北奥法律事務所

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三峡下りと船舶事故

GW直前に受任した破産管財事件が、集合債権譲渡担保の処理など様々な論点を含み多様な作業を必要としたこともあって、1ヶ月ほど一杯一杯の状態が続き、ブログの更新も滞っています。

ところで、本日、長江の三峡下りに従事していた大型客船が竜巻のため転覆したというニュースが流れていました。私は、司法修習生だった平成11年の夏に10日間ほど一人で中国を旅行し、三峡下りの船にも3泊4日で乗船したことがあり、ネット上に表示された被害船舶の写真を見たところ、私が乗船した船とよく似ていました。
http://www.jiji.com/jc/d4?d=d4_rr&p=cho506-jpp019323700

私が乗船した船も、裕福な外国人向けの豪華客船ではなく一般の中国人向けの船舶で、船内では毎日、他の多くの乗客と同様に、朝昼晩とも一食50円ほどの「豚肉と野菜の炒めご飯(丼)」などを食べていました(平成11年ですので、中間層の経済力も現在とは大きく異なると思われます)。

船内では、大人4人仕様の2組の二段ベッドが付いた部屋で、「男児を連れたお父さん」、「小学生の女の子を連れたご両親」という2組のご家族と3日間同宿することになり、小三峡や張飛廟など幾つかの途中下船ポイントで一緒に行動したり、ささやかながら筆談で会話したり(女の子はとても礼儀正しく感じのよい子で、将来、警察官になりたいと言っていました)、中国語を一切話せない外国人の私に対し、とても親切にしていただいたことをよく覚えています。

当時は、今と異なり「反日報道」なるものを聞くこともなかったせいか、私の経験した範囲では、日本人という理由で拒否的な扱いを受けることは一切ありませんでした。それどころか、バックパッカーの分際で「地球の歩き方」を無くした(某所のリフトで谷底に落とした)ため、夜に到着する終点の武漢での宿泊先の確保に困っていたところ、偶然、直前に船内で知り合った旅行会社勤務(自国民ツアーの添乗業務中)の若い美人女性の方に宿泊先を紹介いただいたり(そのツアーの宿泊先のホテルに同行させていただきました。さすがに、都合のいいラブロマンスには恵まれませんでしたが)、短い旅行期間中に何人もの方に大変暖かく接していただいたと記憶しています。

もちろん、いわゆる三国志バカの端くれとして、三峡などの美しい光景にも大変満足して帰国したことは、言うまでもありません。

そんなわけで、現在も懸命な救助作業が続いているかとは思いますが、可能な限り多くの人命が無事であって欲しいと願っていますし、それと共に、日中間を巡って長い間残念なニュースが続いていることについても、民間レベルの交流促進など、好転に向けた取り組みが拡がってくれればと強く願っています。

カリヨンの鐘と子どもシェルター

今月の日弁連会員誌「自由と正義」の冒頭で、東京弁護士会の坪井節子先生が主催されている「子どもシェルター」の記事が載っていました。

「子どもシェルター」とは、親の虐待などでやむなく家出し、寝泊まりする場所に困窮する未成年者を保護する施設です。

私は未成年者保護に関する実務に明るくありませんので詳細は存じませんが、児童相談所の一時保護制度が、主に幼児などを保護対象としている?関係で、高年齢の未成年者(いわゆるティーンエイジャー)の保護が十分でなく、性的虐待などこの年代に特有の被害を受ける未成年者の保護に力点を置いた施設が必要ということで、設けられてきたようです。

そのため、記事では、東京のシェルター(カリヨン)で保護した未成年者が、平成16年の設立以来、15歳から19歳まで延べ300人になったという趣旨のことが書いてありませいた。

で、現在は、関東や札幌、京都や中国地方、福岡などに設置されているとも書いてあったのですが、残念ながら、東北地方ではまだ未設置のようです。盛岡でも設置を考えていただきたいところですが、最低でも、仙台にあれば、東北各地の困窮する未成年者を保護することができるのではと思われ、早急に設置を検討いただきたいところです。

記事によれば、シェルターには2ヶ月ほど滞在でき、その間、食事や適度の遊びなどはもちろん、医療やカウンセリングを受け、児童相談所や福祉事務所、非行絡みの事案では家裁や保護観察所などと連携し、親権者・学校・職場と交渉し関係調整を図り、家庭に戻ることが困難な事案では、自立援助ホームに転居するという流れをとっているのだそうです。

