北奥法律事務所

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中小企業家同友会の講義と企業経営という「地味な憲法学」の現場

数年前から岩手県中小企業家同友会に加入していますが、先日は11月例会があり、参加してきました。

今回は、広島県福山市で㈱クニヨシという鉄工所(船舶、道路、航空機などに用いる各種備品などの製造業)を経営する早間雄大氏の講演があり、厳しい状態にあったご実家の小さな鐵工所を短期間で大きく躍進させた企業家の方に相応しい大変エネルギーに溢れた講演で、大いに参考になりました。

同友会の例会は、1時間強の講演の後、休憩時間を挟んで、1時間弱の時間を使って、中小企業の経営のあり方などについて特定のテーマを与えられ、6人前後のグループでディスカッションして最後に各グループの代表が発表するというスタイルになっていますが、今回は早間氏から「自主、民主、連帯」というテーマで議論せよとの指示がありました。

で、私のグループでは、数人ないし十数人の従業員さん(同友会では、必ず「社員」と呼びます)を擁する企業や事業所の経営者や管理職の方がいらしており、例えば、「自主とは、自分をはじめ各人が、業務の従事者として必要十分な仕事を進んでできるよう身を立てること」、「民主とは、社員全員が、真っ当な従事者として行動できるような会社づくりをして、それを前提に社員一丸となって企業のよりよいステージを目指すべきこと」、「連帯とは、それらの積み重ねを通じて、社会全体に価値を提供し増進すること」といったことなどが、各人の業務や社内外の人間関係に関する経験談などを交えて、それぞれの言葉で語られていました。

法律実務家としては、そうしたお話を伺っていると、憲法学のことを考えずにはいられない面があります。

どういうことかといいますと、司法試験で憲法の勉強をはじめた際に、個々の制度や論点を学ぶにあたって、「自由主義(各人の人権と人格の尊重)」と「民主主義(多数派の合理的判断)」との対立と調和という視点を意識するようにという話を最初に教わったのですが、「自主と民主」という話は、それと通じる話ではないか、また、「連帯」は、憲法学的に言えば現代の福祉国家現象(広義の公共の福祉の増進のための国家や社会の役割の増大)に通じるのではないかと感じました。

憲法学は、「普通の町弁」にとって司法試験合格後はほとんど接する機会のない学問で、私の理解も十分なものではないでしょうが、今回の講義や討議は、「一人一人の多様かつ尊厳ある自由と、多数決などを通じた国家や集団による統一的な意思決定システムとの対立と超克を通じて、社会の健全な発展と人々の幸福(広義の公共の福祉)を目指すべき」という日本国憲法の基本理念を、中小企業の運営のあり方(苦楽の現場)を通じて学ぶといった面もあるのではと感じました。

以前、JC(青年会議所)が掲げているJCIクリード(綱領)について、日本国憲法との類似性を詳細に記載したことがありますが、私の場合、時の政権への反対運動のような憲法論やその逆(戦前回帰云々など)の運動といった類の「派手な憲法学」よりも、個々の現場での地道な日本国憲法の実践を感じる営みを発見、発掘し、私自身がその現場にどのように役立つことができるかを考える「地味な憲法学」の方が、性に合っているような気がします。

ところで、同友会の例会は「成功している社長さんによる創業から現在までの谷あり山ありの経験談を、社員さんとの関係づくりを中心に伺う」のが典型となっていますが、数十人~百人規模の企業の運営と、弁護士一人・職員僅かの法律事務所の運営や弁護士の業務を重ねるのは難しく、どのようなことを例会で学んだり討議で話したりするのが良いのか、今も試行錯誤というのが正直なところです(また、恥ずかしながら、私に関しては「本業の営業」には滅多に結びついていません)。

ただ、この仕事をしていると、中小企業の経営者や管理職の方から、実際に生じた事件、問題について様々なご相談を受けることはありますが、紛争とは離れた普段の中小企業の実情や経営者等の意識を学んだり肌で知るという機会は滅多になく、こうした場に身を置くことで、今後のご相談などにも深みのある対応ができる面はあるのでは、さらには、「顕在化していないニーズ」などを先んじて見極めて提案できるといったこともあるかもしれないと信じて、なるべく参加していきたいと思っています。

早間氏の講演でも、「営業しなくても仕事がやってくる企業や指示待ちではない社員の育成」、「企業の強み(専門性)を生かしながら幅広い業界のニーズに応える努力」といったことが強調されていました。

田舎の町弁業界は、数年前までは営業しなくとも仕事がやってくる典型的な寡占商売(極端な供給不足)の世界でしたが、それが様変わりした今こそ、多くの競争相手がいても本当に「営業しなくとも仕事がやってくる弁護士」になるため、考え、実践しなければならない課題があまりにも多くあるというべきで、今回の講義も、その糧にしていかなければと思っています。

南部人たちの桜

平成25年1月に盛岡の先人(明治~戦前に活躍した方々)について少し書いたものを再掲します。

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平成25年に放送された大河ドラマ「八重の桜」で、明治維新期における東北の苦闘の歴史に光があてられていますが、旧南部藩に身を置く者としては、岩手方面も取り上げていただきたいと思っているところです。

岩手県二戸市は、八重から少し遅れて出生し、東京帝大物理学科の第1期生となり、日本の物理学、地震学等の父と言われた田中舘愛橘博士を輩出しているのですが、現在(※この投稿の掲載時)、盛岡市中ノ橋通の「盛岡てがみ館」では、愛橘博士の業績や親交などをとりあげて展示をしています。

本日、弁護士会の相談担当日だったので、遅まきながら、昼食の合間に見に行ってきました。

盛岡市の事業という性質もあり、盛岡の同時代人と博士との親交に関する展示が多いのですが、その中に、「博士と親交があった旧制盛岡中学(現・盛岡一高)の先生(既に高齢の方)を教え子達が祝う会の写真」というのがありました。

