アパホテルの「南京大虐殺否定本」に関する報道が話題になっていますが、先日、旧日本軍によるシンガポールでの華人虐殺の話を知ったことから改めて南京事件のことを勉強したくなり、以前から買うかどうか迷っていた中公新書の「南京事件」を買いに、以前から置いてあった盛岡駅フェザンのさわや書店に行きました。
が、残念ながら売り切れており、代わりに同店の「文庫X」キャンペーンで一世を風靡した清水潔氏が同じテーマを取り上げた本が大々的に売り出されていたのを見つけ、面白そうだったので買って帰りました。もちろん、いわゆる否定本の類でないことは言うまでもありません。
http://hon.bunshun.jp/articles/-/5134
まだチラ見しかしていませんが、本題(裏付けを含めた虐殺の実情の説明)のほか、坂の上の雲では描かれていない?日清戦争時の虐殺を紹介したり、著者自身の原体験(祖父や父の物語)について触れているところなどは、きちんと読んでおきたいと感じました。…
余談ながら、(いつの話かは伏せますが)以前、ある宴会の場で円卓の少し離れた席に座っていた私より数十年ほど上の世代の男性同士の談笑が聞こえてきて、ご自身のことかそうでないのかは聞き取れませんでしたが(聞きたくもありませんし)、その世代の男性が少なからず行っていたと言われる、数十年前?の「東南アジアへの買春ツアー」の話題を楽しげに話しているのが分かりました。
構造的暴力などという古い政治学用語を引用するまでもなく、圧倒的な経済格差や極端な貧困などに起因する半強制的な買春は、対象女性の尊厳を決定的に破壊するという点で「魂の殺人」と称される強姦とさほどの違いはないというべきで、詰まるところ、戦中も戦後も、日本人が一定の貢献(戦中には植民地独立の端緒、戦後には現在の経済発展の下支えなど)と被害(各種の暴力)の双方をアジアにもたらしてきたことは否定し難いのだと思います。
もちろん、それぞれの時代に各人が帰属していた社会の常識なるものがある上、何より、私たちの世代は、そうした上の世代の方々の「悪魔の右手」だけでなく、敗戦などの反省を踏まえた平和的な手段での戦後復興・経済成長の努力という「神の左手」にも庇護されて育ってきたことを踏まえるべきで、紅衛兵のように勘違いして上の世代を軽々に糾弾するような営みもまた、愚劣なことなのでしょう。
我々の世代は、安倍首相らのご尽力のおかげ?で「謝罪を続ける宿命」はないのかもしれませんが、それだけに「正しい事実を知り、伝え、それをもとに行動する努力を続ける宿命」はより一層強まっており、それを放棄する者には相応のペナルティが待っているのではないのかなと感じたりもします。
それと共に南京事件で諸説入り乱れる様を見ていると、相応の根拠を示されてもバイアスのある見方ないし立場を固守せざるを得ない(せずにはいられない)という、人間の心理などの難しさを感じます。虚心坦懐にものを見ることができるメンタリティを養うための社会基盤や教育などのあり方について、もっと問題意識が深まればと思っています。