕層が多く、FBリア充投稿の山をはじめ、遙かに贅沢してるんじゃないか」、「いやいや、FBグルメ投稿の類なら野党サイドこそ労働貴族のような人達が沢山いるんじゃないか」などというご主張があれば、それはそれでそうかもしれないとも思います。

が、そうであれば、なおのこと、政治批判をしたい方は風刺の腕を磨いていただき、心に染みわたるような一言を投げかけていただければと願っています。

FBの政治家や著名人の方の投稿に、「ヨイショの嵐」と言わんばかりの追従コメントの山や、その逆の立場ありきの悪口投稿などを拝見して残念な気分になることがあり、言論空間に磨きをかけたいという心意気がもっと盛んになっていただければ幸いです。

政治を巡っては、「悪口ではなく政策を」という言葉がしばしば語られますが、私自身は、悪口であれ政策であれ、よく学び、よく感じ、よく考えた上で、(時に果断に)語るべきなのだろうと思っています。

幕末を代表する「たった四杯で夜も眠れず」の狂歌を政策を語ったものだと述べる人はいないでしょうが、外圧に対応できない幕府の狼狽ぶりを当時の「日本国民」に知らしめ、幕府の権威失墜への共通認識=体制転覆の素地を作った言論という点では、盲目的に攘夷を口にするだけの「薄っぺらい自称志士の政策論」よりも遙かに国家と人民への影響を与えたと思います。

それと同じで、新聞に掲載される「各党の主張一覧」程度のことをオウム返しに繰り返すだけの「自称政策論」は、自身の立場を述べているだけ=安っぽい悪口と大差なく、本当に聞く(語る)べきは、聞き手の心に響く、突き刺さるような言葉を伴うものであるべきで、それが悪口(風刺)の形をとっていても、社会のあり方を前向きに考えるエネルギーとして生きてくるのではないかと思います。

そうした言葉を紡げる人間になれるよう研鑽につとめたいと思っていますが、私自身はご覧のとおり、恥ずかしながら未だ暗中模索の日々です。

その「座席」が似合う人、似合わない人

東京都の舛添知事の公費使用や政治資金の問題で、岩手の達増知事が「海外出張でファーストクラスを利用している知事」として報道されるという出来事がありました。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20160513_3
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20160517_6

弁護士になった直後の平成12年5月頃、勤務先の東京の事務所で関西方面への日帰り出張が3回ほどあったのですが、最初の出張の際に渡された新幹線の切符がグリーン車でした。

2回目の出張からは畏れ多いと辞退したため、それが人生最初で最後?のグリーン車でしたが、このような経験ができたのは、弁護士会の旧報酬規程に「グリーン車」の定めがあったことや依頼主が相応の規模の企業さんだったことが影響していたのだと思います。

10年近く前に仙台である会合に参加した後、新幹線のホームで、その会合に参加されていた国会議員の方がグリーン車に颯爽と乗車されていたのを拝見しました。議員さんは電車には無料で乗車できると聞いたことがあり、それ自体を軽々に批判するつもりはないのですが、同じ会合に出ていた者同士で、かたや税金でグリーン車、かたや自腹で普通車というのも、身分の違いを感じて少し寂しくなりました。

政治家であれ弁護士であれ、受任者にどのような待遇の交通手段を提供するかは発注者(納税者)が決めるべきことでしょうから、私も、グリーン車であれファーストクラスであれ遠慮なく使って下さいと仰っていただけるような依頼主にお目にかかれるよう(それだけ、自分の仕事で大きな成果を上げて依頼主に激賞されるよう)、地道に研鑽を重ねたいと思います。

まあ、田舎の町弁では、そうした「太っ腹なお金持ち」の依頼主との出逢いはあまり期待できないかもしれませんが・・

それはさておき、税金で仕事をなさっている方々の「使い道」のあり方については、報道はもちろんのこと、誰のため、何のために用いるかということも含めて、議論が深まって欲しいと思っています。

(R03.5追記)

先日も、国会議員さんのJR無料パスの目的外使用に関する報道があり、引用の記事を拝見しながら上記の投稿を思い出しました。私が拝見した光景(参加した会合)も、国会議員さんの本来の仕事とは関係のない事柄なので、議論の余地があるのかもしれません。
国会議員特権の「JR無料パス」、公私がグレーな利用実態とは (msn.com)

あの日から5年、そしてfacebookから垣間見る2つの社会

昨日(3月11日)は震災から5年目で、あのときと同じ金曜日でした。この年になると年月があっという間に過ぎてゆく感覚がありますが、今も、地震発生から翌日夕方の電気復旧までの時間については多くのことを覚えています。

