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次の知事選(いわて夏の陣)と無党派層の決定的な影響力。

8月20日告示、9月6日投票の岩手県知事選は、ここ最近の下馬評のとおり、現職の達増知事と平野参院議員による事実上の一騎打ちという展開になりました(共産党系候補も出馬されるとは思いますが)。

小沢氏の民主離党直後に行われ、小沢氏系が「民主vs生活」の構図となった平成24年冬の衆院選に引き続く、ポスト小沢氏時代の宿命の対決編第2幕というべき選挙で、ある意味、大本命同士の対決と言っても良いのではと思います。

で、さすがに現時点でこの選挙の当落予測をしているマスコミ(地元紙)はないと思いますし、私も軽々に物を申すつもりはないのですが、平成25年の参院選の際に、過去の国政選挙などの投票動向をプチ分析したことがあり、その結果をもとに考えると、両者の基礎票が概ね拮抗しており、無党派層の投票動向で結果が決まると言ってよいのではないかと強く感じました。

そして、そのこと(自分達の投票が結果を左右するということ)は、棄権率も高い無党派層に投票を呼びかけるという観点からも、広く認知されてよいのではないかと思い、記載内容に色々とご批判もあろうかとは思いますが、議論喚起の趣旨で、投稿させていただきました。

以下、上記の理由を述べますが、まず、平成23年9月の知事選における達増知事の得票率は68%となっており、対立候補である高橋博之氏)の得票率は25%となっています。

この選挙の当時、民主党の内紛が始まっていたものの、小沢氏はまだ民主党に在籍し、県内の小沢氏系勢力は未分裂の状態でした。そのため、高橋氏(県議)は、自身が所属する地元勢力「地域政党いわて」と自民党岩手県連の支持を受けて闘いましたが、知名度不足のほか、高橋氏自身が割とリベラルっぽいスタンスのためか、自民党支持者の支持を集めることができず、民主党=非自公・非共産勢力が概ね一丸の状態のまま対決を余儀なくされたので、震災直後の厭戦ムードも相俟って達増知事が大勝し、高橋氏は上記の得票率に止まったのではないかと思われます。

次に、平野氏については、民主党を離党して挑んだ2年前の平成25年の参院選での得票率を見ると、概ね40%になっています(民主党在籍時の平成19年選挙では達増知事と同じく6割の得票)。ただ、今回の知事選では自公勢力の全面支援が見込まれるところ、この参院選での自公系候補(田中真一氏)の得票率は26%なので、これを足せば66%となり、上記の達増知事の得票率と同程度となります。

そのため、各選挙での政治情勢の違いがあるとはいえ、達増知事・平野氏の両勢力の過去の得票率は、ほぼ拮抗すると言ってよいのではと思います。

ところで、平成25年の参院選では、平成24年冬の衆院選まで一丸であった小沢氏系勢力の得票が、「平野氏:関根敏伸氏(生活党候補):吉田晴美氏(民主党候補)」に三分割され、その得票率は、概ね60:25:15となっています。現在の報道では、民主党岩手県連は平野氏を敵視しており、達増知事の支援に廻る層が相当に出ると見られますが、その場合でも、平成25年の参院選の得票状況が再現されるのであれば、平野氏が勝利することになります。

もちろん、平成25年の参院選の生活党候補の方と達増知事とでは、旧小沢氏系勢力の内部はもちろん無党派層や自公など保守系勢力からの得票能力にも大きな差があるでしょうから、単純に平成25年参院選と同じ得票状況になるはずがありません。

平成25年の参院選については、下記に引用のとおり直後に簡単な分析記事を書いており、その中では、平野氏が得た40%の得票のうち、概ね15%程度が浮動票(無党派層の支持が流れ込んだもの)と判断したのですが、平野氏と達増知事では、現時点でどちらか一方のみが無党派層の支持を集めているという印象は受けません。
→ 参院選・岩手選挙区結果を過去の投票結果と比較したプチ分析(H25.7.22再掲)

そうした観点も踏まえると、大まかな感覚的判断としては、平野氏(保守系地域政党+自公系)も達増知事(小沢氏系+現民主の相当部分)も、概ね4:4の基礎票を持ち、残り2割のうち1割弱が共産系の予測票で、1割強が「平野氏か達増知事のどちらかに投票する無党派浮動層」ということになるのではないかと感じています。

それは、言い換えれば、次の知事選は、その無党派層の投票動向で選挙結果が決まるということでもあります。

これまでの岩手県知事選は、過去2回の達増知事は言うに及ばず、当時、政界の華であった小沢氏の支援のもと圧倒的な強さで登場し3期を務めた増田前知事、そして、それ以前(プレ小沢氏時代)は県政の中心であった自民党が擁立した方々が知事を歴任しており、昔々(二戸出身の農民知事こと国分謙吉翁が官僚出身者に勝利したとされる初代知事選)はいざ知らず、現在の岩手県民にとっては、選挙前から結果が見えていた知事選しか経験したことがありません。

