北奥法律事務所

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個別の法的問題等

国会議員批判を巡る議論と処方箋(劇薬?)としての間接選挙制

先日の衆院補欠選挙は、現在の政権与党ないし国政(社会情勢)への批判票が反映される結果となりました。

岩手でも数ヶ月前に自民党の国会議員さんに残念なニュースが連続して生じ、Web上では国会議員の数や報酬が過大ではないかとか、議員のリコール制度がなくてよいのかといった議論がなされていたように思います。

ただ、小選挙区制で単純に議員数を減らすと、一人一票の原則(投票価値の平等)の関係で今以上に選挙区割が困難となるでしょうし、まして参院では複数の県に跨がる選挙区が必要となり、「オラの県の議員」を選出することすらできなくなると思われます。

いっそ、国民は各選挙区で「国会議員を選ぶ(選解任する)だけの役割を担う人」(選挙人)を何人か選び、選ばれた選挙人達(例えば、国全体で2000人程度とか)の投票で、数十人~100人以内の国会議員を選ぶものとすれば(間接選挙制)、一人一票の原則を守りつつ、議員の大幅削減ができるように思われます。

政治資金を巡る諸問題(自民系を中心に国会議員の活動にカネがかかりすぎるとか、それを言い訳に不透明なカネが作られすぎる云々)も、間接選挙制であれば、かなり変容するというか、一定のリスクはあるにせよ、「国会議員が選挙区民から支持を集めるため、あまりにも様々な雑事にカネを必要とせざるを得なくなる」という現在の慣行を抜本的に変えることはできると思われます。

野党勢力に政権を任せるのは無理だろうと感じつつ、自民党に「もっとお灸を据えたい」と思っている方々や、現在の国会議員を巡る諸制度に閉塞感を感じたり、こうした制度の思考実験に関心のある方は、半年前に書いた下記の投稿もご覧いただければ幸いです。
国会を少数精鋭の府に~歳出削減と定数不均衡の一挙解決策としての間接選挙制~ | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

余談ながら、私も最近は老化等の影響でこの種の投稿をするのが激減しましたが、近時のfacebookを拝見していると、ジャスミン革命のインフラと称賛された昔日の姿がすっかり色褪せて、アホンダレインチキ広告群にまみれて劣化し、パブリックフォーラムとしての機能も失いつつあるように見えるのを、とても残念に感じています。

万物の尊厳を志し、何もできずにはや8年

本日は憲法記念日です。

8年ほど前、人にあらざる存在の尊厳(万物の尊厳)を日本国憲法に取り入れたい(現行憲法に新設13条の2を追加する改正案)と思い立ち、FB上で何度か投稿してきました。

いつかはそれを世間に問う本を出版してみたいと思いつつ、仕事と諸事に追われ何もできずに時間を徒過し、そのまま寿命を迎えてしまいそうです。

先日の世論調査でも、与野党・国民全体が幅広く合意できる、未来に希望を示す憲法改正を国民が望んでいることが示されており、万物の尊厳の新設こそがそれに相応しいと確信しています。

以前に掲載した引用の投稿なども読み返し、今年こそは原稿を書き始めてみたいと願うばかりです。

万物の尊厳を掲げる憲法改正を岩手から(前編) | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)
万物の尊厳を掲げる憲法改正を岩手から(後編) | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)
司馬遼太郎氏も語っていた「万物の尊厳」 | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)
憲法記念日に考える「万物の尊厳」と書籍出版を夢見る日々 | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)
万物の尊厳を掲げる憲法を世に問えるのはいつの日か | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)
憲法記念日が来るたび、万物の尊厳を掲げる憲法を願って | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

東京五輪の「違法な弁当大量廃棄」と食品ロス削減推進法などの改善を求めて | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)
アイヌとイスラムの異同を踏まえて日本と人類の未来を論ぜよ~函館北方民族資料館の呼ぶ声~ | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)
人が関わる生き物の尊厳ともう一つの憲法改正論 | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

尋問の東京出張からキュビズム経由で縄文の思想と近代の超克を考える

昨年末、約20年ぶりに東京地裁で尋問のため出張してきました。本来は色々な意味で尋問などの重い手続には相応しくない親族間の少額の金銭問題に関する事案であり、当方は穏当な解決を目指してきましたが、相手方が強硬な対応に終始し、やむをえず尋問・結審となった事案です。

