北奥法律事務所

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産院取り違えから50年後に「そして親子になった」事件

産院での子の取り違えを、6年後に告げられた2組の親子の物語を描いた「そして父になる」という映画は、多くの方がご存知だと思います。

残念ながら、まだ拝見する機会に恵まれていないのですが、ちょうど、産院での子の取り違えが生じて後日に訴訟になった例を見つけました。

といっても、6年後に病院から告げられたのではなく、約50年ほど実の親子と同然の関係を築いた後、戸籍上の両親が亡くなり、その両親の実の子である「戸籍上の弟達」と相続紛争になったところ、どのような経緯かはよく分かりませんが、その時点になって初めて、弟側が、「兄は実の子でないから相続権は認められない」と主張し、親子関係不存在確認訴訟を提起してきたという事案です。

1審は弟の主張を認めたのですが、2審は「長期間、実の親子同然の関係があったのに、遺産争いを直接の契機として訴訟を提起したという性質や現時点で親子関係を否定することで生じる弊害など諸々の事情に照らし、権利濫用だ」として弟の請求を退けています(東京高判H22.9.6判タ1340-227)。

裁判長は業界では著名な方で、独特な説示をして、当事者の協議による相続問題の解決を促して判決を締めくくっています。

長期間、実の親子同然の関係を築いた場合、その関係そのものを法的に保護しようとする例は他にもあり、そのような前例を踏まえての判断であったと思われます。

また、「戸籍上の親子関係と実際の親子関係とが齟齬する場合に、権利濫用を理由に当事者の利害の調整をした例」としては、妻が夫に対し、「夫と法律上の親子関係があるが、婚姻中に夫以外の男性との間にもうけた子」の養育費を請求したケースで、その子も夫にとっては嫡出子なので原則として支払義務ありとしつつ、そのケースでは権利濫用にあたるとした例(最判H23.3.18)もあります。

いずれも事例判断なので、権利濫用と評価できるに足る事実関係を、どれだけ説得的に積み上げることができるか、更に言えば、そうした実質判断を重視する裁判官に巡り会えるかが勝負の分かれ目ということになるかもしれません。

区画整理の対象となった土地の売買に関し瑕疵担保責任の成否が問われた判例

区画整理事業施行地区内の土地を購入した買主が、売買当時には賦課金の支払義務がなかったのに、売買後に組合から賦課金を課された場合に、当該義務の可能性を伴うことが土地の「瑕疵」にあたると主張し売主に賠償請求したものの、瑕疵とは言えないとして、請求を棄却した例(最判H25.3.22判タ1389-91)です。

判決では、区画整理組合の総代会が賦課金を課す決議をしたのは、本件売買後に開始された保留地の分譲が芳しくなかったためで、売買当時に組合において組合員に賦課金を課すことが具体的に予定されていたとは全く窺われないこと、決議が売買から数年も経過後であることから、売買当時に賦課金が課される可能性は一般的・抽象的なものに止まっており、それは当該土地の売買には常に存在していることに照らし、「売買当時、賦課金を課される可能性があったこと」は、土地の「瑕疵」にあたらないとしています。

私の知る限り、岩手の被災地では、まだ区画整理に絡んで訴訟が起きておらず、被災地以外の土地でも区画整理に関する訴訟というものをほとんど聞くことがありませんが、少なくとも被災地絡みでは、今後の成り行き次第で紛争が多発する可能性もあり、その際に改めて参照する必要が生じるかもしれません。

解説では、不動産の購入後に隣地に生活環境を悪化させる施設が建設された場合の瑕疵担保責任の当否に関する前例などが紹介されており、その点でも参考になりそうです。

暴力団排除条項と交通事故の被害者保護

交通事故の任意保険について、暴力団排除条項により、契約者が暴力団関係者と判明した場合には直ちに契約を解除する旨を約款に盛り込むとのニュースが出ていました。
http://www.asahi.com/articles/SEB201311180062.html

