北奥法律事務所

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岩手県環境生活部との懇談会と県内の公害・環境分野の各種課題①前置など

先日、私が委員長をつとめている岩手弁護士会の公害対策環境保全委員会(以下「当委員会」といいます。)の企画で、岩手県庁(環境生活部)との懇談会を行いました。

県庁との初めての懇談企画ということもあり、岩手県内の様々な公害・環境問題などを中心に叩き台となる質問事項を作りましたが、私の準備不足等もさることながら1時間足らずの会合ということもあり、さほどの協議はできておらず、その点は残念でした。

せっかく作ったこともありますので、次回から計5回に分けて質問事項を掲載しますので、県内の公害・環境問題に関心のある方は、参考にしていただければ幸いです。

今回の企画は、当委員会の活動の一環として県内で生じている各種の公害・環境問題に関する実情やそれを行政がどのように把握しているかを調査し今後の具体的な活動の検討材料にする目的で行ったもので、特定の事件についての調査や提言などを目的としたものではありません。

また、当委員会は数年前に設置されたのですが、深刻な公害問題の発生や弁護士の関与が長年ほとんどなかった岩手の実情もあって、公害・環境問題が絡む訴訟を本格的に手掛けた者が委員にもほとんどなく、活動としては今も手探りの状態が続いています。

岩手弁護士会では、消費者問題や高齢者・障碍者対策の委員会は、県民生活センターや県の福祉センターと幅広い連携(相談会などを含む)をしており、私も相談担当などでお世話になっているのですが、公害・環境分野に関しては、行政に限らず各種団体との繋がりが今も皆無といって良い有様です。

そのため、活動の幅を拡げるための「挨拶廻り」の意味合いも兼ねて、まずは県庁(環境生活部)との意見交換の場を設けるべきではないかという話になったものです。

「懇談」の叩き台として質問事項書を作ることにしましたが、平成26年の県の環境報告書などを参考に県内の公害・環境に関する分野、問題を広く取り上げつつも個別テーマごとに突っ込んだ検討はせず、ざっくばらんな懇談のための素材として作成しました。

質問事項の構成は、県の報告書のほか日弁連の同系列の委員会の活動を参考に次のとおりとしました。

第1 エネルギー問題と原発事故被害
第2 資源循環・リサイクル・廃棄物関連
第3 自然保護(自然・生物保護、生態系、自然公園等、森林等の保全)
第4 大気・都市環境・生活環境・アメニティなど
第5 水環境・需給政策など
第6 化学物質・食品安全など
第7 その他、環境法全般(公害紛争、アセス、教育ほか)
第8 地球温暖化問題
第9 その他、環境が関連する問題(低周波騒音、対外関係、ILCなど)

個々の質問事項は次回に紹介しますが、当日は予定時間が1時間程度ということもあり、最初の質問項目である原発絡みで時間の半分以上を費やし、あとは廃棄物絡みの論点や県と弁護士会との連携のあり方について、幹部の方(県境不法投棄事件の発覚段階などで重要な役割を果たした方でした)からの要点的なご説明を踏まえ若干の懇談をしたという程度に止まりました。

内容面でも、原発被害に関する県庁の取り組みに関するご担当の説明を拝聴しているうちに時間切れになったという面は否めず、その点は説明を遮ってでも論点に切り込み議論すべきということで、当方の力不足も否めないとは思います。

それでも、地元の弁護士が、公害・環境に関する問題に幅広い関心を持ち県民ないし地域社会に役立とうとする意識を持っていることについて相応の理解は得られたと思われ、「公害・環境分野の人権保障等に関する弁護士会と行政との連携」について、今後に繋がる点はあったと思いたいところです。

次回から掲載する質問事項も、岩手の現在の公害・環境問題に関するちょっとした論点整理集という形で多少は参考していただけるのではと思いますし、この投稿のような形で対外的に発表して様々な方の関心を喚起したいという面も含め、そうしたものを今後に生かしていければと思っています。

近時の交通事故事件に関する取扱や実績と営業活動の今昔

ここしばらく普段取り扱う仕事に関する投稿をしていませんでしたので、たまには触れてみたいと思います。

債務整理のご依頼がめっきり少なくなる一方で、今もコンスタントに一定のご依頼をいただいている分野の筆頭格が交通事故であり、基本的には被害者側でお引き受けするのが中心となっています(お世話になっている損保会社さんがあるため、加害者側での受任も若干はあります)。

5年以上前に比べてご依頼の件数が多くなっているのは、ネットでアクセスいただく方が年に何人かおられるということもありますが、弁護士費用特約の普及という面が大きいことは確かだと思います。

私の場合、平成12年に東京で就職した事務所が、タクシー共済(タクシーの事故の賠償問題に対応する共済)の顧問事務所だったので、独立までの4年半は概ね常時10件前後の事件に従事していたほか、岩手での開業後は主に被害者側の立場で様々な交通事故の事件を扱ってきました。

ですので、交通事故なら自分が岩手で一番などと虚偽?の吹聴をすることはできませんが、様々な事案・類型の取扱経験の質量という点では、この世代の弁護士としては有数といって良いのではと自負しているつもりです。

以前は、死亡事故や後遺症認定1~3級などの重度障害に関する事案も何度か取り扱いましたが、ここ1、2年はご縁がなく、神経症状が中心で治癒又は後遺障害が非該当のものや物損のみの事故が多く、14級や12級の事案が幾つか存するという程度です。

それでも、人身事故に関しては、加害者側の損保会社が最初に提示した額の倍以上(時に3倍くらい)で解決(示談又は訴訟上の和解)する例が珍しくありません。後遺障害が関係すると、その差は数百万円にも上ることがあり、昨年末に裁判所で和解勧告がなされた例や、先週に示談(訴訟前の交渉)で決着した事案なども、そのような形で解決しています。

どの段階で弁護士に依頼するのが賢明かは一概には言えず、損保側の提示が出た段階で十分という例も多いとは感じていますが、やはり、提示がなされた段階で、一旦は、相応に交通事故実務の知見等を有する弁護士に相談なさった方がよいと思います。

特に、介護問題が伴う重度事案などでは、損害項目が多様・複雑になりやすいので、ご自身でも今後どのような出費等(損害)が生じるかご検討の上、相談先の弁護士がそれに応えるだけの十分な知見を有するかも見極めて、依頼先を選定いただくのが賢明でないかと思います。