この件に限らず、ここ数年「親分肌(姉御肌)だが我が強く自分本位な御仁に振り回され、弱者いじめのような扱いを受けた人が、これ以上は耐えられないと思って私に相談し、その後も相手御仁が不当・強硬な要求を続けたため、やむなく訴訟等に至るケース」の受任が多いような感じがします。

その種の事案は受任の時点で何らかの不利な条件が生じていることが珍しくなく、相手方はそれをタテに因業な要求をしてくるのが通例で、絵に描いたような古証文事案も複数あります。

そのうちの一つは、テレビをご覧の岩手県民なら誰でも知っている著名企業の創業者が、子分格の小規模企業経営者を長年いじめていた事案で、都会の豪腕弁護士さんと死闘を繰り広げた末、当方勝訴の心証開示を前提に、ご本人の希望で手打ちのような形で譲歩した勝訴的和解をしています。

昨年は、因業な元街金業者に長年いじめられた「保証人の保証人」たる債務者の代理人として、古証文事案で時効が成立するか激しく争い、無事に当方主張が認められ勝訴確定した事案もありました。

が、私自身も似たような経験を昔も今も余儀なくされている?せいか、この種のご依頼は絶対に負けさせるわけにはいかぬと死に物狂いで取り組む結果、時間給換算で大赤字となるのが通例で、ぢっと手を見るばかりの日々です。

***

というわけで、今回も数年ぶりの東京に、「長時間出張でますます大赤字だ」と全く嬉しくもなく行ってきたわけですが、せめてもの悪あがきということで、国立西洋美術館のキュビズム展に立ち寄りました。

私は高校1年次にパリのオルセー美術館でミレーの晩鐘に感動して以来(ここだけ昔の自慢話・・)、モネとかコローなどの素朴で美しい印象派の風景画ばかりを好んで見てきたので、キュビズムに小利口なことを言える身分ではありませんが、それでも、私も年を取ったというか、昔よりも色々と考えたり感じたりできるものがあったように思います。

個人的に一番感銘を受けたのは、キュビズムの源流がアフリカやオセアニアなどのいわゆる未開文化が創り上げた、祝祭や呪術などに用いていたとみられる異形の木像などである、という冒頭の解説でした。

そこで展示されていた西アフリカの木像の目とピカソの「キュビズム直前期」の女性画の目が酷似しており、ああ、これが元ネタなんだと素人目にも分かるものがありました。

企画展の入口で、これまでの絵画は(被写体たる人物や風景の)模倣に過ぎないが、キュビズムとは創造を目指したものである、と書かれていました。

ピカソ達の作品は、当時の西欧社会内で、この木像などと同じ役割・機能を果たすことを目指していたのではないかと思いました。

アフリカやオセアニアなど(いわゆる第三世界)では、意味づけや役割などが判然としない異形の人物像などが多く作られていたことは現代では誰もが知っているところですが、これらの異形の像は、現地の何らかの儀式に使われたり、或いは部族支配者の権威付けに用いられるなど、何らかの呪術的なメッセージを伴っていると考えられていると言って良いと思われます。

ピカソ達は、「なんだこれは」と人々が驚くと共に、知性や悟性(思考能力)では捉えることができない、禍々しさも含むのかもしれない何らかの異形の価値を社会に見せつけることを狙って、ああした異形の作品を送り続けたのではと思いました。

やがて多くの人々がキュビズムに熱狂し、その後、それまでの宗教画や印象派絵画とも全く異なる様々な抽象絵画が生み出されたのは、その絵画等に、自分達がまだ言語化できない、呪具・呪物のような得体の知れぬ価値が宿っていると感じたからなのかもしれません。

そのため、キュビズムひいては現代芸術を理解しようと思うのなら、源流・発祥とも言えるアフリカなど第三世界(グローバルサウス)の呪術文化を理解することから始めなければならないのではないか、しかし、現代社会は、果たしてその努力をどこまでしているだろうか、どこまで成果を挙げているだろうか(それこそ、我々の方が発展途上なのではないか)とも感じました。

