北奥法律事務所

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盛岡の若き「女猛者」たちの多様性と諸民族の尊厳を巡る課題と役割~猛者踊りの風景から~

5月上旬の話で恐縮ですが、昼前に裁判所から事務所に戻る際、盛岡一高の「猛者踊り(旧・D人踊り)」の方々が中央通りを練り歩く光景に出くわしました(行事そのものをご存知ない方は、こちらのサイトで確認して下さい)。
http://www.morioka-times.com/news/2009/0905/13/09051205.htm

ただ、男性陣は様々な色でカラフルに仮装・塗装して多様なD人姿を誇示しているのに対し、女性陣がいずれも学生服の上に園児服を羽織るスタイルで、それ自体の印象も残念感が漂う上、各人の個性(多様性)もせいぜい園児服に縫い付けたアップリケで違いを見せている程度のように感じ、その点は少し残念に思いました。

他の仮装に扮する女学生がいても良いのではと思って少し検索したところ、過去にはチャイナ服などに扮する方も若干は見られたようです(今回も、私が発見できなかっただけかもしれません)。

別に女子高生の仮装に関心があるわけではありませんが、園児服姿の女学生集団が練り歩く光景はイマイチ感は否めず(少なくとも、男性陣とは落差を感じます)、皆が同じ姿にするなら蝦夷風のオリジナル民族衣装を考案するとか、年度ごとに変えてみるとか、岩手人らしさを伴った何らかの華のある工夫を検討していただきたいところです。

出身者ではありませんので意見できる立場ではありませんし、批判する趣旨ではないのですが、全員が同じ扮装(しかもぱっとしない園児服)でアップリケでしか個性を示せないのは、若いサラリーマンの画一的なスーツと安物ネクタイみたいな感じで、かえって残念な印象を受けてしまうので、受験勉強で仮装どころではないのかもしれませんが、伝統を大切にしつつ、男女とも多様な個性を表現する文化を育んでいただければと思いました。

余談ながら、私の高校1年の同級生で数年前は時の人になった元国会議員の方(現在は捲土重来に向け奮闘中とのこと)は、高校2年の学園祭に「妖怪人間ベラ」に扮していたそうで、緑一色の姿をチラ見したような記憶があります。

仮装する一高生の皆さんも、いずれ多様な飛躍を遂げていただければと思います。

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と、こんな話を以前(当日)にFBに書いて投稿したところ、多くの一高OBや父兄の方々から多数の有り難いコメントを頂戴しました。

特に、私が盛岡JCに在籍していた頃に宴会で活躍されていた「仮装の二大巨頭」というべき二人の方から熱いコメントをいただき、そのお二人のルーツがD人踊りにあることが分かったように思われ、それだけでも投稿した甲斐がありました。

とりわけ、某先生は、ぜひ全身に黄金色を纏ったお姿で在校生諸君の前に再降臨いただき、如来のごとく崇敬の念を集めていただければと願わずにはいられません。

また、女生徒の園児服も、それなりの理由や物語があるとのコメントを多数いただきました。街中でチラ見するだけでは分からないことも、行事の全部を拝見できればその意義が分かるということなのでしょう。

一高OBの皆さんには申すまでもないことだとは思いますが、D人であれ猛者であれ、その趣旨は、県内の英才が参集する一高生が「ひ弱な優等生」ではなく野性味あるエネルギーを涵養していることを表現するという点にあるのだと思います。

それだけに、過去の取組みの意義はさておくとしても、園児が猛者(野性味あるエネルギーの表現)なのか?という点は街でチラ見するだけの一般人には些か分かりにくさが否めず、「女性猛者の表現のあり方」について、さらに皆さんの議論を深めていただければ幸いです。

それと共に、在校生の方々には、中止・名称変更論争の原因にもなった世界の諸民族の事情などにも理解、認識を深めていただき、いずれは盛岡であれ世界の遠いどこかであれ、人類一人一人の尊厳を高めるための役割をご自身の現場で発揮していただくよう願っています。