そうした意味で、今回の知事選は、少なくとも現時点では、結果の予測が難しい=浮動層(無党派層)が実質的な選択権を持った、初めて(又は数十年ぶりの)知事選だと言えるのではないかと思います。

この貴重な機会を岩手県民が生かすことができなければ、とても残念なことだと思いますし、それゆえに、今回の知事選を、政策の選択であれリーダーシップの選択であれ、大いに実りのある選挙にしていただきたいと願わずにはいられません。

そのような意味では、候補者や支援勢力の方々は言うに及ばず、マスコミやJCなど「選挙の意義を高めるための活動をしている方々」、ひいては無党派層の一般県民も含め、今こそ自分達の出番だという意識で、活動していただければと思っています。

かくいう私も、何で田舎の町弁がこんな文章を書いているのかと訝しく感じる方もおられるかもしれませんが、こうした構図の選挙で無党派層の関心を高めることこそ、日本国憲法が定める国民主権や住民自治の質を高めることに繋がるもので、それに資する取り組みを何らかの形で行うのが地元の法律家の責任の一つではないかという思いで、この文章を書いているつもりです(盛岡JCで公開討論会などを担当する委員会に在籍した関係?で、野次馬感覚が染み付いたことも影響しているかもですが)。

ところで、一時代を築いた小沢氏の勢力の栄枯盛衰という観点から見れば、小沢氏陣営が分裂して保元の乱のように相争った平成24年の冬の衆院選は、「いわて冬の陣」と呼ぶに相応しいものでしたが、今回の知事選は、小沢氏直系の本丸であり、失礼を承知で申せば小沢氏系の最後の大物とも表現することもできそうな達増知事が、生き残りを賭けて元同胞である平野氏と頂上決戦とも言うべき対決に及ぶものですので、「いわて夏の陣」と評しても良いかもしれません。

現職知事が再選出馬する場合、その選挙は信任投票の色合いを帯びますが、達増知事の場合、スキャンダルの類はもちろん、とりたてて知事個人の失政と呼ぶべきものも思い当たらず(土下座事件で物議を醸した競馬場問題は前知事やそれ以前の時代のツケでしょうし、大雪事件など幾つかの補助金問題も広義の監督責任はさておき知事個人が関与したものではないのでしょう)、震災後の対応も概ね堅実になさっていると感じたり過去の圧倒的勝利を覚えている県民も多いでしょうから、そうしたことは、今回の選挙でも有利な要素として大いに働くのではないかと思います。

他方、知事個人が震災対応に関し、華々しい成果を挙げたりリーダーシップを発揮したなどという話もあまり聞かないように思われ(マンガ政策云々も、票に結びつくかは懐疑的です。「そばっち」も知名度がないと思いますし)、「震災復興」に取り残された被災者や、それとは逆に、開発促進を希望する自公系の地元関係者などからは、批判票を受けることもあるかもしれません(その点は、復興相であった平野氏も同様かもしれませんが)。

また、達増知事に関しては、小沢氏全盛期には敵対する政治勢力への辛辣な言動が多く見られたと思いますし、平野氏の出馬表明に対しても、裏切りの政治だなどと敵意を露わにする言動をされていましたので、そうした敵味方を強い言葉で峻別する姿勢が「控え目な人柄」とされている岩手県民にどのように評価されるのかという点も、興味を感じます。

また、民主党陣営のうち階議員などの勢力は、達増知事とは岩手1区の選挙で対決した過去もあり、どのような対応をされるのか、興味深いところです。この点、知事選の直前(8月下旬)に予定されている盛岡市長選では、階議員の有力支援者である内舘茂氏が立候補を表明し、現職の谷藤市長(無所属ですが、地盤的には自公系と言ってよいと思います)と対決することが予定されており、市長選の動向が大きな影響を及ぼすことは確かでしょう。

素直に考えれば、谷藤市長が自公系である以上、平野氏とは手を組めないという前提で、達増氏陣営の支援を見込んで達増知事の支援に廻るという可能性が高いと見るべきなのだろうとは思います。

ただ、仮に、市長選の直前頃に出るかも知れない知事選の事前予測で平野氏優位の報道がなされた場合、それが市長選に影響する可能性もありますので、達増知事と命運を共にするという選択は、内舘氏にも大きな賭けになり、最良の策と言えるのかは私には分かりません(敢えて中立を保つことで、市長の若返り等を期待する若手保守層の得票を期待し谷藤氏陣営の切り崩しを狙うという高等?戦術もあってよいのかもしれません)。

