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JCIクリードと日本国憲法の不思議な関係と、JCにこそ求められる憲法学

2年前、JC(青年会議所)の例会の際に必ず唱和している「JCIクリード」という綱領的なものが、日本国憲法の理念ないし構造と酷似していることを述べた投稿を、旧HPに掲載したことがあります。

現在、集団的自衛権に関する法案を巡って政争や反対運動が激化していますが、憲法改正を悲願の目標にしている安倍首相が長期政権化した場合、経済に一定の成果が生じた(とされた)時点で、ご自身が希望する改憲論議を拡げていこうという気持ちは強いと思われます。

日本JCは、以前から自民党以上に復古調・民族主義的な憲法改正案を掲げており、今後、そうした動きに同調した運動を各地JCに実施するよう求めてくることは十分考えられることだと思います(今年は、「国史」という言葉ないし概念を強調する活動をなさっているのだそうで、肯否云々の評価はさておき、その点も、その一環なのでしょう)。

もちろん、JCの会員マジョリティは、日本国憲法との関係では穏健(良くも悪くも無関心)な立場の方が圧倒的で、日本JCの議論を主導しているのは上記の国家観・憲法観を持つごく一部の方なのだろうとは思います(その意味では、これと反対方向のベクトルを持つ日弁連によく似た面があります)。

それだけに、JC会員の方々が、憲法の基本的な考え方、実務を含む過去に積み上げられた憲法学の一般的、平均的な物の見方を学ぶ機会を、もっと持っていただきたいと、JC在籍中にそうした営みに関わる機会に恵まれなかった身としては、残念に感じています。

というわけで、2年前(平成25年)に掲載した文章を再掲することにしましたので、当時ご覧になっていないJC関係者などの方は、お目通しいただければ幸いです(最後に少し加筆しています)。

*********

JC(青年会議所)には、「JCIクリード」という綱領的なものがあり、毎月1回の例会の場などで、全員で唱和することになっています。JC関係者には申すまでもないことですが、ご存じでない方は、全国各地のJCのWebサイトなどをご覧になれば、全文が載っています。

ご参考までに、福生JCのサイトが分かりやすいので、紹介します(同サイトに表示されている訳文は、JC手帳に載っているものです)。

この「JCIクリード」ですが、弁護士に限らず法についてそれなりに勉強した人間が読むと、日本国憲法の基本原理とよく似通っていると感じるはずです。今回は、この点について、少し書いてみたいと思います。

順番とは異なりますが、最初に「That government should be of laws rather than of man」という箇所をご覧下さい。

手帳(公式の訳)には「政治は人によって左右されず法によって運営さるべき」とありますが、日本国憲法の理念(基本原理)の一つに、これと同じような言葉が用いられています。

同業の方には申すまでもありませんが、今回は、そうでない方(主にJC関係者などでこの文章をご覧いただいている方)向けに書いていますので、少し丁寧に書きますと、その理念を「法の支配」と呼んでいます(76条、81条等)。

「法の支配」とは、憲法学上は、国家は個人の正しい権利を保障する正義の法に基づき運営されなければならず、法律上の根拠に基づかない恣意的な人の支配はもちろん、国会が多数決を濫用して人権を抑圧するような法律を制定した場合も無効にすべきという理念であり、憲法学ひいては法律学全体を勉強する際に、最初に勉強しなければならないことの一つです。

次に、「That earth’s great tresure lies in human personality」をご覧下さい。

手帳には「人間の個性はこの世の至宝」とありますが、日本国憲法では、個人の尊厳(13条。文言は「尊重」ですが、講学上は「尊厳」と表記)という言葉が用いられています。

憲法学上は、憲法に定める個々の人権保障の規定や統治機構のシステムはすべて、個々人の「人としての尊厳」を守ることを根本的な目的としており、個人(人間)の尊厳は日本国憲法の最高原理であると言われています。

次に、「That faith in God gives meaning and purpose to human life」をご覧下さい。

手帳には、「信仰は人生に意義と目的を与え」とありますが、日本国憲法も、信教の自由(20条)を定めるほか、これと隣接する個人の精神的な営みの自由を保障する権利として、思想良心の自由(19条)や表現の自由(21条)を定めており、これらは憲法上、特に保護されるべき自由ないし権利とされています。

次に、「That the brotherhood of man transcends the sovereignty of nations」をご覧下さい。

手帳には「人類の同胞愛は国家の主権を超越し」とありますが、日本国憲法が前文で非常に理想主義的な国際平和協調主義を謳い、その象徴的な規定として憲法9条を掲げていることは、よくご存知だと思います。

次に、「That economic justice can best be won by free men through free enterprise」をご覧下さい。

手帳には「正しい経済の発展は自由経済社会を通じて最もよく達成され」とあるところ、日本国憲法も、財産権の保障に関する規定(29条)などを通じ、資本主義を基調とする自由主義経済体制を規定しているとされています。

そして、ここまでの説明で概ねお分かりのとおり、これらの部分は、日本国憲法の中でも、重要な原理に関わる肝の部分であり、JC会員の方々は、JCIクリードを唱えながら、実はある意味、日本国憲法の勉強もしているのだと考えていただければと思っています。

ところで、クリードの最後の部分、「That service to humanity is the best work of life」についての説明を敢えて飛ばしました。

手帳では「人類への奉仕が人生最善の仕事である」と記載されていますが、私の理解の範囲では、このような趣旨のことを定めた規定は、日本国憲法には存在しません。

どうしてか、その理由は分かりますか。

日本国憲法は、個人の自由と尊厳を根本原理とし、それを政府が国際社会の力を借りて守っていくという観点から作られています。そのため、個人がどのように生きるべきかという一人一人の生き方の問題について、敢えて道標となる規定を設けず、各人の判断に委ねています。

これに対し、JCは社会のリーダーたらんとする方々の集まりですので、リーダーたる者は人類社会全体に奉仕する者でなければならないという理念を最後に置いて締め括っているのです。

そのような観点から最後の文言以外の箇所を見れば、それらは、リーダーの必須条件たる奉仕の精神を発揮するための前提条件に関する考えを述べたものと言うことができると思います。

ところで、どうして、JCIクリードと日本国憲法がこんなにも似通っているのか、その正確な理由は私には分かりませんが、両者の成立過程に思いを致すと、そこには共通の基盤らしき不思議な関係があるように見えます。

ご存知のとおり、日本国憲法は、日本国民が自力で元の政府を倒して作り上げたものではなく、大日本帝国軍が米国を主力とする連合国軍に滅ぼされた後、GHQが主導する形で策定され、大日本帝国憲法の改正手続をとって1946年に制定されたものです。

ですので、これを征服者たる米国の押しつけと見るか、日本国民が旧帝国軍が幅を利かせた旧政府にうんざりしてGHQの勧めに応じ自ら選び取ったと見るか、見解が分かれるところでしょうが、かなりの部分が米国に由来するということ自体は間違いないと思います。

他方、JCIクリードが最初に策定されたのは奇しくも日本国憲法の成立と同じ1946年、日本JCのサイトでは、米国人ビル・ブラウンフィールド氏が立案したと紹介されています。この方と、日本国憲法立案の主要人物とされるGHQのケーディス大佐は、接点があるかは全く分かりませんが、少なくとも概ね同年代と言ってよいと思います。

ちなみに、ケーディス大佐は、wiki情報によればハーバード大法科大学院を卒業したエリート弁護士だそうですが、ブラウンフィールド氏については、炭坑実業家だと記載したサイトを発見したものの、その人物像はよく分かりません。

ともあれ、両者とも米国で同じ時代を生き、当時の米国の理想主義を強く育んでいたという事情が、双方の類似性の大きな原因となっているのではないかと私は考えています。

JCは様々な目標や課題などを掲げている団体ですが、日本国民たるJC会員の方々にとっては、それらの目標、課題に取り組む際に、上記で述べたJCIクリードや日本国憲法の原理、さらには両者の複雑な関係にも思いを致していただければと思っています。

以下、今回の再掲にあたり加筆した部分です。

ところで、日本JCも憲法改正案を公表していますが、その内容を見ると、上記で解説した「JCIクリードとよく似た、日本国憲法の特徴的な部分」の幾つかについては、相当に改変ないし後退している印象を受けます。

特に、改正案は現行憲法と比べて民族主義、国家主義(国家主権?)的な面を強調し現行憲法の国際協調主義や自然権思想(人権は国家が付与するものではなく人に当然に備わっているという考え方)が大きく後退しているため、その点は、JCIクリードとも異なる思想と言うべきでしょう。

改正案(JC憲法案)を策定した日本JCの方々が、JCIクリードの破棄や改訂も求めて運動されているのかは存じませんが、そうした両者の関係性などについて、ご認識・ご意見を伺う機会があればとは思います。