そのこと自体を批判するつもりは微塵もありませんが、契約解除後に事故を起こしたり、そもそも契約できないと思って任意保険そのものに加入しない車両が増え、結果として被害者への適切な賠償が実現できない事態になるようでは、本末転倒というほかありません。

私自身は自動車については対人原則無制限の保険加入を車両運転の条件として義務化すべきだと昔から思っています。

このようなニュースを見ると、なおのこと、義務化とワンセットでなければ、最も守られるべき事故被害者が、一番、酷い目に遭うことになるのではと危惧されます。

すぐに例が思いつかないものの、この種の問題(被害賠償の担保を確保しないまま排除だけを先行することの不合理)は、他にも暴力団関係者の行為により被害が生じるケースで、ありうる事態なのかもしれません(仮に、不法投棄に保険制度があれば、同様の問題が生じるでしょう)。

念のため「任意保険 義務化」で検索したところ、内閣府サイトでこんな記事が出ているのを見つけましたが、毎度ながら?木で鼻をくくったようなお役人さん的なご回答になっています。

ま、世論誘導したいとの意欲もないのだとは思いますが・・。
http://www8.cao.go.jp/monitor/answer/h14/ans1409-001.html

情報公開請求に関し、多くの点で不開示情報該当性が認められた例

先日、情報公開請求の可否(個人等の識別可能部分に関する不開示情報の該当性)に関するご相談を受けたのですが、ちょうど勉強していた裁判例で、まさにこれが問題となった事例(大阪高判H24.11.29)を判例時報で見つけました。

この事件は、労災事故が生じた事業場に関する国の情報公開法に基づく情報の開示請求の当否が争点となり、同法5条1号、2号、6号の該当性などが問題となった例ですが、自治体の情報公開条例も、この条文と大半の部分で同じ文言、体裁となっているため、自治体における開示請求でも応用が利く面が大きいと思います。

岩手における「政弁交流」と復興法制に関する議論の様子

岩手弁護士会では、数年前から年1回ほど?の頻度で地元選出の国会議員さんや県議さんとの懇談会を行っています。都合の付かない方などを別とすれば、毎回、全政党・党派の方々がいらしています。

私自身は下っ端の一人として末席で協議を拝見するだけなのですが、一応は主催団体(弁政連岩手支部)の会員である上、今回は震災絡みの話題が豊富であることや、政官ならぬ「政と弁」のコミュニケーション自体には関心がありますので、なるべく参加することにしています。

で、先日、その会合があったのですが、時間の大半を震災問題、とりわけ高台移転などの土地収用・区画整理の問題に費やしていました。例えば、「相続人が膨大で事務作業が進まない事案が多い」などといった、問題点の報告がなされていました。

ただ、まだ実務の動きが進まないせいか、具体的な処方箋(大量相続人の事案で、例えば、不動産の遺産分割手続を省略し、行政主導による相続分の換価供託で済ませるような特別法など)について、あまり議論が煮詰まっている印象は受けませんでした。

まあ、私自身が、その種の議論と縁が薄く、話の中身を理解できていないだけなのかもしれませんが。

個人的に、強く印象を受けたのは、被災地で執務する方(弁護士)の報告として、現在の仕組みは、被災地の復興を担う主力となるべき、ある程度の収入、稼働力、資力のある40代前後の世代に対し冷たい仕組みになっているという話でした。

具体的には、その類型にあたる人は、住宅等の被災でローンが残存しても、ある程度の高収入があるので私的整理GLで救済(減免)が拒否されてしまうとか、その世代は一刻も早く自宅を再建したいのに、前提というべき高台移転等が整わないので、建てたくとも建てられず、さらに生活再建支援法に基づく加算支援金の期限も迫っているなどの点が挙げられていました。

そして、要するに、現在の被災地に適用される法や実務スキームが、勤労の意欲と能力のある復興の主力担い手層に冷たい形になっており、これでは、この層が次々に内陸に移住せざるを得ないのではという指摘がなされていました。

