北奥法律事務所

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損保会社と弁護士ドットコムが「新・日弁連」になる日~前置編①

弁護士業界の近未来(業界が変容する姿の予測)に関し、少し前に投稿した2つの文章の延長線で、次のような光景を考えてみました。

要約すると、「現在の弁護士供給数でも町弁業界が健全性を維持できるようにするには、弁護士費用保険の普及が必要不可欠だが、その場合、費用拠出者である保険会社(ひいては監督官庁)が、弁護士の業務態勢や経営面などに広範に関与(監視・監督)することが不可避である。また、その点で保険会社を補佐する「弁護士業界に精通した組織」が必要になるところ、それは日弁連とは異なる存在が担うことになる(現在のところ、弁護士ドットコムがその最有力候補になる)のではないか」というのが論旨となります。

また、長くなってしまったので、計6回に分けました。業界状況をご存知の方は、第3回(本題編)からご覧いただければ十分でしょうから、適宜、読み飛ばして下さい。

1 前置き①町弁業界の大競争時代(と零落?)

約20年前まで、我が国の司法試験合格者の数は、年間500人に絞られていましたが、司法制度改革により、約10年前に1000人になり、数年前に2000人まで増えました。その中で裁判官・検察官となる(採用される)方は今も昔も年間150人(~200人弱)程度に絞られていますので、弁護士の年間供給数は、昔なら350人、今では1850人程度(昔の5倍以上)ということになります。

ただ、町弁業界の不況のため、(企業や役所などに就職する方はさておき)新人弁護士の一般的な路線=既存の弁護士の事務所(大半は零細企業規模)に就職することが困難である(新人全員を受け入れるだけの勤務弁護士≒従業員としての求人がない)ことなどから、新人の就職難やこれに伴う業界全体の混乱を回避する見地から、当面、1500人に減員することになりました。

ちなみに、業界の「不況」については、債務整理特需(俗にいう過払バブル。実需としての性格はありますので、バブルという表現は適切ではなく、特需と表現するのが正しいです)の終焉に加え、裁判所の統計によれば訴訟手続全般の新受件数も低落傾向にあること、企業倒産も史上有数の減少傾向が続いていることなどが要因(内訳)となっており、田舎の町弁の一人である私の実感も、概ねこれに沿うものとなっています。

他方、町弁が暇を持て余しているかといえば、必ずしもそうではなく、家事事件(主に、法テラス経由)を中心に、業界人の感覚では、業務量に比して報酬が大きくない、言い換えれば、相応の報酬はいただくものの、次から次へと細々した事務処理が必要になるため、時給換算で赤字計算になる仕事が多くなっている(それでも、仕事を選り好みする贅沢ができないので、研鑽の機会も兼ねて、受任して処理していかざるを得ない)のではないかと思います。

建設業の倒産が多かった時代(小泉内閣の頃)に私が管財人として携わった事件の記録(代表者の陳述書)に、破産に至る経緯として「不況なので採算割れする仕事も次々に受注し、ますます経営が悪化した」などと書いてあるのをよく見かけましたが、今や我が業界が、その様相を呈しつつあるのではと感じるところがあります。

もちろん、今は、町弁業界でも多人数のパートナー形式など僅かな経費負担で事務所経営をする若い弁護士さんも多く、私のようにイソ弁もいないのに一人で町弁2人分の運転資金を抱えるなどという人間は少数でしょうが、全体として、町弁(特に、若い世代)の所得水準が大幅に低下していることは間違いないと思います。

そんなわけで、私も、何年も前から、事務所の存続のため、若干でも経費を負担いただけるパートナーの加入を切望しているのですが、運の悪さか人徳の無さか、そうした出逢いに恵まれず、現在に至っています。平成20年前後には、新人を容易に雇用できるだけの売上があったので、その頃に良い出会いがあれば、今頃はパートナーに昇格して支えていただくという道もあったのでしょうが、様々な理由から人材獲得の努力をせず運を天に任せてしまいましたので、幸運の女神に後ろ髪はないというほかないのでしょう。なお、その頃の収益は、税金と住宅ローンの前倒し返済に消えました。

(以下、次号)

会社分割に関する基礎知識

先日、ある会社さんから、会社分割を検討しているので、基本的な知識ないし枠組みなどを教えて欲しいとのご相談を受けました。

会社分割は、倒産絡み(詐害行為問題)など幾つかの裁判例の勉強を通じて関心を持っていましたが、仕事上お付き合いさせていただいている「規模の大きい企業さん」の数が多いとは言えない田舎の町弁の悲しさで、これまで会社分割に仕事で関わることが皆無に等しく、数年前に購入した実務書も埃を被った状態でした。そこで、貴重な勉強の機会を頂戴したと受け止め、書籍のうちご相談に関係する部分を一通り読んでご説明したところ、必要に応じて改めてご相談いただくというご返事をいただき終了しました。

会社分割は、大きく分けて、他社による吸収合併等が伴う「吸収分割」と、それが伴わない「新設分割」の2つの類型があり、そのご相談は、新設分割を目的とするものでした。

新設分割をする場合、おおまかな手続としては、

①会社法所定の分割計画書等を作成し、取締役会や株主総会の承認を得ること

②労働者に関し、新設会社への雇用承継や分割会社(本体)への残留者が生じることなどから、労働者(組合又は代表者)と協議する(了解を得る)こと
(会社分割に関する労働契約承継法に基づく通知等の手続を要します)