ちなみに、「JC 憲法改正」などと検索すると、憲法意識の向上(改憲世論の高揚?)を目的とした運動に対する批判なども見つけることができます(引用したのは、いわゆる「市民派」の方のサイトのようにお見受けしますので、思想的にも真っ向対立という感じはありますが)。

余談ながら、JCも日弁連も、名実ともノンポリの方が中核をなす強制加入団体であるのに(JC会員の多くが、様々な人間関係などから半ば強引に入会に至ることは、笑い話ではありますが、必ず語られることです)、一部の人が団体の名前で先鋭化した活動をし、残りの大多数が関心を示さず放置、放任している(先鋭化している面々も、会員マジョリティと広く誠実な対話をして支持を得ようとする努力をあまり感じず、宣伝的な広報ばかり見かける)という点で、よく似た印象を受けます。

私自身は、大多数の国民(フツーのJC会員や弁護士を含め)は、党派的な主義主張を伴う極端な言説・現状変更ではなく、日常面の不具合を少しずつ改善するような穏健な議論・方法論を好んでいると思いますし、弁護士会もJCも、そうした中間派・ノンポリ層というべき大多数の国民のための憲法学、憲法論をこそ興すべきではないかと思っています。

残念ながら、そのような観点での有志による具体的な活動はほとんど(全く?)見られず、「憲法」を冠した小集団は、いずれも特定の党派的な主張を好む方々が、ご自身の見解を披瀝するための集まりになっているに止まっていると感じています。

本来であれば、異なる思想の持ち主と対話し、実務的、事務的な制度、慣行を中心に、穏健な方法での現状の改善を図る地道な営みが行われるべきではないか(それこそが、日本国憲法やJCIの理念、理想ではないのか)と思いますが、そのような光景を見かけることはほとんどありません。

法律実務家の集まりである弁護士会にも、様々な職業人の集まりであるJCにも、そうした各論的な地道な取り組みや意識の喚起を期待したいところですが、この種の問題に力不足の私には、高望みなのでしょうか。

私としては、JCIクリード(JCIの理想)は、米国で生まれたキリスト教の理想主義に基づく普遍的な人権思想に基づくもので、「それを組織の象徴として受容し掲げながら、それでもなお(或いは、そうであるがゆえに)民族主義的な思想信条を標榜せずにはいられないという矛盾」を抱えているように見える日本JCの姿こそ、とても人間的というか、日本ひいては戦後世界の姿を凝縮したような面があると思います。

そうであればこそ、JCの方々には、この矛盾と向き合い、苦しみながら、世界の人々が「個人の普遍的な尊厳と民族の矜持」(JC宣言に倣って個人の自立性と社会の公共性、と言い換えてもよいと思いますが)の双方を生き生きと協和させることができる姿を社会に示していただければと願っています。

日弁連人権擁護大会と不法投棄事件のいま

現在、今年の10月に千葉県で開催される、日弁連の人権擁護大会・第3分科会の実行委員をつとめており、その関係で、先日、久々に東京に行ってきました。

日弁連の人権大会は、年1回、特定の都道府県を会場にして行っているもので、平成22年に盛岡で開催された際には、不法投棄対策をテーマとする分科会が行われ、私も実行委員会の事務局次長という肩書で、色々とお手伝いをしたことがあります(当事務所サイトの「公益活動」欄に付記しています)。
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/civil_liberties/year/2010/2010_3.html

今年の第3分科会も、「放射能とたたかう~健康被害・汚染水・汚染廃棄物~」と題して、公害対策環境保全委員会の3つの部会の方々を中心に準備が行われており、表題のとおり、福島第一原発の事故に伴う諸問題のうち、千葉県でも比較的関心が高い論点とされている、健康面、汚染水対策、汚染廃棄物対策に焦点を絞って取り上げるものとされています。
http://www.nichibenren.or.jp/jfba_info/organization/event/gyoji_jinken2015.html

私は、東北弁連枠の任期切れに伴い委員の資格を失ったものの、廃棄物部会の関係者ということで、実行委員会には加えていただいています。

とはいうものの、部会から離れて久しいことや原発関連については岩手では盛り上がりに欠けることなど諸般の理由で、恥ずかしながらあまり参加することができない状態が続いてました。

ただ、先日の会合では、従前の部会の取り組みが、「放射性物質汚染対処特措法」をはじめとする現在の汚染廃棄物(一定量以上の放射性物質が付着した廃棄物)の処理スキームの問題点の指摘が中心となっていたのに対し、それ以外の問題、例えば汚染廃棄物の不法投棄等事案の問題や対策などについても提言すべきではないかという話題が出ました。

具体的には、滋賀県高島市などで発覚した「汚染廃棄物(多量の放射性物質が付着し再利用不可能な木くず)の不法投棄事件」の解決(未然防止を含め)のあり方などにも触れるべきではないかということです。

それであれば、平成22年の人権大会の成果(不法投棄等対策)を生かした形で提言等できる点が多々あるのではないかと思われ、そのような趣旨の発言をしたところ、飛んで火にいるといった体で、そのまま、基調報告書の該当部分を作成して提出せよと言われてしまいました。

私自身、今回の人権大会が廃棄物問題を含むものであるのに平成22年大会の内容を振り返る面が希薄ではないかと、その限りでは今回の取り組みに残念な印象を受けていたこともあったので、私の担当箇所では、平成22年の決議や基調報告書を紹介して、当時の議論を知らない(又は忘れた)方に再発見を促すような文章にしたいと思っています。

また、高島市事件に関する滋賀県の報告書を拝見しましたが、汚染廃棄物の特殊性として、同県内の処理施設が受入(中間処理等)を拒否しており、県が費用負担して行政代執行による撤去をしたくても、県から中間処理を受託する業者がいないので、代執行すらできない状況にある、という点が触れられており、広域的に汚染廃棄物が不法投棄等された場合の弊害の一つとして、特に留意されてよいのではと感じました。

ともあれ、10月1日は私も参加予定のつもりでいますので、千葉や東京の方に限らず、この種の問題に関心のある方々には、奮ってご参加いただければ幸いです。

早慶戦vs北東北トリコロール三国志

先日、野球の早慶戦に関して作成されたポスターが、鮮やかな赤と青の組合せ、構成の巧さや印象的なキャッチコピーなどを巡って、FBをはじめネット上で大いに話題になっていました。
http://www.asahi.com/articles/ASH5X552PH5XUTQP024.html
http://full-count.jp/2015/06/04/post12180/

これについて、ふと思ったのですが、

①赤と青に白を加えれば、フランスの国旗(トリコロール)になる。

②二戸地域は、北東北3県(の境目にある二戸や3県の周辺地域)を「トリコロールエリア」と称して、振興目的の雑誌を刊行している。

③他方で、増田県政の初期には、道州制論議なども絡んで3県の連携なども話題になったが、流行の廃れか県境不法投棄事件の影響?か、その後は連携気運が冷え込んだまま、現在に至っている。

④北東北3県は、地理的・歴史的な事情もさることながら、人口減少や自殺(自死)問題など共通の地域課題も多く、相互の連携ないしそれを前提とした一体となった地域づくり、アピールが必要なエリアである。

というわけで、北東北3県も、早慶戦ポスターの真似をして、二者対決ならぬ三つ巴の対決を演出して、共同して対外的なPRをしても良いのではと思いました。

その場合も、「トリコロール」ではピンと来ませんので、「北東北三国志」などと対決色をイメージさせるようなキャッチコピーを作ってはいかがかと思います。

また、3県の色の配分を決めなければなりませんが、青は「青森」でしょうし、秋田は「秋→紅葉」のイメージで赤でしょうから(県旗も赤色ですし、佐竹家の華やかなイメージがありますし)、残った白が岩手ということになりそうです。実際、岩手は3県の中でも一番、地味なイメージがありますので(ブランド力ランキングでも3県で一番下ですし)、白がお似合いというべきかもしれません。

余談ながら、前記の「トリコロール」という雑誌も、少し調べただけですが、北東北3県で色の配分をしているのか、よく分かりませんでした。イメージ戦略という点からは、なるべくカラーをはっきりさせて売り出すべきではと思います。

で、ポスターないし対決ごとのキャッチコピーですが、さしあたり、早慶戦ポスターを真っ正面から真似ると、チアリーダー対決編では、こんな感じになるでしょうか。

「のぞみん以来パッとしないわね、秋田さん」
「学歴自慢で炎上がお似合いよ、岩手さん」

青森は?というと、秋田が近いこともあり、いわゆる美人県のイメージは間違いないと思うのですが、著名人だと藤川優里市議しか思いつかず、若い女性タレントさんのイメージがあまりありません。ネット検索で、新山千春さんがいることを思い出しましたが、ケンミンショーで見かける以外に存じておらず、すいませんが、ネタとして思いつく話がありません。

あと、念のため付記しますが、上記はネット上で流布されているニュースをネタにしたジョークの類であり、他意はありませんので、当事者(まかさご覧になるとは思いませんが)及びファンの方々はご不快な思いをなさらないよう、ご寛容とご容赦のほどお願いします。