起業と難関私立校の不毛の地?東北の今とこれから

facebookで流れる情報をパラパラと見ていたところ、著名起業家として64名の方をピックアップし、出身地と学歴別に整理した記事を見かけました。

ざっと見たところ、東京・阪神・中京の大都市圏が中心なのはやむを得ないとしても、北信越や北九州などが順当に輩出しているのに対し、東北は福島から2名の方が選出されているのみで、北東北(北奥地域)に至っては残念ながらゼロとなっています。
https://hcm-jinjer.com/media/contents/b-contents-6740/

私がその記事を読んで、すぐに思ったのは、このデータと地域の教育環境の格差に何らかの関係があるのだろうか、という点でした。

というのは、少し前に、いわゆる難関私立中学について調べたことがあったのですが、大都市圏に限らず関東圏や西日本などでは小規模県でも各県に有力な私立中学・高校を多数擁しているのに対し、東北地方だけが、そうした学校が地域内に全くと言って良いほど存在しないことが分かり、残念に感じたことがありました(仙台にもその種の学校が今も存在しないのが不思議なのですが、かつて支店経済の典型と言われたことも関係しているのでしょうか)。

そのため、知的総合力を必要とするであろう起業家の輩出に関する一覧表で東北(とりわけ北東北)の出身者がほとんどいない光景を拝見すると、そうした「地域内の優秀な子弟を集めて潜在的な才能に相応しい良質な教育を施し、互いに触発・切磋琢磨させる環境の不在」という格差が、上記の結果に繋がっているのかもしれない、と思わずにはいられない面があります。

ただ、北東北が、昔から「リーダーや新たな産業の創出者を輩出できない、指示待ち人間の供給地」だったかと言えば必ずしもそうではなく、戦争直前の時代には、米内光政を筆頭に大日本帝国を動かす軍産学官文の大物が参集して「日本一の同窓会」と呼ばれた旧制盛岡中学の全盛期(といっても草創期の卒業生かもしれませんが)の例もあったわけで、その後、岩手は一体何をやっていたんだと思わないでもありません。

鹿児島人の有名な愚痴で「維新で優秀な人が皆、東京に行ったから地元に残ってない」という話がありますが、或いは、戦前の東北にもそうした面があったのかもしれません。

もう一つの見方として、一覧表では近畿や北九州などという弥生文化圏が起業家を多く輩出し、東北・北海道や南九州・沖縄といった縄文文化圏が後塵を拝しているように見受けられますので(京都の表示がありませんが、京セラなど著名企業が幾らでもありますので選出漏れでしょう)、そうしたことも関係しているのかと思わないこともありません。

というのは、起業=ビジネスのアイディアだけではない、新たな組織を作る力と捉えれば、弥生人に向いている作業で、個人プレーの縄文人には向かないと考える余地もあるからです(その裏返しとして、文化・芸術系などで北東北や沖縄などが相応の人材を輩出していることも間違いないはずです)。

以前、那覇に出張したとき、琉球王国は、原住民的な縄文系ではなく、平安時代?にやってきた弥生系の民が作ったのではと考えたことがあり、そうしたことも、関係しているのではと思ったりもします。

と、そのようなことを書いてfacebookに投稿したところ「西日本が大阪を中心とする商品経済が浸透していたのに対し、東北はそうした影響が薄く、そのことも(起業文化の未発達に)関係しているのでは」とのコメントをいただきました。

そう言われてみると、震災直後の時期に岩手県内の何人かの企業経営者の方に「原発の風評被害による売上逸失があれば、原発ADRで一定の被害回復ができますよ」と説明した際に、「自分達の商圏は岩手及びその周辺に止まるから風評被害なんて無い」と返答されたことがあったのを思い出しました。

とりわけ旧南部藩などは(日本海側の秋田・酒田や米供給地の仙台と異なり)全国規模の流通等にあまり組み込まれておらず、盛岡等に招かれた近江商人や北上川の舟運などはありましたが、自ら全国規模の取引をする商人は多くはなかったのでしょから、そうしたことも「全国ないし世界に向けて展開する起業文化」が低調な?ことの背景にあるのかもしれません。