また、ある議員さんから土地の境界問題の迅速解決の必要性が強く述べられていましたが、その点について、現在の状況や処方箋などを述べる方がいなかったことが、少し気になりました。

私は筆界特定制度が導入された10年近く前、少しだけ筆界調査委員をやらせていただいたことがあり、その際、筆界特定制度の有用性(境界確定訴訟と比べた使い勝手の良さ)を感じる一方、法務局の方々が多くの手間をかけて非常に厳密な調査をしており、これを大量にこなすことは無理だろうと感じたことがありました。

思いつきレベルですが、筆界特定に関する特区制度のようなものを設けて、法務局や筆界調査委員の主導で、通常よりも簡易迅速な方法で筆界を定めて、不服がある者は自己の費用負担で通常型の処理を申し立てることができるといった制度を設けてもよいのではと感じました。

これと上記の未分割不動産の簡易買取制度をセットにすれば、境界及び相続未確定の不動産の区画整理などは、ある程度、迅速に行えるのではないかと思いますが、どうでしょうか。

この点は被災地における実務の実情を踏まえた判断になるでしょうから、詳しく調査、レポートする学者さん?などが登場いただければと思ったりもします。

ともあれ、このような政弁交流に限らず、ここ1、2年は、岩手弁護士会と県庁の方が協議することも頻繁に行われているそうで、これも震災前にはほとんど見られなかったことです。

私自身は、今や事務所の運転資金を稼ぐことに汲々とする身のため、そうした営みに参加する余力が乏しく、残念に思っているところですが、具体的に実働の出番が必要となれば、いつでも取り組めるようアンテナだけは張っておきたいと思っています。

包括外部監査人の狭き門と、その先にある地方自治の道

先日、弁護士会から、岩手県庁の包括外部監査人に関する募集通知が配布されてきました。今回は、この制度について少し書いてみたいと思います。
http://www.pref.iwate.jp/view.rbz?cd=48069

包括外部監査制度とは、弁護士、公認会計士等が自治体の長の委託により自治体が適法・適正に事務処理をしているか調査し明らかにすることを目的に、平成9年に設けられた制度です(地方自治法252条の36等)。

対象となる自治体が行っている様々な事業のうち、一つの政策テーマを選んで、業務実態や財務・会計について詳細な調査を行い、改善点を提言するのが通例となっています。

例えば、自治体が経営する病院などの事業が適正に行われているか、入札制度や随意契約の実態調査、自治体の出資法人の業務や自治体の監督などがテーマとして取り上げられることが多く、岩手県に関しては、平成25年度は高齢者福祉事業に係る財務事務の執行及び管理の状況、24年度は知事部局の委託契約が取り上げられています。

この制度は、平成の世になって地方分権の流れが進んだ一方で、自治体の不適正な予算執行が問題視される事例が相次ぎ、従来の監査委員による監査だけでは不十分であり、専門性を有する独立した第三者機関が強力な監査を行うべきとの理由で導入されたものです。

包括外部監査は1年ごとに行われており、一般的には、包括外部監査人として選任された者は、数名の補助者(主として弁護士又は公認会計士)と共に自治体の特定の政策ないし部門に関する諸制度の実情を調査し、運用の根拠となる法令その他の諸規定(財務・会計面を含む)や趣旨に反する運用がなされていないか確認し、数百頁もの長大なレポートと100頁ほどの概要版を作成しており、その多くはWeb上でも公開されています。

この制度が上手く機能すれば、自治体=行政組織が、政策運営・法執行の基盤となる様々な法令を遵守しているかを、違法な業務をしていないか(禁止規範の抵触の有無)だけでなく、法の趣旨から能動的に取り組むべき事柄を放置、懈怠していないか(政策的な行為規範の実践の有無)も含めて、独立した外部の専門家が調査し、改善すべき点を検討・公表して首長、地方議会議員や住民(地方自治の主要な担い手)に情報提供し、やがては現実の政策運営に活かされていくという循環が生まれることになります。

