北奥法律事務所

岩手・盛岡の弁護士 北奥法律事務所 債務整理、離婚、相続、交通事故、企業法務、各種法律相談など。

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ブログ

「広告で大々的に過払金回収の宣伝をしようとした弁護士」に関する泥沼の内紛劇

岩手では、震災の少し前(平成22年頃)から、東京から「債務整理に関する出張無料相談」を新聞チラシやCMなどで熱心に宣伝、集客する法律事務所が登場するようになりました。

それ以前の平成20年前後にも債務整理の集客の熱心さで東京では知名度があった事務所(H社改めM社とか、某ライオンことI社。いずれも、東京時代に少額管財人として、先方が申し立てた破産事件の仕事ぶりを拝見したことがあります)のCMを見た記憶がありますが、当時は、岩手までわざわざやってくる事務所はありませんでした。

それが、震災直後くらいから冒頭のとおり3~4社ほどの事務所が次々と押し寄せてくるようになり、今もまだ頻繁に来ている事務所もあります。

それらの事務所がどこまで集客できているのかは全く把握できていませんが、当事務所の場合、それらの事務所(の広告)が登場するのと入れ替わるように、債務整理関係の受任が激減したことは確かです。もちろん、そもそも平成23年頃からグレーゾーン金利問題の沈静化が本格化して多重債務者自体が激減したことや岩手の弁護士自体が増えたことなどの影響もありますので、上記の事務所だけが原因というわけではありませんが。

ともあれ、こうした現象は岩手だけではなく全国的なものだそうで、お隣の青森県の新聞でも2年前に同じような話がニュースとして取り上げられています。

記事によれば、そうした弁護士は、広告代理店にチラシの作成など各種の広告や集客の作業を委託しているようですが、以前に、他県の弁護士さんのブログでも同じような話を見たことがあります。確か、その県に出張相談に来ている弁護士は、代理店(コンサルタント)にお膳立てを頼んで、複数の県を渡り歩いて客集めをしているという趣旨のことが書いてあったとの記憶です。

で、何のためにこの話を取り上げたかというと、判例タイムズで、そうした「債務整理の宣伝をコンサルに委託して集客するため設立された事務所」に関する泥沼の内紛劇に関する裁判例が取り上げられていたのですが、当事者の欄をよく見たところ、「非弁行為(無資格者が違法に弁護士業務を行い収益を得ること)の目的があった(ものの、実行には至らなかった)」と認定された業者の代理人に、岩手に「出張無料相談」の広告を大々的に掲げて頻繁に来ている事務所の代表弁護士(及び所属弁護士)の方が表示されているのに気付きました。

そのため、(その弁護士さんが当事者として雑誌に掲載された判決文に表示されているわけではありませんので事件との関わりは不明ですが)問題ある業者と関わりがある弁護士さんなのかなぁと感じたというのが、こんな話を長々と書くことになったきっかけです(さすがに、個人が特定できる情報は差し控えますので、関心のある方はご自分でお調べ下さい)。

事案は、その業者から法律事務所開設の資金提供を受けた弁護士である原告が、事務所の発足や運営に何らかの形で関与した計18名もの関係者(弁護士から宣伝広告を受託する企業などを含む)を、非弁行為の共謀をしたという趣旨で根こそぎ訴えたというものです。

簡略化すれば、「弁護士Xが、従前の所属先から給与の支払がないなど待遇に不満を感じていたところ、別の事務所の事務員として債務整理を行っていたY側の関係者に勧誘され、Yから資金や人材の提供(派遣)を受けて、過払金回収を主たる業務とする法律事務所を開設した。XとYは収益を分配する趣旨の協議をしていたが、開設の4ヶ月後にXがY側に事務所からの退去を求めた」という経過を辿り、YがXに提供資金の返還を求める訴訟を提起していたところ、XがYに対し非弁行為の勧誘等を受けて無用の負担等を強いられたと主張し、不法行為を理由とする賠償請求をしたという流れです。

正確には、Xは、Xの事務所の宣伝に従事した広告会社や、Yが最初にXに紹介したYの勤務先の事務所(非弁提携がなされていたことを仄めかす認定がなされています)の弁護士などにも同様の賠償請求をしています。

