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ブログ

追憶の沖縄と縄文の記憶

先日は、沖縄の慰霊の日(沖縄戦の実質終結日)とのことで、関連する行事のニュースが流れていました。

私は沖縄にはたった一度だけ平成27年に那覇地裁に仕事(尋問)で行ったことがあり、もともと、沖縄に行く本土人は、ひめゆりの塔と平和祈念公園に行かなきゃ駄目だろうと思っていた手前もあって、到着後、急遽、レンタカーを借りて行ってきました。

残念ながら、アウトレット大渋滞のため通常より大幅に到着が遅れ、ひめゆり平和祈念資料館の入館締切時刻には間に合いませんでしたが、平和記念公園の岩手の塔をはじめ、夕暮れ時に様々な戦争関連の慰霊碑を拝見することができました。
沖縄放浪記(那覇出張と「残念な小話」) | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

子供の頃、私のすぐ近所には「りゅうちゃん」という、きっと蝦夷の直系の末裔なのだろうと感じる、縄文人のDNAが濃そうな歳上の男性が住んでいました。

とても善良な方で、少年期に色々とお世話になりましたが、沖縄には、りゅうちゃんとそっくりな顔立ちの人が街中に沢山いて、びっくりしました。

双方の土地で異なる時代に生じた戦災達から学ぶことに限らず、岩手と沖縄が縄文の血で繋がっていることに、もっと多くの人が関心を持ってよいのではと、今も感じています。

縄文を巡る岩手と沖縄の共通性については、出張後に書いたこの投稿もご覧いただければ幸いです。
琉球王国と北奥政権の栄光と挫折、そして再起するものたち | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

裁判所の電気代の無駄遣いを誰も咎めない光景

先日、事務局のお使いで昼に裁判所に行きましたが、電気代の激増による生活苦が報道されるご時世なのに、1階ロビーで誰も見てない「裁判所の手続案内(や裁判員案内)ビデオ」を大型TVで延々と常時上映している光景を何年も見させられ続けていると

こういう無駄のせいで庶民の電気代が激増しました。
官はたらふく喰ってるゾ

などと書いた貼り紙を人知れず画面に張りたい誘惑にかられます。

が、テロ行為に及ぶ度胸はありませんので、代わりに飯テロ・・もとい、物価高になる前に美味しくいただいた頃の美麺画像を投稿し、電気その他の無駄遣い抑制を通じた物価沈静の機運向上を祈念する次第です。

ともあれ、盛岡地裁も、付けっぱなしではなく、せめて、その辺の博物館みたいに、見たい人がいるときだけ自分で付けて(去るとき消して)見る、という程度の改善ができないものでしょうかね・・

なお、敗訴の腹いせとか、取扱事件の担当裁判官から虐待されたとか、そういう理由ではありませんのでヨロシクです(たぶん)。

ウソと桜と沈黙?の春

4月に盛岡市内(桜山の亀が池)の桜を拝見したときに感じたことです。

平成20年代前半は、ウソという小鳥による桜の食害が大きな話題になっており、当時、花が全然咲いていない桜木や鳥が花芽を食べている光景を見た記憶もありますが、ここ数年、岩手では嘘のように全く聞かなくなりました。

ウソは通常は冷涼な高地に棲息し、冬季のみ平地で越冬するとのことですので、食害がない=開花直前期などにウソが街からいなくなったのは、或いは、温暖化の影響で、冬のうちに山に戻った(里に来なくなった)のかもしれません。

ただ、温暖化等の影響でウソそのものが減少すると、彼らの主食である森林の害虫までもが放置され森林荒廃などのリスクが増大することになります。

ウソ食害と入れ替わるように、海では三陸の伝統的な魚種が(北方海域などに)消えてしまったという報道を聞くようになって久しいですが、海だけでなく山の世界も、生態系の混乱など、信じられないような事態が生じているのかもしれません。