それと共に、日本で「なんだこれは」と言えば岡本太郎ですが、彼が「発見」した縄文の異形の諸像は、アフリカなどの異形の諸像に通じるものがある、だからこそ、欧州の芸術家は第三世界に惹かれ、同時代の欧州で育った岡本太郎は縄文に惹かれたのだろうと思いました。

第三世界のプリミティブな文化と縄文の思想。

双方の根底には何某か通じるものがあると共に、現代を今も覆っている近代欧州文明の閉塞感を打破する何かが潜んでいるのかもしれません。

本日は企画展の料金で常設展もOKと言われたので、常設展も20年以上ぶりに拝見しましたが、キュビズムのあとに16世紀の宗教画を見ると、あれもこれも同じ「絵」なのか、絵とは何なのか、何のためにあるのか、などと目眩を感じる面があり、そうした感覚にまどろむ意味でも、常設展も併せてご覧になって良いのではと思いました。

あと、地域限定ネタですが、個人的には、ゴンチャロワさんというロシアの画家さんに親近感を持ちました。

余談。

これまで家族で東京に立ち寄る際は、いつも家族の申入で駅のコインロッカーを利用していたので、今回もその習慣で400円を払ったのですが、美術館に入館した直後、ああしまった、ここならタダだった(しかも駅の目と鼻の先なのに)と後悔しました。

というわけで、帰りは贅沢駅弁を諦めて、戒めの500円ニューデイズ唐揚弁当を泣く泣く・・もとい美味しく頂戴しました。

小さなことにクヨクヨしろよ(見城徹語録集より)。

地方の外国人当番弁護士に関する通訳の実情とげんなり感

3ヶ月前の話です。

12月上旬は、例年、賞与の原資確保(そもそも支給できるか・・)に悩みつつ、外食もできず安価な配達弁当に依存する日々となっています。

誕生日 自分にパスポを贈れども
店には行けず ただ見てるだけ

おまけに、当番弁護士で逮捕直後の外国人の接見に行けとの配点を受けたのですが、通訳の手配の関係で散々な目に遭いました。

外国人事件の配点自体が10年以上ぶりだったので、あれこれ調べ直した上で弁護士会の通訳人名簿に従って電話したところ、不通とか無理の返事が続々続いたほか、別人の番号(名簿ミス)だとか何年も前に東京に転居したなどという返事まであって、結局、名簿の10人以上の対象語の通訳さんがまさかの全滅(唯一きちんとお話ができた方は、本人の取調で通訳を担当しているので無理と言われる始末・・)。

もはや、20年も前の東京時代の刑事当番の経験をさほど覚えているわけではありませんが、通訳さんの手配で苦労した経験はなかったので、色々な意味で、あんまりだと思わざるを得ませんでした。

やむを得ず裏技的な方法(非違行為ではない)で接見だけはこなしましたが、原則として当日の接見が求められる逮捕直後の当番出動は、通訳の手配が不可欠な外国人事件では、かなり無理筋である(のに、弁護士会は対策を打っていない?)という印象が否めません。

弁護士会で通訳手配をして貰うのは無理でも、せめて通訳さん手配に関する直近の役立ち情報を会内で共有・提供するとか、何人か電話して手配できなければ、本格的な接見は被疑者国選弁護人の選任を待って行うものとする(当番は通訳を手配できなくとも簡易な説明翻訳文書の差入等の接見方法でも良しとする)など、現場に無理を強いない制度設計をお願いしたいものです。

或いは、最近世間で出回っている?簡易翻訳の機械を接見室に持ち込めるようにできれば、それが一番良いのかもしれませんが・・

というわけで、「その日」のとっても有り難い配点に心から感謝する一句。

お祝いに この仕事くれた弁護士会

 

日本語しかできない田舎の町弁が従事する、外国人相談の現状と本音~その2~

標題のテーマに関する前回投稿の続き(後編)です。

県庁(アイーナ)の外国人向け無料法律相談会で、A国籍の県内在住外国人の遺産相続という準拠法が大きく関わる案件について、事前に幾つかの文献を調べてまとめた内容を担当者にメールしていたところ・・