いわば、禁止規範(「するな」のルール)と行為規範(「せよ」のルール)の両方の観点(広義のコンプライアンスと言えるのではないかと思います)から、自治体の法や予算の執行のあり方を点検し、自治体の運営の実情だけでなく法令そのものの当否・限界も射程に入れて検討し、よりよい地方自治の姿を探っていく営みの契機とすることこそが、包括外部監査制度の本当の目的と言うべきではないかと思っています。

これは、地方自治の民主的政治過程を強化し実質化する取り組みに他なりませんので、そのような観点から、包括外部監査制度は非常にポテンシャルのある制度ではないかと考えています。

あまり大風呂敷を広げるべきではないかもしれませんが、こうした営みが当たり前になってくれば、震災で話題になった「インチキ?NPO法人に自治体が漫然と補助金を垂れ流し、巨額の税金が無駄になる事態」を未然に防ぐことが期待できることはもちろん、震災復興のため、より意味や価値のある政策が遂行され、ひいては内実を伴う住民参加も促進されていくような地方自治の文化が形成されるのではないかと信じています。

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私は、10年以上前に東京で暮らしていた頃からこの制度に関心があり、当時から、いつかは岩手県庁や県内の基礎自治体の包括外部監査人を務めてみたいと思って、数年ほど、日弁連の研修を受講していました。

が、岩手に戻ってきて少し調べてみると色々な意味でハードルが高く、全くご縁のない状態が続いています。

少し具体的に書くと、岩手県では県庁・市のいずれも公認会計士しか選任例がないようで、岩手県の場合、仙台の公認会計士の方に委託することも多いようです。

また、公認会計士の方が選任された場合には、その方が属する監査法人のメンバーを補助者としており、弁護士を補助者として選任する例は全国的にも極めて稀のようです。

大都市や西日本では、大物の弁護士さん(自治体法務の大家や地元で様々な公職等を歴任した方)が選任され、弁護士や公認会計士を補助者とする例が多々見られます。

これに対し、ざっと調べてみたところ、岩手に限らず東北では弁護士が監査人として選任された例はなく、補助者としても恐らくゼロ件ではないかという印象です(補助者については、ネットで公表されている監査報告書の概要版などから調べることが可能です)。

どういうわけか分かりませんが「包括外部監査人に弁護士が関与する実情」を調べると、はっきりと西高東低の傾向があり、西日本では多くの県や主要市で弁護士が監査人や補助者として登用されているのですが、東日本では、その例がごく僅かとなっています。

私の手元にある平成21年の日弁連研修資料には、都道府県に関し弁護士が選任された例は、西日本では中国・四国を中心に7府県となっていますが、東日本では北海道と山梨県だけに止まっており、ネットで少し調べた限り、弁護士を選任する自治体は増えているものの、現在も西高東低の状況に変化はないようです。

弁護士をしていると行政相手の訴訟の質量についても西高東低を感じることが多いのですが、西国の方が行政と対峙し拮抗しようという文化が強く、東国(特に東北)はその種の訴訟が非常に少ないと感じます。

震災のときにも言われましたが、東北は西国に比べ行政への信頼或いは依存度が高く、結果として民力が行政と対峙等する文化が希薄という印象があり、その点が上記の違いとなって現れているのかもしれません。

単に東西の経済力や人口の違いなのか、明治維新と戊辰戦争以来の東西の歴史が影響しているのかは不明ですが、興味深い現象であることは確かです。

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それはさておき、実際に必要となる監査業務が未経験の弁護士にも十分に耐えうるものであれば、上記の点を敢えて無視し、無謀を承知でチャレンジすることにも惹かれます。

ただ、実際の報告書等をDLして拝見する限り、上記の大物でない限り、いきなり応募というのはちょっとリアリティがなく、補助者の経験を積んだ後でないと適切ではないかなという感じです。

