先日の総選挙では、投票率の低迷が全国的に指摘されていましたが、岩手県内では山田町の投票率が前回との比較で突出して低下したという趣旨の記事が出ていました。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20141216_3
これは、山田町が鈴木俊一氏(岩手2区)の親子二代に亘る地元であり、定数不均衡の是正のため今回から岩手3区に編入された関係で、町内の同氏の支持者の方の多くが投票の意欲を無くしたためであることは間違いないと思います(抗議目的の無効票も相当にあるかもしれません。無効票のデータも見てみたいのですが、報道されておらず残念です)。
このように、「選挙区内の住民の多くが、区外の候補者に投票したいと思っているのに、選挙制度の関係で投票できない状態」というケースは、上記のように区割り編成がなされる場合はもちろん、政党などの都合で候補者自身が選挙区の移動をする場合にも起こり得ます。
また、選挙民の立場からすれば、例えば、「自分はA党の支持者だが、自分の選挙区内のA党の候補者として出馬しているB氏は、国政を託するに足りない人だと思うのでB氏には投票したくない、どうせなら隣の選挙区のA党の候補者のC氏に投票したいのに」というケースは、多々あると思いますし、小規模政党の支持者の方だと、支持する政党が選挙区に候補者を立てることができないという問題もあると思います。
そうした意味では、小選挙区制は、選挙権者の「投票したい人に投票する権利(利益ないし自由)」という意味では、強い制約のある制度だと言えます。
それ以外でも、岩手に関しては、盛岡市と合併した玉山区が、定数不均衡の関係で岩手2区のままの状態が続いている(当面は1区にはなりそうにない)という問題もあり、地方自治(合併した自治体や広域圏の一体性)に対する悪影響も指摘されるべきだと思います。
そもそも、小選挙区制は、①中選挙区制では同一政党(特に与党)から複数の候補者が出馬し、各人が地元民や支援団体などの利益誘導にばかり熱心になりやすい=腐敗リスクがある②有力な二大政党(自民党に代替しうる政治勢力)が出現すれば、55年体制で延々と続いた自民党の万年与党時代が打破され政権交代が可能な政治体制になる(中選挙区のままでは、自民党以外の政治勢力が政権を取るのは無理だ)、といった理由で推進されたものと理解しています。
ただ、②二大政党については、民主党の凋落後は、当面は野党に統合などを推進できる強力な指導者も見あたらず、今回の選挙結果や前後の政治情勢などを見る限りでは、自民党が分裂するような強烈な出来事(今のところ、憲法改正と権力闘争が連動するような事態くらいしか思いつきませんが)でもない限り、今後の選挙でも、当選議員数の程度の差はあれ、自公の万年与党化への逆戻りは避けられないようにも見えます。
また、①ハコモノ行政による財政悪化が盛んに言われる現在の政治状況下で、「中選挙区制に起因する利権誘導政治」なるものがどれほど生じるのかピンと来ない面がありますし、ここ十数年に政治資金・汚職絡みで問題となった事件については、地元(の利益団体)への利益誘導とは異なる次元の話が多いように思われ、腐敗リスクは、現在の社会では、中選挙区制(同一選挙区に同一政党の複数候補者が生じる制度)を否定する理由としては弱いのではないかという感じがします。
むしろ、冒頭に記載した、選挙権者の「自分が投票したい人に投票する自由」という観点からは、全国規模で好きな人をというのは行き過ぎだとしても、例えば、岩手のように4人前後の定数になっている県については、県を1個の選挙区にした方が、自分が県の代表者として国政に送り出したい人を厳選して投票することができるようになると思います。
そもそも、特定政党の強固な支持者の方であれば、「支持政党の擁立候補」であれば、どんな方であれ無条件・問答無用で投票するということになるのかもしれませんし、無党派でも「風(そのときの各政党などへの世論の勢い)」で投票行動を決める方であれば、同様に、気に入った政党の擁立候補であれば、候補者の資質その他を吟味することなく、とりあえずその候補者に投票するということになるのかもしれません。