或いは、美しい桜の姿も形を変えた「沈黙の春」の前兆なのかもしれず、皆さんも、花びらの先にそのような事柄も見つめていただけばと思っています。

そういえば、私、岩手弁護士会の公害対策環境保全委員長でしたね・・・本当ですよ。何もしてませんけど。

オクラホマの若者が蝦夷の夢をみるとき

先日の盛岡北RCの例会は、米国オクラホマ州からの短期留学生(17~18歳の男女約10名)の歓迎会を兼ねるもので、盛岡西北RCと合同で、ホテル大観で行われました。

私は例会だけでお暇しましたが、直後には有志の方々により着付けとさんさ踊り体験指導がなされたとのことで、その他の盛り沢山のRC歓迎行事と併せて、留学生の方々は満足して帰途につくものと思われます。
岩手県盛岡市 米の高校生「さんさ踊り」を体験 (tvi.jp)

ただ、折角なら「どうしてオクラホマの若者が、盛岡(岩手)に来る理由があるのか」について、RC関係者の方々から一言頂戴できれば、なお良かったのではないかと思いました。

日本人なかんずく岩手人にとって、オクラホマは全く馴染みのないない場所ですが、米国大陸の「へそ」にあたる、ど真ん中やや下の位置(南はテキサス)で、ロッキー山脈西側の大平原(グレートプレーンズ)を構成する諸州の一つであり、誤解を恐れずに言えば、地形的にはウクライナによく似ていると言って良いかと思います。

この地は、かつてインディアンと呼ばれた先住民(ネイティブ・アメリカン。以下「NA」)の本拠地の一つであり、東海岸で英国移民(アングロサクソン)により建国された米国が版図を西側に急拡大していた1700年代に、利権を主張する他の西欧国家との抗争の勝利という形をとって米国に編入されています。

が、実際の統治ないし社会運営を巡っては、移民(侵略者)たる白人と先住民たるNAとの間で激しい抗争があり、最終的にNA側が敗北し、1800年代頃には、多くのNAが故郷を追われると共に、白人による入植や、それに伴う農園労働力たる黒人奴隷の大量移住が行われ、現在の人種構成に至っていると言われています。

ここまでご覧になって、それってどこかで聞いた話に似ている・・と感じませんか?

そう。

古代において列島の西から興り弥生人=大陸由来民を中心に形成されたヤマト王権が、縄文の暮らしを色濃く残す東のエミシの部族集団(日高見国)を制圧していった光景を。

アテルイ、安倍氏、奥州藤原氏、九戸戦役、戊辰戦争などに彩られた岩手の歴史を。

北海道(アイヌ)を含む北日本の人々が辿った長い長い物語を。

それが脳裏に浮かばなかった岩手ケンミンの貴方は岩手人を名乗る資格が危ういので、イチから郷土史を勉強し直して下さい。

このように、帝国(異民族征服・統合国家)としての米国などの建国史は、その観点からは、日本の建国史とさほど変わりありません(その点はロシア等も同様でしょう)。

そして、蝦夷≒縄文人であれ、米国のNAであれ、有史以後の被征服民の多くが、遠い遠い昔、世界各地を横断した古モンゴロイドと呼ばれる人々の末裔であることも、よく知られている話です。

だからこそ思うのです。

社会経済上、直接にはほとんど何のつながりも持っていないだろうオクラホマの若い短期留学生達を、岩手・宮城のRCが長年に亘り世話することになったのには、何らかの見えざる力が働いていないだろうか。

歴史の中に忘れ去られ、取り残された蝦夷≒縄文=古モンゴロイド=NAの血が、声が、双方の出逢いを促したのではないか。

ホテル大観にいらしていたオクラホマの若者達は多くが白人でしたが、黒人の方が1名、NA由来か東洋移民系かは不明ですが、いわゆる黄色人種(モンゴロイド)の血が入っているのではと感じる方も1~2名ほど?いました。