また、上記の点(法の趣旨に合致する事業云々)も行政を支える様々な制度、実務に深い造詣、経験がないと半可通の無責任な評論に陥ってしまいます(実際の報告書も、そうした酷評を受けるものもあるようです)。

というわけで、私自身は、ぜひ県内の自治体の包括外部監査人になる方がおられれば、手弁当ないし赤字仕事でも構いませんので何回か補助者に使っていただきたいと思っています。

そうした話に接する機会のある方は、こういう珍しい?奴もいると伝えていただければ幸いです。

また、弁護士・公認会計士のいずれの方が監査人になるにせよ、補助者として若い弁護士を活用するという文化をもっと育んでいただきたいと思っているところです。

少なくとも、現在のところ、私に限らず「田舎の普通の町弁」の大半は、監査という営みに接する機会はおろか自治体の諸業務に接する機会にも恵まれていないと思われ、それはとても残念なことと言うべきではないかと思います。

とりわけ、上記の「広義のコンプライアンス」の点検のためには、会計の専門家である公認会計士さんだけでは不十分で、弁護士が個々の政策運営(法執行)により高次の法の趣旨が活かされているかを、究極的には憲法なども視野に入れた、法体系の構造や趣旨に遡って検討する機会を設けるべきだと思います。

議員定数不均衡を理由とする定数違憲訴訟などでは「民主政治の過程そのものに歪みを生じさせるような事態は、民主政治の基盤そのものを脅かすもので憲法が容認しないものであるから、司法がその是正に積極的な役割を果たすべき」ということが、違憲判決の根拠として、強く言われてきました。

そのことは、先日刊行された泉徳治・元最高裁判事の著作でも、熱く語られています。

このような観点から、様々な形で形骸化や不祥事に関する監督機能の欠如等が叫ばれて久しい地方自治(地方民主政治)こそ、地方の政治過程に十分な役割、プレゼンス(影響力)を発揮できずにいる住民の力を高めるため、政治部門(行政・議会・首長)と相対峙し総体として地方における国民主権を支える担い手である、司法部門(地方のために活動する法律家)の役割、存在感を高めていく営みが、より必要ではないかと思っています。

定数不均衡になぞらえて言えば、地方では、地縁や党派・団体などを通じて影響力を行使する有力者的な住民が少なからずおり、そのような方は、そうでない無党派的な一般住民に比べ、1人で地方自治の数票を持っているようなものだと思います。

包括外部監査制度に限らず、地方自治のウェイトの中で、そうした実情に伴う弊害を是正し、一般住民の役割を高めるという意味での真の一人一票を実現するような仕組み作りは、地方自治制度において求められていることだと思います。

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また、現在の監査報告書は数百頁もの膨大なレポートが作成されているのですが、それほどの頁数が必要なのか(研究者等を別とすれば、どれほどの人が読むのだろう)と思わずにはいられません。

もっと頁数(従事内容)を絞り、ピンポイント的に特定の事業を取り上げ、執行状況の法適合性や経済的合理性などを分かりやすく検討し、住民に問題提起をするようなレポートを提出する形に変更しても良いのではと感じています。

欲を言えば、地元の学生さんや政策に関心のある住民グループなどが、そのレポートを叩き台に、政策テーマについて提言や参加を求めるような営みが生まれるような展開になればと思います。

私の知る限り、これまで作成された包括外部監査人の報告書は、自治体の法執行に多少の改善を生じさせたという報道はあるものの、住民等の意識を喚起するような効果を生じさせたという話は聞いたことがなく、その点は残念に思っています。

包括外部監査人の報告書は、住民(納税者)のための自治体(納税先)の仕事ぶりに関する情報の配当として行うものだと思いますので、より多くの人が関心を持って見ようと思えるための工夫など、現在の監査実務に関する改善の視点も持って頂きたいと思っています。