で、そこに写っている面々なのですが、愛橘博士とその先生を真ん中に、蒼々たるという言葉を超えて、物凄い面々が取り囲んでいました。

まず、両隣を板垣征四郎(大戦当時の陸軍大将でA級戦犯として刑死)と米内光政(海軍大将から首相となり、海軍の対米穏健・戦争回避派の筆頭格)が座っており、その横には、鹿島(岩手発祥の日本最大の建設会社)の社長や三井物産?の役員(社長?)、金田一京助(国文学者)などが並んでおり、解説には、既に亡き石川啄木も彼らの同級生(又はその前後)であった旨の記載がありました。

恐らくは、大戦の数年前に撮影された写真と思われますが、当時の陸海軍、財界、学界に大きな力を持っていた人々が一堂に会した場と評して差し支えなく、もし、原敬(旧盛岡藩家老職の家柄に生まれた元首相。愛橘博士と同世代で仲も良かったものの、暗殺で死亡)も存命でその席に加わっていたなら、改めて、「南部にとっての明治維新は、この場をもって完全に終わったのだ」と高らかに述べたのかもしれません。

いずれ、大河ドラマなどで、「南部人たちの桜」とでも題して、こうした人々の群像劇を取り上げていただければと思っています。

余談ながら、ネットで色々見ているうちに、こんな本も見つけたので、読んでみたいと思いました。

「まちの本屋さん」が語る、法律事務所の営業と未来

私は盛岡駅フェザンのカード(常時5%引)を所持している関係で、一般書籍は盛岡駅のさわや書店で購入することが多いのですが、そこの店長をなさっている田口幹人さんが「本屋道」を熱く語った本を上梓され、店内でも販売されていたので、さっそく購入して一気に読み終えました。

本書は、田口さんがフェザン店の店長になるまでの軌跡(山間部にあるご実家の書店で読書を愛する人々に囲まれて育ったこと、盛岡市にかつてあった第一書店の勤務時に、業界では著名なさわや書店の名物店長さんと出逢い薫陶を受けたこと、ご実家を継ぐも時代の変化により経営環境があまりにも厳しく閉店を余儀なくされたことなど)が語られた上で、さわや書店の取り組みを通じて世に知られていなかった名著に光があたり新たな営みが生じたこと、地域で活躍する方への出版の支援や地域の様々な方を巻き込んだイベントと書籍販売との連動などが、幾つかの書籍を例にして説明されています。

全体として、地方都市に進出する巨大店舗やネット直販などの「書店を巡る現代的事象」と前向きに相対しつつ現代の「まちの本屋」の果たすべき役割や生きる道を模索する内容になっており、書店・出版業界に限らず、弁護士業界を含め、同じような激動に晒されている様々な業界のあり方などを考える上でも、参考になるところが多い一冊だと思います。

とりわけ、「本」を「弁護士が提供するリーガルサービス」に置き換えると、例えば、「本は、新刊の際に売れるとは限らない、その本に合った旬があり、それを捉えて売り出すタイミングを見極めるべき」という下り(26頁)は、新たな法律や判例などが直ちに社会に広まり、それを巡って弁護士の出番が来るわけではない(社会の熟度を見極めるべき)ということに繋がり、それを自身の業務や「営業」に活かしていくかを考える上で、参考になる面が大きいように思われます。

また、「本を置けば売れた時代があった、工夫すればさらに売上を伸ばすことができた、現在は、手を掛けても、成果を得るまでに要する時間と労力が、売上と釣り合わないところまできている」(160頁)というのは、恥ずかしながら極端な供給過小から供給過剰(と需要の縮小?)に向かっている過去と現在の町弁業界が置かれた状況そのものと述べても過言ではなく、それだけに、よりシビアな社会で生き残るため、地域に根を張り様々な工夫で苦闘を続けている「まちの本屋」の取り組みから学ぶべきことは多いのではないかと思います。

また、弁護士は「本」との比較では、サービスの中身を担う張本人(いわば、著者)であると共に、自らサービスの販売を行わなければならない(出版社ないし書店員)上、お店(法律事務所)の経営者でもあるという点で多面性があります。

そのような観点から出版・書店業界の様々な当事者の取り組みを参考にしたり、その文脈だと「書店員」に近い立場と言えそうな法律事務所の職員について、営業面をはじめ、今後、業界の活性化のため、どのように役割(活躍の場)を拡大させていけるか(さらに、誤解を恐れずに言えば、地位を向上させることができるか)という点でも、考えさせられるところがあります。

と同時に、「本屋は文化を売っているのではなく商売をしているのだ、だからこそ「今日行く」と「今日用」=現に顧客の役に立つことを通じて社会貢献(教育と教養)を図るべきだ」という下り(107頁)も、ともすると、現実的な権利救済や利害調整などからかけ離れた「高邁な理想」を強調しがちな弁護士業界としては、特に留意すべきことではないかと思っています。

私は、著者の田口さんのお父さんと面識があり、本書でも描かれているように、過疎地での書店経営の傍ら、本を通じて地域の文化を向上させたいとの強い思いを持って、色々と活動をなさっていたというお話を伺ったことがあります。

かくいう私自身、二戸という田舎町で育ち、少年漫画と歴史漫画中心という有様とはいえ、子供の頃は近所の書店に入り浸って少年時代を過ごした人間でもありますので、それだけに、田口さんの実家のような「田舎町の小さな書店」の存立が困難になっている現代で、過疎地に生まれ育つ子供達などの交通弱者にどのようにして「知の世界」への親和性を育んでいけるかという点は、大いに気がかりなところです。

田口さんは、私とは同じ年のお生まれとのことですが、本屋さん達に限らず、私も含め、地域に根を張る様々な立場の方が、そうした問題意識を共有し、それぞれの現場を守り、より良いものに磨き上げながら、社会のためにできること、すべきことを地道に実践していければと思っています。

葬儀会社と葬儀トラブルの急増

ここ数年、「多死」時代の影響もあってか、葬祭場の建設などが非常に増えているように感じますが、それに伴い、葬儀会社と利用者とのトラブルも増加傾向にあるようです。

1ヶ月ほど前、盛岡の某寺院のご住職(正式な肩書は違いましたが、要するに寺院の責任者の僧侶の方)から仏教に関する説話を拝聴した際、最近、葬儀業者から理不尽な被害を受けたと檀家さん?から相談されることが増えているとのお話を伺いました。