他にも、子供同士が自県の妖怪ネタ(座敷わらし、なまはげ等)をネタにして張り合うパターンも、妖怪ウォッチ全盛の現在、受けが良いのではと思います。妖怪自身が登場して早慶戦ポスターを真似れば、こんな感じでしょうか。

なまはげ「太平洋側のこども達の泣き叫ぶ声が、イチバンのごちそうだよ」
河童+座敷わらし「おどかす以前に日本海の大雪に埋もれないよう、ご自愛するのである」

河童+座敷わらしは、パッカー大佐と「ぼっこ」を採用してもよいでしょうし、余勢を駆って、「鉄神ガンライザーvs超神ネイガーvs跳神ラッセイバー」というヴァージョンを考えてもよいと思います。

あとは、知事に武将風の格好をしていただき、

「津軽(弘前)と南部(八戸)の内乱を煽動し、青森を弱体化させるのじゃ」
「岩手こそ、伊達(県南)を唆して南部(盛岡)を挟み撃ちじゃ」

といったパターンも考えられますでしょうか。早慶戦ポスターの真似にこだわるのなら、

青森県知事「トラウマになるまでホラ吹いてやる、岩手のことを」
岩手県知事「思うぞんぶんホラ吹かせてもらうよ、青森の空に」

といったところかもしれませんが、さすがに悪ノリ的で、無理がありますね。

あと、3県で全国トップを占める産物などがあれば、それをネタにすることも良いのではと思いますが、「3県で全国1位~3位を占める産物」というのも、あまり聞いたことがないように思います。

「3県で全国トップ独占」というと、自殺率や人口減少などという暗い話題をイメージしてしまいますが、後者はまだしも前者はコピーに使うのは賛否両論ある(よほど巧く作らないとバッシングの嵐になる、反面、巧く作れば自殺防止キャンペーンとしても生かせる)ということになりそうです。

早慶戦ポスターをそのまま拝借すれば、こんな感じでしょうか。

「岩手に勝つだけのワースト脱出など、したくない(秋田)」
「三県そろって皆が幸せな国になってこそ、意味がある(岩手、青森)」

特産品に関してはリンゴ(青森)も米(秋田)も1県が他を圧倒していますし、桜も世間的には青森(弘前)、秋田(角館)、岩手(北上)で順位が固定されており、対決形式としては盛り上がらないのかもしれません。

ただ、こうして幾つか見てみると、青森・秋田に比べると、岩手には自慢できるような1番がどれほどあるのか、心許なくなってきます。

すぐに思い浮かぶのは漆ですが、ネタの地味さもさることながら、他の2県では生産自体を聞いたことがありません。あと、岩手が生産量1位と言えば、アワビとワカメとホップくらいでしょうか。

これらも、「原料供給のみで、加工品として全国区のネタ(ブランド商品)が乏しい」という残念な実情のせいか、お国自慢のネタとしてはあまり盛り上がらないようにも思われ、そのことも、「地味な岩手」を象徴する事象というべきなのかもしれません(企業チックに言えば、下請ばかりで自社の有力PB商品がない会社、という感じに見えます)。白だけに、「オシラサマがお似合いよ」、とかチアリーダーに言われてしまいそうですが、逆転の発想で、「地味っぷり日本一」とでも叫んで売り出すのも、岩手の賢明な選択なのかもしれません。

私はケンミンショーが好きで、ビデオに撮って(お約束シーンに限らず全編をじっくり見る転勤ドラマ以外は)早送りで飛ばしながら見ているのですが、同じ「3県」でも、北関東3県は県民やタレントさん同士が元気に張り合うシーンがよく登場し、ある意味、羨ましく感じています(この3県は、平均寿命でも東海地方や沖縄と並んで上位に来るようで、塩分とアルコール取りすぎ三兄弟というべき北東北3県にとっては学ぶべきところが多そうです)。

「北奥」法律事務所の看板を掲げる身としては、ぜひ北東北3県の交流・連携を盛んにしていただきたいところであり、北関東3県などを見習い、互いに連携して盛り上げる努力を行っていただきたいものです。

少なくとも、

「我が県(県民)の繁栄(生活)しか、考えてない」
というのでは、全国の方々に、

「それは視野せまい」と笑われることでしょう。

盛岡市(岩手県)は、ウルシ(国際電波科学連合)の総会を誘致すべき

先月の日経新聞「私の履歴書」は、前・京大総長で現・理化学研究所の理事長である松本紘氏が執筆されていたのですが、6月20日の記事で、ウルシ(URSI。国際電波科学連合)という団体の会長を務めていたという話が取り上げられていました。

このウルシ(国際電波科学連合)という団体は、電磁波の研究者による国際的な学術団体とのことですが、エレクトロニクスや電波天文学、医療用電磁気学など、電磁波ないし電波に関する様々な領域を扱う団体で、宇宙研究とも関わりが深いのだそうです(そもそも、松本氏ご自身が我が国の宇宙科学の第1人者のようです)。

このように、「ウルシ」と「宇宙学」の2つを聞くと、二戸人としては、沸き立つような感情を抑えることができません。

すなわち、「ウルシ」は、偶然だとは思いますが、「漆」に通じるところ、二戸(浄法寺)が漆の日本一の産地であることは地元民は当然知っている(べき)事柄です。この点は関係者のご尽力もあり、その知名度は確実に上がってきていると思います。

そして、「宇宙」「電磁波研究」ですが、このブログでも何度か取り上げたとおり、我が国の物理学の創業者の一人である田中舘愛橘博士は、二戸の出身であり、とりわけ、宇宙学・地震学や後進の育成などで多大な功績を残したとされています。

例えば、松本氏のこの日の記事には、日本最初の文化勲章受章者である長岡半太郎博士(戦前の宇宙研究の第一人者)がウルシの副会長を10年間務めたとありますが、長岡博士は(wikiによれば)若い頃は愛橘博士のもとで学んだのだそうです。また、愛橘博士のwiki情報にも電磁気学の研究が取り上げられており、何らかの形で愛橘博士もウルシとも関わりを持っていたのではないかと思われます。

このように、二戸は、「ウルシ(漆)」と「宇宙学・電磁波研究」の双方に、大きな関わりがあるわけで、このような街が、ウルシ(国際電波科学連合)と何の繋がりも持たないのであれば、地元民(出身者)の素朴な感情としては、恥ずべきことだと言っても過言ではありません。

とはいうものの、さすがに、国際的な学術団体の世界会議(総会)を、二戸市が誘致できる力があるはずもありません(少し調べたところ、京都で開催されたことはあるのだそうで、松本氏が京大出身であることも影響しているのでしょう)。

これに対し、隣県の宮城(仙台)では、先般、国連防災世界会議という世界的な会合を誘致して成功を収めており、ウルシの総会の規模などはまったく分かりませんが、多分、仙台であれば、誘致先としては何の問題もないのだろうと思います。長岡博士は東北帝大の創設にも関わっているそうで、その点でも繋がりがありそうです。

しかし、二戸人ないし岩手県民としては、可能なら盛岡での誘致を目指して活動していただきたいところです。ウルシには10もの分科会があるそうですから、被災地(沿岸)なども含め、主会場と10の分科会を両県で分散させる形の開催も提案してよいのではと思います。

とりわけ、岩手・宮城は長年に亘りILCの誘致活動をしているわけですから、電磁波とILCにどこまで学問的な繋がりがあるかは分かりませんが、「宇宙つながり」或いは世界中の宇宙研究に取り組む科学者を誘致することの前哨戦という点で、両県が協力して取り組む意義が大いにあると思います。

さらに言えば、松本氏の連載によれば、宇宙に関する電磁波の実践的研究の一環として、「宇宙太陽光発電」というものが研究、計画されているのだそうで、これが実用可能になれば、原発や火力に代わる有力な電力調達の手段になるのかもしれず、脱原発という福島も絡めた形(被災地3県の連携開催)でも、話を膨らませることができるのかもしれません。

松本氏の記事によれば、ウルシの総会は、内部のプレゼンと投票により決定し、日本は(当時)米国に次ぐ票数を有しているのだそうです。二戸市も、大がかりな話は県庁などにお願いするにしても、例えば、浄法寺漆器を多数調達して、松本氏をはじめ、世界中のウルシの役員さんに贈答することから初めても良いのでは?などと思わないでもありません(当家でも愛用している夫婦椀や箸くらいなら、FIFAと違って?ワイロというほどの額でもないと思いますが・・)。

また、岩手県知事選・盛岡市長選の候補者(や支援者)の方々におかれては、ウルシの総会誘致を公約の一つに取り上げることも検討なさってはいかがでしょうか。

かくいう私も、亡父の命令で、二戸市の「田中舘愛橘会」の名ばかり会員になっているのですが(盛岡でいう、タマちゃんならぬ原敬を想う会のようなものです)、愛橘会の方々にとっても、活動内容(目標)の一つとして考えていただければと思っています。