これに対し、裁判所(東京地裁平成25年8月29日判決判例タイムズ1407-324)は、YがXに行った資金提供は、Yの目的が非弁行為をすること又はXに非弁提携をさせるもので、弁護士法27条、72条違反の行為を誘発するものとして、上記各条の趣旨に反するものと言わざるを得ないが、その金銭の提供を受けることが直ちに非弁行為と評価されたり、非弁行為に直結するものとまでは認められず、YがXの事務所で非弁行為をした事実は認められないとして、YがXに不法行為をしたとは言えぬ=請求は棄却との判断をしています。

要するに、Yは違法行為を計画していたが金銭提供段階に止まり違法な計画を実行していないので提供を受けたXに対する不法行為があったとは評価できぬと判断したものですが、他ならぬX自身が、Yと非弁行為の共謀をしていたとの認定も受けていますので、そうした点も判断に影響を与えているのではないかと思われます。

ちなみに、判決文で引用された「広告会社がXに提訴した別件判決」と思われるものを取り上げた記事がネットで検索でき、その事件と本件が同一なのだとすれば、X弁護士の事務所はすでに閉鎖されXも廃業(登録取消)したのではないかと思われます。

X氏は恐らく私より期の若い弁護士さんではと推察されますが、自身の甘さが招いたこととはいえ、Y側や広告会社が訴えた別件訴訟で多額の支払が命じられており、踏んだり蹴ったりの憂き目にあったものと思われます。

私も駆け出し期の頃は「弁護士資格を悪用しようとする輩が金や仕事がない若手弁護士に甘言を弄して勧誘することがあるが、身を滅ぼすから気を付けろ」とのアドバイスを受けたことがあります。幸い、私の場合、カネはさておき仕事と兼業主夫業に追われる生活が続いたせいか、今のところ、その種の勧誘を受けた記憶はありませんが、こうした裁判例も他山の石として、平穏無事な事務所経営を今後も続けていきたいと思っています。

ともあれ、「大々的に債務整理(過払金回収)の広告宣伝をして地方に出稼ぎ(集客)に来る東京などの事務所」のすべてがこうだということは全くないとは思いますが、中には、こうした問題を抱えたところもあるのだということは、業界外の方も知っておいてよいのではと思います。

弁護士への依頼は通常は短期間に止まるとはいえ、一定の信頼関係を重要な基礎とし、時には人生の大きな転機と関わることもありますので、誤解を恐れずに言えば、男女交際などに類する面があると思います。

それだけに「相性が大事」であると共に「相手をよく見て、相手のことをよく知った上で」お付き合いする方を決めていただきたいものです。

余談ながら、私が、事務所HPで業務の内容や実績について多少とも記載しているのは、そうしたことも踏まえたものですが、残念ながら「●●の仕事で実績を挙げたと書いてあったので、頼むことにしました」という依頼者の方には未だ巡り会ったことがなく、その点はトホホといったところです。

弁護士を巡る広告については以前にも投稿したことがありますので、併せてご覧いただければ幸いです。
→ 弁護士会のCMから考える、弁護士と弁護士会の関係

岩手弁護士会・公害環境委員会の景観アンケート調査②

前回の景観アンケート調査に関する投稿の2回目です。そもそも、この調査は、昨年、「盛岡まち並み塾」などを通じ盛岡町家(鉈屋町界隈)の保護・活用に従事されている建築家の渡辺敏男氏より、活動内容や今後の課題などについてお話を伺ったことを踏まえ、当委員会として何ができるか、すべきか考えたものの、よい智恵も浮かばずということで、他会の動を参考にさせていただきたいとの理由で行ったものです。

ただ、本格的な回答をいただいた京都会や東弁などのシンポや意見書などの活動の濃さは、現在の我々のレベルではおよそ咀嚼し切れないものと思われ、結局は何もできずに終わってしまうのかと溜め息ばかりというのが正直なところです。