それはさておき、小規模ながら?天下に向かって頑張っておられる地元の方も報道などで相応に拝見していますし、他人様の話以前に、まずは与えられた環境で自身の意欲や才覚を高めるにはどうすればよいか考えるべきでしょうから、様々な取組を拝見しながら地道にできることを積み重ねようとは思います。

これも田舎の町弁の生きる道

某大企業さんから有り難くお引き受けしている仕事が佳境に入り、土日も雪だるま状態の作業に延々と追われています。

ただ、「本来は争点Aだけ審理すれば足りるのが当社の方針です。それに規定ではこれしか払えません」という依頼主(組織)のせいか、「争点BCDEF(以下略)も審理せよ」と余計な?仕事を増やしたがる相手方のせいか、「BCDなども審理判断する(ので、負けたくなければ必要な主張立証をせよ)」と宣う裁判所のせいかはさておき、結果として、限られた費用で膨大な作業に追われ、負荷ばかりが増大しているような千本ノック的被害感情は否めません。

まあ、社会的意義などに照らし非常にやり甲斐のある事件なので、いつかはいいことがあるさと信じて?低賃金労働(時給計算)にもめげずに頑張ることにしています。

そういえば、その大企業の社長さん(直にお会いしたことはありません)が、昨年に、イクボス宣言なるものをなさったとの報道に接した記憶があります。

この言葉は「部下に無理な労働をさせず自身も私生活を充実させている上司」との意味だそうですが、何度聞いても音の響きが好きになれず、カタカナ嫌いということもあって、兼業主夫婦等支援責任者とでも言えばいいのにと下らないことばかり考えてしまいます。

それはさておき、高邁な理念も、兼業主夫労働にあくせく従事しつつ深夜に事務所に戻って大企業の受注業務にも勤しむ零細事業者のことまでは考慮の対象に含まれていないのかもしれません。そんなわけで、事務所で深夜に独り、あかちょうちん気分で一句。

下請の悲哀はイクボス知らん顔

戯言はさておき、当方に限らず、地方の町弁業界の景気は残念な状態が続き、限られた報酬で山のような作業を余儀なくされる依頼ばかりが増えているのが実情ではないかと思います。

収入面で試練の真っ只中にある業界に身を置きながら土日も深夜に事務所で作業をしていると、イクボス、何とかミクスの賃上げ、ワークライフバランス、プレ金などという言葉は、いずれも大企業(大組織)の人達のためだけのもの、そのしわ寄せを下請労働者が低賃金の長時間労働で担っているのが実情だ、などというニュースのコメントを身につまされるような思いで眺めることもありますが、腐らずに今夜も頑張ろうと思います。

天峰山と「知られざる北上高地」

前回の「岩泉での法律相談」の続きですが、岩泉から事務所に戻る途中、岩手山の好展望地として名高い天峰山に立ち寄りました。

恥ずかしながら、修習生時代(平成10年頃)は天峰山の存在自体を知らず、5年ほど前にようやくその存在を知ったものの、岩泉方面に赴く機会自体がほとんどなくなってしまい、今回が初訪問になります。

この日は絶好の晴天日で、真正面の岩手山はもちろん北の八幡平・安比方面から南の南昌山・焼石方面、また、奥(岩手山の西)にある秋田駒ヶ岳・乳頭山なども含めて非常に良好な展望を望むことができました。

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ただ、展望場所の東側は樹林帯となっており、北上高地の風景を望むことはできませんでした。途中の道路からは、展望地のすぐ東にある玉山牧場の広々とした牧場風景が広がり、遠くには早池峰山をはじめ北上高地の山々を目にすることができる場所もあっただけに、少し残念に思いました。

北上高地の特色として、「重畳たる山並みの頂上部分が草原(牧場)になっている光景(が幾つか点在していること)」が挙げられ、南部(106号線以南。遠野周辺など)には寺沢高原・荒川高原・種山が原など、そうした山上の大草原が数多く見られるのですが、北部はあまり多くはなく、観光客が気軽に立ち寄れる場所はくずまき高原牧場、袖山高原、高森高原くらいしか思いつかないのが実情だと思います。