その意味では、最近は事故直後からご依頼を希望されるケースも増えてきてはいるのですが、損保の提示がなされた時点で、複数の弁護士に損害の見積と説明を求めた上で依頼先を決めるというのも賢明な対応ではないかと考えています。

交通事故は、重篤後遺障害の事案でなくとも、被害者にとっては「鉄の塊に激しく衝突され、あと少し違っていれば、もっと深刻な被害があり得た」という強い被害者意識(トラウマ)を持ちやすく、加害者や損保会社に対して、強い不満感を抱いたり、相手方に邪悪な加害的意図があるかのように感じてしまう例も時にみられます。

そのように「強い不信感を抱かざるを得ないので加害者側と接点を持つことが気持ちの問題として苦しい」という方が、事故後間もない段階からご依頼を希望するというケースが多いように感じています。

この点は、相手に迎合する必要はないにせよ、相手の「立場」を見極めた方が賢明な場合があります。加害者本人は「高い保険料を払って任意保険を契約しているのだから、こうしたときこそ保険会社にきちんと対応して欲しい」と思うことが多いでしょうし、加害者の損保側も「少しでも賠償金を減額させ、そのことで自社の収益もさることながら加入者全体の保険料を抑制させたい」という立場的な事情に基づいて交渉しているのでしょうから、「先方は先方なりの立場がある」と割り切った上で、感情的にならず先方の対応に誤りがあれば淡々と正すような姿勢を大事にしていただければと思っています。

一般論として、弁護士が代理人として前面に登場した時点で、相手方が身構える(一種の戦闘モードになり警戒レベルが格段に上がる)面はありますし、ご本人が強く申し入れることで、時に法律上はあり得ない有利な条件が示されることもあるように感じますので、ある程度の段階までは弁護士が相談等の形で後方支援し、「ご本人が相対しているからこそ得られる譲歩や情報」が概ね得られた時点で代理人が登場するというのも時には賢明なやり方ではないかと感じることもあります。

結局は、当事者(被害者・加害者・損保担当者)の個性や被害の状況などに応じて異なってくるはずで、一義的な正解がないことが多いでしょうから、今後も悩みながらご相談やご依頼に誠実に相対していきたいと思っています。

余談ながら、先日、あるベテランの先生とお話をしていた際、「昔、交通事故の記事が出ると、記事に表示されていた住所をもとに手紙を送って自分への依頼を働きかけていた弁護士がいた。今も登録しているが老齢のため現在もそのようなことをしているかは分からない」とのお話を伺いました。

私の認識では、事故で被害を受けた方に弁護士がダイレクトメールを送付して勧誘するのは、いわゆる「アンビュランスチェイサー」として昔から弁護士倫理(弁護士職務基本規程)で禁止されている(規程10条、日弁連解説書21頁)と考えていますが、その「年配の弁護士の方」がそうしたことを本当に行っていたのか、行っていたとして、弁護士会などは知っていたのか(黙認していたのか)等、あれこれ考えてしまうところはあります。

詰まるところ、弁護士が少なく司法サービスが県民に行き届いていなかった時代では、そうしたことも黙認されていたのかもしれませんが、現時点ではアウトとして懲戒などの対象になる可能性が高いとは思います。

「岩手日報に重大な被害記事が出た途端に、県内どころか全国の弁護士達からDMが殺到する」などという類の事態は論外というべきですが、被害者の方が適切な形で弁護士のサービスにアクセスでき合理的な選択権も行使できるような実務慣行・文化も形成されるべきことは申すまでもありません。

現在ネットで氾濫する在京弁護士や実体も明らかでない団体等の宣伝サイトの類ではなく、法教育的なことも含め、より良質な「リーガルサービスに関する情報提供のあり方」について関係者の尽力を期待したいものです。

盛岡で生きる二戸人~I’m an legal alien in Morioka~

さきほど偶然ネットで、二戸市が盛岡と東京でUIJターンの促進等の見地から交流会を行う企画があるというのを発見しました。盛岡では本日開催とのことですが、私は40歳を超えており参加資格がなく、残念です。
https://www.city.ninohe.lg.jp/forms/info/info.aspx?info_id=4889

東京在住時に一度だけ東京二戸人会に誘っていただき参加したことがあるのですが、盛岡でもそうしたものがあればと思っています。

私の場合、中学卒業時に県外に出てしまった上、仲良しだった同級生仲間で盛岡に住んでいる人がほとんどいないこともあり、盛岡で10年以上生活していても、本業でもそれ以外でも、二戸出身の方や二戸在住の方に声をかけていただける機会がほとんどないという恥ずかしい有様です。

幸い、戻ってきて間もない頃に、二戸の方からご相談やご依頼等をいただいたことは何件かありますし、今も、稀に、相談者の方から「HPを見ましたけど二戸出身なんですってね。自分の家族もそうなんですよ」とのコメントをいただくことはありますが、もっと二戸出身或いは二戸在住の方と関わることができればと思いながらも、「忘れられた二戸人」の悲哀を託っているというのが正直なところです。

もちろん、声をかけていただけるのを待っているのでなく私自身が知り合いの有無に関係なく色々な場所に顔を出して声を上げていかなければならないのでしょうし、そろそろ兼業主夫業にも一つの目処が付きそうな感じもありますので、いつまでも引っ込み思案のままでいるわけにもいかないだろうと、自分に言い聞かせようと思っています。

これまでも、「盛岡という異邦(仇敵の都)の地で生きる二戸人」としての自分のあり方、役割や責任を考えながら生きてきたつもりですが、十分に実践できているというにはほど遠く、人生の折り返し地点を過ぎたこともあり、できることを少しずつでも増やしていきたいと思っています。

日弁連が「ヤメ弁」の支援に乗り出す日と「弁護士の独立」の終焉?