先日、葬儀業者からの不要・過剰サービスの「押し売り」による被害を伝えるニュースがありましたが、そのご住職が紹介された事例も、時期や期間などから必要ないと思われる「遺体保存のドライアイス」のサービスの押し売りのようなことをされて数十万円?を請求され、断り切れずに泣く泣く支払ったというもので、引用のニュースとよく似ています。

その件の当事者は古くから地元でなさっている業者さんではなく、最近になって進出してきたところとお聞きした記憶ですが、その業者かどうかはさておき、県外からの進出企業の中には内部のコンプライアンスに問題を抱えた会社もあるという噂話を聞いたことがあります。

何年も前ですが、県内の冠婚葬祭業者さんが倒産して管財人を担当したことがあり、その際、その企業の施設の購入を検討しているという多くの会社の方にお会いしたのですが、その中に問題があるとの噂を聞いていた企業さんがあり、色々と考えさせられる面がありました(ただ、その件では物件自体に様々な難点があり、任意売却はできず競売(破産財団からは途中で放棄)になりました)。

それはさておき、馴染みのない業者さんに依頼なさるのでしたら、引用記事のように、高額なお金が絡む売り込みが出た際に備えて、ご親族など信頼できる第三者の立会を求めるなどの予防策をとっていただいた方がよいのではと思いますし、私はまだ経験がありませんが、消費者契約法などで救済可能な事案も相応にあるでしょうから、次善(事後)の策として、弁護士等へのご相談も検討いただいてよいと思います。

ところで、葬儀や墓石等を巡っては、それぞれの家庭等で、どの程度の費用を投じてどのような規模の葬儀等をするのが賢明なのか、事前に学ぶなどの機会が滅多になく、利用者として相場観が掴みにくいという問題があるかと思います。

ただ、葬儀の方法・規模などは個人差が大きいでしょうから、全体の相場では参考としての意義が薄くなり、他方、個別のサービスごとに分けても細分化し過ぎて利用者サイドも馴染みにくいという問題があるかもしれません。素人感覚では、敷金トラブルのように?消費者庁や業界団体などが協議してガイドラインが作成されればよいのではと思いますが、裁判例の集積などがないと、議論がまとまりにくいかもしれません。

事務所にどんな本があるか確認したところ、このテーマをずばり扱っている本を見つけたのですが、一つ一つの項目を見ると、問題提起(論点拾い)はとても良いのですが、解決のあり方については抽象的というか、歯切れの悪さを感じる内容になっていました。恐らく、敷金などと違って、まだ裁判例が多くはなく、踏み込んだことを書きたくても書きにくいという面があったのではないかと推察します。

今後は、適格消費者団体と関わりのある弁護士さんなどによる差止訴訟などが増えていくのではないかと予想しますが、その集積を待つわけにもいかないケースも多いでしょうから、例えば、その種のトラブルに対応するための弁護士費用特約などが生命保険等に付された形で販売、普及されれば、「泣き寝入りの防止」という点では、良いのではと感じています。

無戸籍者問題と親子関係の存否確認などに関する弁護士の役割

弁護士会で、「無戸籍者の支援及び関連業務を行う弁護士の名簿を作るが、搭載には弁護士会の研修の受講が必須」との通知があり、先日、行われた研修に参加してきました。

といっても、日弁連の「子どもの権利委員会」が8月に行った2時半半の講義に関するDVD視聴研修で、講師の方も一方的にまくし立てるような話し方で、音声の問題もあって聞き取りにくく、大半の時間は配布されたレジュメを読んでいたというのが正直なところです。

なお、11日には日弁連主催の相談会が全国一斉に行われたそうです。

「無戸籍児」は、民法772条(離婚後300日の嫡出推定)の関係で、いわゆるDV夫から逃れるようにして離婚した妻が、出生届を機に、前夫に消息を突き止められるのを避けようとして生じるのが最も多いとされ、また、もう一つの典型として、婚姻期間中に他の男性の子を宿した方が、出生した子が前夫の子として取り扱われるのを避けようとして、出生届を出さないことにより生じることも多いとされています。

無戸籍者は、他のレアケース(認知症問題など両親が役所に届け出るだけの意思や能力等を欠く場合)も含め、法務省が把握しているだけで全国に600人以上いるとされ、推定で1万人に達するのではなどという見解もあるようです。

研修でも散々述べられていましたが、弁護士としては、超不採算の可能性の高い類型の仕事だとは思われるものの、「無戸籍」ではない方の親子関係などを巡る法律問題にも応用の利く事柄であり、それなりに関心を持って拝聴しました。

とりわけ、無戸籍の方を実親の戸籍に記載させるための「就籍許可の審判」については、今回はじめて知ったこともあり、色々と勉強になりました。

私自身、数年前に、「実母が、何らかの事情(婚外子?)で自身の戸籍に子を届け出ず、親族の子として届け出させた(との申出が、実母の死後、子からなされた)という事案」で、実母の財産に関する相続手続の必要から、親子関係を証明して相続手続を行いたいとのご依頼を受けたことがあります。

その件では、親子関係を証明する資料が乏しく(臍の緒はありましたが、DNA鑑定に用いることは無理だと言われました)、正面突破が難しいとのことで、他の方法に依らざるを得ませんでしたが、その際、親子関係の存否証明に関する立証方法について色々と調査、研究したことあり、レジュメにその点について記載があったので、懐かしく感じました。

「無戸籍」に限らず、数十年前の日本では様々な事情から真実の親子関係とは異なる届出がなされたことも多くあり、それが、今になってツケを払えと言わんばかりのように問題になるということは、決して珍しいことではありません。

まして、無戸籍者問題に見られるように、戸籍を巡って何らかの形で子が犠牲になる事態は現在も生じているわけで、そうした問題を放置せず解決に導くことは、少子化云々に触れるまでもなく、現代社会が取り組むべき事柄の一つであることは明らかだと思います。

