北奥法律事務所

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中小(小規模)企業支援に関する弁護士の役割と現実

昨日、日弁連の主催で中小企業に関する支援のあり方を官庁や県内商工会議所などの支援団体と協議する趣旨の会合があり、参加してきました。

といっても、参加者が具体的な支援業務の内容や基盤整備を角突き合わせて議論するようなものではなく、主催者等の挨拶、日弁連の宣伝ビデオの上映や他県の支援事例の発表と参加団体の方々などから弁護士会又は個々の弁護士への要望に関する意見な述べられるといったやりとりが中心でした。

日弁連は「(増やしすぎた町弁」の食い扶持対策もあってか、中小企業支援のキャンペーンに力を入れているのですが、残念ながら、私の実感する範囲では、「日弁連(弁護士会)のお世話になって、中小企業の方々から相談や依頼を受けた」という経験がほとんどなく、多くの企業の方々は、東京などを含む有力なベテラン・中堅弁護士の方に、様々な人脈・パイプを通じて顧問や事件依頼を行っているのが実情と思われます。

恥ずかしながら、このブログでも何度か書いているとおり、私自身は中小(小規模)企業の方々をサポートする仕事を多数お引き受けしたいと思っているものの、人脈の無さなども相俟ってごく限られたご縁しか持てず、ボスの信用で顧問先の企業法務的な仕事が次々と舞い込んできた(それを精力的にこなすことに充実感を感じていた)東京のイソ弁時代に戻りたくなることも少なくないという恥ずかしい有様です。

それだけに、日弁連が、その種の取り組みを熱心に行い、企業の方々の意識改革や利用のための基盤整備を行っていただけるのであれば、ぜひお願いしたいとは思っているものの、今回の会合も、抽象的なキャンペーンの類に止まり、企業側が直ちに飛びつきたくなるような具体的なメニューの提示などはあまりなかったように感じました。

例えば、この種の話題では、「何を相談したらよいか分からない」という意見がよく出されるわけですが、このような仕事をしているといった小規模企業一般、或いは業界ごとの具体的な相談事例集などを整理、作成して、業界の会合などで簡単にPRするような機会でも設ければよいのではないかと思うのですが、そうしたところまでは議論は進まなかったようですので、その点は残念に思います。

とりわけ、小規模企業の様々な業務については、紛争性が少ないなどの事情から、簡易な相談や書面作成などは他士業が多くを担っている(それで需要者側から特に不満が表明されているわけではない)という実情があるでしょうから、「弁護士に頼んだ方が遥かにメリットがある」と言えるような何かがなければ、実効性のある話にはなりにくいと思われます。

そうした意味では、皮肉めいた話かもしれませんが、数年前に撤廃されたグレーゾーン金利(法定金利と約定金利のダブルスタンダードがあり、約定の高利貸付の返済が困難になれば、信用情報登録と引換えに、法定金利計算による債務減額・過払金請求が可能になる)の問題は、「弁護士に頼めば決定的なメリットが生じる」という意味では非常に判りやすい話であり、それを元に戻すべきだとは思いませんが、今後、何らかの制度や運用を作ったりする際には、参考にしていただきたいものです。

また、「得意分野を知りたい」「費用が高い、不透明だ」といった話も出ていましたが、この点は、このブログでも過去に書いたと思いますが、要するに個々の弁護士に関する適切な情報開示(経験、知見、取り組みなど)や相性などに関するマッチング、双方の採算性の確保を考えた費用設定などで一定の解決が可能な話であり、マッチング等のため汗をかく人、汗をかける場の設定などが求められていることなのだろうと思っています。

そうした意味では、私も、もっとお役に立てる場を持ちたいと思いつつ、兼業主夫の悲しさか、それ以前のキャラや器量の問題か、長い間、弁護士会でもJCでも幽霊部員を続けてしまったことなどから、汗をかきたくても人の集まる場に上手く入っていけない悲しさがあり、どうしたものやらと悲嘆に暮れているというのが情けない現実です。

「物議を醸す施設」の建設阻止(営業妨害)と関係者の責任

行政が、周辺住民などが反対する企業の進出を阻止するため、風営法などの立地規制を利用しようとして、その企業と賠償問題などの紛争になることがあります。

先日、その一例として、「パチンコ業者Xの出店を阻止するため、国分寺市Yが風営法の立地規制を利用する目的で、市立図書館条例を改正して隣接地に図書館を開設して出店を断念させたため、XがYに賠償請求し、3億円強が認容された例」(東京地判H25.7.19判例地方自治386-46)を少し勉強しました。

解説では、個室付浴場や高層マンションの建設を阻止する目的でなされた行政等の措置に関する国賠請求が認容された前例などが紹介されています。

この種の出店妨害は、同業者がライバル業者の出店を阻止する目的で、土地を取得し社会福祉法人などに寄付する方法でなされることもあり、最高裁の判決があるほか、盛岡でもこの種の裁判が提訴され巨額の賠償が命じられた例があります。

パチンコ等の業態に対する社会的な評価はさておき、設置規制などを、設置反対者の利益を図る目的で、法の趣旨に即しない形で活用(悪用?)したと裁判所が評価した場合には、厳しい判断がなされる可能性が濃厚ですので、それらの施設の建設を阻止したいということであれば、急進的な手法は通用しない可能性が高いとの認識のもと、遠回りでも、良好な景観形成などに関し、文化的なものから法的なものまで地道かつ多様な努力を積み重ねていただくほかないのではないかと思います。

