自民党の復権(第2次安倍政権誕生)以来、「安倍1強」というべき状態が続いていることに、政治状況の安定の反面、アンチでなくとも閉塞感や社会問題に関する議論の不活発さを感じているという方は少なくないと思います。
最近の社会経済を巡る話題としては、トランプ政権誕生や英EU離脱などで世界経済及び政治が閉鎖的・抑圧的な方向に向かうのではないかとか、人口減少(国内生産・需要縮小)やこれに伴う移民やインバウンドなど「外国(或いは地域の圏外)との関わり」をテーマとするものが多いように思いますが、「自分達の内部(既存の主要部門)の問題点をどのように抽出し変えていくべきか」についての議論は、あまり熱心になされていないように思わないこともありません。
平成24年1月に消費税の増税や公務員制度改革に関する古賀茂明氏と高橋洋一氏との対談記事をもとに、あれこれ書いて旧ブログに載せたことがあり、勿体ないので微修正の上で再掲することにしましたが、双方とも議論も具体的な改革等も先送りになったまま現在に至っているように思われます。
そうしたテーマに関心のある方は、引用している対談記事も含め何らかの参考にしていただければと思います。
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私のfacebookの「友達」には、ネット上の論文などを頻繁に紹介(コメント投稿)する方もいますので、その方を通じて普段は接する機会のない社会経済・政治システムなどに関する論文を拝見することが時折あります。
平成23年の記事ですので多少古いですが、以前、その方の投稿で「脱サラならぬ脱省?(脱官僚だと別の意味になりますので)した方としては日本有数の有名人」である古賀茂明氏と高橋洋一氏との対談が紹介されていたので、興味深く拝見しました。
http://diamond.jp/articles/-/13257
http://diamond.jp/articles/-/13376
私自身は国家公務員制度改革を巡る詳細な議論に立ち入った発言をする能力はありませんが、読んでいて、次の感想を持ちました。
まず、古賀氏らは、「消費税増税を推進してきた勢力(財務省)や政治家は、古賀氏ら=安倍首相(第1次)や渡辺喜美元行革相が推進していた公務員制度などの行政改革に対し反対或いは消極的な立場をとり、逆に、行政改革推進派は、消費税増税に反対或いは消極的な立場をとってきた」と述べています。
そういえば、死語となった「上げ潮派」(渡辺氏、中川秀直氏ら)は消費税増税に反対し民営化や国有資産売却等により財政再建を図るべきだと主張していましたし、当時、民主党内で増税やむなしと主張する方々(野田・菅もと首相、仙石氏ほか)からは行政の制度改革に関する熱心な声はあまり聞こえてきませんでした。
ちなみに、野田首相の腹心の一人?である蓮舫行刷相(現代表)は、行政が運営する特定の事業(スパコンや宇宙研究など)には合理化(無駄削減)や規模縮小を要求していたことで強いインパクトを残しましたが、行政のカタチの変革(例えば、国が福祉などに広範に関与するのを止めるべきという「大きな政府・小さな政府」の議論)に言及されているのを拝見した記憶がなく、この点は現在も同様のように感じます。
「無駄排除」は政府の規模・指向に関係なく当然に要求されるものですから、民主党政権が実施した「事業仕分け」が行政の仕組みの変革を伴わない、個別事業の費用対効果のチェックに止まるものであれば、福祉国家(大きな政府)の維持への支持を確保するため、無駄排除・費用対効果の検証をしたもののようにも見えます(もともと民主党は福祉国家=大きな政府派の方が多い政党ではないかと思われます)。
対談を見る限り、古賀氏も高橋氏も天下りの禁圧などを通じた行政組織のスリム化を指向すると共に、それを現実に実行できる力を持つ権力機構(としての内閣府人事局)の実現(それが「公務員及び関連利権業界」と対決すること)を求め、それを通じて、消費税増税(一般国民の負担強化)をせずに財政再建(行政コストの節減)を図るべきだとしていますので、基本的には「小さな政府」派なのだと思います。
自民党時代、福田首相や麻生首相が公務員改革に不熱心だったとの指摘もありましたが、このお二人に共通する政治哲学も、「大きな政府=福祉・積極国家」と言えると思います。
というのは、福田首相が創設に情熱を注いだ消費者庁は、行政(役所)が消費者保護に関する様々な事業を行うというものですし、麻生首相が熱心に取り組んだ事業も、高速道路無料化やいわゆるアニメの殿堂など国の出費を要するものや、中小企業向けの返済猶予法(金融円滑化法)など私経済活動に対する国の干渉を伴うものが多かったように思われるからです。
逆に、第1次安倍政権が熱心に取り組んだ政策と言えば教育改革と公務員制度改革が思い浮かびますが、いずれも福祉や国の財政出動とは関係が薄い(又は逆のベクトル)ように思われます。
消費税に話を戻すと、私自身は国が潰れたら困るという単純な発想や所得税と比べた消費税の公平性(捕捉面での)などから、相応の行政改革がなされるのであれば、国を守るため一定の増税は避けられないのかなと素朴に思ってきました。
ですが、私自身は「公(パブリック)のサービス」は可能な限り利用者・供給者双方にとってペイするシステム(赤字にならず収奪もしない経営)にまとめ上げるべきで、それを前提に、公営(役所の税金経営)ではなく、民間が担う(民間の経営努力を最大限活用する)方向に導くべきだと考えており、そうした意味で、どちらかと言えば小さな政府派だと思っています。
そのため、「消費税増税の議論ばかりしていては、それで財源を賄えば足りるとする勢力に押し切られ現在の肥大化した行政機構が温存されてしまう」という主張には、共感せずにはいられないものがあります。