彼らが故郷の複雑な歴史を正しく学んだ上で、人種を巡る米国の厄介な問題を克服し、人類共通の福利のため力を合わせていける光景を願っています。

そうであればこそ、岩手の人々にも、彼らの姿から蝦夷の末裔としての誇りを、そして、自分達のあるべき道を考えていただければと思います。

もとより、私は「被征服民(蝦夷・NA)ばかり同情し、征服者(弥生人・白人)を非難したい」のではありません。前回の投稿(岩手県立病院物語)でも触れたとおり、科学的・合理的知見が伝播したことで、健康や富に限らず不合理・抑圧的な陋習から人々が解放された面はあるはずですし、何より、双方の文化・思想が交わることで新たに社会に生み出された価値あるものが数多あるずだと確信しています。

であればこそ、歴史とその功罪、失われたものと生み出されたものの双方を適切に学び、自身の現場での役割へと昇華させる努力が各人に求められているのであり、異なる人種・文化・社会が激しく衝突した歴史を共有する岩手とオクラホマの人々は、互いの経験を知ることで、各人の実践に活かせる面が多々あるのではと考えます。

そうした話が岩手の人々とオクラホマの若者達との間で語られる光景を夢見つつ、大観の玄関で飲湯しながら「温泉入りたかった・・」と捨て台詞を残して、終わりなき日常に戻っていった次第です。

おんな達を人間にした、山と医療の光と影

6月末から遠野物語に着想を得た映画「山女」が公開されるとのことで、幾つかのWeb記事を拝見しましたが、できれば見てみたいと思いました。
福永壮志監督 × 山田杏奈主演、『遠野物語』から着想した「山女」。本予告など公開(キネマ旬報WEB) – Yahoo!ニュース

舞台が早池峰山の麓なので、岩手の寒村と言った方がよいのではと思いましたが、敢えて東北と表現したい理由があったのかもしれません(設定された時代が明治以前だからという理由なら、幕末に成立した東北という言葉ではなく、奥州=陸奥国と呼んでいただきたいですが)。

それはさておき、この記事では、予告編で主人公が死亡した嬰児に「次は人間に生まれないで」と告げながら川に流す映像が紹介されていました。

死因は予告編からは分かりませんでしたが、私が映像を見て思い浮かべたのは、当時の岩手の農村部では乳幼児の死亡率が著しく高く、それを昭和初期~前期の時代に様々な方が苦労して克服した、という点でした。

そのテーマでは沢内村の深沢村長が有名ですが、同じ時期に岩手では小規模自治体を含めて多数の県立病院が県内各地に建てられており、これは岩手県の初代民撰知事(戦後の知事)である國分謙吉(二戸出身)が推進したとも言われています。

医療の普及は、病苦からの解放というだけでなく、迷信等に由来する悪しき民間療法のような様々な不合理・非科学的な習慣を克服する面もあったでしょうから、県立病院の整備などを通じて「田舎の集団心理(ムラの論理)に起因する悪しき旧弊」が解消される効果があったと思われます。

この映画では「この山で私は人間になれた」というキャッチコピーが用いられていますが、当時のムラ(里)の世界が、多くの不合理な因習を抑圧的に強要する面があった(反面、服従の対価として集団内では位階に応じた庇護を受け相互扶助に浴した)ことは間違いないはずです。

ですので「山女になる」とは、ムラの論理から解放される=剥き出しの厳しい自然に独力で対峙を余儀なくされる代わりに、自然固有の論理(合理性)を理解し使いこなせるのなら、ムラ(帰属集団)よりも遙かに自由に、心のままに生きることができることを、このコピーは意味しているのでしょう。

そして、その言葉は、当時のムラに限らず、現代社会に生きる我々も、自身が帰属する様々な集団内に生じた非合理な抑圧(集団心理)に晒され、或いは依存したり、主人公のような内部の異端児を排除抑圧し、または自身が排除抑圧されながら生きているのではないですか?(貴方はそれでいいですか?)というメッセージも含んでいるのだと思います。

