北奥法律事務所

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刑事弁護とタイムチャージ

近年、私選で刑事事件を受任させていただく機会が増えています。被疑者国選の導入により、そのような機会が減少するかとも思ったのですが、被疑者国選を利用できない50万円以上の預貯金のある方や、ご本人が対象となる場合でも、ご家族からご依頼いただき受任しています。

私は、数年前から、私選の刑事事件は、原則として1時間2万円(税別)を基準額とするタイムチャージを基本とする方式(準時間報酬制)で受任する取扱とさせていただいています。ちなみに、この単価は交通事故の弁護士費用保険(日弁連LACの少額事件基準)と同じ額で、一般的な町弁にとっては、「儲からないが事務所の経費くらいは賄える程度の額」です。

米国などと異なり我が国の町弁業界ではタイムチャージは普及していないため、恐らく地方では非常に珍しく、タイムチャージで刑事事件を扱う弁護士は、もしかすると岩手では唯一なのかもしれません。

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過去の経験からすれば、とりわけ、捜査段階で決着できる(起訴されずに済む)事件では、濃密な対応が必要とされる特殊事例を別とすれば、10~30万円(5~15時間の従事)の範囲で収まることがほとんどです。頻繁に接見したり関係各所への連絡など様々な対応が要求される事件を別とすれば、国選事件と大差ない金額に止まることも珍しくありません。

実際、被疑者国選も、1回の接見に対し、1~2万円程度の報酬を算定しているようです。但し、遠方の警察署への移動時間や関係者への連絡、裁判所や検察庁への申立、申入れなど接見以外の作業については原則として報酬がありませんので、その種の作業が多い事件では、赤字リスクが高くなります。

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刑事事件は、民事訴訟で賠償や金銭等の請求をするような「特定の経済的利益の実現」を目的とするものではなく、犯罪の成否(有罪か無罪か)を巡って厳しく対立するタイプの事件も滅多にありませんので、成功報酬というものに馴染みにくい面があります。

また、刑事事件では、事件ごとで必要な作業のばらつきも大きく、「働いた分だけ報酬をいただく」というのに馴染みやすい面があると思っています。

少なくとも、弁護士が大したことをしなくとも、検察庁の取扱基準の問題として公判請求を免れる場合は珍しくありません。そのような場合に、実務の実情に詳しくない依頼主に、あたかも自分の功であるかのように吹聴して高額な成功報酬なるものを請求する弁護士がいれば、それは詐欺とか消費者被害とか言うべきものだと思います。

もちろん、弁護人の努力で一定の成果が生じた場合には、成果報酬的要素が加味されてよいとは思いますし、高度な知見を必要とする特殊な弁護活動をして相応の成果を挙げたり、献身的な努力で早期釈放を実現するなどした場合には、相当の加算がなされるべきと思います。ただ、その場合でも、時間給換算で極端な高給になるのは疑問ですが。

聞くところでは、米国では、刑事弁護(私選)はタイムチャージとするのが通例であり、また、(上記のような成功報酬に馴染む事件を別とすれば)弁護人が成功報酬の名目で高額な金員を請求するのは間違っているという考えが強いのだそうです。

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幾つかの事務所(とりわけ「刑事専門」を謳うものなど)のサイトでは、1件あたり一律に数十万円の報酬を掲げるものが少なくありません。

もちろん、無罪を獲得するため膨大な弁護活動に明け暮れるような事件では、そのような金額で問題ない(やむを得ない)と思います。タイムチャージでも、まさにそのようなタイプの事件では、原則として、相当に高額な報酬をご負担いただく点は変わりありません。

しかし、「事実を争っておらず、大がかりな被害弁償等も要せず、接見やご家族等との連絡調整の頻度も高くないため、全部で10時間に満たない仕事しかしない」程度の事件でも、何十万円もの報酬を当事者に負担させているのであれば、同業者の目で見ても暴利と感じます。

上記のようなケースでも、何か問題が生じたときにきちんと動いて貰えるよう、念のため私選弁護人を選任しておきたいとの申出を受けることはあり、その場合、危惧された事態が生じず限られた従事時間で終了した場合には、それに相応しい低額の報酬に止めるべきだと思います。

タイムチャージでなく、弁護士の裁量で決めている方々も、その点はわきまえを持って対応されているのではないかと思いますが、少なくとも時間簿を作成しておけば、算定に変に頭を悩ませることもなく、依頼主にも安心して説明できる面があると思います。

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もちろん、刑事事件に限らず、「依頼主のご予算に限りがあるものの、事件の性質上、正しい解決を得るため無理をしてでも弁護士が奮起して励まなければならないケース」は多々あります。

そのような場合には、(一部の弁護士或いは事案等を別とすれば)弁護士が、上限を超えた部分の請求は差し控えるという形で、経済的には泣きを見ざるを得ないことが珍しくなく、その点は、タイムチャージ形式でも代わりありません。

だからこそ、短時間で相当な経済的成果など適正な利益を依頼主にもたらした場合には、少なくともタイムチャージ単価を控え目な額に設定しているのであれば、相応の成果加算がされるべきだと思いますし、それは、結局は、依頼主との信頼関係を前提とした弁護士の裁量判断を尊重していただかざるを得ない面があります。

結局、タイムチャージ(を基本とする準時間報酬制)という試みは、これまでドンブリ勘定で行っていた報酬算定に関する作業を、より合理的、客観的にしようとする様々な営みの一つという位置づけになるのだと思います。

