北奥法律事務所

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離婚訴訟における慰謝料

ご夫婦の一方又は他方が離婚を希望するものの自主的な協議で合意できない場合、最初は家裁に離婚の調停を申請しなければならず、調停の場でも協議が決裂する場合には、一方(離婚を希望する側)が他方(希望しない側)に対し訴訟提起し、裁判所の判断を求めなければなりません。

この点、不貞や暴力行為等(典型的な帰責事由)があれば、慰謝料の請求が含まれるのが通常であり、事実関係の骨子に争いがない又は十分な立証がなされた(と裁判官が判断した)場合には、相当額の慰謝料が認められることになります。

金額については、帰責事由の内容・程度や夫婦関係の程度(同居期間=実質的・良好な夫婦関係の期間が長いほど金額が高くなりやすいとされています)など諸般の事情を総合的に考慮しますが、300万円くらいが中央値(最も多い)と思われます。なお、私が代理人として関わった範囲では、不貞行為が認定されている事件で判決が命じた離婚慰謝料は、最高額が500万円、最低額が150万円との記憶です。

ただ、私が取り扱ったものでも、これを大幅に上回る金額で和解した(相手方から支払を受けた)こともありますので、交通事故の慰謝料などと異なり、予測がつきにくい面が大きいと言えます。

なお、上記の事案は、判決ではなく和解であった上、養育費の変動要素を考慮して加算したという面もあり、特殊性の強い例というべきかもしれません。交通事故など一般の不法行為との最大の違いとして、夫婦の生活水準の程度を考慮すべきとの見解もあり、これを重視すれば、裕福なご夫婦ほど慰謝料が高額になりやすいことになりますが、個人的にはこれを強調することには些か疑問を感じます。

ところで、不貞や暴力行為等のような典型的な帰責事由がない場合でも慰謝料が認められる場合があります。例えば、酒癖が悪く酔って配偶者に面倒をかけることが多々あった場合に、典型事由ほどではないものの、一定の金額(例えば、50万円~100万円程度)の慰謝料が認められる例があります。

暴力行為(傷害を負わせる行為)には至らなくとも、暴言等を含め、家庭の雰囲気を非常に悪化させる不当行為であると社会通念上評価されるようなものがあれば、一定額の慰謝料を認めることがありますので、そのような事案で請求を希望される場合には、証拠の保全等を考えていただいた方が良いのかもしれません。

先日、「肉体関係(狭義ないし厳密な意味での不貞行為)がなくとも、精神的には情を通わせた関係にあった(それにより家庭ないし配偶者を蔑ろにしていた)として、一定額(肉体関係がある場合よりも低額)の慰謝料を命じた例」の報道がありましたが、「典型的帰責事由に準ずる信頼関係破壊行為」という点で、類似する面があるのかもしれません。

私見としては、過去数十年の日本社会の主流派とされてきた「夫の収入で家計を営み、妻が専業主婦としてこれを全面的、献身的に支えてきた夫婦」では、離婚により妻が直面する境遇に厳しいものがある(再就職や再婚などの困難さをはじめとする社会の冷遇等)ことから、高額な離婚慰謝料が認められてしかるべきだと思いますが、今後、そうした社会の仕組みが変動し離婚後も再就職・再婚等にさほどのハンディがないと言えるようになれば、この点は変容していくかもしれないと感じています。

ただ、その場合でも、育児が伴う場合で監護者(親権者)の収入が高くなく、かつ裁判所が算定する養育費も高いとは言えないケース(夫側の収入も低いなど)であれば、僅かな原資で単独で育児を担う苦労を慰謝料算定において斟酌すべきではないかとも思われます。

なお、相手方配偶者が不倫に及んだ場合に他方配偶者(被害配偶者)が相手方配偶者(加害配偶者)に詰めより、一般的な相場観(社会通念)とかけ離れた額の金額を支払わせる旨の念書を作成する例があります。

しかし、かかる事例(妻の不倫で夫が妻に2000万円の念書を書かせた)で、念書を無効(夫の請求を棄却)した判決仙台地判H21.2.26判タ1312-288)があり、そのような行為については無効とされるリスクが濃厚です。

当事者間の合意がすべて無効とされるわけではありませんが、離婚に限らず、社会通念からかけ離れた利益を得ようとすれば、結果的に通常得られる程度の利益も得られないリスクが生じることは、十分に認識しておくべきだと思います。

学校等での不祥事(被害事件の発生)と被害者側への調査報告義務

「学校でいじめが生じて被害者(生徒・児童)が自死に及んだ後、遺族が加害者側や学校に対して賠償請求する例」は、判例雑誌などで時折見かけることがあります。

当事者(加害者)に社会通念上容認しがたい「いじめ行為」があったという具体的な事実が判明すれば、加害者本人はもとより、その親権者や学校側が監督責任としての賠償義務を負うことがあり、裏を返せば、そのような事実が解明できなかった場合には、立証不十分で遺族の請求は棄却される可能性が高いと言えます。

もとより、遺族には事件発生(子の自死)に至るまでの事実関係を解明するのは容易でなく、学校に対し事実の調査、解明を行って欲しいと期待するのは当然やむを得ないことと言えます。

そのため、学校が当初から不誠実な対応に終始するなど、事案の解明や報告に取り組まなかった場合には、いじめ行為への監督云々とは別に、それ自体(調査報告の懈怠)が違法行為(義務違反)に当たるとして、遺族への賠償義務がみとめられることがあります。

例えば、「私立中の生徒が自殺し両親が後になって全容解明を希望し徹底調査を求めたものの学校が拒否したケースで、学校に調査報告義務違反ありとし慰謝料の支払を命じた例」があります(高知地判H24.6.5判タ1384-246)。

