現在、岩手県庁を被告とする大事件の起案の真っ最中で、県某局の悪口なら仕事で山ほど書きましたが、これまで先日の市長選のような投稿をする余裕がありませんでした。
岩手の小沢氏勢力vs自民党の最終・頂上決戦であるにもかかわらず、つまらない選挙だとも囁かれる今回の知事選等ですが、ようやく時間が出来たので、無党派層の投票意欲を多少は駆り立てたいとの観点から少しだけ書きます。
県庁相手に訴訟している身で言うのもなんですが、市長選同様、どちらにも肩入れしない立場のつもりで書いています。
今回の投稿の趣旨は、今回の知事選を巡る「岩手の矛盾と風土」を説明した上で、この選挙は、
「みんな貧しく、それでいい(やむを得ない)岩手」か、「それじゃマズいから、ドカ貧リスクを取ってでもジリ貧から抜けだそうと足掻く岩手」か
の選択ではないか、というものです。以下、詳細です。
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つい先日、岩手県の最低賃金が全国最低に落ちたとの報道がありました。私の実感でも、今の岩手は、震災前に比べても、どんどん貧しくなっているように感じます。
そうであれば、知事の責任を問う声、或いは不満のはけ口として知事の悪口を言う声が、県民なかんずく低所得者層(最低賃金に近い収入しか得られていない人々)から沸き上がって良いはずです。
しかし、そのような階層から知事の悪口、対抗馬擁立などの声は、ほとんど聞こえてきません。
昔から低所得者層の人々は共産党など左派色の強い政党を支持するものだと言われていますし、現に、共産党系の労働組合(いわて労連)は、先日、最低賃金の答申に異議申立をしています。
が、彼らは達増知事批判をするどころか、今は共産党も達増知事の支持勢力の一つだと言われており、十数年来の小沢氏の左傾化に伴い、岩手の左派系の方々は、ほぼ達増知事支持で固まっている(離反していない)と言われています。
他方、最低賃金であれ、その根底にある岩手の貧しさであれ、その点=達増知事や現県政を厳しく批判するのは自民党系の方々が中心ですが、自民系の支援者には、低賃金に助けられているはず?の小規模企業経営者も珍しくありません。
露骨に言えば、岩手でも相応に裕福な(カネにあまり困っていない)暮らしをされている方がおり、そうした方は自民党の支持者が多いことは、誰しも(FBでチラ見できる人も、そうでない人も)知っていることだと思います。
要するに「低賃金で困っているはずの人々が、長きに亘る県政運営の責任者である達増知事を支持し、低賃金で助けられている(ように見える)人々の方が、達増知事を引きずり下ろそうとしている」
という矛盾した光景が、そこには見て取れます。
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どうして、このような事態が生じているのか。
震災以来、県政が直面する課題を粛々とこなしているが、知事個人のカラー(何をしたいか)が見えてこないとも言われる達増県政ですが、少なくとも1度、政策選択として他県との好対照をなしたことがあります。
震災で大打撃を受けた水産業界を復興させるにあたり、宮城県は村井知事の方針のもと、水産業界への企業参入を推し進めたのに対し、岩手では「なりわいの復興」の掛け声のもと、震災前と同じく零細・小規模な個人水産業者の生計を守ることを重視した政策をとったと言われています。
これは、もともと宮城は企業参入の素地があったのに対し、岩手は零細従事者が圧倒的だったから(基盤が違う)と言われたりしましたが、企業=ヨソ者は入れない、昔からのやり方は変えたくないのが岩手の風土で、達増知事はそれを保護した(変えようと挑戦しなかった)面もあるように見えます。
その達増知事の選択に、報道(日報記事など)を見る限り怨嗟や批判の声はほとんど聞こえてこないように思われますし、その選択を通じて「なりわいが守られた=ヨソ者が入ったりして面倒な思いをしなくて済んだ」と感じた沿岸の小規模水産業者の多くが、達増知事を支持しているのだと思います。
他方、これと異なる選択をした宮城は、(当時多少は報道されたように)従前からの小規模事業者と新規参入した企業との対立・軋轢・優勝劣敗が生じ、中には競争に負けて退場し又は従業員化せざるを得なかった人、或いは参入に失敗し撤退・倒産等した企業も生じたでしょうが、競争を勝ち抜き巨大市場に打って出て富を得た人や企業もあったのではと推察されます。
震災から10年以上を経て宮城と岩手のどちらの水産業がより経済的成果を挙げているのか、少し調べただけではよく分かりませんが、宮城の「水産業復興特区」をWeb検索すると、左派系の批判的投稿が散見される一方、結果を総括した第三者的な記事が見つけられなかったので、今も模索中の状態なのかもしれません。
