北奥法律事務所

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「世界で最も頑張る都市国家」が伝える75年前の宿題と現在の課題~シンガポール編①

先日、年末年始休暇の一貫として、シンガポールに家族旅行に行かせていただきました。といっても、当方の予算や時間の都合もあり、正月明けに出発し、往路も復路も夜行便で現地に2泊という実質2日半程度の超駆け足旅行になりました。

恥ずかしながら、現在の私(当事務所)の収入では海外旅行などという贅沢に手を染めるだけの力はないのですが、それなりの理由があって、思い切って過去の蓄えを取り崩して行くことにしました(正月を外したので、費用面はかなり助かりました)。

理由というのは、長期休暇の旅にバックパッカーをしていた修習時代と異なり、新婚旅行(エジプト弾丸の旅)以来、平成22年の日弁連の韓国調査を別とすれば十数年も海外旅行がご無沙汰になっていたということもありますが、大きく2つの事情があり、①家族に海外の実体験をさせ視野を拡げると共に、英語学習の必要性などを感じさせたいということと、②シンガポールにこだわるべき2つの特別の理由があったことの2点があります。

②については、ご承知のとおり、シンガポールは、もともと僅かなマレー系原住民しか住んでいなかった小島(淡路島≒東京23区程度)を大英帝国が貿易及び東南アジア支配のための植民都市として開発し、出稼ぎ華人・マレー人・インド人などが入り交じる特異な他民族都市を形成していたところ、大戦を経て過酷な環境で独立を余儀なくされたという事情が影響しています。

すなわち、同国は、アジア有数の貿易都市のアドバンテージを有する一方、周辺国(マレー半島、インドネシア諸島群)とは全く異なるアイデンティティを形成し精神的な繋がりも希薄なため、周辺国が同胞意識を持って接してくれない「独りぼっちの国」という存続リスクも抱えた中で、リー・クアンユー首相らの強固な統制的指導のもと国を挙げて努力を続けて現在の繁栄を勝ち取った国であり、そうした「努力し続けなければならない宿命を負った国」に私も共感する面が多々ありましたので、同国の気風を家族にも学んで欲しかったという点が1つ目となります。

とりわけ、私自身が田舎の小さな商家の次男として、幼少期から「地元や実家に残れない、必死で勉強して自分の力で身を立てて人生を切り開いていなかければならない」ことを母に叩き込まれて育ちましたので、この国が自分と重なる面があるように感じたということも大きいです。

次に、シンガポールにこだわった(来訪に特別の意義を認めた)理由として、「二戸出身の学者さんが大戦期に同国の学術資産・文化財(大英帝国が長年に亘り築いた世界的財産)を守り、その代表例(シンガポール植物園)が世界遺産になった」ということを割と最近に知ったので、同郷人としてその先生(田中舘秀三博士)の足跡を訪ねたい、また、私が同国を訪れてブログなどで紹介するだけでも、博士の顕彰になるのではないかという点がありました。

この点は、帰国後に改めて博士のことを調べたところ、功績の大きさもさることながら、とてもユニークな人物(単なる善人ではない奇人ないし怪人ぶり)が見えてきて「この人の物語はぜひ映画化されるべきだ、誰もその旗を振らないなら俺がやる!」との無謀な感情が爆発し、おって1~2週間後にブログで連載するとおり、映画シナリオ案まで作ってしまいました(ぜひ、ご覧ください)。

ともあれ、前置きが長くなりましたので、以下では旅行の概略を説明します。

まず、夜行便で早朝に到着し、直ちにシンガポール植物園に向かうつもりだったのですが、夜行に慣れない家族からギブアップ宣言(爆睡状態)が出て昼過ぎまで足踏み状態を余儀なくされ、宿泊先ホテルから歩いて行けるラッフルズホテルに向かったものの、すぐに時間切れとなり、午後3時から夜間まで、予約していたリバーサファリとナイトサファリのツアーに参加しました。

2日目は駆け足の市内観光ツアーに参加し、最後に解散場所のマリーナ・ベイ・サンズの展望台に行きましたが(あの有名なプールは宿泊者専用ですので庶民には無理)、その後、ちょっとしたトラブルが発生し、ヒヤヒヤしながら一晩を過ごしました。

3日目はアジア最大級のリゾートエリア・セントーサ島に行き、諸般の事情により水族館とセントーサ・マーライオンだけを駆け足で拝見した後、H.I.Sから頂戴した「チキンライスの名店のタダ券」を何が何でも消化しなければとオーチャード通りにある店舗で昼食をとり、ホテルに一旦戻った後、チェックアウトして、ようやく私にとっての第一目的地であるシンガポール植物園に行きました。

そして、そのまま時間切れとなり夜行便で羽田に強制送還されたという次第であり、とても海外に来たとは思えない、某「週末のシンデレラ」番組に負けないほどの超駆け足旅行でした。

たったそれだけの滞在とはいえ、海外に来ると感じることも多く、今回、何が何でも取り上げることにした「田中舘秀三博士の物語」以外にも、書きたいことは山ほどありますが、余力の問題もありますので、まずは簡単な紀行&感想編を3回取り上げ、4回目に今回の最終目的地となったシンガポール植物園に触れます。

そして、それを導入部として、「壮大感動巨編・シンガポールの魂を救った日本人~田中舘秀三物語~」の映画シナリオ案及び企画説明等を全11回の連載で行うつもりですので、ぜひ最後まで温かい目でお付き合い下さるようお願いいたします。

で、早速ですが、今回は1日目の観光について少し触れます。

まず、午前中にホテルで足止めを余儀なくされた際、どうせ待つならH.I.Sから頂戴した「トーストボックス」という同国で数十店舗を展開するコーヒーチェーンのタダ券を使いたいと考え、ホテルから一番近い地下モール内のお店に向かい、道に迷った末、同国名物「カヤトースト」とコーヒーのセットなどを購入し、家族の起床まで私も半眠状態でダラダラ過ごしました。

お店からホテル(詳細は次回)に戻る際、「日本占領時期死難人民記念碑」が帰路の途中にありましたので、手を合わせてきました。これは、大戦時に旧日本軍がシンガポールを侵略、陥落させ征服者として敗戦時まで君臨していた時代に行った華僑虐殺などの蛮行により命を落としたシンガポール人を慰霊するために1967年に建立された施設です。

半年前に沖縄に初めて行った(那覇地裁での尋問)際も到着後に真っ先に「ひめゆりの塔」と平和記念公園に行きましたが、今回もできればここに来て手を合わせたいと思っていたので、その点は何よりでした。

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そして、午後になって家族が起床したため、前記のとおりラッフルズホテルに行きましたが、リバーサファリのツアーの集合時刻が午前3時前のため、シンガポール・スリングで有名な「ロングバー」を外からチラ見しただけで終わってしまい(店内にアジア人の姿は見えず、白人でぎっしりでした)、その点は残念でした。

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リバーサファリは当家しか参加者がいなかったようで、日本語が堪能でおしゃべり好きなガイドさん(その方に限らず、同国は熟年女性がごく当たり前に仕事をなさっている光景をよく目にします)から色々とお話を伺いながら園内を歩きました(ガイドさんと話した内容などは、次々回に少し書きます)。

リバーサファリは、シンガポール動物園やナイトサファリと同じ地区にある(ので入口は皆、隣接しているという親切設計の)、平たく言えば「川の水族館(水辺の生物の動物園)」であり、ボートに乗船して動物を見たりクルーズ船もありますので、遊園地的要素も加味されている面があります。
http://singapore.navi.com/miru/155/