私自身、東京時代には、坪井先生や川村百合先生などが主催されている東京弁護士会の子ども向けの電話相談制度に登録するなどしており、これまでも、いわゆるティーンエイジャーの虐待問題が絡んだ事案に関与したこともありますので、篤志家の寄付にばかり頼るのではなく、そうした福祉制度を充実させる方向で、税金の使い道を考えていただきたいと思います。

ちょうど、「自由と正義」の同じ5月号に、児童買春・児童ポルノ禁止法の平成26年改正(児童ポルノの単純所持罪導入など)の概説が掲載されており、その中に、「心身に有害な影響を受けた児童の保護に関する制度の充実及び強化」が新設されたとのことですので、関係者におかれては、これを法的根拠として、子どもシェルターの設置などを働きかけていただきたいところだと思います。

追記 少しネットで検索したところ、仙台にも、少年院を出院した少年を受け入れる更生支援的な施設があるとのことです。こちらも意義のある活動ですが、ぜひ、子どもシェルターの設置等にもご尽力いただければと思います。
http://blog.rosybell.jp/

春の気仙みちと桃源郷

昨日は法テラス気仙の担当日でした。この日の岩手の桜前線(ソメイヨシノなど)は、盛岡は5分散り、花巻周辺はすでに散り際も多いものの、寒冷な遠野・宮守エリアの街道沿いの並木は満開~散り始めで、峠を下った住田町は散り際となり、大船渡に至るとほぼ葉桜、という状態でした。

反面、住田町内は新緑の開始時期で、山桜のほか芽吹いたばかりの新緑の淡い緑色や黄色、黄緑色などの多様なグラデーション(薄桃、薄紫の桜色を含め)が大変美しい状態にあるほか、街道沿いの民家には、桜かそれ以外(桃?梅?)か分かりませんが、満開になっている樹種も多く見られ、濃い桃色や赤みがかった花の様子なども楽しむことができました。

そのような空間を運転していると、視界全体に優しい色が広がり、優しさに包まれているような、まるで桃源郷にいるかの如き印象を受けました。

住田町は、観光地的な桜の名所というのは聞きませんし、ソメイヨシノ等の群木などもありませんが、狭隘な谷間を囲む山々の新緑のグラデーションは、春を描いた巨大な日本画の屏風絵を続けざまに見ているような印象があり、こうした美しい光景は、住田町に限らず、北上高地ならではという面があります。

住田町は、晩秋から冬にかけての気仙川の渓流も大変美しいのですが、こうした心地よいドライブコースは、もっと知られてよいと思いますし、見応えのある場所の展望場所の整備なども考えてよいのではと感じています。

昼食は大船渡の魚市場食堂でいただきましたが、デッキの間近では、冬はあまり見かけなかったような気もする無数の海鳥(ウミネコ又はカモメ)が羽ばたき、快晴の空や海の青さと鳥の白さのコントラストが心地よく感じられました。

桜並木が散った後の葉桜の光景は、どことなく寂しい印象がありますが、港町では、海鳥たちが、空に舞い散った桜の白い花弁が姿を変えたかのような趣で、その寂しさを慰めてくれるのかもしれません。

そんなわけで、最後に一句。

花ふぶき海鳥となる気仙桜

盛岡の奇習・歳祝いと「正義を実践する世代」

1ヶ月半も前の話で恐縮ですが、3月上旬頃に、盛岡JCの関係で行われた「歳祝い」に参加してきました。

この行事(歳祝い)は、いわゆる男の厄年に関連するものですが、盛岡では、白菜や大根、亀の子タワシやカラタチの枝などを集めて、対象者(年男)が上半身裸になり、参加者がそれらを手にとっては、年男の裸身を擦ったり叩いたりするというものになっています。

私も詳しい由来は存じないのですが、もとは地域に伝わる歴とした伝統行事(飾るものの裸身に云々は無し)であるものが、いつ頃からか、宴会形式で沢山の人が集まり、年男の上半身を真っ赤にするための?行事として圏内に普及したようです。

ケンミンショーで取り上げられたこともあるので、他県の方もご存知かもしれませんが、ご存知でない方は、「歳祝い(年祝い) 盛岡」で検索いただいたり、こちらのブログホテルのサイトなどをご覧になればよいと思います。