全国有数の暴力団問題を抱えた地域と目されている福岡県が、暴力団を離脱し一般企業に就職、更生したいと希望する人(ヤメ暴)の支援策として就労先企業に給付金を支払う制度を導入したとの記事が出ていました。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6190244

それを読んでいて、今後、ヤメ暴ならぬヤメ弁の支援が必要になってくるのではと思ったのですが、以前は、こういった報道が出ると、日弁連評論家として高名な小林正啓先生がブログで「弁護士近未来小説」と題するパロディ記事を出されていました。

残念ながら、ここしばらく小林先生がそうした投稿をなさっていないので、愛読者の一人として、復活を願って次のように少し真似して書いてみました。私では小林先生の切れ味には遠く及びませんが、御大のご復活が遅くなるようでしたら、今後も似たような復活祈願記事を書くこともあるかもしれません。

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【虚構新報いわて支部速報】

新人激増と景気低迷の影響で弁護士の就職難や事務所の経営難が囁かれる中、業界から離脱する「ヤメ弁」を雇った企業に、日弁連と所属弁護士会が最高70万円の奨励金を給付する制度を4月から始めることが関係者への取材で分かった。当面は、事務所経営者たる弁護士(一定額以上の経費を分担するパートナーを含む)が円満に廃業するケースが対象。

さらに、「ヤメ弁」を雇用後、元依頼者とのトラブルが起きた場合、損害の状況に応じ、雇用主に最高200万円の見舞金を支給する「身元保証制度」も同時に実施する。弁護士の業務については各人が加入する賠償保険を通じて支払う例はあるが、日弁連による直接の支援は初めてという。

これまでも日弁連は弁護士の企業就職を斡旋するなどしてきたが、新卒者重視の我が国の雇用文化の影響で、10年以上の業務経験を有する弁護士の就職を受け入れる企業はほとんどなく、大手事務所から官公庁への任期付職員となり数年後に弁護士に戻る例が大半となっている。

日弁連は、昨年から、小規模な法律事務所を経営する弁護士(町弁)が行き詰まった際に、預かり金の横領に手を染めることなく「ハッピーリタイア」を迎えることができるための施策の強化に乗り出しており、新制度を通じて、激増で淘汰された弁護士の円満な退場と就労先の拡大・業界の新陳代謝を狙う。

町弁業界に少し詳しいオボナイ弁護士「新人が私の頃の3~4倍も増えたのだから、外部に払うお金があるなら先に会費の減額をして下さい。おかしいだろ、これ」

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ところで、昨日に日弁連の会長選挙があり、当選された新会長さんは、報道では、弁護士による預かり金の横領被害への補償制度の導入を強調されていました。

以前、岩手(盛岡)で生じた弁護士の横領事件に関し長大な投稿を載せた際、「横領被害に対する補填制度を導入するのであれば、補償金の担い手の理解を得るために、各弁護士への業務監査(監視)制度の強化は絶対に避けられない。誰がその監視・監督を担うのか次第で、伝統的な弁護士自治は大きく変容するかもしれない」という趣旨のことを書いたことがあります。

日弁連会長選を巡っては、近年は、新旧の窮乏町弁層の声を代弁して会費の大幅減額などを掲げる新勢力が登場するのではという憶測がなされていますが、今年も昔ながらの対決構図(いわゆる主流派の方と歴戦の少数派候補である高山弁護士)に止まり、個人的には残念に思いました。

再就職の支援であれ横領被害の補填であれ、近時は、日弁連が組織としての業務を拡大し、激増する会員から徴収した多額のお金を支出する「大きな政府」を指向する話が中心で、これと逆の指向(会費減と弁護士会の規模縮小=小さな政府)を主張する「弁護士業界の統治の担い手となりうる政治勢力」が出現しないことに、私自身は些か残念に感じています。

先日、「弁護士激増で日弁連が肥大化し、地方の弁護士会は「地域の法務の大企業」となって、町弁達は地元の弁護士会に依存・従属する傾向を強めるのではないか」という趣旨のことを書いたことがありますが、自民党政権が続く日本政治に限らず、「大きな政府派、小さな政府派」といった、社会にとって必要な政治理念同士の対立を前提とした政権交代可能な政治勢力による対決と均衡・分担といった形が、弁護士業界でも生じてくれればと思わないでもありません。

ともあれ、当事務所自身が淘汰の対象にならないよう、まずは現在ご依頼いただいている皆様のため、最大限お応えしていきたいと思っています。

自民党政権と鎌倉幕府の類似性を踏まえて日本国憲法の未来を論ぜよ

購読中の日経新聞が3ヶ月以上の積ん読状態になり、先日まで10月のものを読んでいました。10月19日の紙面には、安倍首相が党内の重鎮や若手の支持を集めてライバルを押さえ込み強固な政権基盤を形成しているという話の解説記事が出ていました。

最近は甘利経財相が突如失脚するという事態も起きましたが、こうした記事を気楽に読んでいると、今後の政権の担い手や政治の形はどうなるのだろうと、何となく考えてしまいます。

現在の社会について考える際、過去の歴史に学ぶというのは基本的な話ですが、戦後数十年の「自民党一党支配下の派閥政治→小選挙区制後の政権陥落と復活を通じた総裁・首相の権力強化」という流れについて、日本史の中で近いものがないかと考えると、鎌倉時代が割と近いのではと思いました。

鎌倉幕府の場合、成立時こそ源頼朝(源氏)の存在感が大きかったとはいえ、ほどなく有力御家人らの合議的な体制に移行し、激しい内部抗争に北条氏が勝ち残り、承久の乱と元寇を通じて得宗専制が確立するという流れを辿ったと一般的には言われています。

そのような流れが、派閥の抗争の上に短命首相の交代が繰り返されていた中選挙区時代から、有力派閥(経世会など)の影響力低下と党本部・内閣府の強化(総理・総裁の主導権)に至る現在の自民党政権の経過に多少とも通じる面があると感じました。

鎌倉幕府は大まかに言えば承久の乱までが御家人合議制で、その後は得宗専制への移行期になりますので、承久の乱と北条氏の勝利は民主党の政権交代と自民党復権に匹敵すると言えるかも知れません。

その上で、現在の「習近平の中国」の強大化やこれに伴う日本との摩擦は、あたかも現代の元寇のようなものと考えれば、中国への脅威への対抗のための結束や政治の安定のニーズという国民意識が安倍首相の支持率を相当部分を支えていることに鑑みても、類似性を感じる面があります。

そう考えた上で、「その後」がどうなるかを鎌倉幕府になぞらえて考えると、色々と興味深い点が出てくるのではないかと思います。

教科書的に言えば、鎌倉幕府は元寇の負担で生じた御家人の窮乏について、幕府が賢明な対応をとることができなかったので、御家人の支持を失い統制力が弱まった挙げ句、後醍醐天皇の倒幕軍に足利尊氏・新田義貞らが呼応し裏切ったので滅亡したと言われてます。