そうした観点から、地域内で問題を抱えている方について、当事務所にもお役に立てる機会を与えていただければと思っています。

報道によれば、再婚禁止期間(民法733条)と夫婦別姓に関する憲法適合性を判断する最高裁の判決が近いうちになされると見られており、嫡出推定の問題も含む子の利益・権利のあり方という観点も交えて議論が深まってくれれば、なお良いのではと思います。

不倫問題などを巡るミニ講義~盛岡北RC卓話から~

先日も書きましたが、盛岡北RCの例会で卓話を担当することになり、「男女の愛と不倫を巡る法律実務~あるロータリー会員家族(架空)を巡って生じた、起きて欲しくない物語から~」と題して、以下の事例(設問)をもとに主要な論点や実務の考え方(相場観)をご説明しました。

その上で、法律の根底に「両性の本質的平等と個人の尊厳」(憲法24条、13条)があり、慰謝料の発生や算定は、これが損なわれ、踏みにじられていると裁判所が判断するかという点が大事であること、どのような事象がそれらの中核を成すかは時代により移り変わること、だからこそ、男女の関わりという愛や性など様々な欲と業が絡む問題について、「尊厳」を踏まえた上で、人の心の深淵の質を高める叡智と工夫、配慮が必要ではないかということを、まとめとしてお伝えしました。

ただ、「男女の愛と不倫を巡る法律実務」と題したのに、紛争を通じた「愛」のことまでお伝えするだけの時間はなく、その点は残念でした。

ご夫婦の性的な事柄が絡んだ事件で、「愛のカタチ」を考えさせられたことがあったので、そうしたこともお話できる機会があればとは思ったのですが、やっぱり、私の身には余るテーマというべきなのかもしれません。

テーマの性格もあり、私には珍しく笑い(苦笑?)の絶えない卓話になりましたが、離婚や不倫、男女トラブルを巡る法律問題は、田舎の町弁には「スタンダードな業務」の一つで、実務経験を交えてお話できることも多いので、セミナー講師のお誘いなどありましたら、ご遠慮なくお声掛け下さい(笑?)。

なお、不倫など男女トラブルを巡っては、以前にも投稿したことがありますので、関心のある方は参考になさって下さい。

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盛岡市内の某RCの会員であるA氏(60歳)は妻のBさん(58歳)と二人三脚で会社を経営し、市内有数の事業家として大成した。

AB夫妻には、長男C(37歳)、長女D(33歳)、次男E(28歳)の3人の子がおり、A氏の事業を支えるCは、妻F(30歳)との間で2名の子G、Hを授かっている。

Dは、夫I(39歳)と10年前に結婚し、子Jと3人暮らしである。Eは独身だが、K女(23歳)と3年ほど交際している。

(1) Cは、半年ほど前から取引先のL女と情を通じ、出張名目でLと旅行に行くなどしていたことがFに発覚し、Fは、子G、Hを連れて実家に戻り別居した。

FはCに対し、①離婚、慰謝料、財産分与、離婚後の子の親権・養育費の支払を求める調停、②離婚までの生活費(婚姻費用)の支払を求める調停を起こしたが、CはLと不倫をしていないと主張して離婚を拒否し、①の調停は不調に終わった。Fは、Cに対し上記①の各事項、Lにも慰謝料の支払を求めて訴訟提起を予定している。

Fの立場で、C及びLへの請求内容や立証を巡り検討すべき点を論じなさい。

(2) 時を同じくして、Dの夫Iにも、先日、同僚のM女と情を交わしたことが発覚した。Iは、不倫は認めた上で、Dとは5年以上前から口論などをきっかけに険悪になり、家庭内別居と性的関係を欠く状態が続いており、婚姻関係は破綻し賠償責任はないと主張し、Mとの再婚を希望してDに離婚を求めてきた(不和については、一方のみに責任があるのではなく「お互い様」というべきもの)。

これらの事実に争いがないことを前提に、I及びMのDに対する慰謝料支払義務の存否や程度(金額)、IのDに対する離婚請求の当否について論じなさい。

(3) 1年前、KにEとの交際に基づく妊娠が発覚し、Kは出産を望んだが、Eの頼みでやむなく中絶したことがあった。Eは、嘆き悲しむKを慰めることもないまま、一方的に連絡を絶ち、他の女性と交際を開始したため、Kとしては、Eに慰謝料の支払を求めたい。Kの請求は認められるか。

(4) Aは、これらの事態がきっかけでBと不和になり、いわゆるクラブに入り浸るようになって、ホステスNと懇意になった。Nは、Aには全く恋愛感情は無かったが、客として頻繁に来店して欲しいという営業目的で、Aからの性的関係の求めに応じ、その際も対価のやりとりをしていたが、不倫旅行などはせず、時折、ラブホテルを利用した関係が続いたのみであった。

数ヶ月後、探偵に調査を依頼しその事実を知ったBは、Aとの離婚は希望しないが放置もできないとして、A及びNに慰謝料と探偵費用などを請求したい。Bの請求は認められるか。

弁護士列伝のインタビュー記事と岸巌先生の言葉力

平成23年に、弁護士紹介サイト「弁護士ドットコム」が当時、全国の弁護士さんに取材し、毎日のように更新(連載)していた「弁護士列伝」という企画の取材依頼を受け、下記の記事を掲載していただいたことがあります。

幸い、今も掲載(公開)が続いていますが、サイトが閉鎖されることも想定し、データの予備として、勝手ながらこちらにも転載させていただくことにしました。

記事の中で、「ボスから、法律家は、法律3割、その他7割との教えを受けた」との部分がありますが、私が東京時代にお仕えした岸巌先生のインタビュー記事も、幸い、今も掲載されています。

岸先生は、残念ながら平成25年頃にご病気のため亡くなられており、インタビュー記事は平成22年(奇しくも、震災のちょうど1年前)に掲載されていますが、長い間、闘病生活を続けてこられた関係で、かなりお痩せになっているように見えます。

で、記事を拝見すると、やっぱりというか、上記と全く同じ言葉が語られていた上、学生記者の方も、この言葉が一番、心に残ったと述べています。

さらに言えば、私の記事を平成23年の掲載時にfacebook上で紹介したところ、大学の先輩でもある司法書士のF先生からコメントをいただいたのですが、その中でも、やっぱり岸先生のお言葉が印象に残ったと仰っていました。