復興支援やらなイカ~稼ぐ弁護士会が被災地を変える?~

先日、岩手弁護士協同組合(弁護士会ごとに設置されている協同組合の岩手版)の総会があり、タダ飯(弁当)が食えるというだけの理由で、毎年同様、出席してきました。

その際、災害対策本部のY先生から、「全国の弁護士に向けて、被災地(沿岸等)の特産品の販売事業を行い、被災企業などの支援をして欲しい。他県の先生からも、岩手でそのような事業を行って欲しいとの声が上がっている。」との提言がありました。

この点、各地の弁護士協同組合の中には、数年前から自県の特産品を全国の弁護士さん向けに販売する事業を行っているものが幾つかあり、かなりの収益をあげている県(組合)もあるのだそうです。

これに対し、岩手弁護士会では、そのような話は全く実現しておらず、理事の方が仰るには、数年前に生鮮品の販売を構想して生産者の方と協議するなどしたものの、話がまとまらず立ち消えになったのだそうです。もし、震災以前から事業を始めることができていれば、震災の年などには、全国の弁護士さんから膨大な「支援購入」があったのだろうと思うと、残念でなりません。

で、結局、その会議では、特段の異論もないものの具体的な実施手段などが話し合われることもなく、執行部(理事長さん達)にお任せするという程度で話が終わり、どうなることやら(たぶん、そのまま来年の総会を迎えるのかなぁ?)といった感じがしています。

その際、私も雑談感覚で、「今、地方絡みの物販で一番ホットな話題は、ふるさと納税なので、全国の高額納税者の弁護士さん(最近は激減したかもですが)に、ふるさと納税とタイアップした被災地特産品購入を売り込んではいかがでしょう」などと言ってみましたが、思いつきレベルの発言のせいか、あまり相手にして貰えませんでした。

ところで、弁護士協同組合の商品販売に関しては、京都の弁護士協同組合が日本酒や帆布などのオリジナル商品を展開しており、中でも、「やっこさんは白だな」は、ニュースで取り上げられるほどのインパクトを残しています。

私も、「他のお店等でも手に入るような商品の販売」とか「(被災地支援のみを強調するような)善意のみに頼った販売方法」などというのは下策というべきで、京都弁護士協同組合を見習い、世間的にもインパクトないし話題性があり、かつ、購買意欲に訴えかけるような、商品(ネーミングを含め)の開発に尽力すべきではないかと考えます。

というわけで、こんな商品群を考えてみました。「こんな特産品は嫌だ」(鉄拳のパラパラマンガ風に)などと仰らずに、ご覧いただければ幸いです。

商品① 「復興支援やらなイカ」

イカ徳利など、三陸のイカ関連商品のセット。復興支援の意欲をそそるような商品の組合せ又は開発について、岡口基一判事と津久井進先生(兵庫県弁護士会。阪神側の震災問題の第一人者)に監修をお願いし、パッケージのデザインは中村真先生(兵庫県弁護士会)にお願いする。兵庫会と岩手会は被災地支援の関係で繋がりのある先生も多く、全面協力間違いなし。なお、元ネタが分からない方は、こちらをどうぞ。

商品② 「二重ローンを無くし鯛、僕は体重減らしタイ」

鯛を素材にした低カロリー食品を開発して販売。パッケージには、岩手弁護士会を代表する被災者支援の専門家であると共に、当会きっての巨漢である某先生にご登板いただく。中村真先生にイラストをお願いするのも良策。

商品③ 「カキ休廷中に、裁カレー」

県内産の鯖と牡蠣(真牡蠣)を組み合わせた激辛カレー。開発担当者いわく「裁判所の夏季休廷と、真牡蠣の旬が冬であること(夏は休み)を組み合わせると共に、裁判官がいないはずの夏季休廷中に裁かれる(判決が出る)などという、びっくりするような話に着想を得て、食べた人の目が飛び出る激辛カレーを作ってみました。」とのこと。仙台弁護士協同組合も金華サバと桃浦カキで同じ名称の商品を販売準備中との噂もあり、不正競争防止法などの適用を巡って、岩手会と仙台会で紛争勃発の事態も危惧される。

商品④ 「けいじ弁護も忘れずに~ブル弁の皆様へ~」

月に数本とれるかどうかの最高級希少種である「鮭児」を、東京の高級料亭の全面協力のもと解凍後も旨味を損なわない技術(特許出願中)を開発し、豪胆に発売。贅沢品のため、弁護士登録から長年に亘って刑事弁護とはご縁のない大手渉外事務所などのブルジョワ弁護士さんや、セレブなヤメ検の先生でないと購入は無理。富裕層の方々に普通のチラシを送っても訴求力はないということで、ヤミ金を参考に漆塗りの電報で勧誘するのもアリかも。

また、複数食材の組合せによるセット又は加工品として、次の商品も考えられます(解説省略)。

商品⑤ 「ワカいがメでたく成立し、当事者も裁判官も、よろコンブ」

商品⑥ 「異議あり! しょウニんには、誤導をサケて、カレイな尋問を」

以上のほか、アワビ、ホヤ、ホタテ、サンマなど、岩手を代表する他の食材群も、皆さんの駄洒落、ではなく、智恵と工夫に基づく商品化をお待ちしています。もちろん、「森は海の恋人」ですので、コラボ商品も含めて、魚介以外の県産品もぜひご活用下さい。

商品名などは、facebookで怒濤のごとく駄洒落攻撃をされている「ハードボイルド弁護士探偵」こと法坂一広先生(実は、研修所の同級生。リハビリ中とのことで、早期のご快癒をお祈りしています)にお願いしても良いかもしれません。ついでに次回作品に商品も登場させていただき、宣伝にも一役買っていただければ、なお有り難いことでしょう。

また、裁判所サイドからも、加藤新太郎もと判事(現・中央大ロースクール教授)にお出まし願えれば、業界内の話題沸騰という点で理想的と思います。

残念ながら、岩手弁護士協同組合が、自らこんな野心的企画?に身を投じる展開は期待できそうにありませんので、ぜひ、組合側に企画等を売り込んで牽引していただける企業さんに、ご登場いただきたいものです。

「まちづくり」の世界では、一世を風靡しているオガール紫波をはじめ、「稼ぐまちが地方を変える」と言われていますが、岩手弁護士会の「被災地支援活動」をML上で垣間見ると、相談者がほとんど来ない相談会に内陸から沿岸に往復で丸一日かけて若い弁護士さんを派遣するといった類の企画を散見するように感じられ、残念に思っています。

また、その派遣費用(担当者の日当)も、震災時に他県の弁護士さんなどから岩手弁護士会に寄せられた多額の寄付が原資になっていると思われ、それだけに、「他人のカネで、利用者=稼ぎがない企画を繰り返す」光景を垣間見ていると、「補助金を原資に一過性の企画ばかり繰り返しては、善意から従事する関係者を摩耗させ、衰退の道を辿っている全国の商店街」に類するものを感じざるを得ないと思っています。

現在、引用の書籍を拝読していますが、岩手弁護士会も、全国の弁護士さん達の寄付(いわば補助金)に依存して「支援活動」をするのでなく、自ら相応の収益をあげ、それを活動の原資とするだけの力がなければ、本当に社会を変えるだけの被災地・被災者支援はできないというべきなのかもしれません。

損保会社と弁護士ドットコムが「新・日弁連」になる日~完結編

「弁護士費用保険が変える弁護士業界の近未来」に関する投稿の第6回です。第5回の文章が長くなりすぎたので2つに分けましたが、今回は「あとがき」のような内容です。

10 現代を生きる法律実務家、そして利用者の夢と革命

ここまで述べてきたことについて、最も難点として感じる点を申せば、一連の話は、カネを中心とした事柄なので、人々(特に、若手弁護士を中心に今後、相当数発生し固定化するであろう低所得者層)を熱狂させるような夢がないように感じます。

やはり、社会が大きく変化したり、その変化をもたらすために我が身を捨てて死力を尽くす人が次々に登場するためには、金銭的・実利的な話だけではダメで、現状に不満を持つ人のツボに訴えかけると共に、その不満を正義の旗のもとに一挙に解消してくれるかのような話(大義名分)が伴わないと、人は動かないのだと思います。

この点は、以前にも少し書きましたが、幕末(維新回天)との比較で言えば、尊皇攘夷・倒幕思想のような「夢」(体制変革を正当化する物語)が欲しいということに尽きるでしょう。
→ 司法革命の前夜?