今回はクルーズ船(湖状の広大な貯水池を周遊するもの)は乗れませんでしたが、ボートには乗りました。これは、ディズニー(千葉のD国)のジャングルクルーズに似ていますが、当然のことながら人形の類ではなく本物の動物達を見ながら進みますので、D国のそれよりも遥かに乗船し甲斐があります(個人的には、激流下り的要素も足していただければなお良いのにとは思いましたが、少しだけその要素があります)。

また、展示中の生物の生息域の地図が図示されるなど、英語が分からなくともある程度のことは分かるため、とても良いと思いました。さほど金がかかることでもないでしょうし、その生物のことを知ったり関心を持つ最初の手がかりになることでもありますので、日本の動物園や水族館なども生息域の図示を必ず行うべきではないでしょうか。

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あと、ハイライトの一つである、マナティ達が泳ぐ「アマゾン浸水の森」は、まるで腐海の底ではないかと思いました。きっと、こうして人々の汚れた心を浄化し続けているのでしょう。

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リバーサファリのあと、夕方から開演となるナイトサファリに移動しました。こちらは、多くのツアー参加者と一緒に行動することになり、最初に円卓での「チリクラブ」付きの簡単な夕食をとった後、夜行性の小型~中型動物がまとまって展示されているエリアを30分ほど歩き、次いで、幾つかの動物のパフォーマンスを紹介するショーを30分ほど見た後、最後にトラム(周遊車両)に乗り大型動物の展示エリアを45分ほどで廻って終了、というツアーでした。
http://singapore.navi.com/miru/11/

チリクラブはシンガポールの名物料理の一つで、味自体は良好ですが、私はカニの殻を自分で処理するのがとても苦手で、「最初から剥いて出してくれればいいのに・・」などと文句を言いながら美味しくいただきました(ネットで調べると、皆さん同じことを仰っています)。

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動物のパフォーマンスショーは、当然のことながら英語で行われ、英語能力が皆無の面々が雁首を揃えた当家は全く司会者の軽妙トークを理解できないまま終わってしまいました。

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司会者は冒頭で「この国(語圏)の人は来てますか~」と声を掛けており、日中韓の三国からいずれも多数の人が参加していましたが、これらの三国には私と同レベルの方は大勢いるでしょうし、小さい子供も多く来ていますので、「言葉の壁」に関する対策を考えていただきたいとは思いました。

欲を言えば、イヤホンを支給して同時通訳をしてくれればベストでしょうが、それが無理でも、毎回の司会者の説明(プログラム内容)は大体同じでしょうから、美術館のような補助解説テープを希望者に支給して、それを聞きながら拝見できれば、理解度が大分違うと思います。

これは、日本に来る外国人観光客など、世界中に当てはまる話でしょうから、日本の旅行会社がソニー?などと組んで開発して各国の外国人旅行者向けに提供すれば、日中韓人はもちろん世界中で喜ばれるのではと思いますが、いかがでしょう。もちろん、最後に「次は英語を勉強してまた来てね」の一言を添えれば、親が家庭でわめくよりも子供への教育効果がありそうですし。

トラムは、ネット情報では「見えない動物も多く、イマイチだった」などと酷評する意見も幾つか見られるようですが、私自身はそれなりに見応えがあったと思います(もちろん、動物を適切な方法でトラムに近づけるような工夫は園側にも考えていただきたいとは思いますが)。あと、「どうして北東北人が南国に来てツキノワグマを見なけりゃならんのだ」との不条理感を抱いた場面もありました。

最後に、こんな容器に入ったマンゴージュースを買って、飲みながらホテルに戻りました。理由は分かりませんが、現在の同国ではこのタイプの容器が流行しているようで、マーライオンの近くの売店などでも同タイプのもの(象さんは付いてませんが)を拝見しました。

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個人的には、注射器の類のように見えますし、ゴミの量も多くなるので、デザイン的にも環境面でもセンスが良いとは思いませんが・・

その他、書きたいことはまだまだ尽きませんが、まあ、あまり詳しいことを書くと今後に旅行される方にとって面白味が減るでしょうから、ぜひ、ここに書かれていない多くの醍醐味を現地でご覧になっていただきたいと思います。

金色がお好きな「日米の二人のトップ」に関する共通点と未来

トランプ大統領が就任と同時に行ったのは、TPP離脱宣言だけでなくホワイトハウスの執務室のカーテンを金色のものに取り替えたことだった・・という趣旨の記事が出ていました。
http://www.asahi.com/articles/ASK1Q4QN8K1QUHBI00W.html?iref=comtop_8_01

金色を身にまとうのがお好きな公権力の代表者という話を聞くと、現代日本人が連想するのは「いつも金色ネクタイ」のイメージが強い鳩山由紀夫首相でしょうか。それだけに、素直に考えれば「日本を代表する反トランプメディア」になりそうな朝日新聞の記事だけに、そのイメージを狙った報道かもしれないなどと思わないこともありません。

そういえば、このお二人ですが、キャラ(片や傲慢・豪腕、片や優しそうな異星人)や政治家としての出自(片や政治経験の全くない不動産王、片や首相の孫にして日本有数の政界のサラブレッド)は全く異なるように感じられるものの、共に「大金持ち」であるだけでなく、「公権力の代表者になった経緯」という点で見れば、看過すべきでない共通点もあるような気もします。

というのは、トランプ氏のような御仁を大統領に押し上げた原動力が、オバマ大統領の美しい言葉の影で広がる米国の格差社会で置き去りにされた貧困層や没落中間層の現状(米国経済)への不満や怒りの心情であることは、広く言われていることですが、鳩山政権誕生(民主党への政権交代)の原動力も、それに近い面がないわけではありません。

民主党の政権交代の原因については、第一次安倍内閣で閣僚不祥事が頻発して首相の対応が後手に回って信頼を失ったとか、当時の民主党の主要メンバー(陥落までの主要閣僚陣)がそれなりに政治家としての知名度やブランド力を得ていて、一度は政権を任せてみたいという機運があったこと、小泉政権の郵政解散の反動などなどが挙げられるかもしれませんが、現在との大きな違いとして、倒産が非常に多く、不況と呼ばれた時代だったことは軽視できないと思います(当時は我々「町弁」たちは、クレサラから企業倒産まで多くの債務整理事件に従事していましたが、今は見る影もありません)。

そういえば、鳩山内閣の実質的な意味での「前政権」というべき小泉内閣は、最後まで国民の高い人気を得ていた一方で、自由経済至上主義の印象の強い竹中平蔵経財相の重用など、見方によっては「華々しい光景の陰で、その後に顕在化した格差社会の素地を作った」という批判も当てはまる余地があるような気もします。

だからこそ前哨戦となった参院選で小沢代表(当時)が大勝した際のキャッチフレーズが「国民の生活が第一」だったわけで、小沢氏が西松建設事件や陸山会事件で失脚しなければ、その後も、小沢氏が同様の言葉を掲げて衆院選で大勝し首相となっていた可能性は極めて高いのではないでしょうか。

言い換えれば、「ワシントンのエリート達から政治を普通の国民に取り戻す」と叫ぶトランプ氏と、「自民党の一党支配(及びそれに寄生する官民の各種利権)から日本の政治を取り戻す」と叫んでいた当時の民主党(鳩山政権)は、その支持層も含めて、かなり似ている面があるように思います。

そういえば、民主党の支持層は中年の男性の方が多い(女性に人気が無い)と聞いたことがありますし、逆に、民主党=インテリの支持が多いというイメージがありますが(少なくとも、当時、自民党を引きずり下ろしたかった朝日新聞はじめ?左派色のあるメディアの支持を集めていました)、トランプ候補も意外にインテリ層の支持もそれなりにあったという趣旨の記事を目にした記憶があります。