そうしたことを思い返すと、改めて、岸先生の「言葉の力」には凄いものがあるというか、ご自身の実践や積み重ねがあってこそのものではないかと感じました。

私にとっては「とても近寄りがたい、オーラの塊のような大先生」でしたが(私と入れ替わりで独立された兄弁の先生も仰っていましたが、電話口でも直立不動になってしまうようなところがありました)、改めて、岸先生から今、何を学べるか、学ぶべきか、問い直してみたいと思っています。

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小保内義和先生にインタビューをさせていただきました。

Q1.弁護士になろうと思ったきっかけを教えてください。

A1.身も蓋もない回答をすれば、「一匹狼でも生きていける弁護士業の方が、窓際に追いやられそうな役人などより自分の性分に合うと思った上、大学受験で唯一合格できたのが中央大で、入学直後に真法会という業界では著名な司法試験受験生の養成団体の入室試験に合格できたので、その際、自分の道が定まったと思ったから」です。

ただ、これではつまらないので、長たらしい蛇足を加えると、次のようになります。

私の故郷である岩手県二戸市は、「豊臣秀吉天下統一の最後の戦が行われた地」として、一部の歴史ファンに知られています。一般的には、関東征服(北条氏滅亡)の際に、伊達政宗を筆頭とする東北の諸将が服属して統一が実現したかのように誤解されていますが、北東北のうち現在の岩手県北から青森県東部の一部地域だけは、名実ともに秀吉の支配に服属しない状態になっていました。

当時、北東北は、覇者・南部氏の跡目争いに一応勝利した南部信直、分家筆頭の九戸政実、南部氏から一方的に独立宣言をした津軽氏の3者が三つ巴で抗争しており、このうち信直公と津軽氏は小田原に参陣し本領安堵と引き換えに抗争停止命令に従いましたが、政実公は参陣せず服属を拒否したことから、豊臣秀次を総大将、徳川家康を副大将とし豊臣・徳川・東北の諸将が率いる大軍が、政実公の居城・九戸城に押し寄せました。

対する政実軍は上方軍の十分の一に満たないものでしたが、上方軍の総攻撃によく耐え、戦争では落城しませんでした。長期戦を恐れた上方軍は、政実公らが詰め腹を切れば他は助けると勧告し投降させましたが、とんでもない騙し討ちで、開城直後、上方軍は女子供を含む籠城者全員を殺戮し城を焼き払ったと言われています。

その後、秀吉から九戸氏旧領全域の支配権を認められた信直公は、一旦は版図の中央にある九戸城に本拠を移すも、ほどなく豊臣諸将の勧めで伊達氏との国境に近い盛岡に遷都し、以後、二戸地方は我が国の歴史から忘れ去られ、経済的にも国内有数の困窮地域として苦難の道を辿ることになりました。

私は、実家が九戸城址の三の丸跡にあったため、幼少時からこの物語を知り、荒れ果てた本丸周辺の物悲しい空気に触れながら育ったので、自分も、理不尽に地獄を強いられた人々の血と涙に報いるような、何事かをしなければならないのではという漠たる思いを持っていました。

その後、将来は盛岡で定職を得て生活したいと思うようになった際、いつの頃からか、「盛岡は、敵将である信直公が九戸一族を滅ぼすのと引き換えに得た都である上、規模や地理的条件などから、北東北の盟主と言ってよい都市である。この地で正しい仕事をして人々の支えになり、社会を盛り立て、必要な存在として認められていくことは、まさに九戸城の人々が成し遂げたかった生き方ではないか。」と考えるようになりました。

他の道に憧れを抱いたこともありますが、最終的に、盛岡で弁護士として生きることが腑に落ちた理由は、そうしたことによるのではないかと思っています。

Q2.弁護士になって特に印象に残っている案件(事件)を教えてください。

A2.東京で4年半、岩手で7年近く仕事をしていますが、岩手での仕事について詳しく書くのは憚られますので(事務所Webサイトに少し書いています)、東京時代のことで、一つ挙げることにします。

弁護士2年目に担当した、ある刑事国選事件が執行猶予判決で終了した後、被告人のお子さんが以前に受傷した交通事故に関する賠償請求を依頼されました。受任時点で家庭内に複雑で特殊な事情があったのですが、途中でご家族の関係が変容し、法律上様々な論点を含む深刻な不和が家族間に生じてしまいました(具体的な説明ができなくて申し訳ありませんが、野島伸司氏脚本のドラマ並みの事情とだけ述べておきます)。

最終的に、交通事故の賠償請求は訴訟で相当の和解勧告を受けて解決し、ご家族の関係も社会通念に照らしやむを得ない形で決着しましたが、ご家族・親族の間を綱渡りするような思いでやりとりしなければならない面が多々あり、弁護士倫理など様々な点で貴重な経験をしました。

現在も、駆け出しの弁護士が、こうした「狭義の受任対象である法律問題とは別に、およそ教科書に手がかりがない複雑・困難な事情が存するケース」に直面し、自分なりに、人の道、弁護士のあるべき関わり方を悩みながら解決を模索していかなければならない経験をすることは、珍しくないと思います。

私がお仕えしたボスのお言葉ですが、法律家は「法律3割、その他7割」の心構えで、直面した紛争の正しい解決を考え、実現するための地道な努力を重ね、胆力を練り上げていくほかないと思います。

Q3.弁護士のお仕事の中で嬉しかったことは何ですか。

A3.月並みですが、一定の努力を尽くせば相応の成果が実現できると想定できた受任業務で、人事を尽くして成果を達成できたときは、いつも嬉しいです。

また、そうした際、依頼者の方から「貴方に会えて良かった」と仰っていただけるときには、この仕事に就いたよろこびを何よりも感じることができると思います。

反面、精根尽くして債務名義を得た途端に相手方が破産してしまうなど、物心共に報われない思いを強いられることも少なくないというのが町弁の現実です。

Q4.弁護士になって一番大変だと感じることは何ですか。

A4.事務所を開設する町弁は零細自営業者であり、業務を通じて社会の役に立ちつつ、事務所と職員の雇用を守る責任を負っています。

事務所を維持するに足る受注を確保すること、それぞれの受任事件で、依頼者・受任者双方が納得できる真っ当な業務や価格の水準を確保することの2点が、現在、最も腐心し、大変だと感じるところです。