事案と判旨は次のとおりです。

『Y1学園が経営する私立中の1年生Aが自殺した。両親Xらは当初、自殺の事実を伏せたいと考え、Y1もそれに沿う対応をしていたが、後日、Aがクラブ内・教室内でいじめ・嫌がらせを受けていた事実が判明したため、XらがY1に徹底調査を求めた。

ところが、Y1は、一部の者のみの簡易な聴き取りのみを行いXが求めた全校調査等を拒否したため、Xらは、「Y1は自殺の原因を調査しXらに報告すべき義務あるのに怠った」と主張し、クラス担任Y2及びクラブの顧問Y3を含め、総額800万円(Y1にX1・X2各250万円、Y1・Y2連帯でXら各100万円、Y1・Y3連帯でXら各50万円)を請求した。

判決は、Y1にXらに各80万円、Y1・Y2に連帯でXらに各15万円の支払を命じ、Y3への請求は棄却(総額190万円を認容)。

裁判所は、Y1が、本件自殺が学校生活上の問題に起因する疑いがあることを真摯に受け止め原因が構内にあるか調査しXらに報告すべき必要性は相当程度高かったのに、消極的な姿勢でその調査等を行わなかったと判断し、自殺から2年以上が経過した判決時には当該解明は事実上不可能になってしまったことなどを重視し、義務違反を認めた。但し、Yに有利となる事情も斟酌し、賠償は上記の金額に止めた。』

また、「いじめ」以外でも、小学5年生の児童が自死した件で、遺族が担任の指導(学校内での接し方)に問題がある(児童へのパワハラ的な行為があった)と主張し、学校に調査、報告を求めたのに、学校がこれを怠ったとして賠償請求した件で、担任の指導に違法な点はなかったものの、学校に調査、報告義務違反があるとして、その点を理由とする賠償請求が認容(総額110万円)された例もあります(札幌地判H25.6.3判時2202-82)。

このように、「生徒・児童に深刻な被害が生じた場合に、学校生活にその原因となる事情が存すると疑われる相当な理由がある場合には、本人・家族の求めにより学校が相当な調査、報告をする義務を負い、これを果たさないと賠償の対象となる」ということは、裁判所の一般的な認識として、認められているということができるのではないかと思います。

そして、このような考え方は、一定の応用が利くのではないかとも思われます。すなわち、企業に勤務している方に深刻な被害(例えば過労や職場内のいじめ等による自死など)が生じた場合に、その原因が企業での勤務状況にあると疑われる相当な理由がある場合には、本人・家族の求めにより勤務先が相当な調査・報告をする義務を負い、これを果たさないと賠償の対象となる(被害そのものに責任がなかったとしても、判明後の対応の不備を理由に慰謝料等を賠償しなければならない場合がある)」と考えることができるのではないでしょうか。

また、こうした話は、労働契約に限らず、介護施設を利用している方に関し自死や重大な事故が生じた場合(入院中の事故など医療機関を含む)など、様々な形で応用範囲が広がってくる可能性があります。

この点、上記の札幌地裁判決では、調査・報告義務の根拠を就学契約に求めているとのことで、生徒・児童の「利用者」という面を強調するのであれば、労働契約のような場合には応用の範囲は限られてくるかもしれませんが、それでも、こうした視点を持っておくことは、利用者(従事者)等と企業側の双方にとって、重要なことではないかと考えます。

とりわけ「見える化」などという言葉が広く用いられるなど、説明義務的な発想を広く認め、そのことにより社会の透明性や様々な意識(職業意識や規範意識など)の向上を図っていくことが現在の社会の潮流になってきていると思われ、そうした面も意識する必要があると考えます。

ただ、上記の「調査報告義務違反」で認められる金額は大きなものではなく、それのためだけに裁判を行うというのは、受任する弁護士に相当な費用を要する可能性が高い(その種の事案の性質上、膨大な作業を必要とする可能性が高いため)ことに照らせば、被害者側の権利行使の機会(利益)の保護という面からは、なお不十分という印象は否めません。

そのため、こうした問題を射程に入れた弁護士費用保険の開発や普及(適切な運用や審査制度等も含め)が求められるところだと思っています。

広告費にばかり金をかけ人材育成をしない企業の末路と消費者の選択

先日、韓国で起きた旅客船の沈没事故を巡って様々な報道がされていますが、その中に、事故を起こした会社(旅客船の運営企業)が、従業員の安全教育(安全訓練)をほとんど行っていなかったという趣旨の記事を見つけました。

いわく、昨年、広告費に約2300万円、接待費に約600万円を支出したのに対し、安全教育の研修費はわずか5万円程度しか支出されていなかったというものです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140420-00000019-yonh-kr

このニュースを見て、ふと思ったのは、「日本の町弁業界でも、最近は、多額の広告費をかけて大規模な宣伝をしているが、本当に宣伝に見合った実力があるのか、覚束ない弁護士(法律事務所)も出てきているのではないか」という点でした。

日本の町弁業界(個人や小規模企業等を顧客とする弁護士)は、10年ほど前は、個人商店(弁護士1、2名程度の事務所)ばかりだったのが、平成18年頃から生じた、いわゆる債務整理特需(過払バブルと呼ぶ人も多いですが、限られた期間とはいえ実需であったことは確かなので、特需という表現の方が適切と考えます)の影響やそれに引き続く業界の大増員(若手の大量供給)の影響で、大きく変容しました。

東京など大都市では、数年前から、さほど経験年数のない弁護士が集まって(或いは、そうした弁護士を集めて)、大きな規模の事務所を作り、TV、ネット、新聞広告など各種メディアを用いて顧客獲得のための宣伝攻勢をするという例も見られるようになり、最近では、岩手でも、そうした光景が身近なものとなってきています。

宣伝広告に力を入れること自体にあれこれ言うつもりはないのですが、曲がりなりにも15年近い経験を持っている身から見れば、受任する弁護士達が、個々の依頼事件を適切に対応しているのか、それに相応しい力を身につけているのか、不安に感じる面がないわけではありません。

