北奥法律事務所

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盛岡

今年の石割桜が見届けた事件たち

盛岡も石割桜が満開となり、快晴の中、多くの観光客が訪れていました。

そんな日に限って午前に調停期日があり、諸事情により直ちに調停が成立し終了するかと思ったのですが、毎度ながら延々と待たされ、結局、毎度ながら2時間以上(うち1時間半くらいが待ち時間・・)という有様でした。

色々と悩ましい事件で、依頼主が複雑な思いを伏せつつ窓の外を向いていた横顔に、代理人として何をすべきか、何ができるか(できたか)、考えずにはいられないものがありました。

午後には、盛岡圏内で生じたビジネス上のトラブルに絡んで、ある大企業に契約違反などを理由とする損害賠償請求をしている裁判の期日がありました。

軽口好きの身には、盛岡地裁が1年で一番華やぐ日に東京から出廷した相手方代理人に対しては、訴訟での対決はさておき、とりあえずラッキーでしたねと言わずにはいられない面があります。そんなわけで一首。

先方に今日が期日でよかったねと毎年述べる地元弁護士

ただ、去年の同じ頃に期日があった事件で遠方から出廷した相手方代理人は、そんな私のセリフに破顔一笑していましたが、今年の相手方代理人の方からは「お前は何を言っているんだ」と言わんばかりの仏頂面でサクッと黙殺されてしまいました・・

で、法廷の帰りに「桜に興味がないのかなぁ、これだから企業法務中心の大事務所の人は・・」などと独り呟いたところ、危うく裁判所の階段を踏み外しそうになりました。

私がもっと元気よく話せば言わんとすることが伝わったのかもしれませんが、ともあれ、つまらない愚痴などを言っても我が身に跳ね返ってくるばかりなのでしょうから、なるべく前向きに生きたいと思います。

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天峰山と「知られざる北上高地」

前回の「岩泉での法律相談」の続きですが、岩泉から事務所に戻る途中、岩手山の好展望地として名高い天峰山に立ち寄りました。

恥ずかしながら、修習生時代(平成10年頃)は天峰山の存在自体を知らず、5年ほど前にようやくその存在を知ったものの、岩泉方面に赴く機会自体がほとんどなくなってしまい、今回が初訪問になります。

この日は絶好の晴天日で、真正面の岩手山はもちろん北の八幡平・安比方面から南の南昌山・焼石方面、また、奥(岩手山の西)にある秋田駒ヶ岳・乳頭山なども含めて非常に良好な展望を望むことができました。

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ただ、展望場所の東側は樹林帯となっており、北上高地の風景を望むことはできませんでした。途中の道路からは、展望地のすぐ東にある玉山牧場の広々とした牧場風景が広がり、遠くには早池峰山をはじめ北上高地の山々を目にすることができる場所もあっただけに、少し残念に思いました。

北上高地の特色として、「重畳たる山並みの頂上部分が草原(牧場)になっている光景(が幾つか点在していること)」が挙げられ、南部(106号線以南。遠野周辺など)には寺沢高原・荒川高原・種山が原など、そうした山上の大草原が数多く見られるのですが、北部はあまり多くはなく、観光客が気軽に立ち寄れる場所はくずまき高原牧場、袖山高原、高森高原くらいしか思いつかないのが実情だと思います。

それだけに、国道に面しておりアクセスに強い優位性のある玉山牧場について、観光客(一般人)が気軽に立ち寄って展望を享受できる=山上草原の美しさを感じることができる措置を講じるのが望ましいというべきで、例えば、東側を望む木製の展望塔などを整備しても良いのでは?と思いました。

展望塔に相応の高さを確保すれば、外山ダム湖岩洞湖、北の姫神山なども含めた360度の大展望が得られるのではと感じるだけに、関係者には検討していただきたいところです。

また、既存の展望場所(小さな広場)も、自動車が出入りする際に砂埃が立ちやすいのだそうで、コンクリート舗装するかはさておき、もう少し整備してもよいのではと思いました。

残念ながら事務所に速やかに戻る必要上、直ちに国道(455号線)に戻りましたが、国道沿いには天峰山の入口であることを示す表示などは一切なく、この場所は今も知る人ぞ知るの場所になっています(ですので、冒頭のとおり何年間も知らず、知った後も、どこが入口なのだろうと分からない状態が続いていました)。

それはそれで味わいがあるというべきかもしれませんが、これだけの展望地ですので、その良さを社会に伝える姿勢があっても良いのではと感じます。

玉山牧場は、ネットで調べたところ、くずまき高原牧場(の運営企業である、葛巻町が母体となっている公社)が管理しているのだそうで、それだけに、盛岡市がやる気を見せないのなら、葛巻町側が「北上高地北部の良さを世間にもっと伝えたい」という心意気を発揮していただきたいものです。

余談ながら、時間さえあれば、往路を戻るのではなく大川地区から櫃取湿原に向かいたいとも思っていました。櫃取湿原も修習生時代から行きたい、行きたいと思いながらも未だに足を踏み入れることができておらず(入口だけは2回ほど行っているのですが)、いつになることやらです。

石割桜に咲く、避けがたき喜怒哀楽の花

すいません、GW前くらいから仕事が山積みで相当に滞留しており、ブログ更新が厳しくなっています。

そうした経緯で、今更ながら4月中旬頃にFBに書いた話をこちらにも載せますが、この時期の盛岡地裁は花を愛でる方を喜ばせる季節となり、玄関前に咲く花を目当てに多くの方が集まります。

が、建物の中では庭の光景に関係なく、出廷した代理人に対し裁判所から「あれもやってね、これもやってね」という無慈悲な破滅的懲罰、もとい事件解決のため必要やむを得ない(らしい)要請が続けられているというのが現実です。