かくいう私も、平成26年の3月には、その前年(25年12月)に盛岡JCを一緒に卒業した方々と共に、「合同歳祝いの会」を行っていただいています。まあ、私はJCで活躍したメインの方々の末席にオマケ的に加えていただいたというのがお恥ずかしい実情のせいか、皆さん遠慮がちで強烈な一撃を下さる方はあまりおらず、もっと派手にゴシゴシやっていただきたかったなぁと思わないこともありませんでしたが。

ともあれ、合同歳祝いの会を主催されたJCの先輩方のお言葉を借りれば、JCの歳祝いは単なる厄払いや地域行事の類ではなく、JCの卒業式(40歳)と相俟って、「地域社会のため尽くす志を持った同い年の面々が、卒業と同時に共通の通過儀礼を持つことで、各人が志を実践して社会に奉仕するための結束や相互扶助の基盤とする」という独自の意義があります。

盛岡JCの合同歳祝いは、諸事情により一旦中断(一部の方だけの個別実施型)し、3、4年前に復活したと伺っていますが、卒業生の大半が歳祝いに参加した我々の期は、リーダーのIさんのもと、現在も非常によい関係が続いており(恥ずかしながら、私は現在も半端な参加しかできていませんが)、今後、盛岡JCを卒業される方々も、ぜひ合同歳祝いを続けると共に、なるべく卒業生の全員が参加できる方向で取り計らっていただければと思っています。

ところで、最近、半年分以上溜まった日経新聞を斜め読みで処理しているのですが、昨年8月の「私の履歴書」を担当された東大寺長老の方(森本公誠氏。宗教家であると共に高名なイスラム研究者だそうです)が連載を終える際に、アフガニスタンの古代遺跡で発見されたデルフォイ(古代ギリシャ)の哲学者の碑文を紹介していました。

いわく「少年のときには良き態度を学び、青年のときには感情を制御することを学び、中年には正義を学び、老年になっては良き助言者になることを学ぶ。そして、悔いなく死ぬ。」

この碑文のうち、「少年」を成人する(又は社会に出る)までの時代、「青年」をJC世代(20歳~40歳)、「中年」を40歳から一般的な職業人としての熟練期(個人差はあるにせよ概ね60~65歳)まで、それ以後を「老年」と解釈し、かつ、「学ぶ」とは習得だけでなく実践を含むのだと理解すれば、この碑文を違和感なく受け止めることができそうです。

そうした意味では、盛岡に生きる方々には「歳祝い」を正義を実践する責任を再認識するための通過儀礼として大切にしていただければと思っています。

また、盛岡では女性について「歳祝い」に相当する行事があるのか存じませんので、40歳かどうか、ゴシゴシ系とする否かはさておき、女性についても、責任世代として心機一転する意識を醸成できるような通過儀礼的な行事を考えても良いのではと思います。

上記の森本氏の連載は、「世界は美しいもので、人の生命(いのち)は甘美なものだ」というブッダの最晩年の言葉で締めくくられていましたが、そうした実践を通じて、個々人が美しい生き方をし、世界全体を美しいものにしていくことができればと思っています。

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R03.03.22追記

先週のケンミンショーでも、この件が再び取り上げられており、昭和40年代に盛岡の酒造関係者の組合の青年部が、酒類販売が落ち込む2月のテコ入れのため、伝統行事の「おまけ」として発案し広めたのが、この奇習の始まりだ(要は、バレンタインチョコのようなもの)、という解説がなされていました(この投稿を載せた際にも、そのようなコメントをいただいた記憶があります)。番組(映像記録)内に、存じ上げている方の姿も拝見でき、驚きました。

次の知事選(いわて夏の陣)と無党派層の決定的な影響力。

8月20日告示、9月6日投票の岩手県知事選は、ここ最近の下馬評のとおり、現職の達増知事と平野参院議員による事実上の一騎打ちという展開になりました(共産党系候補も出馬されるとは思いますが)。

小沢氏の民主離党直後に行われ、小沢氏系が「民主vs生活」の構図となった平成24年冬の衆院選に引き続く、ポスト小沢氏時代の宿命の対決編第2幕というべき選挙で、ある意味、大本命同士の対決と言っても良いのではと思います。