とりわけ、消費者金融相手の過払請求の大規模宣伝で集客している事務所に関しては、他の事件のスキルを研鑽する機会をどれだけ持っているのか、他の事件にどれだけ熱心に取り組んでいるのか(さらには、若い弁護士の力量の向上のためどのような取り組みをしているのか)、よく見えてこないこともあり、債務整理特需が終焉した今、そうした事務所が今後どのような展開を見せるのか、業界人として注視しています。

もとより、高いスキルや豊富な経験・知見がないと適切な対応が難しい事案は幾らでもあり、そうした事件で実力不十分の弁護士に依頼等したのでは、依頼者はもちろん受任弁護士も取り上げるべき論点等(依頼者に有利な結果をもたらす法的主張等)を見落とし、結果として、依頼者が法的に適切な利益を受けられなかったり、不当な損失を被ってしまう可能性が高くなります。

もちろん、若手に限らずベテラン・中堅勢にも仕事ぶりに疑問符の付く方がいないわけではありませんが、そうしたことも含め、今後ますます、ご自身にとって、その事件(問題)を任せることができる、信頼するに足る弁護士を選ぶという姿勢(「賢い消費者」であること)が求められることは、間違いないことだと思います。

もとより、私自身、そうした批判の対象とならないよう、また、上記の観点から選ばれる弁護士であるため、現在の習慣になっている地道な判例雑誌のデータベース化をはじめ、今後も研鑽を続けていきたいと思っています。

震災復興と労災問題

最近、震災の復旧・復興工事に関し、労災事故が増えているという報道を見かけることが多くなっています。
http://www.nhk.or.jp/lnews/morioka/6043313301.html?t=1397818123649

いわゆる労働災害(就労や通勤に関連して生じた事故や疾病等による被害)については、労災保険の給付対象になるか(労働者災害補償保険法に定める業務上の負傷、疾病等に該当するか)という問題と、雇用主等の企業に安全配慮義務違反を理由とする損害賠償責任が成立するかという問題があります。

これは、交通事故における「自賠責保険上の給付と民事上の責任(任意保険からの支払)」との関係に似ており、被害者や遺族は、労災保険の給付(療養補償給付=治療費、休業補償給付=休業損害など)を受けると共に、企業側に悪質な対応がある場合には、企業に対し、安全配慮義務違反を理由とする賠償請求(労災保険に含まれない慰謝料など)をすることが考えられます。

ちなみに、公務員の場合には、国家公務員・地方公務員それぞれに災害補償法が定められており、公務災害として認められれば、上記と同様の枠組みに従って、保険給付や賠償を受けることができます(被災自治体の公務員の超過労働が問題となっていますが、公務災害に該当する例も多々あるのではと思われます)。

ここ数年の判例雑誌を勉強していると、業務起因性(又は公務起因性)や安全配慮義務違反が争われる事案は時折みかけており、特に、長時間労働を余儀なくされた方が、くも膜下出血等で死亡又は重大な後遺障害を負った場合の業務起因性等が認められるかが争点となる事案が多いように思われます。

安全配慮義務違反に関しては、アスベスト関連の判例が多く取り上げられており、国家賠償請求などが絡んで複雑な様相を呈するものも少なくありません。

労働災害の疑いがある事故や疾病等について、雇用主側から納得のいかない対応を受けた場合や、労災の不支給決定を受けた場合に疑義があると感じている方などは、ご相談をご検討いただければと思います。

もちろん、企業サイドからのご相談等もお引き受けしておりますので、不相当な請求を受けて困惑しているとか、被害等の事前防止の観点も含めた対処のあり方などについて弁護士の支援を受けたいとお考えの方は、ぜひご利用いただけばと思っています。

なお、長時間労働や様々な業務上の事情が積み重なって労働災害が生じたと見込まれるケースなどでは事実関係の把握が大切ですので、時系列表の作成など、事案の概要を説明するための資料を予めご準備の上、相談の場に臨んでいただくよう、ご理解のほどお願いいたします。

函館ラ・サールの小鍋の昇天

先日、高校(函館ラ・サール)に入学・入寮した平成元年4月に寮生活の必需品として勧められ購入した小鍋(ミルクパン。値段は1000円前後?)を、誤って空焚きし昇天させてしまいました(末尾の写真参照)。

この小鍋は、卒業後も延々と使用を続け、特にここ10年ほどは家族の味噌汁を作る際のメインの鍋として毎日のように使っていましたので、残念というほかありません。

ところで、この小鍋は、当時、函館ラ・サールの寮に入る人(函館市外から進学する生徒の大半)の恐らく5割以上(ほぼ全員?)が購入していたのではないかと思います。

というのは、この小鍋は、夜(特に土日)に袋ラーメン(サッポロ一番など)を作って食べる目的で購入するものですが、私の微かな記憶では、寮で面識のある人のほとんどがこの小鍋を持っており、1年生のときは、袋ラーメンを食べることができる地下1階の休憩室に沢山の人が集まり、コンロ周辺が順番待ちのような状態になっていたという光景を何となく覚えているからです(余談ながら、その中には、10年近く前に国政に出馬し国会議員になったかと思えば、それを皮切りに激動の人生を送っている方もおられます)。

当時の函館ラ・サール高校は、私の記憶では、約3割が函館及び近隣自治体からの進学者(通学生)で、7割がそれ以外となっており、その大半は寮に入っていました。

入寮は任意ですが、寮費がかなり安いのに三食風呂付きで毎日洗濯していただけるとのことで、ほぼ全員が入寮しており、母から「学費と寮費(生活費)を併せて勘定すれば、盛岡よりも函館に進学した方が安上がり」と言われたのを覚えています(もちろん、私のように集団生活に向いていない人間には、それなりの苦労がありましたけど)。