ところで、昨年11月に、近畿弁護士会連合会が、歴史的建造物やそれを取り巻く景観の保護などをテーマにしたシンポジウムをしており、その中で、歴史的建造物を所有者が解体する際には、事前にその旨を公表して当否を公に検討できるようにすべきだという趣旨の提言がなされているのを知りました。
http://kinbenren.jp/symposium/index.html
http://kinbenren.jp/declare/2014/2014_11_28-2.pdf

この点、盛岡では、2年ほど前、長年に亘り市民に親しまれた著名な料亭がマンション開発業者に売却され、盛岡市から保護指定を受けていた庭園と共に解体・撤去されてしまうという出来事がありました。

その件に関し、売却の話は事前に当事者以外にはほとんど知られておらず、仮に、事前に把握できていれば、現在の建物の有効活用を前提とする購入案を所有者の方に提案して保存を図りたかったとのお話を伺ったこともあります。

ですので、仮に、その建物・敷地(庭園)の所有者の方が、売却を決意した際に、「指定された物件(公共性の認定を受けたもの)を解体(現状変更)目的で売却する場合には、事前に届出させて公表し、既存建物等の保護活用を目的とする他者にも購入申出の機会を広く与える制度(言うなれば、株式の公開買付制度のようなもの)」が設けられていれば、上記の料亭の建物・敷地等が存続した可能性もあるのではないかと思います。

当委員会は恥ずかしながら色々と活動の限界が大きく、さほどのことはできそうにありませんが、そうした制度の可能性まで視野に入れた議論が喚起されるような活動ができればと思っています。

岩手弁護士会・公害環境委員会の景観アンケート調査①

昨年、私が一応委員長となっている標記の委員会(以下「当委員会」といいます。)では、まち並み(歴史的建築物など)保護などを含む景観問題に関する取り組みの一環として、各地の弁護士会の景観問題への取り組みを照会するアンケート調査をしました。

全52会のうち計35会から回答をいただきましたが、景観問題は弁護士会の活動としてはメジャーとは言えない分野ということもあり、圧倒的な規模を誇る東京弁護士会と、歴史的建築物の保護の関係で先端的な取り組みをしている京都弁護士会など僅かな弁護士会からは詳細な回答をいただいたものの、多くの弁護士会では特段の取り組みはしていないとの回答でした。

とりあえず、ここではアンケートの内容をそのまま紹介します。

***************

1 貴会では、地域内の景観の保護(歴史的、文化的景観等を中心とするまち並み保護のほか自然的景観なども含む。以下同じ)について、現在又は概ね過去5年以内に以下の活動をなさっていますか。該当するものに○を付してご回答下さい。また、具体的な活動内容を余白部分又は別紙にご記入下さい(一部の文言を省略)

(1) 保護(法規制など)の当否が問題となっている個別事案の現地調査及び関連する法規制などの調査
(2) 当該事案ないし法制度に関する地方公共団体(都道府県及び市町村又はいずれか。以下「自治体」)や国などへの意見書の提出
(3) 景観保護等を目的とした市民向けシンポジウムなど、地域内の住民などへの働きかけ
(4) 景観保護等を目的とした自治体の審議会等への会員の推薦及び推薦した委員への条例化等に関する働きかけ、自治体の首長や地方議会議員への働きかけなど
(5) 上記以外の活動ないし運動
(6) 現在及び対象期間内に、上記(1)ないし(5)に該当する活動はしていない。
(7) その他・ご意見など

2 貴会は、地域内の景観の保護のため、以下の活動をし、或いは措置を講じていますか。該当するものに○を付してご回答下さい。補足説明をいただける場合は、余白又は別紙にご記入下さい。

(1) 自治体の景観審議会などの委員に関する貴会会員(特に、貴会公害対策環境保全委員会の委員)の推薦
(2) (1)で推薦した貴会会員など審議会の委員との定期又は不定期の意見交換等
(3) 地域内で景観保護などに取り組む団体、企業などとの協働、意見交換など
(4) その他の活動・措置
(5) 上記に掲げているような活動等は特に行っていない。
(6) その他・ご意見など