で、さすがに現時点でこの選挙の当落予測をしているマスコミ(地元紙)はないと思いますし、私も軽々に物を申すつもりはないのですが、平成25年の参院選の際に、過去の国政選挙などの投票動向をプチ分析したことがあり、その結果をもとに考えると、両者の基礎票が概ね拮抗しており、無党派層の投票動向で結果が決まると言ってよいのではないかと強く感じました。

そして、そのこと(自分達の投票が結果を左右するということ)は、棄権率も高い無党派層に投票を呼びかけるという観点からも、広く認知されてよいのではないかと思い、記載内容に色々とご批判もあろうかとは思いますが、議論喚起の趣旨で、投稿させていただきました。

以下、上記の理由を述べますが、まず、平成23年9月の知事選における達増知事の得票率は68%となっており、対立候補である高橋博之氏)の得票率は25%となっています。

この選挙の当時、民主党の内紛が始まっていたものの、小沢氏はまだ民主党に在籍し、県内の小沢氏系勢力は未分裂の状態でした。そのため、高橋氏(県議)は、自身が所属する地元勢力「地域政党いわて」と自民党岩手県連の支持を受けて闘いましたが、知名度不足のほか、高橋氏自身が割とリベラルっぽいスタンスのためか、自民党支持者の支持を集めることができず、民主党=非自公・非共産勢力が概ね一丸の状態のまま対決を余儀なくされたので、震災直後の厭戦ムードも相俟って達増知事が大勝し、高橋氏は上記の得票率に止まったのではないかと思われます。

次に、平野氏については、民主党を離党して挑んだ2年前の平成25年の参院選での得票率を見ると、概ね40%になっています(民主党在籍時の平成19年選挙では達増知事と同じく6割の得票)。ただ、今回の知事選では自公勢力の全面支援が見込まれるところ、この参院選での自公系候補(田中真一氏)の得票率は26%なので、これを足せば66%となり、上記の達増知事の得票率と同程度となります。

そのため、各選挙での政治情勢の違いがあるとはいえ、達増知事・平野氏の両勢力の過去の得票率は、ほぼ拮抗すると言ってよいのではと思います。

ところで、平成25年の参院選では、平成24年冬の衆院選まで一丸であった小沢氏系勢力の得票が、「平野氏:関根敏伸氏(生活党候補):吉田晴美氏(民主党候補)」に三分割され、その得票率は、概ね60:25:15となっています。現在の報道では、民主党岩手県連は平野氏を敵視しており、達増知事の支援に廻る層が相当に出ると見られますが、その場合でも、平成25年の参院選の得票状況が再現されるのであれば、平野氏が勝利することになります。

もちろん、平成25年の参院選の生活党候補の方と達増知事とでは、旧小沢氏系勢力の内部はもちろん無党派層や自公など保守系勢力からの得票能力にも大きな差があるでしょうから、単純に平成25年参院選と同じ得票状況になるはずがありません。

平成25年の参院選については、下記に引用のとおり直後に簡単な分析記事を書いており、その中では、平野氏が得た40%の得票のうち、概ね15%程度が浮動票(無党派層の支持が流れ込んだもの)と判断したのですが、平野氏と達増知事では、現時点でどちらか一方のみが無党派層の支持を集めているという印象は受けません。
→ 参院選・岩手選挙区結果を過去の投票結果と比較したプチ分析(H25.7.22再掲)

そうした観点も踏まえると、大まかな感覚的判断としては、平野氏(保守系地域政党+自公系)も達増知事(小沢氏系+現民主の相当部分)も、概ね4:4の基礎票を持ち、残り2割のうち1割弱が共産系の予測票で、1割強が「平野氏か達増知事のどちらかに投票する無党派浮動層」ということになるのではないかと感じています。

それは、言い換えれば、次の知事選は、その無党派層の投票動向で選挙結果が決まるということでもあります。

これまでの岩手県知事選は、過去2回の達増知事は言うに及ばず、当時、政界の華であった小沢氏の支援のもと圧倒的な強さで登場し3期を務めた増田前知事、そして、それ以前(プレ小沢氏時代)は県政の中心であった自民党が擁立した方々が知事を歴任しており、昔々(二戸出身の農民知事こと国分謙吉翁が官僚出身者に勝利したとされる初代知事選)はいざ知らず、現在の岩手県民にとっては、選挙前から結果が見えていた知事選しか経験したことがありません。