なんと、当日になって、本人がドタキャンしてきたとの連絡を県庁担当から受けました。

この企画は、会場で本人から相談を受けなければ日当が出ませんので、事前の準備は完全タダ働きとして水泡に帰すほかありません。

ご担当にはメールを本人に転送しても構わないと書いたので、或いは、本人がメールで目的を達し取り止めてきたのでは・・・(事前に返信しなきゃよかった?)、と思わないでもありません。

そういえば、今日も、(日本人相手ですが)そういう話ありましたし・・

そうであれば、実質的に相談を実施したものとして県庁は相談料を支払っていただきたいものですが、そうはならない(お役人さん達は給料を貰うが、チンケな出入り業者はタダ働きを強いられる)のは、この種の話(お役所絡みの仕事は、親切にすればするほど徒となる)のお約束なのでしょう。

が、ともあれ、弁護士にとっては「あるある」の類と言わざるを得ないでしょうから

この腹いせに、排外主義に転向しよう

とか

誰だ、外国人相談なんて日本人向けと大差ないなどと言った奴は

などとケチなことを言うことなく、せめて、相談者A国人氏が、私のメール?も活かして、何らかの形で日本に肯定的な影響を及ぼしてくれるよう願いました。

***

3回目は、10年以上前に来日し日本人男性と結婚した熟年アジア系女性が夫の死去に伴い相続紛争が生じたというご相談でしたが、この方も、10年以上日本に居住しているのに、全くと言ってよいほど日本語が話せず、通訳等の対応ができる友人等もおられないようでした。

アイーナ相談は県庁側で手配した通訳さんが対処するので、一定の意思疎通はできましたが、通訳さん自身が当該国のご出身の方?らしく、相続を巡る日本の様々な制度や実務もあまりご存知ないようでした。

そのため、それらを通訳さんに説明するだけでも難儀で、まして、ご本人の相談の核心となる論点への対処をあれこれ説明しても、砂漠に水をまくような印象は否めませんでした。

結局、様々な困難な論点があるように見受けられたものの、当方にはその紛争への対応は無理である=同国人同士の繋がりを通じて、当該言語への対応が可能な東京の弁護士さんなどを照会してもらうほかないのでは、と回答せざるを得ませんでした。

***

近年このような「働けど働けど」仕事ばかりが続く感が否めず、憑き物があるのかと泣き言の一つも言いたくなりますが、ともあれ、開運を願って橋を往復し続けたいと思います。

今般、岩手弁護士会にも、在外実務経験があったり英語が堪能だと聞く先生方を中心に、外国人の権利救済を目的とする委員会が発足したのだそうで、今後はそちらの方々が専門能力を活かして?相談会を担当されるものと思われます。

というわけで、私の屍を無駄にすることなく、今後、確実に予想される外国人の大量入国(大移民?)などに伴って生じる法律問題の解決に尽力いただければと思います。

 

日本語しかできない田舎の町弁が従事する、外国人相談の現状と本音~その1~

今回は、外国人向け相談に関する小話(前編)です。

数年前から弁護士会の某委員会と県庁の協定により外国人向けの無料相談会が県内でも年数回行われており、応募したところ、昨年は3回の配点を受けました。

最初に担当された方は、「相談の中身は交通事故とか日本人向け相談と大差ないものばかりだった、日本語も全面OKの方ばかりだった(ので、日本人の相談と何も差がなかった)」と豪語?していました。

ですので、語学能力も外国人向けに特化した法制度等の知識理解もさほど必要ないのかと安心して応募したのですが、

よくもそんなインチキ話をしてくれやがって

と言いたくなるほど、ズブズブの本格的な外国人相談ばかりでした。

1回目は、東南アジア出身の女性が日本人DV夫から子連れで脱出(シェルター保護)したので、これから離婚手続などをしたいというものでした。

事前に相談概要のメールが来たので、日本語が全く話せない外国人が調停などを行うための手法(現実的に利用可能な制度の有無など)について、(これまで経験がないので)あれこれ調べました。

結局、法テラスによる通訳利用などにも様々な限界があり、現状では、知人や大使館などを通じて外国人向け支援団体を探すか、最低でも、英語が堪能な弁護士さんに依頼すべきでは(当方は良好な対応が困難)と回答せざるを得ませんでした。