③債権者や株主のための公告等


などを行った後、分割に関する登記(新会社の設立登記)を申請することになります。

なお、上場企業など企業規模が大きい場合には、独禁法絡みの手続があります。また、新設会社の承継資産が分割会社の資産の1/5未満であれば、株主総会の承認を要しないとする手続もあります。

会社分割に関して紛争が生じる典型例は、次の2つではないかと思われます(少なくとも、会社分割に絡む裁判例は、この2類型に集中しています)。

①経営が行き詰まった企業が、不採算部門を分割会社に切り離して(或いは、優良資産を新設会社に移して)債権者に無断で不良債権処理しようとする(その結果、債権者=金融機関から様々な訴訟を提訴され紛争となる)ケース(紛争予防のためには、不採算部門の整理などを含む事業再生などについて金融機関と十分に協議をする必要があるとされています)

②労働問題(労使紛争など)を抱えた企業が、解雇等を希望する従業員を、解雇可能性の高い不採算部門に承継又は残留させたため、不満のある従業員から地位確認等請求訴訟などを起こされるケース

裏を返せば、そうした問題を特段抱えているのでなければ、粛々と手続を進めることができるのではないかと思いますが、実際に手続を進めて行くにあたっては、分割の目的を明確化させると共に、分割という手段ないし手続が、その目的に合致しているか(阻害していないか)について、多角的分析する姿勢が、担当する弁護士等はもちろん、経営者側にも強く求められるのではないかと思います。

冒頭記載のとおり、私自身に会社分割に携わった経験がなく、また、県内の弁護士で、この手続に関与した経験がある方が多いとも思えませんので、スムーズに手続を進行する上では、弁護士に限らず、適切な経験のある方(紛争性のない一般的な分割案件であれば、登記の関係で関与した経験のある司法書士の方は県内におられるのではと思います)に相談いただいてもよいかと思われます。

もちろん、当方も、文献等に基づいて、分割計画書のベースなど、一定の書面の作成や手続に関するご説明などをすることは可能ですので、会社分割に限らず、必要に応じ、ご相談、ご連絡いただければ幸いです。

弁護士会がロビー団体になる道と八割司法の実現のための努力

前回の投稿の延長線上の話です。

新人弁護士の激増と需要低迷(業界不景気)により、主に若い層の弁護士の低所得者化が進んだことで、弁護士業界や弁護士会のアイデンティティに何らかの大きな影響が生じてくると思うのですが、今のところ、具体的にどのような影響が生じるか(変革の方向性)は、見出せていません。

ありがちな流れとしては、日弁連会長選などで、「単なる業界団体として、低コストで会員への仕事供給ができる弁護士会像」を全面的に打ち出す候補者や支持基盤が現れ、そうした方向に弁護士会が変貌するということは、あり得るかもしれません。

そのような方々は、要するに、「食えるための弁護士会」を志向するでしょうから、実利に直結しやすい政策(業務拡張策)を強化し、そうでない政策は切り捨てる方向に進むでしょう。

具体的には、まず、弁護士会の会費を大幅に減額させ、現在の会費の使い道になっている大がかりな委員会活動(人権擁護大会などを含む)などへの財政支出を止めて、そうした活動(例えば、困っている人に、弁護士の関わりに関係なくお金を支給せよなどというような、単なる弱者救済・福祉給付的な政策提言など?)を希望する方は、弁護士会はカネも出さず関与もしないので、自分達(任意団体)でなさって下さいということになると思われます。

さらに、現在の「会による会員への最大の仕事供給源」というべき法律相談事業についても、弁護士会の低コスト経営や「民業圧迫(個々の弁護士が自前で行う宣伝活動との競合)の防止」という名目で、会としての運営を止め、法テラスや中小企業庁など各種団体に設営(会場やスタッフ確保)を依存し、弁護士会は原則として行政等への開催の企画・陳情のみを行うといった方向も考えられるかもしれません。

その上で、弁護士会の圧力団体化、言い換えれば、「ペイする」仕事を増やすための仕組みを作ることに、会の活動の軸足を置くのではないかと思います。

例えば、医療界が実現したように、行政を動かして強制保険(或いは補助金?)的な形で弁護士費用保険(ペイする仕事ができる経済的基盤)を強化、拡充する政策を掲げるでしょう。

ただ、そうした制度を勝ち取るためには、金主というべき行政ないし保険会社が、不正給付の防止等の理由で弁護士業務に監視、監督する流れになることが避けられませんので(現在の弁護士費用保険も、そうしたリスクを内包しているのですが、そのことにどれだけの方が気付いているのかは分かりません)、最終的には、弁護士自治の放棄(行政の監督への服属と具体的な監視・監督方法の制度化)を受け入れる方向に結びつきやすくなるでしょう。

また、カネとは別に、制度の問題として、現在の司法制度の中に「弁護士を選任しないと手続を行うことができないもの」を増やしたり(管財人選任義務などが典型。家裁・執行方面にその余地が多そうです)、弁護士を選任した方が利用者にメリットが大きい法的制度の導入の推進など、「特定の事象については、弁護士に頼んだ方が、そうでないよりも国民に良いことがある」或いは「特定の事象については、弁護士に代理業務等を頼まないと社会生活が上手く進まない」といった制度の導入(ロビー活動)に全力を注ぐことになるでしょう。