***

ところで、以前に投稿したとおり、私は現在、旧岩手県立病院が行った医療系廃棄物の大量埋設を原因とする岩手県庁などへの損害賠償請求訴訟を原告代理人として担当しており、その訴訟を通じて、今から数十年前に県内各地で行われた旧県立病院群での病院廃棄物埋設問題について、同種被害の再発を防止するため本格的な実態調査などが必要ではないかと提案しています。
岩手県立病院の跡地群での医療系廃棄物の大量埋設問題に関する県民への問題提起 | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)

(岩手弁護士会が会長声明なり意見書なりを公表すべき問題だとは思いますが、当事者代理人の私が要請しても無用の誤解を招きそうなので差し控えています。お偉いさんの後押しでもあれば、訴訟に触れない形で起案するのですけどね・・)

そのため、私が旧県立病院を敵視しているように感じる方もおられるかもしれませんが、上記のとおり、当時の県庁が旧県立病院群の大量設置を行ったのは、医療の普及と人命保護などは言うに及ばず、山村の人々を様々な陋習から解放するのに役立ったと考えており、そうした役割・成果は強く認識されるべきでしょう。

だからこそ思うのです。
光あるところ影あり。光強ければ影もまた濃し。

当時の時代背景に由来する旧県立病院の医療廃棄物の大量埋設問題とは、詰まるところ旧県立病院の果たした役割と表裏一体ではないかと。

そうであれば、現在の社会でも、社会や人命などを守る掛け声のもと行われ有意義なものと称賛された大規模公共事業などが、後年に巨大な負の遺産として人々を苦しめるという展開も生じてくるのかもしれません。

素人目には、防潮堤やメガソーラーなどが、その例になりそうな不安を感じますし、これからもそうした話が出てきそうな気もします。社会内で膨大に使用されるプラスチック関連製品なども、その典型なのでしょう。

今の社会を運営したり公金などを動かしている方々には、そうした事柄も考えて対処いただければと思っています。

 

アクセントの平板化に抗い続けて幾年月

先日逮捕された元参院議員の方のお名前(芸名)について、ニュースその他では全て、アクセントのない平板化された形で発声されています。

が、私はどうしてもこの発声に馴染めず(「ギロッポン」のようにエセ芸能界ちっくで胡散臭い印象を受けてしまいます)、第二音(または第一音)にアクセントを置いた

がアしぃ (アクセント位置をカタカナ表記しています

という発音でしか発声できません。

この御仁に限らず、私は子供の頃から

どラえもん
のブなが
ひデよし
いエやす

という発音を墨守し、周囲への迎合?を頑なに拒否して生きてきました。

これは、いわゆる「田舎訛り」なのだろうか?と一人悩んだ?こともありますが、下記の記事を拝見する限り、要するに、昔々は都会でもこの発音が主流だったのに、ここ数十年、一部のオサレ感のある業界の仲間内の人々に大衆が追随する形で生じてきたものと考えられることが分かりました。

最近、日本語を平たく言うアクセントが気になります。誤りではないでしょうか – ことばの疑問 – ことば研究館 (kotobaken.jp)

そうであればなおのこと、私はそうした業界人の仲間に入れる人間ではありませんし、ひとりで我が道をゆく生き方に適合しているとも思いますので、今後も自信をもって

がアしぃ 

などと発声し続けたいと思います(聞いてくれる相手もいませんけどね・・)

いずれ時代が逆転し、こっちのアクセントの方がもてはやされる社会が到来する・・・などということは、たぶん無いのでしょうね。

岩手県立病院の跡地群での医療系廃棄物の大量埋設問題に関する県民への問題提起

前回も投稿しましたが、私が受任中の事件に関連して県民の皆さんに知っていただきたい問題がありますので、お時間のある方はご一読下さい。

具体的には、約50年ほど前、県内各地の旧県立病院に当時、医療系廃棄物が大量?に埋設され、現在も大半の跡地で未調査・未解決(放置されたまま)と思われる、という問題です。