また、双方(鳩山氏、トランプ氏)とも、親ロシアのスタンスであり(鳩山氏は祖父の鳩山一郎首相が日ソ共同宣言=国交回復を樹立し対米自立志向が強かったことなどに由来)、「米軍による沖縄の防衛(駐留)」を重視していない(ように見える)点も似ています(その政策の当否はさておき)。

決定的な違いは双方の政権発足時の支持率の差でしょうか(鳩山内閣の発足時の支持率は70%以上で、世間の大きな期待を集めていたことは覚えている方も多いでしょう)。

そんなわけで、トランプ政権が「反面教師として参考にすべき存在」があるとすれば、鳩山(由紀夫)政権ではないかと感じているのですが、だからこそ、IT革命とグローバリズムをはじめとする社会経済の大変動により没落を余儀なくされた中間層の健全な復活に寄与する政策を目に見える形で推進できれば、優れた政治家として支持を集めるでしょうし、民主党政権時代の日本のように社会内に不況や政争による閉塞の印象を与えたり、世界を不安と混乱に陥れ、既存中間層のさらなる没落を招くような行動に及べば、彼を相応しくない立場から追い出そうとする力が何らかの形で働くのではないかと思われます。

トランプ政権の閣僚のニュースを聞くと軍人関係者の話が多く、まるで戦争をしたいのか(そのための人材シフトなのか)と不安に感じざるを得ませんが、政治や社会に無用の混乱が蔓延しないよう、何より、暴力(他者の尊厳を蔑ろにする手法)による物事の解決を志向する勢力が跋扈することのないよう、強く願いたいものです。

と、ここまで書いた後、グーグルで両氏のお名前を入力したところ、ここまで延々と書くかどうかはさておき、同じようなことを感じる方が多くおられることがよく分かりました。

南京大虐殺の否定本と戦後世代の「神の左手、悪魔の右手」から現代に続く道

アパホテルの「南京大虐殺否定本」に関する報道が話題になっていますが、先日、旧日本軍によるシンガポールでの華人虐殺の話を知ったことから改めて南京事件のことを勉強したくなり、以前から買うかどうか迷っていた中公新書の「南京事件」を買いに、以前から置いてあった盛岡駅フェザンのさわや書店に行きました。

が、残念ながら売り切れており、代わりに同店の「文庫X」キャンペーンで一世を風靡した清水潔氏が同じテーマを取り上げた本が大々的に売り出されていたのを見つけ、面白そうだったので買って帰りました。もちろん、いわゆる否定本の類でないことは言うまでもありません。
http://hon.bunshun.jp/articles/-/5134

まだチラ見しかしていませんが、本題(裏付けを含めた虐殺の実情の説明)のほか、坂の上の雲では描かれていない?日清戦争時の虐殺を紹介したり、著者自身の原体験(祖父や父の物語)について触れているところなどは、きちんと読んでおきたいと感じました。

余談ながら、(いつの話かは伏せますが)以前、ある宴会の場で円卓の少し離れた席に座っていた私より数十年ほど上の世代の男性同士の談笑が聞こえてきて、ご自身のことかそうでないのかは聞き取れませんでしたが(聞きたくもありませんし)、その世代の男性が少なからず行っていたと言われる、数十年前?の「東南アジアへの買春ツアー」の話題を楽しげに話しているのが分かりました。

構造的暴力などという古い政治学用語を引用するまでもなく、圧倒的な経済格差や極端な貧困などに起因する半強制的な買春は、対象女性の尊厳を決定的に破壊するという点で「魂の殺人」と称される強姦とさほどの違いはないというべきで、詰まるところ、戦中も戦後も、日本人が一定の貢献(戦中には植民地独立の端緒、戦後には現在の経済発展の下支えなど)と被害(各種の暴力)の双方をアジアにもたらしてきたことは否定し難いのだと思います。

もちろん、それぞれの時代に各人が帰属していた社会の常識なるものがある上、何より、私たちの世代は、そうした上の世代の方々の「悪魔の右手」だけでなく、敗戦などの反省を踏まえた平和的な手段での戦後復興・経済成長の努力という「神の左手」にも庇護されて育ってきたことを踏まえるべきで、紅衛兵のように勘違いして上の世代を軽々に糾弾するような営みもまた、愚劣なことなのでしょう。

我々の世代は、安倍首相らのご尽力のおかげ?で「謝罪を続ける宿命」はないのかもしれませんが、それだけに「正しい事実を知り、伝え、それをもとに行動する努力を続ける宿命」はより一層強まっており、それを放棄する者には相応のペナルティが待っているのではないのかなと感じたりもします。

それと共に南京事件で諸説入り乱れる様を見ていると、相応の根拠を示されてもバイアスのある見方ないし立場を固守せざるを得ない(せずにはいられない)という、人間の心理などの難しさを感じます。虚心坦懐にものを見ることができるメンタリティを養うための社会基盤や教育などのあり方について、もっと問題意識が深まればと思っています。

生活保護を巡る需給双方の「なめんな」と解決策

先日、神奈川県小田原市の生活保護の担当職員らが、「保護なめんな」などの文字をプリントしたジャンパーを着用して職務に従事していたことを取り上げたニュースが流れていました。
http://www.asahi.com/articles/ASK1K551JK1KULOB026.html

その件のことは存じませんが、10年近く前に盛岡市の広報広聴課で無料相談を担当していた際、同課に生活保護受給者と思われる興奮状態の方が押しかけて、生活保護に関する不満?を激しく述べて「ここから飛び降りて死んでやる」などと叫び、それを職員の方が宥めるという事態(所要30分程度)を垣間見たことがあります(確か、保護費を使い果たして生活できないという類の話で、毎月の金額への不満なども話していたような記憶があります。また、昔の話ですし狭義の守秘義務の問題でもありませんので、役所名の表示も許容範囲とさせて下さい)。

ちなみに、当時の相談場所は、現在のそれ(別室)と異なり職員の机と隣り合わせの遮音性の著しく低いブースでしたので、目には入りませんでしたが声は丸聞こえでした。

職員の方々と個人的な面識等がなかったこともあり、悩んだ末にしゃしゃり出るのを差し控えてお任せした方が良いと判断し、ブース内で終了まで静観した後(昼休みの出来事だったと思いますが、途中から相談時間になったかどうかは覚えていません)、あとで職員の方に「警察に通報しなくて良かったのですか」と伺ったところ、1万円前後の額?(自腹)を渡して帰って貰った、警察を呼ぶよりその方が賢明との説明があり、恐らく、そのような話は決して珍しいものではない(同一人かはさておき)との印象を受けました。

冒頭の記事の中にも受給関係者による職員の被害が発端とありますし、上記のような出来事があった盛岡市でも、何らかの問題が存在ないし発生するということもあるかもしれません。

反社会勢力による産廃の不法投棄が頻発していた時代には行政の担当者を守るために警察と連携せよといった話があったかとは思いますし、この種の問題は関係者(官民双方)の「心のケア」に関する対策も避けて通れないと思いますが、現在の「行政対象暴力に対する(岩手県内等の)実務の実情」はどうなっているのでしょう。