全くの余談ですが、もしも、市長選が知事選よりも後に来るのであれば、敢えて平野氏が当選してくれた方が、「知事選は自公系を勝たせたので、市長選は民主系を勝たせる」という無党派市民のバランス感覚(投票動向)を期待するという高等?な選挙戦略もあり得たかもしれません。

裏を返せば、達増知事にとっては、盛岡市長選でどちらが当選するのが自身の得票にとってプラスになるのか悩ましい面はあると思われ、そうした微妙な論点・判断も、達増氏・階氏(内舘氏)の両陣営の動向に影響を与えるのではないかと思われます。

上述の理由から、盛岡や一関、被災地などの無党派層の動向が選挙結果を左右すると思われるだけに、政策論争もさることながら、そうした選挙関係者の利害得失の面も含めて、本年の岩手・盛岡の大型選挙の様相を興味深く見守っていきたいと思っています。

ともあれ、今回も大変な長文になってしまいましたが、ご覧いただいた皆様には御礼申し上げます。

学校からの「不当退学勧奨」と隣接する法律問題

かなり前の話ですが、ある学校に通学中の方(Aさん)のご親族から、学校側から「Aさんが、ある問題行動を起こし、退学処分相当と判断している」と言われ、処分保留?のまま出席停止扱いになっているが、Aさん自身はその「問題行動」をしていないと申告しているとの相談を受けたことがあります。

詳しく内容を伺ったところ、「問題行動」の内容について事実認定のレベルで非常に問題がある(Aさんと学校側で主張内容が大きく異なる上、Aさんが大きな問題を起こしたと主張する学校側の認定事実の証拠がない)ばかりか、学校側の認定事実を前提にしても、退学処分に見合うとは考えにくい(仮に、学校が退学処分に踏み切れば、裁判所が裁量逸脱を理由に無効の判決を出すことは確実)と言えるものだと分かりました。

そこで、すぐに学校側に、対応が法的に誤っていることを詳細に指摘し、Aさんの復学等を求める趣旨の通知を出したところ、ほどなくAさんの復学が認められました。

その件では、従前の経緯(学校側が、必ずしも正当と言い難い理由で長期間Aさんに出席停止を命じていたこと)について学校の責任を問うという選択肢もあり得るとは思いますが、円満解決のご希望もあり、私の関与は終了となりました。

在学契約を巡るトラブル(学校の利用者に対する退学勧奨など)は、弁護士にはあまりご縁のない類型の仕事ですが、実際に手がけてみると、労働者(労働契約)に関する退職勧奨(及びその先にある解雇問題)や、大企業と中小企業との継続的取引における契約解消の問題など(これらは多数の紛争事例があり、私もそれなりに関わっています)と非常に似ている面があると感じました(ですので、事案検討の際、それらとの異同も視野に入れながら考えたりしました)。

で、それら類似分野との比較で感じたのは、学校問題は、これに類似する他の法分野に比べ、色々な意味で遅れているのでは(法的保護のスキームも当事者の意識等も未成熟ではないか)という点でした。

例えば、労働問題(退職勧奨)であれば、不当勧奨だと感じた労働者が、すぐに自ら弁護士に相談したり、労働組合の支援を受けるなどといった方法をとることもできます(もちろん、皆がそのような行動に出るかという問題はあるでしょうが)。

これに対し、学校問題の場合は、当事者が未成年(時にはかなりの若年者)ということもあり、自ら正しい事実を主張し、それを前提とする法的保護を求めて、能動的に他者の支援を求めるということが容易でなく、親権者等の庇護者を通じて行わざるを得ないため、親権者等が十分にその理解を持ち、率先して行動に移していただける方でないと、入口段階で時間を空費する可能性が高くなります。

また、未成年者こそ「弱者」の最たるものと見るべきなのに、労働組合のような支援組織がおよそ存在しないという点でも、最近よく指摘される「子どもの貧困」問題と通じる面があるように思われます(大人の弱者保護の制度ばかり充実させて、子供の保護の制度を設けようとしないなどと言ったら、それはそれで、その種の運動をされている方に叱られるかもしれませんが)。

今回の件でも、私は、相談を受けた当日に「それは絶対におかしい、すでにかなりの時間を経過しているので、今すぐに学校側に善処を申し入れるべきだ」と述べ、(幸い、ご本人が事実関係を整理してお持ちになっていたことや時間が確保できたこともあり)当日に長文の内容証明郵便を書き上げて郵送したのですが、Aさんの損失(相当な期間の学校生活を失ったこと)に照らせば、もう少し早く行動していただきたかったと思わないこともありませんでした。