あれから5年。私にとっても本当に色々なことがありました。

ただ、私に関しては、震災支援で何かを成し遂げたという類のものはほとんどなく、何をしたかと言われれば、5年間、月1、2回の頻度で丸1日かけて沿岸被災地の無料相談等に赴くなどの繰り返しだったというのが実情だと思います。

もちろん、そうした活動などを通じ、色々な問題意識を持つことはありましたが、残念ながら、私の力量不足のせいか、問題意識を多くの方に共有いただき物事の大きな改善を図るとか、それを通じて社会を切り開くとか、そうした大それた話に関わることは全くできていません。

むしろ、震災前の頃の方が、若さゆえの愚かさのせいか、そうした可能性が多少は自分にあるのではと素朴に(無謀に)信じていたのではないかとすら思っています。

正直なところ、震災そのものより、その前後で激変した我が国(や岩手)の町弁業界の環境変化の方に翻弄されてきたというのが率直な心情であり、そのことも、震災にシンボリックな負のイメージを抱いてしまうきっかけになっているのかもしれません。

私は、facebookで多くの方と「友達」になっていますが、震災の日に関しては、例年、県内の方と県外の方ではFBフィード上に表示される投稿にはっきりと違いが出ます。

端的に言えば、岩手の「友達」は今も多くの方が震災について触れますが、遠方の「友達」の方々は震災を話題にすることはほとんどなく普段どおりの投稿をしており、その点は震災から1年後の3月11日のときからはっきりとした傾向としてありました。

私の場合、フィード上に表示される投稿の比率が、盛岡で開業してから県内で知り合った地元(大半が盛岡)の方が6~7割、高校・大学や修習中などに知り合った県外の方が3~4割という感じなので、この日に限っては、まるで二種類の民族が国内に存在するかのように、そうした「投稿の違い」がはっきりと出ます。

東京や西日本などの方にとっては関心はかなり薄れているのだろうと残念に感じる面がないわけではありませんが、5年を経た今も県内の方々の投稿が震災一色になるという光景にも、それはそれで若干の違和感というか、必ずしも共感というか一体化できない「もやもや」した思いを感じる部分もあります。

もちろん、いわゆる復興の遅れも震災の風化も望ましいことではありませんし、沿岸被災地では今も急激な人口減少をはじめ様々な課題に直面していることも申すまでもなく、そうしたことに触れながら社会批判や関心喚起を訴えている投稿そのものを批判したいのではありません。

そうではなく、「facebookで投稿や情報発信をするのを好む人々」という層が、3月11日には、震災に触れずにはいられない岩手(被災県)の方々と、まるで震災そのものが無かったかのように普段どおりの日常を投稿している遠方の方々に二分化する光景を見せつけられると、ある種の無力感であるとか、社会の断絶といったものを感じざるを得ないような気がして、そのことに気が滅入る面があるからではないかと思っています。

私には、職業柄?反安倍政権などをFB上で公言する同業などのFB「友達」もいれば、逆に、右寄りの傾向を感じさせる「友達」の方もいますが、双方が対話や討論(ひいては調和や弁証法的止揚)をすることなく相互に一方的な主張に関する投稿(論者の投稿への「いいね」を含め)を繰り返している光景を垣間見ては、日々残念に感じています。

こうした例えは失礼かもしれませんが、岩手の人々と遠方の人々の震災を巡る投稿傾向の違いにも、思想信条や社会的立場を異にする人々が互いに交わることなくご自身の縄張りで自己主張している光景と、どことなく似たようなものを感じてしまう面があります。

ただ、そのようなことを述べていると「お前こそ、双方の人々とFB「友達」になっているのだから、震災絡みであれ、それ以外であれ、そうした人々をつなぐ役割を果たすことがお前の仕事ではないのか。それなのに愚痴ばかり言ってどうするのか」とお叱りを受けてしまいそうです。

まさにそのとおりで、3月11日という日は、被災者の方々とは違った意味で、私にとって、何かが止まり今も取り残されているような気持ちにさせられる、そんな無力感を強いられる日になっているのかもしれません。

もちろん、そうした後ろ向きな心情を抱いていることこそが、前に進んでいくためには最も克服しなければならないのだと、自分を叱咤しなければならないことは当然ではありますが。

本日、とあるご縁で「地域の小学6年生の卒業を祝う会」的な集まりに参加させていただいたのですが、大人が前を向いて笑顔で進んでいかなければ子供達が笑顔で育っていくことはできないだろうと、そうした思いを新たにしました。