残念ながら、そうした事柄に関与するどころか生活保護一般に関わる機会も滅多に得られていませんので偉そうなことは言えませんが、例えば、申請に対する審査などの部門と不正調査などの部門を切り離して、前者は各種の福祉関係者と連携して「より良質な他の選択の模索」も含めた親身な対応を行うと共に、後者は警察など各種の調査機関と連携して厳格な調査や対処の充実を図るなどとするのであれば、後者(不正問題)を理由に前者が過度に拒否的な対応をとるなどという事態を防ぐことが多少はできるのでは?などと思わないでもありません。

もちろん、障害者などの「働きたくとも働けない人」にとっては、人間の尊厳の最後の砦としての相応の保護は必要でしょうし、「働こうと思えば働ける人」にとっては、尊厳の拠り所としての労働の場を、その人の実情に合わせた形で適切に提供するなどの工夫が必要でしょうから、メンタル面なども含め、そうした視野のもと各種支援組織の総合的・ワンストップ的な対応ができる仕組みの構築やそうした観点での関係者の尽力こそが、一番必要なことではないかと思います。

また、上記の盛岡市のケース(で私が聞いた話)のように、「職員が自腹を切ってその場をやり過ごす」などという話はあってよいことでなく(不当負担を強いるのは反作用として何らかの不正の温床になりかねません)、相当な理由がある場合の臨時給付の制度を設けるのか、モラルハザードを許さないため警察等を通じて次の給付日までは何らかの保護施設に収容するような制度を設けるのか、選択肢はどうあれ、現場に不当な負担を生じさせないためのきちんとした議論がなされるべきだと思います。

少なくとも、そうした工夫をすることなく現場の役人さんに過負担を強いた挙げ句、行政が自ら暴力(暴言)的になったとしても、社会の理解は得られないでしょうし。

幻の大河ドラマ「紫式部」豪華キャスティング案

今年の大河「おんな城主 直虎」の放送が始まりましたが、第1回の視聴(録画)を逃してしまい、今、土曜の録画を待っているところです。

ただ、恥ずかしながら諸事情により昨年の真田丸も途中から録画の消化ができず20回分くらいが溜まった状態で、先にそちらを片づけねばとの思いもある上、下手をすると、未視聴のまま同居家族から「腹いせによる録画番組の大量殺戮」の被害に遭いかねない恐怖もあり(花燃ゆはそのせいで維新後の回を見ることができませんでした・・)、どうなることやらという状態です。

ところで、今回の主人公は親族にも著名人がいない(井伊直政だけ)点で「花燃ゆ」以上に超マイナーな方ですが、どうせ女性が主役の大河を作るなら、紫式部を主人公にして藤原氏の権力闘争と庶民の困窮などを描きつつ源氏物語も回想的に交えた作品を作ってはどうでしょうと思っているのは、私だけではないと思います。

大河は「歴史を題材にして現代のテーマを描く」ものですが、貴族と庶民の格差社会なら現代に通じるでしょうし、皇位承継(に対する権力の干渉)という難しい論点についても触れることができるかもしれません。

以下、近年のイケメン大河に対抗して「当代の美人女優さん総出演大河」をコンセプトに雑談感覚でキャスティング草案を考えてみましたので、話のタネにしていただければ幸いです(敬称略。絞り切れていない方は、括弧内で次点候補を表示。年末にFB投稿して他の方から頂戴したご意見も参考にしています)。

紫式部   新垣結衣
清少納言  石原さとみ
和泉式部  深田恭子

藤原彰子  橋本環奈
藤原定子  指原莉乃(島崎遥香)

藤原道長  谷原章介(伊勢谷友介)
藤原道隆  古田新太
藤原道兼  北村一輝
藤原兼家  西田敏行
藤原詮子  米倉涼子
藤原倫子  北川景子

花山天皇  市川海老蔵
藤原頼道  神木隆之介
藤原元命  堀江貴文
源高明   木村拓哉(後世の回想)

小野小町  佐々木希
藤壺    桐谷美玲
紫の上   武井咲
光源氏   滝沢秀明(松田翔太)

まあ、この時代の天皇家と摂関家とのあまりの近親婚ぶりの酷さ(現代人の感覚との乖離の激しさ)などから、よほど脚色等をしないとドラマ化は難しいのかもしれませんが・・

平成29年の年頭のご挨拶と新聞雪崩警報の先にあるグローバル社会の今後

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

例年は年末に妻の実家に帰省するのですが、今年は事情により正月を自宅で過ごし、その後に若干の休暇をいただく予定です。

そのため、大晦日の夜は、年末に済ませることができなかった「面倒な作業や論点が山積みの企業倒産(管財)事件における労働債権(論点多数)の弁済表と裁判所向けの検討レポート及び元従業員の方々への通知書面」の作成で過ぎてゆき、気がつくと、新年の6時頃には恒例の事務所ソファの寝袋で初日の出を見ながら昼まで初夢気分という、この上ない素晴らしい正月になりました。

昔は、深夜3時か4時くらいには仕事を切り上げて、残りの時間で溜まった日経新聞を一気読みするのが習慣だったのですが、根気が続かない老骨へと堕してしまったのか4ヶ月以上も山積みになるばかりの有様で、先日ようやくお盆の頃の「トランプ氏が失言で支持急落」などという記事を見て、おぉ、ヒラリー逃げ切りかなどと微笑ましい感想を抱いている次第です。

司法改革に伴う町弁業界の荒波と迷走は止まるところを知らず、社会正義のやりとりをする法曹界も今や大規模な弱肉強食の時代に突入していますが、群れに馴染めず権威にも束縛する権力者にもご縁がない田舎のしがない一匹狼の町弁として、ドラマではなく現実に存在する危機的な裁判実務の穴埋めに役立てるよう、今後も精進して参りたいと思います。

今年も町弁の基本である「①中小企業法務、②家事(男女・親子・相続等)全般、③交通事故などの賠償問題、④倒産・債務整理全般、⑤その他の民事上の法律問題・各種紛争」の5分野が業務の基軸になると思いますが、成長著しい若い世代をはじめ県内の他の先生方に負けることのないよう、研鑽を積んで法律家としての地力を高めると共に、一定分野・類型での特色やアドバンテージをより強調できればと考えています。

昨年の最後の投稿になった前回のブログでは、「平成という時代は個人の多様性と尊厳(に対する社会の包容力)という日本国憲法の最高規範(根源的価値)がようやく日本社会に浸透していく過程を描いた時代だったのではないか」、「次の時代は多様性の深化が進む一方、それを拒絶し既存のスタンダードの墨守を求める勢力との抗争が強まる時代になるのではないか」という趣旨のことを書いていました。

すると、本日の日経新聞の「私の履歴書」で登場したカルロス・ゴーン氏が「現代に大切なのは、アイデンティティを失わずに多様性を受け入れることだ。自分の人生がまさにそのようなものであった」という趣旨のことを仰っているのを見つけ、我が意を得たりと思わずにはいられませんでした。

アイデンティティと多様性という二つの核は、時に激しく対立する要素を有している一方、人間(個人)の尊厳(憲法13条)という触媒を通してこそ最もよく結びつき、輝くものでもあろうと思います。

そうした理念を掲げた武器(法)をもって闘う存在たる我々法律実務家の社会での役割は、ますます深化されるべき面があるはずで、そのことも視野に入れながら、良質な研鑽に努めて参りたいと思います。

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WHAM! とSMAPが示した時代の節目と平成日本の未来

先日(12月25日)、80年代のポップ・ミュージックの巨星というべきワム(WHAM! )のジョージ・マイケル氏が死去したとの報道がありました。

私は兄の影響で小中学生の頃にWHAM! の曲を何度も聴いたことがあり、司法試験受験生時代にもCDを借りてカセットやMDに編集してよく聴いていました。

WHAM! は、日本では「ラスト・クリスマス」が最もポピュラーかと思いますが、個人的には「The Edge of Heaven」という作品が一番好きです。

そんなわけで、制作者ご本人が天に召されたこともあり、追悼として、歌詞の一部を意訳(超訳?)してみました。

 Take me to the edge of heaven
 Tell me that my soul’s forgiven
 Hide you baby’s eyes and we can,
 Take me to the edge of heaven
 One last time might be forever
 When the passion dies,
 It’s just a matter of time before my heart is
 Looking for a home
・・・
And don’t you think that I know it , know it , know it , know it !