また、学校(担当教員等)の対応についても、利用者の正当な権利、利益を尊重した上で、これと学校側の利益等との正当なバランスを図るべきという姿勢や、それを欠いていれば学校側が利用者から法的な責任追及を受けるリスクがあるのだという意識をきちんとお持ちなのだろうかと感じる面がありました。

労働問題でも、優良企業からブラック企業までピンキリだとは思いますが、「デタラメなことをしていれば責任を問われる」という意識は、少なくとも学校に比べれば割と浸透している(聖域視されるということはない)のではないかと思います。

そうした意味では、学校等から、在学の当否などの基本的な事柄について、筋違い(或いは処分の内容が重すぎる)と感じるような措置・勧告を受けた方(の関係者)は、その措置等に関する法的なルールも確認した上で賢明な対処を考えていただければと思いますし、学校や利用者の双方が適切な対処を積み重ねることで、学校と利用者の双方に、いわゆるコンプライアンスの意識が高まっていくことが期待されているのではないかと思います。

盛岡町家に梅の花を

この土日に、盛岡市鉈屋町で「旧暦の雛まつり」が開催されていました。去年は仙北町の町家群の雛祭りが同時開催され、私は両方とも見に行きましたが、今年は鉈屋町のみの開催になったようです。
http://machijuku.org/event/

1月ほど前に鉈屋町に新しく出来た「もりおか町家物語館」にお邪魔する機会があったこともあり、今年の訪問は遠慮させていただきましたが、日曜はよく晴れたので、今年も盛況だったのではないかと思います。

ところで、鉈屋町に行くたびに思うのは、この界隈(通り沿い)には草木があまり見あたらないなぁということです。元来、狭い街道沿いだからなのか町人街だからなのか、理由は分かりませんが、少なくとも街路樹の類はほとんどありません。

この点、規模・知名度では比較の対象にはならないかもしれませんが、隣の秋田・角館の武家屋敷街は、ご存知のとおり秋田随一とされる桜の名所であり、やはり、古い街並みには、花や樹木が彩りを添えて欲しいと思わずにはいられません。

とりわけ、鉈屋町では、毎年この時期に「旧暦の雛祭り」を開催しているので、この時期に彩りを添える植物があれば、来場者に喜ばれるだけでなく、雛祭りや建物群にさほど関心のない層も呼び込むことができ、観光面の策としても意義があるのではないかと思います。

そして、この時期(4月第2週)は、盛岡は例年、まだ桜は咲かず(盛岡の見頃は例年は4月の第3週)、その代わりに、梅が概ね満開期にあたるのではないかと思います。

そこで、盛岡市であれ有志(町内会とか町並み塾とかJCとかロータリーとか?)であれ、どなたか、鉈屋町界隈に梅の木を沢山植えて、雛祭りの際は界隈を闊歩する来場者が梅の花を楽しむことができるようにしてはと思うのですが、いかがでしょう。

もともと、盛岡に限らず東北には梅の名所はあまり聞きませんので希少価値がありますし(岩手公園は桜のイメージが強すぎ、梅の名所という感覚がありません。ネット情報でも、東北は他地域と比べて梅の名所が少ないようです)、伝統的な和の町並みには、桜以上に梅が似合うと言ってよいのではないかと思います。

また、ネットでチラ見した限りでは、梅の花のイメージは、「凛としたいじらしさ」というものだそうで、「雛まつり」に添える花としては、ぴったりという感じがします。

さらに言えば、盛岡を本拠地にしていた安倍貞任の弟・宗任は、梅の花に関して「わが国の梅の花とはみつれども 大宮人はいかがいふらむ」という有名な一首を残しており、その点でも、盛岡に梅の名所がないというのは、郷土にゆかりの故事を顕彰し言い伝えるものを欠いている点で、残念なことと言うべきではないかと思っています。

というわけで、「盛岡町家に梅の花を」というキャンペーン(鉈屋町に限らず、仙北町など、この時期に旧暦の雛まつりを行うところがあれば、そちらも含めて)を行っていただきたいと思っていますので、賛同いただける方は、ご尽力をお願いいたします。

最後に、安倍宗任に敬意を表して?次の一句で締めくくりたいと思います。

【懐かしき 春を待ちやと 梅の花】

大意:北国の長い冬が終わり、待ち遠しかった春が戻ってきた。その喜びを、長い間、その価値が忘れ去られて再評価されるのを待ち続け、ようやくその時を迎えた、盛岡町家の「旧暦の雛祭り」の中で感じたいものだが、その街並みに、同じ時期に花を咲かせる梅の木が添えられていれば、なお一層喜ばしいことだと思いませんか?

