北奥法律事務所

岩手・盛岡の弁護士 北奥法律事務所 債務整理、離婚、相続、交通事故、企業法務、各種法律相談など。

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モラ、モラで 次々湧ぐも(その1)

この仕事をしていると、相手方であれ依頼者であれ他の関係者であれ、突如として喚き出すなど会話等に非常に困難さを伴う御仁との関わりが避けて通れません。

とりわけ、相手方以上に、依頼者や相談者が「紛争相手などへの憎悪の感情」を私(自身が依頼する弁護士)に、溶岩や噴石のようにドロドロ・ドカドカとぶつけてくることは珍しくありません。

もちろん、話しているだけで癒やされる誠実な方々の方が圧倒多数であり、あくまで例外的な事象ですが。

ともあれ、そうした光景に思うところは多々ありますが、余計なことを言っても事態を悪化させるだけですので、我慢タイムのあと「言いたいことは全部言えましたか、そろそろ私が話してもいいですか」と、言葉を選んで接するようにしています。

心身の健康を害して仕事を続けられなくなった弁護士は私の知り合いを含め、何人もおられますが、その多くは、そうしたことが原因なのではとも感じています。

抜本的な解決は容易に思いつきませんが、それぞれの事件で自分がなすべきことをきちんと行えば自ずから収束すると信じて、対峙する暴風に惑わされないよう自身に言い聞かせるほかないのかもしれません。

というわけで、今も様々な理不尽に耐えつつ郷土の偉人達に倣った一吟。

モラ、モラで 次々湧ぐも
苦にもセズ シヅカにワラッテ
ツマラナイからヤメロとイヘル
サウイフモノニ ワタシハナリタイ

この文章は、最初にfacebook(FB)に投稿したものですが、FBに色々と駄文を書いていると、頂戴したコメントを拝見したり返信を書くのが煩わしいと感じることもあります。

が、残念な対峙に多々追われる本業時間中の諸々を思い返すと、自ずから、感謝の気持ちも湧き上がってくるような気もしますので、謙虚さを大切に、今後も投稿を続けていければと思います。

こっそり花火大会のまち・盛岡

この頃 盛岡に流行るもの
ニイニイゼミに下克上
そしてヒミツの冬花火

というわけで、今回も何の予告もなく?毎度の川原の花火大会が開催されており(本年1月中旬の話です)、今回は運良く若干ながら拝見できました。

すぐ近くのA橋に目を向けると、観客は5名ほど。

会場の直近のB橋は、アクセスの悪さもあってか、誰も観客はいないように見えました。

ウイルス禍の勃発以降、盛岡に限らず、ミニ花火大会をこっそり挙行するのが全国的に流行っていたような気もしますが、それなりの観客が得られないと、どうしても税金?の無駄遣いに見えてしまいます。

さすがに、盛岡は大洲城と異なり「ふるさと納税で一日城主の歓迎花火」は無いでしょうし。

昔はガソリン値下げ隊などと称する方々がおられたように思いますが、岩手では内ゲバなどでお忙しいのか、肝心の物価高のご時世で、そうした話も聞くことなく、残念に思います。

 

値上げアイの攻撃とぼうけんのしょ

最近は聞かなくなりましたが、昨年は岸田首相に対し「増税メガネ」なる悪口が述べられているとのニュースをよく見ました。

ただ、批判の是非はともかく眼鏡自体を悪く言っているかのような言葉は、着用者の端くれとして好ましいとは思えません。

そもそも、昨年の政権下で実施或いは深刻化したのは増税というより円安等に起因する物価高であって、その点からも、実態に即さない悪口のような印象を受けてしまいます。

というわけで、岸田首相の新たな愛称として

値上げアイ

というのはどうでしょう。細身のメガネを愛用されている点からも、セブンに通じるような気がします。

或いは、RPGゲームの登場人物風に言えば、こんな感じでしょうか。

値上げアイがニヤリと笑った!
カップラーメンが30円上がった!
しょみんは100のダメージをうけた!

値上げアイは何もしなかった!
つうこんのいちげき!
豚骨味噌ラーメンが200円上がった!
しょみんはしんだ!

・・・どこからやりなおしますか?