しかし、(私のように)広義の無党派であると共に、候補者間の「国政の権力行使の従事に相応しい力量、見識を備えている程度(将来性を含め)」を投票行動の最終的な決定要素として重視したいという人間にとっては、むしろ、基本的な価値観を同じくする同一の政党から多数の候補者が出現して欲しい、その中でリーダーとして特に託したいと思える人に投票したいという希望があるはずで、そうした需要に応える選挙制度が導入できないか、議論してもよいのではと思います。
特に、昔と違って日常的に中・広域移動をする人が増え、「盛岡に住んでいても仕事の関係などで他圏(の候補者)の方が親しみがある」といった方も少なくないはずですし、人口減少やネットを含むメディアないしコミュニケーションツールの発達などを視野に入れれば、どちらかと言えば選挙区の単位を大きくする方向に考えてよいと思われます。
とりわけ、冒頭の山田町民のように「地元のセンセイに入れたい」という人にとっては、地元から候補者が引き離される事態を避けたいという面からも、選挙区の単位が大きなものになった方が、「自分が入れたい人に入れる」という希望を満たすことができるのではないかと思います。
その場合、大雑把な感覚ですが、従前の中選挙区に戻すのではなく、もう少し大きい単位(岩手くらいの人口規模なら県単位か隣接県を含む道州単位、首都圏等なら複数の特別区や市の単位)で考えてよいと思われ、1選挙区に4~10名程度の定数を割り振る選挙制度であれば、その需要を満たすと共に、選挙制度の合理的な運営、定数不均衡の是正、投票率の向上といった、選挙制度に関する他の幾つかの要請にも、概ね応えることができるのではないかと思います。
なお、このような選挙制度をとった場合に、「A党の候補者BCDEの4人のうち、Bばかりに票が集中した場合、全体としてA党候補者の得票が多いのに、個人としての得票が少ないCDEの3名が共倒れになる」という問題が生じ得ます。
このような2番手以下が共倒れになるリスクについては、例えば、投票用紙に「票を入れたB氏が必要以上の票を得た場合に、B氏ないしA党が、C氏ら2番手以下に配分することを了解するか否か」という項目を作るなどの方法で、全体として選挙区内で多数の票を獲得した政党がより多くの議員を擁することができるシステムを構築することは可能ではないか(上記の例なら、投票者がB氏以外の候補者には当選して欲しくない(B氏以外は他党の人を当選させたい)と考えるのであれば×、A党の支持者なのでB氏が十分な得票を得るなら他の候補者に配分して構わないと考えるなら○を選べば、死票にならない)と考えます。
また、選挙区の単位を大きくする主張には、「選挙費用が嵩む」との批判が向けられやすいことは確かですが、広すぎることで、かえって掛け声だけの選挙カーが意味をなさない(費用対効果が悪い)として、有権者に対する別のアプローチ(選挙期間以外の時期を含め)ないしコミュニケーションの文化が開発・醸成されるのではと期待したいところです。
少なくとも、小選挙区導入以後の岩手1区の各候補者の得票率(wiki情報)などを見る限り、浮動票の占める割合が非常に少なく、各党ごとの得票率の固定化ぶりが著しいように思われ、そのことは、個々の候補者の得票の大半を固定客=政党等の支持者が占めていること、裏を返せば、現在の選挙制度(小選挙区制)が、無党派(各候補者を吟味して投票行動を決めたい人)にとって魅力(選択肢)のない制度になっていることを示しているように感じます。
一朝一夕にできることではありませんが、少なくとも、小選挙区・比例代表並立制を所与の前提とせず、我が国の現在及び将来の民主政治にとってどのような選挙制度(代表者を選ぶシステム、ひいては選挙で抜擢される代表者のあるべき姿)が最良なのかを、国民が広く議論し認識を共有できるような文化が醸成されて欲しいと願っています。