北奥法律事務所

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弁政連岩手支部と階猛議員との懇談

弁護士会では、「弁護士会ないし弁護士が広く共有している政策課題について政治部門(議員、行政等)に働きかけ(ロビー活動)を行うこと」を目的とした「弁護士政治連盟」という団体を数年前に設立しており、私も弁政連岩手支部の会員兼名ばかり理事となっています。なお、弁護士に限らず、税理士や行政書士など文系士業のほとんど(全部?)が「政治連盟」を作って、自己の職域拡大などについて盛んにロビー活動をなさっているのだそうです。

弁政連岩手支部では、これまで1年に1回程度の頻度で地元選出の国会議員や県議の方と懇談会を持ってきたのですが、先般、弁護士資格を有する国会議員の方と懇談しようとの話になり、岩手1区選出の階議員と懇談することになりました(岩手4区の藤原議員にも要請したそうですが、都合がつかなかったと聞きました)。

冒頭、階議員から、ちょうど報道で取り上げられたばかりのNHK会長との議論をはじめ最近の活動や問題意識などが説明された後、弁政連側から幾つかのテーマを挙げてフリートークで懇談するという形になりました。

弁政連側では、法テラス岩手のスタッフ弁護士や他士業絡みの話題を出したものの、準備不足のせいか?さほど盛り上がらず、階議員の活動や政治認識、最近の提出法案、法曹養成制度などを中心に、ざっくばらんなフリートークが中心でした。

階議員は、NHK会長との議論が報道された後、事務所に同議員を誹謗中傷するFAXが山のように届いた話などを例に挙げて、安倍政権下の日本が、自由な言論を抑圧し「国の方針に背くな」と反対意見を萎縮させ封殺しようとする動きが強まっているので、自分はそうした風潮と断固闘っていきたいという決意表明を強く述べておられました。

私自身は、ノンポリ無党派の人間ということもあり、階議員のそうした決意に特に異論もないところではあるのですが、他方で、過去に、某企業の代理人として労働組合に関する紛争の代理人をお引き受けしたことがあり、その際、支援労組を名乗る全国の多数の団体から、その企業に対し時には不穏当な文言を交えて批判する趣旨の大量のFAXが送りつけられたのを目にしたこともあるせいか、「言論弾圧だ」と声高に主張する人達の属する社会の方が、案外、自由に物を言える雰囲気の乏しい、偏狭で権威的・抑圧的・排外的なものであることが珍しくないと感じるところがあります。私のようにどこに行っても窓際会員になってしまう輩に言わせれば、そうしたことも、国会議員さんには押さえておいていただければと感じました。

ともあれ、批判するのが野党の仕事、という見方もあるのでしょうが、私自身は、抽象論よりも相手方が無視ないし放置している深刻な現実を示すような多くの具体的な事実の発掘、指摘をもって、批判的言辞に代えていただければ(抽象的な勇ましい言辞だけだと、最初から同じ結論を支持している方の感情的気分を高揚させる面はあるでしょうが、それに同調しているわけではない者にとっては、そうしたものに冷めた印象を感じていることを表明するのを萎縮させる効果しか生まないのでは)というところはあります。

他方で、現在、立法に向けた議論がなされている様々な法案について党派的立場に関係なく問題として検討すべき課題があることに関し幾つかの指摘があり、そうしたお話は、実務能力に秀でた階議員の面目躍如という印象は強く受けました。

弁政連側(=盛岡の有力な弁護士さん方)は、盛岡市に法テラス岩手のスタッフ弁護士が配置されることに強い反発を持っているのだそうで、懇談の際、某先生が、「何年も前の日弁連と法テラスの議論で、地元弁護士会の同意がなければ法テラス事務所は設置しないと約束したはずなのに、それを反故にされたので納得いかない」と憤慨していたのですが、階議員から、それは、いつ行われた、どのような会合で、誰と誰との間で合意されたもので、その証拠(議事録など)はあるのか、と質問されると何も説明できず、「そうした事実を調べて提示するのが貴方がたの仕事でしょう。自らが汗をかいて努力しなければ、議員に縋ろうとしても、物事を守ったり変えたりすることはできないのではありませんか」と議員に窘められる一幕がありました。

私自身は、その問題(法テラス岩手のスタッフ問題)にはさほど関心はなく、物事の判断の決め手となるべき事実と証拠を調査するプロというべき弁護士が、そうした用意をすることなく自分達の利害に関する事項について陳情し、(一応、同業とはいえ)国会議員さんに窘められるのも、残念なことだと思いながら傍観していたというのが、恥ずかしい現実です(本業では、そうした主張立証をきちんとなさっている方々ですから、医者の不養生といったことなのかもしれませんが)。

弁政連に限らず、弁護士会の様々な会合ないし活動自体が、プロ意識の乏しいサロン的体質だなぁと感じる面が多々あり、スタッフ弁護士であれ何であれ、弁護士や弁護士会自体が、もっと激しい試練に晒されるのでなければ、そうした体質自体を変えていくことができないものとして世間に扱われるのではという悲観的?な印象を抱いています。ただ、私自身さしたることもできないまま時間ばかり空費しているという感は否めませんが。

スタッフ弁護士問題については、先日、法テラスから、多額の交通費を要する岩手県内の某支部(裁判所)に出張する際の交通費が一切、我々(契約弁護士)には支給されないとの説明を受けて気が滅入ったことがあり、そういうことであれば、遠方の支部への多数回の出張を要する少額事件などの不採算仕事を、(給料取りなので自己負担がない=交通費も法テラス事務所から支給される)スタッフ弁護士にやっていただく方向で(要するに、盛岡にいるけど専ら盛岡以外の管轄裁判所の仕事をするものとして)、やっていただくのも一つの考えではと思わないこともありませんでした。