そうした意味で、今回の知事選は、少なくとも現時点では、結果の予測が難しい=浮動層(無党派層)が実質的な選択権を持った、初めて(又は数十年ぶりの)知事選だと言えるのではないかと思います。

この貴重な機会を岩手県民が生かすことができなければ、とても残念なことだと思いますし、それゆえに、今回の知事選を、政策の選択であれリーダーシップの選択であれ、大いに実りのある選挙にしていただきたいと願わずにはいられません。

そのような意味では、候補者や支援勢力の方々は言うに及ばず、マスコミやJCなど「選挙の意義を高めるための活動をしている方々」、ひいては無党派層の一般県民も含め、今こそ自分達の出番だという意識で、活動していただければと思っています。

かくいう私も、何で田舎の町弁がこんな文章を書いているのかと訝しく感じる方もおられるかもしれませんが、こうした構図の選挙で無党派層の関心を高めることこそ、日本国憲法が定める国民主権や住民自治の質を高めることに繋がるもので、それに資する取り組みを何らかの形で行うのが地元の法律家の責任の一つではないかという思いで、この文章を書いているつもりです(盛岡JCで公開討論会などを担当する委員会に在籍した関係?で、野次馬感覚が染み付いたことも影響しているかもですが)。

ところで、一時代を築いた小沢氏の勢力の栄枯盛衰という観点から見れば、小沢氏陣営が分裂して保元の乱のように相争った平成24年の冬の衆院選は、「いわて冬の陣」と呼ぶに相応しいものでしたが、今回の知事選は、小沢氏直系の本丸であり、失礼を承知で申せば小沢氏系の最後の大物とも表現することもできそうな達増知事が、生き残りを賭けて元同胞である平野氏と頂上決戦とも言うべき対決に及ぶものですので、「いわて夏の陣」と評しても良いかもしれません。

現職知事が再選出馬する場合、その選挙は信任投票の色合いを帯びますが、達増知事の場合、スキャンダルの類はもちろん、とりたてて知事個人の失政と呼ぶべきものも思い当たらず(土下座事件で物議を醸した競馬場問題は前知事やそれ以前の時代のツケでしょうし、大雪事件など幾つかの補助金問題も広義の監督責任はさておき知事個人が関与したものではないのでしょう)、震災後の対応も概ね堅実になさっていると感じたり過去の圧倒的勝利を覚えている県民も多いでしょうから、そうしたことは、今回の選挙でも有利な要素として大いに働くのではないかと思います。

他方、知事個人が震災対応に関し、華々しい成果を挙げたりリーダーシップを発揮したなどという話もあまり聞かないように思われ(マンガ政策云々も、票に結びつくかは懐疑的です。「そばっち」も知名度がないと思いますし)、「震災復興」に取り残された被災者や、それとは逆に、開発促進を希望する自公系の地元関係者などからは、批判票を受けることもあるかもしれません(その点は、復興相であった平野氏も同様かもしれませんが)。

また、達増知事に関しては、小沢氏全盛期には敵対する政治勢力への辛辣な言動が多く見られたと思いますし、平野氏の出馬表明に対しても、裏切りの政治だなどと敵意を露わにする言動をされていましたので、そうした敵味方を強い言葉で峻別する姿勢が「控え目な人柄」とされている岩手県民にどのように評価されるのかという点も、興味を感じます。

また、民主党陣営のうち階議員などの勢力は、達増知事とは岩手1区の選挙で対決した過去もあり、どのような対応をされるのか、興味深いところです。この点、知事選の直前(8月下旬)に予定されている盛岡市長選では、階議員の有力支援者である内舘茂氏が立候補を表明し、現職の谷藤市長(無所属ですが、地盤的には自公系と言ってよいと思います)と対決することが予定されており、市長選の動向が大きな影響を及ぼすことは確かでしょう。

素直に考えれば、谷藤市長が自公系である以上、平野氏とは手を組めないという前提で、達増氏陣営の支援を見込んで達増知事の支援に廻るという可能性が高いと見るべきなのだろうとは思います。