元寇は要するに国家防衛戦争ですが、軍役とこれに伴う出費を幕府が丸ごと負担するのではなく地域の封建領主である御家人各自の負担とされたので、御家人が生活に窮乏し借金が増大し、一旦は徳政令=借金の強制免除がなされたものの、その後は金融業者から追加借入ができなくなり?さらに窮乏したと言われることが多いと思います。

破産免責の実務に携わる者から見れば「一旦は借金免除を受けた者が、ほどなく追加借入をせずにはいられなくなる事態」は滅多に生じるものではないとの認識ですので、当時の御家人達(幕府を奉ずる武士)に追加借入を必要とするだけの事情があったのか、その点は興味深く感じますが、よく分かりません。現代も免責から7~10年もすれば追加借入をする方も出てきますので、中長期の視点では鎌倉末期と同じ問題が生じうるかもしれませんが。

ともあれ、近い将来そうした類の光景=自民党政権の混乱と滅亡という事態が現代でも生じるのか、そうであれば、どのような事態が生じた際に自民党政権が衰退するのか、また、その前提として、自民党の支持層が政府の政策とその前提となる事象により大きく窮乏するような事態が生じるのか、あるとすれば、どのような事態か、色々と想像を巡らせるのも面白いかもしれません。

財政上の理由で従前の支持層に手厚くしていた分野(公共工事=建設業界、福祉・医療=医療業界など)への税金配分や年金等の大幅減ということなら、近い未来に相応に生じそうな気もしますが、その際に時の総理が改革の必要性を説いてその判断を支持する層を新たな支持者として取り込むのであれば、政権転覆という事態は生じそうにありません。

元寇のように「政府が自らの責任・負担で行うのが望ましい分野」について、政府の支持層に無理な自己負担を強いて困窮させた挙げ句、杜撰な対策で混乱が生じて支持層をさらに追い詰めるという事態があれば、無為無策の責任が問われて転覆まで行き着くような気がしますが、現在それにあたる分野があるかと言われると、すぐには思いつきません。

ただ、自民党政治が、御恩と奉公に類する「戦後の経済成長で生じた正(プラスの資産)の分配」を基本として成り立ってきたことは確かでしょうから、今後に本格化すると言われる「負の分配」=既得権の剥奪や社会各層への負担・不利益の分配への説得・強制に耐えるような政治体制に刷新できなければ、政権の維持に脆弱さを抱えることは確かだと思います。

実際、小泉首相が専制政治家として公共事業削減などを断行したのに比べると、民主党政権前夜(第一次安倍政権~麻生政権)までは、専制色が乏しく合議的な色合いの強い政権だったように感じますし、そのことも、政権陥落に影響したのかもしれません。

民主党政権も公共事業削減や財政再建など様々な負の分配に取り組んだような気がするのですが、総理(党代表)が権力を掌握できず合議制のような様相を呈したことが、テーマ(負の分配)に耐えうる政治体制でない(要するに未熟である)と国民に審判されたのではという感じもします。

少なくとも、専制型の政権運営は、既得権の剥奪には役立つことは確かで、そうした事情が現在の「総理・総裁の権限強化」を支えているのでしょうが、一部の者への優遇が鮮明になるなど不公平感が目立つようなら、鎌倉幕府の滅亡がまさにそのようなものであったように、専制が崩壊して一気に混乱に陥るリスクも内包していると思います。

その場合、現体制を転覆させて新体制(建武の新政?)を作るための旗印となる理念や制度はどのようなものか、運動の象徴になる存在(後醍醐天皇)やそれを補佐する「現体制では疎外された存在」(楠木正成ら「悪党」)は誰か、転覆後の混乱に勝ち残って次の体制を担う存在(足利幕府)は誰・どのようなものになるのかといったことも考えてみたくなります。

ただ、現代でこれにあたるものが誰か・何かと言われれば、すぐに「これだ」と言えるものがあるか、私もピンと来ません。

在野で強烈な個性を持つ専制指向型のリーダーと言えば、誰しも引退?した橋下市長を思い浮かべるでしょうが、安倍首相と意気投合しているようにも見える橋下前市長が「後醍醐天皇」のようになるのかと言われれば、違和感を覚える方の方が多いと思います。

ただ、安倍首相や自民党が希望する改憲案が、安全保障(9条)と人権保障(個人主義)の修正を指向すると一般的には考えられているのに対し、橋下氏が指向する改憲論は大阪都構想に見られるように統治機構制度に向けられており、9条や人権規定に手を加えたがっているという印象は、私の感覚の範囲では、あまり受けません。

これに対し、自民党の改憲案は、私もきちんと勉強したわけではありませんが、国会・議院内閣制の分野については、さしたる改正を求めていないように思われ、少なくとも、現在の立法・行政の枠組みの大幅な変革を企図していないことは確かだと思いますから、安部首相ないし自民党の改憲案と橋下氏らの改憲?案は、関心のある分野が大きく異なっていると思います。

その上で、国会などを巡る現在のあり方に国民が満足しているかと言えば、現在の選挙や国会ひいては様々な議会や議員の制度(選挙と議会のシステム=立法府や代表民主制の全般)に不満や不信感・閉塞感を抱いている国民の割合は非常に多く、憲法も含めて「政治家」に関する制度を変えて欲しいというニーズは十分に高いのではないかと感じています。

現在、ちきりんさんのブログで勧められていた「フェルドマン博士の日本経済最新講義」を読んでいるのですが、同書でも、選挙制度改革は、現在の日本社会が改革を必要としていながら安倍政権の取り組みが最も手薄になっている分野だと厳しく批判されています。

現在の小選挙区制では従前以上に自民党の万年与党という流れが定着しそうなことや訴訟が繰り返されて「煮詰まった」状態にある定数是正の問題なども視野に入れれば、立法府(選挙・議会・政治家)の大改革は、程なく近未来の大きなテーマとして意識されるのではないか、だからこそ、それに率先して取り組む勢力があれば、アドバンテージを取ることができるのではないか(橋下氏はそれを見越して準備しているのではないか?)と感じています。