ただ、そういう類の要望については、スタッフ弁護士よりも、交通費等の立替制を導入するとか、裁判所の遠隔地審理システムの拡充(双方とも電話会議OKとして出張不要とするなど)に求めるべきことで、そうしたことも含め、実務的な議論を詰めて相応の場に働きかけをしていただければと改めて感じました。

なお、「スタッフ弁護士問題」は、究極的にはいわゆる弁護士自治(法テラス=行政機関による弁護士業界の統制云々)が絡む話なので、折角、議員さんと懇談するのであれば、弁政連側にはそうした大きな話も含めて論点・議論を詰めたり資料を整理してお渡しするなどの工夫があってもよいのではと思いました。

階議員からは、「議員には秘書などのスタッフはいるが、選挙対策の従事で精一杯で、重要法案が目白押しになっているのに、真に政策(法案の当否や立法論など)を考えてくれるシンクタンクのようなスタッフを持つことが出来ないのが残念である」という趣旨のお話がありました。恐らく、そのような営みを何らかの形で弁護士会に期待してのご発言ではないかと感じましたし、弁護士会(弁政連)側も、階議員に限らず、地元選出の議員さんの要望に応じて、法律論が絡む政策課題について論点整理や事実調査、法的検討などを行ったレポートを提出するというような営みを考えてよいのではと思ったりもしました。

ただ、現実問題として代金は無理筋でしょうし、さりとて無償では質の担保に不安があるでしょうから、日暮れて道遠しの感は否めずといったところでしょうか(タダの代わりに、弁政連の政策課題に対し相応の協力を約束いただくといったパターンなら、それなりに実効性があるかもしれませんが)。

ともあれ、弁護士出身である階議員に限らず、国会議員さんとの「ざっくばらんな会合」自体が貴重なものと言うべきでしょうから、発言力のない万年窓際族の私にはさしたることはできそうにありませんが、今後も参加だけは続けたいと思っています。

なお、(特に外に出して困るような話を書いたわけではないでしょうし、そもそもそのような話自体もなかったとの認識ですが)議事録等もない非公開の場のざっくばらんな懇談について、私なりに感じたことを書いたものですので、その点は予めご理解のほど、お願いします。

有責配偶者からの離婚請求が長期間の別居等の事情がなくとも認容された例

震災後、不倫が絡んだ法律問題についてご相談を受ける機会が増えましたが、その多くは、慰謝料請求の当否に関するご相談で、「不貞をした配偶者(有責配偶者)が自ら相手方配偶者に対し離婚請求できるか」という論点については、ご相談を受ける機会はさほどありません。

この点(有責配偶者の離婚請求)は、昭和62年の最高裁判決が、①夫婦の別居が当事者の年齢や同居期間と対比して相当の長期間であること、②未成熟子がいないこと、③相手方配偶者が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて過酷な状態に置かれるなど離婚を認めることが著しく社会正義に反する特段の事情がないことを要件として指摘したため、それらを満たすケースでないと認められないという考え方が根強くありました。

とりわけ、「長期間の別居」については、7~8年程度が相場として挙げられることが多く、実際、熟年者同士の離婚訴訟で、有責配偶者たる夫が、ちょうどそれくらいの別居期間を経た後に提訴したところ、認容されたという判決を見たことがあります。

ただ、上記の最高裁判決が有責配偶者の離婚請求を制限しているのは、「一家の収入を支えている夫が、不貞の挙げ句に、妻子を放逐して経済的に不安定な状態に陥れるのは社会正義に反する」という考え方に基づくので、そうした事情がなく、離婚請求を認めるのが社会正義に反しないと言えるケースであれば、長期間の別居等の事情がなくとも離婚請求を認めてよいとする意見が以前から強く述べられていました。

先日、「妻Xが夫Yと不和になって他の男性と不貞をした後、未成熟子2名を連れて別居し、Yに対し離婚等を請求した件で、Xを有責配偶者と認定しつつ、①Xの人格へのYの無理解が不貞の原因になっていること、②Xは就労しながら子らを適切に監護養育しており、離婚によって子らの福祉が害されないこと、③Yに1000万円弱の年収があり、離婚の認容でYが著しく不利益になると言えないことを挙げ、判決までの別居期間が2年ほどしか経ていなくとも離婚請求を認容し、子らの親権者をXに指定し、養育費を計12万円(1人6万円)とした例」が掲載されていました(東高判H26.6.12判時2237-47)。

Xがフランス国籍という事情があるものの、外国人女性だから特別扱いというわけではないでしょうから、日本人同士の夫婦にも十分にあてはまる話で、現に、こうした類型の紛争では、離婚を成立させる調停や和解で終了することも多いはずです。

もちろん、「専業主婦家庭での夫からの離婚請求」に関しては、従前の枠組みがあてはまることが多いでしょうから、それぞれの夫婦の実情などを詳細に主張立証する工夫が必要になってくると思います。

上記判決の解説には有責配偶者の離婚請求に関する判例や学説などが整理されており、その点でも参考になると思います。

水路や湖沼での転落事故と賠償問題

最近の判例時報で「飲酒酩酊した人がローソンの脇の側溝の水路に転落して死亡し、遺族が、水路を管理する自治体と水路脇の壁を管理するローソンに対し、水路や壁の設置管理の瑕疵等を理由に賠償請求したところ、自治体の責任は認めたものの8割の過失相殺をされ、ローソンへの請求は棄却された」という例が載っていました(富山地判H25.9.24判時2242-114)。

転落事故に関する国賠請求や工作物責任が問われた訴訟は多くの前例があり、解説には飲酒酩酊絡みでの歩行中の事故に関する前例などが紹介されています。

水路への転落ではありませんが、さきほど、秋田の八郎潟の水路でワカサギ釣りをしていた方が、氷が割れて湖水に転落したというニュースが出ていました。詳細は存じませんが、仮に、転落場所(水路)の管理者が、水面の状態などから転落等の危険があることを把握できたのに進入禁止など相当な措置を講じていなかったという事情でもあれば、国賠訴訟などに発展する可能性もあるかもしれません。