3 貴会がこれまで地域内の景観の保護を巡る制度(景観保護等を目的とした制度)に関し、非常に問題があり、特に優先的な改善を要すると感じている点(①景観保護を目的とする建築等の規制又は保護の措置の不足、②住民参加その他の手続上の不備のほか、③行政又は立法による不要・過剰な規制なども含む)と感じた例(論点)がありますか。あると感じている場合には、その内容をお知らせ下さい。

4 地域内の景観保護の問題に関し、行政による建築等の規制又は保護の措置以外の事柄(例えば、居住者・所有者の相続などの問題や空き家対策、近隣紛争その他の私法上の問題など)で、貴会のこれまでの活動などを通じて、特に喫緊の対策を要すると考える事柄はありますか。あると感じている場合には、その内容をご教示下さい。

5 その他、景観保全・活用などの問題を巡る弁護士会ないし弁護士の活動に関し、貴会において特に取り上げるべきと考える事項(ご意見)がありましたたら、ご教示下さい。  (以上)

原発賠償問題に対する岩手の弁護士の関与状況

24日に、福島第一原発の事故に基づく賠償問題に関し、新潟で被害救済弁護団の中心を担っている二宮淳悟弁護士による講義が弁護士会で行われ、参加してきました。

講義では、福島県内で帰還困難区域等の外の地域(福島市、郡山市など)からの避難者の方が原子力紛争解決センターの申立を行う例を中心に、現在の原紛センターの和解基準に基づいた賠償請求や手続の方法、区域外避難者に関し現在問題となっている論点などについての基礎的かつ実践的な解説があり、そのような方からご依頼があれば、参加した岩手の弁護士の面々にもすぐにでも申立ができそうな印象を受けました。

原発被害に関しては、岩手の場合、大きく分けて、①福島等からの避難者の損害、②県内の企業等の損害(主に風評被害)の2つに区分されますが、私が経験した限りでは、残念ながら、3年以上に亘り双方ともご相談等を受けることは滅多にない状態が続いています。

岩手弁護士会では、震災直後から、原発関係の問題は公害対策環境保全委員会で対応して欲しいとの会内での要請があり、私もメイン担当の1人となっていたので、相談や依頼があれば適宜応じるとのスタンスでいたのですが、ほとんど相談等がない状態が続きました。平成24年中に1度、相談会を開催したのですが、非常に低調だったことを覚えています(但し、私は担当していませんが、沿岸で有名な企業さんが風評被害の相談をされたこともあったようです)。

その後、平成25年1月に原賠審から県内事業者向けの風評被害関係の第三次追補が公表された後、風評被害を巡る賠償請求が活発になるのではないかとの観測があり、同年中には、要請に応じて大船渡で出張相談会をしたこともありました。他にも原賠支援機構の無料相談に関する問い合わせ(県内事業者による風評被害相談)が弁護士会にあり、担当していましたが、結論として、原紛センターや訴訟などの依頼を受けることはありませんでした。

当時、一関の農業者の方が訴訟を行ったとの新聞報道等があったほか、県内の小売業者の方から原紛センターのADR申立依頼を受けた方が1件あったとのお話を伺いましたが、岩手の弁護士に事件依頼がなされる例自体がほとんどない状態が続いたことは間違いないと思われます。

もちろん、我々(弁護士会の担当者)が受任拒否をしていたわけではなく、PR不足のほか、直接請求で一応の解決をされている方が多かったり、そもそも福島から岩手への避難者数が他地域(南東北・関東・新潟)に比べて多くないといった事情があるのではないかとは思います。

ともあれ、そのような開店休業のような状態が続いたところ、昨年上半期に、弁護士会の震災対策の中心メンバーの方々が、懇意にしている他県の弁護団の先生などの支援も受けて、岩手で弁護団を作ることになり、以後、岩手での窓口は弁護団の方々が主に担うことになりました。私も弁護団には入っていますが、若手の方々に担当させるとの方針のせいか、私には声がかからず、出番のないまま引退しているような有様です。

ただ、弁護団のMLで流れている情報を見る限りでは、相談会を開催してもほとんど相談がなかったという報告を見ることがあり、弁護団の方々も、広報(相談や依頼の集客)には苦労しているようです。