仮に、今回の話を幕末になぞらると、弁護士費用保険の普及・進化によって損保大手が法的サービス業界で強い存在感、影響力を持つようになれば、いわば、雄藩(薩長)として、経済面で「志士」(司法サービスのあり方の変革に取り組む弁護士)を支える役割を持ちうることになります。

他方で、カネだけで体制が動くはずもなく、体制自体を揺るがす事態(異国の脅威)はもちろん、志士に魂を吹き込む吉田松陰のような人物ないし思想が登場しないと、革命(体制転覆)が生じることはありません。

この点、弁護士大増員政策により、二割司法から八割司法の社会へと転換する可能性が高まっていますが、そのような転換を前提に、弁護士業界ないし司法制度のあり方に抜本的な変革を起こす原動力となる「思想」が何であるか、言い換えれば、日弁連(既存の弁護士制度)が実現できていない・できそうにない「八割司法を支える、現代の法律実務家の夢」とは、どのようなものであるのか、私もまだ分かりません。

ただ、「需給双方が満足できる低コストで適切なリーガルサービスを全国に普及させること」を、現代の法律家が実現すべき「夢」と捉えるのであれば、保険がその有力な手段になることは間違いないはずです。

そして、そのような普及云々の仕組みができる上では、どちらかと言えば、日弁連よりも保険業界側(及びそれと提携して上記のスキームを作り上げることができる弁護士)の方に、より大きな役割・存在感を発揮しうる潜在的な可能性が高いように思われます。

さらに言えば、そのこと(多くの紛争や社会的問題が司法システムを介して法的理念に基づき解決されること、解決されるべきとの国民的認識や主体的な実践が広く生じること)を通じて、本当の意味では今も我が国に実現しているとは言い難い、「日本国憲法の基本的な価値観を体現した、人権(個人の尊厳)と民主政治(人民の社会に対する意思決定の権限と責任)が調和する社会」を創出できるのであれば、それは、多くの人を惹きつける「夢」と言えるのかもしれません。

或いは、「政治家・元榮太一郎氏」は、次のステップとして、そのような潮流を主導することに野心ないし理想を抱いているのかもしれません(少なくとも、そのような方向に野心ないし理想を向けている「名のある弁護士」を、私は他に存じません。敢えて言えば、増員派の巨頭というべき久保利英明先生らも、法科大学院の粗製濫造ではなく、弁護士費用保険の推進にこそ力を注いでいただければ良かったのではと残念に感じます)。

また、上記のような流れが出来てきた場合に、現在のような「一人事務所=零細事業主が中心の弁護士業界」が存続できるのか、私のように昔ながらのスタイル(零細事業主)で仕事をしている身にとっては、不安を感じずにはいられません。

ただ、「弁護士の自治・自由」という制度ないし文化を個々の担い手が死守しようとするのであれば、零細事業主というスタイルが一番合っているとも言えるわけで、その限りでは、企業弁護士中心の弁護士業界という流れは考えにくいと思います。その意味で、「独立性の高い自立した専門職企業人について、かつてない新たな生き方が芽生えている業界」があれば、参考になるのかもしれません。

また、弁護士費用保険の普及に先だって、医療保険制度の運用に関し、医療従事者と保険制度の運営者(国家機関など)との力関係や依存度等の実情がどのようになっているか、弁護士業界は、改めて調べるべきではないかとも思われます。

生命保険については、ここ数年、ライフネット生命(ネット生保)のように業界の革新を感じさせる話題もありましたが、損保業界では、そうした話を聞くことがあまりないように思います。保険制度を通じて弁護士業界を手中に収めてやろうなどという野心、或いは、業界内部で実現できていない「需給双方が満足できる低コストで適切なリーガルサービスを保険の力で全国に普及させたい」という高い理想をもって取り組む事業家が出現しても良いのではと、他人事ながら?思わないでもありません。

それこそ、ハードボイルド小説家弁護士こと法坂一広先生に、上記の事柄もネタにした業界近未来小説でも作っていただければ、サイボーグ・フランキーとセニョールも喜ぶことでしょう。

ともあれ、私のような、事務所の運転資金に汲々とする毎日のしがない田舎の町弁が、このような大きな話に関わることはあり得ないのでしょうから、さしあたっては、弁護士費用保険の制度維持の観点も含めて真っ当な業務に努めると共に、お世話になっている損保企業さんから取引停止される憂き目に遭わないよう、適正な仕事を誠心誠意、続けていきたいと思っています。

大変な長文になりましたが、最後までご覧いただいた方に御礼申し上げます。

損保会社と弁護士ドットコムが「新・日弁連」になる日~本題編③

「弁護士費用保険が変える弁護士業界の近未来」に関する投稿の第5回です。全5回の予定でしたが、今回の文章(いわば本題部分)が長くなりすぎたので、あと1回(明日)で完結とさせていただきます。

9 損保会社と弁護士ドットコムが「新・日弁連」になる日

ここまで、弁護士費用保険が普及すれば、顧客への品質保証などの観点から保険会社と町弁側を繋ぐ役割を担う企業が、業界内で大きな機能を果たし、影響力を増していくのではないか、それに伴って、弁護士業界も大きく変容していくのではないか、という趣旨のことを述べてきました。

自動車保険契約に関して弁護士費用特約が広く普及し、恐らく、特約を利用しない方が少数派と言ってよい状況になってきた現在、損保会社としては、単に、弁護士費用保険を事業(収支)として成り立たせるというだけでなく、この保険(を通じて弁護士が広く利用される現象が生じること)が、社会にどのような影響を及ぼしうるか、そして、そのことに、保険会社がどのような役割(アドバンテージ)を果たしうるかということを、研究しているのではないかと思います。

そもそも、弁護士費用保険が一般化することで、保険商品を開発、提供する企業(保険会社)は、契約者(依頼者)との関係では、法的サービスを供給する窓口としての役割を果たし、受任者(保険の利用に基づき保険会社から受任費用の支払を受ける弁護士)との関係では、仕事の実質的な供給者としての役割を果たすことになります。これが進化ないし深化していけば、保険会社は、法的サービスの需要と供給の双方をコントロールできる立場、いわば、サービスの上流と下流の人とカネの流れを制する立場になりうると評しても過言ではありません。

その点で、損保大手の本社担当者などは、弁護士費用保険の適用事案を大量に収集して分析したり、顧問弁護士や学者などとの共同研究を通じて、弁護士費用保険の普及により社会内に生じる影響や、そのことを見越した次の一手について、既に研究を始めているのではないかと推測せずにはいられません(私が社長であれば、そうした研究の指令を出したいところです)。

とりわけ、損保大手各社は、自動車事故の賠償問題を通じて、自社(加害者)側代理人の全国規模の広範なネットワークを有することはもちろん、相手方(被害者側代理人)についても、その気になれば十分な規模のデータを収集することができる立場にあり(恐らく、現在のプリベント社は言うに及ばず、生保各社も、そのようなインフラは持っていないと思います)、それを生かした形での弁護士費用保険の戦略的活用という発想を持つことは、至極自然なことのように思えます。

また、町弁の立場からすれば、報酬水準が抑えられている(また、各種書面の提出や審査などの使い勝手の悪さもある)法テラスより、(そのような制約が少ないとの前提で)弁護士費用保険が普及する方を期待するのではないかと思います。

もちろん、だからといって、弁護士も保険会社(損保業界)も、互いに依存、干渉の関係が深まるのを避けようとするとは思いますが、「弁護士費用保険が、町弁にとっての主要な受任ルート」という文化が形成された場合、保険会社(損保各社)と町弁(業界)の関係は、いわば「財務省と各省庁」とでも言うべき状態になりますので、顧客やカネの供給を通じて弁護士側に対し様々なコントロールを行うことができる立場になることは、確かなのだろうと思います。

そのような意味で、保険会社が町弁に対する仕事・カネなどの供給に関する基幹部分を担うことになった場合、日弁連そのものということはないせよ、それまで弁護士会が担っていた役割の一部(仕事等の供給機能、ひいては、その適正の確保のための監督機能なども?)を実質的に担うことになるとの展開は、十分にありうることと言わなければならないと思います。

また、保険業界にはそのような役割は無理又は不適切ということで、上記のように、弁護士の品質確保機能を担う別のアクターが登場したり、或いは、保険業界の上から行政が監督機能の出番を虎視眈々と、ということも、十分ありうることでしょう。

いずれにせよ、弁護士費用保険の広範な普及は、弁護士にとっての「カネ」のコントロールを保険会社(保険制度の設営者)が広く担うことになり、必然的に、個々の弁護士が、誰の顔を(どちらの方を)向いて仕事をするのかという点に大きな影響を生じさせることは、否定し難いと思います。

このような展開(可能性)を見据えると、単なる費用填補に止まらない内容(品質保証=斡旋等の機能)を備えた弁護士費用保険(保険商品)の販売を保険会社の側から大々的に行うというのは、弁護士会(業界側)から無用の不信、警戒心を招きますので、行うとすれば、一定数の規模を備えた事務所ないし弁護士グループが損保と提携するという流れをとるのかもしれません。少なくとも、そのような形を取るのであれば、日弁連等の側から阻止するのは困難と思われます(さらに言えば、ただでさえまとまり(統制力)のない業界だけに、「抜け駆け」が生じることで雪崩を打ってという展開も期待できるでしょう)。