余談ながら、小学生の頃、丘の上の書道教室の帰りに凍結した沼(面積は学校のプール程度)に一人で入って遊んでいたところ、沼の中央で氷が割れて足下から沼に埋まり出られなくなったことがあります。幸い、30分~1時間ほどで救出され、事なきを得たのですが、水面が割れて氷の下に転落したという報道を目にすると、そのときのことを思い出さずにはいられないものがあります。

「自分は沼にも湖にも行かないよ」という方も、冒頭のような転落事故もありますので、お気を付け下さい。

安積疎水と朝河貫一、そして新渡戸稲造 ~H21再掲~

前回と同様、平成21年に郡山を訪れた際に作成した旧HPの日記の再掲です。

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前日分の続きですが、「開成館」を出た後、少し離れたところにある「安積歴史博物館」に行きました。ここは、旧制安積中学の校舎を博物館化した建物で、鹿鳴館の様式を模して作った?とのことで、相応に価値のある建物だそうです。旧制中学は現在の安積高校の前身だそうで、隣接して高校の施設がありました。

展示内容は、開成館と重なっている部分があったり、OB向けの展示等もあり、概ね地味な印象でしたが、安積中学の出身者である歴史学者の朝河貫一博士に関する展示については、強く惹きつけるものがありました。

朝河博士は、明治末期から昭和初期にかけて活躍した歴史学者で、若いうちに米国に渡り日本人初の米国大学(エール大)の教授になり、学者として業績を残しただけでなく、日露戦争の際、「調停役」となった米国内で日本の立場や米国が調停をなすべきことなどについて盛んに説いて廻るなどして、戦争終結を背後で支えたり、太平洋戦争直前には、要人向けに開戦回避の努力を重ねていたなど、多大な功績があったのだそうです。

私も、お名前はどこかで聞いたことがあるような気がするのですが、業績等について知ったのは初めてで、その点は大変有意義に感じました。

朝河博士は、開拓途上にあった安積平野の一角の貧しい家庭に生まれたものの、早くからその才能が見出され、篤志家等の支援もあって、旧制安積中学から早稲田大学に進み、海外に亘って才能を開花させたとのことですが、明治新政府の集大成が日露戦争であるとの観点に立てば、明治政府が尽力した安積疎水による開拓が、巡り巡ってこうした形でも花開いたのかと、歴史の深さ、さらには郡山という街が歴史の中で果たした役割というものを感じずにはいられませんでした。

ところで、朝河博士とほぼ同時代に活躍し、同様に日露戦争などの際に米国内で尽力したとされている国際人として、盛岡出身の新渡戸稲造博士の存在を挙げないわけにはいきませんが、残念ながら、上記の博物館では、朝河博士と新渡戸博士との交流の有無等に関する記述は見受けられませんでした(この点は帰宅後に気づいたことなので、見落としたかも知れませんが)。

明治政府が造った開拓地郡山から生まれた朝河博士と、明治政府に散々な目に遭わされた敗戦国盛岡から生まれた新渡戸博士。同時代に国際人として活躍するという点では、同じような生き方をし、同じような業績をあげながら、その2人のバックグラウンドは、対極そのものということができます。

この点の比較研究をすれば、面白い本が一冊書けると思いますので、どなたか頑張っていただきたい(すでにあるということであれば、ぜひ教えていただきたい)ところです。

余談ついでに、7月上旬の岩手日報の夕刊に、朝河博士の特集記事があり、メジャー級といってよい新渡戸博士と同様、もっと知られるべき人だと改めて思いました。

東北の異端児、郡山の夢と現在(いま)~H21再掲~

先日の日経新聞(プラス1)で、郡山の温泉や安積歴史博物館が取り上げられていました。私は、平成21年に一度だけ、郡山の中心部に行ったことがあり、その際、上記の博物館などを見た感想を、2回に分けて旧HPの日記に掲載したことがあり、折角なので、再掲することにしました(少しだけ表現を修正しています)。

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平成21年7月に東北弁連の定期大会が郡山市のホテルで開催され、東北弁連の公害対策環境保全委員会も実施されることから、岩手枠の委員となっている私も、参加してきました。委員会そのものは、各県の現在のトピックスを簡単に出席者が説明した程度のものですが、他の委員の先生方の出席率が非常によく、私=岩手会ばかりがすっぽかすのも後が怖いことなどから、半ば仕方なく行っているというのが正直なところです。

で、いつもは新幹線で通過するばかりの郡山の街に初めて踏み入れたということで、4時間程度とはいえ、郡山観光に勤しむことにしました。

まず、弁連大会の会場のホテル「ハマツ」から徒歩10分ほど、市役所に面した場所に「開成山公園」という大きな公園と大きな神社があり、そのすぐ近くに、「開成館」という歴史的建造物があったので、そちらを見てきました。恥ずかしながら郡山についてはほとんど知識がなく、郡山にゆかりがある「安積疎水」という言葉だけを聞いていたので、そのことについて知りたいというのが目的でした。

詳細は省略しますが、安積疎水というのは、人口の巨大水路を造り猪苗代湖の湖水を郡山方面に送り込んで水田開発をしたという大規模灌漑施設であり、明治初期に巨費を投じて着工されたのだそうです。開成館をぜひ訪れて見て頂きたいですが、水利の乏しい郡山一帯(安積平野)に大規模開拓を行いたいという当時の人々の切実な要望があり、これが、当時の失業武士対策や富国強兵策等に追われていた大久保利通らを動かして実現にこぎ着けたとのことで、なかなか壮大なドラマがあったのだと初めて知りました。