少なくとも、「1回の手術と1週間の入院で済んだ人」と「半年以上の入院をして何度も難しい手術を受けた人」が、「手術を要した」というだけの理由で同一の金額を請求されるというのであれば、それは明らかに違和感があり、前者に過大な請求をして、後者の赤字を補填しようとしているのではという疑念を禁じ得ません。

弁護士業界における費用の算定は、これまでそのような傾向がなきにしもあらずで、弁護士費用を巡る価値観の違いなどの問題もあって、それを完全に克服することは困難だとは思います。

タイムチャージに限らず、費用に関する議論をもっとオープンにすることで、合理的な費用のあり方について、理解や実践が深まっていけばと思っています。

加工食肉の提供による食中毒事故と製造物責任(事例紹介)

盛岡にも進出しているステーキチェーン店で販売されたサイコロステーキについて生じたO157の食中毒事故に関し、チェーン店を展開しているフランチャイザー(本部)であるX社が、サイコロステーキの製造元Y社に対し、製造物責任等を理由に12億強を賠償請求したものの、棄却された例(東京地判H24.11.30判タ1393-335)です。

裁判所は、当該サイコロステーキ(生鮮品を加工した結着肉)について、 現在の食肉技術では内部にO157の混入を完全に防止するのは困難であり、中心部までよく加熱することを前提とした食材として、広く流通しているとの事実を認定し、それを重視し製造上の欠陥も指示説明・警告上の欠陥も認められないとしています。

流通実態やそれを支える法的規制の状況等を踏まえて欠陥の有無を判断するという点は、加工食品に限らず応用範囲が広いと思われ、製造物責任が問われる事案では参考になると思われます。

 

日弁連CM問題と、今こそアピールすべき弁護士像を考える

私はTVで視たことがありませんが、日弁連が全国的に放映しているCMがあるのだそうで、業界内では何かと話題になっています。http://www.youtube.com/watch?v=8bVRpp18zAg

ネットで流布されている噂話?では、このCMに5000万円もの会費が使われているのだそうで、私に限らず、若い世代を中心に、いよいよ厳冬期に突入し始めた弁護士業界では、「金(会費)返せ」と怨嗟の声が巻き起こっているようです。

それはさておき、私は弁護士の本質は傭兵だと思っていますので、このような「フレンドリー路線」で弁護士という商品を売りだそうという考え方には、どうしてもついていけないものを感じてしまいます。

私自身は、弁護士の典型ないし理想像は、権力者はもちろん大衆にも媚を売ることなく叩き上げのスキルと専門家の根性で黙々と自分のやるべきことを孤独かつ無愛想にこなしていく「ドクターX〜外科医・大門未知子〜」のようなものだと思っています。

なので、仮に、私がCM制作に携わる立場なら、今回の日弁連CMとは真逆の作品を作ろうとすると思います。例えば、こんな感じです。

①最初に、人々が無惨に殺される戦争や昔の酷い暴力などのシーン。

②場面が変わり、スーツ姿の弁護士が「異議あり!」などと宣言し、厳しい論調で相手方を問いつめ、誤りを認めさせる(堺雅人氏を起用?)。

③そして、「私達の社会は武器を捨てた。しかし、理不尽な仕打ちが社会からなくなったわけではない。それと闘うために、法と弁護士があります」などといった趣旨の言葉をナレーション。

④場面が変わって、現代の、理不尽な目に遭わされている弱者を大きくクローズアップするシーンを出す(例えば、夫に蹴飛ばされる妻(或いは上司と部下)とか?逆の方が今どきかもしれませんが)

⑤最後に、「理不尽に負けるな!私達は、貴方と正義のために闘います」との文字を表示してCM終わり。

ニコニコするだけなら、他士業でも、それ以外の人でも、誰にでもできます。しかし、依頼者の権利と法の正義のためにどこまでも闘うことは、我々にしかできません。

弁護士は敷居が高い、と言う人はこれまで沢山いました。このようなCMが出てくる背景にも、そうした主張があるのかもしれません。

しかし、「弁護士が敷居が高い」との主張は、正しい事実を描いたものとは言えません。

多くの日本人にとって本当に敷居が高かったのは、弁護士という職業ではなく、まして個々の弁護士そのもの(例えばこの男、小保内義和)でもありません(目つきの悪いベテラン方が沢山いるとの話はさておき)。

敷居が高かったのは、闘うことそのものだと思います。

これまでは、自分の権利、自分の正義を守るため、闘うことには躊躇する人、或いは、そこまで追い詰められていない(と感じる)人の方が圧倒的に多かったと思います。だから、傭兵である弁護士と関わることに、得体の知れぬ異形の文化と接するような違和感を持っていたのであり、それと「保険のないオーダーメイド傭兵」ゆえの費用の高さなども相俟って、「敷居が高い」と形容していたに過ぎません。

今、その前提自体が、様々な面(闘うための法制度の整備、コスト、闘争を余儀なくされる場面の増加、そして人々の気質等)で、着実に変わりつつあると思います。

だからこそ、人々が、他者と利害が衝突したとき、自身の正しさを世に問うことを諦め衝突現場から退くことを是とするのではなく、自己の正しさを主張し闘うことを鼓舞すること、そして、弁護士の数が大量に増えた今こそ、それを適切に補佐する専門職として、これまで以上にその役割が果たせるのだと喧伝することが「日弁連の広告」に求められているものではないかと思うのですが、いかがでしょう。