ちなみに、フェルドマン博士は、株主総会(資本多数決主義)に倣って「人口比で議決権を配分する制度を導入すべきだ」と提言していますが、私自身は、そのような制度は「生身の人間」たる議員の政治的意思決定権に関する平等の建前を重視する日本の国民感情に馴染まないので、議員を二段階に分け、1段目議員を大増員・廉価報酬とし、2段目議員を1段目議員の互選による少数精鋭(狭義の国会議員)とする間接選挙型の仕組みにすればよいとのではと考えています(この点は後日にまた書くつもりです)。

ともあれ、自民党政権が戦後の政治システム(現在の代表民主制)に非常に馴染んでいる政治権力だからこそ、そのあり方を大きく改変する提言をする政治勢力が国民から一定の支持を受けるようであれば、そのときが鎌倉幕府の滅亡ならぬ自民党政権の終焉に繋がるのではないかと妄想しているところです。

日本社会は、昔から源氏・陸軍・国内派(縄張り重視の封建的集団主義)と平家・海軍・国際派(市場経済・競争重視の個人主義)の路線対立があり、これまでの自民党政権が前者の面が強かった一方で、近時は後者的な性格を強めつつあることも、来るべき動乱?の前兆のような気もしないでもありません。

余談ながら、地方の弁護士業界もこれまでは前者の典型のような面がありましたが、急速に後者の面が強まっている感もあり、そうした身近な世界で生じている激動との関係も考えながら、遠くの他人はさておき我が身は滅ぼすことなく社会の成り行きを見て行ければと願っています。

それはさておき、鎌倉幕府の滅亡について大河ドラマで取り上げられたのは「太平記」だけだろうと思いますが、NHKも視聴率に臆せず蛮勇を奮ってまた取り上げていただきたいものです。

まぼろしのT

週末の午後に事務所で一人で書類仕事をしていたところ、ブラインドに影でT字の模様が浮かび上がっているのを見つけました。

非常用進入口の▽シールへの陽の当たり方の関係で、このようなT字が出現する現象が生じたようですが、昨年に物議を醸した末に露と消えた某五輪のエンブレムを彷彿とさせます。

Tの影も五輪と同じように?数分ほどで儚く消えてしまいましたが、当事務所はしぶとく、しっかりと地域に根を張って末永く皆様のお役に立てるよう精進して参りたいと思います。

奨学金に関する残念な相談事例と改善策

奨学金制度については、近時、利用者たる若者が高額な借入金(学費)の返済を継続することができず、過酷な負担を強いられている方も一定数あるとして、日弁連などが制度の改善などを求めています。

さきほど、制度の運用に従事する支援機構の理事長の方への取材記事(上の双方)が載せられていましたので、過去に相談を受けたことなども思い返しながら拝見しました。

5年ほど前、「奨学金が200万円、他の借入が200万円(高利融資なし)」という20代の方の相談を受けたことがあり、破産又は再生をお勧めしたのですが、「奨学金は父が連帯保証をしており、父に督促等が生じる事態は絶対に嫌」ということで、あれこれお話したものの、残念ながら任意整理も含めて受任に至らなかったということがありました。

その際は、連帯保証絡みの通例として「(お父さんも含めた債務整理という事案でなければ)奨学金はお父さんが機構に返済しつつ、ご自分でお父さんに返済するという方法で、解決してはどうか」といったことなど(或いは、その上で機構にもリスケジュールなどを提案すること)を説明したのではないかと思いますが、とにかく、お父さんとトラブルになることを非常に忌避しており、奨学金に関しイレギュラーな事態が生じることをひどく恐れている様子が感じられました。

奨学金制度について軽々に批判するつもりはありませんが、他にも、自分は進学後すぐに中退してしまったが、親に無理を言って連帯保証人になって貰ったので、どうしても自力で返済しなければならない(ので債務整理的な解決は望まない)と仰る方のお話を聞いたこともあり、若い世代に残念な負荷が生じる例が一定程度あることは確かなのだろうと思います。

そして、それらの事案から感じられるのは、様々な事情があるにせよ、親御さんから学費の面倒を見て貰うことができず、奨学金の連帯保証という形ですら絶対に迷惑はかけられないと感じ、結果として自身が強い負荷を引き受けている若い世代が一定程度いるという事実であり、軽々に親御さんを批判するのは適切でないにせよ、家族内の「自助」が適切に機能していない面があることは、間違いないはずです。

連帯保証の当否という問題(親族ではない良質な民間事業者による低利の連帯保証制度の導入とか、住宅ローン特則類似の制度の導入なども視野に入れて)もさることながら、貸手責任(機構側)や融資金の利用者責任(学校側)という観点(審査等の強化や問題事案での返金や債務カットなど)も含めて、借主たる若者にばかりしわ寄せをさせないような適正な融資及び債権管理などの仕組みが検討されるべきではないかと感じました。

記事の末尾にあるように、奨学金制度に助けられて人生を切り開き、制度に強く感謝している方も沢山おられるでしょうから、それだけに運用の杜撰さ?で生じる弊害を除去するための仕組みについても真剣に考えていただきたいところだと思います。

時折、独居状態など日常的には身寄りのない質素な生活をしていた高齢の方が、ご自身の有意義な目的に使うこともないまま、数十年以上に亘って預金を続けていたであろう高額な金融資産を遺して亡くなられ、近親者などの間で紛争などが生じるケースについて相談を受けたり受任することがあり、中には被相続人と何の接点も無かったり義絶状態にあるような方のところに高額な相続財産が転がり込んでくる例も拝見することがあります。

そうした事案を拝見するたび、我が国にも不合理な形での冨の偏在が相応にあり、果たしてそのままでよいのかと思わずにはいられない面があります。

余談ながら、ちょうど、日銀が「民間銀行が日銀に預入する場合は手数料を取る」というマイナス金利政策が報道されていましたが、上記のような「遊休資産」を抱える銀行の多くが、有意義な形で預金を生かすことをしていないのであれば、良質な形でリスクに挑んだり、そうした営みを通じて善良な若い世代に適切な資金が行き渡るような流れができてくれるのであれば、望ましいことではないかと思いました。

久方ぶりの知財相談と田舎の顧問弁護士の未来像

先日、ある顧問先から商標権侵害に関する問題のご相談を受けました。さほど紛糾した問題ではなく一応の方針が出ている案件で、確認のための照会ということでしたので、私なりに検討した結果をお知らせして一旦終了となりました。