1 第2次安倍内閣発足時
2 鳩山由紀夫内閣発足時
3 小泉純一郎内閣発足時
4 中曽根康弘内閣終了時
5 敗戦直後

ボタンを押した直後に、残念ながらこの社会は全て消えてしまいしました、とならないようご留意下さい。

~おしまい~

仕事の合間の息抜き?で脳内に湧いてきた岸田首相ネタの投稿が続きましたが、そろそろ他のネタに戻ろうと思います。

書類仕事が山積しているせいか、本業絡みの投稿ではなく、息抜きの雑談・戯言ばかりになっていますが・・

燃えた政権はプッシュ型支援に駆け抜けろ~その2~

前回投稿した翼くんの替え歌ですが、余勢を駆って岸田首相に捧げる完全版を作ってみました。

タイトルは「燃えて政権」ですが、「燃えたヒーロー」でも意味が通じるかもしれません。アニメ史上に燦然と輝くユニークな原詞との対比にも注目いただければ幸いです。
 
***

ちょっとあれ見な 
エー!? スガ(菅)復権論
小石河も マスコミ騒ぐ

衆院・参院 (衆院・参院)
地検に散々 (地検に散々)
アイツの裏金チョンボがバレる

それにつけても俺たちゃ何なの
議席一つに キリキリ舞いさ

プッシュ プッシュ プシュ
プッシュ エーンド プシュ

いつかキメるぜ 後釜 息子?
そんとき 俺は 院政元老だ

プッシュ プッシュ プシュ
異次元の プシュ

燃えた政権 駆け抜けろ

もっと毅然に注視し検討す
速度加えて 重ねて検討す

罪だねあんた (罪だねあんた) 
ジグザグ日本 (ジグザグ日本)
アイツの果てには敗れた山河?

俺のツケでもパー券買いなよ
イモで2万円 勝手がいいな

聞く 聞く 聞く
聞く だけ 聞く

いつか消えるぜ お宅の市町村
そんとき 俺は 令和の大宰相

聞く 聞く 聞く
聞く だけ 聞く

燃えた政権 駆け抜けろ

***

そういえば、安倍首相が布マスクの配布会見を行った際、「いまさらマスク」と題する替え歌を作ったことがあり、皆さんにも熱唱いただきたい一曲として、かなり気に入った作品となっています。

本作も、岸田首相のテーマソングとして?末永く歌い継いでいただければと切に願う次第です。

・・・まあ、そんなことより、リアルの政治で社会のためご尽力いただく方が、遙かに大事というべきでしょうが・・

 

燃えた政権はプッシュ型支援に駆け抜けろ~その1~

能登半島地震の対策に必死で取り組まれている政府その他の皆様に水を差すつもりは全くありませんが、それはそれとして、発生直後の首相インタビューで、

プッシュ型支援

なる聞き慣れない言葉を連呼されていた(その後、やたらこの言葉がマスコミに出てくる)のが印象に残った方も多いのではと思います。

そんな方のために、正月明けに久々の替え歌を一曲。

プッシュ プーッシュ プシュ
プッシュ エーンド プシュ

いつかキメるぜ 後釜 息子?
そんとき 俺は 院政元老だ

・・・などと下らない悪口を言われないよう、被災者支援をはじめ、ごり押しの類ではなく良好な施策の推進にご尽力いただきたいものです。

ともあれ、震災の頃のことも思い出しつつ、被災された方々にお見舞い申し上げると共に、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

***

追伸1 

高橋陽一先生、もう長いこと漫画は拝見していませんが、大変お疲れさまでした。

追伸2

少し真面目な話をすると、プッシュ型支援は近時のメディアでも説明記事が多く取り上げられていますが、平成28年の熊本地震の頃から専門家らにより使われ出した言葉だそうです

恥ずかしながら、私自身は首相のインタビューで何度も繰り返されているのを見て初めて知り、若干調べて最近はそういう言葉があるのかと知った次第です。

東日本大震災(平成三陸大津波)の頃には準地元民として災害用語にも多数触れていたのですが、熊本地震の頃にはご縁がなくなっていました。これを機に、再度、勉強してみたいと思います。

 

新年のご挨拶

本年もよろしくお願いいたします。

また、能登半島地震の被災者の方々にお見舞い申し上げると共に、皆様の無事を祈念いたします。

今回の年末年始は遠方に出かけることもなく、事務所で厄介な事件の訴状等の作成に明け暮れる日々となっています。

他にも正月期間中に作業するとお約束した案件が多数あるものの、そちらに手が及ばずに時間切れになるのではと戦々恐々としており、「正月やるやる詐欺」などと言われないよう、集中力を高めてやり遂げたいと思います。

