諸事情により盛岡市内の某学童保育所の役員を拝命しているのですが、責任者の方からの御下命で、10月29・30日に名古屋市で開催された「全国学童保育研究会」に参加してきました。2ヶ月弱も前の話で恐縮ですが、その件について少し書きたいと思います。
http://gakudou.me/zenkokuken/
といっても、私自身が何か作業や発表などをすることはなく、会場の様子を拝見しているだけ(で構わないので行ってきて欲しいと言われた)というお気楽なもので、毎度ながら書類仕事が溜まってるんですけどと思いつつ諸事情からお断りすることもできず、名古屋まで出張してきた次第です。
そもそも、「全国学童保育研究会」とは、全国学童保育連絡協議会という団体(以下「保連協」といいます)が年に1回、全国各地で開催している大会で、保連協とは、Webサイト情報によれば1967年(学童という存在の草創期でしょう)に保護者や指導員ら(全国各地の「父母会」形式の小規模な学童群らと捉えるべきでしょう)により結成された団体とのことです。
http://www2s.biglobe.ne.jp/Gakudou/
強制加入団体ではないため(後述のとおり、企業が経営する学童はほとんど加入していない?ように見えます)同一視はできないものの、弁護士業界における日弁連のような存在(全国研は日弁連の人権擁護大会に相当)と考えてよいと思います。
弁護士業界は当方のような1人事務所=零細企業が今も多いのですが、保連協に参加している学童は「父母会」という任意団体(法人格を有しない、権利能力なき社団)で運営されているものが中心なのだそうで(盛岡市内の学童の大半も同様だそうです)、その点でも弁護士業界に似た面があるかもしれません。
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当日は、29日の1時半から名古屋城二の丸の愛知県体育館で全体会があり、子供達の出し物(演舞)、来賓のスピーチ、保連協の会長さんの基調報告、学者さんの講演がありました。主催者発表では5000人が会場にいると仰っていましたが、私の感覚でも、2000~2500人程度はいそうな感じは受けました。
ただ、配布された資料では、岩手からは47人も来ているとのことでしたが、宮城14、青森2、秋田ゼロ?(記載なし)などと、どうしたんだ東北という感じの数字もありました。青森や秋田には、連絡協議会(支部組織)自体がないようですので、そのことも影響しているのかもしれませんが。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Gakudou/
30日は金城学院大学で分科会があり、案内によれば約30もの分科会があり、最低でも一つには出るようにとのことでしたので、当方の現状と関係しそうな「運営主体の多様化が進む学童保育~実態と改善の課題」と題する分科会に参加してきました。
一般教室1つ分の会場でしたが、収容人数を大幅に超える参加者があり満席状態で、午前は、自己紹介タイムのあと神奈川県某市で熱心に活動なさっている方から「市内の学童の運営を巡る役所らとの闘いの歴史」について熱いトークがありました。で、午後は、①役所との関係(補助金云々?)に関心がある人、②NPO化など運営形態に関心がある人、③他の学童などとの交流に関心がある人に分けて、グループ協議をせよということになりました。
私は、弁当をいただいた後は徳川園(と美術館)に向かうつもりで数ヶ月前から固く決意していたのですが、諸々の理由で泣く泣く徳川園を断念し、3時前までグループ協議に参加してきました。
グループ協議では、法人化して経営されている方々や利用者(父母)の方々からの「法人化した学童の現状報告」などが聞けるのかと思っていたのですが、そのような話はなく、集まってきたのも法人化していない(父母会形式の?)学童の方々ばかりで、父母というより指導員っぽい感じの方が多く、法人化云々というより、役所などに対するものを中心に、現在の運営状況への不満や不安などに関するお話が多かったように感じました。
また「学童のプロ」の方々の込み入った話が多く、私のような素人には即時理解が難しいものも多かったように思います。
グループ長さんが埼玉の方で、さいたま市は、数年前に市の方針で全学童をNPO法人化させる?といった話があったそうで、「法人化はこれからの社会の潮流だ」と仰っていました。
さいたま市ではNPO法人が複数の学童を運営するスタイルが多いとの話もありましたが、私が時間の都合で途中退席せざるを得なかったこともあり、その辺の詳細までは聞けませんでした。