そんなわけで三首。

避けがたく春も作業が雪だるま 秋の実りが今も懐かし
老木は喜怒哀楽を日々喰らい もののあはれの心伝える
こき使う石割桜にカネ咲かず 今日もはげめと肩にひとひら

うち一首は、ある事件に着想を得たものですが、何の件かを述べるのは差し控えさせていただきます。

FBでは快晴日に撮影した写真を掲載したのですが、容量の関係でブログ掲載ができず、ブログ用に撮影しようとした日は雨天になってしまいました。

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折角なので、その日の午後に水沢支部に出張した際に撮影した水沢競馬場の桜も載せますので、まとめて「雨天の桜」を慈しんでいただければと思います。

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公会堂多賀の閉店と「地域に愛される著名店の突然死」を防ぐために弁護士ができること

新渡戸稲造博士と縁が深く「新渡戸メニュー」でも知られた盛岡を代表する飲食店の一つである公会堂多賀が、残念な形で閉店するとの報道が出ていました。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20170401_3

私自身は10年以上前に昼食で2~3回ほどお世話になっただけで、夕食にお邪魔することができずに終わってしまいました。

しばらくは家庭の事情などできちんとしたレストランに入店するのが容易でなく、そろそろ行けるかな、行きたいかなと思っていた矢先だっただけに、非常に残念です。

最近になって急に張り紙が出たようですが、できることなら1ヶ月以上前に予告の通知をしていただければ、「さよならディナー」をしたかったという方は、きっと私だけではないというか、恐らくは客が殺到したのではないかと思われます。

新聞記事では自己破産の可能性が示唆されていましたが、私自身は関わっておらず、市内の同業の方がすでに受任されているのかもしれません。街を代表する飲食店の一つということもあり、関係者の正当な利害に配慮した適切な対応がなされることを期待したいものです。

盛岡の著名店の倒産という点では、私自身は5年以上前に大通のシンボルの一つと言われていた楽器店さんから債務整理の依頼を受け、破産申立等の作業を行ったことがあります。

その件では、諸般の理由から突然に閉店することはせず、私の提案で2~3ヶ月ほど「さよなら閉店セール」をさせていただきました。

もちろん閉店セールの売上は、その間の従業員さんの給与など正当な経費を除きすべて管財人に引き継いで債権者への配当原資とさせていただいており、債権者の方々にも事情を説明して何らの混乱も生じませんでした。

主たる動機(原因)は内部事情によるものですが、地域の方々が愛着を持っている店舗であることは、私自身も過去に利用歴のある顧客の一人として存じていましたので、閉店セールを行ったことは、お店に愛着を持つ方々が、それぞれの立場で「お別れ」の形を持つ機会を提供できたという点でも、正しい判断だったと今も思っています。

公会堂多賀さんも相応の事情があるのだろうとは思いますが、早期の着手や弁護士への相談の仕方などによっては「さよならセール」があり得たのではと、その点は強く残念に感じてしまいます。

「新渡戸メニュー」をはじめ店名そのものも含めて一定の財産的価値があると言ってよいのではと思われ、盛岡市内の飲食店さんなどが営業譲渡に名乗りを上げて、復活させていただければと思っています。

10年ほど前、高齢のおばあちゃんが営む県北の小さな弁当屋さんの閉店のお手伝いをしたことがあります。

その弁当はかつて「名物駅弁」として親しまれ(地元の著名作家の方の熱い記事も見たことがあります)、私も大変美味しくいただきましたので、可能なら、レシピを譲り受けて継承していただける方がおられればと思っていましたが、そうした面ではお役に立てることのないまま終わってしまいました。

経営などについては栄枯盛衰の問題は避けて通ることはできないのでしょうが、地域の誇りになる味やブランドについては、花巻のマルカンなどを引き合いに出すまでもなく、良質な承継のあり方や仕組み作りなどに熱意をもって取り組む方が増えていただければと思っていますし、そうした営みに地元の町弁たちもお役に立ちたいと願っていることもまた、心に留めていただければと思います。

盛岡を取り囲むユニークなダム湖たちとリアル紅の豚

岩洞湖(盛岡市の北東のダム湖)の形を見ていると、龍のような馬のような不思議な神獣っぽい姿を感じさせ、想像力をかき立てる面があります。

この点は、グーグル地図で見ていただくか岩洞湖レストハウスさんのHPの左上の図を見ていただければ分かりやすいと思います。
http://gandouko.wixsite.com/gandouko-resthouse

盛岡は多数のダム湖に囲まれていますが、グーグル地図で見ると、南部片富士湖(四十四田ダム湖。市北部)は胃腸の類をイメージさせますし、御所湖(市西部)は失礼ながら諸国の原住民の男性が着用する某ケースに似ていると思います(形や角度が生々し過ぎるんじゃないかといった話はさておき)。

「ユニークな形のダム湖ランキング」などというサイトがないのか少し検索して見ましたが、それらしいものは見当たりませんでした。そのうち、どこかのTV番組で取り上げてくれれば、盛岡周辺のダム湖が脚光を浴びる日も来るかもしれません。

折角なら、綱取ダムの湖も何かに喩えることができればよいのですが、ちょっと思い当たりません(そもそも、このダム湖には名称すら付されていないようで、不遇感が気の毒です)。せめて、建設中の簗川ダム湖は見応えのある形状になってくれればと思いますが。

ところで、これらの湖を見ていて残念に感じるのは、岩洞湖のワカサギ釣りを除き、観光面で全くといって良いほど活用されていないという点です。

最近、瀬戸内には飛行艇による遊覧ビジネスに取り組んでいる方がおられるそうですが、盛岡でも北上川を出発しそれらのダム湖を上空から見物、着陸するような商売が成り立つようなら面白いと思ったりもします。
http://toyokeizai.net/articles/-/151881
https://setouchi-seaplanes.com/