そんなわけで、「弁護士会が、人権擁護運動的な路線を捨てて(或いは軽視して)利益団体的性格を強めた場合に想定される展開」について、あれこれ考えてみました。ただ、このような弁護士像では夢がないというか、やはり、功利主義的な傭兵ではなく弱者救済等に邁進する弁護士像もあってこそ、弁護士という職業ないし業務に対する国民の支持や理解も得られることは確かでしょうから、そんなに単純化できる話でもないのでしょうね。

こうしたことを考えると、改めて、激増政策により町弁という傭兵を大量に補充した一方で、その兵隊達に対し、潜在的能力に見合った働きをさせるための武器(法制度)や戦場(受任業務)が不足しているのではないか、その結果、満足な武器も与えられずに敗北必至の無謀な戦場に駆り出されたり(弁護士が活用できる効果的な法制度等が備わっていないのに、成果の目処もないまま訴訟などを起こして精根を浪費するとか?)、軍を派遣する必要のない進駐をさせ兵站を浪費する(法律論よりメンタルケアの必要な方に関する事件性のない相談業務など?)という現象が生じているのではないかと感じます。

だからこそ、日弁連ないし業界の重鎮の方々におかれては、武器(国民に必要有益なもので、かつ弁護士には使い勝手がよい法制度)や戦場(それを活かした紛争その他の活躍の場)を増やしていくような、比喩的に言えば、兵器産業とか軍産複合体のような役割が求められているのではないか(日弁連等は、その役割を十分に果たしていないのでは)と感じるところはあります。

我が業界は、これまで二割司法と言われ、高コストなオーダーメイド産業というべき弁護士の裁判費用を担うことができる(それに相応しい)利用者層ないし事件に限って取り扱うような面は、それなりにありました。

今、交通事故の弁護士費用保険のように、そうした様相が「八割司法」へと逆転しつつあることは確かですが、兵隊の数だけ増やしても、その兵隊が活躍できるだけの武器(法制度)や厳しく適切な訓練(それに耐えられない弱兵を平穏にリタイアさせることも含め)、兵隊を食わせるだけの原資などが整備されないと、いずれ、兵隊達の軍紀が乱れ、社会に害をなすときが来るでしょうし、最近は頻繁に目にしている横領事件の報道なども、その表れと言わざるを得ないのでしょう。

今こそ、利用者サイドの意識改革に向けた取り組みも含め、二割司法(執行法をはじめ、実効性の低さや使い勝手の悪さを多く内包し、限られた案件だけ扱うことを前提とした司法制度)から八割司法に逆転させるための努力が、業界等に求められていると思われます。

これに対し、上記で述べたような「弁護士会のロビー団体化」という路線は、体制変革を正当化する論理ではなく世論の支持も得られませんので、方向性としては恐らく生じないのでしょう。だからこそ、そうした志向が垣間見える弁護士・法律事務所の勢力拡大なども、彼らが自己変革を遂げない限り、一過性のものになるのでしょう。

むしろ、八割司法のための司法制度(裁判その他の司法制度による紛争解決・予防機能の抜本的向上と弁護士の利用促進)を提唱できるかどうかが現在の司法には問われており、それができたとき、前回の投稿で触れたような、本当の司法革命が起きるのではないかと思います。

そうした意味で、弁護士会は、会員から現行制度の様々な不備、弊害=改善の必要性を支える事実(立法事実)を拾い集めて、制度の改善・整備を推進し、利用者と弁護士の双方にとってwin-winとなる制度ないし実務文化を整備することにこそ、力を注いでいただきたいものです。

現在、多くの業界では若い担い手の不足ということが叫ばれており、そうした観点からは、若い世代が凄まじい量(割合)で流入している我が業界は、大きな将来性を持った業界という見方もできると思われ、ピンチをチャンスに代える努力を、私自身も続けていきたいと思っています。

司法革命の前夜?

最近、「弁護士の急増に需要が追いついておらず、弁護士の収入が大幅に低下している。かつては羨むような年収があったのに、今や憐れむような額しか得ていない」という記事をネット上でよく見かけますが、業界人にとっては、何年も前から公知の事実です。

この話は、この1、2年で一般の方々にも知られるようになってきたと思われますが、私自身、当事務所の運転資金の負担が軽くない上、ここ数年は作業量に比して利益率の低い仕事が増える一方で、残念ながらその例に漏れません。幸い、どうにか食べていけるだけの収入はいただいているほか、過去の蓄えもありますので、横領等の問題には直面しなくて済んでいますが。

このことは、以前にも触れたとおり、債務整理特需の後は町弁の実需が大幅に減ることが優に予測されるのに、弁護士の供給増を推進した方々が、それを見越した需要喚起や新業態進出などの実効的な対策(特に、相当の収益性を図ることができる仕事の確保や創出に関する対策)を取ろうとせず、業界側(弁護士会や個々の弁護士等)も同様の努力を怠ったことが主たる要因だと思います。

ともあれ、現在の町弁の収入が10年~数年前と比べて劇的に低下し、残念ながら同世代の給与所得者一般よりも大幅に少ない方も相当に生じてきていることは間違いないと思われます(反面、私がなりたての頃に存在した「若い町弁の過労問題」とは無縁の方も多く生じているのだろうとは思いますが)。