この場合、現実的には、すでに損保各社と長年に亘り顧問等の関係を築き上げている全国各地の法律事務所(大物、中堅弁護士さん達)が提携先となるのでは(その形なら、既に相当に出来ているのでは)とも思います。

ただ、この形だと、各法律事務所間には横の繋がりはあまり(又はほとんど)ないと思いますし、それ以上に、その事務所同士が損保側の主導で経営統合などをするというのはまず考えにくいと思います(小規模な合併等ならありそうですが)。また、それらの事務所(先生方)は、業界環境の激変を好まない方のほうが圧倒的でしょうし、利用者サイドから見ても、「顧客が、地域内(時に地域外)の弁護士から自分が頼みたい人を広く選ぶことができるようにする」という弁護士費用保険(弁護士依頼保険)の理想型にはほど遠い展開になるため、面白みを欠くというか、それがゴールではないのではという感じがします。

この点に関し、いわゆる過払大手と呼ばれる事務所が、現在、交通事故業務にシフトしているものの、費用請求の適正を巡って損保会社と多くの紛争が生じているとの話を聞くことがありますが、場合によっては、このような紛争を経て、むしろ、過払大手が損保側の意向に沿う形で損保との結びつきを強めようとする展開もありうるのではと思います。

例えば、過払大手が経営難に陥ることがあれば、創業者を排除するなどして、損保会社や銀行等の主導で、損保側のコントロールが利き易い弁護士ないし法律事務所による救済・吸収合併のような措置を講じることも、あり得るかも知れません(それは、あたかも一代で巨大企業を築き上げた創業者が退場し、メインバンクが再生コンサルなどと組んで経営権を取得するような展開に似ています)。

もちろん、前回までに詳述したように、個々の法律事務所よりも、弁護士ドットコムのような、「弁護士の斡旋事業を営む(営みたい)企業」こそ、現在の弁護士費用保険に欠けている「品質保証機能」、さらには将来には価格コントロール(相場形成)機能なども含めて担う存在として、保険会社との結びつきを強めたがっているのではと感じます。

そして、損保会社としても、それなりに一世を風靡し社会的信用が認められている弁護士ドットコムであれば、提携相手として遜色ないと判断するのではないかと思いますし(経営者の方が国会議員となった場合の影響などは、私には分かりかねますが)、そうしたニーズを見越して、相当数の事業者の参入など新たな展開がありうるのではないかと思います。

(以下、次号)

損保会社と弁護士ドットコムが「新・日弁連」になる日~本題編②

「弁護士費用保険が変える弁護士業界の近未来」に関する投稿の第4回です。

弁護士費用保険が普及すれば、弁護士業界が大きく変容していくのではないかという趣旨のことを述べた投稿の4回目です。今回は「顧客への品質保証などの観点から、保険会社と町弁側を繋ぐ役割を担う企業が業界内で大きな機能を果たし、影響力を増していくのではないか」というテーマについて書きました。

6 弁護士の斡旋(マッチング)サービスと医療界との比較

前回は、「弁護士費用保険の利用者は、弁護士のコストの無料・低廉化を求めるだけでなく、依頼のニーズに適合する弁護士の斡旋等の機能も、保険商品が果たすことを期待しているのではないか。そして、そのニーズに応えるため、町弁に関する幅広い情報提供や斡旋サービスを行う企業が、存在感を高めていくのではないか」という趣旨のことを書きました。

ところで、医療の世界に関しては、日本は国民皆保険制度になっていますので、私も含め、多くの方が、医療に関する公的保険の費用(税ないし保険料)を負担していますが、他方で、私が知る限り、少なくとも公的な医療保険には、ここまで述べてきた「自分の症状に対する適切な診断、治療を行ってくれるお医者さんの紹介」を担うようなサービスは無いのではと思います(いわゆる医療保険にはそのようなサービスがあるのか、勉強不足のため存じません)。

私自身、自分に一定の症状が生じた場合に、そもそも何科に行けばいいのかすら分からないことが多いので、そうしたサービスがあればと感じるところはあります。

反面、そのようなサービスが発生ないし普及しないのは、少なからぬ方が、まずは地元の診療所を利用し、それで対処し切れないと診断された場合には、地元の大学病院を紹介され、それでも対処し切れない(特別な対応が必要・相当だ)と診断された場合には、支払能力があることを前提に?国内の限られた一部の医療機関を紹介され、そのサービスを受けるという仕組みが、割と出来上がっている(その過程で医師から受ける診断やアドバイス等を信頼する文化がある)からなのかもしれません。

そのような観点からは、何らかの法的問題を感じた方が、「かかりつけ医」ならぬ「かかりつけ弁護士=最寄りの(かつ、自分と相性がよい)町弁」に相談し、その町弁では対処しきれない問題は、地元の大事務所や特殊な技能を持った弁護士さんに、という文化が存在すれば良いのではという観点もあるかもしれません。

ただ、弁護士業界に関しては、「大事務所」化している(それが機能している)のは、特定分野への専門特化が強く要求されている企業法務の世界が中心で、町弁の世界では、ある程度の人数がいると言っても、普通の町弁の寄せ集め(集合体)に過ぎないケースも多々ある(言い換えれば、お医者さんの世界に比べて、地元の小規模事務所で十分対処できる業務の方が、遥かに多い)ように思います。そのため、「大病院と町医者」という役割分担のシステムが適合しにくい業界であり、上記のような「町弁Aから専門弁護士Bへの紹介」という紹介システムが機能しにくい面が強いと思います。

また、医療の場合、国民皆保険なので、かえって医師の格付けや斡旋などの仕組みが作れない(横並び的性格が強まりやすい)のではという面もあるのではと思います(もし、保険廃止=自費負担が原則となれば、皆保険社会に比べて、医師間の競争が熾烈なものになりやすいのではと思います)。

この点は、米国の医療保険制度(における医師の斡旋等の仕組みの有無など)を、弁護士費用保険との比較などの観点から研究していただける方がおられればと思わないでもありません。

7 弁護士紹介・選別・格付け業者の台頭と斡旋報酬規制の撤廃?

これに対し、一定のサービスを付して保険商品として販売する方式であれば、競争原理が働き、「我が社の保険は良質な弁護士の斡旋サービスも伴っているので、他社商品より優れている」などと消費者に売り込む(かつ、その体制づくりをする)保険会社も、やがては登場するかもしれません。

ただ、前回述べたとおり、その斡旋機能を保険会社自身が適切に果たしうるか(果たすだけのシステムを作れるか、その意欲があるか)という点には疑問があり、弁護士の斡旋ができる(前提として、利用者のニーズを把握する質の高い相談機能と、そのニーズに合うだけの弁護士を紹介・マッチングできるだけの、業界・業界人への知見や人的ネットワーク等の機能を備えた)企業が、社会的なニーズとして求められてくるのではないかと思います。

そして、私の知る限り、現時点で、そのポジションに最も近い位置にある(かつ、他の追随を許していないと評しても過言でない)のは、「弁護士ドットコム」だと言ってよいのではと思います。

ただ、現時点で弁護士ドットコムが果たしている役割は、せいぜい弁護士の紹介機能(無料相談サイトによる能力紹介ないしマッチング的な機能を含め)に止まり、上記のような意味での斡旋機能を果たしているとは思われません。

また、弁護士ドットコムという企業が、ここまで述べてきたような「顧客のニーズに適った弁護士を紹介できる適正な斡旋」を果たしうる企業と言えるのかという点も、(同社の実情を把握しているわけではありませんが)現在の弁護士ドットコムのサイト情報など、公開されている情報を見る限り、まだまだ未知数だと思います。

このような機能・役割を果たすには、町弁が従事する基本的な諸業務及び基礎となる法制度などに通暁することを要すると共に、長年に亘り、弁護士業界(又はその周縁)に身を置いて、多くの弁護士の仕事ぶりや建前と本音、業界の理想と現実を見て、体系的に業界情報を収集、整理している方でないと、到底担えるものではありませんから、元榮氏が創業した新興企業というべき弁護士ドットコムが、現時点でそれだけの知見、ノウハウを企業として有しているか(短期間で備えうるかも含め)、懐疑的と言わざるを得ません。

敢えて言えば、現在、弁護士ドットコムが、一般向けのQ&Aなどの事業を盛んに行っている点は、それに参画している弁護士の情報を整理することで、ツールの一部として活用することができるのだろうとは思いますが、もちろんそれだけで足りるような話でもないでしょう(元榮氏が弁護士ドットコムの創業について記したご著書をまだ拝見していませんが、このような観点から読んでみれば、色々と分かることがあるのかもしれません)。