北上川に関しては舟運を復活させたいと運動なさっている方がいるようですが、いっそ、真っ赤な飛行艇が開運橋や不来方橋、旭橋などをくぐって湖に向かって飛び立つ光景が出現すれば、リアル紅の豚という感じで、話題性も抜群ではないでしょうか。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20170201_7

北上川から岩洞湖へのルートなら、氷上に着陸→ワカサギ釣りを体験して盛岡に帰るなんてことができれば、非日常体験のオンパレードで面白いのではと思いますが、どうなんでしょう。天候の問題に加え氷の強度がないと難しいのかもしれませんが、ぜひ考えていただければと思います。

平成10年頃の盛岡修習の様子と思い出

半年ほど前の話で恐縮ですが、岩手弁護士会の広報にエッセイを投稿せよとのことで、以下の文章を寄稿しました。勝手ながら、本ブログにも転載させていただきます。

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1 はじめに

先般、K先生よりエッセイを投稿せよとのご指示を受けました。内容は自由とのことですが、私の場合、共働きなどの事情から本業と兼業主夫業に追われて会務等にほとんど参加しておらず、若い先生方には「あなた誰?」と思われているでしょうから、自己紹介的な文章を書かせていただくことにしました。

ただ、単なる自己紹介ではつまらないでしょうから、私が盛岡で修習生をしていた平成10年頃の様子を題材にすることにします。私は修習生のお世話を仰せつかることがなく、現在の修習制度や修習生活の実情などを伺う機会がありませんが、当時と今では大きな違いがあるでしょうし、不快に感じる面もあるかもしれませが、法曹養成制度のあり方なども視野に入れて?お気軽に読んでいただければ幸いです。

2 実務修習開始まで

私は二年修習制の最後の年である52期の修習生でしたが、当時は7月中旬に前期修習を終え、下旬に実務修習が始まりました。私は二戸市の出身ですが県外の高校に進学したこともあり、修習先は盛岡を第1志望としましたが、そのような変わり種は私だけで、書いていないのに配属されたと嘆いていた地元出身の方もいました。

この年の盛岡配属は4名で、2名が現役、2名が卒業2年合格(男性3名、女性1名)となっており、出身大学も、私が中央で他の3名が東大、早稲田、慶応という綺麗?な組合せで、各人のキャラも、「地味で地道」の私をはじめ、各大学のカラーを体現しているような印象を受けました。

3 検察修習

盛岡に限らず当時の小規模庁は検察修習から始まりました。地裁での開始式のあと、地検に移動するのかと思いきや、反対側の岩手医大に引率され、いきなり遺体解剖に立ち会うことになりました。さすがに、その晩の歓迎会では刺身を見ながら複雑な思いを禁じ得ませんでしたが。

4人だけの修習生が4ヶ月間も地検のお世話になるため、修習生向けとも言える一般的な窃盗、傷害、覚せい剤自己使用の類だけでなく、殺人や嘱託殺人、金融機関での業務上横領など、重大ないし複雑な事案が個々の修習生に配点され、取り調べ等をさせていただく機会がありました。

また、三席検事が手掛けていた元大物県議による特別背任事件の強制捜査を盛岡地検総出で行うことになり、我々も現地に同行して差押物件の確保や整理などに従事したことも、強い印象に残りました。

この頃は修習生4人だけで行動することが多く、私の実家に全員が泊まりに来て、翌日に一緒に北山崎をはじめ沿岸の名所を廻って盛岡に戻ったことなど、楽しい思い出も沢山あります。指導検事(四席)の方も、厳しくも面倒見のよい親分肌の方で、公私とも大変お世話になりました。

4 弁護修習

私はI先生のご指導を受け、訴状など幾つかの起案を担当させていただきました。修習生の指導担当であるK先生、O先生にも、様々な行事や他の先生方からの講義の引率等をはじめ、大変お世話になりました。

ただ、12月から3月というスキーシーズンと重なる上、とりわけ弁護修習は勉強よりも見聞・体験することが重視されたせいか?全員が週末はスキー三昧の日々で、K先生や若手の検事の方々に大変お世話になりました。

一度、私がI先生の事務所で朝方まで境界絡みの訴訟の控訴趣意書を起案して帰宅した後、徹夜明けで皆と一緒に安比に行ったのですが、帰りの温泉で気を失って倒れ、ご一緒した三席に盛楼閣で焼肉を奢っていただく話がフイになってしまったことがあり、今も申し訳なく思っています。

余談ながら、三席は検察庁の飲み会で、「クリントンをはじめ弁護士が国を牽引している米国に見習い、君達が政治の世界に打って出て、法の理念に基づく正しい社会が形成されるよう頑張るべきだ」と仰っていたのですが、予想通りというか、我々ではなくご自身が霞ヶ関を「脱藩」して、政治の道で活躍されています(岡山2区選出の山下貴司議員です)。

また、クリスマスの際、まだ弁護士登録されて間もないS先生から「お一人さま」の面々(4人全員だったかは忘れました)に声をかけていただき、ご自宅でご馳走になったこと(大葉を刻んだ豆腐のサラダが強く印象に残り、その後も自分で作って食べていました)なども懐かしい思い出です。

5 民事裁判修習

裁判修習は、民裁と刑裁で二人ずつに分かれ、2ヶ月交替で1人の裁判官(部長と単独専門の判事)のご指導のもと、起案などに明け暮れます。

さすがに、民裁修習ではそれなりに勉強漬けの日々でしたが、ご夫婦で判事をされていたOさん(ご主人)が、「小保内君は、この点の勉強が足りないね」と仰ると、間髪入れずに「これを読んでみて」と、裁判官室の本棚から本を5冊以上取り出して山積みにされることが何度もありました。