エロスの英雄

皆さんは、エロスのために闘ったことはありますか?
私は令和元年から5年ほど、エロスのために闘い続けてきました。

・・・と書くと、コイツも過労と運転資金の困窮でついに狂ったか、と皆さん思われたかもしれません。

しかし、それでも敢えて言おう。
俺はエロスの英雄、ヒーローである、と。

エロスには、30年以上前から、大きな問題が生じていました。
多くの人々が先送りし、状況はどんどん悪くなっていきました。

10年ほど前、解決のため立ち上がった人々がいました。
5年前、これ以上は自分達では無理とのことで、私にお声が掛かりました。

初動は割と上手くいってたんですよ。
が。エロス内部の様々な問題に加え、どこぞの家裁から、まさかの無理難題と膨大作業・・

そして、艱難辛苦の末、ようやく大半の問題を解決できました。
まだ、小さく厄介な論点が残っていますが、まあ、なんとかなるでしょう。

この5年間、多くのエロスの人々と膨大なやりとりがありました。
きっと、彼らも私に感謝してくれるはず。いや、感謝して下さいよ・・

何より、数十年前に亡くなられた本当のエロスの英雄は、ご自身の肩の荷が下りたことを雲の上で喜んでおられることでしょう、

何を言っているか分からない方は、「訛り」が第1ヒントです。
岩手ですもの。

最初は、上手くいけば黒字もありうるかもと期待しました。
が、家裁その他の雪だるま作業で、毎度の大赤字仕事・・

岩手のヒーローは儲かりません。
ガンライザーNEOも、そう言っていた。

それでも、ようやくまとまった報酬をいただけたので、おかげさまで、どうにか年は越せました。

震災後は、債務整理特需などの恵まれた時代が去り、マイナス(大赤字仕事)に飛び込まざるを得ない日々が続いています。

芸術の前に当事務所の方が爆発しそうだと感じるときもありますが、新たに応援して下さる方々との出逢いに恵まれたことなどもあり、どうにか仕事を続けることができています。

そういえば、盛岡には、膨大な辻立ち等、上手くもなく綺麗でもなく心地よくもない闘いを長年続けてついに宿願を果たした市長さんが誕生していましたね。

田舎の町弁業界は今も厳しい状況が続いていますが、私も、運命に楯突き、べらぼうな夢を目指して頑張っていきたいと思います。

数年前の正月、事務所サイトのトップページを引用して新年のご挨拶のFB投稿をした際、予想以上に多くの「いいね」をいただき、トップページの「いいね」数が109個になりました。

今、ある寺院を舞台とする厄介な事件の訴状を作成しています。
これも数十年放置されていた問題の解決を目的とするものです。

事務所概要のページでも述べた初心を忘れずに、煩悩の1歩先にある何かを突き詰めることが、この仕事に託された役割なのかもしれないと思って、応援して下さる方々への感謝を胸に、今後も、色々と挑んでいければと思います。

来年もよろしくお願いいたします。

 

漆産業の復興は、シン・あまちゃんと宇宙科学から

ロータリークラブのIMと呼ばれる行事(講演会等)が二戸パークホテルで行われ、諸般の理由から、盛岡北RCの会員として参加してきました。

現在、二戸・岩手は浄法寺地区を漆文化などを中心に「奥南部・漆物語」と名付けて売り出しており(文化庁の「日本遺産」に認定とのこと)、今回はその話を取り上げたものとなっていました。

ただ、南部一族は頼朝征服に伴い甲斐国からやってきて300年以上も三戸を拠点とし、九戸戦役(本家断絶後の承継紛争に始まる豊臣徳川東北諸侯軍との戦争)後、短期間だけ二戸(九戸城改め福岡城)を本拠としたものの、南部信直が浅野長政の勧めで盛岡に移転するという歴史を辿っています。

盛岡はもともと紫波を本拠とする斯波氏側の領土で、戦国末期(九戸戦役直前)に南部氏の支配下に入ったと理解しています。

ですので、岩手県北や青森東南部こそが南部一族の本来の領土(実家)であり、三戸などと組んで「奥南部」ではなく「本南部」とか「元南部」と称していただければと思わないでもありません。