ちなみに、この点は、日弁連評論家で有名な小林正啓先生のブログを参考にしています。 http://hanamizukilaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-76f3.html

このような、ある意味、「和の国」に相応しくない存在として弁護士を考えていく観点からは、キャッチコピーだって、あんな「ニコニコしまくり」みたいな雰囲気とは、真逆のものを用いるべきだと思います。

例えば、こんなものはどうでしょう。

“貴方に嫌われたっていい。貴方の役に立ったのであれば。”
“社会に嫌われたっていい。明日の社会を守ったのであれば。”

それこそ、弁護士が依頼者に色々と面倒な準備作業を要求するものの、それが奏功して裁判官が良い心証を示すような「妙薬は口に苦しバージョンのCM」もいいのではと思います。

さらに言ってしまえば、「ニコニコのアピールをしようとする弁護士(ガッキー氏?)が最初に出てきて、それを『そんなのはダメだ』と押しのけて、闘うことをアピールする弁護士(堺雅人氏?)が出てくるようなCM」というのも、話題性という点では面白いかもしれません。

とまあ、いつも誰かに嫌われている?僻み根性たっぷりの私としては、ニコニコだらけのCMを見ていると、このようなことしか考えつかないのでした。

ま、ここに書いている程度のことは、日弁連のお偉いさん方や優秀な広告代理店の方なら重々承知のはずで、それでも深慮遠謀があって、今回のようなCMを作っているのだろうと解釈しています。例えば、社会が、揺り戻しの時代に向かっているからこそ、弁護士という、ある意味では西洋的近代化を象徴する側面のある存在が社会から排撃されないよう、慎重な対応をとっているという見方もあるのかもしれません。

ですので、このCMの反響も含め、この種の「フレンドリー路線」がどのような帰結をもたらすか、片隅で見守っていこうと思っています。

 

盛岡青年会議所の卒業に寄せて

JC(青年会議所)は入会資格を40歳までとしているため、盛岡JCの12月の例会は、必ず年限に達した会員の卒業式として行われています。

平成17年入会の私もついに年限に達し、7日の例会にて卒業させていただくことになりました。

私は、主として仕事と家庭の都合により3年目(平成19年)頃から本格的な参加が困難になり、一部の行事だけに顔を出す程度の関わりしかできませんでした。

例外として、平成19年に出会った岩手県知事マニフェスト検証大会だけは、私らしさを発揮でき、JCも私を求めていると思うことができる唯一の機会だと思って、平成21年、23年の際にも相当にエネルギーを投入して関与しましたが、そんな身を嘲笑うかのように、23年は開催目前に震災が発生して中止となり、その後、マニフェスト現象の廃れに伴い、行事自体が立ち消えとなってしまいました。

入会時に一番お世話になった方は、その年の終わりに信じられない話で退会を余儀なくされ、その後も、同期で特に親しくなった方に限って入会早々に継続困難な事情が生じ退会や休眠をしてしまったり、大いにお世話になった方にありえないはずの不幸が生じたこともありました。

今も、どうしてこんな出来事ばかり起きたのか、参加環境の問題に限らず、どうして自分とJCとの間には引力ではなく引き離す力ばかりが働くのか、不思議でしょうがないと思わずにはいられません。

まあ、引き離す力ばかり働くという面では、弁護士会も似たようなものと感じており(こちらは親しくなった方に不幸が起きたわけではありませんが)、恐らく、そのような星を持って生まれてきた人間なのでしょう(高校入試のときの呪いなのだろうかと思わないでもありませんが)。

ともあれ、今さら愚痴を言っても仕方のない話で、すべて自分の責任として受け止めるほかありません。

卒業式では、僭越ながら私も卒業生の一人としてスピーチをさせていただきましたが、緊張等で言えなかったことが4点あり、そのうち3点について、他に述べる機会もありませんので、勝手ながらここで述べたいと思います。

ここからは、盛岡JC関係者向けの内容になりますので、他の関係の方は、基本的にスルーしていただければと思います。

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一つは、現役会員の方にお伝えしたかった、清水先輩(元盛岡JC理事長)の言葉です。

私が、まだ幽霊会員にはほど遠かった平成18年当時、私は、新入会員の勧誘等を担当する委員会(拡大委員会)の幹事をしていましたが、担当副理事長が清水さんで、同窓の先輩ということもあり、色々とお話を伺う機会がありました。

そのとき、清水さんがよく話していた言葉で、頭から離れずに覚えているのが、「JCに沢山参加できる者は、参加したくても参加できずにいる人の気持ちをよく考えて欲しい」というものでした。

当時の私は、幽霊化するつもりなど毛頭なく、「私のような余所者が、その土地の人間になるのに3代かかるのを、1代で達成できるのがJC」などと嘯き、休眠して全然参加しようとしない同じ委員会の方に、自分達がこんなに時間を犠牲にして頑張っているのにと不満すら持っていました。

しかし、それから1年も経たずに幽霊化に陥り、一部の行事等だけ辛うじて申し訳なさそうに出てくる身になり果てると、上記の言葉が肌身に浸みてきます。

JCは、参加できる人を中心に動かしている組織なので、諸行事の戦力として参加できず、かつ、行事の設営に直接役立つ特殊技能も持ち合わせていなければ、JC以外の場(生い立ちや仕事等)で中心戦力の方々と人間関係を築いていることもない私のような身では、どうしても、次第に居場所がなくなってしまうことは避けられません。