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もちろん、私は行政機構や国家統治の世界に何らの関わりも持っていませんが、仕事上、役所が実施する無料法律相談事業などの末端(現業)レベルで、行政の方々と関わることがあります。
ほんのちっぽけな話ですが、その中にも行政のあり方について疑問を感じざるを得ないことがないわけではありません。
例えば、ここ数年、県内で国や自治体が開催する無料相談事業には、広報等の積極的な集客努力をしなければ、担当者(弁護士)の拘束時間の半分にも満たない来所者(相談者)しか得られないものが増えています(この点は平成28年末現在も状況は全く変わらず、むしろ悪化しているとすら言えます)。
震災や債務整理特需の終焉の影響もあって、一種の相談事業デフレ(供給過多)が生じているのですが、行政(主催者)には自ら集客の努力をする姿勢が希薄で、集客が得られず事業としては失敗しているように見えても、早めにテコ入れ(単なるチラシ等ではない、効果的な広報等)や中止しようとする動きもなければ、誰かが責任を取ることもないように見えます。
そのため、準備の手間や長い移動時間等をかけて嬉しくもない内職時間を与えられる身としては、集客や設営等を民間委託して、実績(集客力や顧客満足度)に応じた報酬を受託者に支払う形式に変更し、それでも集客等が得られないなら無料相談事業(いわばニーズの乏しい公共事業)そのものを再検討(事業仕分け?)する方向に考えて欲しいと思わずにはいられません。
役所の無料相談事業は、弁護士にとっては、相談者の数が多ければ、相談そのものの意義もさることながら、中には単価や能率の面で受任価値のある(仕事として意義があり経済的にもペイする)事件に巡り会える確率が高くなるというメリットがあります。
他方、せっかく会場に赴いても相談者が来所しなければ、時間と労力の無駄であることはもちろん、行政(納税者)にとっても、少額とはいえ弁護士に支払う日当の費用対効果も低くなりますし、事務を担う公務員等の点でも行政資源の無駄遣いと言わざるを得ません。
よって、この種の相談業務も、役所(お役人)に営業努力(集客等の努力)が望めないのなら、イベント設営等のノウハウや意欲のある企業に設営や集客業務を引き受けてもらった方が、良いのではないかと感じています。
この場合、受託企業がインターネットやメディアを活用するなどして集客努力を図ったり、弁護士の相談対応の仕方等についても弁護士の過度の負担や出費増を避けつつ顧客満足度を高める新たなサービス(設営)を創出するなどの展開が期待できる余地はあるでしょう。
さらに言えば、「お役所が無料法律相談事業を行う」というのは、同一のサービスを供給する事業者から見れば、民業圧迫という面が否定できません。
正当な理由(弁護士過疎地の供給不足の補完や低所得者向け事業の必要等)があれば否定されるべきではないと思いますが、現在では、弁護士過疎の解消等によって行政が広範・反復的に無料相談事業を展開する意義が薄れつつあるように思われますし、実施するとしても、役所を経由しないサービス供給の仕方も検討、普及されてよいと思います(例えば、コールセンター等が受付業務を担い実際の相談業務は弁護士の事務所に誘導して対応するなど)。
消費税に比べれば、ちっぽけな話ではありますが、こうした話もまた「大きな政府(役所による公的サービス供給)vs小さな国家(民業による公的サービス供給)」に関わる話であり、財源の問題も伴う以上、税金とも関係することだと思います。
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何のためにこんな話を延々と書いたのかと言えば、我々、一般人は、古賀氏らが議論するようなスケールの大きい議論は拝見する程度のことしかできないのが通例です。
ですが、各人が関わっている各論の中に大所高所の議論と関わる事項があるのですから、それを語ることなら各人に出来ますし、それを積み上げていくことが「改革が潰されないように、議論を骨太に仕上げ推進力を維持する」ためには必要なのではないかと思います。
国民自身が進んで身を切る努力をしなければ他者(役人)に変革を促す資格がないという面もあるとは思いますが、税金支払以外にも努力の道があると思われ、そうした取り組みが活性化すればと願っています。
ところで、橋下市長の引退までの数年間に亘り一世を風靡している大阪維新の会ですが、その主張を見ていると、基本的には「小さな政府」指向に見えますし、橋下市長の現役時には、労働組合を中心に公務員勢力との対決姿勢を鮮明にしていました。
現在では何を目指している政治勢力なのかよく分からなくなりつつ面はありますが、過去の経緯から、改めて、橋下氏の復帰であれ新たなシンボル人材であれ、何らかのカリスマを立てて、その点を大きなテーマとして国政に打って出ることはあるでしょうし、その際、何らかの形で「大きな政府か、小さな政府か」が争点になるのであれば、この種の議論を好む者としては、歓迎する面はないわけではありません。
これに対し、消費税反対の一方の雄である小沢氏らは「大きな政府か、小さな政府か」という視点で見ると、どのような立場に立っているのか今のところよく分かりません。
大まかには、「増税を回避するが子ども手当や所得補償などは維持する」というスタンスのように見えますが、具体的な財源捻出策が提示されないまま時間ばかりが経過したように思われ、残念に思います(善解すれば幹事長時代に行った自民系の支持団体への予算カットなど、既得権益の破壊を想定されているのでしょうから、権力再奪取までは手の内を見せにくいということかもしれませんが)。
「安定的な民主党(小沢派)政権の実験場」たる達増知事の県政運営を見る限り、相応に財政健全化を意識されており(震災の関係で予算自体は膨張しているようですが)、財政を危うくしてまで福祉サービスを優先するとのスタンスではないと感じていますが、国のカタチを巡る立場について、より分かりやすい政見を示していただければと思います。