先日、日経新聞で、全共闘運動をしていた団塊世代が先鋭化せずに企業社会に溶け込んだことについて、その世代の学者の方が、当時の日本が豊か(高度成長期)で、学生運動をしていた面々がアルバイトを始めると、びっくりする金額が貰えたので、統制色の強い学生運動ではなく自由で経済的にも恵まれた世界を選んだのだと述べているのを見つけました。

記事では、「いま、デモをするアラブや欧州の若者を見ていると、若いときの自分たちと重なる。働いても人生が良くならないと思うと過激になる。私達は(経済成長の時代に育ったので)そうはならなかった。全体として幸運な世代だった」と締め括られていました

それとの対比で言えば、私が弁護士になった平成10年代前半は、町弁が経済的に恵まれており、私自身、正直に申せば、若いうちから(私の金銭感覚で)「びっくりする金額を頂戴した」ことも多少はありましたが、残念ながら、現在の若手は、そうした機会に恵まれず、働いても人生が良くならないと感じる弁護士が急増しているのではないかと思います。

現在のところ、若い弁護士さん達が「過激」な行動に出ているのを見たことがないのですが、そう遠くないうちに、高額な弁護士会費の減額や、会費の使い道とされる、「弁護士会の人権擁護運動」(それに従事する弁護士会事務局の人件費などを含め)の縮減を求める声が、若い世代から本格的に生じてくるのではと感じる弁護士は少なくないでしょう。私の知る限りでも、仕事に結びつかない会務に若い世代が集まらないという話をよく聞くことがあります。

この点、弁護士会の内輪もめで終わる話なら、業界外の方にはあまり興味のない話ということになるかもしれませんが、弁護士業界を超えた社会全体に波及する形で、自分の待遇に不満を持つ若い世代が「過激行動」を起こすか否かについては、関心を持ってもよいのではと思います。

上記の日経の記事で発言されていた先生は、団塊世代の10歳上の「学生運動のセクトの指導者世代」は、軍隊のような上意下達で、禁欲的かつ原理主義だと仰っていました。ただ、「若く貧しい弁護士を惹きつける原理主義」なるものが、今の業界に存在するかと言われれば、ピンと来ません。

むしろ、私(50期代)よりも10~20期くらい上の世代の方々の中に、私のようなノンポリからすれば一種の原理主義ではと感じるような、「弁護士会の人権活動」に熱心・禁欲的に取り組む方が多いように思います。また、私の同世代や少し若い世代の方にも、そうしたものに熱心に取り組んでいる方は何人かは存じています。

これに対し、若い世代の多数派は、そうした方に同調・依存するより、「カネにならない人権活動に熱心に取り組むことができるのは、裏を返せば、本業で働かなくても弁護士を続けていける(生活できる)何らかの利権に浴しているのではないか。そうした利権を剥奪・破壊して、自分の側にカネが廻るようにしたい」と希望していくかもしれないと感じるところはあります。

少なくとも、私のように、今や零細事務所の運転資金に汲々として、「人権運動」に手を出す余裕もない身からすれば、そうしたものに精力的に取り組むことができる方は、私が直面している金銭的な負担とは縁遠い世界を生きることができているのでしょうから、その点は羨ましく感じるところはあります。運転資金の負担がない代わりに生活費レベルの売上すら事欠くような若手にも、同じような感覚が生じるのは避けがたいところはあるでしょう。

ただ、仮に、そうした「いわゆる人権運動に取り組む弁護士さん達の背後にある利権的なものへのバッシング」のようなものが生じたとしても、それを具体的にどのように実現するかと問われれば、私も全く智恵が浮かびません。せいぜい、立法的・政治的手段くらいですが、それは司法の主たる出番ではないですし、その気運も高いとは言えないでしょう。

また、弁護士業務の特質として、現時点でペイしない仕事が、時代の流れや技術革新等により、突如として金脈の様相を呈することもあり得ることで、債務整理特需こそ、かつてサラ金対応が「ブル弁」の方々に忌避されていたことに照らせば、その典型と言えるでしょう(ただ、債務整理特需の特質として、高利金融の被害救済などに熱心に取り組んでいた方々は、その母体(左派系勢力との結びつきが強いこと)が影響しているのかどうかは分かりませんが、筆頭格である宇都宮先生をはじめ、誰一人として「大企業化」路線を取ろうとせず、そうした人権運動とは無縁の方々が、宣伝路線を突っ走り、「過払大手」などと称される現在の光景を築いたという異様な様相を呈しましたが)。

岩手でも、若い先生が震災絡みなど幾つかの分野でボランティア的な会務に熱心に携わっており、そうした光景を見ても、「人権活動」を若手が敵視するような流れが俄に生じることは考えにくいというべきなのでしょう。

そう考えていくと、結局、「分けるパイが増えずに人数だけが膨れあがった」町弁業界では、明治維新のような「上級武士(確たる社会的・経済的基盤を持つベテラン・中堅の方々)の特権やその根底にある幕藩体制(弁護士会ないし業界のシステム、慣行)に不満を持つ貧困下級志士(そうした基盤へのパイプに接点のない若い弁護士)が、下克上を狙って体制の転覆を図る」という事態は実現されず、上級武士の利権?に上手に入り込むことができた人や隙間産業に活路を見出した方だけが生き残り、その他は、(江戸に集まった田舎の次男三男が安価な労働力として使い捨てられたと言われるように)、死屍累々の山ということになるのかもしれません。