それだけに、たまに参加した行事で何人かの方から暖かく声をかけていただけると、とても救われた気持ちになり、またいずれ復活したいとの気持ちを持ち続けることができたのではないかと思います(といっても、結局は一部の行事だけ辛うじて出てくる中途半端な状態を解消することはできませんでしたが)。

私の知る限り、参加環境に恵まれない人間に暖かい態度で接する文化がある団体は、JC以外には存じません。

そうした意味でも、この文化は絶やさずに大切にしていただきたいと思っています。

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第2点は、私から1期あと(平成18年)に入会した方々への感謝です。

もともと、平成16年に東京を引き払う以前から同業の先達にJCを勧められていたこともあり、JC関係者に誰一人として知人等のないまま、強い意欲を持って入会し、当時は強い期待をかけていただいた私でしたが、結局は、その期待に応えることができませんでした。

JCでの責任を果たせなくなった私に代わり、本来なら私がその責任を果たすべき時期に、その役割を担う一番の中心となったのは、私が拡大委員会の不肖の幹事としてお会いした、本年度の浦田理事長をはじめとする平成18年に入会した方々でした。

ですので、この方々には、今も頭が上がらないという気持ちを強く持っています。と同時に、その方々に限らず、その後にJCで活躍された皆さんには、羨望や嫉妬ではなく、感謝とお詫びの気持ちしかありません。

反面、そのような気持ちのまま、卒業することを余儀なくされましたので、本当は、卒業式に登壇する資格もないのですが、卒業式を迎えることができなかった大恩ある先輩へのけじめとして、恥を忍んで参加させていただいたというのが、正直なところです。

ただ、拡大委員会で親しくなれた新入会員の方々がJCの中心メンバーとなり、その活躍ぶりを嬉しく感じることができる面があったからこそ、辛うじて卒業式まで心が折れずに済んだのではと思われ、その意味で、あのとき、幹事を拝命できて本当に良かったと思っています。

ところで、私にとって、「後から来たのに追い越され」という経験をしたのは、このときが初めてではありません。

平成9年に司法試験に合格した際の体験記でも書いたことですが、卒業2年目という、当時の中央大生としては比較的早い時期に合格できた大きな理由の一つが、その前の年(私にとっては卒業1年目)に、同じ受験サークルに加入していた2人の後輩が在学4年で合格したことでした。

もちろん、薫陶という意味でなら、多くの先輩方に多大な薫陶を受けましたが、運悪く合格が遅れた方も含め、自分にとっては雲の上の方々でしたので、何を聞いても自分には縁遠い人の話という実感がありました。

2人の後輩は、私よりも才能に恵まれた人達だということはよく知っており、現役合格そのものには全く驚きませんでしたが、一番、心に刻まれたのは、自分は彼らがまだ法律のことを何も知らないときの姿を知っている、その彼らが、私よりも物凄い質量の勉強をして先に合格していく姿を間近で見て、自分は彼らよりも遥かに才能が劣るのに、彼らがこなした勉強量すらこなしていない、それでは嘆く資格すらないではないか、ということでした。

そして、それ以来、1年間、本当に死に物狂いで勉強したところ、不思議な運と勢いが生じ、十分な学力も備わっていなかったのに合格してしまいました(反面、分不相応な合格者として苦労と心労を背負う羽目になりましたが)。

翻ってJCですが、残念ながら、今回は、私も1期下の方々の勇姿に背中を学んでJC運動に邁進する、という流れには進めませんでしたが、地域社会に生きる右でも左でもないノンポリ的な法律実務家として、JC的な理念のもと、地域のためにできること、すべきことは幾らでもあるとは思っており、その際、この方々の姿が、自分にとっては大きな指標、目標になると思っています。

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3点目は、企業人という立場からのものです。

先日、同じく元理事長である金子先輩から、「小保内は青年経済人として頑張ったのだから、JCの事業への関わりに悔いが残ったとしても、恥じることはない」とのお言葉をいただきました。

実際、「弁護士として盛岡に事務所を構え、岩手(ひいては北東北)の人々の役に立つこと」が、私の前半生の目的ないし存在意義そのものでしたので、この10年間、様々な方が困難を解決していくためのお手伝いを地道に続け、曲がりなりにも大過なく事務所を維持できたことは、今も心からホッとしています。

また、当事務所は弁護士1人で支えている雇用の数も岩手では最も多い部類に属しており、その点は、5年程前までの岩手に厳然と存在した弁護士過疎や債務整理特需による受注過多という特殊事情があったとはいえ、ささやかながら誇りとするところです。

現在、数年前とは町弁業界を取り巻く状況が大きく変動し、この体制を来年も維持できるか正念場を迎えていますが、JCに十分な関与できなかった分、せめて弁護士そして企業人としては、多少の悪あがきも含め、自分を支えて下さる方々に恥じることのない生き方をしなければと思っています。

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卒業式の懇親会で、卒業生の面々が、JCの思い出を川柳にして詠むという一幕がありました。

残念ながら、私にはあの場で詠むに相応しい言葉が思いつかず、他の方のお力を借りてお茶を濁すような対応をしてしまいましたが、色々と言葉が湧き上がってくることも抑えられませんでした。

そんなわけで、洒落の類かどうかはさておき、幾つか思い浮かんだ言葉を紡いで、私なりの卒業のご挨拶とさせていただきます。

卒業の前日もまた事務所泊
月明かり悔い残してか光る頬
閑かなる骨身に浸み入る皆の声
寒空に逝く兵は道半ば
果たされぬ夢が脳裏をかけ廻る

 