それだけに、国道に面しておりアクセスに強い優位性のある玉山牧場について、観光客(一般人)が気軽に立ち寄って展望を享受できる=山上草原の美しさを感じることができる措置を講じるのが望ましいというべきで、例えば、東側を望む木製の展望塔などを整備しても良いのでは?と思いました。

展望塔に相応の高さを確保すれば、外山ダム湖岩洞湖、北の姫神山なども含めた360度の大展望が得られるのではと感じるだけに、関係者には検討していただきたいところです。

また、既存の展望場所(小さな広場)も、自動車が出入りする際に砂埃が立ちやすいのだそうで、コンクリート舗装するかはさておき、もう少し整備してもよいのではと思いました。

残念ながら事務所に速やかに戻る必要上、直ちに国道(455号線)に戻りましたが、国道沿いには天峰山の入口であることを示す表示などは一切なく、この場所は今も知る人ぞ知るの場所になっています(ですので、冒頭のとおり何年間も知らず、知った後も、どこが入口なのだろうと分からない状態が続いていました)。

それはそれで味わいがあるというべきかもしれませんが、これだけの展望地ですので、その良さを社会に伝える姿勢があっても良いのではと感じます。

玉山牧場は、ネットで調べたところ、くずまき高原牧場(の運営企業である、葛巻町が母体となっている公社)が管理しているのだそうで、それだけに、盛岡市がやる気を見せないのなら、葛巻町側が「北上高地北部の良さを世間にもっと伝えたい」という心意気を発揮していただきたいものです。

余談ながら、時間さえあれば、往路を戻るのではなく大川地区から櫃取湿原に向かいたいとも思っていました。櫃取湿原も修習生時代から行きたい、行きたいと思いながらも未だに足を踏み入れることができておらず(入口だけは2回ほど行っているのですが)、いつになることやらです。

秋田八幡平の勿忘草と地獄谷

先日投稿した八幡平には仕事に関する野暮用で訪れたのですが、ついでに秋田八幡平スキー場で少しだけ滑ってきました(なお、前回述べたとおり、4月末頃の話です)。

リフト1基、2コースだけの小さなスキー場ですが、北東北で一番早い時期から最後まで営業しているため愛好者にはよく知られたスキー場なのだそうで、私も初めて来ましたが、十分楽しめました。

春山ですので雪質はやむを得ないところで、ハイシーズンに来てみたいのですが、八幡平山頂の開通までは安比の2倍以上の時間をかけて来る必要があり、岩手人にはハードルが高いです(泊まりがけでスキーできる身分に戻れるのはいつのことやらです)。

アスピーテラインを頑張って12月下旬頃まで通行可能にしていただければ、岩手方面から訪れる人も増えると思いますが、それはさておき、岩手人はアスピーテラインの開通直後に秋八スキー場で最後のひと滑りを楽しんでシーズンを終えるというのも粋なことなのかもしれません。

ところで、岩手県央部のスキー場の来客用施設(ロッジ類)は某岩山を除いて今どきの設備ばかりなのですが、秋八のロッジは数十年前に建てられたであろう古い施設のままで、いわゆる「昭和レトロの世界」と言えないこともありません。

子供の頃、当時の西岳スキー場や今は無き竜ヶ森スキー場で仕事をしていた方に連れられ、業務終了の時刻まで一人でほったらかしにされて適当に滑るという寂しい日々を過ごしていたのですが、秋八のロッジには岩手県央では感じることのできない、見知らぬ大人達とストーブを囲み暖をとった竜ヶ森や西岳の光景を懐かしむことができそうな面があり、そうした意味でも好ましく思いました。

今は、あの頃より少しは上達したとは思いますが、私に代わってボーゲンに勤しむ新たな初心者の姿に、変わりゆくべきものと変わらないでいて欲しいものをしみじみと感じたりもします。