この点、明治維新の出発点(旗印)は、下級武士の不満ではなく、対外的な国家の危機(に起因する尊皇攘夷運動)であり、下級武士の不満はエンジンではなくガソリンのような位置づけになると思います。そのように考えると、まだ、現在の司法業界には、本当の意味での黒船(体制の抜本的変革を促すような危機意識を煽る存在)は出現していないと感じますし、尊皇論(抜本的変革を正当化する理論)や雄藩(新たな体制、理念の受け皿となる力量や影響力を持つ社会的存在)に当たるものも見あたりません。

もちろん、これまでの弁護士は殿様商売でサービス意識が足りないといった批判をする方は多く見かけますが、それは、現在の体制(司法=紛争解決・処理の制度)自体の抜本的変革を促す言説ではないので、「革命の論理」にはなりません(いわば、これまでの幕府・上級武士には奢りがあるので謙虚にせよ(外様・下級武士の意見も聞け)というレベルのもので、幕藩体制そのものを否定する論理ではないでしょう)。

そうではなく、現在のベテラン・中堅の多くが有する「現在の司法制度に関する知識やノウハウ(いわば、幕藩体制を支える知識やノウハウ)」を不要・無力化してしまうような、新しい司法制度(裁判所等の紛争解決のあり方、弁護士の関わり方)の導入を説得的に提唱する人物が登場し、かつ、それが、新時代に相応しい司法として社会の支持を受けることがあれば、そのときが本当の司法革命となり、その際は、現在の状況に不満のある若手は、自分達が時代の主役になれると信じて、諸手をあげてそれに殺到することでしょう。その際、一部では凄惨な光景も生じるかもしれませんが。

「ガソリン」が蓄積されつつある現在、そうした「革命の錦の御旗」ひいてはそうしたものを掲げて、ガソリンを利用して大きな物事を成し遂げようとする人物が登場するのか、それとも、会費減額のようなクーデターのレベルに止まる運動で終わり、むしろ業界がエネルギーの行き場を失い沈滞や混迷を深めるのか、私には全く分かりません。

或いは、「司法の国」の食えない民衆(若手弁護士)が異国に渡り(政治部門などに進出し)、異国の軍隊を率いて祖国を攻撃する(国民全体の利益になるか否かに関係なく、司法界の既得権益層に不利になる報復的な法改正などを行う)という展開もあり得るのかも知れません。

ただ、少なくとも、現在の弁護士会の「人権活動」の幾つかは、同じ結論を支持する政治的立場の方々はともかく、無党派層を含む国民のマジョリティにとって、ゼロではないにせよ、さほど社会的価値を認められていないように感じており、そうしたものを見る限り、若手の不満のはけ口が、そうしたものに向かったり、弁護士業界に関しては、そのことが何らかの内部抗争の素地になることが、あり得ないことではないと思っています。

個人的には、現在、様々な形でうごめいている憲法改正等を巡る動きや日本国の人口減少、或いはアジア諸国の隆盛・勃興などが、それ(司法革命など)と関係してくるのだろうか、もしするのであれば、その結論の当否はさておき現象自体は興味深いなどと感じるのですが、ともあれ、私自身は何とか業界人として生きながらえて、そうした光景を見守っていきたいと願っています。

三峡下りと船舶事故

GW直前に受任した破産管財事件が、集合債権譲渡担保の処理など様々な論点を含み多様な作業を必要としたこともあって、1ヶ月ほど一杯一杯の状態が続き、ブログの更新も滞っています。

ところで、本日、長江の三峡下りに従事していた大型客船が竜巻のため転覆したというニュースが流れていました。私は、司法修習生だった平成11年の夏に10日間ほど一人で中国を旅行し、三峡下りの船にも3泊4日で乗船したことがあり、ネット上に表示された被害船舶の写真を見たところ、私が乗船した船とよく似ていました。
http://www.jiji.com/jc/d4?d=d4_rr&p=cho506-jpp019323700

私が乗船した船も、裕福な外国人向けの豪華客船ではなく一般の中国人向けの船舶で、船内では毎日、他の多くの乗客と同様に、朝昼晩とも一食50円ほどの「豚肉と野菜の炒めご飯(丼)」などを食べていました(平成11年ですので、中間層の経済力も現在とは大きく異なると思われます)。

船内では、大人4人仕様の2組の二段ベッドが付いた部屋で、「男児を連れたお父さん」、「小学生の女の子を連れたご両親」という2組のご家族と3日間同宿することになり、小三峡や張飛廟など幾つかの途中下船ポイントで一緒に行動したり、ささやかながら筆談で会話したり(女の子はとても礼儀正しく感じのよい子で、将来、警察官になりたいと言っていました)、中国語を一切話せない外国人の私に対し、とても親切にしていただいたことをよく覚えています。

当時は、今と異なり「反日報道」なるものを聞くこともなかったせいか、私の経験した範囲では、日本人という理由で拒否的な扱いを受けることは一切ありませんでした。それどころか、バックパッカーの分際で「地球の歩き方」を無くした(某所のリフトで谷底に落とした)ため、夜に到着する終点の武漢での宿泊先の確保に困っていたところ、偶然、直前に船内で知り合った旅行会社勤務(自国民ツアーの添乗業務中)の若い美人女性の方に宿泊先を紹介いただいたり(そのツアーの宿泊先のホテルに同行させていただきました。さすがに、都合のいいラブロマンスには恵まれませんでしたが)、短い旅行期間中に何人もの方に大変暖かく接していただいたと記憶しています。