私が盛岡に移転し独立した平成16年から数年間は、岩手全域が弁護士過疎地で、債務整理特需の全盛期でもありましたので、幸い、受注不足に困ることも事務所維持に必要な売上確保に困ることもありませんでした。

しかし、①債務整理特需の終焉、②若手弁護士の激増に伴う従来型ルートを中心とする弁護士個々の受任機会の減少、③東京の弁護士事務所等の派手な宣伝活動やコミュニケーションツールの活用による地方需要の吸い上げに加え、④東日本大震災に伴う被災県の社会・経済活動の停滞、⑤被災県の弁護士に期待される各種ボランティア活動への参加の必要などにより、地方とりわけ被災県で活動する町弁の事務所経営は、すでに非常に厳しい時代へと突入しています。

反面、これを裏返せば、①借金問題から解放された人々による新たな法的サービス需要の発生、②若手と連携した新たな需要喚起・活動領域等の拡大、③他の弁護士等の広報・経営戦略などの研究、④今後の復興活動等に伴う法的サービス需要の発生、⑤ボランティア活動を突破口とする新たな人脈・弁護士業務の開拓など、様々な可能性や好機が生じていると捉えることもできるわけで、詰まるところ、ピンチをチャンスに変える力が自分にあるのか、日々問われているのだと痛感しています。

文章ではあれこれ書いていますが、実際には内向的で引っ込み思案の性格なので、そうした自営業に向かないところが最大の問題なのでしょうが・・・

Q5.休日はどのようにお過ごしですか。

A5.イソ弁時代は、自宅で夕方まで寝て、日暮れ時に事務所に来て終電まで仕事をするような荒んだ生活をしていましたが、現在は、仕事と兼業主夫との両立に追われる日々です。

Q6.弁護士としてお仕事をする上の信条・ポリシーを教えてください。

A6.平成16年に東京を去り自分の事務所を開設すると決めたとき、自分が何のため、誰のために働きたいのか、色々と考え、自分がこだわりたいキーワードとして、北東北という概念に辿り着きました。

これは、Q1で述べたことのほか、父方の一族が大昔に秋田県田沢湖近辺の領主をしていたとの伝承があり、母が青森県東部の出身で幼少時には母の実家をよく訪ねていたなど、個人的にも北東北三県に関わりがあり、自分にとっての広義の故郷が、この3県を中心とする地域ではないかと感じたことによるものです。

そこで、北東北の人々や社会への貢献を事務所の存在意義(コーポレートアイデンティティ)として明確に打ち出したいと思い、北東北を意味する「北奥法律事務所」と名付けました。

今も、岩手だけでなく青森や秋田(特に両県の東部地域)の人々や社会のお役に立てる機会があればと思っていますが、管轄や経費の関係で業務として成り立たせるのは容易でなく、転勤族の方などに多少のお手伝いをするに止まっているのが実情です。

Q7.ご依頼者様に対して特に気を付けていることは何ですか。

A7.一筋縄ではいかない事件・論点などでは、ご自身が直面する法的課題について、「弁護士に任せて結論・成果だけを待ってなさい」とするのではなく、その課題の本質・病因がどのようなものか、論点の法解釈なども含めた解決のあるべき姿がどのようなものか、弁護士(私)なりの理解・考えを極力分かりやすく伝え、認識を共有いただいた上で、共に解決を勝ち取っていく態勢を作ることに腐心しているつもりです。

受任事件の方針に対する正しい判断を依頼者自身が行うために必要な理解を深めていただくことが主たる目的ですが、弁護士との共同作業を通じて、ご自身が法的紛争に対する理解・分析や解決の力を高め、今後に繋げていただくことができれば、広義の社会貢献ができたと言えるのではないかと思います。

結果として、例えば、相手方への通知書や準備書面などがくどい長文になることもありますが、分かりやすい言葉で言い分を尽くしてくれたと依頼者の方々から感謝いただくときは、自分の方針が間違っていないと安心するものです。

Q8.弁護士として特に関心のある分野は何ですか。

A8.ありふれた田舎の町弁の一人として、企業法務・知財・事業承継から債務整理・家事・消費者問題などに至るまで幅広い分野を射程にしていますので、関心も多種多様で、ここで延々と述べるのは適切ではありません。

ただ、敢えて一つ触れるとすれば、私の実家が零細ながら会社経営をしており、経営者の苦楽を垣間見て育ちましたので、中小企業のサポートになる類の業務には、特に関心を向けていると思います。今後、低額の顧問契約など、そうした方々との接点を高め、気軽に当事務所をご利用いただけるような工夫をしていくつもりです。

また、被災県の弁護士として、復興や街づくりに関して生起するであろう新しい弁護士業務に携わる機会を持てればとは思います。

Q9.今後の弁護士業界の動向はどうなるとお考えでしょうか。

A9.前記4のとおり、今後、町弁業界が厳しい時代を迎えることは間違いありません。その中で生き残る=選ばれる弁護士になるため、田舎の町弁も、①良質な受注機会の獲得、②受注業務を適正に解決するための研鑽の深化の双方を、ますます追い求めていかなければならないことは当然です。

①については、HPなど空中戦に力を入れるか、人脈づくり(地上戦)に精を出すか、各人で手法が分かれるでしょうが、②については奇策などあるはずもなく、基本書や判例雑誌、近時の実務状況をまとめた本などを地道に勉強し続けるほかありません。私自身は、これまで多少とも経験させていただいたように、地道に努力を続けていれば、今後も誰かがそれを見ているのだと信じて、腐らずに頑張っていきたいと思います。