また、私がこれまで郡山という都市のことをあまり知らなかった理由も、そうしたことと関係があるのだろうと得心できました。私のような多少とも歴史に関心のある東北人にとっては、盛岡、仙台、米沢、会津若松といった武士の時代に拓かれた都市には馴染みがありますが、郡山や青森のような、明治後に開拓された都市には、あまり馴染みがありません(その点は、東北人の根底にある、明治政府へのある種の反発心もあるでしょう)。

ただ、一方で、その都市で現に努力してきた住民からすれば、開拓を推進した明治政府の要人こそが自分達の生みの親なわけで、盛岡などでは到底考えられない「大久保利通や政府から派遣された開拓に尽力した県令等に対する顕彰」が盛んになされていることに、とても東北とは思えないと驚くと共に、感慨深いものがありました。

と、同時に、自らの都市を米国西海岸の主要都市になぞらえて、開拓精神の大切さを強調し市民を鼓舞しようとする開成館の解説パネルの筆者(市役所の関係者でしょうか)の熱い文章を読んでいると、盛岡のような、良くも悪くも歴史の重みが街を沈滞化させていると言えないこともない街の住人からすれば、羨望を禁じ得ない面もありました。

戦後日本が、米国との戦に負けたからこそ得たものがあるように、郡山という都市は、東北が薩長新政府に負けたからこそ得たものという面は否定しがたいように思われます。だからこそ、そうした歴史を郡山だけではなく東北全体の資産として東北人が共有し、複眼的視野をもって開拓精神というものを学んでいく必要があるのではないかと感じさせられました。

開成館の後、後述(次回記載)の「安積歴史博物館」に立ち寄り、そのまま30分くらい歩いて駅まで戻り、駅前の高層ビル「ビックアイ」から展望を楽しんで、帰途に就きました。盛岡と違って街の中心部に水と緑が溢れる公園が点在しており、最近できたらしい「21世紀公園」では子供達が芝生を走ったり遊具を楽しんでいた点や自転車向けの道路整備がなされていた点なども、非常に好ましく感じました。

ただ、駅前はシャッターが目立つなど、ご多分に漏れず郡山も経済的にはそれなりに苦労しているようでもあり、開拓精神を発揮して頑張って欲しいと思わずにはいられませんでした。

政治過程の憲法不適合に関する官と民の役割と責任

平成25年7月に実施された参議院通常選挙に関する選挙無効訴訟の最高裁判決(最大判H26.11.26判時2242-23)が、直近の判例時報に掲載されていました。

参院選に関しては、平成22年7月に実施された参院選(議員定数配分規定が最大1:5.00)に関し投票価値の平等違反等が問われた最高裁判決(最大判H24.10.17)で、その選挙当時、本件定数配分規定の下で選挙区間の投票価値の不均衡は違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っていたが、本件選挙までの間に本件定数配分規定を改正しなかったことが国会の裁量権の限界を超えるとは言えない=配分規定が違憲とまでは言えない=違憲状態だが裁量違反なく違憲でない、とされています。

そして、当該判決を承けて、平成24年に公選法が改正されており、その改正法のもとで平成25年の参院選が行われたものの、議員定数配分は最大1:4.77の格差となっており、改めて、この論点に取り組んでいる弁護士の方々が、選挙無効を求めて提訴したものです。

最高裁は、今回も、違憲問題が生じる著しい不平等状態にあるものの、本件選挙までに定数配分改正がされなかったことをもって国会の裁量権の限界を超えるとは言えぬ=本条違反に至らずとして、原告の請求を棄却(違憲違法・事情判決とした2審を変更)しています。

但し、都道府県を単位として各選挙区の定数を設定する現行方式を改めるなど、仕組みを見直す立法措置が必要だと指摘し、できるだけ速やかに、そのことを内容とする具体的な改正を行うなどして違憲状態を解消すべきだと述べており、国会がこれに応じずに違憲状態を放置した場合には、次回(平成28年)の参院選に対する訴訟では、より厳しい判断が予想されると言えます。

判文や解説をきちんと読み込んだ訳ではありませんが、平成24年最判との違いとして、平成24年は違憲を主張する反対意見が3名だったのに対し、今回は反対意見が4名となっています。また、4名のうち1名(山本裁判官)は、1票の格差は2割未満でなければ許容されない(0.8を下回れば違憲)とし、0.8を下回る選挙区から選出された議員はすべて身分を失わせるべきという徹底した投票価値平等論に立っていることが、特筆すべき点として挙げられます。

この山本裁判官ですが、経歴(出身)をネットで確認したところ、前内閣法制局長官で、最高裁判事の就任時の記者会見で、当時の安倍内閣が推進していた集団的自衛権に関する議論に関し、現在の憲法の解釈の限界を超えると発言して注目を浴びた方であることが分かりました(当然、そのニュースは私も見ていましたが、お名前はすっかり忘れていました)。

もちろん、当時の議論・定義を前提にした発言でしょうから、その後に行われた閣議決定に対する見解を述べたものではないということになるでしょうし、さすがに最高裁判事の就任後は、山本判事がその後の集団的自衛権を巡る閣議決定などのシーンで存在感を示すことは無かったと思います。

とはいえ、国会の存立の基本というべき選挙制度に関する訴訟で厳しい判断を示されているのを見ると、「政のあり方(国会が憲法の基本原則に従うべき身の正し方)」について、強い信念をお持ちなのだろうと感じられます。

ちなみに、反対意見4名のうち残りの3名(大橋・鬼丸・木内の3判事)は、いずれも弁護士出身で、「違憲・違法を宣言すべきだが事情判決の法理により選挙は無効としない」との判断を示しています。政治的な対立を含みやすい論点で最高裁判事の票が割れる場合には、弁護士出身の判事が「少数派寄りの憲法の理想重視の少数意見」に立つことが珍しくないのですが、ある意味、(議員と同じく憲法の尊重擁護義務を負う)行政官の頂点というべき内閣法制局長官の経験者が、弁護士出身判事達よりも厳しく、憲法(国家権力のあり方を定めた法)の解釈について、最も先鋭的と言える意見を示している光景には、官の矜持とでも言うべき、大いに示唆に富むものを感じずにはいられません。