天国の端にある雲海を見下ろす断崖に連れて行き
僕が赦されるに値するか、突き落とされるのが相応しいか、
答を示してくれないか

貴方の目は閉じられてしまったけれど
僕たちにはまだ、できることがある

あの素晴らしい時間は永遠の彼方に過ぎ去り
情熱も二度と戻ることはないけれど
満たされることのない僕の心は
今も安住の地を求めて彷徨っている

(中略)
考えるまでもない、それは分かりきったことなのだから。

私には洋楽の歌詞を翻訳できるような語学力など微塵もありませんが、大学時代などに週に1度のペースでCDレンタル→編集という日々を送っていた頃、それなりに気に入った曲を聴いていた際は、説明書に付された翻訳歌詞に納得ができず、自分なりの意訳文を妄想することが時折ありました。

英語の解釈や想像力の問題かもしれませんが、洋楽の歌詞には日本の楽曲に見られない思想の深さを感じる言葉が多く、心に染みる曲を収録したCDの解説文に付された歌詞の翻訳が安っぽいものになっていると、憤慨して自分なりにその曲や歌詞(作者の意図)に相応しい日本語を探さずにはいられないと感じることがあります。

個人的には、ブログ等を通じてそうした「意訳」を発表して良質な作品の再評価を求めるような試みが、もっと盛んになればよいのではと願わないでもありません。

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ところで、その翌日(12月26日)には平成日本を代表するアイドルグループであるSMAPが、看板番組の最終回と共に大晦日を待たずして事実上の解散を迎えました。

私も最後の場面(代表曲「世界に一つだけの花」の歌唱シーン)などは拝見していましたが、改めて、SMAPが平成日本を象徴する何かを体現していたということと、SMAPの解散は今年の夏から議論が開始された今上天皇の生前退位問題と共に、「平成の終わりの始まり」を示す出来事だということを強く感じました。

とりわけ、SMAPが全員で番組の最後に震災向けの募金を呼びかけるコメントを行い締めくくったことは、普段この番組を見ない(SMAPのファンでもない)私でも、このコメントが毎回行われていたことやSMAPの被災地への熱心な支援活動などを知らないわけではありませんので、感慨を持たずにはいられない面はありました。

誤解を恐れずに言えば、そうした積み重ねは両陛下が被災地と共に歩む姿勢を示し続けていることと通じるものがあるようにも思われ、「被災地をはじめ社会に明るくエールを送り続けた存在」という意味で、SMAPは平成日本の社会で発揮した存在感(象徴としての役割)という点で、今上天皇に匹敵すると評しても過言ではないと感じます。

とりわけ、彼らが昭和63年(平成の前年)に結成されたという時的な側面もさることながら、「前任者」たる「光GENJI」が「昔(昭和)のアイドル」の最後というべき「ファン層にとって手の届かないスーパースター」として君臨していたのに対し、SMAPが独自の努力で「親しみやすいアイドル像」を構築し受け入れられてきたという点も、昭和・今上の両天皇と重なる面があるように感じます。

すなわち、昭和天皇が「もと現人神」としての圧倒的な権威を最後まで身に纏い続けたのに対し、今上天皇は、各地の訪問や国民との交流などを通じて「親しみやすい信頼される天皇像」を構築し、昭和天皇以上に国民から地に足のついた敬愛の念を集めてきたと評して良いのではと思われ、そうした今上天皇の歩みと最も類似する道を辿った社会的存在がSMAP以外にいるかと考えると、なかなか思いつかないように思います。

それだけに、今上陛下のご高齢に伴い平成が終わらんとしている現在、それと軌を一にするようにSMAPが終焉を迎えたことには、時代の転換期というものを強く感じざるを得ません。

そのような視点を踏まえつつ、SMAPの代表曲となり締めくくりの曲として選ばれたのが槇原敬之氏が制作した「世界に一つだけの花」となった光景を見ると、平成という時代は「個人の多様性と尊厳(に対する社会の包容力)」という日本国憲法の最高規範(根源的価値)がようやく日本社会に浸透していく過程を描いた時代だったのかもしれないと感じるところがあります。

その点は、今上天皇の歩みが「国民主権の憲法下において、国民と共にあゆむ天皇制のあり方を確立させる」というものであったことと重なるのではないかとも思います。

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ここで冒頭のジョージ・マイケル氏に戻りますが、同氏と槇原氏には共通点が多く見られるように感じているのは、私だけではないと思います。

申すまでもなくポップ・ミュージックの世界で多くの人の心を揺さぶった偉大なシンガーソングライターであることが主たる共通点ですが、お二人とも薬物犯罪での摘発歴があること、公言しているジョージ氏はもちろん、槇原氏もネット情報などからLGBT(性的少数者)の方とされていることなども共通点として挙げられるでしょう。

単純化するのは適切ではないでしょうが、お二人ともLGBTであることを含め様々な生きにくさを抱えていたことが、創作活動や薬物依存などの背景にあったのかもしれないとの一般的な推測はできるかと思います。

WHAM!の解散は1986年(昭和61年)であり、いわば「昭和の終わりの始まり」の時期に解散したと言うこともできます(誤解を恐れずに言えば、SMAPの解散と重なる面があるのかもしれません)。

解散後、ソロとして大きな栄光と挫折の双方を経験したジョージ氏のような歩みを今後のSMAPの面々が辿るのかどうかはともかく、ここ数年、LGBTなど様々な少数者の尊厳の擁護が強調されはじめたように、社会全体としては、次の十数年に「個人の多様性と尊厳」という平成日本が示したテーマをより深める動きが進むことは間違いないだろうと思います。

反面、トランプ氏の台頭(や安倍政権?)のような「古き良きナントカを取り戻す」とのスローガンで、多様化(による社会のバラバラ感)に抵抗する人も多く出るでしょうから、「90年代・00年代の世界」で「80年代の世界」と異なり民族運動など(米ソ冷戦の終焉)に起因する幾つかの武力紛争が生じたように、今後の日本国内でも「多様性(個人主義)vs反多様性(集団主義・復古主義)」、「寛容だがバラバラな社会vs偏狭だが身内と認定した者だけは守ろうとする社会」などという形で、何らかの軋轢・社会内対立などが生じてくる(抑圧されていた火種が勃発・先鋭化し何らかの対決を余儀なくされる「ギスギスした社会」になる)のかもしれません。

もちろん、その先には破滅ではなく新たな調和の模索がなされるものと願っていますが。

米国大統領が、戦争回避・調和志向型のリーダー(オバマ氏)から実力行使と「身内のための成果獲得」の意欲を旺盛に見せる闘争指向型のリーダー(トランプ氏)に交代したという事態も、その象徴的な現れのように感じないこともありません。

ともあれ、現在が時代の転換期であることは疑いようもなく、社会の行く末に思いを巡らせつつ、身近な方々が社会の奔流に呑み込まれることなく平穏な生活と尊厳を確保できるよう、「戦争(武力解決)放棄をした(すべき)社会における紛争解決手段としてのフェアな闘争の担い手」たる弁護士(法律実務家)の末端として、地道な努力を続けながらも先を見通す目を養うことができればと思っています。