ただ、「市役所に、学童を作りたいんだけど、運営をやってくれる人を紹介してくれませんかと頼んでくる運営意識のない無責任な父母がいて困っちゃうよね」といったお話もあり、人ごとと思えないというか、私が関与している学童も、これまで設立や運営を担ってきた方々が引退すると、盛岡市役所に同じ陳情をせざるを得ないのでは?と思わずにはいられませんでした。
そんなわけで、所期の目的である「NPO法人の設立・運営の先輩方から、運営の苦労話やキモになる留意点などを聞くこと」はほとんどできませんでしたが、それはそれとして、ほとんど存じなかった保連協のことがある程度は分かってきた面がありましたので、その点は大いに意味があったと思っています。
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全体を通じて感じたのは、保連協は学童保育の草創期から当時の方々が負ってきた課題と向き合う形で形成されてきた団体であり、良くも悪くも「古き良き学童」の利害を代弁している面が強いという点でした。
少し具体的に言うと「学童は少額の料金で利用できるのと引き換えに父母が信頼関係を形成して和気あいあいと運営に携わる(ので、その結果として低コスト経営にする)のが、あるべき姿である。よって、運営に携わろうとしない父母は好ましい存在ではないし、学童の文化や歴史を学ばず企業が安易に参入するのも間違っている。同様に高い料金で塾云々を提供するようなタイプの学童も自分達とは異質の存在である。そうした学童の「和気あいあい文化」を守った上で、指導員の待遇改善や施設の維持向上を(値上げの選択肢は避けたいので、役所の補助金などを通じて)図りたい」という考え方で運営されているのだろうとの印象は強く受けました。
それで、そのようなアイデンティティを守ることが「運動」の一つの目的になっていて、それが、良くも悪くも保連協の性格を決定づけているのだろうとも感じました。
なお、学童保育の世界では利用者たる監護者等を「父母」と呼び、「利用者(顧客)」と呼ぶことを避けているのですが、そのことも、単に「父母会形式=全利用者による共同経営」がこれまでの中心スタイルになってきたというだけでなく、そうした歴史・文化が影響しているのだろうと思われます。
そうであればこそ、すべての利用者=親と子が同じ思いを共有していれば、「保連協の理念」と利用者のニーズとの蜜月関係は今後も続くのでしょうが、果たしてそうなのだろうか、とも感じるところはあります。
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かつて日本は中流社会で、その主流派は専業主婦+堅実収入のサラリーマンか三世代同居などであり、学童を必要とするのは共働きに「ならざるを得ない」低所得者層と一人親家庭などのみで、それゆえ「子供の居場所を低料金で提供する」というサービスに切実な必要があり、かつ利用者層全体がそのニーズを概ね共有していたのではないかと思います。
これに対し、現在は、お医者さん夫婦や大企業夫婦のような(公務員夫婦や学者さん夫婦なども?)、「両親併せて(一人だけでも)相応の収入があり、親自身も相応の学歴があるので子供に習い事や教育を仕込みたいが、自分達には時間がない。よって、安くない料金を支払ってでもそのサービスをしてくれるところに頼みたい」という「中・高収入の暇なし夫婦(実家の労働力も得られず)」が相応に存在していることは間違いないでしょうし、私が関与している学童の利用者にも、そうした方々が一定数おられるのではと感じています。
報道やwikiなどを見ても、大都市では、そうしたサービスが広まりつつあるそうですが、そうした方々(利用者・運営側双方)のプレゼンスは、ここ(保連協ないし全国研)には全く感じませんでした。
果たしてそれでいいのか(そうした方々も取り込んだ、総合的な「学童全体=すべての子供達の利害」に取り組む団体は存在しなくてよいのか)という余計なことを感じる面はありました。
もちろん、現在も(或いは昔以上に)、非正規雇用の拡大などの事情から、高額な利用料なんて無理ですという共働き家庭は山ほどあるわけで、詰まるところ、学童のサービスを求める利用者(家庭)側に、昔は存在しなかった利用者層の格差ないし利害対立が潜在化しているということに尽きることだと思います。
その上で、都市圏にはそれを満たす「高料金の塾・習いごと学童」が存在するのに対し地方には伝統スタイルの学童のみという構図は、あたかも私立中(とその進学のためのお受験予備校)が都市に集中している光景に似ているような感じはあります。