***

私が受任している事件は、数十年前にK町中心部で操業していた旧県立病院が、当時、住民からの借地である敷地内に膨大な病院廃棄物を埋設した件で、約3年前に判明した後も、県側(医療局)が撤去や費用負担などを事実上全面拒否したため、やむなく提訴に至ったものです。

訴訟では、出土時まで放置したことへの県の責任も論点となっていますが、同種事件は平成20年前後に少なくとも3箇所の旧県立病院で発覚しており、本件は、いわば4件目(但し、借地案件では唯一)となります。

これまで、県庁(医療局)は他の3件では全て県費で埋設物撤去や費用支払をしており、本件に限って対応を拒否しているのは、他の案件が県の所有地だった(ので売買時に瑕疵担保責任を負う)のに対し、本件は借地なので瑕疵担保責任がないから埋設行為に法的責任がない、との主張に基づくものです。

埋設行為は廃棄物処理法の制定前(旧清掃法)で、県は「当時は埋設しても清掃法違反でないから原状回復義務がない(埋めて放置しても貸主に対し責任は生じない)」と主張しており、そのこと(清掃法違反の当否や公法と私法の区別など)も大きな争点となっています。

当方=貸主から土地を買い受けた者(地元自治体)は「撤去だけで数千万円を要する膨大な廃棄物を埋設した借主は当時であっても民法上の原状回復責任を負うはずだ、自分の土地(県有地)に埋設したときは撤去するのに、借地なら放置しても良いというのは非常識だ」などと主張し、大きく3つの法的構成に基づき撤去費用等の支払を県庁に求めています。

***

以上が前置きで、ここからが本題なのですが、本件で埋設行為が行われたとみられる昭和20~40年代前半頃の時点で、岩手県には現在と同じく20箇所以上の県立病院があったようです。

現時点で、埋設問題が発覚したのが本件を含む4件(うち1件は小規模?で、他の3件は億規模の諸費用を要した事案)ですが、果たして、二十数箇所の旧病院のうち、埋設問題があるのは「この4件だけ」と言えるでしょうか?

ほかならぬ県庁自身が「当時は、敷地内に埋設するのが当然だ(その結果、数千万円の撤去費用を要する結果を借地に生じさせ3年前に発覚するまで放置し続けても、知ったことか)」と主張しているのに、です。

実際、近年も一関や山田町の県立病院跡地で、県の負担で土壌汚染対策工事がなされているようです(K病院だけが、借地だからという理由で負担拒否の姿勢が続いています)。

オガール紫波の岡崎さんは、本件で訴訟提起した際の私の投稿をご覧になり、「県知事選の争点にしても良い問題だ」と仰っていました。

これは、本件裁判の当否などという(誤解を恐れずに言えば)小さな話ではなく、二十数カ所の旧県立病院の跡地の大半で、森友学園もビックリの医療系廃棄物の大規模埋設問題が未解決となっている可能性はないか、その危険を放置して次の世代に押しつけてよいのか(むしろ、それを適切に対処した上で土地の価値を高める開発をすべきだ)、と提起されたものと認識しています。

とりわけ、この問題が本格的に発覚した(他の大事件が判明した)平成20年代半ばの時点で県庁が全件の埋設調査などに取り組んでいれば、本件で撤去費用以外に生じた多くの損害の発生が回避できたはずで、そのことは訴訟で問題提起し、裁判所も関心を示しています。

***

私はこの裁判の期日のたび、地元記者達の囲み取材を受けており、これまで何度かその話を記者達に伝え、他の旧県立病院跡地群の実情がどうなっているか、調べたり記事で問題提起いただけないかとお願いしました。