ところで、上記の判決の認定によれは、市が条例の制定にあたり、顧問弁護士などに法的リスクについて諮問し、「リスクがあるが、●●の展開になれば賠償紛争を避けられるかも」などと回答していたようです。この種の相談を受ける弁護士としては、リスクを強調して依頼者が行おうとする行動を極力防ぐ方向で回答すべきか、何らかの手段がありうるとして依頼者の希望に沿う方向で回答すべきか、悩ましい面が色々とあると思いますが、少なくとも、前例などを調査し紹介するなどして、依頼者が適切な判断をできるように努める必要があります。

この事案では、顧問弁護士が諮問を受けたのが平成18年とのことですが、パチンコの出店妨害問題を巡っては、平成19年に最高裁の判決がなされているものの、それ以前に最高裁の判決はないようですので、当然に顧問弁護士の判断を違法(業務水準違反)と言うべきではないでしょうが、その種の紛争に関する下級審裁判例はそれなりに出ていたそうなので、それらを調査し市に提供することが求められていたというべきかもしれません。

この点に関し、景観保全のためマンション建設を巡る紛争が生じた国立市では、業者が市に賠償請求して認められ、住民訴訟により市長個人の賠償責任が問われ、責任を認める判決がなされており(東京地判H22.12.22)、上記の国分寺市の事件でも、市長その他の責任が問われる事態もありうるかもしれません。

その場合、事案次第では、事前に関与した弁護士も相被告として提訴される可能性もないとは言えないのでしょうし、今後は、自治体の権限強化(地方分権)が叫ばれることで、自治体の権限行使の適法性を問うような紛争は増えてくると思われます。

「周辺住民等から反対運動が生じる施設の建設等の阻止を巡って賠償問題が生じる例」は、風営法を利用したパチンコ施設の出店妨害の問題に限らず、廃棄物処理施設などでも生じており、そうした事案への対処も含め、研鑽を積んでいかなければと思っています。

ハラスメントに関する法対策と5W1Hとバランス感覚

先日、労働上のハラスメントに関する法的問題を対象とする東北弁連主催の講習会があり、勉強のため参加してきました。

私は労働紛争を多く受任するタイプ(いわゆる労働事件専門)の弁護士ではありませんが、パワハラ絡みのトラブルを理由とする賠償等の問題について、労働者、使用者それぞれの立場で相談や労働審判の依頼などを受けたことがあるなど、多少は手掛けています。基礎的な勉強はしているつもりですが、ハラスメント問題に限らず、労働事件は今後も多く手がけていきたい類型であり、知見を深めることができればと考え参加した次第です。

講習会は、ハラスメント問題では東北の第一人者とされる仙台の先生の講義がメインとなっており、ここで詳細は述べませんが、例えば、セクハラ事案は、密室で行為や言動がなされるため、行為の事実の存否が争われることが多いのに対し、パワハラ事案は、ほとんどの行為や言動は衆人環視の職場内で行われ、他の従業員等の放置を含めた様々な事実の総合的評価が問題となるので、個々の周辺的事実の存否はあまり争われない(評価ないしそれを基礎付ける決定的な事実などが争われやすい)などという説明がありました。

また、その上で、パワハラを理由とする賠償訴訟で、裁判所が、事実の総合評価という手法に安易に頼らずに、個々の事実に関し賠償請求を基礎付ける違法有責な行為があったかを細かく審理した例があるとの説明もありました。

そのことを聞いて、パワハラ問題は、岩手に戻ったばかりの10年近く前に2回ほど手がけた先物取引被害の賠償問題に、似た面があるのかもしれないと思いました。

先物取引被害は、要するに、先物取引という特殊な取引に対する高度な知見又は独自の勘がなければおよそ手がけることができない、ハイリスク・ハイリターンな取引を手がけるのに相応しくない方(その種の経験のない定年後の高齢者など)が、先物会社の従業員の勧誘に安易に応じて多額の証拠金を預けることから始まり、最初は多少の利益が出たりするのですが、程なく、支払済みの証拠金では補填できない額の損失(いわゆる「追い証」状態)が生じ、損を取り返そうとして、担当者が進めるがまま延々かつ頻繁に取引を繰り返し、半年~1年ほどで巨額の損失が生じて終了となるというパターンを取ることが多いとされています(私が関わった事案は、必ずこのパターンでした)。

このような経過のため、個々の行為(勧誘、契約時の説明、証拠金の授受、個別の先物取引(買建、売建や決済)の勧奨、追い証発生時の説明など)については、それ自体のみをもって裁判所が不法行為性を認定させるのが容易でなく、勧誘から取引終了時までの様々な事実経過を詳細に説明し、被害者の取引適性のなさや取引内容の異常性(過度に取引を繰り返し、顧客の損失が増大する一方で、先物会社の手数料収入ばかりが増えていることなど)を説明し、総合的に見て顧客の犠牲のもとで先物会社の利益を図っている不法行為であると評価すべきだと主張するのが通例で、そのような判断をする例も多くあります。

ただ、私が手がけた訴訟では、主張等を尽くした後で行われた和解協議の中で、裁判官から「個々の建玉の取引について、その取引自体の不法行為性を主張立証できなければ、賠償責任ないし賠償額の判断が厳しくなるかもしれない」と言われたことがあり、文献や多数の裁判例の考え方と違うじゃないかと驚き、対処に悩んだことがあります。