地域の大企業などに接点の乏しい田舎のしがない町弁をしていると、東京時代は相応にお話をいただいていた「企業法務」的なご相談にはめっきりご縁が薄くなってしまいますが、知財関係はその代表格のようなもので、商標権に関するご相談なんて最後に受けたのは一体何年前だろう?という感もあります。

もちろん、だからといってご相談に対応できないという訳ではありません。過去の経験もさることながら、商標であれ特許であれ著作権であれ、基礎的な勉強は多少はしていますので、常に「模範解答の即答」ができるわけではないにせよ、若干のお時間をいただければ、実務水準としては概ね問題ないレベルの回答ができることが多いだろうと自負しています。

私の場合、購読している判例雑誌について、地道な勉強の習慣として要旨のデータベース作りをしていますし、知財に限らず様々な分野の本を購入して積ん読状態になっていますので、判例を少し勉強した程度の分野のご相談を受けると、勉強したことをようやく生かせるとか、数年前に購入した本達の出番がようやく来たということで、机に本を山積みにして喜々として調べるという面もあります。

今回も、顧問先からメールで関連資料や事情説明に関する書面の送信を受け、電話では簡単なご説明をした上で、文献や判例なども踏まえ、自身の勉強も兼ねて、ある程度、詳しい内容の文章を書いてお送りしました。

当事務所サイトでも表示している「月額3000円」(税別)の顧問先ですので、滅多にご相談を受ける機会もないとはいえ、さほど売上や収益のある業務ではありません(所定時間を超えると別料金をお願いするルールですが、単なる勉強時間について加算するのは難しいですし)。

それでも、こうした形で様々な分野を手掛けることができれば、田舎の町弁をしていると時折襲ってくる「取り残され感」から少しは解放されるような思いもあって、有り難く思っています。

岩手に戻って間もない頃には、盛岡市内の企業さんから著作権侵害に関する賠償問題について受任したこともあったのですが、知財については悲しいほどご縁が薄く、東京時代の独立直前の頃、商標や著作権絡みの訴状を書いたのが懐かしい思い出という有様です。

2、3年前までは日弁連の主導?で作った「弁護士知財ネット」にも加入していたのですが、ご相談等も全くない状態が続いたため、経費削減の必要から辞めてしまいました(倒産ネットは今も続けていますが)。

こうした有様と対照的に、ここ数年は、個人間(親族や知人など)の積年のドロドロした感情のぶつかり合いの果てに訴訟に至る事件のご依頼が多く、時に、当事者の強烈な負の感情やそこに至る残念な物語が私自身の身体にヘドロのように流れ込み、のたうち回るような思いに駆られながら書面を書くことも珍しくありません。

それだけに、感情的な対立が希薄で、相応の勉強を重ねれば一定の答えが出せるような「ライトな企業法務」のご相談に、清涼剤に接するような感じもあって、今後も「相談して良かった、また頼もう」と思っていただけるよう精進を重ねていきたいと思っています。

ところで、ネットで少し調べると、最近は当事務所と同様に月3000円程度の顧問契約を宣伝する法律事務所も増えているようです。当事務所に関しては、5年ほど前にこの方針を打ち出した際、当初は有り難いことに数件のご依頼をいただいたものの、ここ2、3年は新規のお話をいただけておらず、悲哀を託っているというのが正直なところです。

そもそも、顧問弁護士という存在ないし方式自体が、廃れゆく文化なのかもしれないと感じる面はありますが、メール・電話のみでのご相談を受け付けるのは顧問先のみというのが一般的でしょうし、冒頭のご相談をいただいた顧問先も、盛岡から遠く離れた自治体に所在する企業さんであり、来所せずに済ませるという点(ご担当の時間の節約など)でも、意義があると思います。

そうした「頻繁ではないが時折メールや電話で相談をしたい」という需要がある企業さんにとっては、それなりに利用価値のある方法だと思いますし、時に、聞かれたことだけでなく、事案に即して他の点も留意して下さいねとお伝えすることもあります(それだけに、顧問先の方々には、問題が起きてからご相談というだけでなく、返答や検討の有無に関わらず、現在携わっておられる業務に関する様々な情報・資料などを随時、ご提供いただければという気持ちもあります)。

それらのリスク対策やセカンドオピニオンなども含め、地方の小規模な企業・団体さんなどにも、弁護士の活用のあり方について前向きに考えていただきたいところですし、普及し始めた「少額の顧問契約」というスタイルは、それを支えるインフラとして、意義があるのではと感じています。

もちろん、私自身が、実力と磁力の双方を身につけることが先決というべきでしょうから、今は「ドロドロ系の事件」をご依頼いただいている方々に感謝し、のたうちまわりながら研鑽を積みたいと思います。

相続からはじめる「家族の物語」と遠野ICの残念な動線

先日は、以前のブログで告知した「相続対策セミナー」の1回目(大船渡会場)でした。事前に明治安田生命さんに問い合わせても参加予定人数を教えていただけなかったので、全然集まらなかったらどうしようとビクビクしていたのですが、数十名もの方にご参加いただき、大変ありがとうございました。

以前に記載した「きみまろネタ」を繰り出すかギリギリまで悩んだのですが、冒頭に少し軽口めいたことを述べても全く笑いが起きる気配がなく、やはり自分には笑いを取るセンスは無いのだろうと諦めました。

予想どおり後半はかなり端折ってしまい、冒頭で「早口で話さないように頑張ります」と述べていたのに全く達成できませんでしたが、レジュメで取り上げた項目そのものは、概ねすべてお伝えすることができました。

相続は、ご家庭の事情で対象となる論点が全く異なることから、敢えて各論よりも総論(相続で問題となる場面の整理や考え方の要諦)を強調し、それぞれのご家族・一族が、どのような物語を紡いできたのか、それは、特定の人(長男など)に承継されていくべきものか、むしろ解体・清算されるべきものか、そうしたコンセプトは全員に共有されているのか、といったことを考えていただきたいとお伝えしました。

アンケートによれば、ご高齢の参加者から基本用語の説明など基礎的な話をじっくり聞きたいとの要望が強かったとのことで、次回はそうした声に配慮した構成で考えていますが、技術的なこと以上に本セミナーが「家族・一族の物語」を改めて考えるきっかけになればと思っています。

