会計検査院が岩手県庁と県内8市町に対し、平成20年から25年にかけて国の補助金で行われた緊急雇用創出事業に法律違反があったとして、約5700万円を国に返還すべきという趣旨の報告をしたとの報道がありました。
主に問題とされたのは、山田町を舞台とする「大雪りばぁねっと」事件と被災県などでコールセンター事業を展開したDIOジャパンの倒産事件の2件で、いずれも県内でも大きく報道されてきた事案です。報道によれば、前者が1300万円強、後者が4300万円強とされています。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20151107_3
http://news.ibc.co.jp/item_25716.html
恐らく、その全額又はかなりの部分について、県や関係市町は国に返還=支払をするのでしょうし、両事件とも事件当事者からの回収については悲観的な見方をせざるを得ないのでしょうから、それらの返還金については、県などが自ら支出した補助金と共に、県民に負担が重くのしかかることになります。
ところで、以前も少し触れましたが、私は大雪事件の関係者(岡田栄悟氏ではありません。仮に「Aさん」といいます。)の方の刑事裁判に途中から国選弁護人として関わり、特殊やむを得ない事情で、大雪事件を巡りA氏が関係する多数の民事紛争の処理(要するに清算を巡る後始末)までも引き受けざるを得なくなり、今も、その対応に追われています。
本件では、大雪の破産管財人、山田町に加え、前代理人との間でも訴訟手続が必要となり、最近は多少は落ち着いてきましたが、去年の初夏から秋にかけての時期は、多数の関連事件のため膨大な労力を投入せざるを得ず、民事事件では相応のご負担をいただいたとはいえ、必要な作業のあまりの多さに「時間給ベースでは、当事務所の開業以来最悪の巨額赤字事件」という有様で、泣きそうな思いで対応してきたというのが率直な実情です(峠は越したと思っていますが、まだ終わりが見えません)。
こう言っては何ですが、何人もの弁護士が登場する中、大雪事件の民事手続で現に関わっている「岩手の弁護士」は私一人ということもあり、会議とか抽象的な意見書の類や丸一日かけて誰も来ない被災地相談会に行くことよりも、こうした事件の適正解決に汗をかくことこそ地元弁護士の役割だという矜持のようなものだけで自分を支えているというのが正直なところです。
詳細は書けませんが、A氏のスタンスは、債権者への適切な配当のため管財人の管理換価に協力するのを基本としつつ、A氏自身が事件の処理や解決のため多額の自己資金の投入を余儀なくされたので、その回収を裁判所の理解を得た相当の範囲内で行いたいというものです(これは、裁判後の記者質問でも繰り返し説明しています)。
この点は裁判所も理解を示しており、「天王山」というべき訴訟では、これに沿った和解勧告もなされているのですが、管財人によれば、一部の債権者の反対があるとのことで、決着が進まない状態が続いています。
当方としては、少なくとも私が関与するようになってからは、それ以前とは一転して、動産の換価や某施設を巡る和解など管財人や山田町の作業が円滑に進むよう様々な形で協力しているだけに、残念に感じています(まだ書けませんが、やむを得ず、「窮鼠猫を噛むかのごとき、次の一手」を検討しています)。
ところで、何のためにこんなことを書いてきたかというと、Aさんは、この事件の中で大きな関わりをしたことと、本人に迂闊な面があったことは確かなのですが、自らの私利私欲を図ったわけではなく(現に、私が関わる以前から、「すっからかん」の状態でした)、詰まるところ、「巨額の税金が使用される事業に関わるには未熟すぎた(ので、留意すべき大事な場面で易きに流されてしまった)」という評価が、最も当てはまるのではないかと感じています。
また、岡田氏に関しても、さほど全体像を把握しているわけではありませんが、幾つかの不幸な偶然で、身の丈をあまりにも超えたカネ(税金)とヒト(部下)を与えられたため、結果的に身を滅ぼすことになったというべきで、少なくとも、初期の段階から「税金を食い物にして私利私欲を図ろう」との判断ではなかった(或いは、独りよがり云々の批判はさておき、本人の主観では、最後まで、一連の出費は彼の思い描いた「被災地支援事業」なるものを実現し継続させるためのものだったのかもしれない)という印象を受けています。
だからこそ、この件では、「使った側」の責任を問うだけでは全く不十分で、第三者の適正な監視、監督を欠いたまま、「公金を適正に使用する資格」を持っていない未熟な人々に高額な税金を渡し、使用させた(或いは、国を含め、その仕組みを作った)人々の責任が強く問われるべきであると共に、再発防止策に関し、事案の経過を踏まえた、より踏み込んだ手法の導入が図られるべきではないかと感じています。
そうした意味では、前者(責任追及)に関しては、住民訴訟が検討されてしかるべきではないかと思われ、そうした動きがないことが、とても残念です。一般論として、その種の住民訴訟は、いわゆる左派系の団体さんが行うことが通例と認識していますが、そうした方々に提訴のお考えがないのであれば、いっそ保守系勢力の方々がなさってはと思わないこともありません。
上記の観点から、地元行政だけを悪者にするのは間違いで、制度の構築等に関する国の責任も視野に入れるべきだと思いますし、その点で、十数年前に我が国を震撼させた大規模不法投棄事件における原状回復に関する国と自治体の費用負担などを巡る議論(とりわけ、私も関与した日弁連シンポの提言)は、参考になる点があるはずです。
また、後者(再発防止)に関しては、端的に、補助金の支給や費消に関して監視、監督する第三者(支給側である行政と受給側の事業者の双方から独立した立場で実務に携わる者)の関与を拡げる仕組みを作るべきだと思います。
具体的には、「一定以上の金額の税金(補助金)を受給して行う企業は、補助金交付の趣旨(その法律の趣旨)に即した支出をするだけの能力があるか、或いは、受給後に、その趣旨に合致する適正な使用等をしているか」について、例えば、弁護士や公認会計士、税理士などに、調査、報告等させる仕組みを作るべきではないかと感じています。
現在の社会では、弁護士の出番は、「第三者委員会」に見られるように、事後的なものばかりが中心となっていますが、食えない弁護士(公認会計士も?)が増えたとされる今こそ、薄給でいいのでそうした仕事をしたいとの供給サイドの要望はかなりあるのではと思われますし、日弁連なども、「行政は被災者に援助せよ」といった意見書も結構ですが、そのような仕組みの導入(と地元弁護士の働き口の創出)にも尽力していただきたいものです。
何より、そうしたものを導入させていくには、結局のところ、その必要性を理解し、人々に訴えていくだけの「政治=民主主義のチカラ」というものが育たなければ、どうしようもないのだと思っています。
民主主義(議会制民主政治)というものが、「公権力に税金を取られること」に対する自主権の獲得を発端として始まったことは、誰もが教科書で学ぶことではないかと思います。
しかし、「取られるかどうか」だけで使い道はどうでもよいというのが民主主義の社会でないことは、言うまでもありません。
「投票するときだけ主権者」という社会では、国民主権・民主政治とは言えないのと同様に、税金の使い道をより良くさせるための仕組みの構築や運用に人々が関わっていくことこそが、本当の民主主義の実現の道なのだということにより多くの方の共感が得られればと、願ってやみません。
と同時に、そうした営みに積極的にサポートすることが現代社会の弁護士の役割の一つになるべきだとの認識で、そうした場面に必要とされるよう、今回の件も僥倖なのだと感謝し、まずは地道な研鑽を重ねていきたいと思います。