そんなわけで一首。

春雪に勿忘草を見る山は あどけなき弧を今に伝える

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秋八スキー場から仙北市(田沢湖)経由で帰宅する途中、玉川温泉の地獄谷(自然研究路)に立ち寄りました。残念ながら、日帰り温泉は湯冷めするから嫌だと昔から主張する同行者の方針で今回も入浴はできませんでしたが、火山活動に伴う荒涼とした光景を楽しむことができました。

いわば「遠くのイエローストーンより近くの玉川温泉」といったところですが、間欠泉は北東北にほとんどありませんので、後生掛温泉の泥火山と黒玉子で勘弁して下さい。

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また、源泉から温泉施設に向かって流れる硫黄たっぷりの濁流は「遠くのベイサンズ(シンガポール)より近くの三途川」といった印象です。こちらは舟には乗れませんが昇天しそうな宿泊費を取られることもありません。

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周辺から硫黄が噴出し黄色に染めている光景は「ロード・オブ・ザ・リング」のクライマックス(火山の内部に入るシーン)を思い浮かべますが、悪の指輪を捨てるどころか、ガスの幻覚に襲われ?ご自身の結婚指輪を外す羽目にならないようご注意下さい(幻覚かどうかはともかく、残念な事態に陥った方のご相談は日々お受けしております)。

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ここで、同行者から「黒玉子を食べたい」との希望があり、玉川温泉と同じような雰囲気の後生掛温泉で売っているので、こちらにも当然にあるものと思っていたのですが、残念ながら玉川温泉では製造・販売なさっていませんでした(ので、「騙された」と恨まれました)。

ネットで調べた限り、黒玉子は、箱根の大涌谷と後生掛温泉、岩手側の藤七温泉でしか売っていないようですが、私の知る限り非常に人気のある商品ですので、玉川温泉に限らず、各地の温泉等でぜひ販売を検討いただきたいものです。

八幡平に現れる預言者と「出いわて」の記

GW前半の最初の休日に八幡平に行きました。秋田側に野暮用があり、その前の週にも向かったのですが、出発前にWeb情報を見ておらず、ゲートまで来て初めて通行止めになっていたのを知るという憂き目に遭ったので、敗者復活戦よろしく2週連続で八幡平に行くことになってしまいました。

この時期に山越えをするのは初めてで、アスピーテラインの雪の巨壁は、預言者が海を割って民衆を軍勢の追撃から守った光景に通じるものがあるようにも感じました。

ちょうど、「民族」という観念の発端が旧約聖書の出エジプトの物語にあるのだ(それが中世末期~近代の欧州で再発見・再構成されて「民族」という概念が世界に流布されたのだ)と説明する本を読んでいたので、それに触発されたのかもしれません。

そんなわけで一首。

雪分かつ道に申せど声しない樹海の底に潜む神々

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すいませんが、運転してましたので私自身は雪の壁の写真は撮影してません(ネットで検索してご覧下さい)。

余談ながら、10年以上前に新婚旅行でシナイ山の頂からご来光を拝見したことがありますが、私にはヤハウェの声は聞こえてこなかったようです。

峠の有料駐車場の先にある展望デッキは今も雪に閉ざされているため、皆さんザクザク上っていきます。

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が、ご覧のとおりの傾斜なので、お爺さんがすってんころりんなさったりしていました。

誰でも行ける気軽な場所ではありますが、反面、この状態で転倒事故が発生すれば工作物責任等を理由に管理者の賠償責任が認められる余地があるのではと思わないでもありません(500円も駐車料金を取られますし)。

連休期間中だけでも、雪をスコップで固めて簡易な階段状の道を作った方がよいのではと思いました。別に、市の観光協会?の顧問になりたくて言っているわけではありませんが・・・

石割桜に咲く、避けがたき喜怒哀楽の花

すいません、GW前くらいから仕事が山積みで相当に滞留しており、ブログ更新が厳しくなっています。

そうした経緯で、今更ながら4月中旬頃にFBに書いた話をこちらにも載せますが、この時期の盛岡地裁は花を愛でる方を喜ばせる季節となり、玄関前に咲く花を目当てに多くの方が集まります。