そんなわけで、私に限らず、岩手の若手・中堅の面々も原発賠償問題の取扱いを希望しているものの、携わる機会のない状態が続いている感は否めず、残念に思います。

現在も福島の隣県などではADR等の手続が進んでいるようですから、岩手県内にお住まいの避難者の方や風評被害などの問題を抱えたまま適正な被害回復を受けることができていない(のではないかと疑問を感じている)県内企業の方々は、今からでもご相談・ご利用を検討いただければと思います。

病院でのストライキに関する労働者と企業や利用者の利害調整

病院の従事者(看護師など)が組織する労働組合が予告したストライキの差止を求める仮処分を行った病院が、労働組合から不法行為を理由に賠償請求をされ、その訴えが認められた例津地判H26.2.28判時2235-102)について少し勉強しました。

事案の概要等は次のとおり。

従業員148名の大半が労働組合X1の組合員となっている内科・精神科の病院Yで、非組合員への規定外の手当支給(いわゆるヤミ手当)が発覚した。そこで、X1が上部組織X2と共に団体交渉を要求したところ、Yから納得いく回答が得られないとして、Xらがスト決行を通告した。これに対し、Yがストの差止を求める仮処分の申立をしたところ、無審尋で認容された。そのため、Xらはこれに従いストを中止した上で、Yの仮処分申立が不法行為に該当するとして、計1100万円をYに請求した

裁判所は、ストライキ実施に至る経緯(Yが義務的団交事項にあたる各問題についてXらとの団交で虚偽の返答を繰り返したと認定)やスト通告の態様(Xらが保安要員の提供を申し出るなど患者の安全確保に相応の配慮を示したこと)を理由に、Yにはストの差止請求権は認められない=仮処分申立は違法と判断しました。その上で、Yの過失が推認される(上記の増額支給問題の追及を封じる目的の申立だと推認)として、計330万円(X1・X2に各165万円)を認容しました(但し、控訴中)。

何年も前ですが、私も医療機関における労働紛争に企業側代理人として関与したことがあり、その事件では、私が介入する数年前に、組合が徹夜に及ぶ団交の紛糾を理由に経営側にストを通告したものの、経営側が組合の要求の多くを受け入れてストが回避されるという出来事があり、その際に高齢の経営陣が多大な心労を負ったという話を伺ったことがありました。

その件では、経営サイドの方は「組合は保安要員の提供を拒否した」と説明しており、これが相違ないのであれば、上記事件と異なり、仮処分の申立をしても違法とは言えないとされるかもしれません。ただ、当方がその件を指摘したところ、組合側は提供拒否はしていないなどと主張して事実関係を争っていたような記憶もあり、その種の問題が生じた事案では、そうした紛争の決め手になった「肝」にあたる問題については、何らかの形で事実経過に関する証拠を残しておくべきということになるでしょう。

本件のように、労使の見解が鋭く対立した結果、本体的な労使紛争に派生して法的紛争が生じることもありますが、労使紛争の態様・経緯など(本体の紛争でどれだけ正当性があるか)が大きく影響することは確かでしょうから、紛争対応を受任する弁護士としては、事実関係の把握と評価に誤りがないよう、心がけていきたいと思います。

衆院選岩手1区の公開討論会

1ヶ月以上も前のネタで恐縮ですが、昨年12月に行われた総選挙に先立ち、12月1日に盛岡市でもJC主催の公開討論会があり、以前にも投稿したとおり、現役会員時代、この行事に関わっていたことなどから、参加して拝見してきました。

ただ、今回は急な解散であることのほか、少なくとも岩手1区では選挙戦としての盛り上がりも希薄で、それに付随する政策論争なども低調という印象だったせいか(復活当選を含め、現職が再選されたという選挙前と同じ結果になりましたし)、これまで以上に参加者が少ない(ざっと見た限りでは50人もいなかったように感じました)、残念な設営となっていました。

今回は、これまでと異なり、学者さん(岩手大の政治学の先生)ではなく、JCの理事長らが司会(コーディネーター)を務めていましたが、私の見た限りでは、これまでの学者さんの司会の進行ぶりを堅実に踏襲したものとなっていました。