この点は、現在の法律実務の不備が大きいのではと思われ、少なくとも、日本語を使用できない外国人の離婚調停等に対応する通訳支援(税金等を含めた基金制度)と迅速解決の仕組みが整備されるべきと感じます。

***

2回目は「A国籍(西欧系。米国ではありません)の県内在住外国人(配偶者は日本人)が遺言作成の相談をしたいというもので、県庁担当からのメールには、

「遺言書は、日本語で書かないとダメだ(英語ではダメだ)と書いてあるサイトがあり、本人が不安になっているので、その点は分かるか」

などと書いてありました。

日本国内に資産を有する外国人の遺言という問題は、日本法と本国法のどちらが優先するかなど、外国人に特化した様々な制度や議論が複雑に絡み合うテーマですが、私自身は「外国人が遺言を作成する事案」の相談を受けた経験がありません。

やむなく、長年、事務所内で出番のなかった文献群を色々と調べ、次の内容をメールで書いて返信しました。

**

①外国人が外国語で自筆遺言証書を作成することは(民法の方式に適っているのであれば)可能・有効である

②但し、日本国籍ではない以上、本国=A国の法律の適用を受ける可能性がある。

一般論として、本国(A国)の財産は、本国法に従った遺言書の作成を要するが、日本国内の財産は、日本で作成した遺言書により処分できる(A国法が、日本法の適用を認める)ことが多いようである。

この点は、A国で渉外事務を扱う弁護士にも相談した方がよい(A国籍である以上、日本国内の資産の処分であっても、すべて日本の法律で大丈夫と思わない方がよい=同国弁護士にも相談すべき)

③日本国内の財産を遺言により確実に処分したいのなら、公証人役場で公正証書を作成すべきで、その場合は役場と相談の上、信頼できる通訳を交えるべき

なお、当職がWebで調べた限り、外国語で遺言ができないと書いたものは見ていない(上記と同趣旨のことを書いているものは確認した)。

以上の理由から、遺言の対象となる相続財産が日本国内のものであれば、通常の遺言事案とさほど変わらない説明ができるとは思われるが、本国等の財産であれば、当職が手も足も出ない=本国等の弁護士に相談し対処すべきで、その点を担当から確認していただきたい。

***

すると、当日になって・・・(以下、次号)

 

公的団体の内部不祥事と公表の議論を巡る内部の光景

先日、JR東日本が社員の着服事件を外部公表していなかったことを取り上げる記事が出ていました。

以前、私も所属する某団体で、この報道(従業員の横領事件)と似たような問題が生じたことがあります。

役員の方々が大変尽力され、団体の被害は完全回復されたそうなのですが、その事案を対外的に公表するか、団体内で議論がありました。

私は会場に赴かずにズーム参加したのですが、過去に団体の役員をつとめた有力会員の方からは、内部の問題であり公表不要との意見があり、会場内では異論がなされていないようでした。

私は、その団体が強い公的性格を持つ(と世間一般が感じている)以上、不公表は適切ではない、お役所や金融機関などで同種の不祥事が起きていれば必ず公表するだろうから、当事者等を特定する情報を全て伏せた上で、このような事件自体はありました、と公表すべきではないかと意見しました。

すると、会場内の他の有力な会員の方から「役所などとは全然違う」などと、それに強く反発する反論を受けました。

明言はされていませんでしたが、不祥事を起こした方は、長年その団体のため多大な尽力をされ、多くの会員が自分達の身内だと感じてきたような方であり、「どうしてお前は(本人が事実を全て認めて被害回復も実現したのに)自分達の仲間を苦しめようとしているのか」と非難するニュアンスを強く感じました。

その後、大ベテランの方から、私の意見に理解を示すコメントがあり、それ以上、他に意見もありませんでしたので、あとは役員の方々に一任することになりました(誰も意見は言いたくなかったでしょうし、私自身、公表を主張する方が他にいたなら、好んで意見をすることはなかったでしょう)。

それから少しして、結局、私の意見どおり、その団体が、当事者等の特定情報を全て伏せた上で、その事案について公表している報道を拝見しました。もともと外部への被害がなく内部では解決済みということもあり、それ以上、世間でその件が取り上げられることはなかったと思います。