幸い?その件では事案に照らし相場の範囲と言える和解金の提示(回答)が先物会社側からなされたので、ご本人が了解し和解で終了となりましたが、裁判官が求める観点から主張を構成するためには、どのように取引を分析したり個々の取引の経過等を調査すべきか、参考となる裁判例等がほとんど見つからなかった上、依頼主が高齢者であるなど細かい事実の確認が困難と思われる方であったため、悩んだことをよく覚えています。

ともあれ、不法行為責任をどのような法的構成で認めうるかという問題は措くとしても、先物のようなハイリスク取引のトラブルであれパワハラであれ、長期間の様々な行為(人間関係等)に起因する問題、出来事の総合的な違法評価を理由とする賠償請求をするには、違法の評価に結びつく要素にあたる事情について、事実関係(いわば、5W1H)を詳細に主張立証しなければなりませんので、その種の問題を弁護士に相談なさる際には、ぜひ、時系列表を作成するなどして、事実関係の適切な整理と把握を通じ、第三者(弁護士)への適切な伝達ができるよう、賢明な準備をお願いしたいところです。

ところで、セクハラは話になりませんが、パワハラ紛争については、「労働者の適切な権利行使を妨害する言動」の類は話にならないものの、労働者が、その企業が想定している基本的な業務を適切に遂行することができない状態が続く場合に、指導・叱責が昂じて過激な言動に及ぶという例も見られるところで、このようなケース(相性的なものも含め)では、人材のミスマッチという面が否めず、使用者(上司)側を一方的に悪者にすることもできない例も見られるのだと思います(中には、労働者=部下の側に不誠実な行動が見られる例もあるでしょう)。

そのような例では、組合せの不幸(端的に言えば、離婚のように、離れた方がよい)の問題があり、相応の規模の職場であれば、配転等により解決すべきでしょうが、小規模な職場であれば、なるべく小康状態(引き延ばし?)を図りつつも、いずれはどちらかの離職等を視野に入れた解決を考えざるを得ないと思われます。

そうした意味では、(殊更に経済界が推進する解雇規制緩和に賛同するものではありませんが)健全な意味で、ミスマッチを克服し難い職場があれば、自分に合う企業を求めて短期間で適切な転職ができるよう、失業率が低く人材流動性(意識面を含む)の高い社会の構築(個人の起業促進なども含め)も求められているのではないかと思います。

余談ながら、レジュメで「ハラスメント判例一覧」が添付されていましたが、私が判例雑誌をもとに作成している判例データベースに入力したセクハラ等に関する裁判例(セクハラ被害に関する企業の調査内容(被害者の申告)の信用性を認め、加害従業員からの解雇無効請求を棄却し、さらに不当訴訟を理由とする企業から加害従業員への賠償請求も認容した例など)が挙げられていなかったので、その点は少し残念というか、「これも追加して下さい」と余計なことを言いたくなる衝動にかられました。

高速道路の事故と責任

先日、岩手県内の高速道路上で走行中の車両の炎上事故があり、乗車中のご家族が死傷するという大変残念なニュースがありました。

特異な事故で、当初はタイヤの破裂の影響を仄めかす記事だったと思いますが、その後、他の車両の部品がガソリンタンクに刺さっているのが分かり、それが摩擦で発火したのではないかという報道があり、恐らくは、どのような経緯でその部品が刺さったのか(道路上に落ちていたのを踏んだのか、他の原因か)を警察が調べている最中なのではないかと思います。

事情が全く分かりませんので憶測で物は言えませんが、前方を進行する車両が物を落として、その直後にそれを踏んだということであれば、内容次第では、その車両の責任を検討すべき余地があるでしょうし、一定時間、危険な状態で路上に放置されていた部品を避けきれずに踏んだということであれば、道路の設置管理の瑕疵を理由とする高速道路の運営企業への責任追及という論点もありうるのかもしれません。被害車両に部品が積まれていた可能性もあるとの記事ないし投稿も読んだ記憶があり、いずれにせよ事実関係の解明が待たれるところだと思います。

ところで、全くの余談になりますが、1年ほど前に、高速道路を走行中に、進路前方に突如、布団を巻いたような物体が出現したことがあり、避けきれずに正面衝突してしまったことがあります。

その際には、第2車線を走行中に進路前方の車両が突如、進路変更をしたところ、目の前(視界)に上記の布団が突如出現し、私も第1車線に進路変更したかったのですが、併走している車両がいた上、第2車線のすぐ後方にも走行中の車両がおり、いわば逃げ場のない状態で、避けきれずに布団に衝突してしまいました。

幸い、視界に入った範囲では、布団に人が入っているなどという事情はないと思われ、また、跳ねた布団はそのまま第1車線と第2車線の間で止まったように見えましたので、その後は、他の車両に迷惑をかけることもなく、高速道路の管理会社側で撤去したのではいかと思われます。

恐らく、引越等のため布団を巻いて運んでいる方が走行中に落としたのではないかと思われますが、当時は、「ヤクザ等が、関係者を轢死させるためグルグル巻きにして高速道路上(の後続車が避けきれない混雑状態の場所)で路上に放り投げたなどという話でもあったらどうしよう」と、少し不安がないこともありませんでした。幸い、報道の類は一切なく、杞憂だったのではないかと思われます(そう信じたいです)。

高速道路上の事故を含む大半の事故類型では、裁判所が刊行する過失割合の基準(別冊判例タイムズと呼ばれる書籍)をもとに、責任や過失の程度に関する判断を行うことになります。