以前に、最高裁判事の経験者の方の著作で、実際の合議では、表に出せないような生々しい議論が交わされることもあるという趣旨の記載を読んだ記憶がありますが、前回よりも反対意見が1票増えていることも含め、こうした経歴の方に最も厳しい反対意見を表明させていること自体が、最高裁自身の、組織としての何らかの意思を示すものではないかと感じたのは、私だけではないのではと思われます。

ところで、山本判事は安倍内閣により任命されており、当時は、集団的自衛権の閣議決定を目指す安倍首相が、山本氏を最高裁に厄介払いしたなどと評する報道もあったような記憶もありますが、私個人の漠たる感覚としては、恐らくそれは一面的な見方というべきで、現下の社会情勢を踏まえて、山本氏の良さは現在の政治過程の中枢(法制局)よりも一歩離れた場所(最高裁)の方が生きるという「高度な政治判断」があったのではないかと思いたいところです。

ですので、山本判事の先鋭的な反対意見についても、単純に「政治(国会)と官(最高裁)の対立」と捉えるのも正しい理解ではなく、「官の最高峰まで上り詰めた人が、現在の国会議員の選出の仕組みは憲法の理念に反し、選挙無効=一部の議員の地位を剥奪すべきだとまで言っている。だからこそ、民(政治家はもちろん、国民全体)がそのバトンを受け止めて、選挙制度改革の気運を高めるべき」という、国民的な議論や運動(選挙制度改革を旗印にした政治勢力の登場などを含め)が求められていると言うべきではないかと考えます。

残念ながら、現在もなお、選挙制度改革を巡る議論等が国内で盛んに行われているとは到底言えず、このままでは、従前と同じく小手先だけの改正のみが行われ、平成28年の選挙では今度は反対意見がもう1、2名増えるだけ、といった展開になるのではと危惧されます。

集団的自衛権に関しては、選挙制度改革に比べれば、まだ議論のある方だとは思いますが、相変わらず、異なる政治的立場の持ち主が自分の価値観に基づく主張を繰り広げているだけの、価値観を異にする者同士の対話のない示威行動的な運動に止まっている感も否めません。

また、上記の観点からは、一票の価値の問題も、憲法9条に絡んだ問題も、根底の部分では相通じる面があるのに、それぞれに携わっている方々同士に何の連携も見られないという点も、憲法を深く考える上では、とても残念に感じます。

私自身は、異なる政治的価値観を有する者同士が、時に議論を交わし、時に妥協を重ねながら、平和的な手段・手続によって高次の政治的価値を実現していくべきだというのが、そうした社会を実現できなかった戦前の反省の上に立つ、日本国憲法の理念だと理解していますし、投票価値(政治的意思決定に対する終局的な影響力)の平等は、そうした社会を支える基本的な原則(インフラ)だと思いますので、そうした観点から、双方の論点を有機的に結びつけるような方向で、議論が深まればと思っています。

定数配分では往々にして有利な結果を享受している地方の立場からすると、定数不均衡問題では、ともすれば、現状肯定の発想に陥りやすいのではないかと思いますが、「国民一人一人の政治に対する影響力という価値が軽視されている表れなのだ」という視点に立ち、悪しきアファーマティブアクションとして断ち切るべき、地方の声を届けるのは別の手段によるべしとの姿勢も必要ではないかと思います。

なお、冒頭の訴訟は定数不均衡問題に取り組む2つの訴訟グループ(元祖派と升永弁護士派)のうち前者を当事者とするものですが、その主力メンバーとして携わっておられる方の中に、私が東京で勤務していた事務所に、私と入れ替わりで入所された先生がおられます。岩手県内に「定数不均衡問題に取り組んでいる弁護士さんから講演を聴きたい」との奇特?な方がおられれば、私までご一報いただければ、お役に立てることもあるかも知れません。

名誉毀損のネット投稿に関する責任追及など

インターネット上で名誉毀損となる投稿がなされた場合、一般的には、サイトの運営者に対し投稿者のIPアドレス等の開示を求め、その開示を受けた後、IPアドレス等から把握できる「投稿者が契約しているプロバイダ(経由プロバイダ)」に対し、投稿者の住所氏名等の開示を求めるという方法を取るべきものとされています。

これは、いわゆるプロバイダ責任制限法に基づく手続なのですが、実際には、サイトの運営者が任意にIPアドレス等の開示請求に応じないことも多く、その場合には、裁判所に対し、その運営者を相手方として、IPアドレス等の開示を求める申立を行い、その命令をもとに強制的に開示させる以外には、手段がないと思われます。

ただ、その場合には、サイトの運営主体をどのように把握するか、その住所等(申立書の送達先)をどのように調査するか、管轄等はどうなるか、仮処分命令がなされたとして、運営者が現実に従うのか(従わないとして、強制的に開示させるには、どのような方法を講じることができるのか)といったハードルがあり、この制度も、決して万能ではありません。

そして、私の知る限り、この点が顕著な壁となって生じるのが、インターネット掲示板「2ちゃんねる」ではないかと思います。

5年以上前のことですが、2ちゃんねる上に名誉毀損の投稿をされたという方から、投稿者を特定して責任を問いたいという趣旨のご相談を受けたことがあります。それまで、この種の問題を扱ったことはありませんでしたが、当時、2ちゃんねるの投稿被害が社会的にも多いに問題となっており、盛岡に、その問題を専門的に扱う方がいるという話も聞いたことがありませんでしたので、お役に立てればとの思いで調査等をお引き受けして色々と調べるなどしたのですが、結局、上記の壁(ちょうど、2ちゃんねるの運営が創業者の西村氏からシンガポール国籍の会社に譲渡されたなどという報道が飛び交っている時期で、その点でも幾つかのハードルがありました)にぶち当たり、当方では対応困難として、お断りせざるをえませんでした。