そのことを、この話を伝えても許されるであろう、ある方に話したところ、「仮に、公表せず伏せていれば、週刊誌などで批判的なニュアンスを交えて取り上げられ、団体や業界の信用を傷つけることもありえたのではないか。上記のやり方が正解というほかない。誰かが、そうすべきだとの意見を言わなければならなかったのだ」とのコメントをいただきました。

ただ、自分達の仲間を守りたい、内部で責任を取ったのだから、それ以上は苦しめたくないという方々の心情も、何一つ間違っていないと思います。

確実に言えることは、私はその団体では昔も今も末端ヒラ会員であり、残念ながら、団体内の多くの方々と、あまり親しい関係を築けず疎遠なまま終わりそうだ、ということだけでしょうか。

或いは、その方が、司法の世界に身を置く者らしいのかもしれませんが。

 

無料掲載を装う悪徳求人広告被害について

最近は沈静化したと思いますが、5年ほど前には、小規模企業に対し、インターネットで求人広告を掲載するとの勧誘を行い騙し討ちのような形で不当な高額請求を行う業者が全国規模で多数出現し、その相談を受けたことが何度もありました。

それらの業者は、あたかも無料掲載であるかのように装いつつ「無料掲載は最初の短期間だけで、その期間を経過すると高額な有料掲載に自動更新する契約であり、お宅はそれにハンコを押した。よって数十万円払え」という請求を行うのが通例で、安易に応じてしまった多くの事業主が泣かされる事態が膨大に生じました。

当方も当時は数件の依頼を受け、いずれも「悪徳商法だから一切払わない」などと抗戦したところ、運良く?ゼロ和解ができたり、膠着状態でそのままとなったり、当方が了解可能な少額な解決金で決着するなどの経験をしたことがあります。

この件は今も全国で続いているのだそうで、私も形だけ参加している同業者の情報交換サイトMLでは、活発な意見交換がされているようです。

悪徳業者と名指しされた業者の中には、(恐らくは対決姿勢を示して支払っていないのであろう)歯科医院に対し、「虫歯などの酷い画像を付けた負の広告」を出してくるという挙に及んでいるものもあり、それを見たときは呆れるばかりでした。

以前、闇金が「(刑罰金利を前提とした悪徳融資の)返済をしなかった女性について、事前に送信させた裸の写真をネット上で掲載している」との報道も見ましたが、それに類するような酷い話だと思いました。

こうした事案に限らず、事業者の皆さんには人手不足などの問題があっても安易な電話等の勧誘に応じることなく、求人などの課題は健全な常識に適う方法で解決を図っていただきたいものです。

 

国会を少数精鋭の府に~歳出削減と定数不均衡の一挙解決策としての間接選挙制~

国会も地方議会も、議員数が多すぎるとか、国会議員の報酬などが(労働ないし人物の質に比して)高すぎるなどという議論がある一方、小選挙区制では一人一票の原則(投票価値の平等)を守るには、相応の議員数が必要だと言われています。

その是正策として、近時は中選挙区の復活論も耳にしますが、もっと抜本的な解決策を考えてもよいのではと思います。

例えば、盛岡選挙区では10人前後の選挙人を有権者が選び、当選した選挙人達(全国で2000人程度の規模)の互選で数十人~100人以内程度の議員を選ぶという方法(間接選挙型の国会議員選挙)はどうでしょう。

選挙人は基本的に議員の選出を行うだけの仕事とし、さほどの負担がないことから実費等を除けば原則として無給とします。

国会で討議を行うのは「議員」のみですので、「選挙人」のため新たに施設を作る必要もありません(投票=議員選挙はしかるべき場所で実施すれば足りるでしょう)。

これなら、①選挙人なら若者など就労中の者も立候補が容易、②選挙人を全国で2000人規模とすれば人口比で調整可能なので、定数(人口比)問題も一挙解決、③有給の議員数を大幅に減らすので、税負担も減り、人材の少数精鋭化にも資する、と考えます。