しかも、申し合わせたように?家裁にいらした奥様(判事)にも、「小保内君の顔は、いつ見ても勉強してなさそうに見える」と言われ、トホホと思いながらも、勉強モードに頭を切り換えないと大変なことになると恐怖し悪戦苦闘していたのをよく覚えています。

おかげさまで、弁護士登録以来、今も、法律論で勉強不足と感じたときは、文献等を山積みにして色々と読みながら起案する習慣が染みついています。

この頃、K先生のご結婚と独立開業が重なり、結婚式の二次会や新事務所での開業パーティに呼んでいただいたことも、懐かしい思い出です。

6 刑事裁判修習

恥ずかしながら、私は諸事情(一応、不祥事の類ではありません)によりこの時期に急遽、東京で就職活動を開始することになりました。幸い、一度お会いしただけで内定をいただける先生もおられましたので、2度ほどの上京で就職先を確定できたのですが、その間は全くと言ってよいほど修習に身が入らず、折角、無罪判決を予定している事件の起案を勧めていただいたものの、起案できず簡易なレポートの提出で終わってしまったことが、今も悔やまれます。

5年以上前にお会いした修習生の方から、当時すでに、地方に配属された修習生の多くが何度も上京を余儀なくされ、重い負担を強いられているとの話を伺ったことがありますが、就職活動と修習の両立を修習生に強いるのは無理があり、修習開始までに就職先を内定させるなど、修習中は修習に専念できる文化が根付いて欲しいと思っています。

刑裁修習の最後に、現在と同様に修習生による模擬裁判がありましたが、当時は前後の期の修習生と一緒に行っており、1年目と2年目の2回、経験できました。

1年目で検察官を担当した際は、被害事実を法廷で否認した被害者証人の特信性立証(被告人の知人から金品を受け取った等の証言の引き出し)ができず、弁護人を担当した51期の方々に惨敗したものの、2年目で弁護人を担当した際は、被告人役を担当した53期のOさんの熱演もあり、無罪判決をいただくことができました。

被害者立会の実況見分調書に被害者の証言と相反する記載があり、法廷でその点を指摘したものの同期で検察官役のI君の剣幕に圧倒されるという一幕があったのですが、53期の裁判官役の方からその件を考慮したとのコメントをいただき、法廷は迫力だけで決まるものではないと感じたのを覚えています(ただ、監督役のK裁判官からは、どうして有罪じゃないのと言われて自信を無くしましたが)。

7 その他、最後に

私の誤解でなければ、当時と現在の修習制度の大きな違いとして、前後の期と交流できる機会ないし程度の有無が挙げられると思います。

当時は盛岡に一緒にいる期間が数ヶ月もありますので、私は51期の盛岡修習の方々から感銘を受ける機会が多々ありましたし、53期の方からも、(私はさておき)52期の面々から良い影響を受けたという話を頂戴したことがあります。現在の仕組みを把握できていませんが、修習生が前後の期の方々と継続的に交流できる機会は、必ず設けていただきたいものです。

当時は、「弁護士になった後は、どうせ仕事漬けの毎日になるのだから、今のうちに遊んでおくように」と言われ、私自身、己の至らなさもあって概ねそのような日々を送ってきました。

それだけに、長期休暇など、ここでは省略した他の出来事も含め、修習生の頃の様々な思い出が、その後の自分の支えになった面も大きいと感じています。

現在の方々は、修習開始前に多少ともそうした機会を持つことができるのだろうとは思いますし、修習直後の弁護士の眼前に広がる世界自体が、当時と今とでは様変わりしていますが、実務修習が法曹養成の根幹である(べき)ことは微塵も変わりないと思います。

指導等に携わっておられる諸先生方におかれても、盛岡配属の全ての修習生が岩手に来て良かったと思って法曹人生をスタートできるよう、OBの一人としてご尽力をお願い申し上げる次第です。

盛岡の奇習・歳祝いと「正義を実践する世代」

1ヶ月半も前の話で恐縮ですが、3月上旬頃に、盛岡JCの関係で行われた「歳祝い」に参加してきました。

この行事(歳祝い)は、いわゆる男の厄年に関連するものですが、盛岡では、白菜や大根、亀の子タワシやカラタチの枝などを集めて、対象者(年男)が上半身裸になり、参加者がそれらを手にとっては、年男の裸身を擦ったり叩いたりするというものになっています。

私も詳しい由来は存じないのですが、もとは地域に伝わる歴とした伝統行事(飾るものの裸身に云々は無し)であるものが、いつ頃からか、宴会形式で沢山の人が集まり、年男の上半身を真っ赤にするための?行事として圏内に普及したようです。

ケンミンショーで取り上げられたこともあるので、他県の方もご存知かもしれませんが、ご存知でない方は、「歳祝い(年祝い) 盛岡」で検索いただいたり、こちらのブログホテルのサイトなどをご覧になればよいと思います。

かくいう私も、平成26年の3月には、その前年(25年12月)に盛岡JCを一緒に卒業した方々と共に、「合同歳祝いの会」を行っていただいています。まあ、私はJCで活躍したメインの方々の末席にオマケ的に加えていただいたというのがお恥ずかしい実情のせいか、皆さん遠慮がちで強烈な一撃を下さる方はあまりおらず、もっと派手にゴシゴシやっていただきたかったなぁと思わないこともありませんでしたが。

ともあれ、合同歳祝いの会を主催されたJCの先輩方のお言葉を借りれば、JCの歳祝いは単なる厄払いや地域行事の類ではなく、JCの卒業式(40歳)と相俟って、「地域社会のため尽くす志を持った同い年の面々が、卒業と同時に共通の通過儀礼を持つことで、各人が志を実践して社会に奉仕するための結束や相互扶助の基盤とする」という独自の意義があります。