さらに言えば、そもそも、本格的に(業として)弁護士の斡旋を行おうとすれば、現行の弁護士法72条に明らかに違反しますので、そのような業務を営むこと自体が不可能です。そのため、現在、事実上の弁護士紹介(斡旋)サービスを行っている事業者は、基本的に、利用者ではなく弁護士から、広告料という形で、その対価を徴収するに止まり、個々の相談・委任希望者と個々の弁護士とのマッチングには従事していないはずです。

ただ、その結果として、「紹介するに相応しい弁護士」よりも、「仕事が欲しい弁護士」の方が、そのようなサービスを多く利用しているため、時には、我々(同業者)に言わせれば誇大広告ではないかと感じるような文言を掲げて宣伝しているのを見かけるという、「逆説的な供給サイドの都合優先じみた光景」が生じていると、言えないこともありません。

とりわけ、それら「宣伝熱心系」の弁護士(事務所)の中には、顧客に過大な報酬を請求・取得し、それを広告費用の原資にしているのではないかなどと業界内で白眼視されているものもありますので、なおのこと、弁護士の広告(一般向けの情報提供)のあり方を巡っては、現在の風潮のままでよいのかという印象を拭えません。

この点、元榮氏が次回の参院選に出馬されるとのことで、そのことと直ちに結びつくかどうか分かりませんが、将来的には、弁護士法72条のうち弁護士紹介業を禁止している部分は、現在の社会では合理性のない規制だとして規制緩和等の運動が起き、撤廃ないし修正をされる可能性が相当に出てきているのではないかと感じます。

すなわち、かつての「二割司法」の時代は、(当時の司法の状況なども踏まえ、弁護士であれば、誰に頼んでも、概ね問題ないサービスが受けられるという認識のもと)弁護士のサービスを利用できる層ないし事件が限られていたため、「弁護士を紹介・斡旋できること」自体に財産的価値が生じやすいという面があり、そのことで、「弁護士の支援を必要とする社会的弱者」から不当な暴利を貪る輩が存在したことから、それを禁圧する趣旨で、有料斡旋禁止の必要性(を基礎付ける立法事実)があったと言うことができます。

これに対し、弁護士数の激増に加え、町弁業界ですら一昔前に比べて様々な約束事が増え、弁護士なら誰でもこなせるわけではない仕事が増えている「八割司法」の時代になると、「希少種を紹介する対価として不当に暴利を貪る輩」が生じる可能性が相対的に低くなり、むしろ、自分が依頼したい業務をこなせる弁護士が誰か(どこにいるのか)等を把握したいというニーズに応えるべしとの声の方が高まるのではないかと思います(もちろん、そのように言えるかという立法事実の問題も、慎重な調査、検討が必要と言うべきでしょうが)。

そして、その結果、一定の条件(営業方法規制や弁護士の経営関与及び弁護士会の監督など?)を付して、有料紹介業を解禁するという展開が、少なくとも近未来の可能性としては、相当程度、出てきているのではないかと思います。

8 法テラスとの比較について

ところで、ここまで専ら「弁護士費用保険が普及した場合に(或いは普及の前提として)、弁護士を選別(マッチング)するシステムを、顧客(契約者)や設営者(保険会社)が求めてくるのではないか」という観点で書いてきましたが、同じことが法テラスについては生じないのかという検討は、あってよいと思います。法テラスも、報酬基準や立替制などの違いはあれ、「依頼の際に費用を支払わなくとも弁護士に依頼できる(受注側も依頼者の支払リスクを回避できる)システム」という点では、弁護士費用保険と同じ機能を有するからです。

とりわけ、法テラスが資力要件を撤廃した場合には、弁護士への依頼業務の多くが法テラス経由となるのではないかと見る向きもあると思います。

ただ、法テラスは立替=結局は自己負担であることに代わりありませんし、受注側にとっても、(低額報酬に相応しい簡易事案はともかく)すべての事案で法テラスの報酬基準が貫徹されると、経営維持が困難として忌避する傾向は大きいでしょうから、利用者・受任者双方にとって難点を抱えた(メジャーな存在になりにくい)補完的な制度としての色合いは否めないと思います。

震災無料相談制度の恩恵に浴している被災県の弁護士としては、現在の「30分までの無料相談業務」に関しては、資力基準や法人排除を撤廃して良いのではと思いますが、受任事件に関しては、資力基準を撤廃してからといって、法テラス方式が当然に普及するわけではない(その点は、保険制度と大きく異なる)と感じます。

(以下、次号)

損保会社と弁護士ドットコムが「新・日弁連」になる日~本題編①

「弁護士費用保険が変える弁護士業界の近未来」に関する投稿の第3回です。

弁護士費用保険が普及すれば、弁護士業界が大きく変容していくのではないか(弁護士側も、それを必要とせざるを得ないのではないか)という趣旨のことを述べた投稿の3回目(ここからが本題部分)です。

4 弁護士費用保険の普及と「弁護士の品質確保と選別・監督機能」

ところで、現在の弁護士費用保険(前回に述べたとおり、私はプリベント社の保険の実情を存じませんので、損保各社が展開している自動車保険の特約を前提に述べます)は、基本的には、契約者(利用者)自身が依頼する弁護士の費用を保険契約の範囲で補填するという定めをしているに止まり、弁護士の斡旋等を当然に含んでいるわけではありません。

もちろん、多くの損保社では、それぞれの地域に、顧問ないし特約店である弁護士(加害者側でその損保社の保険給付の必要が生じた場合に、損保社が加害者代理人として対応を依頼する弁護士)を抱えていますので、契約者ご本人のご希望があれば(或いは、保険商品の販売代理店から相談があれば)、その弁護士を被害者代理人として紹介するという例が多いのではないかと思います。かくいう私も、仕事でお世話になっている損保会社さんがあります。

ただ、利用者の立場で「弁護士のサービスを受ける保険」を突き詰めれば、それ(費用補填)だけで十分というのではなく様々なニースがあることは、優に想像できることです。

なんと言っても、利用者としては、弁護士の費用負担を免れれば(保険が払ってくれるのなら)それでよいというものではなく、依頼する弁護士が、利用者(依頼者)の依頼の趣旨に合致する仕事を適切に行ってくれること=そのような弁護士を斡旋すること(品質保証)も含めて、その保険商品に機能して欲しいと希望していると思います。

もちろん、10年ないし数年前までは「依頼する弁護士の質」というのが問題とされることは、町弁業界では滅多に無かったと思います。弁護士費用保険の有無などもさることながら、弁護士の絶対数や情報流通などの問題から、顕在化しなかったという面があるのではと思われます。

これに対し、現在では、町弁の絶対数の増加に伴い、供給者側の問題(研鑽の度合いなどに関する一定のばらつき)はもちろん、利用者側も弁護士を選択、選別できる権利ないし利益があるという意識が高まっていることは確かだと思います。また、レアケースとはいえ、近時は不祥事などで突然死(事業停止)する弁護士も出現していますので、そうした理由で、依頼先の弁護士(法律事務所)の健全性に対する関心も生じていると思います。

言い換えれば、現在の弁護士費用保険制度は、「弁護士を原則として無料(保険料のみ)で利用できる」という低コスト利用の要請については概ね満たしていると思われますが、品質保証(保険を利用して依頼する弁護士が、対象となる業務を、実務水準や顧客の資質・個性などに照らし適正に遂行できること、ひいては、そのような弁護士を紹介・斡旋すること)という面では、十分に機能しているとは言えないと思います。

まして、保険を利用して依頼する個々の弁護士の業務に対する監視・監督や、上記の業務停止等によるトラブルの防止策(経営状況の監視・監督)や被害補填などという点では、およそ機能していないと言ってもよいのではないでしょうか。この点は、加害者側であれば、保険会社が自ら賠償金の支払をする関係で、方針の策定段階から全面的に保険会社が主導し、誤解を恐れずに言えば、弁護士は「損保の意向を忖度して行動する手足」として仕事をするに過ぎない(その意味で、依頼者から弁護士への業務監督機能が貫徹されている)ことや、継続的な委嘱等を通じて、委嘱先の弁護士への情報収集などが行われている(のでしょう)ことと、大きく異なっていると言えます。

また、利用者サイドの事情だけでなく、供給者(弁護士)側の状況も、かつてとは大きく異なっています。端的に言えば、事務所(弁護士としての自分)の存続のため、弁護士費用保険を利用した事件の受任を必要とする弁護士が、かつてなく増えていることは確かだと思います。

その上、町弁の仕事・研鑽は大半がOJTという性格が強いことから、町弁の多くが、弁護士費用保険を通じた事件受任に依存する面が強まれば、そのことは、研鑽等の機会も保険に依存する面が強くなるということになりますし、何らかの形で損保会社から業務上ひいては経営上の監視・監督を求められることも受け入れていかざるを得なくなるのではと思います(この点は、法テラスも同様ですが)。