が、建物の中では庭の光景に関係なく、出廷した代理人に対し裁判所から「あれもやってね、これもやってね」という無慈悲な破滅的懲罰、もとい事件解決のため必要やむを得ない(らしい)要請が続けられているというのが現実です。

そんなわけで三首。

避けがたく春も作業が雪だるま 秋の実りが今も懐かし
老木は喜怒哀楽を日々喰らい もののあはれの心伝える
こき使う石割桜にカネ咲かず 今日もはげめと肩にひとひら

うち一首は、ある事件に着想を得たものですが、何の件かを述べるのは差し控えさせていただきます。

FBでは快晴日に撮影した写真を掲載したのですが、容量の関係でブログ掲載ができず、ブログ用に撮影しようとした日は雨天になってしまいました。

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折角なので、その日の午後に水沢支部に出張した際に撮影した水沢競馬場の桜も載せますので、まとめて「雨天の桜」を慈しんでいただければと思います。

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公会堂多賀の閉店と「地域に愛される著名店の突然死」を防ぐために弁護士ができること

新渡戸稲造博士と縁が深く「新渡戸メニュー」でも知られた盛岡を代表する飲食店の一つである公会堂多賀が、残念な形で閉店するとの報道が出ていました。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20170401_3

私自身は10年以上前に昼食で2~3回ほどお世話になっただけで、夕食にお邪魔することができずに終わってしまいました。

しばらくは家庭の事情などできちんとしたレストランに入店するのが容易でなく、そろそろ行けるかな、行きたいかなと思っていた矢先だっただけに、非常に残念です。

最近になって急に張り紙が出たようですが、できることなら1ヶ月以上前に予告の通知をしていただければ、「さよならディナー」をしたかったという方は、きっと私だけではないというか、恐らくは客が殺到したのではないかと思われます。

新聞記事では自己破産の可能性が示唆されていましたが、私自身は関わっておらず、市内の同業の方がすでに受任されているのかもしれません。街を代表する飲食店の一つということもあり、関係者の正当な利害に配慮した適切な対応がなされることを期待したいものです。

盛岡の著名店の倒産という点では、私自身は5年以上前に大通のシンボルの一つと言われていた楽器店さんから債務整理の依頼を受け、破産申立等の作業を行ったことがあります。

その件では、諸般の理由から突然に閉店することはせず、私の提案で2~3ヶ月ほど「さよなら閉店セール」をさせていただきました。

もちろん閉店セールの売上は、その間の従業員さんの給与など正当な経費を除きすべて管財人に引き継いで債権者への配当原資とさせていただいており、債権者の方々にも事情を説明して何らの混乱も生じませんでした。

主たる動機(原因)は内部事情によるものですが、地域の方々が愛着を持っている店舗であることは、私自身も過去に利用歴のある顧客の一人として存じていましたので、閉店セールを行ったことは、お店に愛着を持つ方々が、それぞれの立場で「お別れ」の形を持つ機会を提供できたという点でも、正しい判断だったと今も思っています。

公会堂多賀さんも相応の事情があるのだろうとは思いますが、早期の着手や弁護士への相談の仕方などによっては「さよならセール」があり得たのではと、その点は強く残念に感じてしまいます。

「新渡戸メニュー」をはじめ店名そのものも含めて一定の財産的価値があると言ってよいのではと思われ、盛岡市内の飲食店さんなどが営業譲渡に名乗りを上げて、復活させていただければと思っています。

10年ほど前、高齢のおばあちゃんが営む県北の小さな弁当屋さんの閉店のお手伝いをしたことがあります。

その弁当はかつて「名物駅弁」として親しまれ(地元の著名作家の方の熱い記事も見たことがあります)、私も大変美味しくいただきましたので、可能なら、レシピを譲り受けて継承していただける方がおられればと思っていましたが、そうした面ではお役に立てることのないまま終わってしまいました。