利益相反問題に関する苦悩と対策

今回は、主として同業者の方に向けた投稿です。以前にも書きましたが、利益相反系の話です。

先日、10月に事務所である相談を受けた件で、今月、その方(Aさん)から受任依頼のお電話があったのですが、調べたところ、1ヶ月前(11月)の法テラス岩手の相談担当日に、その事件の相手方(Bさん)からご相談を受けていたことが判明しました。

当然、Bさんと法テラスの相談室でお会いした際、相手方(Aさん)から1ヶ月前に相談を受けていたなどということを覚えているはずもなく、事前知識等が一切ないとの前提で普通に応対していたことは申すまでもありません。

で、Aさんのご依頼も、曲がりなりにもBさんからも相談を受けてしまった以上、職務規程(弁護士倫理)により受任不能となってしまい、泣く泣くお詫びしてお断りさせていただきました。

当然ながら、今後、もしBさんから受任希望のお電話をいただいたとしても、同様にお詫びしてお断りさせていただくことになります。

Bさんとは、お会いしたのが法テラスの事務所ということもあり、名刺をお渡ししたかも定かではなく(受任方向で協議した場合でなければ、名刺はお渡ししていません)、今回は、たまたま、Aさんの電話のあと、事務局が気づいて指摘したため発覚したというもので、その指摘がなかったら、私はもちろんBさんも気づかないまま、Aさんの代理人としてBさんと対峙していたということも、ありうると思います。

で、さすがに、このようなことを繰り返すわけにはいかないということで、最低限の策として、これまでは単発的なご相談の方は、相談票等を紙で保管していただけだったのですが(事件依頼者についてはエクセルのデータベースがあります)、氏名等のデータベースを作りました。これにより、今後は原則として相談のみの方でも全件を入力し、新規相談の際に、利益相反チェックをしていこうと思っています。

ただ、そうはいっても、今回のように、法テラスで突然、相手方が相談にお見えになるようなケースでは、これを防ぐことは非常に難しいです。今後は、そのデータベースを相談室にも持参する方向で対処したいとは思いますが、法テラスや弁護士会、市役所相談などにすべて共通している、相談直前に担当弁護士にカードを渡す=氏名を知らせるこれまでのスタイルだと、万全を期すのには限界が大きすぎます。

やはり、以前の投稿にも書きましたが、出先機関での相談については、最低限、前日の夕方にその時点で予約がなされた方のリスト(最低でも氏名、できれば相談のテーマも)をメールやFAX等の適宜の方法で、事務所までお伝えいただくシステムを導入していただきたいものです。

私のような下っ端の窓際弁護士が何を言っても変わらないのでしょうが、利用者の方(或いは政治家?)の苦情という形で伝えていただければ、案外、実現するかもしれませんので、これら(法テラス、弁護士会、市役所など)に影響力をお持ちの方は、ぜひご検討いただければ幸いです。

暴論の類ですが、例えば、公的機関の利用者の方々が、一斉に、受付の担当者に申し込みの電話をする際に、「その日の担当弁護士を教えて欲しい、併せて、その弁護士に、以前に相手方から相談を受けたことがないか確認して欲しい」と要請する(それを受付担当者が嫌がったら、あれこれ不満を言って改善を求める)ような事態にでもなれば、運営サイドも困り果てて重い腰が動くことがあるのかもしれません。

それが嫌だというのなら、最低限、上記のようなケースでは「Bさんの相談カードは直ちに破棄し、情報はすべて忘れる(一切の流用をしない)ことを前提に、Aさんからの依頼を受けても良い」と、職務規程を変えることも考えていただきたいものです(といっても、こちらは無理筋だとは思いますが)。

この種の問題は、紹介ではない形(公的機関やネット等)による弁護士への相談や事件依頼が一般的になっている現代では、小都市などでは幾らでも生じる話だと思われ、これを弁護士会が看過し放置し続けるのであれば、それは、悪だ(受任者(弁護士)の問題だけでなく、利用者にとっても重大な障害である)と言わなければならないと思います。

同業者の皆さんが、この種の問題についてどのような対策をとっておられるか、ご教示いただければ幸いです。

子を虐待した親が、その子の死亡で巨額賠償を得た判決と立法論

子Aが、両親Xらに虐待されている疑いがあるとして、Aの入院先の病院Y1の通告により、一時保護のため児童相談所に入所した後、児相職員のミスでアレルギー物質を含む食べ物を口にした直後に死亡した場合に、両親が児相を運営する市Y2にXの損害等として数千万円の賠償請求を認めた裁判例を少し勉強しました。
横浜地裁平成24年10月30日判決・判タ1388-139です(Y2市が控訴中とのこと)。

事案と判決の概要は次のとおり。

X1・X2の子であり当時3歳のAは、H18.6当時、Y1(独法・国立成育医療研究センター)が開設する病院に入通院して治療を受けていた。

Y1は、XらがAに適切な栄養を与えておらず必要な治療等を受けさせていない(いわゆるネグレクト)として、Y2(横浜市)が設置する児童相談所(以下「児相」)に対し、児童福…祉法25条に基づく通告をした。

児相の長は、7月にAを一時保護する決定(同法33条)をした。
Aは、卵アレルギーを有していたが、保護先の児相職員が約3週間後、Aに対し誤って卵を含むチクワを食べさせてしまい、Aはその日に死亡した。