今回の被害者の方もそうですが、高速道路上の事故は、県外の方が当事者となることも多いせいか、私自身はあまりご縁がない(受任するのは一般道や駐車場等の事故が圧倒的で、高速道路上の事故は過去に1、2件程度かもしれません)のですが、大きな被害が生じる事故では、賠償額算定上の論点が多数生じますので、残念ながら被害に遭われた方は必ず相応の力量を持った弁護士に相談等していただければと思います。

弁護士の作成書面と礼節

弁護士が訴訟等で作成する書面は、争点を巡る当事者間の対立の度合いなどに応じて、時に、相手方への厳しい批判を伴うことがあります。ただ、度を過ぎると、名誉毀損などの問題を生じることもあり、賠償請求に関する裁判例も幾つか存在します。

現在、弁護士15年目にして、はじめて「弁護士を被告とする訴訟」をやっています。といっても、名誉毀損絡みではありませんし、原告が私でないことはもちろん、被告も岩手の先生ではなく、また、特異な経過を辿った事件で、典型的な「弁護過誤」などとは異なるタイプの事件です。

ただ、被告たる弁護士の方の行動については、立場論だけではない、弁護士の仕事のあるべき姿という意味で、首を傾げざるを得ない面があり、対応に苦慮しています。

先日、被告側からある申立があり、すでに退けられているのですが、その中でも、「(私が、遠方にある被告の事務所に来ないから)無責任だ、軽率だ、怠慢だ、迷惑だ、不正義だ」などと不満の言葉ばかりを並べ立てた主張がありました(それを前提に、裁判所に特定の措置を講じて欲しいとの申立になっています)。

しかし、その事案の内容に照らしてもおよそ無理のある主張で、ただでさえ問題の多い事案なのにと、ため息ばかり積み重ねざるを得ませんでした。

もちろん、私も罵詈雑言を重ねたのでは同レベルに堕ちてしまいますので、相手方の主張の前提(当方に特殊な義務があるなどという主張)自体が根本的に誤っていると反論するに止めています。

係属中の事件であり、特殊な事情が多いこともありますので、これ以上、具体的なことを記載するのは差し控えますが、どのような事情があるにせよ、弁護士の作成する書面は礼節を弁えないと、一部に真っ当な主張が含まれていたとしても、主張全体が信用されないことになりやすいのではないかと思います。他山の石ということで、気を付けていきたいものです。

倒産実務の低迷と相続財産管理業務の勃興?

盛岡地裁では、毎年10月下旬に「管財人協議会」という名称で県内で活動する多くの弁護士を招集し破産管財人の業務に関する論点などを話し合う場を設けており、私も、平成17年以後、毎年のように参加しています。

ただ、建設系を中心に多くの企業倒産があり裁判所に多くの破産管財事件が係属していた平成20年前後と異なり、震災後は企業倒産が大幅に減少した上、多重債務問題の収束もあって個人の破産申立事件も大幅に減少し、他方で、若手弁護士の激増で受任希望者は増える一方ということで、約5年前と現在とでは「一人あたりの配点件数」は、大きく減っています。

私に関しては、岩手に戻った直後(平成16~17年)は、新参者には配点しないという方針でもあるのか、ほとんど配点がなかったのですが、平成18年にベテランの先生が申し立てた事件で管財人に推薦していただくことが何度かあり、それで一生懸命働いたのが評価されたのかは分かりませんが、平成19年頃から裁判所から直に連絡が来ることが増え、平成22年頃までは10件前後(関連企業や代表者等の同時申立などを個別にカウントすれば、十数件)の配点をいただいていました。

当時、管財人業務の実務上の論点を網羅的に解説した書籍の刊行が相次いだこともあり、机に管財業務の解説書を幾つか並べて、毎日のように様々な論点と格闘しながら処理に追われていたのが懐かしい思い出です。

ところが、震災後は管財事件の受任は極端に減り、現時点では法人管財が1件、個人の管財事件が3件程度という有様になっています。法人の破産申立のご依頼も滅多に無く、企業倒産に関わる機会は、数年前に比べて非常に少なくなってしまいました。

私の認識する限り、仕事上大きなミスをやらかして裁判所から出入り禁止になったということもないはずですし、以前の管財人協議会など他のベテランの先生からも倒産事件の受任の減少を嘆く声を耳にしていますので、若手の激増によるパイの奪い合いという問題のほか、世情言われるように、社会的な倒産減少の影響が、「不幸産業」としての弁護士業界には不景気という形で働いているというほかないのかと思います。

そのせいか、数年前は、配当のあり方を具体的な実務上の論点について盛岡地裁の解釈(取扱方針)を示し参加者の了解を得るようなやりとりもあったのですが、ここ数年は「換価困難な資産に関する工夫例を報告せよ」とか「税務申告のあり方」など、抽象的な議題が出題され、エース級の先生方が一般的なあるべき仕事の仕方を若手向けに説明するといったやりとりはあるものの、それ以上の盛り上がりに欠ける、シャンシャン会議の様相を呈している印象は否めません。

それでも、他の先生方の業務姿勢などを拝聴する貴重な機会でもありますので、今後も参加し続けたいとは思っているのですが、どうせ県内の裁判官と弁護士が多数集まる会合でもありますので、具体的な実務上の問題について、主要文献には書いていない論点の解釈や取り扱い、ノウハウなどの意見交換が盛り上げるための工夫があってもよいのではと感じています。

ところで、下火になる一方の企業倒産とは逆に、最近、関わる機会が増えている業務が幾つかあり、その代表格として、相続財産管理人の仕事を挙げることができます。

相続財産管理人は、相続に関し、法定相続人が存在しない場合や相続人全員が放棄した場合に、相続人に代わって財産管理をするのが業務ですが、多数・多額の債権者がいる事案では、相続財産を換価して相続債権者に配当することが業務の中心になるという意味で、管財事件に類する面があります。