そんなわけで、19日の水沢や28日の盛岡も奮ってご参加いただければ幸いです。

ところで、往路はいつもの法テラス気仙と同様、宮守IC→小友町から峠道を下るルートで行きましたが、帰路はせっかく開通したばかりの遠野IC・宮守IC間を通ってみたいということで、住田町の国道の分岐路から滝観洞・仙人峠道路方面に進み、遠野バイパスから遠野ICに入りました。

遠野の街は1年ぶりくらいで、道路工事中に通過したときから違和感を感じていたのですが、遠野ICの出入口(国道との連絡路)は、遠野の道の駅(風の丘)の近くにあるものの市街地寄りにあり、市街地方面からの車両からすれば、「市街地→遠野IC入口→風の丘」という順序になっています。IC・風の丘間も隣接しているわけでなく、少し離れた位置になっています。

そのため、「高速に入る前に道の駅に寄って買い物等をしたい」という人は、IC入口を通過し、しばらく走行して風の丘に行き、再びICに戻ってこなければならないので、煩わしいという感覚が避けて通れません。

かくいう私も朝食なし昼飯抜き(車内サンドのみ)でセミナーをした後でもあり、風の丘で小腹を満たしてICに乗り込むつもりだったのですが、土壇場で行く気が失せ、空腹のまま高速で一気に盛岡に帰りました。

もとより、遠野市民(遠野IC利用者)の大半はICの西側(風の丘・宮守方面)ではなく東側(市街地)に居住しているので、今後、ICの利用時に風の丘に寄る人は非常に少なくなってしまうのでは(結果、これまで県内では道の駅の最優等生とも謳われた風の丘の営業成績にも大きく響いてしまうのでは?)との印象を強く抱かざるを得ませんでした。

もし、遠野ICの入口となる連絡道路(猿ヶ石川に架かる橋)を、風の丘の敷地脇に作ってさえいれば、このような展開にはならないのでは(それこそ、東名高速の富士川楽座SAのように、事実上、SAと道の駅の双方を兼ねる施設として大いに発展したのではないか)と強く感じました。
http://www.fujikawarakuza.co.jp/

地図によれば風の丘の対岸には人家や工場があるようですので、そうした点が原因なのかもしれませんが、遠野ICや連絡道路の位置選定について関係者でどのような議論が交わされたのかご存知の方がおられれば、ぜひご教示いただければと思っています。

今日(17日)も法テラス気仙の日曜相談の担当日となり大船渡に来ましたが、昼は「ラーメンパスポート」を利用したいと思って、市内にあるパチンコ店の建物内にあるラーメン店に行きました。

日曜なのに、パチンコ店の広い駐車場はほぼ満車状態といってよいほど埋まっており、食堂でも、いかにもという感じの寂しそうな眼差しの中高年男性を多く見かけました。

すでに5年近くを過ぎ、被災直後に陰口?のように言われた「義援金で云々」ということもないのでしょうが(建設・土木などの従事者で復興特需による給与を原資にという人ならいそうな気もしますが)、「日曜最大の繁盛店がパチンコ店」というのは、被災地に限らず高齢化等が進む過疎地一般にあてはまることなのかもしれません。

今日は末崎半島の方まで運転してきましたが、そうした光景も視野に入れると、「地域最大級の集合住宅」という様相を呈する災害公営住宅であれ防潮堤の巨壁群であれ、各種の大型の土木・建築工事が進んでいる沿岸一帯の風景についても、人々の精神的なつながりが薄れたり損なわれたりしている姿に光があてられないまま、ハコモノやカネばかりが投入されているような感じがしないこともなく、複雑な心境を禁じ得ない面はあります。

小規模弁護士会という「地域法務の大企業」と田舎の町弁の未来の働き方

半年ほど前から、著名ブロガーのちきりんさんのブログを読むようになり、その関係で著書も読んでみたいと思って、10月頃に「マーケット感覚を身につけよう」を読み、正月は、文庫本化された「未来の働き方を考えよう」を読みました。今回は後者について少し書いてみようと思います。

本書は、20代で大企業に就職するなど従前の社会で典型的な生き方を選んだ(そこに収まった)方も、40代でそれまでの経験などを踏まえて個としての可能性をより追求する新たな生き方(職業人生)にチャレンジすべきという趣旨のことを、まさにそうした生き方を辿ったご自身の経験や詳細な社会分析を踏まえて語った本です。

平成25年に出版された本ですが、内容は全く陳腐化しておらず、賛否両論ありそうな記載も幾つか見受けられますが、多くの方にとって学ぶところの多い一冊だと思います。

私自身40代に突入して間もない上、25歳で弁護士になり、15年以上、東京と岩手で町弁として生き、「公」はさておき「私」の部分では一定の達成感もある一方で、弁護士業界自体が大増員などで非常に混沌とした状況にあり、弁護士として生きていく場合でも従前と異なる新たな生き方が求められている(そうでなければ生き残れない)という点で本書がターゲットにしている層そのものと言え、そうした点でも大いに参考になりました。

また、本書では、近時の家電大手の凋落や過去に生じた幾つかの伝統的な重厚長大型の大企業の凋落などを例に、大企業に依存する生き方はリスクが大きくなりつつあるという点が強調されているのですが、そこで描かれている大企業像は、地方の弁護士にとって見れば、地元の弁護士会の姿と重なる面が大きいように思いました。

少し具体的に言うと、岩手(なかんずく盛岡)では、私を含む若い世代の弁護士が訴訟などの仕事を受任したいと思えば、独自に自分の事務所の宣伝をするよりも、弁護士会(盛岡の相談センター)で行っている法律相談を担当するのが最も近道である(それだけ弁護士会の相談には強力な顧客吸引力があり、委任希望のご依頼が集まってくる)という面があります。

私は平成17年から事務所のWebサイトを開設しており、平成20年頃までは他にサイトを開設する事務所は県内にはなく、盛岡市に限っては平成23年頃からようやく他の先生も開設をするようになったのですが、岩手はネットで弁護士を探すという文化については需給とも「周回遅れ」の面があるせいか、かつては債務整理以外の相談依頼を受けることはさほど多くはありませんでした。

近年そうした文化がようやく普及し始めたのかなと感じた矢先、債務整理の需要が激減した上、ここ1、2年は市内の有力な先生もWeb上で熱心に宣伝をなさっているせいか、数年前と比べてもHPルートでの依頼を受ける機会はかなり少なくなったように感じます。