XらはY1に対し、自分達は虐待していないのにY1が虚偽の通告をしたとして、慰謝料等各275万円を請求した。

また、Xらは、Y2に対し、①本件一時保護決定等が違法であり、Aに面会等させなかったことを理由に慰謝料各150万円、②Aの死亡に関し、死亡の原因が卵アレルギーによるアナフィラキシーショックによるもので、チクワを食べさせた児相職員に過失があるとして、Aの損害約6400万円の相続及びXら固有の慰謝料各500万円などの支払を請求した。

Yらは、Xらに虐待行為があったので、Y1のY2への通告やY1の一時保護等は適法と主張し、Aの死亡についても、アナフィラキシーショックではない他の原因によるものとして、因果関係を争った。

判決は、XらのY2に対する請求は計5000万円強(1人2500万円強)を認容し、Xらの対Y1請求は棄却した。

まず、Y1のY2への通告(が違法か)については、XらがAに必要な栄養を与えておらず、Aにくる病(栄養不足等による乳幼児の骨格異常)を発症させ、適切な時期に必要な治療等を受けさせていなかったと認定し、通告は必要かつ合理的で適法とし、対Y1請求を棄却。

次に、Y2の一時保護決定等についても、上記事実関係やY1の医師がAの検査等をしようとしてもXらが同意せず治療等をさせなかったとして、同様に適法とした。

他方、Aの死亡(卵入りチクワの提供)については、本件では、摂取から発症・死亡までの時間が通常よりも多少の開きがあるが、発症までの時間はアレルギー物質が吸収される時点によっても異なり、本件では吸収が相当程度遅くなった可能性があるとして、Aの死因が当該チクワの摂取によるアナフィラキシーショックによるもので、Y2職員の過失も認められるとして、Y2にXへの賠償責任があるとした。

損害額については、近親者慰謝料(Xら各200万円)を含め、上記の金額の限度で賠償を認めた。

判例タイムズの解説には、一時保護決定に関する議論や学校給食でアレルギー物質を含む食事を採った子が死亡した事案などが紹介されています。

が、反面、「虐待親が、虐待に起因して行われた児童相談所への一時保護の際に生じた事故に基づく賠償金を自ら取得することの当否」については、何ら触れられていません。この裁判の中でも、権利濫用等の主張はなされていないようです。

Xらの相続権について考えてみましたが、ざっと関連条文を見た限りでは、Xら自身がAを殺害したわけでないので、相続欠格事由(民法891①等)にはあたらないと思われます。また、被相続人(A)を相続人(Xら)が虐待した場合には、相続人から廃除することができますが(民892条)、その申立は、被相続人(A)のみができるとされ、本件のような場合にはおよそ実効性がありません。

また、Xらの請求を権利濫用と評価する余地があったとしても、Y2の過失そのものは否定しがたく、これを理由にY2の責任を否定するというのも疑問です(Xらも悪いがY2職員も過失があり、前者を理由に後者を免責すべきではありません)。但し、本件ではY2が死亡原因が他にあるとして因果関係を争っており、それが認められれば、賠償額は大幅に減額されますが。

このように考えると、「自ら悪質な虐待行為をしてAの死亡の遠因を作った本件Xらが、Aの死亡で巨額の賠償金を手にするのは不当だから阻止すべき」という価値判断を実現するには、「親の虐待に起因して子が死亡した場合には、公的機関の請求により、親の相続権を制限できる」といった法律を制定するないのではないかと思われますが、どうなのでしょう。

ちなみに、虐待親の親権を制限する趣旨の法改正が昨年に行われていますが、親権の制限は相続権の剥奪とは関係がないと思われ(相続権にまで手をつけた改正にはなっていないのではないかと思われます)、本件のような例でその改正を活かすことも難しいのではと思われます(但し、24年改正はまだ不勉強なので、そうでないとの話がありましたら、ご教示いただければ幸いです)。

なお、虐待親が自ら子を殺害したのに等しい場合は、全部の相続権を剥奪すべきでしょうが、そこまでに至らない場合や親側にも酌むべき事情がある場合には、全部廃除でなく部分的には相続権を認めてもよいのではと思われ、そうした判断は、家裁の審判に向いていると考えます。

また、虐待親の相続権を制限した場合に、回収された賠償金は、同種事故の防止や虐待児の福祉など使途を特定した基金とすれば良いのではないかと考えます。

もちろん、このような考え方自体が、財産権に対する重大な制約だとして反対する立場の方も、我が業界には相応におられるかもしれませんが。

我ながら価値判断ありきのことを書いている気もしますので、あくまで議論の叩き台になっていただければ十分ですが、お気の毒なお子さんの犠牲を粗末に扱わないためにも、こうした事件から、現行法や実務のあり方などに関心や議論が深まればよいのではないかと思っています。

H26.2.12追記

この件の控訴審は、Aの死因がアナフィラキシーショックによるものと断定できず、Y2が主張する他の死因(右心室に繊維化した異常部位が混在していることに起因する致死的不整脈による突然死)の可能性も否定できないので、本件食物の摂取とAの死亡との間に相当因果関係を認めることができないとして、Y2に対する認容判決を取り消し、Xを全面敗訴させています(判例時報2204号)。