以前には、借金問題を抱えたまま亡くなった方について、管理人に選任され換価配当を行ったことも何度かありましたが、最近では、借金問題がなくとも、法定相続人が存在しないため管理人の選任を要する方や、多額の資産があるのに特殊な事情から家族全員が相続放棄したという例にも接しており、そのような場合には、換価配当とは異なった形で関わることになります。

管財人とは異なり、相続財産管理人に関する業務は、相続人不存在の場合であれ限定承認や遺産管理人の場合であれ、法の整備も実務ノウハウの蓄積や公表等も十分ではないように感じており、いっそ、裁判所の管財人協議会も、それらの業務や成年後見人なども含む、「裁判所が弁護士に委託する財産管理、配当などに関する業務に関する協議会」などと銘打って、それぞれの時代において需要が多く議論が整備されていない業務類型に関する論点などを積極的に取り扱ってもよいのではと考えることもあります。

遠方の企業様からの顧問契約のお申し出について

ここ1年ほど、東京など遠方の都道府県の企業の方々から、顧問契約の問い合わせ(申込み)を受けることが何度かありました。サイト上に表示されているとおり、当事務所は平成23年から「月額3000円」という顧問料のコースを設けているため、いずれも、これを利用したいとのお申し出でした。

ただ、顧問契約も、弁護士としての業務受任の一形態に他なりませんので、面談原則を重視すべきで、ご来所いただき幾つかの事情を伺うなどして一定の信頼関係を築くことができると判断できなければ、お引き受けすることができませんし、「簡易なやりとりなら電話等で済ませるが、資料の確認や詳細な事情聴取が望ましい相応の問題の場合には直ちにお越しいただく」ことをコンセプトにしていますので、来所困難な方(或いは本格事件が生じても対処に関する面談や委任を予定していない方)と顧問契約を締結するのは適切ではないと考えます。

事件委任との関係では、セカンドオピニオン目的の2番手顧問という利用法もあるとは思いますが、大企業はいざ知らず、大半の中小企業では顧問という形をとらずとも個別相談で済ませればよいと思われますし、まして殊更に遠方の弁護士に依頼する必要性もないでしょう。

顧問契約も受任業務一般と同様に考えるべき話で、弁護士としては、互いに顔の見える関係でなければ仕事を請け負うべきではないし、依頼者サイドにとっても、「顧問」であれ何であれ、仕事は「会いに行けるアイドル」ならぬ、会いに行ける弁護士に頼むべきだということに尽きると思います。

もちろん、当方も、遠方にお住まいの方から訴訟等を受任し電話やメール等で連絡のやりとりすることは頻繁に行っていますが、それらは盛岡地裁等に係属する事件の受任が前提になっていますし、最初に面談し依頼主との信頼関係を確立することが必須であることは言うまでもありません。

そのため、残念ながら、遠方にお住まいの方からの顧問契約のお申し出は、その企業が岩手県内で経済活動をしているなど、敢えて岩手の弁護士に依頼すべき相応の理由を見出すことができる場合でなければ、お断りせざるを得ないと考えており、岩手に進出されたとき、ぜひもう一度お声掛け下さいと申し上げています。

逆に言えば、他の都道府県の弁護士さんも、同じような顧問契約のコースを設ければ、一定の需要はあると思いますので、業務開拓を希望する若手の方などは、積極的に試みてよいのではと思いますし、需要者(企業)サイドも、意中の若手弁護士の方に「岩手でこのような試みをしている弁護士がいる」などと、持ちかけていただいてもよいのではと思います。

ただ、肝心の私自身が、岩手の企業さんからは新規の顧問契約のお申し出にご縁のない状態が続いており、ネット経由でこの種のお話を頂戴することは容易でないとは分かっているものの、東京時代には契約書の作成や更正、業務上のトラブル等に関する相談など、その種の仕事に日常的に携わっていた身としては、顧問に限らず一般の相談や業務の受任を含め、企業法務的な仕事に従事できる機会を増やすことができればと、日々願っているところです。

集団的自衛権を巡る、逃げる自由と戦略的思考

盛岡駅構内(フェザン南館)のさわや書店では、しばらく前から「今でしょ」で有名な林修氏が強く推薦する書籍として、岡崎久彦氏の「戦略的思考とは何か」(中公新書)が山積みで販売されています。

冷戦時代真っ只中の昭和58年頃に刊行された本ですが、日露戦争前後の極東諸国の情勢や国情を論じた冒頭部分などは古さを感じさせない内容となっており、そうした話は15年前に「坂の上の雲」を読んだ後はほとんど勉強していませんでしたので、先日、購入して少しずつ読んでいます。

日本を取り巻く諸外国の近現代の動向に関する基本的な知識やそれを前提とする安全保障に関する理解を得たい方にとっては、学ぶところが多い本だと思いますし、「戦略的思考」を学ぶ教材としても著名人が推薦するだけのことはあるのだろうと思います。

ところで、著者(元外交官)のことは殆ど存じませんでしたが、ネットで少し調べたところ、情報分析を専門とする親米保守派の論客として著名な方で、最近では集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定にも強い影響を与えたという趣旨の記事が多く出ていました。