私としては、自前で進行をするなら、良い意味で素人ならではの進行(大胆な質問とか)を試みるべきではと思っており、これまでどおり「論点ごとの政見発表会」型の運営に終始して候補者の議論を喚起させないような「上品(無難)な進行」に止まっているのは、視る側にとっては退屈なもので、残念に感じています。

ちょうど同じ頃、多くの大物芸能人が行っている年末のディナーショーについて、「その場でしか味わうことができない主宰芸能人との一体感を持てるような得難い経験(イベント)」を様々盛り込むことで、高額な参加費を徴収してもすぐに満員御礼になるというニュースが流れていました。

そのため、公開討論会の設営者(JC)は、芸能人の爪の垢を煎じて飲んでと言ったら怒られるでしょうが、少なくとも、こうした記事に学んで、討論会の趣旨に合致するとの前提を守りつつ、聴衆がお金を払ってでも来たくなるような「ここでしか味わえない得難い政治的経験のできる討論会」の設営を目指すべきではないかと感じました。

例えば、トークショーと言ったら語弊があるかもしれませんが、候補者同士が、ワークショップの類のように司会者の仕切のもとで壇上で一つの目的に向かって互いに何かの作業をする光景を作出し、その中で、「典型論点の公式見解」では出てこないような本音トークを交えた候補者間の議論を演出できれば、壇上があたかも即興の寸劇のような様相を呈し、聴衆にとっても見応えのある姿になるのではなどと思ったりもします。

ともあれ、何度も書いてきたことで、繰り返し書くのも馬鹿馬鹿しいですが、新聞に掲載される各人の政見表明の棒読みと大差ないような議論のない設営しか出来ないのであれば、遅かれ早かれ、人口減少社会ならぬ「そして誰も来なくなった討論会」にしかならず、外ならぬ出席いただく候補者に対して失礼になるのではないかと思います。

私自身は、過去に討論会の設営にも携わり何度か壇上の方々を拝見してきた身として、立場や熟度の差はあれ、選挙という厄介な場に身を投じている候補者の方々にはある種の敬意を感じているつもりです(少なくとも、私は色々な意味で、そうした場に立てる人間ではありませんので)。

ですので、公開討論会における議論というのは、優劣が強く出て誰かに恥をかかせるようなものではなく、互いの主張の不明瞭或いは検討不足と見られるところ(具体策や弊害防止の措置が不十分だといったもの)を指摘し、即興でどこまで具体的なことが言えるか見定め、足らざるところがあれば緊張感を与えてスキルアップを促すような営みとするのが、討論の望ましい姿ではないかと思います。

私がJC内部で一部の方に延々言い続けてきた、「議論のある討論会の設営」というのはそうしたものですが、担い手(設営サイド)の実力不足か胆力不足か盛岡の民度の問題かはさておき、本格的な賛同者がついに現れてくれなかったのが残念なところです。

今回は、これまで以上に集客が芳しくなかったように見えたので、そうした意味でも、「魅せる討論会」を真剣に考えないと、JCには候補者の方々に来ていただく資格がなくなるのではと感じたというのが、過去の分も含めて、JCの討論会に対する一番の印象です。

ともあれ、今年は盛岡市長選や岩手県知事選があり、盛岡市内での公開討論会の開催は必ずあるのでしょうから、真面目に設営に勤しむ現場の若い会員諸君のためにも、私と違って「公開討論会のやり方」について決定権を持つことができる方々は、智恵と蛮勇を発揮していただきたいところです。

もちろん、根本的には、国民一般(公開討論会が想定している聴衆一般)の実質的な政治参加(政治的意思決定や予算など政策資源の配分、政策実施過程への参画など)が進んだり、既存の決定権者の地位が揺らいで権力の交替(広義の革命)が生じるような事態にでもならない限り、政治(権力闘争)自体が盛り上がらないので、その延長線上に存するに過ぎない公開討論会が公衆を惹きつけることなどできるはずがありません。