Q10.先生の今後のビジョンを教えてください。

A10.当事務所は、債務整理特需の最盛期に事務局の増員とスペース拡張を行ったため、今後、これを維持できるのかという課題に直面しています。

弁護士を1、2名受け入れるだけのスペースがあるため、数年内には複数弁護士体制にしたいのですが、勤務弁護士に高収入を約束できる恵まれた事務所ではありませんので、どのような方法で弁護士の増員や経営安定を図るか、思案の最中です。

また、受注費用に関しては、公平さや透明の面からタイムチャージ的な手法による受注を増やしていきたいと考えており、この点も試行錯誤を続けています。

Q11.ページを見ている方々に対してメッセージをお願いします。

A11.都会の企業法務中心の大事務所など、私にとっても縁遠い世界のことは分かりませんが、少なくとも、地方の弁護士業界は、地元の著名企業など良質な顧客基盤を有し、伝統的な弁護士像を地でいく大ベテランの先生方を別とすれば、数年続いた債務整理特需の終焉と若手弁護士の大増員に不安を抱きながら、業務拡大など様々な模索を始めた変革期に突入しつつあると思います。

裏を返せば、ここ十数年間は、これまでに考えられなかった、新しく、現代に適合した合理的な弁護士の法的サービスを享受できるチャンスが到来したということでもありますので、供給サイド(弁護士)だけでなく、需要サイドの方々も、リーガルサービスのあり方について、検討を深め、弁護士業界に刺激を与えていただきたいと思っています。

Q12.ページを見ている法曹界を目指している方に向けてメッセージをお願いします。

A12.すでに延々述べてきたように、町弁業界は、厳しいピンチとチャンスの時代に突入しました。コストパフォーマンスの適正なども含め、真に社会に価値を供給できる法律家だけが生き残ることを許される、逆に、そうした法律家には、これまでの社会では実現できなかった多様な活躍の場が与えられるのだという認識をもって、研鑽に励んでいただきたいと思います。

また、法律以外の諸学問の基礎的理解は言うに及ばず、人情の機微に触れる力から未来の社会需要を見通す力まで、様々な力を養うための機会を大切にして下さい。私が言える立場ではありませんが、「ハンドルの遊び」があり、僅かな言葉・労力で相手を納得させる器量を持つ人ほど、多様な経験を重ね、センスやバランス感覚、胆力を養っていることは確かです。

私はそうしたものを養う機会をさほど持たずに実務家になりましたので、ツケを後日に支払うことになったとは思っていますが、それでも、学生時代や修習中に享受した幾つかの経験や業界の先輩を含む幾人かの素晴らしい方々から薫陶を受ける機会に恵まれたこと、様々なジャンルの読書などが、今の糧として生きていると確信しています。

Q13.その他特記したい事項やページを見ている方にお伝えしたいことがございましたらお願いします。

A13.当事務所のWebサイトも併せてご覧いただければ幸いです。
URL:http://www.hokuolaw.com/

<取材学生からのコメント>

今回、小保内先生にインタビューをさせていただきましたが、とても濃い内容だったのではないかと感じました。事前に先生に準備してくださったおかげでもありますが、インタビューの質問1つ1つが身に染みてきて、とても勉強になりました。

最後になりましたが、お忙しい中インタビューをお受けくださった小保内先生、ありがとうございました。

労働災害における安全配慮義務と労使の保険の普及について

先日の県内ニュースで、本年1月から10月末までに労災事故で亡くなった方が計16人、4日以上の休業を余儀なくされた人が968人に上るとの報道がありました。昨年の同じ時期より131人減ったとのことですが、例年、労災事故で10人前後の方が亡くなり、1000人前後の方が一定の休業を要する傷病を負っているということになります。

労災事故では、国の労災保険の給付がありますが、これは、休業損害や後遺障害又は死亡に伴う逸失利益について、保険制度の範囲内で一定額を支払うというもので、慰謝料は給付の対象にならないなど、「被害者の損害の填補」という点では、十分なものではありません。

もちろん、使用者に何らの落ち度もないものであれば、その責任を問うことはできませんが、劣悪な就労環境で労働者を追い込んで事故等を誘発したというのであれば、いわゆる安全配慮義務違反を理由に、労災保険では賄われない損害について、賠償請求するということが考えられます。

残念ながら、私は労災事故絡みの紛争にはほとんどご縁がなく、何度かご相談を受けたことはあるものの、訴訟事件として本格的に争ったということは、労使いずれの立場でも、ほぼありません。

ここ数年続けている判例学習(裁判例のデータベース作り)では、港湾労働者のアスベスト被曝から過労自殺などの問題まで、取り上げられることの多い類型であり、多少は勉強していますので、受任の機会をいただければと思っています。

ただ、労災問題については、交通事故との比較で、色々とハードルの高い面も幾つかあると思われ、それらをどのようにクリアしていくべきかという点は、悩ましいところだと思います。

まず、交通事故のうち人身被害が生じたものであれば、軽微なむち打ち症のみの事故であっても事故直後に警察に申告すれば、自動車運転過失傷害事件として捜査対象になり、交通事故証明書や実況見分調書などで、事故の事実と態様の大半を証明できます。

労災の場合、死亡などの重大事故であれば警察の捜査がなされる可能性が高いとは思いますが、交通事故に比べれば、捜査対象になる程度は遥かに低いのではないかと思われ、事故態様の立証の問題に直面することは多いと思います。とりわけ、単発的な事故ではなく、過労死など様々な事象が積み重なった事例では、「使用者の義務違反」に関する立証の課題はハードルは相応に高くなると思います。

もちろん、労災認定の際に作成された記録などを用いることができれば、相応に役立つのではと思いますが、使用者の安全配慮義務の問題まで踏み込んだものとなっているとは限らないのではないかと思われます。

また、交通事故であれば、大半の加害者が賠償責任保険に加入していますが、小規模な企業や個人事業主などでは、使用者が労災(安全配慮義務違反)の賠償責任保険に加入していない可能性が高くなるでしょうから、支払能力の問題にも直面するかもしれません。

また、現在の自動車保険では、人身傷害補償特約や弁護士費用特約が普及していますので、被害者は、相手方の支払能力や過失相殺などの問題がある場合には、自身が加入している保険会社から人身傷害補償保険の給付を受け、残金について、弁護士費用特約を用いて加害者に賠償請求するという方法をとることができ、かなりのリスク軽減ができることになっています。