経営などについては栄枯盛衰の問題は避けて通ることはできないのでしょうが、地域の誇りになる味やブランドについては、花巻のマルカンなどを引き合いに出すまでもなく、良質な承継のあり方や仕組み作りなどに熱意をもって取り組む方が増えていただければと思っていますし、そうした営みに地元の町弁たちもお役に立ちたいと願っていることもまた、心に留めていただければと思います。

盛岡を取り囲むユニークなダム湖たちとリアル紅の豚

岩洞湖(盛岡市の北東のダム湖)の形を見ていると、龍のような馬のような不思議な神獣っぽい姿を感じさせ、想像力をかき立てる面があります。

この点は、グーグル地図で見ていただくか岩洞湖レストハウスさんのHPの左上の図を見ていただければ分かりやすいと思います。
http://gandouko.wixsite.com/gandouko-resthouse

盛岡は多数のダム湖に囲まれていますが、グーグル地図で見ると、南部片富士湖(四十四田ダム湖。市北部)は胃腸の類をイメージさせますし、御所湖(市西部)は失礼ながら諸国の原住民の男性が着用する某ケースに似ていると思います(形や角度が生々し過ぎるんじゃないかといった話はさておき)。

「ユニークな形のダム湖ランキング」などというサイトがないのか少し検索して見ましたが、それらしいものは見当たりませんでした。そのうち、どこかのTV番組で取り上げてくれれば、盛岡周辺のダム湖が脚光を浴びる日も来るかもしれません。

折角なら、綱取ダムの湖も何かに喩えることができればよいのですが、ちょっと思い当たりません(そもそも、このダム湖には名称すら付されていないようで、不遇感が気の毒です)。せめて、建設中の簗川ダム湖は見応えのある形状になってくれればと思いますが。

ところで、これらの湖を見ていて残念に感じるのは、岩洞湖のワカサギ釣りを除き、観光面で全くといって良いほど活用されていないという点です。

最近、瀬戸内には飛行艇による遊覧ビジネスに取り組んでいる方がおられるそうですが、盛岡でも北上川を出発しそれらのダム湖を上空から見物、着陸するような商売が成り立つようなら面白いと思ったりもします。
http://toyokeizai.net/articles/-/151881
https://setouchi-seaplanes.com/

北上川に関しては舟運を復活させたいと運動なさっている方がいるようですが、いっそ、真っ赤な飛行艇が開運橋や不来方橋、旭橋などをくぐって湖に向かって飛び立つ光景が出現すれば、リアル紅の豚という感じで、話題性も抜群ではないでしょうか。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20170201_7

北上川から岩洞湖へのルートなら、氷上に着陸→ワカサギ釣りを体験して盛岡に帰るなんてことができれば、非日常体験のオンパレードで面白いのではと思いますが、どうなんでしょう。天候の問題に加え氷の強度がないと難しいのかもしれませんが、ぜひ考えていただければと思います。

天母山と賢治の魂

例年、正月には妻の実家がある遠方の某県に帰省し、義父の車両を拝借して自動車で行動可能な圏内に小旅行をするのが通例になっています。今回は平成24年に富士宮市の天母山公園を訪ねた件に触れたいと思います。

富士宮市の北部(富士山麓)に「天母山(あんもやま)公園」という地元民の憩いスポットがあります。公園自体は丘の上にある桜が植樹された広場と遊具群といった一般的な公園なのですが、この公園に隣接して「天母山法華道場」なる法華宗の一流派の寺院があり、溶岩が固まったゴツゴツした石で作った仏像や灯籠、狛犬?などが並んでいます。

写真を添付できないのが残念ですが、溶岩石で出来た石灯籠などは一見すると、おどろおどろしい風情があり、それだけを見ると恐怖寺院のような印象です(関心のある方は「天母山」で検索して写真をご覧下さい)。