離婚に伴う退職金の分与と分割について

給与所得者の方の離婚事件では、退職金の財産分与が論点となることが珍しくありません。

この場合、退職が間近の方であれば、退職金の予定額を確認し、中間利息を控除した額の半分(原則)を配偶者に分与することになります。

これに対し、退職まで相当の年数のある方であれば、現時点で自己都合退職した場合の金額を算出し、その半分(原則)を分与すべきというのが一般的な取扱です。

退職まで非常に多くの年数があり、定年退職時に勤務先が確実に退職金を支給すると言えるか不確定要素が大きい場合(企業の存続などを含め)には、退職金の財産分与を認めるか争いがあります。退職金の財産分与の可否が争点となった事件を取り扱ったことがありますが、裁判所の相場観もまだ確立していないように思われます。

この点、年金については分割制度が法律で確立されましたが、かつては年金の財産分与についても、これと似たような争いがありました。

結論として、裁判所の判断で退職金の支払義務が認められたものの、一括払をする原資を持ち合わせていない方で、支払の実施をどのようにするか問題になりました。

このように、離婚時の一括払型だと、支払う側には債務額をどのようにして調達するかという問題が、受け取る方には自己都合退職など低い計算方法で支払額が定められてしまうという問題があるため、これが常に正しい方法とは言い難い面があるように思われます。

深く検討した上での提案ではありませんが、個人的には、退職金についても、年金と同様に、退職時に分割して離婚した配偶者に対象額(総額のうち婚姻期間に該当する額につき原則として半額相当)を直接に支払う制度を設けてもよいのではと考えます。

仮に、退職者に問題行動があって退職金の全部又は一部の支払が拒否される場合にも、配偶者に帰責事由がないのであれば、配偶者の按分額については、原則として全部ないしそれに準ずる額を支払うことにすれば、その後の不正行為で離婚配偶者も退職金の受け取りができなくなるという問題は回避できます。

ただ、勤務先にとって見れば、巨額横領など退職金の全部不支給をしなければならない事案で、過去にその従業員と離婚した配偶者に一定額を支給しなければならないというのは、不満が生じるかもしれません。

その点は、保険などで賄う(その上で、保険会社がその部分について従業員に求償する)という仕組みなどが考えられますが、従業員夫婦の関係次第で退職金に関する事務が影響を受けるというのは企業側にとって抵抗が残るでしょうから、その点は大きな障壁となるとは思います。

もちろん、当事者が、すぐに調達できたり、多少の減額を容認してでも直ちに受け取りたいと希望する場合には、現在のスタイルで問題ないのでしょうが、当事者がいずれかを選択できるような仕組みはあってよいのではと考えます。

信頼関係を築くのが難しい方からのご依頼に対する苦慮

この仕事をしていると、1年ないし数年に1回くらいの頻度で、非常に残念な相談者(事件依頼を希望される方)にお会いすることがあります。

抽象的に言えば「事件そのものは決して看過できない(重大な争点があり、勝訴が確実とは言えず敗訴リスクも高いが、取り上げる価値や意義は否定できない)ものの、当事者の方の個性等が強すぎ、結果として弁護士=私との間で長期の訴訟を行っていくために必要な信頼関係を築くことが著しく困難と認めざるを得ない方」です。

もう少し具体的に言えば、勝訴が困難と思われる争点で、その難しさ(裁判所の一般的な判断傾向)などをご説明しても、それを決して受け入れることなく、否定的なニュアンスを伴う弁護士(相手方の代理人ではなく、ご自身が相談を依頼して相対している弁護士)の説明にも直接的に強い怒りや敵意を表明したり、効果的とは言い難い主張や立証方法に固執し、弁護士にその方針に沿った煩瑣・膨大な作業を求め、それに難色を示すと強い不満を表明してくるような方、ということになります。

また、そのような方は、最初(初対面)の相談時から非常に感情的になっているため、相談時間に事案の争点整理や主張・立証方法の確認などといった基本的な作業ができず、延々と、従前の交渉経過での相手方の担当者等への不満を強い口調で述べ続けるなど、当初から受任事務の継続に必要な対話の成立に困難さを感じるのが通例です。

もちろん、当方も絶対に勝てると判断した事件しかお引き受けしないというスタイルで仕事をしているわけではありませんので、難しい争点のご相談で、弁護士としての概括的な見立てをお伝えした場合に、一応はその説明を謙虚に受け止めていただいた上で、なお、一緒に戦って欲しいとの真摯な申出を受けた場合には、着手金をはじめ相応の条件を付させていただいた上で、お引き受けすることも少なくありません。

そのような経緯でお引き受けした場合、当方も、事件には依頼者のご希望も含めた私なりの見立てに沿って全力で取り組んでいますので、争点そのものが勝訴的な判断が得られなかったとしても、言い分を尽くした上でやむを得ないと一応は納得したとして、何らかの解決(例えば、若干の解決金などの敗訴的な和解)を受け入れていただいているのが通例です。

しかし、最初から、ご自身の意に添わない説明等を受け止めることを感情的に強く拒否し弁護士に対し自己の意に添う行動を求める姿勢が強い方などに対しては、「この方とは信頼関係を築くのは無理」として、お断りせざるを得ないことがあります。

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先日、「訴訟の途中で依頼者と代理人(受任弁護士)との間で方針の違いが顕著になり、依頼者が代理人の方針に強い不満等を表明し、訴訟の中で重要な位置づけになっている相手方の反対尋問のための打合せを直前にキャンセルし、尋問そのものが困難になったため、やむなく代理人が辞任したのに対し、依頼者が代理人に対し賠償請求した例」を少し勉強しました(東京地判H24.8.9判タ1393-194)。