震災復興とインフラツーリズム

昨年10月の日経新聞で、新たな旅行形態(ニューツーリズム。産業施設観光やエコ・グリーン系、健康・医療系など)の一つとして、土木構造物の建設現場を見学する「インフラツーリズム」なるものが取り上げられており、例として、高速道路のジャンクション建設現場のツアーが紹介されていました。

それを見て、すぐに思い浮かんだのは、被災地では、現在、三陸道や防潮堤、嵩上げ工事や高台の造成、各種建造物の復旧・新造など、至るところで様々な工事が行われたり計画・準備されたりしていますので、それらを見学できるツアーを現地で提供しても良いのではということでした。とりわけ、震災の風化や関心低下等が叫ばれて久しい状況にあるのですから、そうしたことで遠方の方々の関心を喚起する意義は大きいのではないかと思います。

また、インフラ見学に限定する必要はないでしょうから、建設現場と地元の自然景観等の鑑賞を交えたツアーを販売しても良いと思います。私は法テラス気仙の担当のため月1回のペースで大船渡に行っているのですが、大船渡湾は、嵩上げ等の復興土木工事現場だけでなく、太平洋セメントの巨大工場もありますので、これを洋上から鑑賞したり被災廃棄物の焼却等を見学するツアーでもあれば、「期間限定」の希少価値も相俟って、工場萌えの人々が押し寄せるのではないかと思います。

また、湾岸クルーズ船のコースとして、大船渡湾の牡蠣養殖棚を間近で見学したり(いっそ、その場で食べさせたりとか?)、余勢を駆って大船渡のシンボル・穴通磯なども間近で鑑賞できれば、そうしたものを見たい人にも大いに需要があると思います。国道45号線に沿って坂の上に街が広がる大船渡町周辺の光景も、参加者に心地よさを提供することでしょう。

もちろん、本格的にインフラツアーをしたい方には、三陸道の工事現場や隣の陸前高田の一本松のすぐ隣で大々的に行っている巨大コンベアーや嵩上げ工事現場なども視察し、本気度の高い方々にはオプションで地元関係者との意見交換企画なども付加すればよいと思います(冗談抜きで、地元関係者の会合を見学し議論に参加できるツアーなどもあってよいと思います)。

例えば、地元自治体などが企画して最初に地元や首都圏などのカメラマンや旅行業者、学術関係者などを対象にツアーを行い、宣伝して貰ってもよいのではないかと思うのですが、どうでしょう。

なお、この程度のことは、既に多数の人が考えているのだろうと思ってネットで「インフラツーリズム 被災地」と入力して検索したところ、残念ながらというか、国交省の東北地方整備局の文書が出てきた程度でした。
http://www.thr.mlit.go.jp/Bumon/B00097/K00360/guide-tohoku/guide-t3.pdf

先日、法テラス気仙の担当日で市内を少し自動車で廻った際、屋形船が就航しているという看板を見つけました。今年の3月から始まった企画とのことですが、単なる観光事業としてだけでなく、上記のような「震災復興のインフラツーリズム」のツールとしての活用や小型船の導入なども考えていただければと思います。
http://www.55027104031.com/

地元関係者の奮起を期待したいところです。

鳳凰が舞い、龍が潜む街・もりおか

盛岡市街から見える岩手山の雪形は、一般的には、頂上部の雪解け部分を指して、鷲に喩えられている(岩鷲山)のですが、盛岡イオンや盛岡IC周辺あたりからは、鷲の身の下部に、長い尾のような岩稜の雪解け部分が見えるので、あたかも鳳凰が尾を広げて飛び立とうとしている姿に見えないこともありません。

添付の写真は、盛岡ICの西側から撮影したものですが、高速道路上や盛岡イオン屋上あたりの方が、身と尾のつながりが綺麗に見えるのではないかと思います。

盛岡は、北上川・雫石川・中津川の三川合流地帯も、上から(地図上で)見れば龍の身体と両腕のように見えないこともないので、鳳凰と龍という2つの神話上の生き物が棲む街というアピールの仕方も、考えていただいてもよいのではと思っています(特に、中国・台湾の方には喜ばれるのではないでしょうか)。

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メールの受信設定に関するミスについて(再送のお願い)

私とメールのやりとりをなさっている方へのお知らせですが、1月末頃から4月3日頃までに私あてにメールを送信いただいた方で、「どうして(小保内から)返事がないのだろう?」と疑問に感じている方がおられましたら、私のPC設定ミスで、私が受信(閲覧)できていない可能性がありますので、至急、再送又はお問い合せ下さるよう、お願い申し上げます。

これは、先週末(3日頃)に気付いたのですが、次の経緯によるものです。

すなわち、私が加入している幾つかのメーリングリスト(弁護士会絡みなど)で、送信されているメールを受信できていないと思われる(週に何通もメールが送信されてくるML内に1件も追加投稿が入らない)事態になっており、その現象自体は、3月中には気付いていたのですが、正直、現在の仕事にはあまり関係のない(大して閲覧もせず放置している)MLだったので、そのままにしていました。ただ、さすがに、いつまでもそのままというわけにはいかないだろうということで、4月1日頃から、その状態の解消のための作業を開始しました。