上記の書籍でもその話は取り上げられており、「米国民はフェアネスを問題にするから、日本が犠牲を払わないで自由民主主義の恩恵にだけ浴そうとすると、アメリカから見捨てられるおそれがある」、「大事なときにアメリカを不利にするかたちで日本が非協力、中立の態度をとると、米国民は怒り、米国のコミットメントがなくなり中立をした瞬間に、その中立がいつソ連に侵されるかわからないという事態が生まれる」などという米国の学者の発言に触れるなどして、日米同盟堅持・強化の観点から集団的自衛権の必要性が示唆されています。

この点は、尖閣諸島問題で、1、2年前に「日米安保条約が尖閣に適用される」ことについて日本政府(ひいては日本国民)が米国高官から言質を取ることに腐心していたことなどを思い起こすと、諸外国の事情(中国の国力の違いなど)はともかく、日本の置かれた立場については、30年前とほとんど変わらないという感じがしてきます。

また、イデオロギーを排したパワーポリティクスの観点から見た現実として、黒船来航以来、日本は世界で最強の力を持ち続けてきた英米と連携しているときは上手く行き、英米と疎遠、険悪になると賢明な政治的判断能力を失い迷走する、それは、「クラスの中で最優秀のグループに入っていれば、的外れの勉強をしたり怪しい情報に振り回されずに済むのと同じことだ」という点が強調され、その延長線として、日米同盟が強固なもので、対立国(当時はソ連、現在なら露・中・北朝鮮でしょうか)に付け入る隙がないことを内外に示すべきだといったことなどが書かれています。

ところで、集団的自衛権を巡っては、当然のことながら?日弁連(の憲法委員会)は、「現行の憲法9条が集団的自衛権を容認していると解釈すること」について、憲法の解釈の限界を超える=9条に反する公権行使だとして強く反対しており、改憲による集団的自衛権の明記にも反対している(要するに、手段を問わず、集団的自衛権という結論に反対)と思われます。

私も名ばかり委員となっている岩手弁護士会憲法委員会も、日弁連の方針に強く賛同する方々が集まっており、先日、集団的自衛権に反対する立場を鮮明にした学者の方(早稲田大の水島朝穂教授)の講演会を企画、実施しています。

私自身は、9条問題に関してはガチガチの護憲派・改憲派いずれにも親近感を持つことができないため、企画が「運動」の様相を呈してくると、汗もかかずに身を引く傍観者的対応になってしまうのですが、委員会でタダ飯(会費に基づく会議の弁当)に与かっている以上、不義理をするわけにもいかず、参加して拝聴してきました。

講演では、①憲法は権力(日本政府)を拘束する制度だから、改憲はそれに拘束されない国民に許されるもので、政府自身が憲法の改変を行おうとするのは断じて許されない、②憲法の基本理念に属する規定の改変は、国民にも許されない(9条の改正否定を含むかは不明)、③米軍の空襲の際、多くの人が、逃げるのを禁じられて実現可能性のない無用の消火活動を強いられ焼死を余儀なくされた。これは敵前逃亡を禁じてその場で上官が銃殺するのと同じである。集団的自衛権を容認すれば、次に導入されるのは軍法会議であり、それは「上役の命令に従わない者はその場で殺される」社会に逆戻りする道で、そうした点(庶民の逃げる自由の確保)からも集団的自衛権は断固反対すべきである、といったことなどが論じられていました。

私の聞き落としかもしれませんが、「反対の根拠」として主張されているのは、上記のとおり、専ら「国家権力(及びその追従者)による暴走抑制の必要」であり、前掲書籍で論じられているような、隣接国の軍事行動のリスク(米国と共同した潜在敵国に対する軍事的プレゼンスによる戦争抑止の必要や、その立論を排斥するのであれば、その代替となるリスク対策の手法)といったこと(いわば、自国の権力者ではなく外国の軍隊などから逃げる自由)には、触れていなかったと思います。

上記の講演に限らないと思いますが、自衛隊(軍事力)や国民統制の強化に反対する立場の主張は、「国内向けの主張(権力抑止)」という意味では、外国の攻撃もさることながら、自国の権力行使に晒される一般庶民の立場としては、傾聴すべき点は多々あるのですが推進派の主張する「必要性を基礎付ける国外事情(中国の軍拡や対外的膨張、北朝鮮の不安定さや米軍の規模縮小など)」に対し、集団的自衛権(自衛隊の活動領域の拡張)以外の方法で、どのように立ち向かっていくのか(或いは、必要性を基礎付ける事実が存在しないというのであれば、その根拠を含め)については説得的な解説を伴わないのが通例で、その点は残念に感じてしまいます。

反面、上記の点(軍事力強化等)を推進すべき立場の方々も、私は講演等の類は聞いたことはありませんし不勉強なので偉そうなことは言えないと思いますが、必要性(外国の脅威)の説明に力点が割かれ、反対派の方々が主張する「権力暴走の抑止策」について、国民性(集団主義など)も視野に入れた十分な配慮が論じられることは、あまり無いようにも思われます。

そのため、結局、双方とも、それぞれの正義を論じるに止まり、主張が噛み合わないと感じることが多く、ノンポリ無党派の庶民としては、双方の主張ともそれなりにざっと拝見し、社会全体の視野から自分の周辺までを考えて、そうした論点に関する判断をしていくほかないのかなと思っています。

ただ、上記書籍を読んでいる最中だからかもしれませんが、安全保障は相手(外国)のある話なのだから、国内問題だけを論じられても違和感は拭えず、隣接諸国の軍事的脅威にどのように向き合い、国家や領土の維持存立と国民の安全を守るのかという点は、きちんとした説明やその前提としての実践をお願いしたいところです。