寮生の内訳は、(上記の7割を前提に)約6割(寮生の8割以上)が函館以外の北海道各地の出身者で、自圏内に有力校のある札幌・旭川の出身者はほとんどおらず(当時の北海道は地区外2%とのこと)、特に小規模自治体の出身者が多かったとの印象です。

残りの1割の内訳は、東北各県(青森を中心に北東北三県がほとんど)出身者が5割弱で、他の4割強が全国各地から集まっており、関西出身者の比率が非常に高かったと記憶しています(私に関しては、大阪出身の友人・知人は何人もいましたが、関東や中部出身の方に知り合いがいたか記憶にありません)。

ちなみに、関西出身の方が多いのは、函館ラ・サールが、伝統的に医学部の進学に定評があり、特徴的な寮のシステムなども理由になって、病院を経営されている方が遠方から子弟を進学させる例が多いからなのだそうで、私は面識がありませんでしたが、西国某県で最大級の病院を経営する医師のお子さんが入寮しており、その方に関する「ロレックス(数十万円の高級時計)の紛失騒動(の噂話)」を聞いたことがあります。

寮生は、1学年で概ね200人程度でしたが、1年生は、ワンフロアに100人を収容する、二段ベッドとロッカーが延々と並んだ大広間(言うなれば「100人部屋」)になっている二階建の建物に収容されて寝泊まりする制度になっています。

そして、50音順に約30人ほどで構成される勉強部屋(私の場合は、「う」から「か」で始まる名字の生徒が集まる部屋)に割り振られて、部活等を別とすれば、夕方~夜間はそこで勉強する日々を余儀なくされます。

で、数少ない娯楽として、漫画雑誌の購入(又は立ち読み、廻し読み)やカード麻雀等のほか、土日(主に土曜)の夜に、地下1階の休憩室で袋ラーメン等を作って食べ、休憩室のテレビで夜9時からの映画(番組)を見て過ごすというものがあったと記憶しています。

ですので、その際の必須アイテムである冒頭の小鍋については、有り難くもないけれど、それなりに懐かしい記憶が甦る触媒になると感じる卒業生は、私だけではないだろうと思います。

私の場合、お湯を沸かしてカップ焼きそばを食べることも多かったのですが、北海道では「焼きそばバゴォーン」が売っておらず、「焼きそば弁当」という、やや小振りなカップ焼きそばが主流でした。そのため、実家から「バゴォーン」を箱で送られていた私は珍しがられ、物々交換のほか、時には強奪されるように「お裾分け」を強請られていたような気もします。

上記の「100人部屋」は1年次だけであり、2年に進級する際に、仲良しの人を見つけて4人グループ(原則)を組み、2、3年次は4人部屋(原則)で生活することになります。 もちろん、4人組を作るのが難しい人(2人或いは3人だけ、或いは誰とも組めないままの人)が出現するのは避けられず、寮の先生などが仲介等して(そうした面々を組み合わせるなど)、どうにか全員が4人部屋に移行できるようにします。

ただ、「自分達の自主的な判断で4人グループを作る」というスタイルが逆に仇となるのか、4人部屋に移行した2年次になると、不和が生じて同じ面々での生活を営むのが難しくなる部屋も幾つか生じてきます。

かくいう私自身、2年次に4人部屋を組んだ面々に不和が生じ、私の至らなさもあって同室者が2人も自主退寮(アパートに転居)するという痛恨事を経験しています。幸い3年次に4人部屋を組んだメンバー(2年次に残ったもう1人を含む)とは全員、終始、平穏かつ良好な関係のまま卒業できましたが。

私のことを、他者との距離を詰めるのがかなり下手な人と認識されている方は多いと思いますが、能力の偏りの大きさ(バランスの悪さ)のほか、そうした過去も影響しているのかもしれません。

余談ながら、2年の進級時に相部屋仲間を見つけることが全然できなかった4人の「おひとりさま」だけで組んだ部屋が、卒業まで2年間を平穏に維持できたという話を聞いたこともあり、案外、物事はそのようなものではないかと感じています。

恥ずかしながら、高校時代は 「勉強もできず、運動もできず、あやとりや射撃のような特技もない、のび太以下の田舎者」(日本史の成績だけは良かったですが)として、場違い感(劣等感というよりも、自分がここにいていいのだろうかという感覚で、疎外感といった方が適切だろうと思います)を常に抱きながらの鬱屈とした日々を送っていました(その点は、司法研修所時代も同じようなものだったと思いますが)。

ただ、真摯に勉強に打ち込んで難関校突破という栄冠を勝ち取っていく同級生の方々の背中を日常的に拝見できたことが、司法試験受験生時代に大いに糧となったことは間違いなく、自分の未熟さ、至らなさを悔いる点は山ほどありますが、あの学校を選んだこと自体は、間違いではなかったと思っています。

 

 

盛岡の町家文化と地元弁護士の役割

先日、古い町屋群が保全されている盛岡市鉈屋町で開催された「盛岡町家 旧暦の雛祭り」と、北上川を挟んだ対岸の仙北町で開催された「森とひなまつり 明治橋仙北町界隈」の双方を拝見してきました。

とりあえず、関連HPを貼り付けますので、あまりご存じでない方はこちらをご覧下さい。
http://machijuku.org/event/
http://www.city.morioka.iwate.jp/event/event/028793.html

http://www.morioka-times.com/news/2014/1404/11/14041101.htm
http://www.morioka-times.com/news/2014/1404/09/14040901.htm

鉈屋町の方は、今年で10年目だそうですが、通り沿いの家々に雛飾りが溢れ、規模も大きく人力車や和装の方々のパレードなど、和服姿の女性(年齢層は様々でしたが)を沢山お見かけし、古い街並みを生かした華やかなお祭りとしての雰囲気が良く出ていました。