もちろん、いわゆる三国志バカの端くれとして、三峡などの美しい光景にも大変満足して帰国したことは、言うまでもありません。

そんなわけで、現在も懸命な救助作業が続いているかとは思いますが、可能な限り多くの人命が無事であって欲しいと願っていますし、それと共に、日中間を巡って長い間残念なニュースが続いていることについても、民間レベルの交流促進など、好転に向けた取り組みが拡がってくれればと強く願っています。

カリヨンの鐘と子どもシェルター

今月の日弁連会員誌「自由と正義」の冒頭で、東京弁護士会の坪井節子先生が主催されている「子どもシェルター」の記事が載っていました。

「子どもシェルター」とは、親の虐待などでやむなく家出し、寝泊まりする場所に困窮する未成年者を保護する施設です。

私は未成年者保護に関する実務に明るくありませんので詳細は存じませんが、児童相談所の一時保護制度が、主に幼児などを保護対象としている?関係で、高年齢の未成年者(いわゆるティーンエイジャー)の保護が十分でなく、性的虐待などこの年代に特有の被害を受ける未成年者の保護に力点を置いた施設が必要ということで、設けられてきたようです。

そのため、記事では、東京のシェルター(カリヨン)で保護した未成年者が、平成16年の設立以来、15歳から19歳まで延べ300人になったという趣旨のことが書いてありませいた。

で、現在は、関東や札幌、京都や中国地方、福岡などに設置されているとも書いてあったのですが、残念ながら、東北地方ではまだ未設置のようです。盛岡でも設置を考えていただきたいところですが、最低でも、仙台にあれば、東北各地の困窮する未成年者を保護することができるのではと思われ、早急に設置を検討いただきたいところです。

記事によれば、シェルターには2ヶ月ほど滞在でき、その間、食事や適度の遊びなどはもちろん、医療やカウンセリングを受け、児童相談所や福祉事務所、非行絡みの事案では家裁や保護観察所などと連携し、親権者・学校・職場と交渉し関係調整を図り、家庭に戻ることが困難な事案では、自立援助ホームに転居するという流れをとっているのだそうです。

私自身、東京時代には、坪井先生や川村百合先生などが主催されている東京弁護士会の子ども向けの電話相談制度に登録するなどしており、これまでも、いわゆるティーンエイジャーの虐待問題が絡んだ事案に関与したこともありますので、篤志家の寄付にばかり頼るのではなく、そうした福祉制度を充実させる方向で、税金の使い道を考えていただきたいと思います。

ちょうど、「自由と正義」の同じ5月号に、児童買春・児童ポルノ禁止法の平成26年改正(児童ポルノの単純所持罪導入など)の概説が掲載されており、その中に、「心身に有害な影響を受けた児童の保護に関する制度の充実及び強化」が新設されたとのことですので、関係者におかれては、これを法的根拠として、子どもシェルターの設置などを働きかけていただきたいところだと思います。

追記 少しネットで検索したところ、仙台にも、少年院を出院した少年を受け入れる更生支援的な施設があるとのことです。こちらも意義のある活動ですが、ぜひ、子どもシェルターの設置等にもご尽力いただければと思います。
http://blog.rosybell.jp/

春の気仙みちと桃源郷

昨日は法テラス気仙の担当日でした。この日の岩手の桜前線(ソメイヨシノなど)は、盛岡は5分散り、花巻周辺はすでに散り際も多いものの、寒冷な遠野・宮守エリアの街道沿いの並木は満開~散り始めで、峠を下った住田町は散り際となり、大船渡に至るとほぼ葉桜、という状態でした。

反面、住田町内は新緑の開始時期で、山桜のほか芽吹いたばかりの新緑の淡い緑色や黄色、黄緑色などの多様なグラデーション(薄桃、薄紫の桜色を含め)が大変美しい状態にあるほか、街道沿いの民家には、桜かそれ以外(桃?梅?)か分かりませんが、満開になっている樹種も多く見られ、濃い桃色や赤みがかった花の様子なども楽しむことができました。

そのような空間を運転していると、視界全体に優しい色が広がり、優しさに包まれているような、まるで桃源郷にいるかの如き印象を受けました。

住田町は、観光地的な桜の名所というのは聞きませんし、ソメイヨシノ等の群木などもありませんが、狭隘な谷間を囲む山々の新緑のグラデーションは、春を描いた巨大な日本画の屏風絵を続けざまに見ているような印象があり、こうした美しい光景は、住田町に限らず、北上高地ならではという面があります。

住田町は、晩秋から冬にかけての気仙川の渓流も大変美しいのですが、こうした心地よいドライブコースは、もっと知られてよいと思いますし、見応えのある場所の展望場所の整備なども考えてよいのではと感じています。

昼食は大船渡の魚市場食堂でいただきましたが、デッキの間近では、冬はあまり見かけなかったような気もする無数の海鳥(ウミネコ又はカモメ)が羽ばたき、快晴の空や海の青さと鳥の白さのコントラストが心地よく感じられました。

桜並木が散った後の葉桜の光景は、どことなく寂しい印象がありますが、港町では、海鳥たちが、空に舞い散った桜の白い花弁が姿を変えたかのような趣で、その寂しさを慰めてくれるのかもしれません。