が、残念ながら、今のところ、その問題が取り上げられた報道を見たことがありません。県議会の記事などで取り上げられているのも見たことがなく、残念に感じています(本件に触れたNHKの特集番組の制作者の方は問題意識を共有いただいたものの、番組で取り上げられるには至りませんでした)。

本日の期日で提出した当方の書面では、他の病院跡地への対応がどうなっているか回答して欲しいと県に要請しており、そのことは自身の選挙区に旧病院跡地を抱えている県議や県民の方々にも関心を持っていただければと思っています。

また、県立病院だけでなく、県内で昭和20年代~40年代前半頃に操業していた別の大規模な病院でも、同種の土壌汚染が発見された例があります。

そして「数十年前に借地上に大規模事業所が設けられ、人体に危険を及ぼすリスクのある物質を扱っていた」例は、病院に限らず岩手に限らず幾らでもありうると思います。

「廃掃法制定前(清掃法の時代)なら、借地には、どんな危険なゴミでも、どれほど膨大な量でも捨て放題(埋設者の責任は一切問えない)」との主張が罷り通るのでは、膨大な撤去費用という貧乏くじを引かされる現在の所有者は浄化を諦めて放置せざるを得ないでしょうし、本件のように何らかの事情で税金の負担により浄化せざるを得なくなった場合も、納税者=住民・国民等は納得できないはずです。

私は訴状などで「自ら汚染した者が法の不備を理由に責任を免れ、率先して大地の浄化に尽力する者が酷い目に遭う社会は絶対に間違っている。何より、県庁自身が、その気持ちで県境不法投棄事件の解決に取り組んでいたはずだ」と書きました。

この気持ちを、裁判所は言うに及ばず、県庁の方々も共有いただけることを願って、被害者(請求者)側代理人の立場で今後もできることに努めていきたいと思います。

 

岩手県庁の桜と大地の涙

1ヶ月前の石割桜の時期に、受任事件の閉廷後に盛岡東警察署に赴いた際、折角ということで、途中にある盛岡城址・亀が池周辺の桜を拝見しました。

岩手県庁をバックに桜が美しい姿を見せていますが、私は現在、岩手県庁を被告とする訴訟(旧県立K病院が借地である敷地内に埋めた膨大なゴミの撤去費用等を請求する訴訟)の原告代理人を務めており、ちょうど、県側の主張への反論書面に悪戦苦闘していました。

というわけで、折角の桜を見ても、庁舎が目に入ると、恨み言のように?余計な一首しか浮かんできません。

花愛でる言葉の裏で地の底に
ゴミ捨て片付けせぬ岩手県

この恥を県民なにも言わずとも
天が大地が花が見ている

ガン、ガン、ガン、ガンラ~イザ~♪(苦笑)

この頃はまさに締切に負われている最中で、先方が

「当時の病棟をK町(基礎自治体)が作って県立病院に運営委託しており、町は県に業務報告を求めることができるので、病院(受託者)のゴミの埋設を町(委託者)が知っていたと擬制される(ので、土地の買主たるK町は県に責任追及ができない)」

などと主張書面に書いているのを見ると

「その理屈なら、県知事自身が、報告徴収権を有する各種事業者(廃棄物処理業者、病院など)の違法行為に対し、何ら責任追及できなくなってしまうじゃないか。そんな主張を県庁が自らするなんて、正気か?」

などと(言葉を選んで)書かずにはいられないのですが、県政を巡る重大事件であることは間違いなく、こうしたやりとりに限らず、事件の内容について報道等で県民に伝えられるべきでは・・と思ったりもします。

報道対象になる事件を受任する都度、記者さん達の長時間に亘る取材要請に応じて精根尽きるほど?説明することが何度もありましたが、記事を見ると「この人、訴状提出してました」程度のことしか書いてくれず、何のために当方を消耗させるほどあれこれ聞いてきたのだろう、と残念に思うことが多いのです。