最後に、当事務所の開設時に尊敬する親族の方からいただき今も私の机の前に掲げている油絵の画像を載せますが、これもまた「世界に一つだけの花」なのかもしれません。

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75年前のシンガポールに咲いた二戸と名古屋の不思議な縁~名古屋編③~

10月の名古屋出張(学童保育の全国大会の出張)に関する投稿の3回目です。今回は出張とは関係のない話題について少し触れておきたいと思います。

1回目(全国研の参加報告)の投稿で少し触れましたが、本当は、2日目の午後は分科会を途中でサボり、会場から電車で1本のところにある「徳川園」に行くつもりでした。これは単なる物見遊山だけではない徳川園へのちょっとしたこだわりがあったからなのです。
http://www.tokugawaen.city.nagoya.jp/

私の出身地である岩手県二戸市は何人かの著名人や学識者を輩出していますが、その中に、昭和新山の名付け親にもなった「戦前から戦後にかけて活躍していた博物学・地質学の第一人者」である田中舘秀三博士(東北帝大教授)がいます。
http://airinjuku.jp/kikou/kikou32.html

秀三博士(義父であり東大物理学部の礎を作った世界的物理学者・田中舘愛橘博士と区別するため、このように表示します)は、大日本帝国が戦争に突入しシンガポールを侵略した直後(どのような経緯等かは存じませんが)シンガポールに赴任し、すぐにシンガポール市内の植物園や博物館の貴重な文化財を強い熱意や私財を投じて保護する活動を行い、捕虜にされた英国人研究者の支援などもしていたのだそうです。
http://washimo-web.jp/Report/Mag-Botanic.htm

ただ、資産家でもない秀三博士が長期の支援活動を行うのは困難ですので、ほどなく、シンガポールの旧宗主国(ジョホール王国)と交流があり植物学などの学者でもあった、尾張徳川家の当主である徳川義親侯爵に支援を要請し、保護等の引き継ぎを受けることができた(これに伴い秀三博士は帰国)のだそうです。

ちなみに、徳川侯爵は多彩な活動で知られており、徳川園の創設などのほか「北海道みやげの定番・木彫りの熊の発案者」としても有名です。

かくして旧日本軍の侵略に伴う混乱や散逸から文化財は守られ、旧日本軍の撤退後は英国、そして独立したシンガポールへと引き継がれ、現在のシンガポール国立博物館及び植物園に至っています。ちなみに、シンガポール植物園は平成27年に登録された、同国では現在のところ唯一の世界遺産です。
http://singapore.navi.com/miru/6/

私の知識の範囲内では二戸の人間が名古屋の著名人と関わりを持ったという話はこれしか存じませんが、「二戸と名古屋の人間が協力し戦災から人類が後世に遺すべきものを守った」という物語を知るのと知らないのでは、二戸人が名古屋に訪れたり名古屋と関わりを持つ意味・価値も全く異なってくると思っています。

とりわけ、米国(小ブッシュ政権)主導で行われたイラク戦争では米国にもイラクにも現地の文化財保護に従事する者がおらず、フセイン政権の崩壊時に現地の無法者による略奪が横行したと言われており、最近は「IS」によるパルミラ遺跡の破壊など、文化財の戦災はいまなお続く深刻な問題です。

願わくば、徳川園の庭園や美術品などを鑑賞しながら、文化財や名勝などが暴力から守られることの意義や価値を再認識できればと思っていたのですが、その点は、「また、名古屋を訪れる口実ができた」と前向きに考えることにします。

先般「固有のアドバンテージ(アジア貿易の中心)と存続のリスクの双方を抱えながら、繁栄と生き残りのため血眼になって努力し続けてきた国」としてのシンガポールに関心を持つようになり、少し前には、岩崎育夫氏の「物語 シンガポールの歴史」(中公新書)も拝読し、色々と考えさせられました。

残念ながら二人の日本人の尽力は現代のシンガポールではほとんど忘れ去られているようですが、これらの文化財が「華人をはじめとする出稼ぎ寄せ集め移民を強引にまとめた国家」であるシンガポールの国民・国家の統合に生かされていることは間違いないはずで、そうした観点から「大戦時の日本は、シンガポールに迷惑をかけた(凄惨を極めた大陸戦争に起因する華人への報復としての虐殺等)だけでなく同国の役に立った日本人もおり、自分の地域の先人こそがその担い手であった」ことを知ることは、現代の日本と同国との交流のあり方を考える上でも、大いに意義のあることだと思います。

そんなことを思いつつ一首。

民族の誇りは覇道の愚ではなく 学を尊ぶ真心にこそ

私も、いつの日かシンガポール植物園などを訪れて先人の足跡を辿ると共に、その際はラッフルズ・ホテルのバーで「シンガポール・スリング」でもいただきながら、二戸と名古屋の先人が異国の文化を守り、それが同国の現代の繁栄にも通じていることの奥深さや有り難さなどに思いを馳せることができればなどと夢想しないこともありません。

懐かしき未来は名古屋城の礎石の中に~名古屋編②~

10月の名古屋出張(学童保育の全国大会の出張)に関する投稿の2回目です。今回は、全国学童保育研究会の開場前に名古屋城に行ってきましたという件を書きたいと思います(大至急の仕事が少し片付き、久しぶりに、ブログ書きたい病になっています)。

名古屋には花巻空港を朝の早い時間に出発し、午前中には市内に着きましたので、昼に始まる全国研の前に可能な限り城内を見ておきたいということで、すぐに名古屋城に行きました。

まずは二の丸庭園のパフォーマンス集団(武将隊の方々)をチラ見しつつ、一部復元に伴う公開がなされて間もない本丸御殿に向かい、次いで、天守に入城しました。当日は文句なしの晴天で、天守閣の展望台からは伊吹山をはじめ周囲の眺望を楽しむことができ、大満足でした。

恥ずかしながら、これまで名古屋城については不勉強で、消失や再建の時期などはほとんど把握していませんでしたが、戦時中も昔の雄姿を止めていたことや戦災(米軍の大空襲)で「落城」さながらに焼失したこと、戦後まもなく市民の熱意や募金を通じて再建されたことなどが、よく分かりました。

焼失前に撮影された写真も初めて見ましたが、白黒写真で垣間見た限りでも、現在のコンクリート製より遙かに風格があるように感じました。もちろん、現存していれば、姫路城と並んで(規模からは、姫路城以上に)日本を代表する城郭として世界に冠たる名声を得ていただろうと残念に思います。

我国は敗戦で多くのものを失い、それと引き換え?に多くのものを得ましたが、焼け落ちる名古屋城の写真が、まるで名古屋ひいては日本の戦後の復興のための人柱になったかのような、戦慄というか身震いするような感じがしました。

ところで、名古屋城(天守閣)の入口付近に、陸前高田の子供達を招待した企画に関する展示パネルが掲示されていました。

言うまでもなく、陸前高田は東日本大震災津波における最大の被災地の一つであり、市の中心部が津波により丸ごと壊滅させられるという、米軍の空襲と同等以上と言ってよいほどの凄まじい被害に遭いました。もちろん、街のシンボルである高田松原も完全に失われ、「一本松」のみを残すのみとなったことは皆さんご承知のとおりです。

それだけに、「あまりにも大きな外力(大国との総力戦や巨大災害)により、街の大切なものを多く失った者同士」という点で、名古屋と陸前高田は共通するところがあり、両市が交流などを深めていくことは大いに意義があるのではないかと思われます。