盛岡JCの合同歳祝いは、諸事情により一旦中断(一部の方だけの個別実施型)し、3、4年前に復活したと伺っていますが、卒業生の大半が歳祝いに参加した我々の期は、リーダーのIさんのもと、現在も非常によい関係が続いており(恥ずかしながら、私は現在も半端な参加しかできていませんが)、今後、盛岡JCを卒業される方々も、ぜひ合同歳祝いを続けると共に、なるべく卒業生の全員が参加できる方向で取り計らっていただければと思っています。

ところで、最近、半年分以上溜まった日経新聞を斜め読みで処理しているのですが、昨年8月の「私の履歴書」を担当された東大寺長老の方(森本公誠氏。宗教家であると共に高名なイスラム研究者だそうです)が連載を終える際に、アフガニスタンの古代遺跡で発見されたデルフォイ(古代ギリシャ)の哲学者の碑文を紹介していました。

いわく「少年のときには良き態度を学び、青年のときには感情を制御することを学び、中年には正義を学び、老年になっては良き助言者になることを学ぶ。そして、悔いなく死ぬ。」

この碑文のうち、「少年」を成人する(又は社会に出る)までの時代、「青年」をJC世代(20歳~40歳)、「中年」を40歳から一般的な職業人としての熟練期(個人差はあるにせよ概ね60~65歳)まで、それ以後を「老年」と解釈し、かつ、「学ぶ」とは習得だけでなく実践を含むのだと理解すれば、この碑文を違和感なく受け止めることができそうです。

そうした意味では、盛岡に生きる方々には「歳祝い」を正義を実践する責任を再認識するための通過儀礼として大切にしていただければと思っています。

また、盛岡では女性について「歳祝い」に相当する行事があるのか存じませんので、40歳かどうか、ゴシゴシ系とする否かはさておき、女性についても、責任世代として心機一転する意識を醸成できるような通過儀礼的な行事を考えても良いのではと思います。

上記の森本氏の連載は、「世界は美しいもので、人の生命(いのち)は甘美なものだ」というブッダの最晩年の言葉で締めくくられていましたが、そうした実践を通じて、個々人が美しい生き方をし、世界全体を美しいものにしていくことができればと思っています。

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R03.03.22追記

先週のケンミンショーでも、この件が再び取り上げられており、昭和40年代に盛岡の酒造関係者の組合の青年部が、酒類販売が落ち込む2月のテコ入れのため、伝統行事の「おまけ」として発案し広めたのが、この奇習の始まりだ(要は、バレンタインチョコのようなもの)、という解説がなされていました(この投稿を載せた際にも、そのようなコメントをいただいた記憶があります)。番組(映像記録)内に、存じ上げている方の姿も拝見でき、驚きました。

盛岡の町家文化と地元弁護士の役割

先日、古い町屋群が保全されている盛岡市鉈屋町で開催された「盛岡町家 旧暦の雛祭り」と、北上川を挟んだ対岸の仙北町で開催された「森とひなまつり 明治橋仙北町界隈」の双方を拝見してきました。

とりあえず、関連HPを貼り付けますので、あまりご存じでない方はこちらをご覧下さい。
http://machijuku.org/event/
http://www.city.morioka.iwate.jp/event/event/028793.html

http://www.morioka-times.com/news/2014/1404/11/14041101.htm
http://www.morioka-times.com/news/2014/1404/09/14040901.htm

鉈屋町の方は、今年で10年目だそうですが、通り沿いの家々に雛飾りが溢れ、規模も大きく人力車や和装の方々のパレードなど、和服姿の女性(年齢層は様々でしたが)を沢山お見かけし、古い街並みを生かした華やかなお祭りとしての雰囲気が良く出ていました。

仙北町の方は、鉈屋町と比べると規模は遙かに小さいですが、「徳清(佐藤家)」と金澤家の2つの文化財的な価値のある邸宅の公開を兼ねており、「雛飾り」の規模も、私が拝見した限りでは全体を通じて金澤家の飾りが最も見応えがありましたので、鉈屋町と仙北町の双方を見ないと勿体ないと思いました。

ところで、私が「ひな祭り」を見に行ったのは今回が初めてだったのですが、私は雛人形の価値などが分かる人間ではありませんので、主たる目的は、これまで拝見したことのない鉈屋町の建物群や徳清倉庫などの内部を見学することと、もう一つの理由がありました。

私が一応の責任者(委員長)をつとめている、岩手弁護士会・公害対策環境保全委員会では、来月、鉈屋町側の主催団体である「盛岡まち並み塾」の事務局長である渡辺敏男氏(建築家)に、「歴史的景観の保全」等に関する講義をお願いすることになっています。そのため、鉈屋町等の町家の文化的価値やその保全活動などが講義のテーマになると予測されるので、予習としてお邪魔したという次第です。

ただ、「まち並み保全」というテーマは、歴史や古い街並みがそれなりに好きな人なら誰でも入っていけそうな感じがする反面、私の知る限り、日弁連(公害環境の委員会)でも取り上げられておらず、建築実務に携わっている方でないとピンと来ない建築規制の細かい話が取り上げられやすいこともあって、弁護士の出番がどこまであるのか(出番を作れるのか)、よく分からないというのが正直なところです。

反面、本丸というべき建築規制の話にこだわらず、その周縁で生じる様々な法律問題に関する御用聞きのような形であれば、平凡な弁護士にも色々と出番が生じる可能性はあるのではとも感じています。

例えば、数世代に亘り受け継がれている町家の中には、数十年前に亡くなった方の名義のままになっていて、現役の相続関係者の意思統一が困難であるなどの理由で、相続登記に困難を伴う例があるかもしれません。また、長期間、空き家の状態が続き、近隣の方にとっても防犯、安全面で不安があり、管理や権利関係の処理を速やかに行うことが望まれる例、敷地の利用関係が複雑であるとか境界などに深刻な対立を伴う例など、弁護士がお役に立てる、立つべきケースが幾つもありそうな気がします。