要するに、弁護士費用保険の課題ないし未来像として、低コスト利用機能のほか、品質保証などの機能も果たすことが期待・要請され、これを果たそうとすれば、利用者サイドのニーズに応える形で、保険会社が町弁の業務への関与・干渉を深める方向に舵を切っていくことが予測されるということです。

5 弁護士の格付けや依頼者のニーズに即した斡旋を行う企業

ただ、弁護士費用保険を販売する損保各社が、近いうちにそうした機能を果たすことができるかと言われれば、少なくとも現時点ではそのような能力も意欲もない(今のところは、最近話題の不正・過大請求を抑止し、トータルで黒字事業を営むことができれば十分と考えている)と感じます。

一般論としても、損保各社が弁護士の各種能力や経営その他に関する詳細なデータを集めて、それをもとに保険契約者に弁護士を斡旋等するというのも、現実的ではないと思われます(ただ、保険利用にあたり会社の同意を求めるという約款を用いて、各社の地域拠点ごとに存在する顧問などの弁護士に事実上、集約させていくという手法を採用する会社は生じてくるかもしれません。その社は日弁連LACには加入しないのでしょうし、それがその損保会社にとって賢明な選択と言えるのかどうかまでは分かりませんが)。

そこで、保険会社に代わって、弁護士の各種能力に関する情報を収集、集積し、利用者のニーズ(簡易案件か困難案件かなどの判断も含む)や個性などに応じて、そのニーズに適合するような弁護士を抽出して紹介・マッチングするような、一種の「弁護士の格付け・斡旋企業」が求められてくるのではないかと考えます。

また、その企業が、不正・過大請求をするような弁護士を排除して良質な業務を低コストで提供する弁護士を中心に紹介等するのであれば、利用者サイドだけでなく、保険会社側にも必要・有益な存在として歓迎されるでしょうし(約款の定め方などにも影響しそうです)、そのような斡旋等のサービスが弁護士費用保険の対象外の事案でも利用できるのであれば、その役割(町弁業界におけるプレゼンス)は、著しく向上するのだろうと思います。

もちろん、そのような「格付け・斡旋企業」なるものが、一朝一夕にできるわけもなく、現時点では夢想の域を出ないかもしれませんが(法規制の問題もありますし)、仮に、我が国で、そのようなサービスが本格的に生じうるとすれば、現在のところ、元榮太一郎氏が率いる「弁護士ドットコム」が、その最右翼と言えるのではないかと思います。

(以下、次号)

損保会社と弁護士ドットコムが「新・日弁連」になる日~前置編②

「弁護士費用保険が変える弁護士業界の近未来」に関する投稿の第2回です。今回も、前置き部分(業界の現状説明)なので、業界関係者は読み飛ばしていただいてよいと思います。

2 前置き②弁護士報酬を低額化することの困難さ

弁護士の年間供給数を巡って何年も議論が繰り返されていますが、「弁護士が増えても需要が増えない」と増員反対派の方が主張する根拠として一番強調しているのは、弁護士への委任費用が高額であり、それを負担できる方は限られているから、多少の紛争や相談ごとはあっても、弁護士に依頼しない形で処理・解決を図らざるを得ない方が多く(断念を含め)、社会(国民)の弁護士の利用頻度は、限られたものとならざるを得ない(「二割司法」は克服すべきだとしても、五割以上まで司法が社会生活上のプレゼンスを持つのは費用面で無理)という点ではないかと思います。

また、所得や資産が大きくない方は、法テラスの立替制度を利用でき、かつ、法テラスの報酬基準は弁護士会の報酬会規等よりも低いことが多いのですが、それでも少額とは言えない額ですし、毎月の返済が原則ですので、利用者自身の負担が小さいわけではありません。

他方、受任者側にとっては、多くの手間と労力を要する事案であれば、それに見合う費用なのかという問題に直面せざるを得ず、結局、法テラス案件は、低コスト経営ができている弁護士や、事務局に事務処理の多くを任せることができる事件(事案が単純で定型処理が可能なもの)、或いは低賃金で優秀な職員を擁する事務所などでない限り、他に収入源がないと、持続可能性に不安を感じる部分があることは確かです。

刑事に限らず(刑事以上に)多くの民事手続が「精密司法」(大雑把に言えば、ロクに勉強せずイージーな仕事をしていると、裁判所に色々と難癖を付けられて裁判手続を進めて貰えなかったり、相手方の争い方などにより論点が次々に増えて事務作業が嵩んでいく)という面があります。

もちろん、さほど手間を要しない仕事も無いわけではありませんが(典型は、争いのない競売手続などの特別代理人)、そうしたものは、遥か昔から低コスト(低報酬)化されています。

また、特需期の個人の債務整理のように、ある程度は定型化が可能な業務が一度に大量受注できる事態になれば、事務局を習熟させることで多くの業務を任せることができ、その結果、低コスト化を実現できます。

ただ、債務整理も「よく聞いてみると、意外な問題が潜んでいた」というケースも相応にありますので、それに適切に対応するのであれば(それが弁護士として当たり前ですが)、一人の弁護士が何人も事務員を採用し丸投げするなどということはあり得ず、価格破壊といっても限度があります(尤も、東京などではそうしたモンダイ弁護士も存在し(今も?)、仕事を丸投げして安易に高額報酬を貪っていたなどと言われています)。

ともあれ、上記の理由から、弁護士業務の多くが「短期決戦(お手軽勝利)が難しいオーダーメイド戦争(に従事する傭兵)」という性格を持たざるを得ないため、多大な手間を要する受任業務が中心となる現在の司法制度では、弁護士の受任費用を低額化させるには、かなりの困難が伴います。

3 弁護士費用保険による上記の諸問題の解決

このような事情から、現在、普及している交通事故(自動車保険の特約)に限らず、社会・家庭生活や企業活動の多くの場面・紛争で適用されるような弁護士費用保険が普及すれば、医療保険と同様、高額な費用を薄く広く負担いただくことで、利用者自身の負担軽減による受任者が了解可能な報酬額での利用促進(Win-Win)が可能になります。

これにより、激増した「零細事務所を経営(又は勤務)する町弁」達に「食える仕事」を供給できることはもちろん、利用者にとっても、費用負担からの解放はもちろん、依頼する弁護士に、赤字仕事を嫌々というのではなく、ペイする仕事をやり甲斐を持って引き受けて貰うことが可能になり、良質なリーガルサービスの享受という意味でも、メリットが生じることになります。

少なくとも、現在の交通事故実務では、少額事案(物損のみの過失割合紛争が典型)を、「(大企業向けの先生方には笑われる額かもしれませんが)町弁としてはペイする単価」のタイムチャージ形式で受任することが通例ないし普及しており、私自身を含め、多くの弁護士が、かつてのように「大赤字となる少額の報酬でため息をつきながら仕事をする」ということは、ほとんど無くなっているのではないかと思います(その一方で、高額事案の受任件数も「パイの奪い合い」的な形で減っているわけですが)。

反面、損保会社によれば、現在の弁護士費用保険を巡っては一部に不正請求の疑いがある例がある(大規模な事務所ぐるみで行う例もある?)とのことで、後述のとおり、解決策の構築が待たれると共に、業界のあり方に激変を加える要因になるのではと思っています。

ですので、現在のところあまり大きな声を聞くことがないのですが、弁護士費用保険の発展・普及を一番望んでいるのは、ベテランであれ新人であれ、こうした伝統的な町弁スタイルをとっている弁護士達ではないかと思いますし、そのことは、診療所をはじめ一般の医療機関(お医者さん達)が現在の医療保険制度を支持し、医師会の政治力?(もちろん国民の支持を含め)でこれを維持していることとパラレルではないかと思います。

なお、現在の自動車保険に関する弁護士費用特約は、非常に大雑把な作りになっており、また、利用者の自己負担がないなど、医療保険とは立て付けが大きくことなり、その弊害も様々な形で噴出しており、早晩、一定の変容を余儀なくされると思います。

この点=現在の交通事故の弁護士費用特約を巡る諸論点と改善策も、書きたいことは山ほどありますが、今回は省略します。少なくとも、事案の性質に応じ一定の自己負担が必要となる設計の保険でなければ普及しないでしょうし、その場合には、保険給付の程度(勝訴の見込みの程度など)を審査する能力を有する第三者(弁護士等)が必要になるのではと考えています。

また、数年前に、丸山議員(弁護士)が広告塔をなさっていることで有名な「交通事故以外にも広く適用される弁護士費用保険」が、プリベント社という会社さんから発売されています。

私はこの保険の契約者の方から事件受任をした経験がないので、詳細(保険商品として適切に設計されているかなど)を存じないのですが、少なくとも、交通事故以外の紛争(特に、事故被害をはじめ、自身の努力のみでは防ぎにくい被害の賠償問題など)の代理人費用を給付する保険については、同社に限らず、速やかに同種の保険を普及させていただければと思っています。

(以下、次号)