ただ、私自身がPCの素人なので、「MLに送信されたメールが受信できない」という事態の原因が把握できず、容量オーバーにでもなっているのか(古いメールを削除すれば新しいメールが受信できる状態に戻るのか)とでも思って、数年前のメールを大量削除するなどしてみましたが、一向に改善されている様子がなく、途方に暮れてしまいました。

で、当事務所内のPC達人である事務局長に相談し、ほとんど一日がかりであれこれ設定等を確認して貰ったところ、迷惑メールの受信拒否設定に関し、「ほとんどの迷惑メールを処理するが、必要なメールまで巻き添えになる可能性がある」という設定と、「迷惑メールと認識したものは迷惑メールのフォルダに入れないで、そのまま削除する」という設定の双方を入力した状態にしていたため、私自身は迷惑メール扱いにしていないメール(主に、幾つかのML宛てに送信されたもの)までも、閲覧の機会のないまま自動削除されていたことが判明しました。

そのため、直ちに、自動削除の設定を解除し、現在は、必要・不要に限らず、メールはことごとく受信(閲覧)できる状態に戻っています(反面、明らかにスパムである英語のメールなどを久々に目にすることになり、その多さにウンザリしていますが)。

で、ML宛てのメールは、大半は一般的な情報提供の類なので、2ヶ月程度のものが閲覧できなくてもやむを得ないと思っているのですが、問題は、この間にDMで頂戴したメール(ML内の私あてメールも含め)についても、受信(閲覧)できなかったものがあるのではないか、という点です。

これは、現時点で当方PC内で解明(自動削除したメールのサルベージ作業)は不可能と思われますので、誠に申し訳ありませんが、この投稿を確認いただいた方で、これに該当するメールを送信いただいた方がおられましたら、至急、再送又はお問い合せいただくよう、お願いいたします。

幸い、大半のDMについては問題なく受信できていると思われるのですが、今、思い返してみると、ここ1、2ヶ月の間に、依頼者の方に「メールを送って下さい」とお伝えしたところ、いつまで経ってもメールが来ないので、お電話したところ、送ってますと言われたことがあったような気もしますので、もしかしたらという方は、ご対応いただければ誠に幸いです。

裁判所等の提出文書を事前確認いただくなど、仕事上、不可欠のツールとして電子メールを活用していますので、このようなトラブルは心底恐ろしく、今後は、再発防止のため、もう少しPCについて知識、理解を深めるための努力をして参りたいと反省しております。

と同時に、私と同様に「スパムメールが大量に送られてくるため、同じような設定をせずにはいられなくなる方」は少なくないでしょうから、そうした方に注意を喚起する社会内の仕組みについても、考えていただければと思っています。

二戸にルーツを持つ著名人

今月の日経新聞の「私の履歴書」はニトリの社長さん(似鳥氏)が登場されているのですが、今日の記事で、同氏が、戊辰戦争後に岩手県の似鳥という土地から北海道に移った開拓民の4代目だと述べられていました。

この「岩手の似鳥」は、二戸市の御辺地エリア(旧二戸と浄法寺の境)にある似鳥(にたどり)地区を指すと思われます(検索した限り、県内に他に似鳥という地名は見あたりませんでした)。

私の知る限り、二戸市などがニトリないし似鳥氏と特別なコネクションを持っているといった話は聞いたことがありませんし、同社が二戸に出店する必要もないとは思いますが、せっかく地元のご出身なので、市役所等におかれては、ふるさと納税を売り込みに行く?などの名目で、何らかの繋がりを試みてもよいのではと思います。

私自身、二戸から函館の高校に進学した人間なので、少し親近感を持ちました。

北海道は、明治期に開拓のため東北や北陸方面から渡った方の子孫が多数おられるので、岩手などにルーツのある方は少なくないと思います。「地方消滅」が叫ばれ、ある意味、人口などの獲得競争が深まりつつある現在、そうした方々に、ご自身のルーツを大切にしていただき、あわよくばルーツたる地域との繋がりを深めていただくような努力が、「送り出した側」に求められているのではないかと思います。

ロータリーへの田舎の町弁の関わり方

前回に続けて、ロータリー関係で、もう少し書いてみたいと思います。

ロータリーは、1905年にシカゴで活動する弁護士の方が懇意にしている他業種の友人と共に結成したとのことですが、我が国では、弁護士の絶対数が他業種に比べて少ないせいか、ロータリーの組織内での弁護士の存在感は、米国に比して高くないように思われます。