また、今回の徳清倉庫さんのように区画整理などの形で行政との接触(往々にして利用形態に関する干渉や変更要請)を受けることも多いでしょうから、中には行政と見解の相違が生じて法的検討、調整を必要としたり、或いは、利害関係者の多くの方が意思統一できているものの、一部の方の反対があって物事が進まず、早期解決のため弁護士による法的な対応が望まれるという例もあるのではと思われます。

そして、それらの具体的な対処を通じて現行法制の問題点や限界を明らかにできれば、「まち並み塾」のような団体さんと協力して、法律や条例等のあり方について深みのある提言をするということもありうるのかもしれません。

それらの事柄にお役に立つことを通じて、街並みを守っている方々が一致結束して文化的価値を高める営みをすることを下支えするような活動ができれば、「街並み」そのもの(文化的価値云々)について込み入った知識がなくとも、地元の弁護士としての役割を果たすことができるのではないかと思われ、その点も含めて、地域の「宝」の価値の保全や向上に取り組んでおられる方々との協働関係を持つことができればと願っています。

 

月額3000円(税別)の顧問契約に関するコンセプト

平成23年に月額3000円の顧問契約(Aコース)を設けた際に投稿した文章を微修正したものです。利用頻度に応じた顧問契約の定め方に関心のある方は、ご覧いただければ幸いです。

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平成23年から、顧問契約に関する新機軸(Aコース)を打ち出すことにしました。個人・法人を問わず、月額3000円(消費税別)で顧問契約(顧問弁護士)を導入できるというもので、弁護士会の報酬会規の法人顧問料が月額5万円(岩手・盛岡では、月額3万円が多いとも聞いています)ですので、相場より大幅に値引きした価格ということになります。

以下、このコースの設定の経緯、意図等について、ここで概略を説明いたします。なお、金額の表示はすべて税抜としています。

1 Aコース設定の経緯

私は、零細企業経営者の子弟のはしくれであると共に、真っ当なビジネスをする企業が盛んに活動することが社会を成り立たせる基本と考えていますので、弁護士として中小・零細企業の経営を支援する仕事には相応の意欲を持って取り組んでいます。

東京時代には勤務先に様々な顧問先企業がありましたので、そうした意欲を充足できる多くの仕事に巡り会いましたが、岩手に戻った後は、私が盛岡に地縁・血縁がないに等しく、依頼事件の多くは弁護士会や市町村などの相談会でお会いする方々の個人的な問題ばかりで、企業活動をサポートする仕事をご依頼いただく機会はめっきり減ってしまいました。

幸い、全くご依頼がなかったわけではありませんが、多くは他の先生(弁護士など)から紹介いただいたり、弁護士会の相談センター等で偶然お会いした方ばかりで、企業の方が直接にアクセスされてきたことは、滅多になかったと感じています。

現在、当事務所と顧問契約を結んでいただいている企業さんの数も、恐らくは私と同等の実務経験(約20年)を有する弁護士の平均値を遥かに下回る数と言わざるを得ないでしょう(人脈云々以前に、カリスマ性の欠如が最大の要因かもしれませんが)。

JC(青年会議所)などで多少とも垣間見る限りの印象ですが、盛岡・岩手でも、少なからぬ企業さんが県内又は仙台・東京の弁護士と何らかの繋がりを持っていたり、弁護士の紹介を受けることができるルート・人脈等をお持ちのようで、インターネット(Webサイトを掲げる事務所)を弁護士探しの主たるツールとして活用しようという方は、あまり多くはないようです(意思決定を司っている社長さんなどが、ご高齢という事情もあるかもしれませんが)。

そのため、企業(とりわけ、地元に広範な人脈を持ち従前から弁護士を利用してきた企業)の方々から依頼を得ることは、岩手に戻って10年以上を経た今でも、容易ならざるという印象を受けています。

また、私のように地縁・血縁のない人間が異業種の方々との人脈を作るには、例えばJCのような様々な業界の方が集まる夜の会合などに参加する必要があるかとは思いますが、極度の残業体質の上、家庭の事情で夜間に身体を空けるのが難しいという事情もありました。

もちろん、純然たる個人向けの仕事が嫌というわけでは全くなく、今後も多くの力を注いでいくことは間違いありません。ただ、弁護士の活動を通じて地域社会の全体に貢献するとの初志からは、個人向けの仕事ばかりに比重が強くなるのは望ましくなく、個人向け・企業団体向け双方の業務をバランスよく受注できる事務所であるべきだと思っています。また、一方の仕事を経験することが他方の業務にも大いに生きてくることは当然です。

というわけで、夜の会合以外の方法で人脈を作ったりご依頼をいただく機会を作ることができないか模索してきましが、名案も浮かばず、「この弁護士は色々な仕事を手がけているから、話だけでも聞いてみようか」と関心を持って頂けるような内容にしようと、事務所サイトで「取扱実績」欄を増設するなどしていました。が、それを理由にに依頼いただくこともなく、暗中模索の日々が続きました。

そんな中、平成23年当時、たまたま手にしたビジネス誌で、東京の若い弁護士さん達が経営している事務所(ベリーベスト法律事務所)が「月額3980円(消費税込み)の顧問契約を導入した」として、大きく取り上げられていたのを目にしました。

私自身、以前から「実際のご利用があまり多くはない企業から月額で数万円の顧問料をいただくのは、弁護士の不労所得に等しく合理的ではないし、そのような契約は長続きしない。ただ、来所相談をする必要は滅多になくとも簡易な相談を気軽にできる顧問弁護士は欲しいというニーズはあるはずで、それに対応するサービスを提供できないだろうか」との思いがあり、当方も導入すべきと考えました。