陸前高田には、市内の著名事業者の方々が従事する「なつかしい未来創造」という復興まちづくり企業があるとのことですが、自動車産業などを通じて戦後の「物づくりニッポン」を牽引すると共に、現在も本丸御殿を復元し、さらに天守閣の復元も構想している名古屋の地は、「なつかしい未来の創造」という点では、陸前高田をはじめとする三陸の被災地にとっては、ある種の先輩格というべきなのかもしれず、戦後の名古屋が辿った成功や反省などの体験の成果を、三陸にも還元するような営みが盛んになればと願っています。

そんなことを考えながら一首。

懐かしき未来は名古屋の城で待ち 努力と熱意の有無を見定む

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ところで、名古屋には、大学の先輩で同じ年に司法試験に合格し、その頃に大変お世話になったKさん(弁護士ではありませんが広義の同業である法律実務家)がおられるので、これ幸いとばかりに、夜にはKさんに十数年ぶりにお会いしてきました。

Kさんには、合格から修習開始までの期間に中央大の某団体(S法会)で答案練習会(司法試験の模試のようなもの)の内部スタッフ同士として奴隷労働?に明け暮れていた当時、一緒に呑みに誘っていただいたことがあるのですが、貧乏な合格者同士のはずなのに?なぜか、京王線の千歳烏山にある「純米大吟醸と高級酒肴ばかりの贅沢居酒屋」に連れて行かれ(しかも妙に盛り上がって2時間以上呑んでました)、「人生で行った居酒屋3本の指(ナンバーワン?)」といって良いほど大満足の反面、財布が空っぽになり、泣きそうな思いをして帰ったことがありました。

そのため、今度も凄いお店に連れて行かれるのだろうかとビクビクしていたのですが、最近は私がブログやfacebookで貧乏ぶりを吹聴しているのに気を遣っていただいたのか?B級グルメの名店と地元の庶民派居酒屋さんという組み合わせで、「懐に優しい食い倒れツアー」になりました。

ともあれ、Kさんが「現場の指揮官」として野武士のように奮闘されているお話などを伺っていると、懐かしさと共に、私も法律実務家のはしくれとして、私なりに地域の未来を切り開いていかなければならないとの思いを新たにしました。

そんな様々な「懐かしき未来」が交錯する名古屋の地にいつの日かまた訪れて、次代の様々な可能性や努力の種について考えを巡らせることができればと思います。

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学童保育を巡る時代の交錯と「スタンダード」のいま~名古屋編①~

諸事情により盛岡市内の某学童保育所の役員を拝命しているのですが、責任者の方からの御下命で、10月29・30日に名古屋市で開催された「全国学童保育研究会」に参加してきました。2ヶ月弱も前の話で恐縮ですが、その件について少し書きたいと思います。
http://gakudou.me/zenkokuken/

といっても、私自身が何か作業や発表などをすることはなく、会場の様子を拝見しているだけ(で構わないので行ってきて欲しいと言われた)というお気楽なもので、毎度ながら書類仕事が溜まってるんですけどと思いつつ諸事情からお断りすることもできず、名古屋まで出張してきた次第です。

そもそも、「全国学童保育研究会」とは、全国学童保育連絡協議会という団体(以下「保連協」といいます)が年に1回、全国各地で開催している大会で、保連協とは、Webサイト情報によれば1967年(学童という存在の草創期でしょう)に保護者や指導員ら(全国各地の「父母会」形式の小規模な学童群らと捉えるべきでしょう)により結成された団体とのことです。
http://www2s.biglobe.ne.jp/Gakudou/

強制加入団体ではないため(後述のとおり、企業が経営する学童はほとんど加入していない?ように見えます)同一視はできないものの、弁護士業界における日弁連のような存在(全国研は日弁連の人権擁護大会に相当)と考えてよいと思います。

弁護士業界は当方のような1人事務所=零細企業が今も多いのですが、保連協に参加している学童は「父母会」という任意団体(法人格を有しない、権利能力なき社団)で運営されているものが中心なのだそうで(盛岡市内の学童の大半も同様だそうです)、その点でも弁護士業界に似た面があるかもしれません。

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当日は、29日の1時半から名古屋城二の丸の愛知県体育館で全体会があり、子供達の出し物(演舞)、来賓のスピーチ、保連協の会長さんの基調報告、学者さんの講演がありました。主催者発表では5000人が会場にいると仰っていましたが、私の感覚でも、2000~2500人程度はいそうな感じは受けました。

ただ、配布された資料では、岩手からは47人も来ているとのことでしたが、宮城14、青森2、秋田ゼロ?(記載なし)などと、どうしたんだ東北という感じの数字もありました。青森や秋田には、連絡協議会(支部組織)自体がないようですので、そのことも影響しているのかもしれませんが。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Gakudou/

30日は金城学院大学で分科会があり、案内によれば約30もの分科会があり、最低でも一つには出るようにとのことでしたので、当方の現状と関係しそうな「運営主体の多様化が進む学童保育~実態と改善の課題」と題する分科会に参加してきました。

一般教室1つ分の会場でしたが、収容人数を大幅に超える参加者があり満席状態で、午前は、自己紹介タイムのあと神奈川県某市で熱心に活動なさっている方から「市内の学童の運営を巡る役所らとの闘いの歴史」について熱いトークがありました。で、午後は、①役所との関係(補助金云々?)に関心がある人、②NPO化など運営形態に関心がある人、③他の学童などとの交流に関心がある人に分けて、グループ協議をせよということになりました。

私は、弁当をいただいた後は徳川園(と美術館)に向かうつもりで数ヶ月前から固く決意していたのですが、諸々の理由で泣く泣く徳川園を断念し、3時前までグループ協議に参加してきました。

グループ協議では、法人化して経営されている方々や利用者(父母)の方々からの「法人化した学童の現状報告」などが聞けるのかと思っていたのですが、そのような話はなく、集まってきたのも法人化していない(父母会形式の?)学童の方々ばかりで、父母というより指導員っぽい感じの方が多く、法人化云々というより、役所などに対するものを中心に、現在の運営状況への不満や不安などに関するお話が多かったように感じました。

また「学童のプロ」の方々の込み入った話が多く、私のような素人には即時理解が難しいものも多かったように思います。

グループ長さんが埼玉の方で、さいたま市は、数年前に市の方針で全学童をNPO法人化させる?といった話があったそうで、「法人化はこれからの社会の潮流だ」と仰っていました。

さいたま市ではNPO法人が複数の学童を運営するスタイルが多いとの話もありましたが、私が時間の都合で途中退席せざるを得なかったこともあり、その辺の詳細までは聞けませんでした。

ただ、「市役所に、学童を作りたいんだけど、運営をやってくれる人を紹介してくれませんかと頼んでくる運営意識のない無責任な父母がいて困っちゃうよね」といったお話もあり、人ごとと思えないというか、私が関与している学童も、これまで設立や運営を担ってきた方々が引退すると、盛岡市役所に同じ陳情をせざるを得ないのでは?と思わずにはいられませんでした。

そんなわけで、所期の目的である「NPO法人の設立・運営の先輩方から、運営の苦労話やキモになる留意点などを聞くこと」はほとんどできませんでしたが、それはそれとして、ほとんど存じなかった保連協のことがある程度は分かってきた面がありましたので、その点は大いに意味があったと思っています。

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全体を通じて感じたのは、保連協は学童保育の草創期から当時の方々が負ってきた課題と向き合う形で形成されてきた団体であり、良くも悪くも「古き良き学童」の利害を代弁している面が強いという点でした。