仙北町の方は、鉈屋町と比べると規模は遙かに小さいですが、「徳清(佐藤家)」と金澤家の2つの文化財的な価値のある邸宅の公開を兼ねており、「雛飾り」の規模も、私が拝見した限りでは全体を通じて金澤家の飾りが最も見応えがありましたので、鉈屋町と仙北町の双方を見ないと勿体ないと思いました。

ところで、私が「ひな祭り」を見に行ったのは今回が初めてだったのですが、私は雛人形の価値などが分かる人間ではありませんので、主たる目的は、これまで拝見したことのない鉈屋町の建物群や徳清倉庫などの内部を見学することと、もう一つの理由がありました。

私が一応の責任者(委員長)をつとめている、岩手弁護士会・公害対策環境保全委員会では、来月、鉈屋町側の主催団体である「盛岡まち並み塾」の事務局長である渡辺敏男氏(建築家)に、「歴史的景観の保全」等に関する講義をお願いすることになっています。そのため、鉈屋町等の町家の文化的価値やその保全活動などが講義のテーマになると予測されるので、予習としてお邪魔したという次第です。

ただ、「まち並み保全」というテーマは、歴史や古い街並みがそれなりに好きな人なら誰でも入っていけそうな感じがする反面、私の知る限り、日弁連(公害環境の委員会)でも取り上げられておらず、建築実務に携わっている方でないとピンと来ない建築規制の細かい話が取り上げられやすいこともあって、弁護士の出番がどこまであるのか(出番を作れるのか)、よく分からないというのが正直なところです。

反面、本丸というべき建築規制の話にこだわらず、その周縁で生じる様々な法律問題に関する御用聞きのような形であれば、平凡な弁護士にも色々と出番が生じる可能性はあるのではとも感じています。

例えば、数世代に亘り受け継がれている町家の中には、数十年前に亡くなった方の名義のままになっていて、現役の相続関係者の意思統一が困難であるなどの理由で、相続登記に困難を伴う例があるかもしれません。また、長期間、空き家の状態が続き、近隣の方にとっても防犯、安全面で不安があり、管理や権利関係の処理を速やかに行うことが望まれる例、敷地の利用関係が複雑であるとか境界などに深刻な対立を伴う例など、弁護士がお役に立てる、立つべきケースが幾つもありそうな気がします。

また、今回の徳清倉庫さんのように区画整理などの形で行政との接触(往々にして利用形態に関する干渉や変更要請)を受けることも多いでしょうから、中には行政と見解の相違が生じて法的検討、調整を必要としたり、或いは、利害関係者の多くの方が意思統一できているものの、一部の方の反対があって物事が進まず、早期解決のため弁護士による法的な対応が望まれるという例もあるのではと思われます。

そして、それらの具体的な対処を通じて現行法制の問題点や限界を明らかにできれば、「まち並み塾」のような団体さんと協力して、法律や条例等のあり方について深みのある提言をするということもありうるのかもしれません。

それらの事柄にお役に立つことを通じて、街並みを守っている方々が一致結束して文化的価値を高める営みをすることを下支えするような活動ができれば、「街並み」そのもの(文化的価値云々)について込み入った知識がなくとも、地元の弁護士としての役割を果たすことができるのではないかと思われ、その点も含めて、地域の「宝」の価値の保全や向上に取り組んでおられる方々との協働関係を持つことができればと願っています。

 

若い夫婦が実家から受けた資金援助と離婚後の行方

若いご夫婦が新居を取得する際、ご自身が借入可能なローンだけでは全額を賄うことが困難であるとして、ご両親などから資金提供を受けることがあります。

例えば、住宅ローンの主たる担い手である夫の収入が十分でない場合に、妻の実家が援助するというようなケースなら、世間にも幾らでもありそうです。

では、このご夫婦が後年になって離婚を余儀なくされた場合に、資金提供をしたご両親が、提供を受けた側に「一生、添い遂げると誓ったからお金を援助してやったのに、その約束を破ったのだから、お金を返せ」と求めることはできるでしょうか。

実は、この点が争点になった離婚訴訟に以前、携わったのですが、その事案では、返せとは言えない(貸金ではなくて贈与と認定し、財産分与の中で考慮する)との判断が裁判所から示されています。

この件では、ご実家が提供した金額は非常に大きな額であったことや、自宅に関する財産分与の中で資金援助の額が十分に反映されない(実際に提供した金額の数分の1程度しか考慮されない)面があったことなどから、貸金と認定する余地も十分あるのではと思ったのですが、複数の裁判官から贈与の心証が示されており、そういうものだと受け止めるほかなかったようです。

ちなみに、文献によれば「資金提供が贈与と貸金のどちらと認定されるか」という問題を裁判所が判断する際は、提供者と受領者の双方の社会的地位や職業、相互の関係、金額の多寡、授受の理由や経緯、返還請求等(返還を前提とした双方の行動)の有無などを総合的に判断するとされており、相手方を援助する(当該金員を贈与する)納得できる動機や目的がなければ、贈与と認定することはできないとされています(加藤新太郎編「民事事実認定と立証活動・第2巻」286~287頁)。

ただ、上記のように「住宅ローンのための実家からの資金提供」という問題に関しては、実際にその点が争われた裁判に従事した立場から言えば、よほどの事情がない限り、贈与と扱われる可能性が高いことは否定し難いのではと感じました。

そうした意味では、お子さんご夫婦の「万が一」に不安をお持ちの方であれば、そのような状況に直面された際には、一筆求めておくのが賢明なのかもしれません。

「軍師官兵衛」と「毛利元就」のパラレルな関係

私は父の影響で子供時代から大河ドラマを視聴しており、小学3年頃の「徳川家康」の第1回以後、寮に入っていた高校時代や受験期などを除けば、8割程度の作品を、概ね最初から最後まで拝見しています。