以上の経緯で、従前から設定していた顧問契約とは別に「月額3000円+受任時の1割引」というプランを新設した次第です。

ネットでざっと調べた限りでは、平成23年当時、ベリーベスト法律事務所の「3980円」よりも低い単価で顧問契約を謳っている事務所はなく、当時「日本で一番安い値段で顧問契約を引き受ける弁護士」だったかもしれません(その後は調べていません)。

2 新コースの目的

新コースの主たる目的は、サイトに表示したように、たまには弁護士に電話やメールで聞きたいことがあるという方が、従前よりも安価な値段(顧問料)で気軽に問い合わせ等ができるようにしたいとのニーズにお応えする点にあります。

また、簡易なやりとりであっても、法的なアドバイスを通じて、本格的な弁護士の出番を要しない形で紛争を予防したり交渉相手からのアドバンテージの獲得につなげていただいたり、中には、ご自身が気づいていない問題を指摘し、すぐに本格的な事件として動き出すべきだ、とお伝えすべきこともあると思います。

早期のご相談→合理的タイミングでの事件依頼→手遅れの防止というサイクルで考えていますので、来所相談の必要がある場合に支障なくご来所いただける方(岩手の方や盛岡へのアクセスに難がない隣県などの方)を顧客層として想定しており、基本的に「全国展開」するようなサービスではないと考えています。

また、過去の経験等から「町弁の採算に関するデッドライン(基準単価)は時給2万円」と考えており、月額3000円(年額3万6000円)という価格は「年間2時間弱(月に平均1回、1回あたり電話・メール等で10分程度)のご利用」に相当すると位置づけています。そのため、それ以上のご利用が多く生じる場合、原則として追加料金をお願いするか他の契約類型への切替をお勧めすることになると思います。

この程度のご利用なら、普段なかなか弁護士に相談することはないという中小・零細企業や個人の方でも一定の実需はあるのではないかと考えての設定です。

3 伝統的な顧問契約との異同など

伝統的な顧問契約の相場よりも遥かに低い値段ですが、従前の顧問契約の価格破壊を目的とするものではありません。むしろ、来所相談等は割引とはいえ有料とさせていただきますので、「顧問先の相談は無料」という契約類型とは、異種のものと言えます(従来型の顧問契約もタイムチャージと組み合わせる方式でお引き受けしています)。

敢えて言えば、「毎月、数万円を払って顧問契約をしているが、さして利用がなく、契約に疑問を抱いている企業」にとっては、いざというときに弁護士への迅速なアクセスを確保するため顧問契約だけはしておきたいとのニーズをリーズナブルなコストで確保しうる点で、価格破壊的要素はあるかもしれません。

ただ、それは、従前の顧問契約(弁護士)に、実働を伴わない顧問により不労所得を得ている面があったこと自体が間違っているというだけのことであり、「あるべき価格を不当にダンピングする」という意味での安値競争とは異なるものです。

もとより、顧問契約を締結している多くの弁護士が不労所得を貪っているというわけではありません。ネット上で検索いただければすぐにお分かりのとおり、伝統的に、一般的な弁護士の顧問契約が「月数万円の顧問料を支払えば相談等の時間は原則として無制限」となっているため、相当量のご利用があれば元が取れるようになっており、そうした利用をされている方も沢山おられると思います。

しかし、この仕組みだと、盛んに利用(相談等)をした方とそうでない方とで実質的に大きな不公平が生じてしまいます。さりとて、伝統的にドンブリ勘定体質を持つ弁護士業界で「利用実績のない顧問先には顧問料を返金」などといった手法が普及するとも思えません。

毎月、帳簿類の精査という明確な実働が伴う税理士さんと異なり、弁護士の顧問業務は相談等の実需がないと機能しにくい面があることは否定できません。そのため、利用の有無に関係なく頂戴する顧問料の部分はなるべく減額し、それと共に、多くのご利用のある顧問先には顧問契約をせずに利用される依頼者よりもメリットがある(割引サービス)という形で顧問契約を再構成していくのが、これからの顧問弁護士に関する望ましい姿ではないかと考えます。

「定期的に顧問先企業を訪問して相談等を行う」など、顧問税理士のように定期的な実働を伴うケースなら、低額の顧問契約を導入しなくとも、実働に応じた相当の顧問料を定めればよいと思います。しかし、法務部門が各部門のリーガルリスク等を定期的にチェックし顧問弁護士に定期的に相談する仕組みを作りやすい大企業ならともかく、現在の我が国の中小・零細企業にはそうした実需は滅多にない(掘り起こしも難しい)という印象です。

また、Aコースのような顧問契約については、学校の同級生など個人的に親しい関係の弁護士がいるという方なら「ちょっとした相談程度なら、その弁護士に電話等でサクッと聞けばいいから敢えて顧問契約なんてする必要はない」ことになるかもしれません。

ただ、そうした人脈を持たない方や、あったとしても一種のフリーライダーになりたくないという方にとっては、簡易な相談を遠慮なく受け付けること自体を目的とした低額の顧問契約は相応に利用価値があると思われます。

私自身、今は概ね(至って?)健康のため必要はないものの、いずれ病気がちになった場合は、町医者の方に低料金で自分の身体に関する些細なことについて遠慮なく電話・メールで相談できる顧問契約のようなものがあればと思わないではありません。

個人的に、仕事上お世話になっている医師の先生や遠方の病院で活躍している高校の親友もいないわけではありませんが、逆に、おいそれとは相談できず、よほどの事情がなければと腰が引けてしまう面があり、料金のやりとりをするビジネスライク?な関わりの方が、案外、料金などの範囲内で遠慮無く物事を聞きやすいような気もします。

4 料金

月額3000円の設定の根拠は、3980円(消費税込み)のベリーベスト法律事務所(の方々)に比べ、経験年数では上回るものの規模では遥かに見劣りすることから、同事務所より若干低めの値段としたものです。