まあ、他ならぬ柳田国男が作った言葉だそうですし、浄法寺(や安代)自体は盛岡と三戸(や二戸=福岡)のどちらからも「奥」と言えそうなので、案外、ケチが付かないネーミングなのかもしれませんが・・

***

ところで、講演では、戦前に作られた「漆の生産量の激減に危機感を持った人々が、担い手(漆掻き職人)の勧誘目的で製作した(らしい)ミニ映画」が上映されたのですが、主人公である、漆掻き職人に志願した若い女性の作業着姿が

ほぼ、あまちゃん

という格好でした。

漆掻き職人(担い手)は現在も困難な状態が続き、パネルディスカッションでも地域おこし協力隊の方が登壇されていましたが、その映画を拝見して、

あまちゃんに倣い、若い女性が漆掻き職人に挑むドラマ(朝ドラ?)をクドカン氏などに頼み作ってはどうか

と思わざるを得ませんでした。

ドラマのタイトル(主人公の愛称)は、ズバリ、

カッキー

で、どうでしょう(新垣氏にも出演いただければベスト)。例えば、

最初はイケていない主人公を周囲の面々が地域おこし目的で、あまちゃんの真似で作業着を着せてヘッポコWeb映像(恋ダンス風の漆掻き作業動画とか?)を出したところ、バズって世界の脚光を浴び、やがては第一人者の導きのもと世界遺産級の建築物の修復や超高級工芸品などに絡んでいく・・

といった企画案で売り込んでいただいても良いかもしれません。

***

ちなみに、5年ほど前に盛岡北RCで周年行事を行った際、何か記念事業をやるべきではという話が出たので、県境不法投棄事件の跡地に漆の木を植樹するのはどうでしょう、と提案したことがあります。

残念ながら盛岡から遠く離れているとの理由で却下されましたが、県境事件は二戸だけの問題ではなくオール岩手(と青森)で取り組むべき問題ですので、本来は岩手や青森のRCなど諸団体が力を合わせて取り組んでも良いのでは、と今も思っています。

もう一つ余談になりますが、宇宙科学の世界に「ウルシ」と呼ばれる世界規模の学術団体があり、田中舘愛橘博士との繋がりという意味でも、岩手(盛岡)にウルシの総会を誘致すべきではと述べたことがあります

漆と二戸に関心を持っていただける方には、こうしたことも視野に、お力添えをいただければ幸いです。

以上、設営等いただいた二戸RCの方々に感謝しつつ、現場からのレポートとさせていただきました。

春日局の「神の君」は、いつ誰に何のため語ったものか

エセ大河評論家こと小保内です。以下、今年の家康に、これだけは言いたい一言。
 
といっても、巷で話題になった前半のメルヘン云々ではなく(築山殿事件の下りは、本職の批評家も述べていましたが、甲相駿三国同盟の再構築を述べているに過ぎず、人物像を含め、脚本としても悪くないと思います。信長秀吉の世界観の掘り下げの不十分さは不満がありますが、紫禁城のような清洲城には文句はなく、その意味するところ=中華帝国化こそ取り上げて欲しかった)、ケチを付けたいのは
 
ナレーションをつとめた寺島氏が、春日局役で登場する(らしい。近時の報道)
 
という点です。
 
もちろん、春日局(福)が家康に多大な恩義を感じているとか、晩年には成人した家光と組んで家康の神格化につとめたことは確かなのでしょうが、幼少期の家光を養育していた際、家康は現役の戦国武将として関ヶ原などを戦っていた最中なのですから、この時点で幼い家光に向かって「神の君」などと述べるのは無理があります。
 
そんな教育をしていたら、家康からも秀忠からもクレームが来るでしょう。
 
また、福にとって家康は、猛烈な勢いで発展している勤務先企業の現役の社主であり、家光に後継者指名させることを目的とした交渉相手なのですから、成功後(家光継承後)に世間に向かって神格化させるというのならともかく、家光養育期の福自身が家康を「神の君」などと思っているというのも無理があります。
 
また、福のナレーションとして家康の人生を語るというコンセプトに立つのなら、非業の最期を遂げた父親=斎藤利三が全く登場しないのは我慢の余地があるとしても、その上司である明智光秀を、あれほど残念なキャラに描く(かつ、そのことに何のコメントもない)のは、あまりにも整合性がないのではないか。
 