まあ、愚痴ばかり言っても仕方ありませんので、捲土重来?を期し、また過去の研修資料やDLした報告書例などを少しずつ勉強しようと思います。

八戸支部の出張と根城南部氏

珍しく青森地裁八戸支部に提訴した事件があり、訴状陳述のため行ってきました。

帰りはバスに乗り遅れて流しのタクシーに乗ったのですが、どこから来たかと聞かれて盛岡と答えたところ、郷土史に並々ならぬ思い入れをお持ちの運転手さんで、10分ほど「甲斐(鎌倉期)から始まり遠野(江戸期)に終わる根城南部氏の盛衰と、南部家跡目争いと九戸戦役を中心とする桃山時代の北東北の一大騒乱の物語」をノンストップで熱く語っておられました。

「すいません、二戸の人間なのでその話の大半は知ってるんです」という言葉が何度も頭の中をよぎりましたが、言い出せるはずもなく、やむなく延々と相づちを打っていたことは、申すまでもありません。

ところで、我が国の裁判所の大半は、城跡付近に好んで建てられていますが、八戸支部は、江戸期の八戸を統治した八戸南部氏(盛岡南部氏の兄弟筋)の居城跡ではなく、根城南部氏(鎌倉~桃山期に統治)の居城跡の近くに建てられています。

誰が、どのような理由でそのような選択をしたのか分かりませんが、二戸の人間が盛岡南部氏ではなく九戸氏をもって領主と仰ぐのと近い感覚があるのかもしれないなどと、興味深く感じました。

根城跡は現在、本丸等がある程度、復元されていますが、桃山期の遺構を考証して再現したのだそうで、九戸城と同時代の遺構を再現したということができます。

九戸城の再現は難しいでしょうし、すべきとも思いませんが、根城跡を訪れ風景に接することで、在りし日の九戸城や、そこに生き天下の大軍と戦った人々の姿を、多少なりとも感じることができるのかもしれません。
http://www.hachinohe.ed.jp/haku/hiroba.html

顧問弁護士と監査役等の兼任と両者の役割の違いについて

先日、ある法人から「顧問弁護士に監査役(社会福祉法人などでは監事)を任せてよいか」という趣旨のご相談を受けました。

以前、双方の兼任は避けるべきとの話を聞いたことがあり、改めて調べたところ、やはり消極的な意見が有力とのことだったので、そのようにお伝えしました。

聞くところでは、小規模な企業では、顧問弁護士に監査役を依頼し兼任している例が珍しくないようですが、両者は本質的には相容れません。

監査役(監事)の本質的な業務は、取締役(理事)の業務執行(企業経営)が適正・適法に行われているか(法人からの委任の趣旨に合致しているか、企業を取り巻く様々な法令の趣旨に適合する経営がなされているか)を積極的に監視、監督する点にあります。

他方、顧問弁護士の業務は、主として業務執行者たる取締役等のご相談、ご依頼により、企業に関する様々な対内的・対外的な法律問題に関し、助言又は処理等するというものです。

もちろん、顧問弁護士の業務には、企業経営の中で法の趣旨に抵触すると思われる点が見られた場合に、その改善について勧告したり、役員等と一緒に改善策(措置)を検討し執行を補助するなども含まれますので、顧問弁護士と監査役等の業務は、一部、重複する面がないわけではありません。

しかし、顧問弁護士の場合、取締役等の職務執行(企業経営)に法律上の問題(不正等)があると感じた場合には、改善を勧告し、それが聞き入れられないときは辞任等の形で態度を表明することができるに止まるのに対し、監査役等の場合、勧告が聞き入れられないとき(或いは、勧告をするまでもないほど事態が深刻な場合)には、賠償請求をはじめ取締役等の責任を追及するため、法律上、期待されている措置を講じなければならない義務を負います。

そのため、取締役等と監査役等とは「日常的には互いの法人のため協力し合う関係にあるが、いざとなれば対決することを余儀なくされる宿命にある者同士」と言うことができます。