また、選挙人に選ばれる国会議員は、現在の金額に匹敵する相応の報酬を支払う代わりに原則として議員活動に専念させる(兼業禁止・許可制)ことで良いと思います。

現行制度は、大物歌手のような特別な経歴・知名度を有する若者しか立候補できないとか、逆に国民代表として相応しいと思えない残念な行状が露見している方でも有力政党の所属であるというだけで選出されてしまうバランスの悪さが否めません。

国民全体から「誰を代表にすべきか」の判断のみを託された2000人?程度の選挙人が、各人の見識や所属政党などに応じて国会議員を選ぶなら、知名度が極端に有利になることなく、能力や識見などを備えた御仁が選出される可能性は高まるように思われます。

また、選挙人は、選ぶだけでなく、個々の議員の解任権も持つ(その議員に投票した面々が過半数での解任権を有する)ものとすれば、国民の多くが望むであろう、任期中に重大な不祥事等を行った議員へのリコール制度を、間接選挙人の投票による議員の交代という形で、さほど高額な費用をかけずに実現できるでしょうし、国会議員側はもちろん選挙人自身も緊張感をもって仕事ができそうな気がします。

このような制度をとる以上、選挙人による議員選抜(間接選挙)は、秘密投票ではなく国民全員に投票行動が判明する公開(顕名)投票とします。

選挙人が選ぶ国会議員(専業議員)の出身地域は必ずしも人口比にこだわらなくとも良く、都市と地方・東西のバランスを確保すべきとの原則を定めた上で、基本的には選挙人の判断に委ねて良いと考えます。

人口比に応じて選ばれる選挙人が各人の判断で国会議員を選ぶ以上、「代表者の選出に関する国民一人一人の投票価値の平等」は担保されているとの認識に基づくものです。

このように考えれば、一人一票の原則を守りつつ国会議員の大幅減員による税金削減と質の確保の双方を実現できると思われるのですが、どうでしょう。

同様の試みは、国会だけでなく地方議会(県議会・市町村議会)でも行ってよいのではと考えます。例えば、間接選挙を前提に、専業議員は「地方自治のプロ」として辣腕を振るう力のある数人程度に大幅に絞り込み、その代わり、選任時に期待された実績が出せないと、選挙人の判断で相応の期間で任期終了・解任するなどの形で緊張感のある議会運営をさせてよいのではと思われます。

それこそ、地方自治法14条などを改正し、条例で独自の機関設計が一定程度できる制度ないし特区を設けてもよいのではないでしょうか。

現行法制度を詳細に検討した上で述べているわけではありませんが、案外、憲法改正をしなくとも公選法その他の改正で実現できそうな気もしますので、選挙制度の専門家などに試案として考えていただければと思っています。

 

盛岡市議との懇談会と「弁政連のあるべき活動」に関する幻の意見書(第3回) 

前回に引き続き、先日の盛岡市議さん達との懇談会のため用意した(ものの、ボツ扱いで葬られた)レジュメを載せます。

今回=資料2は、盛岡市議の方々に、地方議会・議員として弁護士という存在=インフラを、どのように活用いただきたいか、考えたことをあれこれ述べています。

標題のテーマ(地方で執務する弁護士が、地方における民主主義と人権保障の拡充の向上のため何を考え何をすべきか)に関心のある方は、ご覧いただければ幸いです。

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資料2 弁護士・弁政連と市町村議会議員の交流等のあり方に関する一考察

皆さんは、上川あや「変えてゆく勇気」(岩波新書)を読んだことはありますか?

これは、性同一性障害が社会に認知される以前の時代に、その「心」を持って生まれた筆者(MtF)が、艱難辛苦を乗り越え前向きに生きようとすると共に、区議会議員に立候補して当選し、性同一性障害性別取扱特例法(特定の要件のもと、戸籍上の性別を変更=人格に適合させることができる法律。先日、手術要件の違憲判決がなされた)の制定運動にも携わった方が、立法運動を含むご自身の半生を語った本(平成19年出版)です。

僭越ながら、私は、この本に、資料1で述べた「住民の民意反映と人権保障の担い手」としての地方議会議員の「あるべき姿」の一例を見る思いがしています。

と同時に、本書で描かれた上川議員の熱意と工夫溢れる立法活動を拝見すると、社会的的課題を立法(法律制定)によって解決するためには、立法化を強く希望する方が当事者として地方議会議員となり主要国会議員(政府を運営する関係者)に強く・賢く働きかけ理解を得る形をとらなければならない(そうでなければ実現は困難であろう)と感じます。