その後、平成25年に2ちゃんねるなど各種の掲示板での名誉毀損の投稿に対する削除及び発信者情報開示請求の手続について詳細に記載した書籍が出版されており(中澤佑一「インターネットにおける誹謗中傷法的対策マニュアル」)、同書には、平成25年当時における2ちゃんねるへの発信者情報の取得のための仮処分の申立等の方法(シンガポール国籍の会社を相手方とする申立の方法や必要書類の取得方法など。なお、法務局に納付を要する供託金は30万円とされています)及び仮処分命令に基づく2ちゃんねるのサイトへの発信者情報の開示請求の手続などについて、詳細に説明がなされています。

ただ、さきほど、2ちゃんねるのサイトを確認したところ、現在、同サイトの管理会社として、上記会社とは別の会社(ネット情報では、フィリピン国籍と表示しているものもあります)が表示されており、現在も、2ちゃんねる絡みの投稿問題で発信者情報の開示請求を行う場合には、当事者の特定や所在などで厄介な論点が存するため、上記の問題を取り扱って成果をあげた、限られた弁護士でないと対応が困難ではないかと思われます。

私に関しては、その後に2ちゃんねるの投稿問題に関しご相談を受ける機会はなく、社会的にも、2ちゃんねるに関しては、当時に比べれば沈静化した面はあるのではないかと思っていますが、違法行為(名誉毀損投稿)の温床になっている社会的存在(2ちゃんねる)が、当事者の特定や所在などという、法的責任を問うための事実調査のレベルで大きな困難を伴い、結果として権利保護(被害者から投稿者=加害者への責任追及)が困難になるというのは望ましくないことは明白で、上記の壁をクリアできるような、何らかの立法的解決を要するのではないかと思います。

例えば、名誉毀損投稿が頻発しているようなサイトについては、消費者庁が指定して、サイトの運営者は被害者から削除や発信者情報開示の請求がなされた場合には直ちにこれに応じることができるシステムを構築しなければならない(その認証等を受けなければ、サイトの閉鎖命令に応じなければならない)とするような特例法を考えてもよいのではないかと思っています。

企業再建に関する特定調停スキームと経営者保証ガイドライン

あまり知名度はありませんが、1、2年ほど前から、「中小企業の事業継続が困難になった場合に、債務者が少数の金融機関のみである場合など、債権者との合意で、一定の弁済(原則として破産手続よりも多い額)を行うことを条件に、破産や民事再生の手続をとらずに残債務の免除等を受けることができる制度」が設けられています。

中小企業円滑化法終了の対応策としての特定調停スキーム」というもので、2年前に中小企業円滑化法の終了により倒産が多発するのではないかとの懸念が広まった際、設けられています。

当時、中小企業庁の音頭で経営革新等認定支援機関制度というものができ、私も「支援機関」に登録しているのですが、上記の手続は、支援機関としての弁護士が関与することが望ましいと考えられています。

実際には、政府の予想に反して全国的に倒産件数が少ない状態が続いていることもあり、私自身は、これまで当該手続に相応しい企業さんからその種の申込みを受けるなどのご縁に恵まれていませんが、いずれ、利用する機会があればと思っています。

また、上記の手続は、企業再建を前提とする場合だけでなく、企業(主債務者)が破産等を余儀なくされた場合でも、経営者などの連帯保証人が、冒頭の条件を前提に、その余の債務の免除を受けるために利用することもできるとされています。

例えば、代表者等の方の債権者は基本的に少数の金融機関のみであるなど合意による処理に適する場合に、破産手続で指定されている自由財産拡張の限度額(原則として99万円)以上の額を手元に残し、その余の財産は換価して按分弁済することを条件に残債務の免除を受けるという目的で利用することが想定されています。

昨年末に、弁護士会から「中小企業円滑化法終了の対応策としての特定調停スキーム(経営者保証に関するガイドライン対応)」に関するレジュメが届いており、その制度の利用方法に関する解説や書式などが掲載されていました。

そろそろ、中小企業の倒産件数の増加が見込まれてきていることもありますし、昔と違って、商工ローンなどの同意による解決が期待できない債権者への連帯保証が含まれていない(協議で解決できる金融機関のみとなっている)方も多いはずですから、利用に適する案件のご相談を受けた場合には、当事者の破産手続を避けるためにも、積極的に金融機関側に打診するなど、利用を試みたいと考えています。

大河ドラマに登場し損なった「小保内」という二戸人

私は、「徳川家康」以後の大河ドラマは8割がたを見ており、現在、放送中の「花燃ゆ」も、習慣(惰性?)で毎週、ビデオを撮って深夜に見ています。

内容については、まだ助走モードのせいか、或いは「ホームドラマ」云々と銘打っているせいか、早送りしたくなる場面もありますが、今回の主題曲は、音楽が私にとっては十分に満足でき、CG画面も作品のテーマとよく噛み合っているように感じて、個人的にはとても気に入っています。

鷹?と思しき鳥達が、画面の下から次々に現れては猛スピードで飛び立ち、何らかの思想を感じさせる様々な漢字がちりばめられた華やかな空間を縦横無尽に駆け巡りながら弾けていく様子が描かれている光景は、吉田松陰をはじめ、社会を変えることで社会を守ろうと考えて、世に先駆けて急進的な思想を掲げては維新の時代に殉じていった、多くの草莽の志士達を指しているのだろうと感じるのは、私だけではないでしょう。

そして、その画面に響く吉田松陰が遺した言葉をもとにした歌詞のコーラスも、そうした志士達(ひいては現代を生きる視聴者自身)が、松蔭の思想の後継者であることを印象づけようという演出なのでしょうし、そのことが視聴者の心に響く面は、大きいのだろうと思います(ネットでさっと調べた限り、今回のオープニングには好意的なコメントが多く寄せられているように見受けられました)。