また、顧問弁護士の業務は、性質上、取締役等の業務執行を支援することが契約内容の中核をなすことが多く、「取締役等の職務が適法か否か」という問題が生じた場合、争いがあれば、なるべく適法なものと認定、解釈されるべきという立場で執務しなければならない可能性が高く、その点でも、両者は相容れない面が生じます。

誤解を恐れずに言えば、上記の監査役等の役割に照らせば、「万が一、経営陣が道を大きく踏み外し後戻りできない状態になってしまった場合に、経営陣に引導を渡すのに相応しい人(そのような場合に、経営陣がその人の言うことなら聞けるというだけの重みを備えた方)」に就任していただくのが賢明ではないかと考えます。

逆に言えば、そうした重鎮としての役割を果たすことができるのであれば、顧問弁護士であっても監査役等を兼任してもよいのかもしれません。

もちろん、今の私には、そのような「重み」は荷が重すぎますので、顧問弁護士等の形で日常的な企業経営の法的適正を確保する仕事に従事し、伝家の宝刀というべき監査役等の出番がないようにする、という方向で、役割を与えていただければと思っています。

以上から、顧問弁護士が監査役等を兼任することは、原則として適切ではないと考えますが、実務の実情を必ずしも把握しているわけではありませんので、この点をご教示いただける方がおられれば幸いです。

ところで、何年も前に、岩手県の関係機関から、社会福祉法人の新任理事・監事向けの講義を依頼されたことがあり、自分なりに、理事と監事の役割、それぞれの違い、さらには株式会社と社会福祉法人の違い(評議員会などの存在意義)などを考え、裁判例なども交えてご説明したことがあります。

その際のレジュメを読み返してみましたが、社会福祉法人に限らず、医療法人、財団法人、一般社団法人など、理事・監事という組織形態をとる他の類型の法人について考える際も応用が利きそうな事柄が書いてあり、もし、勉強会を行いたい等の話がありましたら、一声かけていただければ幸いです。

被災地等に対する広報を通じた弁護士の関わり方について

先日、法テラス気仙の相談担当で大船渡に行きましたが、予約ゼロで当日飛び込みの簡単なご相談が1件あっただけで、ほぼ一日、内職等に潰して終わりました。

法テラス気仙には約1年前から月1回の頻度で通っており、毎回4名前後の方が来所していたので、このような経験は初めてでした。

ただ、法テラスは国?の資金で強力な宣伝活動を行っているので、ゼロ件となるのは滅多にないのですが、弁護士会や県(沿岸の出先機関)が主催の被災者向け相談事業などでは、宣伝力の格差のせいか、ゼロ件になることが以前から珍しくありませんでした。

集客できないなら規模縮小すればよいのにと思わないでもないのですが、仕事を減らせと安易に口にするわけにもいかず、集客等につなげる工夫をもっとできないのだろうかといつも思ってしまいます。

例えば、全戸配布される各自治体の広報やタウン誌、或いは地域内の業界団体等の広報などに簡単な連載コーナーを設けていただくことはできないでしょうか。

そして、被災関係に限らず、地域で取り上げるべき法的トピックについて、弁護士が執筆して説明したり、読者のアンケート等で要望があったテーマも積極的に取り上げつつ、記事の末尾で地元の窓口も紹介すれば、多少は集客力も向上するのでは?と思うのですが。

私は、岩手弁護士会の原発被害賠償に関する支援活動に関与しているのですが、この件も同様に集客力(相談等のアクセス)のなさに喘いできたので、可能なら岩手日報などで他の震災関連も含めた連載などの企画を採用していただければと思ったりもします。

他県の取り組みなどはまったく存じませんので、そうしたものが行われている例などご存知の方がおられれば、ご紹介いただければ幸いです。

ハーロックに垣間見る、戦後日本の現実と幻想

先日、妻に「キャプテンハーロックの映画を見たい。ガッチャマンと違って超映画批評でも悪く書かれていなかったから、いいでしょ」と凄まれ、数年ぶりに映画館に入りました。