個人的には、国民の多くが周辺諸国に軍事的脅威を感じる事態になれば、軍事力等の強化を国民が支持するのは不可避なのだから、それに反対したいのであれば、国内であれこれ言うだけでなく、自ら対象国の人々と様々な形で接触し、その国と我が国との相互依存関係=その国にとっても戦争等の手段を取ることが他の選択肢よりも明らかに損になるような関係を構築するための努力をすべきでないのかと常に感じています。

そうした意味では、盛岡の人々がロシアにさんさ踊りに行くなどというのは、言葉であれこれ言うよりも遥かに価値のあることだと思いますし、そうした営みに参加できる方々を羨ましく感じる面があります(もちろん、敗戦時のソ連参戦で満州などで国民の多くが悲惨な目に遭ったという歴史も学んだ上での交流という視点は持っていただきたいですが)。

日弁連(弁護士会)でも、アジア諸国の法律家団体と交流しているという話は伺っていますが、現在のところ、ごく一部の方々の小規模な営みに止まっているようです。仮に、各地の弁護士会が、アジア諸国の法律家団体などと交流を盛んにし、「立憲主義のインフラ輸出」的な営みにつなげることができたり、協力関係にある団体(中国の弁護士会など?)がその国の軍部などの強硬派を抑える力を持つこと(それを支援すること)を通じ、周辺諸国の内部で安全保障(平和)に絡む問題にプラスの影響力を行使できるようになれば、それこそ、「俺達(文民)がアジアの安全保障を守るから、軍人やその追従者に出番はないよ」と、国民に説得的に言えるようになるのではないかと思われ、そうした営みがなされないことを残念に思っています。

講演でも、自民党のハト派の重鎮や(維新等を除く)各野党が結集して安倍政権を倒して欲しいとのお話もありましたが、民主党政権が倒れた理由は、(原発事故を含め)国家的・対外的危機に立ち向かえない(託せない)政権だと国民に見なされたという点が最も大きいはずで、自民政権を倒し安定的な別の政権を構築したい(させたい)なら、安全保障等に関する代替手段を説明すると共に、権力を託すに足る信頼と実績を支援者自身が積み上げるほかないのではないかと思われます。

それがなされず、国内問題としての「権力の抑止」のみを主張するに止まるのであれば、国民一般としては、そうした主張をする方々は、国策そのものに反対する(代替手段を実践する)のが真意なのではなく、追認を前提に弊害の抑止と現体制下の平和による果実の配当を求めることを目的とした補完勢力に止まるものと理解するのが適切なのだろうと思います。

そうした意味では、弁護士会がそのような営みに関わっている本当の理由・意義は、反体制派の暴走の抑止を通じた体制の補完(大きな論点では意見表明などの場を与えて不満を解消させ、小さな論点では地道に得点を稼ぐことを通じ、体制の維持を前提とした緩やかな変革を目指す?)という見方もできるのかもしれませんし、案外、それこそが、弁護士業界の伝統的な戦略的思考なのかもしれません(それが今後も続くかはさておき)。

ところで、講演を拝聴しながらそんなことを考えていた矢先、前掲書籍の著者である岡崎氏が亡くなられたと報道されていました。ご冥福をお祈りすると共に、「権力の不安を感じつつ、現在のところは米国との同盟を基調とする安全保障に依存する見地から、政府の適切な権限行使に期待するほかないと考える一般庶民」の立場としては、本書で記されているように、戦略的思考を一部の限られた国策の決定権者だけに委ねる(庶民が戦略的白痴の惰眠に陥る)のではなく、広く国民一般が共有し、そのことで、軍事・外交について国家が誤った選択をしないことに資することができるよう、多少なりとも学んだり考えたりしていきたいと思っています。

弁護士会のCMから考える、弁護士と弁護士会の関係

前回に引き続き、弁護士の広告に関する投稿です。

私はほとんど拝見したことがないのですが、岩手弁護士会では、昨年頃からテレビCMを出しているそうで、今後も、CM等を行っていくのだそうです。ただ、その費用の一端を負担しているのであろう末端会員としては、費用対効果がどうなっているのか、何らかの形で説明等いただければと思っているのですが、残念ながらそうしたものをお見かけした記憶がありません。

そもそも、弁護士会は弁護士個々の雇用主ではなく同業者団体(互助組合)であり、地元の弁護士会が地域内でその存在をアピールすることで、個々の弁護士(会員)にとって直ちに具体的なメリット(利益)が生じるわけではありません(岩手県医師会が「医師会をよろしく」という広告を出したところで、県内の個々の病院に患者が行くわけではないのと同じことです)。

これに関しては、弁護士会は各種相談事業などを行っており、個々の会員もそれに参加することなどを通じて、依頼(業務)を得ていますので、その意味では、弁護士会の存在感が高まれば、会員の仕事も増えるのではと期待できる面があることは確かです。そして、弁護士会の事業には集客に苦戦しているものも幾つかあり、CMはその集客(テコ入れ)を意図して行っていると聞いています。

ただ、集客のテコ入れという趣旨で高額な経費をかけてCMをするのであれば、放送の前後で個々の事業の集客にどの程度の変化(増減)があるか、個々の担当者の受任状況やそれに基づく担当弁護士個々の売上の増減についてはどうか、というところまで調査していただきたいところではあります。

そして、相応の効果(経費に見合うだけの担当者個々の収益増進)があると言えるのであれば、今後もCM等を続けるとか、そうでなければ、CM等のあり方について再検討するといった作業が望ましいのではと思います。