欲を言えば、JCなどには、国民主権の質の向上という見地から、そうした政治参加の基盤作りも視野に入れた幅広い活動をしていただければと願っています。

町弁の受任力の向上を目指して

先日、船井総研監修の「弁護士10年目までの相談受任力の高め方」を読みました。

独立当時から、この種の「若い町弁向けに経営や業務のあり方を指南する本」を読むのは好きなのですが、近時の弁護士激増問題に加え、私(当事務所)の場合、独立直後に債務整理特需・弁護士過疎の時代を経験した名残で、私1人で4名の事務局の雇用を維持する運転資金=業務受注を確保しなければならない状況が続いていることもあって、この種の本を知ると、何か参考になればと取りあえず買って読むという習慣になっています。

ただ、一筋縄ではいかない事情も色々あり、実際には読んで終わりになっている面も大きいというのが恥ずかしい実情ではありますが。

本書は、債務整理特需終焉後の町弁の「基本分野」と目されている、離婚、相続、交通事故、中小企業向け法務の4つに絞って、それぞれの分野に特化して成功を収めている比較的若い世代の弁護士さん方が、業務遂行や広告等に関する方法論を詳細に述べているものとなっています。

4分野とも、私にとっては今も昔も事務所の中核をなしている基本業務といって良いものですし、どこまで取り入れることができるかはさておき、私が現在行っている業務や広告等のあり方を考える上でも、参考になる点が多々ありますので、手元に置いて何度か読み返すなどして、業務などの改良の手がかりとして活用していきたいと思っています。

本書ではテーマ外のためほとんど触れていませんが、事務所のマネジメント(内部運営)という点でも、ここ1、2年は色々と悩んだり考えたりさせられる出来事が多く、いずれは各自の広義の成長に繋げていくことができればと願ってはいますが、今はまだ右往左往の日々というのが正直なところです。

町弁と精神科医の類似性

昨年12月上旬頃から幸いなことに多数の案件処理に追われ首が廻らず、その上、12月は狭義の仕事以外の所用(忘年会や家族行事など)が公私に亘り多い月でもあり、ブログの更新ができず、判例学習も滞る日々が続きました。

ただ、正月など身動きが取れない時間に読書をしていたため、久しぶりに、最近読んだ本の読後の感想などを書いてみたいと思います。

今回は、春日武彦「精神科医は腹の底で何を考えているか」を取り上げます。

本書は、精神科医として多数の患者と関わってきた際の出来事を交えて医師として感じたことなどを書き綴ったエッセイ的な本で、新書らしく気軽に読むことができますが、本書で描かれている医師と患者の光景を、弁護士と顧客その他の関係者とのやりとりに置き換えると、実に収まりがよいというか、そっくりだと感じるものが多くあります。

本書の特徴として、精神科医の姿勢や思考などを、具体例を交えながら括弧書きで本文に添える方法で「○○な医師」と戯画的に類型化して表示しており、例えば、「倫理や哲学の領域に属する問題と現場で向き合いつつ、それに答えを出せぬまま診療に忙殺される医師」という項目では、統合失調症に対する医療の実情に触れながら、精神科医療のあり方、ひいては幸福という概念の二律背反的な面について語られています。

若干中身に触れると、統合失調症の治療では、投薬等により患者の静穏を確保できる(すべき)としつつ、回復させることができない問題(発症前に有していた思考やセンス、周囲との共通認識などに欠落が生じ、競争社会で勝ち抜くような生き方を断念させられること)が生じるのだそうです。その上で、患者に対し、そのことを受け入れて静穏に生活することに幸せを見出すよう説得するのが正しいのか、医師自身がそれと異なる感性(患者の病という異常事態に直面し解決するカタルシスへの傾倒)を抱いているから、そのような説得は不誠実だと考えるのかといったことについての葛藤が述べられています。

紛争の処理・解決という弁護士の仕事も、当事者が欲していること、望ましいと言えることに関し、できることとできないことが色々とあり、どのようなアドバイスをすべきかという作業(言葉の取捨選択も含め)を通じて、根源的には、当事者にとって「生きることの意味・生きることの価値」という問題も視野に入れた思索や仕事が求められていると感じることは、しばしばあります。