私は、「銀河鉄道999」は、幼少時に少しだけ見たことがありますが、キャプテンハーロックは見た記憶がなく(岩手で放送していたのでしょうか?)、ストーリーもほとんど知りません。

そんなわけで、家族全員、事前知識がないまま拝見したのですが、作品の面白さ云々とは別なところで、少し考えさせられるところがありました。

この年になると、若い頃は勉強していなかった太平洋戦争(大東亜戦争)について色々と本を読むことがありますが、余計な知識が付いてしまうせいか、「戦艦を題材にした昭和の名作」を見ると、そこに大戦の敗亡のトラウマのようなものがあるのでは、そして、そのことが、作品が大衆に受け入れられた要因の一つを形成しているのではと勘ぐってしまう面があります。

ネタバレ等のお叱りを受けない程度に少し具体的に言えば、物語の冒頭で、ハーロックの戦艦(アルカディア号)が、敵側の戦艦と戦うシーンがあり、そこで、敵側は戦闘機を多数繰り出すのですが、アルカディア号には戦闘機がありません。

結局、アルカディア号に、戦闘機の攻撃などではビクともしない非常識に強靱な仕組みがあるため、膨大な数の戦闘機も敵戦艦も蹴散らして粉砕し、その後は宇宙戦艦同士の戦闘シーンばかりで、戦闘機は映画の最後まで出てくることすらありませんでした。

そうしたシーン等を見ていると、「海軍の勝敗の帰趨が艦隊戦から航空戦に完全に移行したとされる大戦末期に、世界最強だが時代遅れとも言える戦艦大和を建造し、結局、米軍機に袋叩きに遭って撃沈されたトラウマを引きずっている作者ないし日本人が、戦闘機なんぞ何するものぞという日本海海戦以来の大艦巨砲主義の幻想にすがりたくて、このような作品で溜飲を下げているのだろうか?」と考えてしまいます。

ところで、映画の後半では、ハーロックが、もう一人の主人公というべき重要な登場人物に向かって、「幻想にすがるな、現実を直視せよ」と強調する場面がありました。中身は書けませんが、過酷な現実を直視し、そこで新たに生まれた小さな希望を大きく育てていくべきだと言いたかったようです。

ただ、私の場合、上記の冒頭シーンがどうしても心から離れず、航空戦という現実に目を背けて、艦隊戦(大艦巨砲主義)の幻想を追っているように見える作品が「幻想にすがるな、現実を直視せよ」と語るのは、矛盾というか、ある種の滑稽さを感じずにはいられませんでした。

この点は、善意解釈?すれば、作り手は、その矛盾を承知の上で、「ヤマト」を含め、判官贔屓のように「単独行動する巨大戦艦の英雄譚」を欲せずにはいられない(或いは、昭和の時代に、そうせずにはいられなかった)日本人のメンタリティに向き合って欲しいと言いたくて、大艦巨砲主義の体現者のようにも見えるハーロックに、敢えて、「現実と向き合え」などというセリフを言わせているのかもしれません。

いわば、ハーロックは鑑賞者に向かって「自分こそが貴方にとっての幻想なのだ。オレにすがるな」と言っているのかもしれません。

最近では、憲法改正論議も下火になりつつありますが、自民党の改正案のようなものに賛成するかどうかはともかく、少なくとも、敗戦により日本人に生じた様々なトラウマと適切に向き合っていくのでなければ、日本国憲法の理想主義もかえって活かされることはないのでは、などと余計なことまで考えたりもしました。

ちなみに、このような話を少しばかり妻にしたところ、「そんなのは意見や解釈であって感想ではない。家族で映画を見に来たのだから、まともな感想を述べよ」と叱られました。

ま、意見や解釈の類だとしても、陳腐なものだとは思いますが・・