そんなわけで、最後に一句。

花ふぶき海鳥となる気仙桜

盛岡の奇習・歳祝いと「正義を実践する世代」

1ヶ月半も前の話で恐縮ですが、3月上旬頃に、盛岡JCの関係で行われた「歳祝い」に参加してきました。

この行事(歳祝い)は、いわゆる男の厄年に関連するものですが、盛岡では、白菜や大根、亀の子タワシやカラタチの枝などを集めて、対象者(年男)が上半身裸になり、参加者がそれらを手にとっては、年男の裸身を擦ったり叩いたりするというものになっています。

私も詳しい由来は存じないのですが、もとは地域に伝わる歴とした伝統行事(飾るものの裸身に云々は無し)であるものが、いつ頃からか、宴会形式で沢山の人が集まり、年男の上半身を真っ赤にするための?行事として圏内に普及したようです。

ケンミンショーで取り上げられたこともあるので、他県の方もご存知かもしれませんが、ご存知でない方は、「歳祝い(年祝い) 盛岡」で検索いただいたり、こちらのブログホテルのサイトなどをご覧になればよいと思います。

かくいう私も、平成26年の3月には、その前年(25年12月)に盛岡JCを一緒に卒業した方々と共に、「合同歳祝いの会」を行っていただいています。まあ、私はJCで活躍したメインの方々の末席にオマケ的に加えていただいたというのがお恥ずかしい実情のせいか、皆さん遠慮がちで強烈な一撃を下さる方はあまりおらず、もっと派手にゴシゴシやっていただきたかったなぁと思わないこともありませんでしたが。

ともあれ、合同歳祝いの会を主催されたJCの先輩方のお言葉を借りれば、JCの歳祝いは単なる厄払いや地域行事の類ではなく、JCの卒業式(40歳)と相俟って、「地域社会のため尽くす志を持った同い年の面々が、卒業と同時に共通の通過儀礼を持つことで、各人が志を実践して社会に奉仕するための結束や相互扶助の基盤とする」という独自の意義があります。

盛岡JCの合同歳祝いは、諸事情により一旦中断(一部の方だけの個別実施型)し、3、4年前に復活したと伺っていますが、卒業生の大半が歳祝いに参加した我々の期は、リーダーのIさんのもと、現在も非常によい関係が続いており(恥ずかしながら、私は現在も半端な参加しかできていませんが)、今後、盛岡JCを卒業される方々も、ぜひ合同歳祝いを続けると共に、なるべく卒業生の全員が参加できる方向で取り計らっていただければと思っています。

ところで、最近、半年分以上溜まった日経新聞を斜め読みで処理しているのですが、昨年8月の「私の履歴書」を担当された東大寺長老の方(森本公誠氏。宗教家であると共に高名なイスラム研究者だそうです)が連載を終える際に、アフガニスタンの古代遺跡で発見されたデルフォイ(古代ギリシャ)の哲学者の碑文を紹介していました。

いわく「少年のときには良き態度を学び、青年のときには感情を制御することを学び、中年には正義を学び、老年になっては良き助言者になることを学ぶ。そして、悔いなく死ぬ。」

この碑文のうち、「少年」を成人する(又は社会に出る)までの時代、「青年」をJC世代(20歳~40歳)、「中年」を40歳から一般的な職業人としての熟練期(個人差はあるにせよ概ね60~65歳)まで、それ以後を「老年」と解釈し、かつ、「学ぶ」とは習得だけでなく実践を含むのだと理解すれば、この碑文を違和感なく受け止めることができそうです。

そうした意味では、盛岡に生きる方々には「歳祝い」を正義を実践する責任を再認識するための通過儀礼として大切にしていただければと思っています。

また、盛岡では女性について「歳祝い」に相当する行事があるのか存じませんので、40歳かどうか、ゴシゴシ系とする否かはさておき、女性についても、責任世代として心機一転する意識を醸成できるような通過儀礼的な行事を考えても良いのではと思います。

上記の森本氏の連載は、「世界は美しいもので、人の生命(いのち)は甘美なものだ」というブッダの最晩年の言葉で締めくくられていましたが、そうした実践を通じて、個々人が美しい生き方をし、世界全体を美しいものにしていくことができればと思っています。

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R03.03.22追記

先週のケンミンショーでも、この件が再び取り上げられており、昭和40年代に盛岡の酒造関係者の組合の青年部が、酒類販売が落ち込む2月のテコ入れのため、伝統行事の「おまけ」として発案し広めたのが、この奇習の始まりだ(要は、バレンタインチョコのようなもの)、という解説がなされていました(この投稿を載せた際にも、そのようなコメントをいただいた記憶があります)。番組(映像記録)内に、存じ上げている方の姿も拝見でき、驚きました。

辻弁護士との2年間

平成25年春から当事務所に在籍した辻陽加里弁護士が、都合(ご夫君の転勤に伴う転居)のため、3月末をもって岩手弁護士会の登録を抹消し、併せて当事務所を退所することとなりました。

辻先生は、家事事件や刑事事件などを中心に、幾つかの分野に力を入れて取り組んでおり、特に、社会的に弱い立場にある女性からの依頼、相談に熱心に取り組んでいました。

離籍の直前である3月末頃に、辻先生が特に力を入れて取り組んでいた離婚関連紛争の事件で、当方(妻側)が申し立てていた「相手方(夫側)への子の監護者指定及び子の引渡請求(審判)」が裁判所に認められ、様々な苦労の末に無事に引渡が実現できました。時期的な問題(お子さんの就学)もあり、彼女にとって良い経験になっただけでなく当事者にとっても本当に良かったと思っています。