判決は、次のように判示し、依頼者の請求を棄却しています。

「本件の事実経過を総合考慮すれば、受任者Yは、代理人辞任までの全体を通じ、依頼者Xの意向を可能な限り尊重し誠実に受任事務の遂行にあたっている。

Yは、Xの要望に裁判所が消極姿勢を示している等の説明をしたのに対し、Xが直接的かつ明白に不満ないし不信感を露わにした態度を示すなどのやりとりが続き、それでもYがXの意向に添う尋問案を作成して打合せの準備を進めていた。

ところが、Xが一方的に打合せをキャンセルし、その理由にYへの不信感を背景とする投げやりな態度を示したことなどから、YがXから訴訟を受任し続けていくため必要な信頼関係が損なわれ、尋問打合せの直前キャンセルを機に、決定的に破壊されたと認定できる。

よって、Yの辞任はやむを得ない(民651Ⅱ)もので、賠償責任は成立しない。」

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結婚や継続的な商取引などと同じく、一定の期間、密接な関係を築かなければ所期の目的を達成できない者同士は、その目的を達成するため必要な信頼関係の構築ができないと見込まれるのであれば、関係の構築そのものを回避せざるを得ない(それが互いのためである)ことが多々あります。

勝ち負けの判断が難しく、真剣に戦っていくのなら弁護士には非常に多くの作業が要求されざるを得ない事件について依頼を希望される方におかれては、願わくば、意中の方に求婚や交際を申し込むとき(或いは、申し込むかどうかを検討しているとき)のような慎重さをもって、弁護士とも相対していただければ幸いです。

 

温泉の権利を巡る法律問題

何年も前、雫石方面に所在する温泉宿が使用している温泉の利用権に関するご相談を受けたことがあります。

その際、温泉権(源泉権)に関する知識が皆無に近かったため専門の書籍も買い求めたりしたのですが、残念ながら温泉に関する相談を受けたのは、その一度だけで、訴訟等に発展しなかったこともあり、本も持ち腐れの状態が続いています。

実際、岩手に戻ってきて10年ほど経ちましたが、温泉権に関する訴訟などの話は聞いたことがなく、全国的にも温泉権に関する訴訟はほとんどないと思われます。

古い記録を整理していたところ、昭和63年に仙台高裁で、盛岡市郊外の繋温泉を舞台とする温泉権を巡る紛争の判決があったことを見つけました(判時1285-59)。

温泉権が鉱泉地(源泉の湧出する土地)から独立した物権としての権利が認められるか、肯定するとして、その公示方法(対抗要件)はどうするかなどといった、この種の問題に関する基本的な論点が対象となったようです。

昨年に亡くなられた先生が当事者の代理人を務めているなど、時の流れを感じさせる面があります。

温泉開発が廃れたせいか、温泉権を巡る紛争もほとんど聞かない状態が続いていますが、温泉地の衰退による廃業、倒産などが続くようであれば、いずれは源泉権の処分やそれを巡る紛争なども生じてくるのかもしれません。

豪雨災害による個人の損害と裁判

ここ数年いわゆるゲリラ豪雨等による災害や大規模冠水などのニュースが珍しくありませんが、こうした災害で損害を被った方が誰かに賠償を求めて裁判を起こしたという話は、滅多にないのではないかと思います。

先日、判例雑誌で「豪雨による冠水で車両が走行不能(全損)になったため、所有者が自治体に対し、道路の設置管理に瑕疵があると主張し、車両の賠償を請求した事件」を見つけました。

この件では、降雨量が「記録的短時間大雨情報」に遥かに及ばないもので、自治体に予測可能なものであったことや自治体が通行止めの措置をするのが遅れたことなどを理由に道路管理の瑕疵が認められていますが、過失相殺が7割とされ、認容額は僅か11万円に止まりました(津地裁四日市支判H23.10.21判例地方自治371-74)。

車両の損害だけだと請求額も大きくはなりませんので、このような訴訟は勝っても費用倒れのリスクが高いのではないかと思いますが、自動車が絡む話なので、もしかすると、弁護士費用特約を利用して費用負担無しで裁判ができたのかもしれません。

ただ、準備等の手間を考えれば、11万円しか得られないとなると経済的には割に合わず、勝訴による被害感情の充足そのものを目的とする意識が強くなければ、精神的に挫けてしまいそうな気がします。

岩手では、8月に県央部で豪雨による大災害が生じていますが、この件では「記録的短時間大雨情報」が発令されているようなので、道路の管理などについて上記の「瑕疵」が認められるのは容易ではない(ハードルが高い)のかもしれません。

ただ、予想困難な災害でも、自治体など被害防止に関し一定の措置を講ずべき法的責任を負っている立場の者(大雑把な言い方ですが)が、あまりにも不適切な措置しか講じておらず、そのせいで被害が発生ないし拡大したというケースであれば、賠償請求が認められる余地は十分にあると思います(具体的な立証等は、至難を極めるかもしれませんが)。

私の知る限り、岩手では、震災に関しても、この種の裁判(自治体に天災への備えが十分ではなかったから過失等があると主張して賠償請求する趣旨の訴訟)は起きていないようです。

勝訴のハードルなどの問題もさることながら、多数の被害者が生じていることが、逆に足枷になる(他にも被害者がいるのに自分だけ請求することの抵抗感)ことも、あるのかもしれません。

そうした意味では、この種のケースでも、集団訴訟や代位訴訟的なものを考えるべきなのかもしれませんが、言うは易しなのでしょうね・・