で、現在放送中の「軍師官兵衛」も必ず録画して深夜に見ていますが、この作品は、過去の大河を強く意識した作品になっているように見受けられます。

具体的には、放送開始前の宣伝では、竹中直人氏が秀吉役で再登板することを強くアピールしていましたが(竹中氏は平成8年作品「秀吉」の主人公)、それ以上に、この作品の隠れた見所は、平成9年に放送された「毛利元就」との類似性ではないかと思っています。

まず、既にネット上で少なからぬ方が指摘しているように、「軍師官兵衛」では、「毛利元就」の主要キャストの方が、当時の役回りに妙に似た形で再登場しており、その上、心憎いことに、いずれも中国地方の関係者として登場しています。

具体的には、現時点で3人の人物が確認できており、まず、官兵衛の主君である小寺政職を演じる片岡鶴太郎氏は、「元就」では、毛利家の重臣筆頭級の人物(井上元兼)を演じています。

次に、中盤の最大の敵・毛利家の屋台骨たる小早川隆景を演じる鶴見辰吾氏は、「元就」では、元就の忠臣(但し、最初は仇敵として対立→帰順)であり井上元兼に次ぐ重臣格でもある、桂元澄を演じています。

次に、中盤の山場である対毛利戦において官兵衛に大きく立ちはだかる謀略の梟雄・宇喜多直家を演じる陣内孝則氏は、「元就」では、中盤最大の敵として厳島の戦いで対決する、陶晴賢を演じています。

そして、双方の番組をご覧になった方なら、これら3名(×2役)の組み合わせには、ある種のパラレル感というか、妙な対称性があることに気づくのではないかと思います。

まず、鶴太郎氏の「井上元兼」は、盟主(国人領主)たる毛利家(元就やその父ら)の筆頭重臣ではあるものの、ほとんど独立した勢力ということで、毛利家の意向を無視した独断専行が多く、主君(元就ら)を大いに悩ませる人物として描かれています。

これに対し、今回の「小寺政職」の場合、官兵衛(黒田家)は小寺家に臣従こそしているものの、独立勢力としての色合いが強く、ちょうど鶴太郎氏と主人公との主従関係が逆になっています。但し、「独断専行(我が儘)で主人公を繰り返し悩ませる存在」という点は、全く同一です。

また、井上元兼は、序盤で元就と対立し切腹して果て、井上一族も基本的に滅亡という形になりますが、小寺政職も、あともう少々(番組的に)で主人公と対立する関係となり、表舞台から去っていくという点は共通しています(但し、本作では「元就」と異なり、天寿を全うしています)。

次に、鶴見辰吾氏ですが、小早川隆景は、言うまでもなく毛利元就亡き後、軍略や政略の高い能力、見識により、信長・秀吉との様々な対決から毛利家を守った大黒柱であり、この時代の毛利の「知の力」を代表する人物です。

なお、家康との直接対決はないのでしょうが、隆景の決断で実現した小早川家当主たる秀秋が関ヶ原で裏切ったことが、吉川広家のそれと相俟って、西軍総大将たる毛利家の存続を支えたと考えれば、家康を含む三英傑の全員と対峙し主家を守った「隠れた超大物」と評して良いのではと思います(この点は、直江兼続にも通じるものがありますね)。

これに対し、「元就」で鶴見氏が演じる桂元澄は、専ら武勇の将(猪突猛進タイプ)として描かれており、鶴見氏の場合、演ずる人物の能力偏差が全く逆になっています。

ただ、主人公との関係という点で見れば、毛利との和睦後は友好的な関係が終始続いていたとのことで、「当初は対立関係があったが、その後は信頼関係で結ばれていた」という点では、前作と同じ立ち位置にあるように思います(番組HPでも、そのような展開が示唆されています)。

陣内孝則氏についても、鶴見氏と同じく、前作では武勇の将たる陶晴賢であったのが、本作では謀略家の宇喜多直家という「武と知」という違いはあるものの、敵対勢力に所属し、強烈な存在感をもって中盤の主人公と対峙するという面では、前作と同じポジションを担っていると言うことができます。

以上のお三方のほか、wikiで見ていくと、官兵衛の庇護者的な義父役を務めた益岡徹氏は、「元就」でも元就に忠節を尽くした腹心の部下(児玉就忠)役を演じていたほか、「官兵衛」で小寺政職の側近(腰巾着)として官兵衛の悪口を言い散らす家老を演じる二人の方は、「元就」では、宿敵・尼子家の家老を演じています。

さらに言えば、オープニング映像についても、「元就」で用いられていた、中国山地を思わせる標高の低い山塊の連なりと雲海の映像が、「官兵衛」のラストでも用いられており、この点も、恐らくは意図的にそのようにしたのではないかと推測せずにはいられません。

ただ、主題曲の曲調については全然似ておらず、「官兵衛」の主旋律(メインの曲調)は、何となく「巧妙が辻」に近いような感じがしています(映像は全然違いますが)。

ともあれ、今回の大河は同じ中国地方を舞台とする「元就」を強く意識して制作されていることは間違いなく、過去の作品を知っている人にとっては、双方の異同を楽しむこともできる点で、有り難いものとなっています(独眼竜政宗こと渡辺謙氏が、「炎立つ」でも主人公を演じたのと通じるものがあるのかもしれません)。

ところで、主人公同士の比較という点でも、毛利元就と黒田官兵衛は、天下を取る知謀の才を持ちながらあえて目指さず、そのことにより「家」を守ったという意味で、共通する面があるように思われます。

また、毛利元就は正室の存命中は側室を設けておらず(死後に後妻を迎えています)、生涯、側室を持たなかったとされる官兵衛と共通しています(他に同様の戦国大名がどれだけいるのか存じませんが、稀少例ではないでしょうか)。