ただ、仮に、市長選の直前頃に出るかも知れない知事選の事前予測で平野氏優位の報道がなされた場合、それが市長選に影響する可能性もありますので、達増知事と命運を共にするという選択は、内舘氏にも大きな賭けになり、最良の策と言えるのかは私には分かりません(敢えて中立を保つことで、市長の若返り等を期待する若手保守層の得票を期待し谷藤氏陣営の切り崩しを狙うという高等?戦術もあってよいのかもしれません)。

全くの余談ですが、もしも、市長選が知事選よりも後に来るのであれば、敢えて平野氏が当選してくれた方が、「知事選は自公系を勝たせたので、市長選は民主系を勝たせる」という無党派市民のバランス感覚(投票動向)を期待するという高等?な選挙戦略もあり得たかもしれません。

裏を返せば、達増知事にとっては、盛岡市長選でどちらが当選するのが自身の得票にとってプラスになるのか悩ましい面はあると思われ、そうした微妙な論点・判断も、達増氏・階氏(内舘氏)の両陣営の動向に影響を与えるのではないかと思われます。

上述の理由から、盛岡や一関、被災地などの無党派層の動向が選挙結果を左右すると思われるだけに、政策論争もさることながら、そうした選挙関係者の利害得失の面も含めて、本年の岩手・盛岡の大型選挙の様相を興味深く見守っていきたいと思っています。

ともあれ、今回も大変な長文になってしまいましたが、ご覧いただいた皆様には御礼申し上げます。

盛岡町家に梅の花を

この土日に、盛岡市鉈屋町で「旧暦の雛まつり」が開催されていました。去年は仙北町の町家群の雛祭りが同時開催され、私は両方とも見に行きましたが、今年は鉈屋町のみの開催になったようです。
http://machijuku.org/event/

1月ほど前に鉈屋町に新しく出来た「もりおか町家物語館」にお邪魔する機会があったこともあり、今年の訪問は遠慮させていただきましたが、日曜はよく晴れたので、今年も盛況だったのではないかと思います。

ところで、鉈屋町に行くたびに思うのは、この界隈(通り沿い)には草木があまり見あたらないなぁということです。元来、狭い街道沿いだからなのか町人街だからなのか、理由は分かりませんが、少なくとも街路樹の類はほとんどありません。

この点、規模・知名度では比較の対象にはならないかもしれませんが、隣の秋田・角館の武家屋敷街は、ご存知のとおり秋田随一とされる桜の名所であり、やはり、古い街並みには、花や樹木が彩りを添えて欲しいと思わずにはいられません。

とりわけ、鉈屋町では、毎年この時期に「旧暦の雛祭り」を開催しているので、この時期に彩りを添える植物があれば、来場者に喜ばれるだけでなく、雛祭りや建物群にさほど関心のない層も呼び込むことができ、観光面の策としても意義があるのではないかと思います。

そして、この時期(4月第2週)は、盛岡は例年、まだ桜は咲かず(盛岡の見頃は例年は4月の第3週)、その代わりに、梅が概ね満開期にあたるのではないかと思います。

そこで、盛岡市であれ有志(町内会とか町並み塾とかJCとかロータリーとか?)であれ、どなたか、鉈屋町界隈に梅の木を沢山植えて、雛祭りの際は界隈を闊歩する来場者が梅の花を楽しむことができるようにしてはと思うのですが、いかがでしょう。

もともと、盛岡に限らず東北には梅の名所はあまり聞きませんので希少価値がありますし(岩手公園は桜のイメージが強すぎ、梅の名所という感覚がありません。ネット情報でも、東北は他地域と比べて梅の名所が少ないようです)、伝統的な和の町並みには、桜以上に梅が似合うと言ってよいのではないかと思います。

また、ネットでチラ見した限りでは、梅の花のイメージは、「凛としたいじらしさ」というものだそうで、「雛まつり」に添える花としては、ぴったりという感じがします。

さらに言えば、盛岡を本拠地にしていた安倍貞任の弟・宗任は、梅の花に関して「わが国の梅の花とはみつれども 大宮人はいかがいふらむ」という有名な一首を残しており、その点でも、盛岡に梅の名所がないというのは、郷土にゆかりの故事を顕彰し言い伝えるものを欠いている点で、残念なことと言うべきではないかと思っています。

というわけで、「盛岡町家に梅の花を」というキャンペーン(鉈屋町に限らず、仙北町など、この時期に旧暦の雛まつりを行うところがあれば、そちらも含めて)を行っていただきたいと思っていますので、賛同いただける方は、ご尽力をお願いいたします。

最後に、安倍宗任に敬意を表して?次の一句で締めくくりたいと思います。

【懐かしき 春を待ちやと 梅の花】

大意:北国の長い冬が終わり、待ち遠しかった春が戻ってきた。その喜びを、長い間、その価値が忘れ去られて再評価されるのを待ち続け、ようやくその時を迎えた、盛岡町家の「旧暦の雛祭り」の中で感じたいものだが、その街並みに、同じ時期に花を咲かせる梅の木が添えられていれば、なお一層喜ばしいことだと思いませんか?