これに対し、弁護士会の法律相談は後述のとおり10年前に比べて担当回数が半減しましたが、毎回、概ね満員となっています(震災前の時期は他県と同様に有料相談が廃れそうな様相も呈していましたが、震災無料相談が導入されたことで、劇的に息を吹き返しました)。

もちろん、私が担当日に弁護士会に行くのも事務所で相談を受けるのも「小保内が担当する相談」という点では何ら違いがなく、むしろ、必要に応じ書籍等を確認して回答し時間なども融通が利く当事務所での相談の方が、利用者にとっては利便性が高いことは確かだと思います(私に限らずですが)。

また、岩手弁護士会(盛岡)の相談センターは、盛岡市内の弁護士が交代制で担当しているため、数年前は概ね1ヶ月に1回、新人が急増した現在は2ヶ月に1回程度の頻度で担当しているのですが、相談者にとっては「当たりはずれ」のリスクは否めません。

現に、これまで依頼を受けた方から何度か、法テラスや弁護士会の相談で、年配の弁護士から酷い対応を受けたとか若い弁護士が要領を得ない説明を受け、私と話をして初めて得心できたというお話をいただいたことは何度かあります(かくいう私自身が、逆のように言われることもあったかもしれません。そこは、私の研鑽の問題を別とすれば、相性というほかありませんが)。

それでもなお、多くの方が個々の事務所にアクセスするよりも弁護士会の相談センターの門を叩く方を選ぶのは、個々の弁護士(法律事務所)よりも「相談や仕事を頼みにいく先」として県民・中小企業にとって圧倒的なブランド力があると認知されているからなのだと思います。

そのような光景に接していると、県民(利用者)の多くは、弁護士会が実施する相談事業を、あたかも田舎の県立病院のような「地域で圧倒的な規模を持つ一個の大病院(への通院)」のような感覚で捉えているのかもしれない、という印象を受けます。

また、そのように感じるだけに、激増による競争の深刻化と「利用者が自ら弁護士(受注者)を調べて選ぶ文化の未成熟」という2つの事象の組合せによる結果として、個々の弁護士(町弁)が、仕事の供給源たる「地域の大企業」としての弁護士会に対し、ますます依存度を深めていくのではないかと感じるところがあります。

とりわけ「若い弁護士が会務を一生懸命行うと、要職を歴任し豊富な人脈を有するベテランの先生から引き立てられ、様々な仕事・チャンスを紹介して貰える」ということは昔から言われていることで、そうした文化(ひいては弁護士会への依存)という傾向は、今後むしろ強まっていく面はあるのかもしれないと感じるところはあります。

恥ずかしながら、私の場合、東京時代から会務など(東京の場合、弁護士会とは別に派閥云々もありますが)への関わりが薄かった上、岩手に移転後は、債務整理特需の全盛期+家庭の事情で弁護士会の会合・飲み会に足が遠のいていたところ、いつの間にか、すっかり窓際族で定着してしまった感があり、最近は、私よりも何年も後に弁護士になった方が、遥かに「弁護士会の重鎮」として活躍されているようです。

もともとそうしたキャラではあるのですが、上記の事情から、事務所経営者としては、遅まきながら会務に積極的に関わらないと事務所の存立そのものも危ういかもしれないと、恐怖を感じるところはあります。

但し「弁護士の盛岡一極集中」という岩手の特殊性の裏返しとして、盛岡以外の他の地域で開業されている方はもともと弁護士会に仕事の供給を依存する必要が乏しく裁判所からダイレクトに受注する面も大きいので、以上に述べたことは盛岡=県庁所在地に限った現象というべきかもしれません。

ちなみに、本書98頁では「大組織に(幹部候補生として)就職することは、これだけ良いことずくめだったが、今やそのメリットは毀損されている」として、高給や安定、キャリア形成のチャンスなどが上記のメリットとして説明され、他方で「大企業を辞める人が重視する価値」として、様々な自由や「組織の序列、くだらない形式的な仕事」に人生を奪われないことなどが挙げられていますが、それらは、地方の弁護士における「一匹狼でいるより弁護士会に積極的に関わるメリット、敢えて関わらないメリット」と、重なるような気がします。

ちきりんさんのブログでは「大企業に依存する社会・人生」の減退ないし終焉・脱却(とこれに伴う個の復権)が現在の社会のトレンドになっているということが繰り返し強調されているのですが、地方の弁護士会は「周回遅れ業界」に相応しく?これまでは「個」が中心ないし基本であったものが、かえって弁護士会が地域の大企業(受注と供給の受け皿)としての性質をますます強めている(個々の弁護士の依存の度合いが深まる)かもしれない感じ、それを前提に、組織での出世に微塵も向いていない私が何に活路を求めていくべきか、悩んでいるというのが正直なところです。

基本的には、もはや後戻りは困難として弁護士会に依存しない形での仕事の獲得に力を入れたいのですが、地方の弁護士業界の「市場化」はまだまだ文化としては未成熟との感は否めず、そういう意味では周回遅れの宿命を負った業界で、伝統的な手法に依存せざるを得ない面は強く感じます。

もともと、我が国は、「平家、海軍、国際派」は出世できず、「源氏、陸軍、国内(内務)派」が主流を占める社会とされ、異質な他者(国外)と自由に幅広く接するよりも、同質的な身内を秩序で固めていく方が好ましいとされてきた組織ないし社会の文化があります(岩手弁護士会に関しても、そうした傾向を感じる面は率直に言ってあります)。

ちきりんさんは前者そのものといった感がありますが、私は、キャラは地味(後者)なのに生き方や志向は前者派という感は否めず、そうした「生き方の分裂」が生じているせいか、どこに行っても集団内の路線(多数派)との関係で不適合が生じたり「場の空気」に馴染めず内部で厄介者扱いされてしまう面があるように思います。

現代の急激な社会の変化の中で、そうした日本の風潮が多少でも変わるか、それとも、やっぱり「平家」は社会の閉塞感が高まっているときに一時的にもてはやされても短期間で退潮していくのか、また、変容の源とされる情報通信技術(コミュニケーション技術)の変革(IT革命)が日本社会の中で本当に「革命」と言えるか、それとも単なるクーデター=体制内権力者の交替の手段に止まるのかという視点も交えながら、弁護士会ひいては遠からず大変容を余儀なくされるであろう弁護士業界と向き合っていきたいと思っています。