ところで、今回の大河は「八重の桜」とは逆に、長州が舞台ということで、東北の人々にとっては馴染みにくい面もあるかもしれませんが、「八重」をご覧になった方であればお分かりのとおり、若者であった頃の吉田松陰が、国防(北方警備=ロシア対策)の実情を見たいなどの理由で東北に視察旅行に来た話に象徴されるように、東北と長州の人々に交流が無かったわけではありません。

そして、世間にはほとんど知られていない話ですが、「花燃ゆ」の登場人物達と直接、間接に多くの関わりを持った二戸人が存在します。

名を「小保内定身」と言い、二戸市の中心部(福岡町)にある呑香稲荷神社の宮司の子であり、ネット情報によれば、若くして江戸に遊学し、その際、久坂玄瑞などと交流して勤王思想を学び、その後、帰郷して郷里で会舗社という政治結社(「北の松下村塾」と呼ばれたそうです)を作り、地域の子弟の教育に従事しつつ、南部藩内も西国列藩に負けずに西洋の文物を取り入れるべしとの活動を行っていたようです。

維新期には、新政府への恭順派の立場で重臣の腹心として藩論とりまとめに奔走し、一旦は多数派である抗戦派に敗れ、秋田戦争(戊辰戦争における北東北での両軍の戦争)に至ったものの、その後に南部藩が降伏した際には、藩論とりまとめなどに大きな役割を果たしたとされています。

維新後は、木戸孝允に新政府への出仕を勧められるも、父への孝行などを理由に断り、神職に従事しつつ、会舗社で学んだ子弟の要請で、当時の政府が奨励していた牧羊事業に取り組むなどしていたものの、病気のため50歳で亡くなったと言われています。

そして、定身が父(小保内孫陸)と共に運営していた会舗社ですが、発端は、安政の大獄の直後に、小倉鯤堂(小倉健作)という長州人が捕縛を危惧して二戸まで避難して(旧知の定身を訪ねてきた)、対応した孫陸と意気投合したのがきっかけとのことですが、この人物は、「花燃ゆ」の主人公・杉文が再婚した、小田村伊之助(楫取素彦)の弟なのだそうです。

また、吉田松陰自身が東北遊学の際に二戸を訪れたかは不明ですが、松蔭は、その少し前に起きた「相馬大作事件」(北方の国防の必要を説いていた二戸出身の兵学家・相馬大作が、津軽藩主の襲撃を企んだとして捕縛され処刑された事件。「北の忠臣蔵」と呼ばれて歌舞伎などで大いに取り上げられ、昔は有名人だったようです)に強い関心を持っていたことなどが記されており、そのことも、会舗社などの素地になったと思われます。定身が江戸で薩長の英傑らの知遇を得ることができたのも、相馬大作に縁ある者として、松蔭の後継者などに遇されたという面もあったのだろうことも想像に難くありません。

残念ながら、会舗社自体は、松下村塾と異なり明治政府を主導した人物などを輩出したという話は聞いたことがありませんが、二戸出身で日本の物理学の礎を築いた田中舘愛橘博士は、その頃に二戸で幼少期を過ごしており(なお、博士の自宅は会舗社=呑香稲荷神社の真向かいです)、何らかの形で会舗社の影響を受けていることは間違いないでしょう。

また、会舗社とは関係ありませんが、定身らの尽力で南部藩が会津や長岡のような大戦争を経ることなく恭順した後は、原敬や米内光政をはじめとする多くの元・南部藩士が、そのバトンを継いで明治期等の日本の運営に尽力したことを思えば、そうした形で、定身らの「勤王思想」は継承されたのだろうと考えることもできるのではないかと思います。

なお、小保内定身や会舗社などについて書かれたサイトは多くはありませんが、幾つかのサイトをご参考までにご紹介しておきます。
http://www.shokokai.com/ninohe/kankou/kunohejyou/rekisi.html
http://55768726.at.webry.info/201307/article_22.html
http://ninohe-kanko.com/sightseeing.php?itemid=1056
http://blogs.yahoo.co.jp/michinokumeet/63440728.html

こうして見てくれば、二戸人としては、文(ふみ)ではなく定身(さだみ)を主人公にしてくれればよかったのに、などと冗談を言うつもりはありませんが、長州から遥か遠く離れ、維新の著名なシーンにも全く登場しない辺境に生きた人物が、文に負けないくらい今回の大河の中心メンバー達と関わりを持っていることに、驚かずにはいられないものがあります。

二戸市や観光協会などにおかれては、大河に便乗してキャンペーン企画(長州の関係者やドラマ出演者などを招待してメディアに取り上げて貰うとか、歴史秘話ヒストリアに売り込むとか)などを立ち上げていただきたいところですが、二戸市のHP(観光コーナー)を見ても会舗社は取り上げられておらず、期待するだけ無駄なのかもしれません。
http://www.city.ninohe.lg.jp/forms/info/info.aspx?info_id=474

ちなみに、このように、大河ドラマの登場人物と深い関わりを持ちながらも、ドラマに登場する機会に恵まれなかった二戸人は、定身だけに限った話ではありません。

前記の田中舘愛橘博士は、白虎隊士から東京帝大総長まで上り詰めた山川健次郎博士(日本の物理学の創始者的存在)の一番弟子で、「八重の桜」には教授になった健次郎の大学の研究室を八重が訪ねるシーンがあるのですが、そこで登場した「助手の学生さん」は、若き日の愛橘博士に他ならないはずで、私などは、ちゃんと助手に名前を付けて欲しい、二戸市役所はNHKに抗議せよなどと憤懣を抱いたものです。