今や、盛岡をはじめ各自治体で「同姓パートナーシップ制度」の導入が盛んに行われていますが、本書が出版された平成19年当時には、現在の光景はほとんどの人が想像していなかったでしょう。

当事者でもある上川議員に限らず多くの方々の地道で熱心な活動の積み重ねと、それが(世界の潮流も含め)徐々に社会内で理解を得てきたことが、現在の光景に繋がったのだろうと思われます(某市長の当選もそれに似ているのかもしれません)。

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このような「小さい(ごく少数だ)けれど切実な声」は、LGBT等に限らず、社会に様々な形で存在しているのだろうと思います。自分達の地域社会に間違いなく存在するであろう、そうした声を拾い集め、専門家の力を得て、様々な艱難辛苦を受けつつも現実的に可能な解決に向けて努力していく。それこそが、皆さん(地方政治家)や我々(地方のフツーの弁護士)のあるべき仕事の一つであろうことは、申すまでもありません。

医療の世界では「かかりつけ医」が提唱されて久しいですが、地域の伝統的な相互扶助システムが崩壊し揉め事を仲間内で解決することが困難となった現在では、社会生活上の病の治療の担い手としての弁護士の果たすべき役割が飛躍的に増大しています。

そうであればこそ、地域住民の多くが、ご自身や大切な方に問題が生じたとき解決を真っ先に相談に行くべき「かかりつけ弁護士」を持つべきと言えるでしょうし、かつての「二割司法」の時代は弁護士大増員により終わりを告げ、それが可能な人的供給は十分に整えられた(整えられつつある)と言えます。

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とりわけ、支持者・支援者をはじめ多くの地域住民と関わりを持つはずの地方議会議員の方々は、様々な困りごと・悩みごとの相談等を通じて「これは(議員マターではなく)弁護士に相談して解決すべき」と感じる点があれば、地域内の弁護士への相談等を勧めていただきたいと思いますし、そのような意味で、地方政治家の方々こそ、そうした用途を含めた「かかりつけ弁護士」を(得意分野や年代別などに応じて)複数擁しておくことが望ましいと言えるでしょう。

何より、上記の理由(隣近所や親族との交流が絶え、勤務先の人間関係も希薄だなどという、かつて社会にあった地域相互扶助が崩壊したことに伴い、地域の相互扶助の再構築が求められていること)から、助けを求めている住民と、ニーズに応えられる専門家との媒介役(仲介者)としての地方政治家やその補助スタッフなどに求められる役割は、飛躍的に増大していると言えるはずです。

・・・が、盛岡で開業してはや20年。私(小保内)自身は、ただの一度も政治家の皆さんから、相談者のご紹介などを受けたことはありません・・

盛岡市議会や岩手県議会などでは、コイツに紹介するのだけはやめておけ、という悪評でも立っているのでしょうか?(笑?まあ、皆さん、重鎮の先生方や優秀な若手の方々を紹介され、しがない町弁は相手にされていないのでしょうが・・)

それはさておき、既述の理由から、地方政治家こそ「かかりつけ弁護士」を持つべきであり、多数の弁護士が参集する場で一人一人の顔や人となりを見ることができる「弁政連との懇談会」は、ご自身や支援者のための「かかりつけ弁護士」を選ぶ場(相性を含めたマッチング)としての機能も持ちうるものと言えます。

そのような観点から、この機会を積極的に生かしても良いのではないでしょうか。
(便乗して当方の営業活動をしているわけではありませんので、ご理解ご容赦のほどを)

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ちなみに、10年以上前、盛岡ではない某市役所の無料相談会を担当した際、地元の市議さんが、相談者に付き添って何度か来所されたことがありました。

私の知る限り当職への法律相談等の場に盛岡市議さんが同席されたことはありませんが(そもそも、どなたも紹介いただけないし・・)、とりわけご高齢の方などは、ご本人が当方の説明内容を十分にご理解いただけない場合もありますので、ご自身が同席されるかはさておき、そうしたことへの支援も地方議員さんの役割の一つとして考えていただいても良いかと思います。