これからの日本は「都市と地方が、諸インフラの差などのため別の国であるかのような社会になるのでは」とも言われていますが、「学童」という切り口からもそうした光景が現出しているのかもしれません。
分科会の講師の方は「学童は補助金がないと存続困難なビジネスモデルだ。自分は民間企業のエンジニアをしているが、その目線から見てそう思う」と仰っていたのですが、施設(学童)=供給側に税金を払うのではなく、利用者側(子供)に、いわゆるバウチャーを発行する方式などについて保連協は「運動」しなくてよいのだろうかと、ある意味、不思議に思いました。
学童という存在の公的性格は現在ますます強まっていると思いますが、「学童が公的存在だ」というのは、施設自体が「公的」なのではなく、「利用者たる子供が居場所を必要としていること」が、人口減少や少子化云々と相俟って公的なニーズ(税金を使ってでも対処すべき事柄)になっているので、その受け皿たる学童に公的性格が認められていることを指すと言うべきなのだと思います。
だからこそ、あるべき「税金の届出先」は本来は供給側でなく利用者側ではないかという感じがしますし、その上で、地域内に複数の学童(的なもの)が存在し、利用者は、それぞれのニーズ等に応じて、学童を選んで、「伝統スタイルで低料金の学童」をタダ(同然)で利用するか「塾・習い事型の学童」に追加料金を払って利用するか、選択できる社会が望ましいのでは?と思います(組み合わせ型を含め)。
少なくとも、過去に主流だった「(所得の少ない)親が低料金で子を預けるのが学童だ」という文化のうちは、子供向けの様々なサービスが花開くということは難しいかもしれませんが、例えば「バウチャー」のような方法で親の負担を誰かに転嫁しつつ施設側が十分な売上を得て学童を運営できる社会になるのであれば、利用者たる家庭にとっては、伝統的な「和気あいあい学童」から新しい「バリバリ学童」まで、地方都市の住民も含めて色々と選択肢が広がるのではと感じています。
ただ、その程度のことは長年、学童に携わってきた方々ならとっくの昔にご存知のことでしょうし、その上で、敢えて「運動」の方針にバウチャーのような「利用者の補助(選択権の拡大)」という項目をお見かけしないのは、それが、この団体の方々の理念と合わないからなのだろうか、でも、それが「いいこと」なのだろうかと、感じる面はありました。
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ちなみに、今回の「研究集会」が報道されてないかと検索したところ、唯一、「しんぶん赤旗」の記事を見つけました。
ただ、全国研には他政党の来賓の方もいらしていましたし(蓮舫代表は秘書の方が紹介されていましたが、民進党愛知2区の古川元久議員はご本人がいらしてました。自公の方が来ていたかは分かりません)、集会では共産党に限らず特定政党云々という話は全くありませんでした。
詳しい方にお話を伺ったところ、保連協は草創期はさておき相当以前から政党色がなく、近年では自民党の政権復帰後に学童向けの予算が増えた(ので有り難い)などと仰る方も珍しくないそうです。
ですので、ネットで保連協の検索をすると見かける記事の類は「かつての光景」なのでしょうし、上記の記事も取り上げていただいたマスコミが赤旗のみだったという程度のことだと思いますが(岩手なら地元紙にも載るのでしょうけど)、それ自体はケチを付けるべきことではなく、学童保育の歴史的な経緯などの関係から、やむを得ないというか、ごく真っ当なこととして理解すべきことなのかもしれません。
ただ、さきほども書いたとおり、現在は「自分達が長年背負ってきた価値を守るための運動」だけでなく、自分達とは異質な他者のニーズをどのように取り込んでいくか(それにより自分達をどのように変容させ、次代にも必要な存在として生き残っていくか)という適者生存的な発想が必要ではないかと感じていますので、そうした面があまり見えなかったのは、「運動ちっく」というか、少し残念に感じました。
とまあ、余計なことばかり山のように書きましたが、他の方がご覧になれば全く違う印象、感想をお持ちになることもあるでしょうし、こうした光景を一生に一度拝見するだけでも大いに意義はあろうと思います(私は1回でおなか一杯ですので、今年で卒業とさせていただくつもりです。たぶん・・)
ともあれ、こうした貴重な機会を与えていただいた関係者の皆様に御礼申し上げます。