ただ、前作に見られた「奥方がガバッと脱ぐ(残念ながら背中のみ)」というシーンは「官兵衛」では見られません。個人的には、この点は、官兵衛夫人よりも荒木村重夫人の方にチャレンジいただければと願っています。

ところで、以上に述べた観点から、他にも、前作(元就)に登場した大物の再登板がないのかというのが、今のところの私の関心事です。

仮に、他の方の再登板があるとすれば、その演じる対象者は中国地方の関係者ということになるでしょうが、私が期待しているのが、まだ登場してない宇喜多秀家です。

この点、放送当時の記憶はありませんが、wikiによれば、尼子氏の滅亡時の当主を中村獅童氏が演じていたとのことで、ぜひ、秀家として再登板していただければと期待しています(終盤の大戦での敗者役という点でも、両者は共通していますし)。

ちなみに、「秀吉」と「軍師官兵衛」を比べると、「秀吉」に出演された方で、竹中氏以外で再登場している人物は誰一人としていないように見受けられ、これはこれで不思議に感じます。

この点、「官兵衛」の番宣で、竹中氏は「『秀吉』では晩年の墜ちてゆく残虐な秀吉を演じることができなかった、今回、それ(暗黒面)を演じるのが楽しみだ」という趣旨のことを強調していました。

見ようによっては、「秀吉」から再登板したのが竹中氏ただ一人であることによって、「秀吉」を知っている者が見れば、「竹中秀吉」の「孤独な裸の王様」像=晩年の墜ちてゆく秀吉という印象(演出)の効果を高める面があるように感じます。

もちろん、NHKがそこまで「マニアックな視聴者」のことを考えて配役を決めているのかは、私には微塵も分かりませんが。

最後に、全然関係ありませんが、私の「大河ドラマ主題曲お気に入りランキング」を書いて、長文の締めくくりとさせていただきます。

1位 いのち
2位 徳川家康
3位 春日局
4位 秀吉
5位 炎立つ
次点 独眼竜政宗、篤姫、赤穂浪士、武田信玄、龍馬伝、etc

私の場合、受験生時代に大河ドラマ主題曲集「秀吉」をレンタルで借りMDに再編して聞いているのですが、その後に発売された主題曲集は購入しておらず、「秀吉」以後の作品が不利な扱いを受けていますので、その点はご留意下さい。

あと、「いのち」は、当時はまだ現代史作品を理解するには幼すぎたのか、曲はよく覚えているのにドラマを見た記憶が全然ありません。

 

外国人の研修生・技能実習生に関する労働問題

現在、生産年齢人口の減少などに起因して、外国人労働者の受入を促進すべきだという議論が活発化しており、最近では、安部首相が「外国人女性の家事労働への進出促進を」と述べた(で、批判された?)などという報道も見かけました。

外国人労働者を巡っては、何年も前から、研修制度の形で実質的には労働者と変わらない待遇で就労に従事させているという話があり、中には、工場で劣悪な条件で就労させているのではないかとして、問題になったケースも幾つかあったと記憶しています。

この点に関し、先般、「技能実習生(中国人女性)Xら5名が研修先のA社で就労していた件で、A社の役員がXらを劣悪な環境で就労させて様々な違法行為を行ったとして、A社及び役員のほか、A社を監督すべき立場にあった協同組合とその役員、Xら(実習生)のサポートを担当していた企業とその役員にも賠償責任を認めた例」を見かけました(長崎地判H25.3.4判時2207-99)。

中国人女性Xらは、H21出管法改正前の外国人研修・技能実習制度に基づき入国し、第一次受入機関たる雲仙アパレル協同組合Y3の傘下企業(第二次受入機関)であるA社で研修(縫製作業)をしていました。

が、Xらは、「A社(役員)は、長時間残業など労基法違反の環境でXらを就労させ、旅券・通帳等を違法に管理し、セクハラ・暴行をしており、その上、最低賃金法の定めを下回る賃金しか支払っていない」と主張して、関係者に賠償請求する趣旨の訴訟を起こしました。

法律構成としては、①A社役員Y1・Y2に対し、民法709条・同719条(共同不法行為)・会社法429条等(A社は審理中に破産)、②Y3と役員Y4に対し、民法719条・中小企業協同組合法38条の3(役員の賠償責任)・一般社団・財団法人法78条(法人の賠償責任)、③来日実習生のサポートを担当するY5社と役員Y6に対し、719・会社法429条(役員の賠償責任)・上記法人法78条、④公益財団法人国際研修協力機構Y7に対し、719条(調査義務違反)を理由に賠償請求しています。

裁判所は、Y7に対する請求のみ棄却し(Y7に義務違反にあたる事実なし)、他はすべて一部認容しており、金額はXら5名につき、一人あたり170~225万円ほどになっています。

判決では、Xらを労基法9条・最低賃金法の適用対象たる「労働者」と認め、Xら主張のY1・Y2による違法行為に加え、Y4・Y6がこれを幇助していたとの事実関係を認めたようです。また、破産手続済のY1に対する請求権は「悪意で加えた不法行為に基づく請求権」(破産法253条1項2号)に該当する非免責債権と認定しています。

この事件は長崎県の縫製工場を舞台としたもののようですが、岩手県北エリアも縫製工場が多いそうで(高級衣類を担当する質の高い縫製で評判らしいです)、現在と異なり企業倒産が非常に多かった10年近く前には、沿岸北部の縫製工場が倒産し、私が破産管財人を担当したことがあります。

幸い、その企業に関しては上記のような問題を耳にすることはありませんでしたが(未払賃金があったものの、労働者健康福祉機構による立替払+財団債権としての配当により、大部分をお支払いしたはずです。反面、それで原資が尽き、一般債権者には一切配当できませんでしたが)、申立以前に外国人の方(実習生?)も従事していたという話を聞いたような記憶があり、当時すでにこの問題が話題になっていたことから、そのような問題がなければと思ったことを覚えています。