無論、他の庭園や寺院の建物は至って普通・簡素なもので幽霊屋敷の類ではありませんが、溶岩石の石灯籠などはオバケ屋敷を作りたい方には参考価値が大きいと思われます。

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天母山の山頂付近に、奇石博物館という奇石や鉱物をテーマとするユニークな私設博物館があります。館内では様々な鉱物のほか糞の化石などが展示、販売されているのですが、「石っこ賢さん」こと宮沢賢治の業績を展示するコーナーがあり、賢治が採取した岩手県内の鉱物も多く展示されています。
http://www.kiseki-jp.com/

岩手県民なら「下の畑に居ります」は聞き飽きた?セリフですが、ここでは同じような看板に「イギリス海岸に石を採りに行ってます」と専門的な言葉で書かれたものが掲示されています。賢治ファンに限らず、岩手人には一見の価値があると思います。

ところで、冒頭の「天母山法華道場」について検索したところ、国柱会という法華宗の在家宗徒団体が、明治期に建立したという記事が出てきたのですが、この国柱会という団体(宗教・政治結社)は石原完爾ら国粋主義のエリート陸軍軍人に影響を与えたことのほか、宮沢賢治が会員となっていたことで有名です。

ちなみに、「天母山」という地名(山名?)も、もともと富士宮市にあった地名ではなく、法華宗の教義(国立戒壇=祭政一致国家思想)が関わっているようです。ウィキペディア等であれこれ調べていくと、法華宗の教義の中に国立戒壇の聖地(祭政一致国家の総本山とでも言う意味?)を富士山麓の天母山に建立すべきだという説があるようで(通説ではないようですが)、これが、この山の命名に関係していると推測されます。

天母山公園の成り立ちを説明するサイト(公的なものではない)を見ると、創価学会が周辺地を買い占めていたものの、ある時期にそれを断念?して、市に寄付したと記しているものがありました。

創価学会は国立戒壇思想を巡って過去に批判(他勢力からの攻撃)を受け、国立戒壇思想を放棄したという類の記事も見受けられるため、もしかすると、創価学会はその思想に基づき一旦は天母山周辺の土地の買収を図ったが途中でその思想を放棄し、その証として買収地を市に寄付したということなのかもしれません。

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もちろん、実際の(現在の)天母山公園の周辺には宗教論争の類を感じさせる光景は微塵もなく、丘の上に植樹された桜や遊具が並んでいる、ごくありふれた公園の様相を呈しています。

また、奇石博物館は法華宗とは何の関係もなく、別の経緯でこの場所に建設されており(館員の方に「天母山」の由来をお尋ねした際も、まったく不明とのことでした)、賢治が取り上げられていたのも賢治が鉱物の専門家であったことによるもので、宗教的な事柄とは何の関係もありません(奇石博物館自体、何らの宗教色も見受けられません)。

ただ、天母山という富士宮市でも対外的知名度の高くはないスポットの中に「法華宗(国柱会)」と「鉱物」という賢治が短い生涯の中で大きく関わりを持った事柄に縁のある施設が複数存在していることについては、岩手人としては感慨深いものを抱かずにはいられません。

或いは、天母山には「世界全体の平和と幸福(軍国主義者が悪用する以前の本来の意味での「八紘一宇」)」を求めた賢治の魂の一部が眠っているのかもしれません。

富士宮市と言えば、多くの日本人には焼きそばと白糸の滝等の著名な観光スポットが連想されるのでしょうが、ガイドブックでは触れられない意外なところに深い話が潜んでいるということで、関心をお持ちの方は、ぜひ訪ねていただいたり、これを機に、岩手と富士宮市との交流を図っていただければと思っています。

蛇足ですが、天母山のことを最初に妻に聞いた際「昔、天母という鉱物が採れたから、そこに博物館を作ったのか?」と思ったので、館員の方に質問したところ、「何を言っているのか?」と怪訝な反応されました。

そのため帰宅後に検索したところ「天母」と「雲母」を取り違えていたことが判明し、天母の由来を知りたくて色々と調べたところ上記の話が分かってきたという次第です。

ただ、wikiや個人の方が開設したサイトなどが元ネタになっており、正確性には多少のリスクがあるかもしれませんので、その点はご留意下さい。

(今回の投稿はH24に旧HPに掲載したものの再掲です)