処刑された亡父(斎藤利三)の無念を思えば、家康を神格化する以上に、「謀反には理由があった(天皇廃絶=易姓革命阻止の大義説)」を採用して光秀を善良な人物に描く方が、福にとって好ましい物語になるのではないか、少なくとも、こんなヘボ上司のヘボ振る舞いのせいで自分達が悲惨な目に遭ったとは思いたくないでしょう。
 
そして、光秀を天海として再登場させ、家光と三人で結託して神格化構想を推し進める、といった展開の方が、寺島氏を春日局とし「春日局が語る、家康神格化の物語」に適っているように思われます。
 
他にも色々と言いたいことはありますが、要するに、寺島氏がナレーションで語る神格化された家康像は、同時代人が語るものとしては無理があり、遙か後世の徳川政権の関係者が語る内容として構築しないと、辻褄が合わないと思うのです。
 
***
 
では、それ=寺島氏に相応しい配役(歴史上の人物)がいないのかと考えたとき、それに相応しい御仁が一人だけ思いつきます。
 
第13代将軍・徳川家定の養育を担当していた、後の大奥総取締・瀧山です。
 
「篤姫」を見ていた方ならご存知かと思いますが、瀧山(演・稲森いずみ氏)は、やがて大奥の最後の責任者として、天璋院(演・宮崎あおい氏)らと協力し「江戸(大奥)の平和な店じまい」に尽力した御仁であり、彼女が幼少期の家定に神君の物語を聞かせるような姿をイメージすれば、違和感なく整合するように思われるのです。
 
そして、最後に寺島氏が瀧山だと明かされ、幕府終焉=流血を極力防いだ新時代への継承に繋がっていく、という展開の方が、番組として引き締まるのではと思います。
 
というわけで、私は番組開始時から、寺島氏=瀧山など後世の大奥関係者説が採用されるべきだ思ってきたので、その点は残念でした。
 
***
 
ただ、寺島氏の語りを「(それが正しい事実だと信じて)幼少期の家光に語った話」ではなく家光の成長後に「幕府永続のため神格化を世間に広める目的で(ホラ話と知りながら)後世向けに創作した話」だとするのであれば、ドラマとして成り立つと思われるので、或いは、最終回あたりでそのような描かれ方をするのかもしれません(出生直後の家綱に聞かせるというのも無理があるでしょうし)。
 
その場合、福=寺島氏は、亡父の元上司(光秀)を、大した考えもなく実家を滅亡に追いやった軽率ガッカリ野郎だと理解していたことになるのでしょうが、それはそれで物語として成り立っているのかもしれません。
 
この点は、本作を、「ドラマ自体は家康本人の目線・認識で描きつつ、本人とは別の認識で家康らを見ているナレーターの認識をコメントとして重ねている作品(ナレーター=寺島氏=福が説明する物語ではない)」と理解すれば、光秀の残念ぶりは家康の認識であって福の認識ではないということになるので、福が光秀をあのような人物だと捉えているわけではないという説明になるかとは思いますが。
 
***
 
余談ながら、ほぼ1年前、前作「鎌倉殿の13人」の最終回を見て、
 
この最終回は、ドラマの筋に照らしても、絶対にありえないはずの会話を主要人物達がしており、毒殺を含むこの回の全体が、実は義時の妄想ではないか(義時は、ドラマ内でも病死など別の理由で死んでいるが、いまわの際に、このような妄想を見たのではないか)
 
と感じて、1年前のFB投稿で、少しだけ触れたことがあります。
 
それは、義時と大江広元が、承久の乱後に、全く無関与の幼い廃帝(仲恭天皇)について、あまりにも平然と弑逆の話をしていたから(それは、両名とりわけ後者にとって、当時の元貴族の天皇観などに照らし、あまりにもあり得ないでしょう)という点に尽きるものですが、そのように考えると、最終回の中で描かれた様々な奇妙な事柄が「妄想説」と整合していると感じました。
 
そのことも、全く年を取らない三浦義村(これはドラマが主人公の主観の投影であることを示す)や、上皇配流のシーンで、その場にいないことが明確に示されているのに亡霊のように現れた=上皇の妄想だと描かれた文覚など、番組の様々な傍証を交えてきちんと論じたかったのですが、その余裕もないまま1年が過ぎてしまいました。
 