また、あまりに低くするのもどうかと思いましたので「今どきの顧問弁護士=高額なランチ一食分」と考え、「高級食材を扱うが、リーズナブルな価格で提供しているレストランで、ランチを月1回利用すればディナーが1割引になる」イメージで考えてみました。

ちなみに「無料」というのは、他の顧客等へのしわ寄せを不可避とするものですので、震災のように臨時的な場面以外は多用すべきでないと思っています。そうした理由で、私は巷で流行する「債務整理等の無料相談」はしていませんが、反面、直ちにお引き受けする場合などは相談料は頂戴しない(又は、相談料分を定額料金から差し引く)などの方法でバランスをとっています。

昔、ある大物弁護士の方が「社長さんに顧問弁護士(月5万円)を勧める際は、社長さんが月1回、高級料亭かクラブで飲食するのを控えれば済む値段ですよ、それで会社が守れるのだから、安いものではありませんかと説明している」と仰っている文章を読んだことがあります。

しかし、このご時世や現在の私の身分では、高級料亭やクラブに入り浸るような社長さんと接点を持つことは到底期待できません(イソ弁時代は少々お会いする機会もありましたが、今となっては昔のことです)。

他方「頑張った自分へのご褒美で、月に1回くらいは贅沢なランチを食べたい」という方なら、幾らでも知り合う機会はありそうですし、コストパフォーマンスを真剣に考えて選んでいただく方が、実りあるお付き合いになるのではないかという期待もあります。

月3000円という価格も実需のない方には十分に高額ですので(少なくとも私のような一般人から見れば)、「顧問弁護士」という一種のブランド価値をダンピングしているということも言えないでしょう。

5 見通し

ただ、「このコースが対象として想定している潜在顧客層」が、このような金額・コンセプトでの顧問契約に対する実需(利用価値があるとの理解を含め)がなければ、実際に申込みを受けることもないでしょう。

私自身は、弁護士が希少種である時代には「顧問弁護士」は金持ち企業のステイタスのようなものだったが、その時代は終わった。タイムチャージ等と組み合わせたリーズナブルな料金での契約が新しい時代に求められる町弁の顧問契約ではないか、と考えているのですが、皆さんのご意見をお尋ねしてみたいところです。

事務所サイトで小さく表示するだけの扱いですので、導入から2年半を経過した平成26年2月現在も、実際に申込を頂戴した企業様はごく数件に留まっています(もちろん、お申し込みいただいた皆様には大変有り難く思っています)

(追記・令和2年改定時には、幸い従前よりはかなり増えています。それでも十数社ですので、他の先生方に及ぶべくもありませんが・・)。

私自身が華やかな宣伝に向いている人間ではありませんので、サイトをご覧いただく方を別とすれば、個人的に聞かれた際「ウチではこういうこともやっています」とご説明する程度のことしかできないのだろうと思います。

まだ、このような顧問契約の新しいプラン(類型)を作ったことが成功と言えるのかそうでないのか、結論が出ていませんが、こうした試みが社会に受け入れていくのか否か、しばらくは様子を見てみたいと思います。

後遺障害の認定申請時での弁護士への相談の必要性

今年は、交通事故の被害者の方から賠償請求を受任する例が多く、後遺障害が生じ、後遺症に基づく高額な慰謝料・逸失利益を請求している事案も幾つかあります。

後遺障害については、交通事故の場合、自賠責保険による認定制度があり、加害者が任意保険に加入していれば、その保険会社を通じて必要書類を提出し、自賠責調査事務所の審査・認定を受ける方式(事前認定)が一般的です。もちろん、加害者が任意保険に未加入なら、被害者請求という形で、加害者の自賠責保険に請求し、審査・認定を受けることになります。

いずれにせよ、認定された後遺障害の内容、等級に異存がなければ、その認定をもとに、自賠責保険金の支払を受けたり、これで賄われない損害額について、加害者に賠償請求し、争いがあれば裁判所の判断を仰ぐことになります。

これに対し、認定内容に不服がある場合には、医師に相談するなどした上で、自賠責保険の手続の中で異議申立をし、自賠責の判断の修正を求めたり、それが適わない場合には、裁判所に自賠責の判断とは異なる等級等の判断を求めていくことになります。

職業など個別的な事情によっては、自賠責の等級認定を上回る後遺障害の等級評価を裁判所から得られる場合もあり、1、2年前に取り扱った事件で、そのような評価を得て、高額な賠償を勝ち取ったことがあります。

ところで、ご相談を受けた案件の中には、複数の後遺障害が生じている方で、一部の後遺障害に関する自賠責保険に対する認定申請が抜けているという例がありました。

主たる後遺障害については相応の調査、認定が行われており、自賠責保険上の等級認定には影響しない下位等級の後遺障害の認定が落ちているという例がほとんどですが、それでも、裁判上、後遺症慰謝料や逸失利益の判断に影響がないわけではなく、やむなく、異議申立をして認定を求める作業をしています。

そのような意味では、後遺障害の認定が関係する方にとっては、加害者側の損保から示談案の提示を受けて初めて相談されるのではなく、事前認定の資料を提出する段階で、ご相談された方が賢明かもしれません。

例えば、どのような後遺障害があるか、ご認識を簡単に書面にメモ書きしていただき、すでに準備している後遺障害診断書などもご用意の上、それらと後遺障害等級表や認定基準などを照らし合わせ、個々の障害について予測される等級を確認し、申請の漏れがないか、より適切な資料を提出すべきでないかなどを検討するような作業をしてもよいのではと思います。

すべての事案で、そこまでの作業が必要ではないとは思いますが、弁護士費用保険などで相談料などは賄えるはずですので、本格的な準備の要否などを確認する趣旨の簡易な相談だけでも、早めに受けていただければと思っています。