それはさておき、このエリア(亀が池)の景観自体は、病院廃棄物・・・ではなく周囲の電線を地中に埋めた方が、もっと映えるかもしれません。

(以下、次号)

わしの家の神の君

今を去ること十数年前、当家にも、天が神の君を授けて下さったのでございます。

光り輝く神の君、その大きなお姿は、狭いマンションには大層もったいなく、領民は日々、君を崇め奉り、間違っても「誰だ、こんなかさばるものを贈ってきたのは。出し入れ大変だし、物置の大半も占拠して」などという怨嗟の声は、微塵も上がることなど無かったのでございます。

ところが愚かなる領民どもは神の君への感謝を忘れ、君は岩戸にお隠れになる年が続き、天下は諍いが絶えず暗く悲しい有様となったのでございます。

すると、なんということでしょう。今年の大河で神の君が敵軍の的に・・・もとい、似たような鎧を纏って我々の前に現れたのでございます。

かくして、当家の神の君も長い年月を経て岩戸からお出ましになり、天下は再び太平に包まれることになったのでございます。

おしまい(オチなし)。

たぢから男より一言「重いのヤダ。やりたきゃ自分で物置から出して。」

(今回は、現在の大河ドラマを踏まえた戯言です)

憲法記念日が来るたび、万物の尊厳を掲げる憲法を願って

本日は憲法記念日です。憲法のおかげで司法試験に合格できた私に限らず、皆さんも憲法について何か考えていただければと思っています。

平成後期から現在まで10年以上、世論調査では「憲法改正を経験してみたいが自民党案は支持しない」という状態が続いています。

現下の厳しい国際情勢から、自民党案(自衛隊や緊急事態条項)を諦めのように?受容する比率も増えたようにも見えますが、国民が積極的に望んでいるものとは到底言えず、安全保障であれ災害対策であれ、憲法ではなくまずは個別の政策や政治家等の努力での善処を期待するのが国民世論かと思います。

言い換えれば、国民が歓迎・希望し世界に誇れるような憲法改正案は、今も国民世論には示されていません。

私は、5年ほど前から「憲法の頂点である『尊厳』は、人類(憲法13条)だけのものではない、人にあらざる存在にも個々の特性に応じた尊厳が守られるべきとの規定(万物の尊厳。憲法13条の2)を創設すべきだ」と考え、1年前に述べたものをはじめ、時折、それに関する投稿をしています。

いつの日か、国民世論に改正案を呼びかける書籍を出版したいと思いつつ、毎年のように、今年も余力ありませんでしたと書く有様が続いてはいますが。

過去に何度も書いていますが、日本国憲法が辿った歴史に照らせば、我々が最初に経験すべき憲法改正は、

・日本や世界が希求すべきであるのに現行憲法には定められていない価値に関するものであること

・日本人や日本社会が辿った長い道のりに照らしても、違和感のない価値を掲げるものであること

・判例実務の単なる追認であるとか戦争の備えのような後ろ向きのものではなく、国民や世界人類に向かって日本がよりよい社会を築こうとする姿勢を表明するものであること

言い換えれば、皆が『いいね!』と歓迎し祝福できるような前向きな規定こそが最初に行われるべき憲法改正であり、それを実現するのが、曲がりなりにも戦争を経験せずに済む幸福な時代を生きることができた、我々の責務ではと思っています。

そして、現在の人類が置かれた状況や日本(列島)の歴史風土等に照らしても、万物の尊厳こそが、この付託に応えうる改正案だと確信しています。

宮澤賢治の言葉を殊更に真似ずとも、人類の幸福もまた万物の尊厳のもとでしか成り立たないというのは自明なのですから。

当方は限られた受任費用で膨大な作業を余儀なくされる仕事ばかりが続き、書籍出版など夢のまた夢となっていますが、この言葉を、日本そして世界に、いつの日か広く伝えることができればと願っています。