当事務所の方針として、辻先生が依頼を受けた事件のうち、単独で問題なく対応できるものは彼女一人で受任、対応し、複雑・規模の大きい事件や在籍期間中に解決できないと見込まれる事件は共同受任する形態(依頼主との関係では私が受任者)をとってきました。上記の事件では、まだ未解決の問題が幾つかあるため、引き続き私が対応することになりますが、辻先生が積み上げたものを台無しにしないよう、適切な解決を目指していきたいと思っています。

また、ご出身が福岡県ということもあり、仕事に負けず劣らず、観光名所をはじめ岩手での生活を満喫して欲しいと話していたのですが、岩手山の登山やウィンタースポーツなど、春夏秋冬それぞれの岩手の良さを体感する機会を持つことが出来たとのことですので、その点は、県民として幸いに思っています。

ともあれ、上記の事件を含め、何人かの社会的に弱い立場の方の相談、依頼に熱心に応じている様子を見ていると、ささやかながらも辻先生に活躍の場を提供できたことは、辻先生個人だけでなく、岩手県民全体のためにも大いに意義があったのだと感じました。

辻先生は、プライベートな事情から、転居先では弁護士登録を保留し、法律家としては充電期間に入るとのことですが、岩手での町弁としての実務経験も生かして、法律家として大成していただければと願っています。

現在も、当事務所では、私の隣席で地域のため活躍いただける新たな弁護士の加入を募集しております。恥ずかしながら、業界環境の激変のほか私の至らなさもあり、経済的に恵まれた待遇を提供できそうにありませんが、岩手での執務に関心のある方は、お問い合せいただければ幸いです。

被災地・被害地の最近の法律相談とメンタル問題

先日、福島の浜通り(津波被災地であると共に、原発被害地でもある)で活動されている弁護士の方のお話を伺う機会があったのですが、その方は、現地の方々の多くが、メンタル上の問題(疾患等)を抱えた状態にあるということを強調されていました。

とりわけ、土木工事等が本格化している岩手・宮城と異なり、いつまでも先が見えない状態が続き過ぎているため、気持ちの面で挫けてしまう方が少なくないのだそうです。

また、原発賠償金を生活再建とはかけ離れた用途(パチンコ代等)で浪費してしまう人も一定数いるという話も出て、その原因として、そうした自身の将来の見えない状態が続くことが心を蝕み、そうした方向に流されることの原因になっているのではないかとのお話もありました。

岩手でも、震災から間もない時期には、義援金等をそうした用途に費消している被災者が一定数見られるという話題が出ていましたが、震災1年目頃のことで、さすがに現在では全くと言ってよいほど聞きません。

それだけに、そうした話題が現在も出ているという福島の現状には、時が止まっている(原発のせいで時が止められている)かのような印象を受けます。

ただ、現在の岩手の被災地でも、メンタルの問題を抱えた方が少なくないという話題は、よく出ているように思います。私自身、震災直後から月1、2回の頻度で沿岸に通い、2年ほど前からは法テラス気仙の担当をしていますが、メンタル面の問題を抱えた方から相談を受けることは珍しくありません(自己申告がされる場合もありますし、一見してそうした印象を受ける方も少なくありません)。

そうした「比率」は、盛岡よりも遥かに高いと感じますし、震災直後には、被災地でもその種の問題を抱えた方の相談を受けたことはほとんど無く、年を追うに連れ増えてきているという印象はあります。

ざっとした印象論ですが、街全体が巨大土木工事の現場となって変貌を遂げつつある中で、そうした「新たに出現する街」に感情移入できず、まして、そうした営みからは疎外されている一部の高齢者や若者など(いわゆる弱者層)に、メンタル面での問題が生じているのではないかと感じます。

その点で、少なくとも岩手の被災地では、そのような層に疎外感を抱かせることなく、震災後の社会の一員、担い手であるという意識を涵養する工夫、仕組みなどが、強く求められているのではないかと思います。

相談内容に関しては、震災そのものがダイレクトに論点になっているもの(震災関連死とか私的整理GLのようなもの)は少ないものの、何らかの形で震災が関係しているものは珍しくないと感じています。例えば、企業関係のトラブルなども、震災後に復興等のため立ち上げた事業や法人に関する話であることが多いように思われます。

ところで、先日の法テラス気仙の担当日には、盛岡では著名なラーメンチェーン店「宝介」の大船渡店に初めてお邪魔したのですが、同店のみのオリジナルメニューである「さんま味噌ラーメン」をいただきました。

食べてみて驚きましたが、大船渡の有名店「黒船」のような「サンマで出汁をとったラーメン」ではなく、サンマそのもの(一本のサンマをグツグツに煮込んでいるようです)というか、サンマの味が全面に出ており、「ラーメンの形をしたサンマ」を食べているような感じでした。

私は、サンマの匂いが苦手な人にはあまりお勧めしませんが、反面、サンマが大好きな方や、「他のどこにもないようなサンマ味のラーメン」を食べたいという方は、一度、召し上がって損はないと思います。写真はありませんが、こちらのブログをご覧いただければ、イメージが掴みやすいと思います。
http://sanriku-ofunato.blogspot.jp/2013/05/blog-post_654.html

最後に、食後に赤崎エリアから撮影した大船渡湾と、尾崎岬から太平洋側を撮影した写真を掲載して、締めくくりとさせていただきます。

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