ところで、会舗社で学んだ子弟の一人が、定身の支援を受けて、国内で取り組みが始まったばかりの牧羊事業(蛇沼牧場)に挑戦し、明治天皇の東北行幸の際にお言葉を賜ったという話が伝わっています。事業の際には、まだ国内に棲息していたニホンオオカミの襲撃や伝染病で羊が壊滅する被害に遭うなどの苦難があったそうで、岩手県庁?が子ども向け?の紙芝居で紹介しています。
http://www2.pref.iwate.jp/~hp0510/kamisibai/sibai-6-1.htm

私の実家は、小保内定身の父か祖父の時代に生じた分家筋なのですが、半信半疑の噂話として、当時の本家は、牧羊事業のため多額の負債を抱え、多くの家財を手放しており、その中には、日本でたった一つの西郷隆盛の写真もあったらしいという話を、子供の頃に聞いたことがあります。

実際、「西郷隆盛 写真」などとネットで検索すれば、小保内定身の弟という人物が西郷の影武者を務めていたという薩摩藩士らと一緒に撮影されている写真なるものを見ることができ、過去にテレビ番組で取り上げられたこともあったようです。

想像でしかありませんが、敢えて歴史の表舞台に出ることなく、地域の子弟教育など地道な活動に己の途を定めた定身は、事業の失敗や病気で、失意のうちに亡くなったのかもしれません(生涯独身で、子も授からなかったようです)。

だからというわけではありませんが、「花燃ゆ」のオープニングで散っていく鳥たちの姿を見ると、その鳥は、長州人ばかりではないよ、と思わないこともありません。

私自身は、短期間ながらも東京に出て、司法研修所という当代の英才が参集する場所に身を置く機会にも恵まれましたが、定身と違って遥かに役不足の身の上のため、英才の知遇を得て交流を深めるどころか、身の置き場もなく小さくなっていたというのが恥ずかしい現実です。

それでも、田舎の地味な町弁として地道な仕事に明け暮れる身にとっては、そうした先人の存在は、何某か、心の支えになるところはありますし、研修所に限らず、若い頃に知り合った方が大きな舞台で活躍されているとの知らせに接したときなどは、自分も、無用な戦争の回避のため力を尽くした先人に倣って県民世論を云々、というのは無理でも、小さな仕事の積み重ねを通じて、社会がより良い方向に変わっていくための下支えができればと感じることができるのではないかと思っています。

歴史を学ぶ意義は、様々な出来事が、最終的には自分自身や自分を中継点とする未来へと繋がっていることを実感し、社会全体に対する地に足のついた責任感や役割意識を持つためにあるのではないかと思います。

大河ドラマは、脚本に関しては色々と議論がありますが、我々庶民がそうした感覚を素朴に学べる教材としては、意味があるのではないかと思っています(NHKからは一銭もいただいていませんが、受信料をまけていただくか、お客さまをご紹介いただければ有り難いです)。

「お一人介護」家庭の孤立死と見守り契約

岩手県奥州市で、60代男性が90代の母親を自宅で介護していたところ、男性が病気で急死し、母親も介護者が存在しなくなった影響で、誰にも介護等を受けることができないまま、ほどなく低体温症で死亡してしまったというニュースが報道されていました。
http://mainichi.jp/select/news/20150208k0000e040128000c.html

同じような境遇にある方(高齢の母の介護を同居の熟年の子が一人で担っており、他にも子がいるものの、遠方に居住し日常的には連絡を取り合っていない家族)は、全国に幾らでもあるでしょうから、こうした残念な出来事は、現在ないし今後、全国で多数生じている(生じてくる)のではないかと危惧されます。

また、「介護者が、周囲のインフラに恵まれない状態で、たった一人だけで要介護者の面倒を見ている」という話は、高齢者だけでなく乳幼児や障害者などでも多く生じているでしょうから、そうしたご家族でも、潜在的リスクを大きく抱えている例は多くあると思います。

この点、法律業界(ないし介護業界?)では、何年も前から「見守り契約」という制度(サービス)が提唱されているのですが、私の知る限り、ほとんど普及していないと思われます。

先日、任意後見に関するご相談をお受けする機会があり、任意後見に関する現在の代表的?な実務書を読み返したところ、関連する制度(財産管理契約など)についても概説があり、その中で、見守り契約についても解説がありました。
http://www.sn-hoki.co.jp/shop/product/book/detail_50607_11_0.html?hb=1

敢えて弁護士に「見守り」を依頼したいと希望される方は多くはないと思いますが、「要介護者を実質的に一人で介護している家庭」については、介護者に不慮の事態があれば、要介護者も含めて生存の危険に晒されるわけですから、そうした「生活(介護)インフラの弱い家庭」については、社会福祉協議会や地域に根付いた介護業者など信頼のおける事業者と、数日ないし1週間おきに電話や面談などで実情把握をするなどの制度を構築した方がよいのではないかと思います。

もちろん、その上で、当事者の権利関係などに法的な処理が必要になった場合には、必要な範囲で我々にも出番を与えていただければと思います。

冒頭のケースでは、介護者たる長男の方は地域内では知人等も多数いらしたようですが、そうした方でも、日常的・定期的な地域内での交流がない限り、このような事態に陥ってしまうわけで、そうしたインフォーマルなインフラに過度に依存するのではなく、「当事者の安否に直結する緩やかなフォーマルのインフラ(簡易な見守り制度)」を確保しつつ、それを、インフォーマルなインフラ(地域や遠方に居住する親族などの人的つながり)の構築・強化に繋げていくような営みが必要ではないかと思います。

現在も何件かお引き受けしている法定後見はともかく、任意後見など、「裁判所に申立がなされる以前の段階にある方々」からご相談等を受けたり支援が必要な方と接点を持つ機会には滅多に恵まれていません。

こうした報道も踏まえて、弁護士に限らず、様々なインフラの構築のあり方や賢明な利用の仕方などを、多くの方に考えていただければと思っています。