しかし、そのような調査をするためには、「担当弁護士個々の(弁護士会主催の相談事業関連の)収支情報の把握(開示強制)」という、現在の弁護士会には難しいであろう作業が必要となるため、結局は、そのような費用対効果の分析はなされることなく、そうした曖昧さと対をなすように、広告等に関する残念な営みが今後も繰り返されるのだろうと思います。

また、私の知る限り、岩手には自らテレビCM等を行っている地元の弁護士の方は現時点で存在しませんが(広島?には、東京等の過払広告に対抗して「地元の仕事は地元の弁護士に」というメッセージを打ち出したCMを展開されている事務所があると聞いたことがあります)、そのような弁護士(事務所)にとっては、弁護士会のCMひいては相談事業そのものが、一種の商売敵(ライバル事業)ということになるはずで、その点も含め、地方の弁護士会(強制加入団体)としての広告のあり方などを考えるべきだと思います。

このように「弁護士会の広告」という問題は弁護士と弁護士会との関係のあり方と密接に関わることではないかと思われます。すなわち、会員等の会からの独立と会への依存・統制のどちらを重視するか、双方の要請をどのような形で調整すべきか、弁護士会が広く相談事業を行い会員に仕事を供給していくのと(大きな弁護士会)、その逆=会が独自事業をするのを極力差し控えて会員個々の自助努力に委ねるのと(小さな弁護士会)、どちらが適切なのかといった問題です。

弁護士ないし弁護士会の広告という事柄については、そうした論点も視野に入れて、議論が深まればと思っています。

美容外科の被害と過払金請求等の勧誘広告

弁護士会の配付資料として、毎月1回、日弁連消費者問題対策委員会の広報(消費者問題ニュース)が配布されており、今月は、「美容医療被害」が特集されていました。で、美容医療に関するトラブル発生の背景として、日本美容医療協会の理事の方から、以下のコメントが掲載されていました。

①美容医療の患者に手術の事実を隠したいとの心理が働くため、口コミが少なく広告を出せば集客できる。

②全国規模の広告となる関係上、広告費用を捻出するため一人あたりの患者から出来るだけ稼ごうと本来不要な手術を行ったり、効率を求めて誇大・違法広告が行われたり、全国展開するため経験の浅い医師が募集等している。

③患者にはトラブルが発生しても隠したいという心理が働き、訴訟等になることは滅多にないため、トラブルが世間に知られることなく同じ過ちが繰り返されるという悪循環がある。

この話は、岩手でも震災前後から激増し未だに収束しない「東京等の弁護士による過払金請求等の宣伝広告」とよく似ていると言えないこともありません。すなわち、

①サラ金等の借金問題は、家族等に内緒にして行っている方が多く、債務整理や過払金請求については事実を隠したいとの心理が働くため、口コミではなく広告を手がかりに弁護士に依頼する層が多く存在する。

②過払金等の広告は、全国規模の広告を展開したりCMなど多額の費用を用いているため、広告費用を捻出するため一人あたりの依頼者(借主)から出来るだけ稼ごうとするインセンティブが働きやすい(それらの事務所の実情を把握していませんので、本来不要な訴訟?を行っているなどと決めつけるつもりはありませんし、新聞等に織り込まれている内容を誇大・違法広告と決めつけるのもどうかとは思います。ただ、最近では、相当に若い(経験の浅い)弁護士も顔写真を出して売り込んでいるようなので、その点は同じということになりそうです)

③依頼者には(①の延長線上で)トラブルが発生しても隠したいという心理が働き、(弁護過誤訴訟自体が普及していないことや依頼者側が業務水準等を十分に把握できていないという問題があるため)訴訟等になることは滅多になく、トラブルが世間に知られることなく同じ過ちが繰り返されやすい。

さらに付け加えれば、「美容外科は精神的な悩みを外科的に解決しようとする診療科であり精神外科とも呼ばれている」との指摘も、一律にということはないにせよ、メンタル面に問題を抱えた多重債務者の方に沢山接してきた身としては、借金問題に通じるところがあると思いますし、上記の「広告宣伝事務所」の方々が、そうした面まで視野に入れて業務をなさっているのか、心許なく感じるところはあります。

もちろん、そうした「広告集客事務所」ばかりを悪者にするつもりはなく、田舎の町弁達の中にも、広告ならぬ弁護士会の相談事業などを通じて、①の境遇の方に出逢い、十分な研鑽も積まずに無理な訴訟などを行ったり、逆に、行うべき主張をせずに権利を失効・埋没させる例もあるでしょうし、同時点の業界水準から見れば問題のある実務対応があっても、③の理由で発覚しないことも少なくないかもしれません。

また、この種の話は弁護士の業務の多くでありうるので、過払等(債務整理)に限ったことでは勿論ありませんし、他ならぬ私自身にもはね返ってくる話かもしれません。

ともあれ、その特集記事では、美容外科におけるインフォームド・コンセントの重要性や広告の自主規制、被害相談窓口等の充実などが強調されていましたが、これらは弁護士業界全体にも当てはまる面の大きい話と思われます。

それだけに、他ならぬ消費者委員会自身が、その改善(消費者被害としての弁護士被害の予防等)のための推進役を果たしていただければと思いますし、「過払広告」ばかりが咲き乱れるという意味では、異常な様相を呈しているといっても過言ではない現在の弁護士業界の場合、広告等のあるべき姿などについても再検討いただければと思っています。