震災復興とインフラツーリズム

昨年10月の日経新聞で、新たな旅行形態(ニューツーリズム。産業施設観光やエコ・グリーン系、健康・医療系など)の一つとして、土木構造物の建設現場を見学する「インフラツーリズム」なるものが取り上げられており、例として、高速道路のジャンクション建設現場のツアーが紹介されていました。

それを見て、すぐに思い浮かんだのは、被災地では、現在、三陸道や防潮堤、嵩上げ工事や高台の造成、各種建造物の復旧・新造など、至るところで様々な工事が行われたり計画・準備されたりしていますので、それらを見学できるツアーを現地で提供しても良いのではということでした。とりわけ、震災の風化や関心低下等が叫ばれて久しい状況にあるのですから、そうしたことで遠方の方々の関心を喚起する意義は大きいのではないかと思います。

また、インフラ見学に限定する必要はないでしょうから、建設現場と地元の自然景観等の鑑賞を交えたツアーを販売しても良いと思います。私は法テラス気仙の担当のため月1回のペースで大船渡に行っているのですが、大船渡湾は、嵩上げ等の復興土木工事現場だけでなく、太平洋セメントの巨大工場もありますので、これを洋上から鑑賞したり被災廃棄物の焼却等を見学するツアーでもあれば、「期間限定」の希少価値も相俟って、工場萌えの人々が押し寄せるのではないかと思います。

また、湾岸クルーズ船のコースとして、大船渡湾の牡蠣養殖棚を間近で見学したり(いっそ、その場で食べさせたりとか?)、余勢を駆って大船渡のシンボル・穴通磯なども間近で鑑賞できれば、そうしたものを見たい人にも大いに需要があると思います。国道45号線に沿って坂の上に街が広がる大船渡町周辺の光景も、参加者に心地よさを提供することでしょう。

もちろん、本格的にインフラツアーをしたい方には、三陸道の工事現場や隣の陸前高田の一本松のすぐ隣で大々的に行っている巨大コンベアーや嵩上げ工事現場なども視察し、本気度の高い方々にはオプションで地元関係者との意見交換企画なども付加すればよいと思います(冗談抜きで、地元関係者の会合を見学し議論に参加できるツアーなどもあってよいと思います)。

例えば、地元自治体などが企画して最初に地元や首都圏などのカメラマンや旅行業者、学術関係者などを対象にツアーを行い、宣伝して貰ってもよいのではないかと思うのですが、どうでしょう。

なお、この程度のことは、既に多数の人が考えているのだろうと思ってネットで「インフラツーリズム 被災地」と入力して検索したところ、残念ながらというか、国交省の東北地方整備局の文書が出てきた程度でした。
http://www.thr.mlit.go.jp/Bumon/B00097/K00360/guide-tohoku/guide-t3.pdf

先日、法テラス気仙の担当日で市内を少し自動車で廻った際、屋形船が就航しているという看板を見つけました。今年の3月から始まった企画とのことですが、単なる観光事業としてだけでなく、上記のような「震災復興のインフラツーリズム」のツールとしての活用や小型船の導入なども考えていただければと思います。
http://www.55027104031.com/

地元関係者の奮起を期待したいところです。

鳳凰が舞い、龍が潜む街・もりおか

盛岡市街から見える岩手山の雪形は、一般的には、頂上部の雪解け部分を指して、鷲に喩えられている(岩鷲山)のですが、盛岡イオンや盛岡IC周辺あたりからは、鷲の身の下部に、長い尾のような岩稜の雪解け部分が見えるので、あたかも鳳凰が尾を広げて飛び立とうとしている姿に見えないこともありません。