むしろ、盛岡北RCもそうですが、Webサイトで会員を公開している盛岡の各クラブの構成を見ても職業比率で見る限り非常に多いのはお医者さんで、入門書の著者も医師の方になっています。我が国の医師数は、弁護士数の約10倍(しかも、弁護士は最近になって激増しているので数年前なら約15~20倍)なので、当然と言うべきかもしれませんが。

お医者さんに対抗したいわけではありませんが、弁護士会員にとって創設者と同じ看板(職業)を背負っているというだけでなく、職業倫理を重んずる実業人、専門職業人が社会奉仕を実践することを目的とするロータリーにおいては、厳格な倫理規程を掲げ社会正義の実現を目的とする弁護士は、職業の特性としても果たすべき役割が大きいというべきでしょうから、そうした意識を持って参加していきたいと思っています。

とりわけ盛岡北RCに関しては、故・野村弘先生をはじめ岩手弁護士会の重鎮の先生方が過去に在籍されていたと伺っていますので、それらの先生方にも恥じないような活動や生き方ができればと思っています。

この意味では、現在、弁護士業界は激増の一途を辿っており、そのせいか、先日の地区の広報では、私以外にも2人の弁護士の方(いずれも宮城でしたが)の入会報告がなされていました。恐らく、岩手・宮城地区で一度に3人もの弁護士が入会するということ自体、前例がほとんど無いのではないかと思われます。

今後は、弁護士激増に追い立てられるかのように、ロータリー内で弁護士の会員が増えていくと思われますが、中には、今年の盛岡西RCの会長をされている吉田瑞彦先生のようにリーダーシップを発揮したり弁護士会員の価値を高めていく方も、増えていくのだろうと思います。

ロータリーに限らず、弁護士の社会貢献、社会奉仕の幅や形を拡げて、そのことを、より良い形での職域拡大に繋げ、ひいては、真面目に仕事をする弁護士が激増に負けず適切に生計を営み、社会に必要とされる存在であり続けることができる業界であり続けるよう、私も精進していきたいと思っています。

ロータリーへの入会に関するご挨拶

3月に、盛岡北ロータリークラブに入会させていただきました。先日の地区(岩手・宮城)の会報にも新入会員の1人として掲載されていましたので、ロータリー会員の方は既にご存知かもしれません。

今後は、市内の他のクラブにも、メークアップ(例会の欠席補填)の関係でお邪魔させていただくこともあると思いますので、その際はよろしくお願いいたします。

入会の経緯ですが、もともと、後記の理由で、JCを卒業した後は、市内のどこかのロータリーに入会できればと思って、市内の各クラブのHPを検索していました。で、ちょうど、私が盛岡JCで大変お世話になったS先輩のお父さんが盛岡北RCの会員をされているのを発見した上、同クラブは現在、弁護士の現役会員がおらず、「一業種一人」を原則とするロータリーの考え方からも、受け入れていただけるのではないかと考えて、Sさんにお願いし、取り計らっていただいたという次第です。

私は、亡父が40年くらい二戸ロータリークラブの会員をしており、幼少時からロータリーに接することが多かった上、実家が商売(小さな酒類卸等の企業経営)をしている関係で、二戸RCの家族旅行会だけが、観光地に出かける唯一の機会で(クリスマス会?も何度か行きましたが、そうしたイベントもロータリーでしか経験していません)、子供心にロータリーに華やかで肯定的なイメージを持っていたこと、父自身が会員として強い誇りを持って参加していたこと(上着には常にロータリーバッジを着けていました。私は弁護士業に誇りを持っていますが、恥ずかしながら着け外しが面倒なので、いつも財布の中です)などから、子供の頃は大人になったら必ずロータリーに入会したいという思いを持っていました。

そのため、弁護士になった直後の二十代半ば、まだ東京で働いていた時代に、同業の大先輩の先生に、岩手に帰ったらロータリーに入会したいと相談したところ、君は若いから先にJCで修行しなさいと言われ、さらに、平成16年末に盛岡で開業後してすぐ、偶然にも、実家がお世話になっている北日本銀行の二戸支店長だった方(二戸RCの会員でもあり、ご近所だった関係で店番をしていた私も何度かご挨拶していました)にお会いする機会があり、同様の相談をすると盛岡JCへの入会を取り計らっていただいたので、平成17年にJCに入会しました。

そんな訳で、平成25年末にJCを卒業した後、市内のどこかのロータリーに入会できればと思っていたのですが、1つ、問題がありました。

JCに入会する際には、会員としての活動を懸命に行って、ロータリー会員になっているOBの方に誘っていただけるような身分になりたいと思っていたのですが、関係者の方はご存知のとおり、恥ずかしながら、JCでは入会から2、3年程度で本業(昼と深夜)と兼業主夫業(夜)のためパンクしてしまい、その後は卒業まで5年以上も幽霊会員化し、OBどころかJC本体にも恥ずかしくて顔を出せない、たまに出ても居場所すら作れないような身分になってしまいました。