そうした意味では、少なくとも、ある程度の危険性を内包する業務に関しては、人身傷害補償特約や弁護士費用特約を備えた「労働者自身のための労働保険」を保険会社が販売して、就職の際にそれに加入するという文化が励行されてもよいのではと思います。

ちょうど、冒頭のニュースと並んで、県内の山林で、作業員の方が伐採した木の下敷きになって亡くなられたとの報道がなされていましたが、以前、被災地の法テラスで、林業に従事する作業員の方が、作業車の転倒で大怪我を負い重い後遺障害を負ったという事案についてご相談を受けたことがあり、色々とハードルがあることをご説明し、誰に依頼するか(地元の先生にするか)も含めてお伝えしたということがありました。

労災は、「純然たる第三者同士」の事故である交通事故と違って、労使という継続的な人間関係が絡んでいるため、訴訟等の対立関係に及ぶのを躊躇する事案も多いかとは思いますが(そうであるがゆえに、逆のパターンもあるでしょうが)、少なくとも、明らかに安全配慮義務違反が認められるような事案では、人間関係が良好であるとしても、賠償の問題は分けて考えた方がよいと思いますし、そのような事案で、対人関係の亀裂を避けて適切な救済やそれに向けた議論を行うためにも、保険の普及が望ましいのではないかと思われます。

震災以後、被災地では復興特需で工事が増えているせいか、労災事故に関するニュースを目にすることが多くなったように思われるものの、訴訟が多く起きているという話は聞いたことがなく、私自身も上記のとおり事件受任の機会に恵まれていません。

そのため、あまり知識がない中で本も読まずに書いていますので、少し見当違いのことも書いているかも知れませんが、その点はご容赦下さい。

盛岡北RCからの卓話依頼(男女問題など)

次の水曜(18日)の盛岡北ロータリークラブの例会で、急遽、卓話を担当することになり、某会員の方の熱烈なご要望?により「男女の愛と不倫を巡る法律実務」をテーマとすることになりました。当クラブの方は申すに及ばず、市内等の他のRC会員の方におかれても、ご参加いただければ幸いです。

当日は、「あるRC会員の家族(架空)を巡って生じた、起きて欲しくない物語」などと題して、壮年のごきょうだいの各人に、離婚や不倫、交際などを巡ってトラブルが起きたという想定で、代表的な論点や裁判所の一般的な考え方などをご説明したいと思っています。

RCの卓話は実質20分強しかありませんので、当日は論点紹介に止まるでしょうが、1時間とか90分などのバージョンでお話することもできますので、セミナー?などのご要望などがあるようでしたら、ご遠慮なくお声掛け下さい。

ちなみに、前回は、県内でCMソングなどの制作やナレーター等に従事されている菅原直子さんの卓話を拝聴しました。ホームセンター「サンデー」のテーマソングを歌っている方なのだそうで、冒頭でご本人のナマ歌をご披露いただき、ささやかな感動を味わいました。

他にも、世界的な話(ヴェスビオ火山ケーブルカーの件)から県内ネタ(岩手川、ペコ&ペコなどベーシックな話から近時の「焼き冷麺」、ドンドンダウンなど)も交えつつ、コーポレートアイデンティティや商品ポリシーの重要性(それを確立している企業ほど良いCMをすぐに作れる)を伝える内容になっており、大変勉強になりました。

組体操事故に関する損害賠償請求

ここ最近、大阪をはじめ組体操に関する事故の多発が報道でとりあげられることが多くなっていますが、先日、岩手でも、最近の4年間に100件も発生し、7割近くが小学校であるとか、全体の30%(約30件)で児童や生徒が骨折したとの報道がなされていました(残念ながら、すでに閲覧不能のようです。NHKの地元ニュースは貴重なものも多いので、いち受信料負担者としても、可能な限り、長期間の保存や閲覧ができるようにしていただきたいものですが)。

過去に勉強した判例を調べたところ、平成21年に名古屋地裁で110万円の支払を市に命じた判決(判例時報2090-81)が見つかったほか、判例秘書でも複数の裁判例が見つかり、確認できた限りでは、いずれも被害者の請求が認められているようで、中には、重篤な後遺障害が生じた高額な認容例もありました。

大阪の三木秀夫先生のブログに詳細がまとめられており、後日の参考にさせていただきたいと思っています。

また、運動会や体操がらみの事故では、他にも騎馬戦や跳び箱などで生じた事故に関する前例もあるようです。

確約は適切ではないとしても、組体操事故は、賠償請求が認められる可能性が高い類型であることは確かと思われ、骨折等の被害を受けたのに学校側から適切な賠償を得られていないという方がおられれば、損害額の計算のあり方なども含め、ぜひ弁護士に相談していただければと思います。

私も、組体操であれ何であれ、骨折等の危険が相応にある運動を、とりわけ小学校や中学校で行う意義があるとは微塵も思われず、「集団行動を学ぶ云々」は別の形で訓練すればよいのではということで、安全重視で行っていただければと思います。

先日、某小学校の組体操を拝見しましたが、3段に止まっており、私はそれで十分では(それが見応えがなくて嫌だというなら、やらなければよい)と思いました。

私が子供の頃は、組体操を行ったとの記憶が全くなく、運動会などで危険な目に遭った記憶はありません。唯一の経験として、小学5年のときに体育のバスケットボールの授業で同級生に激突され眼鏡が壊れた(壊された)ことがあり、顔を合わせるたびに、弁償しろよなどと冗談交じりに軽口を叩いていたことだけは覚えています。

個人的には、掃除の時間に窓枠の高いところに上って窓拭きするなど、結構、危険なことも好んで行っていた面もあるのですが、良くも悪くも「人に強制されて行うのではなく、純然たる自己責任で行う」という意識だったせいか、「ここまでで止める」という線引きは出来ていたように思います。リスクのある行為については、極力、他者が命じるよりも、個々人で線引きを考えて行動させる方が、子供にとってもしっくりくるのかもしれません。