添付の写真は、盛岡ICの西側から撮影したものですが、高速道路上や盛岡イオン屋上あたりの方が、身と尾のつながりが綺麗に見えるのではないかと思います。

盛岡は、北上川・雫石川・中津川の三川合流地帯も、上から(地図上で)見れば龍の身体と両腕のように見えないこともないので、鳳凰と龍という2つの神話上の生き物が棲む街というアピールの仕方も、考えていただいてもよいのではと思っています(特に、中国・台湾の方には喜ばれるのではないでしょうか)。

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二戸にルーツを持つ著名人

今月の日経新聞の「私の履歴書」はニトリの社長さん(似鳥氏)が登場されているのですが、今日の記事で、同氏が、戊辰戦争後に岩手県の似鳥という土地から北海道に移った開拓民の4代目だと述べられていました。

この「岩手の似鳥」は、二戸市の御辺地エリア(旧二戸と浄法寺の境)にある似鳥(にたどり)地区を指すと思われます(検索した限り、県内に他に似鳥という地名は見あたりませんでした)。

私の知る限り、二戸市などがニトリないし似鳥氏と特別なコネクションを持っているといった話は聞いたことがありませんし、同社が二戸に出店する必要もないとは思いますが、せっかく地元のご出身なので、市役所等におかれては、ふるさと納税を売り込みに行く?などの名目で、何らかの繋がりを試みてもよいのではと思います。

私自身、二戸から函館の高校に進学した人間なので、少し親近感を持ちました。

北海道は、明治期に開拓のため東北や北陸方面から渡った方の子孫が多数おられるので、岩手などにルーツのある方は少なくないと思います。「地方消滅」が叫ばれ、ある意味、人口などの獲得競争が深まりつつある現在、そうした方々に、ご自身のルーツを大切にしていただき、あわよくばルーツたる地域との繋がりを深めていただくような努力が、「送り出した側」に求められているのではないかと思います。

ロータリーへの田舎の町弁の関わり方

前回に続けて、ロータリー関係で、もう少し書いてみたいと思います。

ロータリーは、1905年にシカゴで活動する弁護士の方が懇意にしている他業種の友人と共に結成したとのことですが、我が国では、弁護士の絶対数が他業種に比べて少ないせいか、ロータリーの組織内での弁護士の存在感は、米国に比して高くないように思われます。

むしろ、盛岡北RCもそうですが、Webサイトで会員を公開している盛岡の各クラブの構成を見ても職業比率で見る限り非常に多いのはお医者さんで、入門書の著者も医師の方になっています。我が国の医師数は、弁護士数の約10倍(しかも、弁護士は最近になって激増しているので数年前なら約15~20倍)なので、当然と言うべきかもしれませんが。

お医者さんに対抗したいわけではありませんが、弁護士会員にとって創設者と同じ看板(職業)を背負っているというだけでなく、職業倫理を重んずる実業人、専門職業人が社会奉仕を実践することを目的とするロータリーにおいては、厳格な倫理規程を掲げ社会正義の実現を目的とする弁護士は、職業の特性としても果たすべき役割が大きいというべきでしょうから、そうした意識を持って参加していきたいと思っています。

とりわけ盛岡北RCに関しては、故・野村弘先生をはじめ岩手弁護士会の重鎮の先生方が過去に在籍されていたと伺っていますので、それらの先生方にも恥じないような活動や生き方ができればと思っています。

この意味では、現在、弁護士業界は激増の一途を辿っており、そのせいか、先日の地区の広報では、私以外にも2人の弁護士の方(いずれも宮城でしたが)の入会報告がなされていました。恐らく、岩手・宮城地区で一度に3人もの弁護士が入会するということ自体、前例がほとんど無いのではないかと思われます。

今後は、弁護士激増に追い立てられるかのように、ロータリー内で弁護士の会員が増えていくと思われますが、中には、今年の盛岡西RCの会長をされている吉田瑞彦先生のようにリーダーシップを発揮したり弁護士会員の価値を高めていく方も、増えていくのだろうと思います。

ロータリーに限らず、弁護士の社会貢献、社会奉仕の幅や形を拡げて、そのことを、より良い形での職域拡大に繋げ、ひいては、真面目に仕事をする弁護士が激増に負けず適切に生計を営み、社会に必要とされる存在であり続けることができる業界であり続けるよう、私も精進していきたいと思っています。