昔と違い大河を全て視聴できるエネルギーが無くなってきているので、来年の大河を見る自信がありませんが、5年ほど前に大河ドラマ・紫式部(仮称)の配役案を構想して全部外れた腹いせに、多少は視聴しようと思います。

国会を少数精鋭の府に~歳出削減と定数不均衡の一挙解決策としての間接選挙制~

国会も地方議会も、議員数が多すぎるとか、国会議員の報酬などが(労働ないし人物の質に比して)高すぎるなどという議論がある一方、小選挙区制では一人一票の原則(投票価値の平等)を守るには、相応の議員数が必要だと言われています。

その是正策として、近時は中選挙区の復活論も耳にしますが、もっと抜本的な解決策を考えてもよいのではと思います。

例えば、盛岡選挙区では10人前後の選挙人を有権者が選び、当選した選挙人達(全国で2000人程度の規模)の互選で数十人~100人以内程度の議員を選ぶという方法(間接選挙型の国会議員選挙)はどうでしょう。

選挙人は基本的に議員の選出を行うだけの仕事とし、さほどの負担がないことから実費等を除けば原則として無給とします。

国会で討議を行うのは「議員」のみですので、「選挙人」のため新たに施設を作る必要もありません(投票=議員選挙はしかるべき場所で実施すれば足りるでしょう)。

これなら、①選挙人なら若者など就労中の者も立候補が容易、②選挙人を全国で2000人規模とすれば人口比で調整可能なので、定数(人口比)問題も一挙解決、③有給の議員数を大幅に減らすので、税負担も減り、人材の少数精鋭化にも資する、と考えます。

また、選挙人に選ばれる国会議員は、現在の金額に匹敵する相応の報酬を支払う代わりに原則として議員活動に専念させる(兼業禁止・許可制)ことで良いと思います。

現行制度は、大物歌手のような特別な経歴・知名度を有する若者しか立候補できないとか、逆に国民代表として相応しいと思えない残念な行状が露見している方でも有力政党の所属であるというだけで選出されてしまうバランスの悪さが否めません。

国民全体から「誰を代表にすべきか」の判断のみを託された2000人?程度の選挙人が、各人の見識や所属政党などに応じて国会議員を選ぶなら、知名度が極端に有利になることなく、能力や識見などを備えた御仁が選出される可能性は高まるように思われます。

また、選挙人は、選ぶだけでなく、個々の議員の解任権も持つ(その議員に投票した面々が過半数での解任権を有する)ものとすれば、国民の多くが望むであろう、任期中に重大な不祥事等を行った議員へのリコール制度を、間接選挙人の投票による議員の交代という形で、さほど高額な費用をかけずに実現できるでしょうし、国会議員側はもちろん選挙人自身も緊張感をもって仕事ができそうな気がします。

このような制度をとる以上、選挙人による議員選抜(間接選挙)は、秘密投票ではなく国民全員に投票行動が判明する公開(顕名)投票とします。

選挙人が選ぶ国会議員(専業議員)の出身地域は必ずしも人口比にこだわらなくとも良く、都市と地方・東西のバランスを確保すべきとの原則を定めた上で、基本的には選挙人の判断に委ねて良いと考えます。

人口比に応じて選ばれる選挙人が各人の判断で国会議員を選ぶ以上、「代表者の選出に関する国民一人一人の投票価値の平等」は担保されているとの認識に基づくものです。

このように考えれば、一人一票の原則を守りつつ国会議員の大幅減員による税金削減と質の確保の双方を実現できると思われるのですが、どうでしょう。

同様の試みは、国会だけでなく地方議会(県議会・市町村議会)でも行ってよいのではと考えます。例えば、間接選挙を前提に、専業議員は「地方自治のプロ」として辣腕を振るう力のある数人程度に大幅に絞り込み、その代わり、選任時に期待された実績が出せないと、選挙人の判断で相応の期間で任期終了・解任するなどの形で緊張感のある議会運営をさせてよいのではと思われます。

それこそ、地方自治法14条などを改正し、条例で独自の機関設計が一定程度できる制度ないし特区を設けてもよいのではないでしょうか。

現行法制度を詳細に検討した上で述べているわけではありませんが、案外、憲法改正をしなくとも公選法その他の改正で実現できそうな気もしますので、選挙制度の専門家などに試案として考えていただければと思っています。