その上で、力の限界と形容するか謙抑的と形容するかはさておき、実際には当事者のそうした深い問題まで触れることはできず目先の仕事をこなすことで良しとする(せざるを得ない)のが通例であることも、他言を要しないと思われます。

私には「町弁は腹の底で何を考えているか」を書き上げる力はありませんが、本書は、精神科医だけではなく、「心の状態が一杯一杯になっている人を対象に、特殊な知見、技能を用いて、一杯一杯の状態の解消などを目的として接する仕事の従事者」一般に通じる話が色々と書いているように思われます。

従事者側(弁護士その他)にとってはもちろん、利用者側の目線で見ても、従事者側の考えていることを理解して、よりよい利用につなげていくという意味で、参考になる本ではないかと思いました。

新年のご挨拶

更新がご無沙汰しており恐縮ですが、本年もよろしくお願いいたします。

12月中旬頃から新件や書類仕事などが山積した状態が続いた上、年末年始は家庭の都合に従事せざるを得ず、遺憾ながら、「事務所に籠もって書類仕事をするという贅沢」ができない身の上のため、来週が期日となっている幾つかの事件の起案に現在まで追われているという有様が続いています。

ともあれ、弁護士業界も未だ激動の最中にあり、仕事に追われる日々の有り難さを痛感せずにいられないところはあります。

週明けにはある程度の目処が立つと思いますので、折を見てブログの更新を再開していきたいと思います。

議員定数(総数)の削減と立法府の役割

先日の総選挙では、前回の総選挙に先だって解散を決めた野田前首相が、議員定数の削減を与野党の共通課題として安倍総裁も同意したのにそれを反故にして解散をしたとして、厳しく批判する一幕がありました。

私も、現在の国会の様子を拝見する限りでは、削減に反対する立場ではないのですが、前提として、国会議員とはどのようなことをすべき仕事であるか(どのような人が選ばれ、何をすべきか)についての議論(意見ないし認識の集約)が必要ではないかと思っています。

この点、国会議員が、「官僚が準備する法案の承認と税金(利権)の分捕り合戦をするだけの仕事だ」というのであれば、少数で十分だとか、素人や業界代表だけでも足りるので報酬も減らせ(タダでもよい)ということになるのかもしれません(言い換えれば、数を減らせ、報酬を減らせという主張は、そうした政治システムと結びつきやすいとの意識が必要だと思います)。

しかし、議員のあり方をそれでよしとするのは、民主政治という観点からは、いささか寂しい主張のように感じます。

他方、民主党政権が試みた?ように、議員一人一人を行政府にドシドシ送り込んで行政の活動に密着させ、様々な分野で影響力を行使させるべきという考え方に立つのなら、人数もそれなりに必要だとか、人材確保の見地も含め、報酬もそれに相応しい額にすべきということになると思います。

また、その場合には、「威風堂々中身無し」という形容があてはまるような方が無為な神輿になったり、独りよがりな方が無用の混乱を現場に生じさせるといったことがないよう、その役割を任せるに相応しい人材を議員に当選させるべきで、一定の能力・資格などを立候補等の要件とすべきだとか、政策の立案・執行に関する力量がなければおよそ務まらないような業務を日常的に個々の議員に課すような仕組みをつくるとか、そうした人が選ばれやすい選挙制度・選出風土にすべきだということになるのだと思います。

もちろん、そのような考え方は、突き詰めれば官僚制度のあり方(高級官僚は政治任用=現在の公務員は政治任用の対象にならない限りは出世できないという方式)、ひいては公務員制度全体の設計に影響が出る話でしょうから、そのことも視野に入れた議論が必要になるのだと思います。

結局、そうした話は、この国に相応しい民主政治(民と官との関係)のあり方についての認識ないし議論に関わることであり、そうした大きな視点での議論が、ここ数年の政治の光景を踏まえて行われるべきではないかと思っています。ただ、私の知る限り、このような観点から生産的な議論や提言などを聞く機会には恵まれず、その点は残念に思っています。