少し具体的に言うと「学童は少額の料金で利用できるのと引き換えに父母が信頼関係を形成して和気あいあいと運営に携わる(ので、その結果として低コスト経営にする)のが、あるべき姿である。よって、運営に携わろうとしない父母は好ましい存在ではないし、学童の文化や歴史を学ばず企業が安易に参入するのも間違っている。同様に高い料金で塾云々を提供するようなタイプの学童も自分達とは異質の存在である。そうした学童の「和気あいあい文化」を守った上で、指導員の待遇改善や施設の維持向上を(値上げの選択肢は避けたいので、役所の補助金などを通じて)図りたい」という考え方で運営されているのだろうとの印象は強く受けました。

それで、そのようなアイデンティティを守ることが「運動」の一つの目的になっていて、それが、良くも悪くも保連協の性格を決定づけているのだろうとも感じました。

なお、学童保育の世界では利用者たる監護者等を「父母」と呼び、「利用者(顧客)」と呼ぶことを避けているのですが、そのことも、単に「父母会形式=全利用者による共同経営」がこれまでの中心スタイルになってきたというだけでなく、そうした歴史・文化が影響しているのだろうと思われます。

そうであればこそ、すべての利用者=親と子が同じ思いを共有していれば、「保連協の理念」と利用者のニーズとの蜜月関係は今後も続くのでしょうが、果たしてそうなのだろうか、とも感じるところはあります。

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かつて日本は中流社会で、その主流派は専業主婦+堅実収入のサラリーマンか三世代同居などであり、学童を必要とするのは共働きに「ならざるを得ない」低所得者層と一人親家庭などのみで、それゆえ「子供の居場所を低料金で提供する」というサービスに切実な必要があり、かつ利用者層全体がそのニーズを概ね共有していたのではないかと思います。

これに対し、現在は、お医者さん夫婦や大企業夫婦のような(公務員夫婦や学者さん夫婦なども?)、「両親併せて(一人だけでも)相応の収入があり、親自身も相応の学歴があるので子供に習い事や教育を仕込みたいが、自分達には時間がない。よって、安くない料金を支払ってでもそのサービスをしてくれるところに頼みたい」という「中・高収入の暇なし夫婦(実家の労働力も得られず)」が相応に存在していることは間違いないでしょうし、私が関与している学童の利用者にも、そうした方々が一定数おられるのではと感じています。

報道やwikiなどを見ても、大都市では、そうしたサービスが広まりつつあるそうですが、そうした方々(利用者・運営側双方)のプレゼンスは、ここ(保連協ないし全国研)には全く感じませんでした。

果たしてそれでいいのか(そうした方々も取り込んだ、総合的な「学童全体=すべての子供達の利害」に取り組む団体は存在しなくてよいのか)という余計なことを感じる面はありました。

もちろん、現在も(或いは昔以上に)、非正規雇用の拡大などの事情から、高額な利用料なんて無理ですという共働き家庭は山ほどあるわけで、詰まるところ、学童のサービスを求める利用者(家庭)側に、昔は存在しなかった利用者層の格差ないし利害対立が潜在化しているということに尽きることだと思います。

その上で、都市圏にはそれを満たす「高料金の塾・習いごと学童」が存在するのに対し地方には伝統スタイルの学童のみという構図は、あたかも私立中(とその進学のためのお受験予備校)が都市に集中している光景に似ているような感じはあります。

これからの日本は「都市と地方が、諸インフラの差などのため別の国であるかのような社会になるのでは」とも言われていますが、「学童」という切り口からもそうした光景が現出しているのかもしれません。

分科会の講師の方は「学童は補助金がないと存続困難なビジネスモデルだ。自分は民間企業のエンジニアをしているが、その目線から見てそう思う」と仰っていたのですが、施設(学童)=供給側に税金を払うのではなく、利用者側(子供)に、いわゆるバウチャーを発行する方式などについて保連協は「運動」しなくてよいのだろうかと、ある意味、不思議に思いました。

学童という存在の公的性格は現在ますます強まっていると思いますが、「学童が公的存在だ」というのは、施設自体が「公的」なのではなく、「利用者たる子供が居場所を必要としていること」が、人口減少や少子化云々と相俟って公的なニーズ(税金を使ってでも対処すべき事柄)になっているので、その受け皿たる学童に公的性格が認められていることを指すと言うべきなのだと思います。

だからこそ、あるべき「税金の届出先」は本来は供給側でなく利用者側ではないかという感じがしますし、その上で、地域内に複数の学童(的なもの)が存在し、利用者は、それぞれのニーズ等に応じて、学童を選んで、「伝統スタイルで低料金の学童」をタダ(同然)で利用するか「塾・習い事型の学童」に追加料金を払って利用するか、選択できる社会が望ましいのでは?と思います(組み合わせ型を含め)。

少なくとも、過去に主流だった「(所得の少ない)親が低料金で子を預けるのが学童だ」という文化のうちは、子供向けの様々なサービスが花開くということは難しいかもしれませんが、例えば「バウチャー」のような方法で親の負担を誰かに転嫁しつつ施設側が十分な売上を得て学童を運営できる社会になるのであれば、利用者たる家庭にとっては、伝統的な「和気あいあい学童」から新しい「バリバリ学童」まで、地方都市の住民も含めて色々と選択肢が広がるのではと感じています。

ただ、その程度のことは長年、学童に携わってきた方々ならとっくの昔にご存知のことでしょうし、その上で、敢えて「運動」の方針にバウチャーのような「利用者の補助(選択権の拡大)」という項目をお見かけしないのは、それが、この団体の方々の理念と合わないからなのだろうか、でも、それが「いいこと」なのだろうかと、感じる面はありました。

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ちなみに、今回の「研究集会」が報道されてないかと検索したところ、唯一、「しんぶん赤旗」の記事を見つけました。

ただ、全国研には他政党の来賓の方もいらしていましたし(蓮舫代表は秘書の方が紹介されていましたが、民進党愛知2区の古川元久議員はご本人がいらしてました。自公の方が来ていたかは分かりません)、集会では共産党に限らず特定政党云々という話は全くありませんでした。

詳しい方にお話を伺ったところ、保連協は草創期はさておき相当以前から政党色がなく、近年では自民党の政権復帰後に学童向けの予算が増えた(ので有り難い)などと仰る方も珍しくないそうです。

ですので、ネットで保連協の検索をすると見かける記事の類は「かつての光景」なのでしょうし、上記の記事も取り上げていただいたマスコミが赤旗のみだったという程度のことだと思いますが(岩手なら地元紙にも載るのでしょうけど)、それ自体はケチを付けるべきことではなく、学童保育の歴史的な経緯などの関係から、やむを得ないというか、ごく真っ当なこととして理解すべきことなのかもしれません。

ただ、さきほども書いたとおり、現在は「自分達が長年背負ってきた価値を守るための運動」だけでなく、自分達とは異質な他者のニーズをどのように取り込んでいくか(それにより自分達をどのように変容させ、次代にも必要な存在として生き残っていくか)という適者生存的な発想が必要ではないかと感じていますので、そうした面があまり見えなかったのは、「運動ちっく」というか、少し残念に感じました。

とまあ、余計なことばかり山のように書きましたが、他の方がご覧になれば全く違う印象、感想をお持ちになることもあるでしょうし、こうした光景を一生に一度拝見するだけでも大いに意義はあろうと思います(私は1回でおなか一杯ですので、今年で卒業とさせていただくつもりです。たぶん・・)

ともあれ、こうした貴重な機会を与えていただいた関係者の皆様に御礼申し上げます。