今年の4月頃、陸山会事件で一世を風靡した石川知裕・もと衆院議員が、現在携わっているお仕事の関係で盛岡に用事があるとのことで、少しばかり当事務所に立ち寄って行かれました(アポ無しだったので、たまたま在室し来客もなく幸いでした)。
隠すような話でもありませんが、彼は函館ラ・サール高校1学年の同級生で、入学時には(席替えの記憶がないので1年間ずっと?)、私の斜め少し前の席に座っており、相応に仲良くさせていただいていました。
やんちゃ者ではありましたが、当時から「人の心を掴むコーディネーター的なリーダーシップ」には格段に秀でており、同学年の中でも特に豊富な人脈と人望を築いていた方の一人だと認識しています。
1年次の学園祭にはクラスの有志5人くらいでバンド風のパフォーマンスでブルーハーツの替え歌を披露し、「女子校に向かって走る~あの列車に乗って行こう~」と歌って会場を沸かせていたのをよく覚えています。
同期内では2年次の妖怪人間の方が有名ですが、クラスが違ったせいか私は拝見し損ねたようで、ステージ終了後にベラ?の姿(全身緑色ながら割烹着姿だったような・・)でその辺を歩いていたのを見たかもしれないという記憶が微かにある程度です。
入学直後も、すぐに私が座っていた座席の周辺の男ども(6~7人くらい)のまとめ役的な感じになり、担任の先生の指示でクラスの「なんとか委員(係)」を決める際、何かの委員にすぐに立候補すると共に私を含むその面々にも「みんな何か一役やろうぜ」と声を掛け、隅っこで小さくなっていた私も彼のおかげで何かの係をやっていた記憶であり、そうした力を天性に持って生まれた人なのだろうと感じています。
私自身は高校卒業後は彼とは全く接点がなく、彼が初めて国会議員になった(繰り上げ当選)報道を見た際に、大変驚いたのを覚えています。その後も、残念ながらお会いできる機会はなく、陸山会事件で時の人になった際にも、報道でお名前を拝見するのみでした(この業界に身を置く者として、多忙を言い訳にせず、激励の手紙の1つでも出すべきだったのではと忸怩たるものがありますが)。
石川議員が在職中であった平成23年の春か夏頃、彼が小沢一郎氏の秘書として平成10年前後に岩手に居住していたこともあってか、沿岸各地に視察に訪れ、そのついでに被災地支援に取り組む地元弁護士の取り組みを聞きたいということで当事務所にお立ち寄りいただいたことがあり、それが高校卒業以来の再会となりました。
はっきりとは覚えていませんが、同級生で新聞記者をしている方(岩手支局に赴任経験があり少しだけ話をしたことがありました)がいて、その方から私が岩手で弁護士をしていることを聞いたと、来訪を告げる電話で告げられたような記憶です。
後日、お礼とご挨拶(及びご著書へのサインのおねだり)を兼ねて、その年に日弁連の関係で上京した際、1度、お言葉に甘えて議員会館を表敬訪問させていただいたことがあります。もちろん、議員会館なんて一生に1度も行く機会はないだろうから冥土のみやげにという下心があったことは申すまでもありません。
その後は、都内で行われた彼の結婚披露宴に呼んでいただいたことはあったものの(同期が在京の方を中心に30~40人ほど集まっていました。ご夫婦のスピーチも見事でしたが、小沢氏、鈴木宗男氏、佐藤優氏のスピーチや松山千春氏の歌声など、非常に中身の濃いエンターティナー性に溢れた式でした)、その後は接点もなく現在に至っていたというのが正直なところです。
今回は目的地に赴くついでに久しぶりに顔を見に来たとのことで、少しばかり雑談をした程度でしたが、捲土重来を期して努力を積み重ねている様子は伝わりましたし、高校時代のささやかな思い出に照らしても、然るべき形で多くの方の期待と信頼を集めて相応の舞台に戻ってくるのだろうと確信していますので、遠い岩手の地からではありますが今後も応援を続けていきたいと思います。
1年のときの国語の授業の際、雑談好きで見識の深い担当の先生と彼が何か話をしている途中で、彼のご家族(お父さん?)が町議会議員など政治に関わる仕事をしていて、その関係で彼も政治の世界に思い入れがあるという話をしていたのを聞いた記憶があります。
私も、祖父が1期のみとはいえ岩手県議会議員をしていましたので、彼の話を覚えているのかもしれませんが、反面、私は亡父から祖父が選挙に関わったせいで実家は酷い目にあった、我が家は選挙は御法度だ、という話を何度も聞かされ、私自身、その呪いのせいか?人望が全くなく集団内では常に小さく黙っている「政治家(リーダー)に適性がない人間の典型」というキャラに育ちましたので、政治の世界に挑んで頑張っている石川君には、憧憬という言葉だけでは表現し尽くせない特別な感慨を抱く面があるのかもしれません。
恥ずかしながら私にはオバマ大統領の当選を支えたルース大使のような貢献はできそうにありませんが(日本でも自民党の高村副総裁を地元で支えた中央大の大先輩がおられます)、せめて、自分より才能豊かな方が凄まじい努力をしているのに、それに匹敵する努力をしなければ我が身を嘆く資格もないという受験生時代の気持ちを忘れず、彼の圧倒的な努力に負けずに精進し続けたいと思っています。
今回は、陸山会事件に基づく立候補の制限期間の満了直前の選挙になり残念ですが、奥様も結婚式の際、ご自身のご家庭が辿った数奇な運命を交えつつ「東京地検特捜部が私たちを巡り合わせ、結婚させてくれたのだと(今は前向きに)考えています!」と情熱的なスピーチをなさっていましたので、来る選挙当日をはじめ、今後もご夫婦二人三脚での日本や十勝地方へのご貢献と大願成就を祈念しています。