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ともあれ、村井知事が軋轢覚悟で従来の方法を変える挑戦をしたのに対し達増知事はそのような選択はせず、また、この十数年間の達増県政を見ても、そうした「分断や紛糾を生じさせる県政の挑戦」の光景を見た記憶がありません。
そうした意味で、達増県政は
昔からのやり方を変えたくない。ヨソ者に掻き回され変わらざるを得なくなるなんて真っ平御免だ。それで、結果的に貧しい状態のままでも、それは仕方ない。だって昔から皆が貧しさに耐えてきた岩手なのだから
という岩手の田舎的?な文化に、良く言えば寄り添い、悪く言えば迎合するものだ(その文化を変えずに済む前提で、県民生活向上のための様々な努力をなさってきた知事だ)と言うことができそうに思います。
言い換えれば、「ドカ貧リスクからジリ貧を守っている(ように見える)」ことが、低賃金にあえぐ労働者が達増県政を支持し続ける理由なのでしょう。
だって、誰かに何かを根こそぎ奪われるドカ貧リスクに遭いたくない人にとって、ジリ貧の方が「まだマシ」ですから。
たった今、達増知事のサイトを拝見しましたが、やはりというか、各種政策分野への取組は詳細に述べられているものの、よく見ると、そうした内部の軋轢・対立を生みかねないリスクある挑戦(言い換えれば、県内の誰かが、俺の権益を奪うのか・俺の暮らしを脅かすのかと叫び出すような政策構想)は掲げられていません。
それは、平穏な暮らしを守りたい人には望ましいものなのでしょうが、退屈だとかチャンスがないと感じる人、チャレンジしたい人、能力のある人、稼げる人は出ていき、帰ってくる人は少ないとの結果になりやすいのかもしれません。
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こうした「挑戦しない・リスクを取らない県政」は、達増知事の人生の投影のようにも見えないこともありません。
増田知事の引退(再出馬断念)に伴い、達増議員が知事選出馬を表明した際、現在の鈴木財務相は、達増議員を「最強候補」と評しましたが、議員時代を含めて非常に選挙に強く、選挙に絶対負けない人=勝ち戦しかしない強運の持ち主、というイメージが強くあります。
また、議員であれ知事であれ、政治家としての達増知事は、口では安倍首相や自民党などの悪口や小沢氏勢力の追従発言を繰り返す一方、自身の身を危うくするリスクを伴う政治的行動をしているのを見たことがありません。
この点は、リスクある選択を繰り返し、時に大成功(二度の政権奪取など)しつつも程なく自壊させてしまう小沢氏とは全く逆だと言えます(小沢氏のような生き方ができる人の方が遙かに珍しいというべきでしょうが・・)。
私は、JC在籍時代に達増知事が知事選に初出馬した際の公開討論会を目の前で見ており、「知事は二期しかやりません!退職金はいりません!」と強く仰っていたのを拝見したので、「他に候補を擁立できなかったので小沢氏勢力を知事に据えるため仕方なく知事選に出たけれど、本音はきっと国政に戻りたいんだろうなぁ」と感じていました。
或いは、民主党政権が崩壊せず続いていれば、公約どおりすぐに知事を辞めて議員に戻り外務大臣などに就任したのかもしれませんが、小沢氏の凋落後は、知事の立場で小沢氏勢力を援護するような政治行動をしているのも特に見たこともなく(当初は悪目立ちも若干ありましたが)、華やかな話題を振りまき続けた増田知事と比べれば、良くも悪くも(つまらない発言報道以外は)目立つ行動のない知事として君臨し続けたように思います。
具体的なことを存じているわけではありませんが、恐らく、達増知事は自民など敵対勢力の利権基盤などに「手を突っ込み奪おうとする」ことも、していないのではないでしょうか。
全国の大物知事が官製談合などで次々に逮捕された20年ほど前と異なり、そのような元締め行為を知事が行うこと自体が難しくなっているのでしょうが、賢明な達増知事は、そのような危険なことをせずとも知事選には勝てると判断し、敵対勢力が憎しみのあまり血眼になって対立候補を擁立する事態が生じない状況を作ってきたと言えそうに思います。
だからこそ、達増知事の誕生以来、自民(自公)勢力は死に物狂いで勝てる候補を擁立することもなく、消化試合のように、勝ち目のない若い県議さんの使い捨て、或いは卒業式(記念受験)にしか見えないセレモニーばかり繰り返してきたのでしょう。
なにせ、負けても、さほど失うものがないのですから(候補者ご本人のことは存じませんが・・)。
かくして、つまらない選挙、あまり変わりばえのない岩手、競争に晒される他県と異なる、割と平和な暮らし(がんばらない岩手?)が続く一方で、その代償にジリ貧もまた続いてきた(でも、それでいいじゃない)・・というのが、岩手の長きに亘る選択だったのかもしれません。