そのため、卒業の際にどなたかに入会を勧められるということもありませんでしたし、自分からお願いするのも情けなくてできないという気持ちもかなりありました。ただ、それでも、私にとっては、岩手で開業すると決めたときからロータリーへの入会を必達目標に据えていたこともあり、恥を忍んでSさんにお願いしたところ、快諾いただいたという次第です。

幸い、ロータリーの例会は昼間が原則のため、兼業主夫=夜が肉体労働時間となる私には、かえって都合がよく(しかも、会場が事務所から歩いてすぐの場所)、しかも(あまり有り難くないことに)弁護士増などで昔よりも仕事が減って時間の確保も付きやすくなってきているので、JC時代よりも出席しやすい環境が整っています。ただ、肝心の会費を稼ぐ力が大幅に落ちたのが悩みの種ですが。

余談ながら、二戸出身なので、盛岡「北」RCに入会できて、個人的にはとても嬉しいという面があります。といっても、盛岡にある東西南北などの各クラブは、住所等で区分しているわけではないようですが。

そんなわけで、ようやくロータリーに入会できたことで、今は心底ホッとしているというのが正直なところです。私も自分の人生に大した願望を持っているわけではなく、こうして自分の事務所を作り上げ、曲がりなりにもロータリアンとしての1歩を踏み出せたので、与えられたか自分で敷いたのかはさておき、子供の頃から薄々意識していたレール(要するに「なりたいもの」)は、一応、達成したのだろう、あとは、どれだけ地域に内実のある奉仕ができるかで人生の意義が決まるということなのだろうと思っています。

最近まで知りませんでしたが、ロータリーは私が想像していた以上に平均年齢層が高く(盛岡北RCは特にその傾向が顕著で、私がJCでお世話になった方々のお父さんやその世代の方々が会員の大半を占めています)、父のように40歳前後に入会する方は多くはないようです(父の場合、祖父が早世したことも影響しているのでしょう)。そうしたことなどから、この年齢・身分での入会に分不相応とのご批判もあるかもしれませんが、以上のような経緯に依るものですので、ご理解のほどお願いいたします。

また、ロータリーもJCと同じく(JC以上に?)、数十年前に比べると会員総数がかなり減っているようです。私自身が偉そうなことが言える立場ではありませんが、決して、功成り名を遂げた地域の重鎮の方でないと入れない団体ではないようですから、同世代の方々には、ぜひ入会を検討いただければと思っています(お父さんが入会されている方も、他のクラブに入会するなどして、二世代で会員になっている方もあるそうです)。

今、入会時に交付されたロータリーの入門書を拝読してますが、「ロータリーの奉仕は個人個人の発意にあり、奉仕の主体はロータリー(団体)ではなくロータリアン個人である」とされ、団体行動よりも会員の個人としての行動を通じた社会への奉仕を重視しているため、集団行動に適性のない私には、かえって向いている面があるのかもしれません。

若い頃は、外国で隠者のように暮らしたいとか、各地を転々として生きたいなどと思ったこともありますが、ここに至って自分の生き方がほぼ定まったように思われ、悔いのない後半生にしていければと思っています。

人が居住する物件の競売に関するリスク

住宅ローンの支払途絶などにより住宅が競売される例は珍しくありませんし、大半は、平穏に立退が実現されることも多いのだとは思いますが、中には、居住者が退去を強硬に拒否し、競落人は難しい対応を迫られることもあります。

私自身は経験がありませんが、修習生の頃に、他の地方で修習していた方から、包丁を振り回すような居住者もいたという趣旨の話を聞いた記憶があります。

また、居住者が将来を悲観して室内で自殺するという事案も考えられますが、このような事態は、任意退去の拒否とは異なるリスクを競落人(買受人)に生じさせることになります。

例えば、他者に賃貸させる目的で、競売に出ているマンションを購入したところ、競落直後に居住者が室内で自殺するという事態が生じた場合、その物件を賃貸する際には、借受希望者にはその旨を説明すべき信義則上の義務が生じ、故意に告げずに契約をさせた場合には、借主に対し賠償義務を負うことになります。

先日の判例時報で、そのように借主の貸主への賠償請求を認めた例(契約の約1年前にそのような事実があったことを知り、解除・退去して賠償を求めたもの。認容額100万円強)が取り上げられていました(大阪高裁平成26年9月18日判決判時2245-22)。

その物件を競落・取得した貸主は、弁護士の方だそうですが、素人が競売に関わることのリスクを、改めて感じさせるものと言えるかもしれません。