好むと好まざるとに関わらず、被災地などの労働者(生産人口)不足に伴い、外国人労働者等の何らかの形での受入の増大は高まらざるを得ないのではと思われます。

このような事件が起こらないよう、また、職場でのトラブル等があれば、大事になる前に企業外部を含む関係者が早期に適切な対処ができるよう、このような判例などをもとに勉強したり、弁護士等のサポートを受けていただければと思っています。

 

民事執行制度の強化を巡る議論と展望

交通事故などの事故・事件の被害者や知人に頼まれ大金を貸して返済を受けられないままの方など(債権者)が、支払義務を負う者(債務者)に対して裁判を起こし、苦心して支払を命じる判決を受けたものの、債務者の財産がまったく分からず、ちっとも債権を回収できないというケースは、我が国では珍しくありません。

債務者に関して言えば、次のようなパターン(類型)があるかと思います。

①相当額の財産を有している可能性が十分あるものの、債務者の所在が不明or広域で活動しているなど、どこに財産を持っているかの手がかりを掴むのが難しいもの。

②債務者の所在等は分かっているが、居住地等に不動産を所有しておらず、居住地付近の金融機関に預金の差押をしても奏功せず(口座がないか、あっても残高がほとんどない)、他に財産の所在等が分からないもの。

③そもそも、その債務者の所有資産が皆無に等しいと考えざるを得ないもの。

この点、我が国では、判決を有する債権者などの照会に応じて債務者のあらゆる金融機関の口座情報などを一括して回答する仕組みは現時点で存在していません(生命保険の契約情報については一括照会制度はあるものの、債務者の同意がない限り保険会社が回答を拒否する例もあります)。

そのため、債権者が少なくない経費と手間をかけて、債務者の居住地を管轄する幾つかの金融機関(支店)に債権額を割り付けて差押申立を行うことがありますが、大概は、前記②のように「預金がないか、あっても僅少」との回答を受けておしまいというケースが少なくありません。

債権者によっては、深刻な事故の被害者でご自身に過失がほとんどない場合のように、非常にお気の毒な方もおられますので、そのようなケースに直面すると、法の不備があると思わずにはいられない面があります。

反面、本当に財産のない(かつ、形成できる能力も乏しい)人について強制収容所のようなものを作って収容し強制労働の賃金で返済させるなどという法制度が我が国で採用されるはずもなく、「救済(支払確保)の必要が高いのに回収が困難な債権者」の方にお会いすると、ただただ残念な気持ちばかりが募ってしまいます。

せめて、強制執行等の対象となりうる債務者の財産の有無を簡易かつ確実に把握できる制度があれば、「財産がない」と判明する場合も含め、債権者にとっては気持ちの整理ができる面がありますが、それとて、上記のとおり金融機関の照会制度の不備や回答拒否など、我が国では必ずしも機能しているとは言い難い面があります。

この点に関し、現在の民事執行法には、「財産開示手続」という債務者に自己の財産状況を開示するよう命ずる制度があるのですが、この制度も、債務者が期日に出頭せず流会で終わることが多く、十分に機能を果たしていないとして、「債務不履行者名簿」を作って閲覧等できるようにしたり信用情報登録制度とリンクさせるなど(不払者にとっては強いプレッシャーになり得ます)、制度をより強化すべきだと主張されることも少なくありません。

ちなみに、昨年に判例タイムズに掲載された論文(1382号等)は、そうした立場をとっており、韓国の制度がそのようなものになっているということで、それを取り入れることを提案する内容になっていたはずです。

これに対し、今年の2月に奈良地裁の今井輝幸裁判官が公表した論文「韓国の財産開示制度の現状」という論文(判例時報2207号)は、執行制度の基礎をなしている様々な法文化や制度に違いがあるとして、慎重な立場をとっています。

思いつきレベルですが、双方の立場の違いは、「司法積極主義と司法消極主義」という我が国の司法に関する大きな路線対立の問題(いわば、理念重視派と国情重視派の対立といってよいのかもしれません)とも繋がりがあるように感じられ、そうした視野からこの論点を考えてみるのも興味深いのではと感じたりもします。

それはさておき、15年も実務の世界で生きていると、我が国では、「払えない人」を強く追いつめるような制度ないし実務はなじまないと考える方がほとんどで、その種のケースで取立を強化する法制はあまり期待できないと思われます。

そうした点では、交通事故における人身傷害保険のように、相手方が無資力の場合に不良債権の填補を受けられるような自己防衛的な保険等の制度を、様々な形で普及させていく方が現実的なのかもしれませんし、人身傷害保険や弁護士費用保険が普及しているように、実損填補型の保険等に関する潜在需要は我が国には十分あると言ってもよいのではと感じています。

また、財産開示制度の改正の要否はさておき、少なくとも、一定の条件を備えた債権者については、弁護士法23条に基づく照会制度ないし照会先の受け皿の強化(情報集約システムの整備)など、債務者の資産などに関する情報収集の制度をより強化していただきたいと思っています。

余談ながら、今井裁判官は私が修習生時代にお世話になった方で、数年前から韓国法の専門家として刑事法などでお名前をお聞きすることがありましたが、当時から大変勉強家の方で、今回の論文も韓国の法制や法文化などに対する造詣の深さを強く感じさせられました。

私は、平成22年に日弁連の行事(人権擁護大会)の企画で数日だけ訪韓し、韓国の廃棄物法制(不法投棄対策など)や実務に関するお話を伺うなどしたものの、恥ずかしながら「チラ見」レベルで終わってしまったということがあり、外国法に限らず、今井さんを見習って、もっと努力を積み重ねなければと恥じ入るばかりです。