そこには、縄文や蝦夷の時代から連綿と続く岩手の風土(或いは、これ以上ヨソ者に傷つけられたり、奪われたくないとの被害者意識?)が見え隠れしないこともありません。
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ところで、達増知事のことばかり書いていますが、私は達増知事も千葉県議も面識がなくチラ見程度の関わりしかなく(増田知事には修習生時代を含めてなぜか3回もご挨拶しており、結構ファンでしたが)、千葉県議が県議としてどのような活動をされていたかも全く存じません。
内舘新盛岡市長のように、何が何でも首長になりたくて一部の「身内」に嫌われてでも死に物狂いで努力してきた、といった物語性があるのかも存じません。
ですので、千葉県議のことは何も書けないのですが(否定も肯定もなく、単純に存じない方ということに尽きます)、これまで述べてきた達増知事のカラーや県政を巡る対立軸からすれば、自民系の候補者である以上、
平穏なジリ貧を続けるのではなく、多少の軋轢やドカ貧リスクを負ってでも、まずは、これまで(達増県政)と違うことをやってみよう
という面があることは確かなのだろうと思います。
少なくとも、千葉県議が公約として強調する「県民所得を本気で上げたい」のなら、既述の文脈のとおり、外資導入(ヨソ者参入)であれ、他の方法であれ、競争原理の強化(による底上げ)が不可欠ですが、そこには競争を嫌がる既存の方々の不満や軋轢との対決が不可避です。
それに耐えうる(対処できる)だけの力が千葉県議にあるのか私には分かりませんし、これまで出馬した自民系の県議さん達が負け続けた(自公系の基礎票である25%前後の得票しか得られなかった)のも、その方々がそうした過酷な道に耐えて県民を導けるだけの政治家としての力が十分ではない(無理しないなら達増知事で十分だ)、と無党派層などに評価された結果ではないかと思わないでもありません。
といっても、それは候補者個人を悪者にすべきことではありません。
自民系候補を支持している、ご自身の努力などを通じて相応に豊かな暮らしを得てきた方々が、努力や挑戦などを通じ、今の暮らしを変えていくことの意義や価値を他の県民に伝える努力を怠ってきた結果ではないか?というのが、一つの答えなのだろうと思っています。
言い換えれば、「こうすれば、ドカ貧リスクを避けて、ジリ貧から抜け出せるよ、だから、まずは努力し挑戦してみよう」と伝え、率先して実践する人が岩手にもっと増えることがあれば、県政はやがて変わっていくのでしょう。
もちろん、自民系の方々(政治家、支援者)にも、今の自身の豊かな暮らしに満足しそれを維持できれば十分だと感じている方も多いのでしょうが、そうであれば、結局のところ、そうした恩恵にあずかれない人々の
ドカ貧リスクは嫌だから、ジリ貧続きでも仕方がない。だって、元々の生活を続けられるのだから。たぶん。
という気持ち(それを基盤とする達増県政的なるもの)は覆されることなく、今後も「どこか残念な岩手」は延々と続いていくのでしょう。
そこに何が取り残され、誰が失望するか、そしていずれの路線を選択するか、すべては県民一人一人が決めることですが。
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最後に、県議選のことについて何も触れていませんので、一言だけ書きます。
といっても、個別の候補者のことについて書きたいわけではありません(某訴訟の関係で、あれこれ言いたい現職の方が1人だけ盛岡以外の某選挙区におられますが、自粛します)。
下記の引用投稿のとおり、私はJCに在籍していた約15年前、県知事マニフェスト検証大会の運営に3回ほど関与し、県民向けアンケートの作成と分析などを担当しました。
岩手県知事マニフェスト検証大会のレクイエム | 北奥法律事務所 (hokuolaw.com)
が、こうした流行りものはサクッと廃れ、今や県政の検証などというのは新聞等で少しばかり取り上げられる程度ではないかと思います。
本来は、それを行うべき立場にあるのが県議会なのではないでしょうか?
知事与党(立憲系)なら礼賛検証、野党(自民系)なら批判検証になるのでしょうが、それぞれの会派が専門家や県民有志に呼びかけ、メディアなども巻き込んで県政の様々な論点や意見を県民が共有できる場を作る、そうした努力が県議さんには求められるのではないかと思いますが、残念ながら、そのような話は聞いたことがありません。
皆さんには、投票日だけの主権者ではなく、選挙結果が定まった後も、代表者に様々な形で働きかける県民であって欲しいと思いますし、この投稿もその一助になれば大変幸いです。
それが、日本国憲法92条に定める「地方自治の本旨」なのですから。
少しだけのつもりで毎度の大長文になりましたが、ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。